週刊さんでいリターンズ -21ページ目

週刊さんでいリターンズ

起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

命の現場にいると、いろいろなことはあって、

納得できることもあれば、できないこともある。

できないことで、どうしようもないこともあれば、

なんとかできたのではないか、と

いつまでもひっかかることもある。


それでも、われわれはまだ、そのなんとかを、

次に生かすことができるけれども、

その患者さんと、ご家族様にとっては、

その機会は二度と来ない。

治療中の病気が1つ、既往歴は2つのひよわな中年さんちゃんですこんにちは。

最近、みかんと一緒に観る番組がNHKの「ドクターG」。

一般ピープルなみかんが、一生懸命考えて「いい質問ですね」をするのがかわいいぞ。
すみません、妻バカでw でも診断に関しては結構センスあるんだ、うちのみかん。

ところで、今日観た方はお分かりかと思いますが、・・・辛かったです・・・。



・・・これに関しては、言葉で何を言っても無駄だと思う。
わたくしだってこの仕事を10年はやっているので、それがどういう病気なのかは知っているつもりだ。

でも、自分がそうなのではないし、それをずっと傍で支えているわけでもないことも知っているつもりだ。



さて、今日の病気に比べると些末にさえ思える病気持ちのわしの最近の体調は、更年期障害の方が強く出ている。

ここ半年以上発汗やぼうっとするほどではないが、恐らくホットフラッシュがあった。夜中にやたら暑くて服を脱ぐ。で、しばらくすると寒くなって着る。これを夜中に2回ぐらい寝ながら行っていた。あまり日中にこういう現象はなかったので問題視していなかったが、よく考えれば冬のさなかに暑くて服を全部脱ぐのはおかしい。

そしてここ1ヵ月は、朝方や入浴後に暑さが収まらなかったりする。交感神経の興奮後に副交感神経の拮抗作用が弱まっていると思われる。これは心拍数をかなり激しく上げた運動をした方がよい予感。(理由の説明は偉い人に任せて省くお)

ちなみに2か月ほど前、息切れして動けなくなるまで追い込む山道ハイクをインタバルを入れながら3時間程度行った後、一時的にホットフラッシュは治まった。そして、下肢には坂道による重量負荷をかけたにも関わらず、TA(前脛骨筋)とGM(大臀筋)の筋肉痛以外の問題は出現しなかった。「無理をしない」ことが推奨されるわしの疾患でも、疲労困憊まで追い込んでも問題はなかった。

なぜなら本人が体感するよりも、実際は負荷がかかっていない。つまり、

危険な運動量<本人の疲労

というところに尽きると思う。スポーツ選手や、体力のある一般人では疲労ギリギリまで運動すると、寧ろ健康を損ねる可能性があるが、疾患を持っている人や高齢者では危険域に達する前に「疲労感」が来てしまう。これこそ健常者と比べると、病気に優劣なくそうなると思われる。

あと、わしの場合だが疾患特有の症状が、ここの所増悪してしまっている。このまま悪くなるならば、中止中の薬を再開せねばならないかもしれない。
更年期障害が修飾しているとは思うが、原疾患がわりときつめであることは否めない。一生高額医療費すれすれかもしれん、が、それでも働けるのはありがたいことだと思う。しかも正社員になるかもしれんのだお!!

ちなみにわしの問題点は、ADLにはそれほど大きな支障がないが、理学療法士という仕事には現状の体力では筋力の持久力も不足だ。
特に上肢は健常の範囲からは大きく外れて70代高齢女性にも負けている。

改善するには「疲労困憊」まで追い込まないと、ダメだって・・・と、教授に整形学会で発表するパワポのプレゼンを受けて教わったよ・・・

質問をしながら、わしの体調やらわしが興味を持っている分野の話をした。とりあえず、シングルケースで研究を始めたい。まあ、先にやらねばならないことが多いらしいが、とりあえずわしのシングルケースだけでも検討してもらえるように、文献集めて提出しよう。

