週刊さんでいリターンズ -20ページ目

週刊さんでいリターンズ

起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

どの業界にもそうだろうが、まあ、いろいろな秘密があるな。

わしが初めの株屋にいた頃は、まだおおらかだったので今ならつかまってしまうようなことがまかり通っていた。
いろいろヤバい情報もわしら一般職レベルまで下りてきていたし。今ではもうその手の情報を知ったとしても売り買いすることは難しかろう・・・ま、バレない抜け道はいつの時代でもあるのだが、大規模にやっちまったら大概捕まるだろうと思う。たぶん、いつか誰かがちくる。そうやってにぎりも滅びた。

他に経験した職業の秘密で言っても問題なさそうなものは、「ツナ缶の中ではやはりシー○キンが一番おいしい」。
他の会社も納得している。食品関係にもいろいろあるんだが、わしが派遣されたところはかなり誠実な会社というか上司だった。

わしら医療業界は、業務上詳細な個人情報を知ることになるので、守秘義務については徹底されている。しかし、同じ病院のチームの中では情報を共有する必要があるし、より深くケースの検討をするために自分らが経験した他のケースを引き合いに出すことが少なからずある。

そうやって聞く話の中で、時々一般的には興味を引く対象になるのだろうが、絶対余所では話せない、というか話す気も起こらないかなり特殊なケースがある。まあ、一言で片づけると「世の中いろんなことがあるんだなあ」という当たり前の結論になる。

あまりに昨日の話が特殊すぎたもんで、あまりに普遍的な結論になってしまったよ。しかしそういう話が確かにあるのだなあ。話したら間違いなく犯罪。

本日の結論としては、とりあえずわしらリハ職が漏えいしてはいけない情報は、患者さんのち○ち○の大きさだと思う。

いや、それが昨日聞いた話ではもちろんないんだ・・・

本日の結論:萩本欽一の教え(シモネタは使わない)が生きていないわしの生活と意見。


梅雨のせいか、トシのせいか、病気のせいか、はたまた全部混じっているんだかわからんが、あちこち痛えだよ(微妙に清水弁)。
高い薬を使ってなければ、持病特有の症状が暴発している気配が満点。今日は別件もあるからジムは休んで調べ物をしている。

時々仕事中に身体的に簡単には出来ないことがあってくじけそうになることもあるが、一度も休むことや人に迷惑かけることなく、通勤時に踏切や信号を渡るためにダッシュできる身体状況に感謝する。

持病の程度が深刻なものではないということはある。そして値段も治療効果も高い薬を使っていることは大きい。
しかしそれだけではなく体力を落とさないように運動を継続するわしの努力が効いている、と思う。


わしの病気に関する学会では、「就労している人の方が、していない人に比べて身体的な辛さを感じている」ということになっている。
一概には言えないが、一般的には就労している人の方が自由になるお金があるから高い薬を使っている割合は高い。それなのに働いている人の方が働いてない人に比べて身体状況がよくないのはどういうことか。

薬剤投与量が不十分という可能性は消せないが、それならばそもそも就労を継続するのが困難になると思う。(困難でも経済的に仕事を辞めるわけにはいかないのかもしれんのだが)

そして、仕事が身体を傷めるということは考えられる。しかし、それについては主婦でも同じことどころか、デスクワークよりも寧ろ家事の方が身体的な負担が重いものが結構ある。

ということは、純粋に身体的な負担よりも、精神的な負担が身体的な自己評価を低くしていることが考えられないか。そして、それはどこからくるものだろう。もちろん理由は1つだけではなかろうが、病気に対する社会の無理解について嘆く言葉を同病患者のブログでよく見る。でもなあ、、、

、、、などということを、今日のニュースをみて、つい考えてしまった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130626-00000231-sph-soci

