こにちは、さんちゃんだ。
職場の人に「慣れましたか?」と言われて、どうなんだろそれってそう見えるならそうなんじゃねーのか?と首をひねるひねくれ者ながら、「んーまあ、間抜けなミスは減ってきましたね」と答えている今日この頃だが、一部患者さんには「鬼」と言われています。
「この筋トレはあまり効かないんだよね」っておっしゃるから、効く方法に変えてみただけなのにその言われようだよ。しかも、患者さんたら担当の熱血派ドクターにまで、「この人(=わし)はキツイです」とか言うので、身内にまで鬼認定だ。
更に、ばかなわしったらそのドクターに、心リハにおけるレジスタンストレーニングの重要性を具体的数値を挙げながら説明し、「歩行では筋トレにはなりません」などと、釈迦に説法攻撃しちまってるからなあ。
ここの女医さんは皆、わしのようなバカの話までよく聞いてくださる。人間性とアタマの出来の違いだろうな、もっとスマートな伝え方があっただろうよ>わし。反省。
そんなこんなであるが、研究業務の方はまだまだ見習いで、本当に初歩的なトレーニングに関わるぐらいだ。昨日は、過去の研究の後日フォローであろう方がいらしていた。
その方が帰った後で、ちら見したのであろうドクターが、
「きれいな人だったねえ」
と、トレーニング担当していたPTのチーフに話しかける。わしもそう思った。すると、
チーフ「え?あ、そうですね。あの方50代なんですよ」
ドクター「え?うそお!」
チーフ「きれいな50代なんです」
チーフの受け答えは時々ずれていると思うが、わしも同類なのでそれは置いといて、実は内心わしもその年齢には愕然とした。
わしらバブル期を経験した自己評価が高くなりがち40代BBAは、きれい目な女性に対する評価が他の世代より厳しいと思う。わしも自分を棚に上げて(←不細工の特徴だ・・・)人の容貌評価は決して甘くはない。きれいな人はきれいだと認める素直さぐらいは持ち合わせるが、どんなにきれいな人でも年齢を言われると、「見えませんね」と言いながらも、は内心「まあそんなもんだろうな」と思っていた。しかし彼女の年齢には生まれて初めてびっくりした。
なるほど、「きれいすぎる」というのは単なる陳腐な流行言葉だと思っていたが、通常では考えられない場合ってのが実際にあるのだなあ、と納得した。
ま、その通常たりえないというのは、顔面工事した場合もあり得るがな。
しかしその彼女に関しては、工事後にありがちな、顔の造りが派手で華やかなきれいさではなく、欠点の見当たらない正当的なきれいさで、肌にくすみ、黄ばみ、しみ、しわがなく、何より着ていられた白い服に負けていなかった。40代になると、どんなに隠しても首や手の年齢は隠せず、白い服に着られてしまうことが珍しくないけどなあ。多分内臓から違うんだろうね。
あそこまで行くと羨ましいという気持ちはおこらず、多分自分とは別の生物なのだと思う。ヒト科モデル種か、あやかしだ。
同じ50代でも一方は「美魔女」のあやかしで、わし(もうすぐ50)は鬼か。しょんぼり。
が。(ここからはプチ自慢の自己満足ですので無視してください)
同僚の若者と患者さんの筋トレチェックをしていると、ある患者さんの膝からクリック音がする。若者が気にかけて一生懸命患者さんに話しかけ痛みはないのか無理したのか等話しかける。なので、患者さんも気になってしまったようだ。わしがスクワットをやってもらいながらちょいちょい、といじったらクリック音消失。
患者さん「あ、消えましたね」
わし「消えましたね」
後から若者に「何をしたんですか?」と問われた。
「んー、膝の皿の動きが悪かったから、スクワットしながら動きを助けただけですよー(にっこり)」
若者からみるとわしもあやかしに見えただろうなあ。と、ちょっと自己満足。
そんなこと言うたら、M病院のK先生なんて亀仙人だけどな。
・・・膝の皿じゃなくて、専門職なんだから「パテラ(膝蓋骨)」と言えよ>自分