まあ、同病の人もいろいろ大変だとは思うよ、投薬により金銭的かつ時間的負担も大きいし、完治が望めないしねえ。

でもな、自分のせいではなくとも、手前の人生は、手前でケツ拭くしかないんだよ。どんな病気であってもな。

それにおいて、医療従事者を敵とみなすもよし、味方とみなすもよし、自分の生きるモチベーションが保てる方で、どっちも間違いではないと思うよ。

どっちにしても手前でケツを拭けるならおっけーだ。この場合、さだまさしに言わせれば「自分の人生の中では誰もがみな主人公」(主人公)ということを心しておけ、ということになるか。つまり都合の悪いことだけ医療従事者なり家族の意見のせいにしないで、自分の納得のいくまで考えれ、ってことに尽きると思うお。

まあ、それがしんどい行為ではあるのだがな。

本日の結論: 苦労しているのは自分だけではなくて、寧ろ、もっと大変な人がいるかもしれないお。

いろんなことがあったのだがいちいち文に起こすのもかったりいのでネタハイライトで。

先々週土曜:競馬→競輪。
突然お金の精だかなんかわからんものが下りてきて、予言を行う。
予言通り、「いらない」と言った二人が落車して、「できた!」と叫んだがゴール線では裏返るというまるで競輪ヤラレ話のお手本のような話ができあがる。
詳細はクズ専用場にて(涙)

先週月曜:仕事
やたら忙しかった。そんな中、加圧の練習をする。わしも巻かれてオールアウト寸前まで追い込まれる。
しかも、現在研究中の健常高齢者(70代)よりも低い加圧と負荷でダウン。かなりショック(涙)

先週金曜:義両親結婚記念日
・・・ということを知らずに、「初任給でたからゴルフウェア贈るお!」と電話する。結果オーライだが、教えろよ>みかん。
みかんは半休をとり、昼から上野の寿司屋で飲んだくれてアメ横へ。買う物さえ決まっていれば相変わらず面白いところだ。夜は人形町のカレー屋で飲んだくれる。

先週日曜:ジム
事前に筋トレさえしなければ、エルゴ85W以上でも心拍数120台で45分以上漕げる。90Wでは明らかにAT越え。但し室温コントロール必要(当たり前っちゃ当たり前だが)やっと四頭筋トレーニングが効いてきたと思われ。目標、Peak200W!(マジか)

今週月曜:仕事
近日退職予定の若者が有給消化のため、月曜はお休みになった。寂しいなあ。

昨日は午前中はそれなりに忙しかったが、午後から暇だったので「どうしてこの方はMI(心筋梗塞)起こしたのだろう?」と、データを見て考えながら入力作業。

今のところ、高齢の場合はほぼ糖尿。次に脂質代謝異常。
BNP以外に異常がない人は、個別に調べてないが恐らく心房細動、これは中年の場合。

心房細動の要因は、加齢(少なくとも40代では起こり得る)・無茶な生活・肥満にありがちな症状(高血圧・肥大型心筋症)のはずだが、3か月前まで何の異常もなかったという患者さんもいらっしゃる。病名は秘すが既往歴あり。

要するに炎症系の持病や既往があるか、健常でも肥満であれば血管系の病気になりやすい。異常がなくても、過労、睡眠および運動不足、過食暴飲喫煙等を続けるといきなり心房細動→心筋梗塞起こす可能性もあるってこったな。しかも死んじゃった心筋は復活しないのでその後いろいろと二次的な(省略)・・・要するに、一生気をつけねばならんってことだ。

今週火曜:ジム
エルゴは楽になっているのだが、インタバルトレーニングは相変わらずぎりぎりだ(涙)
何でこんな目に、とみじめな気分で足を引きずりながら、一駅歩く。・・・負けるもんか。

そして今日:仕事
若者の協力のもとに、CPXのレポートが早めに終わりそうだったのに、教授につかまりパワポ二つ分のご高説を賜る。・・・負けるもんか(涙)