この訴訟の内容についてどうこういうほど何も調べていないので単なる最初の印象だが、「71歳の年寄が時代についていけてないのを人のせいにしているのでは?」だった。

公共メディアが与える影響については確かに大きいだろう、文化を守るというのもわからんでもない。
この訴訟がきっかけで何か変わる可能性がないとも言えない、でもなんというか言葉の変化を含めた時代の流れって時代(人間)が決めるものだと思う。あらがってもどうにもならんことがある。だからといってあらがうことに価値がないわけではない。時代にあらがうことからこそ文学も生まれやすいものだ。

・・・。個人的にはプロレタリア文学は嫌いだけどな。

放っておくといつも通り話がそれていくので、元に戻す。

わしらの仕事は一見老化という流れにあらがう仕事だ。しかし本当は老いや死というあらがえない現実を理解して沿いながら着地点を探す、どちらかというとあらがうよりは、流れに従うことを前提に考える仕事だ。所詮他人事だからそれを躊躇なくできるのかもしれんと思うこともあったのだが、実際に自分が病気になってみてもその考え方は変わっていない。


自分は、今後、今より良くなるということは、多分ない。


よほど劇的に戦略が違う治療薬が出てくれば話は別だろうが、今のところその気配はない。もし10年後に仮に特効薬ができたとしても、既に60歳。病気の勢いは止まっても10年分の老化は取り戻せない。普通に暮らしていれば50代から60代に向かう最中では衰える一方なので、現状維持ができれば寧ろ前進したと考えられる。病人では健常者より速く老けるのを、健常者と同じ歩みにするだけでもリハの効果が十分あったと考えられる。

が、そういう風に患者さんに言うと、もうふっきれた高齢者でもないと納得できないんだよなあ。一般人は、ベースアップするのがリハだと思ってるもん。どんなに苦しくてもついていくから機能向上しろ、と言われたら喜んでサディストPTとなって頑張るけどね(時々、ですよ、時々)。

ところで、表題の「お前がわかろうとせんからや!」は、呼吸リハの研修で、尊敬するM先生(神奈川のM先生もいろいろと素敵だが、この場合は兵庫のM先生)に言われた言葉だ。実技の授業で、うまく行かないことを教えてもらおうと先生を呼んだ時、マジにではないがこう怒鳴られた。

あの頃は先生に顔覚えられるぐらい、東京で講義があるたびに結構な金を払って参加してたし、兵庫にも行った。しかし、教えて”もらおう”と受け身の気持ちでは、いつまでたっても覚わらんぞ、自分で考えて動けるPTになるにはもっと真剣にわかろうとしれや、と言う意味が含まれていたのだろう。

自分の病気を、痛みをわかって”もらえない”。

こう思っているうちは、なかなかそこから抜けられない気がするんだよなあ。ま、悲しいシチュエーションを楽しみたいんなら、わしがどーこういうことでもないんだけど。留まるのが好きな人もいるからね。

それにしてもよく思い出してみると、どこに研修に行ってもよく怒られたなあ。●バースも呼吸も心臓も。
実は愛されキャラなのかしら>わし

本日の結論:それはたぶん勘違い。が、PTが持ってるある種の嗜虐性をそそる部分がわしにはあるかもしれんと思う今日この頃。

あー。予定では8月から正社員だ。あくまで予定で、未定だが。
バイトだと給料が入る日も未定というのがびっくりだよ、なんぼ働く人が多い組織で計算が間に合わないとは言え、どんな企業(驚
正社員になる一番のメリットが、給料日が決まっている、ということだ。

・・・当然、医者も同じなんだよな。まー、あの人らは大概掛け持ちで仕事してて、時給も高いからすぐ困ることはないだろうが。

それはさておき、リハ記録。目的と方向性、細かい病状を含むものは限定記事にするが、今日は行ったことのみなのでオープンで。

6/20 筋トレ アームカール5キロ 30×1、15×3セット。肩を使ったトリックモーションがまだ出ている。
レッグエクステンション15キロ 30×1、15×9セット12.5キロから15キロにアップ。初めの30回1セットで結構追い込むので、次のセットから12回目以降が結構きつかった。
アームカール2.5キロ 20×1セット、10×3セット。これがいっぱいいっぱい。残念なdertoid.
tricepsも鍛えたいが、プレスダウンでは重力方向だからトリックを使いやすいので、フリーウェイトでフレンチプレスを追加しようか・・・

