亀石(飛鳥のシンボルになっているユニークな石物) | 尚吾の「人生七転び八起き」

尚吾の「人生七転び八起き」

座右の銘「人生七転び八起き」の如く、日々のさまざまな出来事を書き込んでいきます。

バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

4連休でしたが私は月曜が休み。

博物館、美術館などは月曜が祝日の時に訪問します。


今回はマタマタ奈良の飛鳥に音譜21日(月・祝)は開館している飛鳥資料館に。


今年は「神宮」&「天皇陵巡り」をしているので天皇の歴史についてもちょっと勉強中。

いま一番興味が有る飛鳥時代、「大化の改新」が起こった大和朝廷の史跡を巡っています。


ここ飛鳥は過去何度も来ていますが、じっくりと回ったことが無かったので今回は未訪問の所を1日掛けて回りました。



まずは、もう20数年前に子供たちと一緒に回った飛鳥の史跡「亀石」


史跡の案内板としてはチョイと寂しいですねビックリマーク


連休で天気も良く多くの家族連れがサイクリングされていました。

 

何度も奈良に来てますがに初めて高速道路が渋滞しました!

この4連休はどこも人が多かったようですが、


ここも来たときは人だかりショック!


亀石と呼ばれているが、亀であれば顔は楕円形で目は横に付くが、顔が三角形であることや目が上に飛び出しているなど、むしろカエルだとの説がある


亀石


長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていて明日香村観光のシンボルともなっている。


伝説によれば、奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻と川原の争いの末に当麻が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って供養をしたという。


亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方向の西に向いた時、奈良盆地は一円泥の海と化すと伝えられている


確かに亀よりもカエルかも?


なかなかユニークな形です。



8月31日には、

右矢印第10代、崇神天皇陵

右矢印第12代、景行天皇陵

右矢印第34代、舒明天皇陵

右矢印第32代、崇峻天皇陵   
右矢印談山神社 ①  

右矢印談山神社 ②
天皇陵を巡りこの後に飛鳥も少し回りましたが殆ど人を見かけませんでした。


今日は、連休中なのであっと言う間に人だかりショック!




その後、「キトラ古墳」「高松塚古墳」と周遊、これは「飛鳥資料館」の庭園に設置してある

「亀石」のレプリカですビックリマーク


本物とそっくりですが、写真をよく見たら微妙に違うところも・・。


亀石を後ろから


こんな感じなんですね。本物は囲ってあるのでこの角度からは見る事は出来ません。


豆知識




重ささ10トンを超す花崗岩に亀の顔が巧みに彫られてある。猿石と同系の素朴な石彫で、何のためにここにあるのか謎とされている。置かれている場所からみて、橘寺か川原寺に関係のある飾り石であろうとか、何かの境界をなしたとか、仏教渡来以前の土俗信仰を現わすものとかの推測が行われている。


川原寺の所領の西南隅を示す石標、条里の境界

猿石未完の像という説

大化3年(647年)新羅の金春秋王子の外交使節としての来朝時に歓迎用に、新羅渡来石工により造形して設置し、周囲で舞楽をした。

仏教伝来以前の土着信仰の対象物(神像)

斉明天皇の時代にグリフィン像を造ろうとしたが加工途中で放棄されたもの

建造時期、目的共に不明で、いくつかの説が出されているものの、結論は出ていない。