それは置いといて、表題の件であるが。

もちろん、職場には溜まった入力仕事があるし、わし個人のたまった文献抄読もある。だが、それじゃない。

義両親が住んでいる場所で検索すると、理学療法士の求人が出ること出ること。
年間1万人以上の理学療法士が卒業する近年、そろそろ余るんじゃないのかよと思うのだがまだまだ地方では足りないようだ。てか、普通は田舎には仕事がないのが問題なはずだが、この手の仕事では田舎ほど人手が足りないようだ。

一方で、都会には勉強になって、休みが取れて、給料高いところ・・・なんて選んでいると、仕事がない。特に給料を優先するとほぼ老健しかない。しかも非難覚悟で言わせていただくが、先住の有資格者の利権確保のため、勉強するのは推奨してもそれを組織に取り入れるのは迷惑と言わんばかりの環境が出来上がっている・・・あ。それって、わしがいた東京某市の某病院のことぢゃん。

もちろん勉強する気になればどんな施設にいても勉強できるし、自分の病院に症例が足りないなら、金を払って講習会に行けばいい。だが、びりびり緊張感を持てる場所だからこそ、講習会で学んだことが即時におさらいできて身に付くし、また、臨床で疑問に思ったことを、講習会の講師の一言でヲーターすることもある。上手くなるためには症例とよい医者は絶対必要。

例えば、都市部では足りないことが問題になっている保育所。全てではなかろうが地方では、「農作業の手伝いをする」と言えば働いてなくても割と簡単に預けられるとも聞く。かといって、子供がいても働きやすいからと言って、地方に転居するキャリア持ち母は少なかろう。仕事と子供の学校があるのはどこ?って話はわしらの業界も一緒なんだよなあ。

というわけで、表題とは裏腹に、給料を犠牲にしても面白さを取る生活から抜け出せない今日この頃。わしは面白さ優先で給料二の次にしてしまう性分w

でね、夏からは立場的にブログは書けなくなりそうなのねん。秘密が多くなるので。
ネタはたくさん出来そうなので、残念だわーw

ま、未必の故意よりは秘密の恋の方が下世話な話、楽しいもんなあ(←違)
「去年はいい年になるだろう(上・下)」山本弘

一言でいうと、「SF」。正当派SF。懐かしい。

通常なら以上で記録が終わるのであるが、後からじわじわ来てまだ終わらない。
理由は、自分が医療系の人間で、学生時代からずっと引きずっているテーマがあるからだと思う。


リハ学校の授業で、その時のテーマが先進医療、といってもかなり前の話なので、今では先進でもないが、生体移植についての講義。

その授業の講師をされていたドクターが、もし自分の子供が生体移植が必要な時に、自分が臓器を提供するかという仮定に、彼はきっぱりと答えた。

「私は、自分が適合者であっても子供に自分の臓器の提供はしません。
なぜなら、その手術では、提供者が死ぬ確率もある。もし手術で私が死んだら、妻と残りの子供が路頭に迷ってしまう」

その判断は、倫理的にも論理的にも間違いでないだろうと思う。

ただ、もしわしが母親で、一緒に稼いでくれる夫=子の父親が存在するならば、危険を承知したうえで臓器提供に同意するような気がする。そしてそれもまた世間には間違いと言われないと思う。


本作品中での山本氏は叫ぶ。

「こっちの方が犠牲者が少ないから正しい-そう言うんやろ?」「人数なんかどうでもええんや!僕にとって大切なんは真奈美と美月(註:山本氏の奥方とご息女)の二人だけや!他の人間なんかどうなってもかまへん。」


他の誰よりも、大事な存在を自分の命に代えても守りたい。これも間違いとは言われまい。

しかし、この「身内こそが大切」が「身内のみ大切」という思想になると、一歩間違えると民族主義に変化するかもしれん、そう考えるとロボットの「より多くの人間を救うべき」という考えの方が、倫理的にも論理的にも正しいのかもしれない。

そうであっても、その正しいように思えるロボットの考えすら、「生きとし生けるもの」全てを対象とすれば「人間だけ救えばいいのか?」となり、間違っているかもしれない。そのあたりは、かつて星新一がタロとジロがペンギンを食べて生き延びたことを風刺してショートショートを書いている。