更にトレッドミル6km/hの速足を行うが、脈拍数(ジムの機械は”心拍数”と表記してあるが、間違いですね)が上がらないため傾斜角5度にする。それでも110台なので、ほとんど運動にならなかった。

6/21 エルゴ35分。90Wで漕ぎ始めたが、エアコンが付いていなかった為、10分ぐらいで「疲労”感”」につかまってしまう。
一度60Wに落としてから徐々に上げて75Wに上げたが35分でギブアップ。なんと情けない・・・

6/22  アームカール5キロ 30×1、15×3セット。レッグエクステンション15キロ 30×1、15×9セット
エルゴ89W50分。空調効いていたので、最後の1分は135Wで行けた。最後の15分ぐらいはテレビにも集中できず結構きつかったが、ひたすら耐える。

楽々やっている訳ではないよ、つらいよ。筋トレの後は、這うように階段を上がって、エルゴの途中では膝が痛くなるし。

もう膝の初動痛は常駐してしまっている。X-Pは撮っていないが、まだ膝OA(変形性膝関節症)にはなっていないはず。5年ぐらい前、病院で新しいMRIを買った時に(中古だけど)、試運転で膝MRIを撮られて発覚したが、わしの左膝内側半月板は下縁まで断裂している。多分、転んでパテラ下部を上方向に強打したのが原因。半月の形は保たれていたし、関節に不安定性はないので今の痛みの原因にはなっていないと思う。単純に論文の時にあまりに動かなかったからクワドが弱ったり、ハムが短くなって動作時の筋収縮のバランスが良くないのであろう。最近まで遠位の動き修正をしていたが、次は近位の筋収縮を助けながら漕いでみよう。

ここで甘やかしては、弱くなるばっかりだ。まあ、それが自然な加齢現象と言えばそうだが。

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話変わって、昔かなり厳しいところでともに戦った友人から久しぶりに連絡があった。
どうしたのかと思えば「病気になった」とのこと。この歳になると、突然もらう連絡は悪いことの方が多い。今更めでたい話はあまりないなあ。もう少しすると子供の結婚とか孫が生まれたという話になるんだろうが。

「不治の病気だということは理解したが、」との友人からのメールの文言にふと考えてしまう。
まあ、完治という判断が難しい病気ではある。正常の値に戻ったとしても、一生気をつけねばならないという意味では「不治」と言っていい。

しかし、そういう意味では、それがなくともわしら既にもう「老い」という「不治の病気」に罹っている。

ここから安静にしていて良くなるものは一つもない、ということを職場でさんざっぱら見て理解しているので、つらかろうが、しんどかろうが、寄る年波に逆らうために今日も漕ぎに行ってくる。ついでに言うならわしは高い薬を使うために働いてるんじゃない、好きな仕事をするために高い薬を使っているんだ。勘違いしないで欲しい。

本日の結論としては、先のことがあるから真面目なことばかり書いていてつらい。
仕事はまじめにやっているからな。設定されたノルマは昨日無事達成。次のSTGは「主要な薬の名前と作用を暗記する」。

昨日は、PTの楽しさと暑苦しさについて書いた。
今日は、暑苦しいPTであるわしが思うところの「ダメなPT」について。

患者さんに優しくなろうとする分、同業者には厳しくなってしまうのも暑苦しいPTの性分だ(笑)。多分もう何年かすると、この段階を卒業するのだと思うが、わしはまだ未熟だ。昨日述べた同級生もまだ暑苦しい段階で、「熱意のない」サラリーマンPTは許せないらしい。

そんなサラリーマン気質の人は、医療系に来ずに初めから普通のサラリーマンになった方が生涯給料は稼げるんだぜ、とは思う(註:初任給は普通の事務方より高いかもしれないが、PTは給料が上がらない)。だが、この職種では、組織のトップになろうと思えば起業するしかない。その手の才能がない全てのPTに「サラリーマンになるな」というのもいかがかと思うので、わしはサラリーマンPTにはそこまで腹は立たない。場所を選べばいいだけのことだし。ただ、職場はともかく患者さんを好きになれないならこの仕事辞めちまえよ、とは思うが。

