統合失調症の海をゆく -11ページ目

赤色エレジー


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(明日からは、もっとちゃんとした格好を……)


「昨日もそう思った。」

何ともいえない悲しい気持ちになったことはあるかい?

学生時代の友人から、年賀状が届きました。

「順調に妊娠中だよ。仕事も続けてるよ。」

「一人暮らし始めたよ。今年は節目の年だね。」

どおっと劣等感の波が襲います。


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「私だって、仕事があって、家庭があって

 部屋の花瓶に花を飾っちゃうような、

カッコがつくような、

 そんな生活ができればいいのに……。」

私は病気のカミングアウトをしていないので、

「私ものんびり仕事してるよ~。」

と、遠方の友達には嘘をついちゃいます。

(工芸が私の仕事なんだから)

と、自分に言い聞かせても、

砂を噛むような後味の悪さはぬぐえません。

そんな時は、ベッドの上で小さく丸まって、

田辺聖子全集を読みます。

「笑いはまず、

自分で自分を嗤うところから生れる。」

などという言葉を読んでいると、

「この、

夜の夜中に毛布に丸まってうーうー言ってる

私の今の状況って、

ちょっと面白いんじゃないの?」

と、発想が変わってきます。

で、さらにギャグマンガを一冊。

だいぶスッキリした気持ちで眠りに落ちるのです。

しょこたんはかくし芸でも「ギザ」を使ったねえ。


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さてさて、快適な寝正月を過ごしている私の

新年の抱負にお付き合いください。

第一に、工芸をがんばる。

少しでも向上したい。

工芸の師匠にとても良くして頂いていますし、

お弟子さんたちとも良い関係を築きたいと思います。

第二に、病気に負けない体を作りたい。

すぐ疲れるのは統失の特徴とはいえ、

体を鍛えることで、それが少しでもなくなれば。

ジムに通って、耐久力を上げたいと思います。

第三に、家事をがんばる。

掃除や洗濯、ご飯作りなんかをちゃんとやれるように

なりたいと思います。

最後に、家族と周囲の方々への感謝を忘れずに、

(忘れがちだから……)

和を大事にして、穏やかな気持ちで一年を過ごしたいです。

もちろんみなさんとも。

どうぞよろしゅう。

ね、ん、ま、つ、だから~

今年最後の診察に行きました。

そこで質問されたのです。

「今年はどんな年でした?」

で、こう答えました。

「倒れて、なおった。という一年でした。」



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先生は、苦笑されていました。

でも、この3年はずっとそうだったんです。

倒れて、なおって、無理して、また倒れて……

このサイクルを、3回。

20代の最後をムダにした、

とかいう意識は不思議とありません。

統失だという病識ができて、

病気になった人全般について考えるようになり、

病気によって差別される人について

考えるようになりました。

マイノリティについて考えるようになった。

つかこうへいとか、

今読んだら違う読み方になるんでしょうか。

大泣きしちゃって、理性的に読めなかったりして。

いついかなる状況でも、彼の描く人物達のように

自分にとって日のあたる方向を向いていたいものです。

さてさて、これから友達と鍋おさめ(ただの鍋)

してきます。

イルミネーションも見てきちゃうぞー!

元彼から

「仕事おさめになんとかおさまった」

(去年は31日の深夜まで仕事して、元日の昼から仕事してた)

と、メールがきたので、

「よかったね」

と、ねぎらっておきました。

ゆるやかに年がふけてゆくのは嬉しいものです。

みなさま、良いお年を。

あまい指先

ふと思い立ち、サザンカで染物をしたくなって、

花をいっぱい摘んできました。

サザンカは花びらだけを染物に使うので、

がくやおしべ、めしべなどを取り除く作業をします。

作業をしているうちに、

花粉やあまい液が指について、

良い匂いのする指になってきました。



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花というのはめしべに花粉がつくまで、

あまい分泌物が出るって理科で習いましたよね。

良い匂いがするということは、

まだ受粉も受精もしていなかったということでしょう。

この花にはこれからがあるはずだった。

明日もあのいけがきに咲いているはずだった。

ゆくゆくは種を宿し、地に落ちるはずだった。

ある日突然奪われる明日。

ちょっと自分の立場に似ている、

と思ってしゅんとしてしまいました。

そのあまい指先を洗いながら、

未来を奪った、その分だけ、

せめてきれいに染めてあげたいと思う夕暮れです。

ローズ イズ スティル ア ローズ

先日、友人に教えてもらった、

巫女さんのところに行ってまいりました。

朝一で行ったのに、

(↑気合が入っていてお恥ずかしい)