これは自分が「救う側」の場合だけではない。

もし、自分が病気になり、強い副作用を伴う治療を受けねばならなくなったとする。

10年生存率は30%程度の微妙な線。自分としては、あまり無理をしたくない。しかし家族は自分を生存させることを強く希望しており、高い治療費も厭わないとする。お金を払うのは家族だが、副作用に耐えるのは自分。その時に「きついのはイヤだよ」と断れるか。それとも家族とともに生きることを望むか。

・・・これはここで止めときます。自分の中での結論が出てないんです。

とりあえずは、もし倫理的に論理的に間違うことになったとしても、「守り守られる存在」が、いることに感謝します。失った場合の悲しみは想像を絶すると思うけれども、それが”今”存在することは、限りなく幸せだと思うから。


まあ、それはさておきこの小説で一番おもしろかったのは、過去の唐沢氏が自分にあてたメッセージのくだりだわなあ。

確かに当時は、オタキング岡田斗司夫が50キロ減量して書いたダイエット本がベストセラーになるとか、仮面ライダーが電車にのるとか、マッハGoGoGoやヤッターマンが実写化していずれも成功するとは思わなかったよなあww

10年前のわしも、まさかわしが大学院にいって研究はじめるとは思わなかったよ・・・

本日の結論:未来は何がおこるかわからんぞ、ということで。
こにちは、さんちゃんだ。

職場の人に「慣れましたか?」と言われて、どうなんだろそれってそう見えるならそうなんじゃねーのか?と首をひねるひねくれ者ながら、「んーまあ、間抜けなミスは減ってきましたね」と答えている今日この頃だが、一部患者さんには「鬼」と言われています。

「この筋トレはあまり効かないんだよね」っておっしゃるから、効く方法に変えてみただけなのにその言われようだよ。しかも、患者さんたら担当の熱血派ドクターにまで、「この人(=わし)はキツイです」とか言うので、身内にまで鬼認定だ。

更に、ばかなわしったらそのドクターに、心リハにおけるレジスタンストレーニングの重要性を具体的数値を挙げながら説明し、「歩行では筋トレにはなりません」などと、釈迦に説法攻撃しちまってるからなあ。

ここの女医さんは皆、わしのようなバカの話までよく聞いてくださる。人間性とアタマの出来の違いだろうな、もっとスマートな伝え方があっただろうよ>わし。反省。

そんなこんなであるが、研究業務の方はまだまだ見習いで、本当に初歩的なトレーニングに関わるぐらいだ。昨日は、過去の研究の後日フォローであろう方がいらしていた。

その方が帰った後で、ちら見したのであろうドクターが、

「きれいな人だったねえ」

と、トレーニング担当していたPTのチーフに話しかける。わしもそう思った。すると、

チーフ「え?あ、そうですね。あの方50代なんですよ」
ドクター「え?うそお!」
チーフ「きれいな50代なんです」

チーフの受け答えは時々ずれていると思うが、わしも同類なのでそれは置いといて、実は内心わしもその年齢には愕然とした。

わしらバブル期を経験した自己評価が高くなりがち40代BBAは、きれい目な女性に対する評価が他の世代より厳しいと思う。わしも自分を棚に上げて(←不細工の特徴だ・・・)人の容貌評価は決して甘くはない。きれいな人はきれいだと認める素直さぐらいは持ち合わせるが、どんなにきれいな人でも年齢を言われると、「見えませんね」と言いながらも、は内心「まあそんなもんだろうな」と思っていた。しかし彼女の年齢には生まれて初めてびっくりした。

なるほど、「きれいすぎる」というのは単なる陳腐な流行言葉だと思っていたが、通常では考えられない場合ってのが実際にあるのだなあ、と納得した。
ま、その通常たりえないというのは、顔面工事した場合もあり得るがな。

しかしその彼女に関しては、工事後にありがちな、顔の造りが派手で華やかなきれいさではなく、欠点の見当たらない正当的なきれいさで、肌にくすみ、黄ばみ、しみ、しわがなく、何より着ていられた白い服に負けていなかった。40代になると、どんなに隠しても首や手の年齢は隠せず、白い服に着られてしまうことが珍しくないけどなあ。多分内臓から違うんだろうね。