ともかく、わしが嫌いなのは、「答えを持とうとしないPT」だ。

確かに死生観には正解はない。
おまけに多くの日本人はその手の話題からぎりぎりになるまで逃げがちで、明確な死生観を持たない。

その結果、「治る見込みがないのであれば、苦しみたくないから自分は延命してほしくない」という漠然とした意見をいいながらも、いざ自分の家族が死に臨むと、「どのような形でも生きていて欲しい」と願うダブルスタンダードになりがちだ。また、家族が希望するから、と自分が本気で望んでいない延命治療を受け入れるケースも見る。

実際は、ひとたび命に係わる病気になると、その後に関わる決定を次々と、瞬時にしていかねばならない。普段から自分なりの死生観を持っていないと死に直結する選択を避ける結果、ずるずると上記のようなことになる、それが現実。まー、介護に関係ない「親(子、兄弟)を見殺すなんて」という、周囲の意見(偏見)に負けて死を選べないこともあるようだが。


死生観に正解はないので、患者と家族の選択にも正解はない。
われわれが自分なりの答えを持っていたとしても、その考えを押し付けてはいけないのではあるが。

だからといって、PTが正解を持たない理由にはならない。
方向性を選ぶのは患者側だが、いくつかの条件の中についての自分が考えるそれぞれベストな帰結を提示して、方向性を選ぶ助けとすることはできるはず。

職場で残業中に徒然話をしながらそういう話題になったのだが、インターン学生相手に質問を投げておきながら、答えを持ってないSVって結構いる。チーフはインターン学生の時、SVに「自分が答えを持っていないことを、学生に質問するのは止めて欲しい」と反論したらしい。すごいなあ。

わしの学生時代は、自分が頭が悪いからヒントを言われていても理解できてないのかと思って反論できなかった。が、前の職場である手技の施設で、治療方針についての明確な目的を教えてもらえなかったことについて話していた時、わしの技術的SVが、

「それはね、多分SVもわかっていないのよ、そういう人ってあの手技には結構多いんだと思う」
と言われた。

今だからわかるが、たぶんそうなんだと思う。
わしは、学生に聞かれたことでわからないことは、素直に「わからない」って言うし、悩むところも見せちゃってたけどね。

もちろん、無闇に「わからない」と言うのではなく、医学的にわかってないのか、自分の知識が足りなくてわからないのかを分けて、後者の場合は調べて次の日に説明する。学生からの質問で、自分がわからなかったことをそのまま「調べてレポート書いてきて」ということはしなかった。それやっちゃうと、質問してこなくなっちゃうもん。せっかく自分が忘れている何かを気づかせてくれるチャンスを逃すのは惜しい。

学生や同僚に治療や方向性を提示する時も、今の時点ではこれがベストだと思うが、10年後は違う答えを出しているだろうこと、別のPTは、また違うベストアンサーを出してくるかもしれないことを説明した。わしの答えはトップレベルのPTのベストアンサーとは、かけ離れたダメな答えかもしれない、しかしまず今の自分のベストを提示して周囲の反応を見る。ただ事務的であったり、他の人に聞いた答えを出すだけでは進歩は望めない。「自分的にはベスト」というぎりぎりで勝負してこそ、他人からもらった意見が自分より良ければ悔しい分、自分に残るから。10年後のわしが見た時、今の答えが笑っちゃう(または泣いちゃう)ダメな答えであったとしても、その答えを選んだ時の自分の姿勢を恥じたくない。

というPT魂を持たせてくれたのは、一番初めに教わった学校の先輩(美人)だ。
様々な「ゴッドハンドPT」に比べると技術的には比べるべくもないが、彼女に倣った「場末のPT魂」は、彼女からわしを通して複数のPTに伝わっている、はず。

