題名の通りですので決して楽しい話題ではありません。その手の話題を避けたい方はお読みにならない方がいいと思います。
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更にもう一つ。
自分は理学療法士(PT)という職業についており、PTとしてその場その場で、患者本人である父と、主たる介護者である母にとってのベストを探して選択しているつもりではありますが、あくまで私の一家という1つのケースについての記録です。公開するつもりではなく記録はしておりましたが、後々公開することになると、美化方向に修正してしまうかもしれないため、嘘にならずに正確に記録するため、リアルタイムで公開することにしました。
時間経過を無視して事実を連ねると、不幸の連続に見えやすい、それは不本意だから。世の中そう立て続けに不幸は続くもんでもない、、、一般的には。当事者がそう受け取ったとしても外から見るとそうでもない、、、一般的には。
今更事情を理解できる医療関係者以外の意見を参考にするつもりはないし,全く見ず知らずで字面だけでしかわからない他人様のケースに意見するほど無責任なPTではないのでコメント欄は閉じます.専門用語の注釈もあえてしません、ごめんなさい。
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患者(=私の父)病歴:
2000.12末 OPLLによる頸髄圧迫による痺れの訴え(+++),ほぼ臥床状態となる.運動麻痺(-).
2001.1上旬 神経症状急性増悪して,四肢麻痺となる.
2001.1.19 OPLLによる頸髄圧迫に対し,某大学附属病院にて頸椎椎弓形成術施行.
入院前後の特記事項:
急性増悪のため2W程度の最低限待機でオペ施行,空床は個室のみ.差額ベッド代は1日当たり2万程度で2W程度の入院.
麻痺はオペ後すぐに回復し,活動量の指示を守らずに勝手に動きNrs.に毎日強く注意される.そのため入院中は、不満が多くKP(=私の母)に対し,毎日患者本人より呼び出しの電話が入る.退院後HDS-R:28/30(私が行った)
退院後は,痺れは完全に回復せずほぼ床上生活となったまま8年経過.(同業者からの一番の突っ込みどころはここですよね。全く反論できません。)
2009.1 DM増悪.高血糖症状のためADL困難,部分的に介助が必要となる.
KPより救援要請を受けた娘(=私)より,地域包括センターに連絡.面談予約をとり,介護認定を依頼する.
CM,患者,KP,患者娘で面談.後日の介護認定にて要介護2と認定される.HDS-Rは10台.
CMが所属する訪問看護ステーションにて,訪問診療(週1回のち2週に1回),訪問Nrsによるリハ(週1回)を開始.(PTは在籍してない)
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ここまでが前提。
その後、丸5年、あしかけ6年、週1→2週に一度の訪問診療と、週1度の訪問看護で入院もせず在宅でなんとか凌いでいた。
紆余曲折あり、徐々に衰弱して現在要介護3。今年7月夜間に転倒した父親を起こそうとして母と患者息子(=私の弟、独身・極近居)が苦労した、と聞いた。今月に入って同じく転倒した父親を起こそうとしてKPが腰椎捻挫(俗称:ぎっくり腰)を発症。
緊急時には一人で行わず必ず24時間対応の訪看ステーションに連絡するように言われていたため、ステーションに連絡するが不在。(夜間は一人で対応しているため、他の家で呼ばれると出られないこともあるから仕方ない)。近居の患者息子も不在。何とか一人で対処したKPは、娘に連絡する。
当日KP,娘、CMと面談を行い方向性を確認する。更に3日後、訪問Nrs.とも同じメンバーで方向性再確認する。
・基本は在宅での看取り.
・介助量の増大もしくは、主たる介護者であるKPの体調が悪くなることが起こり得ることに対応できるよう,有料老人ホームでのショート及びミドルステイを確保する。(月あたり26万)
・訪問入浴介助(週2回)を即刻開始する.
その後訪問Dr.より、ターミナルであることを明言され、看取りの場所が自宅であることを確認する。←今ココ。
当家のケースの選択肢=在宅でのターミナルについて、今現在でのメリット、デメリットをまとめると、
メリット:
・介護者が、外出しなくてもよい.(=うちの母の場合、外部での介護になると、性格的に毎日患者を見舞うことは間違いない。遠くの施設や病院では体力的にも経済的にも負担が大きい)
・経済的な負担が、施設を利用する場合に比べると少ない.