あそこまで行くと羨ましいという気持ちはおこらず、多分自分とは別の生物なのだと思う。ヒト科モデル種か、あやかしだ。

同じ50代でも一方は「美魔女」のあやかしで、わし(もうすぐ50)は鬼か。しょんぼり。

が。(ここからはプチ自慢の自己満足ですので無視してください)

同僚の若者と患者さんの筋トレチェックをしていると、ある患者さんの膝からクリック音がする。若者が気にかけて一生懸命患者さんに話しかけ痛みはないのか無理したのか等話しかける。なので、患者さんも気になってしまったようだ。わしがスクワットをやってもらいながらちょいちょい、といじったらクリック音消失。

患者さん「あ、消えましたね」
わし「消えましたね」

後から若者に「何をしたんですか?」と問われた。
「んー、膝の皿の動きが悪かったから、スクワットしながら動きを助けただけですよー(にっこり)」

若者からみるとわしもあやかしに見えただろうなあ。と、ちょっと自己満足。
そんなこと言うたら、M病院のK先生なんて亀仙人だけどな。

・・・膝の皿じゃなくて、専門職なんだから「パテラ(膝蓋骨)」と言えよ>自分
こにちは。
なんだかんだと近所に出かけていたのであまり読んでない。
てゆっか、読もうと思った専門書を全く読んでいない件(汗)

「影法師」百田尚樹

帯の「二人の絆、そして友情」の言葉に、こんな友情はねーわ、と突っ込んだが、帯の販売戦略に騙されてその程度にしか読めなかったわしがアホ、もしくは帯を付けた人も浅いかも。

友情のために、よりも、大局を鑑みて藩とその民のために、己の名誉は捨てて自分に課した役割を果たした影の漢の物語、と読んだほうがいいはず。失われつつある日本人のサムライの心を再認識させてくれる話だ。

と、松井秀喜氏の特集をTVで観て思い直して反省。

松井氏はトーリ元監督によると自分の記録よりも、チームの勝利を優先できる「Trust guy」。
サムライだね。傍から見ていると面白味はないかもしれんが、それもまた確かな人生。

わし自身がサムライじゃないもんだから、「そんなん友情ではない」という初見の感想を深く反省した。まあ、ここんとこの日本では「自称中流」が、頭も魂も懐も貧しくなって、自分のことしか考えられなくなってるから(当然自分を含む)、そう思ったのだろうなあ。貧しい国、いや、貧しい心なのはわしか(涙

せっかく一生できるいい仕事見つけたんだからサムライ魂をもって働こうぜ、人から見たらつまらない人生かもしれんがな。金よりもおもろいことがしたくて転職したんだし。

ちなみに滅私奉公の対象は今の組織じゃなくて、ある病気に対する新しいリハビリであるので、そこをまず自分が間違えないように注意が必要。


「刻まれない明日」三崎亜紀

いつもながら、どう考えても普通ではない世界を、淡々とさものんびりとも見える日常のように描ける、更に登場人物を魅力的に書く筆力に脱帽です。しかも最後の章はほんのり怖い。

思念統制、のようなものは現実の社会にもあるかもしれんでなあ(怖)

それにしても、歩行技師。
そんなもんが出来たら、わしらのギョーカイは黙っていなかろうな。地位が下なのも一緒だ(ぼそ

もう1つの本に関しては、ちょっと別建てで。
思うことがありすぎてうまくまとまらない。

本日の結論:読書と酒は旅の友。
こばわ。

GWも後半戦半ば、今日はみかんを連れて動物園。
しかし、お目当てのチーターの赤ちゃんは、午前11時半までの展示であった。みかん、涙目。

ビール飲んでる場合じゃなかったなw

それはおいといて、昨日はジムで筋トレ。

先々週、プログラムの見直しをして、筋トレではレッグプレスからエクステンションへ、つまりクローズドからオープンに戻し、クワド単体の筋トレにした。何故ならマジでクワドが弱化しているから、というのを先月坂路調教をして実感した。1時間も真剣に歩きとおせないってどういうこと?