本日の結論としては、前の病院のご意見クラッシャーなお局様や、三番目にインターンで行った施設を好きになれなかった理由が今更わかった。
・・・何で今更そんなことに気が付くんだ。どこまでお人好しってか間抜けなんだろうなあ、わしって。まあ、いいやもう済んだことだし。

昨日の自分に負けるのは恥ずかしいこと(参考文献:ペンギンハイウェイ)だというが、それよか明日の自分に恥じたくないんだぜ。

・・・明日の自分が困る酒の飲み方については、相変わらずしている今日この頃。
バカもやってるがとりあえず真面目なことだけ書くよー。(クズは裏面にw)
ストーリーとして全然まとまらないので、忘れないためのメモ書き程度で。

その1.そろりそろりと職場で地を出している。

狙っているそうしてわけではないが、なんとなくにじみ出るわし本来のあばれPTっぷり。
ひょっとしてチーフは何かいいたいかもしれんが、今のところは検査以外で注意されることは少ない。
いや、申し訳ない。わし同様ちょっと外れているが、さすが知性派で理不尽なことはされないチーフだ。
(ちなみに検査中に受ける注意は、全面的にわしが悪いので怒られているうちに入らない)

それにしても、患者さんに顔を見るなり

「うわ!」

とか言われて、

「なんですかー、”うわっ”てのはー、ヒトのことばけもんみたいにー、ひどいなー」

とか、筋トレちうの患者さんの足元にヤンキー座りしてお話ししながら筋トレ指導するのは楽しい。
研究仕事をしていたわしに数週間会えなかったのがよっぽど寂しかったのね、と不細工芸人のように超ポジティブに受け取っている。
そこまでではないが、実際に寂しかったらしいし。

それから、やっぱりPT辞めなくてよかったなあ、と、ある患者さんを見て思う。

いつもつまらなそうにふてくされて筋トレしていた患者さん。ある時、ちょっとかけた一言が、患者さんの何かを変えたようだ。
あの瞬間、患者さんがはっとした顔で、「そうだよなあ」とわしに同意したのを覚えている。
それ以来、ふてくされ顔を見たことがないどころか、笑顔しか見たことない。

この言い方は失礼なことを覚悟の上で書くが、「笑顔がとてもチャーミングなおじいちゃん」で、あの笑顔と話に心撃たれまくり。わしの心はもう蜂の巣よ。

狙ってかけた一声ではなかった。ただ患者さん自身が心の奥で「変わりたい」と思っていたところに、偶々わしがかけた言葉によって、ご本人がそこに気づいただけのこと。だから「わしのおかげ」とは全く思わないが、こんなに人が変わるのは面白いし、彼のチャーミングな笑顔を見るとこっちもすごく得した気分だ。もちろん、その時に話したことについて掘り下げることも忘れない。


その2.PTクロニクル

てな感じのPTの素晴らしさや楽しさを某リハ学校の同期がほぼ毎回ブログに書いてる(爆笑)

わー。50にもなるのに、まだ30越えたばかりの奴と同じようなところで人生回っているわしってどーなのと、小一時間(ry
や、もちろん奴はあの頃の性格と変わらず無邪気なガキっぽい文章ながら、地位的にはわしより上で暑苦しいほど熱いPTなのであろう。本当いい奴なんだ、あいつ。

それにしてもわしらの思考というか指向が同じ過ぎて、奴の若さならともかく老いた自分の未熟さが痛い。

まとめると、
・器用や無難よりも、不器用な情熱
・完成よりも、更に上を目指す未完成

わしらの業界だと、初めの2~3年は普通にやってるだけで知識も技も身についてくるので、自分は器用だと思っているとほとんどが頭打ちする。懐と心を痛めながら、どっかに習いにいってもがき始める4年目以降を経て、10年目ぐらいでこういう境地に入り、それが情熱だと勘違いする頃なんだな、わしらw このまま10年先まで不器用と未完成をウリにしてちゃダメだ。