すでに10人くらい並んでいました。

大人気なんだなあ~。

期待に胸が膨らみます。

待ちにまって、やっと私の番。

名前と、生年月日を書いたものを手渡しました。

「今病気をしているので、

それがいつ頃まで続くのかと、

 工芸をやっているので、

それがモノになるかどうかを

 教えていただきたいです。」

と、勢い込んで私。

「ご結婚は?」

「予定がありません!」

と、勢い込んで私(勢い込まなくてもいいって)。

すると、

何やらお経のようなものを唱え、沈黙があって……



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「病気は、いつの間にか治るわよ。

 もともとの持病じゃないしね。

 念のため、祓っておきましょう。

 工芸は、とても伸びるでしょう。」

わー、嬉しいー!

「そして結婚は、2、3年後になるわね。

 それまではきっと、工芸に夢中になるから。」



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……は?イエあの私、

結婚は40歳になってからと思ってて……

「多分2年後でしょうね。それまでは工芸です。」

結婚は40歳になってからと思ってて……

びみょうな気持ちです。

当ると評判だそうなのですが……

とりあえず、

お化粧とおしゃれは手を抜かないように

しようと肝に銘じました。

はたらくお姉さん


新入社員の増水さんは、部署に配置されたその日に、

「私、体が弱いんで、無理ができないんです。」

と、言い放ちました。

「ですから仕事量を、加減していただきたいんです。」


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ああ~?!(むかつく私達)

でも、体が弱いんなら仕方ないよね。

と、いうことで、

人の3分の2の仕事量からスタート。

とばっちりをうけたのは、同期入社の為沢さん。

人の3分の4の仕事量からのスタートとなりました。

悠々と仕事をやりとげ、余裕を持って周囲を見て、

どんどん仕事をおぼえてゆく増水さん。

とにかく仕事を消化することに必死で、

だんだん体力も気力も失ってゆき、さらに

人への配慮もなくしてゆき、評判を落とす為沢さん。

そんなある日の残業中、高校時代の話になりました。

「私は高校も大学も書道部でした。」

と、為沢さん。

「わたしは高校ではバスケ部でした。」

と、増水さん。

……え?

増水さんの高校のバスケ部は、

全国大会に出場したこともある、名門です。

「マネージャーやってたの?」

「副部長でレギュラーでしたけど?」


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……何が、「体弱い」だー!

ぜんぜん働けるやんけー!!

と、その場にいた全員が思ったと思います。

即座に仕事量は増やされました。

が、その頃には、彼女は

他部署との要領のいい連携や、

取引先への感じのいい応対を覚えていて、

(暇な時に先輩のやっているのを見ていたらしい。)

新人ながら安定感のある仕事をするようになって

いたのです。

とばっちりをくった為沢さんは、

体を壊して潰れていきました(そして転職)。

「為沢はいつもイライラしててムカついたけど、

 増水は要領が良すぎてムカつくよな。」

とは、上司の言。

新卒離れしたあざといばかりの処世術に、

「女って奴は、したたかだわ……」

と、しみじみしてしまいました。

金魚のフンのような話 PART4

さて、夢を仕事にすることができるか?