運動中止理由はperipheralでなくてcentralの疲労、つまり呼吸循環器系の疲労なので、当然有酸素運動は必須なのであるが、それにしても下肢は不使用により速筋にリモデリングされ、長時間の運動を困難にしていると考えられる。

で、12.5キロの軽負荷にて30秒で15回、30秒のインタバルを1セットにして10セットのインタバルトレーニングである。この程度の運動であっても最後はもう下肢疲労で、階段を上がると膝が笑う。これを週3回。

これは昨年度中の運動機会減少による筋力低下だから根気よく続ければ改善は可能であろう。高活動性が保たれていることと、筋力が保たれることとは別問題であることを己の筋力で知ることができた、と前向きに考えよう。それよりもADL上問題となっていた握力の低下であるが。

病気による手首の可動域制限を作らないように、ストレッチと運動を行っていたのはいいのだが、ストレッチ方向とは逆方向に動かす場合の対策を忘れていた。一度ストレッチを行うと、そこから運動方向を転換した時に、特にスピードが早いとついていけず、筋出力が大きく低下する。ということについ数日前に気づいた。そう、パワーだけでなく、スピードの問題があるのだよ、あと方向な・・・

4/25の記事で、
>対策が間違っているか、もう回復困難な機能低下なのかということになるが、一応PTだから前者は認めたくないじゃないですか。

と書いた筆(舌)の根の乾かぬうちになんなのだが、

対策が間違ってました。

まずは自分を疑えといつも自分に言ってるじゃないかもういやだこのボンクラPTと、自分に突っ込みを入れながらストレッチ後のアームカールに掌屈を加えたトレーニングを追加。

いつまでたっても未熟者よのお。
熟女なんて言葉は嘘っぱちだと思う今日この頃。(←そこじゃねえ)

うちの父親については、このブログで結構書いてきたので今更書くことはない(ダメおやぢの項参照)。しかし、最近、普通だと思っていたうちの母親も普通ではなかったのだなと思うことが多い。

うちの母には「お金の精」がついている。

なんだそりゃ、って思うかもしれん。いや、わしもそう思うよ。

「お金の精」の存在はともかく、お金は寂しがり屋で、金があるところにしか集まらないというのは、前から知っていた、長く株屋をやってたからね。

今でもどうやら同じらしいのだが、2000万ぐらいの元手で何かしようってのが一番やばい。やめた方がいい。株屋からすると溶かしても罪もダメージも感じない金額だ。本気なら100万ぐらいから腐りかけた惣菜でも食いながら他人に頼らず真剣に相場を見ることだ、流れがわかるまでは一瞬たりともPCから離れないこったな。

よほどのアホでなければ結構損はしない。でも、ずっと見てないとダメだからめんどっちいし、あまり楽しくない。昔書いたと思うが、わしはもうあれはやりたくないの。


まあ、それはいいや。話戻して。

ここんとこ、父のアルツハイマー症状が進んでいる。幸いに母に時々乱暴な振る舞いをするぐらいで済んでいるということは、生来ばくち癖以外は危険な人間ではなかったのだろう、ということに関してはほっとするのであるが、とまれ、いつ死んでも悔いがないように論文が終わった後は月に1度ぐらい実家に顔を出すことにしている。

博打好きの父の実家は、浪費癖と博打癖のめちゃくちゃな家であった。その一方、母の実家は前橋の豪農の分家で、戦時中の物がない時に白米だけの弁当を持って行くと「非国民」と言われるので、わざわざ近所で麦を買って弁当に入れていくほど、食べ物には困っていなかった。土地があるだけで金はないんだよ、といいながら、祖母の癖は蓄財であった。

幼少の頃の前橋の思い出で強烈に覚えているのは、「今日は外に出るな」の言いつけを破って外に出たら、ヘリコプターで農薬をまかれたことだ。それ以来わしの辞書には、「農薬の味」という語彙が加わった。