・患者本人の精神的な安定が保ちやすい.
デメリット:
・介護者が他人を自宅に迎えることが精神的に負担と感じている.
・患者の状態によっては,介護量が増大して介護者の体力的に負担となることがある.
その他に、因果関係が明らかではないのでメリットに挙げませんでしたが、在宅の方が認知機能面の劣化が抑えられる傾向があるのではないかと思います。
本来は、通常とは違う環境に身を置くことは、精神的な刺激になるはずなのにもかかわらず、施設等自宅の外で認知機能面が低下する、というのは現場では割と良く見ます。施設から帰宅するたびに認知機能が悪くなる、という話も度々聞きます。
理由として、施設ではどうしても危険行為をする患者さんに人手をとられてしまうので、おとなしく寝たきりでいる患者さんの場合は、自宅に比べると声掛けなどの刺激が少なくなるために認知機能の低下が起こるということは考えられます。
しかし、文献的な根拠はないのですが、例えばシモの世話や入浴など、患者本人が「恥ずかしい」と感じる場面で他人の手を借りることは、人間としての尊厳を傷つけるのではないか、その結果として「わからなくなっちゃった方が気が楽」と思うことにより、認知機能が低下する可能性があるのではないのかと考えます。
そういえば、よく研修にいった手技でも「一番脳が傷つく時は、”自分がこれができなくなった”と認識する時」と習っています。(そこにも特に根拠となる学説はなかったと思いますが)。
今現在のところ、うちのケースでは在宅の方がメリットが多いというのが結論です。
ターミナルの今、パニックにならずに対応していける要因として、よい訪看ステーションに当たったこと、私と言う問題点と方向性を整理できる人間がいること、そして緊急時に対応できる経済基盤がしっかりしていること、があるかと思います。
先週、主治医からも入院するか、家で看取るかの方向性確認があった。
本人の意思を尊重して、ヘルパーを入れながら家で看取る方向で。わしもみかんに状況を説明しつつ、泊まりこみ介護も覚悟している。
院を卒業するまで待ってくれたおやぢにマジで感謝する。が、主たる介護人の母ちゃんも歳だから気の毒だ。場合によっては有料ホームや医療介護病棟に世話になることも考えている。
今日は父ちゃんの様子をみがてら、ぎっくり腰(軽度腰椎捻挫)で痛みが取れない母親のリハビリに行った。が、馬鹿な理学療法士(わしですお・・・)が、間違った治療を選択するところだった。理学療法的にはマッサージは「準備」に過ぎないだろよ、うすらバカめ。と、自分に突っ込みながら治療継続して目先の痛みは改善した。PTの面目は保てたが、自分のへぼさと、母親の運動再教育の難しさに頭抱える今日この頃。わかっているつもりだったが思った以上に母親も歳をとっているなあ。多分自分自身も、自分で考えているより歳くってるってこったな・・・。
それはまあいいや、親父を通してみる「人間の死に方」について。
人が考えているほどに人間はそうは簡単には死なない。心臓止まってもDCやAEDで再起動できるし。
・・・そういや去年、教授に「死ぬ気で頑張ります」と言ったら、「人間そうそう死なない」ときっぱり言われたっけ。長くERやICUでバリバリに働いていた教授だけに説得力はあるのだが、その一方、論文大詰めの今年年初、同級生から「つい最近の知り合いの大学で聞いた話なんですが、さんでいさんと同じぐらいの年齢の院生が、頑張りすぎて亡くなったそうですよ。気を付けてくださいね」と心配されたんだった、はっはっは。
わしってばこういうことを混ぜっ返して書いちゃうから何が言いたいかわかんなくなるんだが、話を戻して、”一般的には”そう簡単には人は死なない(死ねない)。というのを親を見ていてつくづく思う。徐々に人間としての機能を失って徐々に仙人のようになっている親父。もういつ逝ってもおかしくないと行く度に思うのだが、次回訪問すると、「まだ下があるんだ」などと毎回発見があり、その度に方向性を修正する。