そういえば、某大学院で「さんでい先生、20年後のビジョンはありますか?」と出来の良いラボの先輩に聞かれた。
「20年後は生きていないと思います」と即答したが(生きてても定年後だし)、10年後のビジョンはもちろんあるよ。

その3.だからといって

楽しいことばっかり追い求めてはいかん。読書おあずけで専門書解読ちう。
やっぱり原文で読まなきゃだめかなあ。テクニカルタームをいちいち調べるのがめんどいので日本語版を買ってしまったのだが、訳がいまいちなのと註が多すぎてよくわかんない。やっぱり両方買うべきなんだろうな・・・。しかし、現在の専門分野とは遠い分野なので悩んでいるところ。

ところが自分がいる分野で一番尊敬している某PTが、同じ理学療法の中でも専門外の分野に転向するらしい。思い切ったなあ、あの歳で専門内トップレベルのキャリアを放り出すとは。例えるなら、金管楽器のトップ演奏者がいきなり弦楽器に転向するようなものだ。あの分野では今のところ体系的な理学療法は確立されていない。しかも、わしが目指しているものと違い、糸口ですらあるのかどうか不勉強なわしにはわからない。

わしが彼に負けてないのは思い切りだけだ。
ま、思い切りの良さと、頭が悪い分無駄なプライドがないこと、打たれ強さ、それがわしの長所なので10年後の実を夢見て進むしかないね。

そんな毎日。

本日の結論:でも、酒は飲んでる。この年齢ではそろそろ減らした方がいい。みかん、お前もだ。
例えば今日も突発的な作業を「出来ますかね」と試される。

8月以降はどうやってもわし以外にその手の作業をする人間はいない。ということは、帰りが何時になろうと教えてくれる人がいる今のうちに覚えておくしかない、仕事だから。

そして、わしの残業が増えることに気を遣ってくれたのであろう、若者がわしがやるはずだった仕事を肩代わりしてくれた。わしが居残って作業しないように作業ファイルが入ったUSBをわざわざ隠す周到っぷりだ。それなんてイケメン。


とまれ、彼の作業の速さとひらめきを見るにつけ、知的瞬発力と若さとの関連を思い知らされる今日この頃だ。わしだって株屋の新人時代は、本当に仕事が早かったんだがなあ・・・26歳の時にもうその能力は落ちつつあることを実感したがの(涙)

若者に感謝しつつも、ひょっとして今日わしが入れ知恵した、ある部門に対する「必勝を期した戦い方」について感じるところがあって、気を遣ってくれたのかなあ、と思ってみたりした。どうやら彼なりにある部門には大変苦い思いがあるようだ。2週間ほど前は、わしがその部門寄りだと思っていたらしく、彼から軽い嫌味を貰っていた。戦いの前の情報収集作業をしていただけなのだが。

頭のよい彼はそこに気づいただろう。そして、恐ろしく思っただろうな。
場末の病院出身だからこそ身に着けた、戦いの知恵。

しかし、教えておきながら何だがその戦法は、あまり使いたくはなかった。どっちに言い訳しても相手に分が悪い。こっちが傷むものは何もない。
相手に逃げ場を与えない勝ち方は、暴力を使わなくとも恨みを産む。


科学的でないので恐縮だが、病棟で100人以上の死に方を見て思うに、人の恨みは「いい死に方ではない」死を誘う。恨まれる相手ではなく、恨む自分の。人間の思念というのはある種のエネルギーだと思う、いい意味でも悪い意味でも。


わしの母方の祖母は、母方の親戚中、初めて病院で亡くなった。誰にも看取られず一人で死んでいった。それも親戚の中で初めてだった。

死の1か月前から片道2時間以上かけて病院に通ったり、いよいよ危なくなってからは叔父の家に泊まって叔父夫婦と交代で毎日病室通いをしていたわしの母にとっては、悔いの残る死だった。

祖母は、誰から見ても「いい人」ではあったが、母にしかわからないある恨みを持って生きてきた人だった。そして誰からも惜しまれながら、しかし母にとっては哀れとしか思えない死であった。唯一救いだったのは、死に際して苦しんだことはなかったろう、ということ。