後から聞いたら、家だけじゃなくて数件まとめて頼んだらしいが、農薬の時期にヘリコプターって、どんだけ広いんだよちきしょうめ。確かに、はるかに遠く見えた小学校まで、「(従弟は)他人の土地を踏まずに学校までいける」と言われた覚えがあるわw

話を戻すが、母は貯金が一銭もなかった父と結婚した後、糞な父実家から逃げるため、自分の貯金をはたいて埼玉に家を買った。しかし、血は争えないもので、父が博打でサラ金に金を借り、元に借りた金の倍以上になった。

が、そこでサラ金からの督促状を見た母は、家のローンを払い終わった後にいつの間にやら作っていたへそくりでその借金を一括で返した。返す刀で父をブラックリスト送りにして、父はサラ金では借りられないようになった。(その後には、健康保険を担保にするとお金が借りられるよ、というオチがあるのだけどね・・・)

そんな両親であるのだが、最後に父がやらかした博打が、外貨預金である。110円で買いやがったのだよ、、、140円ぐらいになった時に売れ、と母が主張したものを「まだ大丈夫」と欲かいてずっと塩漬けになっていたのを、

「もう原価は無理だから100円で売ろうと思うんだがどうか?」と相談された。
それならもう99円でもいいんじゃないの?とか言いながら、出された明細書を見てみた。

...外貨っても、再投資型外貨MMFだった。つまり、再評価する時にドルコスト平均法が利いてて、円高時には口数が増えていたため、最近の円安傾向で再評価すると、しっかり儲かってるじゃんか・・・。

あの人(母)にはお金の精がついているんだなあ、としみじみ思った。

本日の結論:お金の精よりも父の貧乏神の方が遺伝子は強いみたいだ。

お金の精、わしにもカモーン!щ(゚Д゚щ)
世の中黄金週間とかいうものであるようだの。

普段から休みの日の方が多いので、実感はないさんちゃんですこんばんは。 今日は相方みかんが、会社の引っ越しのため出勤しており、まだ作業中らしい。

どうせ一人なので、母の日前倒し実行しようと思い、群馬県高崎まで買い物にいった。 買い物の中身 がこれ↓
前橋市民には懐かしい「片原饅頭」である。残念ながら、1832年創業であった旧片原饅頭は、1996年に閉店してしまった。

甘みを抑え、皮が固めの「酒まんじゅう」、と、表現してしまうとどこにでもありそうな「酒まんじゅう」になってしまうのであるが、ここの饅頭は、文字であらわすと、

酒! まんじゅう」

と言う感じで、酒と饅頭の下に敷いてある杉の香り強さが特徴であったと記憶している。

社会人になってからは、前橋に行く用事があるたびに、50個大人買いをして母へのみやげにしていた。そんなに買ってどーすんのよ、と問う人もいるだろうがまあ、名古屋の方なら「納屋橋饅頭」のような食べ方をするものだと思っていただければよろしいかと。

で、製造する志満屋が閉店した時には母はそれはそれは悲しんだのであるが、群馬の元競輪選手が、志満屋の元職人頭に習って片原饅頭を復活させたことを何か月か前に知った。

うちの母は実利主義なので、毎年贈っている青いカーネーションは1年目以降喜ばなくなった。
片原饅頭ならそんな母にもよい手土産であんべ?(←群馬弁)

というわけで、饅頭買うためだけに行ったさ、高崎。往復約4時間、滞在時間わずか20分。
オトコマエだな>わし。

「わざわざ行ったの?馬鹿だねーww」
という母も、最近になくテンションアップ。



で、そのお味であるが。

本家本元よりかなり上品だ。確かに甘さ控えめ、酒の風味もかなり近い。木の香りもする。薄目の餡は、多分本家より高いものを使っている。
うん、美味しいよ。前のより万人受けはするかもしれん。