まあ、老人病院に勤めている時には、相当の程度や数のターミナルなケースを目にしてきた。そう考えると今まで見た以上に何も珍しい現象はうちの親父にはないはずなのだが、実は毎回新しい発見というか、新しい感情を抱いている。多分他の患者さんの死に臨んでもそう思うだろう。だって前に見た病気や症状であっても、全く別の人生を生きた人だ。同じ結果でも別の受け取り方をしてもおかしくないじゃん?と、普通に考える自分がちょっと愛おしい今日この頃。
そして、多分息をしているだけでもそこそこしんどいだろうに、わしの顔を見ると
「元気だったかよ?」と笑って言ってくれる父ちゃんに、ちょっと泣ける。八百万の神にでもギャンブルの神にでも頼む、どうか苦しまずに逝って欲しい。
しばらくこんな調子なので更新は滞ります。体調は良くはないが、まあなんとかなるでしょう。
「すすめ!パイレーツ」を読んでないとわからん題名だな。
ま、いいや。
暑いっすね。なのに高校やきゅーだの、世界陸上だの、世の中まあ大変なこった。
今現在、同業者にも大変なのがいるので笑えない。
例えば名前を言えばかなりの運動音痴でも知っている某選手。元同級生のところに出入りしている。
その某選手、元コーチのインタビューで、「故障をしないのが利点」みたいに書いてあって、考えてしまった。
有力選手の場合、敵なら尚更、味方のコーチにすら故障を隠さねばならんのだろうな・・・。
本日の結論:無事これ名馬っていうけど、それは正しいとは限らない。
無事に見せるように、本人とスタッフは、休む暇がないぐらい努力をしているよ。
それだけ意志も強いんだよ、なんぼ若いからって、わしや君がなんかいえるほど甘い世界じゃない。
確認するまでもなく、「昼から酒を飲むのはヒトとしていけないことだ、という暗黙の了解があるからだよな。
ダメなわしら夫婦にも、「午前11時までは酒を飲まない(旅先除く)」というルールがある。昔、酒飲もうとしたら「Still in the morning.」と能天気なオージーに注意されたことがあるからだ。ダメにダメと言われるぐらい腹が立つことはないね。
それと同じように、仕事上では自分がダメな立場である時、例え相手が間違っていても言えない、言っても相手に聞いてもらえないということなんか往々にしてあるわけで。例えば営業では、ものすごく数字が出来ている人には、相手がひどい態度をしていたり、多少やばいことをしていたりしていても注意ができずに、放置された結果、ああいうこと(詳細書けない)になっていくわけで。その挙句にいつの間にやら消えていった営業の多かったこと。
ま、昔のことはいいや。ともかく最近のことだ。
職場で、「それはいかんだろう」ということが前々から存在することは知っていた。この前その現場を押さえたので、その人に軽く説教した。例え患者の願望や要望であっても、そのまま受け入れたら心臓止めてしまうかもしれんことがあるのが心リハだ。何ぼ相手がベテランであろうと聞いてもらわにゃあかん。以前から考えられる限りのシミュレートをして、反論された場合にも穏やかに収めるつもりではあったのだが、その5%も使わないぐらいにあっさりと受け入れられた。
とは言え、他の人から「何度も言ってるのに同じことを繰り返す」と聞いていたので、そうなった場合の次策を考えようと考えながら出勤した翌日、朝からその当人たちがボスに何やら訴えて大騒ぎをしていた。
内容を聞いてみると、どうやらわしから注意を受けた原因を、注意された当人らは設備の不備のせいだ、という方向に転換したらしい。
その結果、設備メンテをすることになり、結構お金がかかるようだ。
ボスに「それ、わたしの所為かもしれません」と、経緯を説明したら、一緒に話を聞いていたドクターにぐっじょぶを貰った。
まー、わしが注意したことは医療従事者であれば必ず守らねばならないことであるし、幸いにもメンテの予算は下りるようなので、わしがしたことはGJで済んだが、前にいた病院だったら「金がかかるじゃんか、余計なことをしやがって」と、わしが注意されるかもしれないところw 「正しい」という言葉の意味は不変であっても、状況によって「正しい」の内容が違うのが大人の世界である。ま、金がないというのは斯様に悲しいことだというべきか。
話を戻すが、形はともあれ、こんな展開になったのは初めてであるようだ。わしが注意したことは「守らねばならないこと」だと、やっと理解してもらえたようだ。今までは注意をする方もされる方もお互いに「歩み寄れない」という認識であったようなので、なかなか衝撃的な出来事であったらしい。