お葬式で、祖母のため、母のために、泣いた。
母には、決してそんな死を迎えて欲しくない。

もう25年以上前の話。でも、今、思い出しても泣ける。

母には、決してそんな死を迎えて欲しくない。
ばあちゃんもそう願っている、はず。

そして、患者さんにも、自分が縁あって声をかけた人にも、そういう死を迎えて欲しくない、出来る限りは。
嫁たちの恨みを買った父方の祖母が、それは大変な死を迎えたのはまた別の話。

人を恨まないで。自分の人生を呪わないで。
心から、そう、思う。




そして。まだ若いから勝つことにとらわれるだろうが、叩きのめすまでやらないことだ、若者よ。負けなければいいんだよ。仕事手伝ってくれてありがとう。
おまけに。このぐらいの仕事量で呪ったりしないよ、自分の無能さには相変わらず嫌になることはあってもね。出来るに決まってんだろ、今までだってやってきたんだ、ゴルア!

本日の結論:人を呪わば穴二つ、ってばあちゃんが言ってた。ばあちゃんの言うことはいつだって正しい。

もしも、相手に何か大きく変わってほしいという時、例えば彼氏と別れたいという時に、相手を傷つけず、自分も傷つかない魔法の言葉なんて、ない。

しかし、わしにやったろうやんか、と思わせるのは簡単で、全くかけ離れていることはともかく、ちょっと大変だけれど、頑張れば届きそうなことについて、

「できますか?」

と試されるような言い方をされると、

「必要とあらば何とかするしかありませんね」

と答えてしまう。

畜生、何でそういうポイントをついてきやがるんだ、理学療法士ってやつは。
チーフは紛れもなく理学療法士でいやがるな。

してやられた自分に腹が立つが、負けず嫌いなうちは、わしもまだ現役の理学療法士だと思うw

というわけで、仕事が増えました。当面サービス残業が増えます。
考えながらやれば自分の知識として蓄積されることだからちゃんとやるよ。

他にも
「さんでいさんは、あまりにもあいまいなまま前に進みすぎ」という指摘も、今更だがこの際ここでぢゃあ、責任とって全部指摘して修正してくださいよオラオラ状態なので、チーフ、逃げんなさんなよ。

8月から12月の目標(中期目標):脱いい加減。

すっげえ大変な目標だな・・・検査と研究に限っておこう。

わしの人生で大事なものは、タイミングとC調と無責任だし、50年かかって培った性格が全部変わるとは思えない。しかし患者さんの変化を読み取るシックスセンスはこの10年で相当磨けたので、必要とあらば何とかするしかないね。


それとは別に、必要なので持病のリハビリ記録をつけますが、持病が秘密なのでそれはアメンバー限定でつけます。あそこやむこうでわしを直接知っている方のみ申請受け付けます。ごめんにょ。そのうちあそこでは昔のHNで同じ内容を書き込むかもしれない。

本日の結論:我らを試みにひき給わざれ、我らを悪より救いたまえ、アーメン。
こにちは。

わしがさるさるでにき書き始めたのが、2000年、てことはもう13年近くもこうして駄文を世の中にさらしているわけでして。

相変わらずみっともないもがきババアですみません(涙)

過去ログを見ていただくとお分かりになるのですが、その当時わしは理学療法学科受験のための勉強記録を付けていた。ある日そのジャンルである有名な受験生にファンメッセージを送ってしまい、リンクされたがために当時高校生だった方がそのまま読んでくださっていたりしてるわけですよ、いやお恥ずかしい。お互い齢をとりましたのう。その有名な受験生の方は、長い年月と紆余曲折を経て医者になられた。目標も記録してみるもんですなあ、やる人は時間がかかってもやり遂げるんだね。


今更なんでそんな話をするのかというと、その中でまだお付き合いいただいている未だ30歳前のネッ友さんが、妙な方に絡まれて迷惑していらっしゃる。粘着する暇がある方なのだから、何となく彼女の同年代のニートさんだろうかと思っていたら、わしと同じ年で妻も子もある今年50のオサーンと聞いてくらくらした。