が、なんていうんだろ、久々に競馬を見に行ったオールドファンが、

「おっ!福永?? あれって大けがしなかったっけ??」

と、福永洋一だと思ったら、福永祐一だった、って感じ。

上手い(美味い)んだろうが、、、なあ・・・

なんというか、強烈な癖でもそれが魅力、が控えめになっている。

6時間ぐらいすると皮が固くなるらしいので、それを今待っているところ。
確か皮が結構固かった記憶があるので。
(後日談:出来立てよりも皮が固くなってからの方が美味しいです)

ところで、本家片原饅頭が閉店したのは、後継者不在であったと聞いた。
一人息子さんが、学者さんになったとか。まいたか(前橋高校の地元発音)出身らしいね。

まあ、他人の人生なので外野がどうこういうことはないのだが、

原嶋屋さん(前橋の焼きまんじゅう本家)の若旦那もまいたか出て店継いだんになあ、
と、農家脳で残念がってみる。

いっさき(伊勢崎)の上村パンさんとこの若旦那もまいたか出てパン屋継いだんべ。(←だから大きな世話だってば)

あー、うちの従弟もまいたか出てるが、叔父の工場継いだのは、他に勤めることができなかったまいたかじゃない方の次男なのは公然の秘密だ。

★本日の結論:わしの母にとっては「花より饅頭」
カーネーションより、こっちの方がいい、とのことであった。
復職1か月。

本来は10年選手なので、もっと役に立ってなければいけないのだが、心リハは資格を持っていても実践で使うのは初めてだし、もう一つも特殊な仕事なのでまだ練習ちうである。

昨日一人で対応していたことを同僚二人(どちらもわしよりPT歴は浅い)から見張られていてもう冷や汗だらだら。

とりあえず今のところ問題なくできることは、心リハ患者さんの筋トレ指導だけかあ・・・

事務仕事はまだ抜けが多く、昨日血液データを入力した数値の間違いを指摘され、

チーフ「この数値は常識で考えてありえないですよね」
わし「死んでますね」

と、答えた後にいや、それはお前が入れたんだよ。と自分に突っ込んだ。

しかし、せっかく電カルなのにこれはアナログな仕事だろう、エクセルにエクスポートできねえのかよ、とも思うのだが、確か患者情報の保護のためにできない。

まあ、それはいいや。3か月以内に修正する。
次の中期目標は、12誘導心電図電極の位置を間違えずに手早く貼る。とほほ。


話変わって、病気のことであるが。

結構、仕事に支障を来たす身体機能の低下がある。
そして、回復できるかどうかは今のところ、微妙。

自分の中で、それが本当に身体機能低下によるものか、病気による甘えなのかどうかを評価しているところだが、恐らく前者であろうと思われる。

それはそれでがっかりだなあ。しかも改善できるのかと言われると、今のところ気づいてからトレーニングしているのに寧ろだらだらと機能は落ちているんだよね・・・。

対策が間違っているか、もう回復困難な機能低下なのかということになるが、一応PTだから前者は認めたくないじゃないですか。かといって後者なのは、精神的に更にきつい。

それでも、それが事実なら受け入れるしかないよなあ。加齢要因主体の病気複合要因か。

で、「病気だから」というところに話は戻るのだが。

わしとしては、その「びょーきだから」な人々に、前の職場でさんざっぱら迷惑かけられたので、自分はそれを言い訳にしたかない。

だからそうならないように自分では出来ないことを除いた仕事を掘り出して来たのだが、まー、それでもきついものはきつい。そしてどこかに「病気だから」の甘えがあると思う。
というか、たぶんそこに理由を持って行けば自分が傷つかずに済む。

という話をチーフとしてみた。

チーフのように身内に結構大変な病人がいて、病人が働くことに理解がある方ですら、やっぱり時々「甘え」を身内に見ることがあるようだ。

とりあえず、わしが周囲に甘ったれと思われないために心がけていることは、「好きな仕事だけやって嫌いな仕事をできないと言わないこと」だ。

身体的理由でできない場合、その理由を細かく説明して、その他のできない仕事とも矛盾がないようにする。出来るタイプの仕事で、面倒なものは、率先して引き受ける。こんなとこ。

本日のオチ:そのぶん、家では嫌なことはやらないので、壮絶に散らかっている。嗚呼。