という問題。

ええと、私は、この病気になるまで、

夢をどうこうするより、

適度に遊べる時間とお金と友達が持てて、

堅実に食べていき、将来的には

家庭を築く事が大事と考えていました。


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それも一理あると思うんですよね。

この病気になってなければね。

働けないですからね、今。

体も思うように動かないしね。

障害者年金いただいちゃってるしね。

工芸を今、やり始めていますが、

まだイッツマイ ファンとか言ってる状況。

でも、

「プライドや自信を持ちづらい今だからこそ、

 夢を持って、叶える事が大事なんじゃないの?」

と、言うのは母です。


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さらに、

工芸で生計を立てていけるとすれば、

自分の作業ペースで仕事を進められるという

利点があると母は言います。

そーんな甘くはないだろうと私は思いますが。

体調の事もあるし、

この工芸を極められるかどうかも怪しい。

でも、もしかしたら

これをずーっと続けられるかもしれない。

「あきらめないのって、

すごく辛いこともあると思うよ。」

この言葉に、私の脳は耐えられるでしょうか。

ちょっと、怖いです。

でも、この病気になってから、

私は色んなものをあきらめてきました。

もうあきらめたくないです。

何とか、

ゆっくりのんびり続けていきたいものです。

☆長文にお付き合い頂き、ありがとうございました☆

金魚のフンのような話 PART3

だから私は、彼女の話を、ちょっと皮肉っぽく

当時の彼に話したのでした。

「人に取り入るのが上手で、

お金持ちな人はいいなあ。得してるよねえ。」

と、締めくくりました。

そしたらねえ、彼が怒った。


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「あのさあ、

俺の後輩がデビューしてるの知ってるでしょ?」

彼は学生時代、

バンドサークルで活動していたのです。

「確かに、

当時の奴らより上手な人はいっぱいいて、

 『何であいつらがデビューで

この人たちは日の目を見ないんだろう』

って思う人、たくさんいたよ。

それは取り入るのが上手だったからかもしれない。

 運だったかもしれない。

 俺には何の違いがあったかは分らない。

でもね、そういう人達は、

不安定な暮らしを選んででも、

みんな夢をかなえたいって思ってるんだよ。」

彼の大学は、就職に有利な大学でした。

それを捨ててミュージシャンへ。

若さの勢いとはいえ、リスキー。


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「そういう人達を、そういう風に言うのは、

イヤだよ。」

彼は、悲しそうに言いました。

「あきらめないのって、

すごく辛いこともあると思うよ。」

そう言った彼は、安定した会社員です。

ただし、

肉体的にも精神的にも厳しい職場のようです。

けれども、

その仕事に、小さな頃から憧れていたそうです。

当時お気楽なOLをしていた私には、

ピンと来ない話でした。

今も、ピンと来ていない所があります。

けれど……

こんな中途半端ですが、続かせてくださいな。

金魚のフンのような話 PART2

個展のお知らせの葉書が、

我が家へヒラリと舞い込みました。

「良かったら来てね」

と、一言そえられていました。

だから、

「お嬢さん芸のままだったら何て言おう。」

と、私は複雑な気持ちで

個展会場へ入って行ったのです。


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……人間て、ここまで進化できるもんなんだ!!

驚いたなんてもんじゃない。

色使いはシャープに研ぎ澄まされて。

デッサン力も格段に、

別人かというほどに上達して。

何よりも、いい雰囲気が出て。

「購入してもいい」

思わずそう思うほど。

さらに、最も私が驚いたことに、

ほとんどの作品がソールドしていたのです。

「あっ、久しぶり。」

手を上げた彼女は、昔と変わらない

パステルカラーの上質なワンピース姿でした。

今は週に3回、画塾の先生をしながら、

(人あしらいの上手さが想像できます。)

創作活動を続けるということで、

絵一本で生活をしているそうです。

「すごいね、すごいね!すごい良くなってる!」

私はただひたすら、繰り返しました。


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「そうかな?

でも、基本は地元にいた頃から変わらないよ。

洗練されただけ。」

彼女は相変わらず如才のない笑顔で

私に言いました。

変わらない?イヤイヤ、

ご実家の援助は当然あったにせよ、

この大変化の裏には、

血がにじむような努力の日々が

あったんじゃないかなあ。

人間の才能って、当然あるだろうけど、

純粋にその作画や製作の才能だけが

必要なんじゃなくて、更に、

あきらめない事が大事なんじゃないのかなぁと、

(まあ、彼女はとてもお金持ちだったから

無茶な入学も優雅な修行生活も

できたのですが)

あの日から考えるようになりました。

でも、その時、

私の中のブラックぽこが言ったのでした。

『そんな風にやれたのは

ご実家にお金があったからだよね。』

まだまだ続いて恐縮なのですが、

またまた続かせてください。