もし相方みかんが30前のおにゃのこに迷惑をかけたら、その方の前でみかんをひっぱたいた後で土下座できるよ・・・

粘着の原因は、プライバシー保護のため詳細は書かないが、そのネッ友さん周囲の病気に関することだった様子。

ネッ友さんによると、つまるところその粘着は、「自分はその病気のベテランだから、自分の言うことを聞いとけば間違いない」と言いたいようだ。

だったらまず自分を治した方が説得力があるだろうよ、それは治せる病気なんだからよ(呆)
年齢のせいで、寛解しない(キリッ・・・・だっておwww(AA略)って突っ込んで欲しいのか?(呆×2)

なんだろな、この病歴が長い方が偉いって風潮は。その思想は病院の待合室だけにしてほしいぜ。治らないはずの病気を、怪しい療法や薬で治しました、だからあなたもこれを買いなさい(キリッも迷惑だが、病気類の粘着は本当、面倒。

だいたい、ただでさえ若いおにゃのこにとっては、普通の40過ぎのオサーンなんて気色悪いだけだ。若い子がオサーンの言うことを聞く時は、おごってくれる時か、仕事を円滑にするための付き合い上ぐらいだろうよ。本当に見習いたかったり、抱いて欲しい憧れのおじさまは、ネットなんかに落ちてねーよ、リア充もしくはリア獣なんだからよw

ネット上の付き合いだけでは奢って貰えるでもない。長く生きているだけの何事もなしてない年寄の言うことなんて何の役にも立たないし、聞く必要ないってきんどーさんも言ってた。(参考文献:マカロニほうれん荘)

そして差別とか善悪は置いといて、若年健常者にとっては老いや死、そしてその両方がからむ病気の高齢者は本能的に回避したい存在だと思うよ。それを理解した上で迷惑をかけたいという病人心理はわからんでもないが、上記の例のオサーンは、病歴を誇るべきこととしていることと、自分が初老だということが吹っ飛んでることがマジで怖い。最近世の中をにぎわしているストーカーによる刃傷沙汰と同じ臭いがする。

・・・。

あ゛。わしも初老の病人だ。

大丈夫、ちゃんと自覚がありますので、もう若い人にメッセージ送りつけたりしませぬ(笑)みかんに土下座させたくないし。

そういや、去年の実験の時にホルター心電図電極貼るために若いおのこを上半身引っぺがした時も、必要以上に触らないように気を付けた。

電極貼る時は、肋骨や肋間を触らなきゃならなかったが、はがす時は触らなくて済むように「あまりおばさんが若い男の子に触るとセクハラって言わるから自分でやってね」と言ったら、皆ほぼ笑ってくれたが、

誰一人として否定しなかった。10年前は、「そんなぁ、おばさんじゃないでしょーw」と言われたもんだが。もう実年齢も見た目も自他ともに世辞の必要ないおばさんだということだな。

まー、彼らにとってのわしは母親より年上だし、何考えて生きているのか想像つかないイキモノだろう。自分だってハタチの時に、40過ぎた時のことなんて想像できなかった。ましてや若いおのこにとってそんなおばはんの性欲をみたら相当気色悪く感じることだろうよ。

・・・すみません、ダメ文直しがてら考えてしまったが、おばさんのグンちゃん好きはダメで、おばあちゃんのキヨシ好きはいいのか?どこがラインかと言われると説明に困ってしまうんだが。おっさんのAKBファンも、いくつまでならいいのか、とか。セクハラの基準って受ける相手の目線だから難しいな。

話を戻すが、ネッ友さんに今後ともお付き合いいただけるよう、ただの「老いの繰り言」にならないよう、わしも書いちゃった目標はやり遂げるよう引き続きもがいてみるよ。

本日の結論: 若い方にはご迷惑でしょうが、今後ともよろしく。そして、「何様のつもり老害ロミオ」と二度とエンカウントしませんように。