今後のために、何でわしが理解してもらえたのかを考えてみた。
まー、現場を押さえるまでいろいろ準備はした。シミュレートもそうだ。相手が気に入らない行為、例えば通勤時の服装は、現病院仕様に改めるようにした。(この病院はスマートカジュアルまでらしい)そこに至るまで、相手の不満にも十分耳を傾けていた。
しかし、一番のポイントは、
わしがイケメンだから。
ではないかと思ったりした。
いや、他のPTもイケメンだよ。
チーフはちょっと某医療ドラマの主役イケメン俳優似だし(名前書くと本人が特定されそうなぐらい)、若者は今風のすっきり顔イケメンである。
ただ、わしがドクターにまで「まるで少年のようだ」と言われる「ジャニーズ風味おばさん」なだけだよ。おかげで高齢被験者女性からモテてしかたない。そんなもうすぐ50歳。
本日の結論: せっかくの前振りを台無しにしてしまうわしのダメっぷり。これは小論文の某先生に「冒頭のダメなやつにダメと言われるのは云々で締めない構成は」云々、と説教されるこた間違いないな。
叶わぬ夢と終わったが、8月から正社員になるかもしれんかったので、7月中に夏休みをとっていた。
それが今回の旅行のシンガポール2拍4日(1泊は飛行機内)。ちなみに新しい夢というか目標はあるからだいじょぶよ。
今回初めてLCCと言うモノを経験した。一言でまとめると、「安かろう、悪かろう」なのだが、そのエア曰く、「世界標準」らしい。
そうだとするならば、にぽんじんが金に対する過剰な対価を求めている、ということなのだろうな。確かに破たん前の日本の航空会社はやりすぎだったと思う。
まあ、その話は本題じゃないから終わり。
気づかなかったのだが、今回の夏休みは「銀婚式旅行」という意味があったらしい。ぶらぼーだぜ>相方みかん。
もちろんわしも旅行代金の半額を供出したのであるが、相方的には「博打を夫婦で打つ」という意図があったことにも気づかなんだ。
一応、わしにもカジノ経験はあるが(過去にきログにありますお)、カジノはそれほど好きではない。(理由後述)
が、ブラックジャックで大負けした相方に、「お願いします」と引っ張りだされたカジノで超久々に大小(サイコロ博打)を打つ。
わし「あ。6回続いてるな。次も小(3つのサイコロの合計が3以上10以下)」
相方「ほんとですかあ?」
こわごわ小にかける相方。だが、ヒット。
わし「次は大(3つのサイコロの合計が11以上18以下)ね」
相方「ほんとですかあ?」
ほとんど小に賭けられた場で、ほぼ一人勝ちのヒット。
わし「次はわからんな。別の台に行くぞ」
相方「・・・。」
その後も「大小は心理戦だ。目を読むには集中力がいるのだ」
といいながら、
「このねーちゃんに黙って乗っとけ」
とか、
「いや、次は小だ。このディーラーは同じ目は3回まで。たぶんセッ○スでも長く持たんタイプ」
とか、
「あ、ねーちゃん(ディーラー)集中力切れたわ。この台は撤収」
とか、
相方が理解できない理論を展開したらしいのが、3回のうち2回は超えるヒットで持ち金を2倍強に増やしたらしい。お礼にわしが預けた持ち金の3倍にあたる高い化粧水セットを買ってもらった(喜)。これで寝しわが解消されるといいなあ(願)
・・・その前にわしが儲ける以上にブラックジャックで負けておったらしいがな。
確かにわしは博打好きだが、大小は競輪以上に集中力が必要なので好んであまりやりたくないのだよ・・・
そして久々にお金の精を博打に使ったせいか、夢に死んだばあちゃんが出てきた。
ばあちゃん、申し訳ない・・・明日からまた真っ当に働くお。目標・次回の学会で発表をすること。絶対実現するお。
というわけで、次はお盆の京王閣の予定だ。競輪にはお金の精は使わないから大丈夫だお。
ここ数年、海の日がらみの連休は学会だ。
PT学会は行かなくてもこれだけは資格更新に必要な単位のため、わしにとっては必修な学会である。
場末の病院時代は、業界の新しい流れを知るため及び単位を取るために参加するだけで満足していたが、さすがに今の施設でそれはまずい。なぜなら当院は発表が期待されている施設の1つである。しかもわしがいたラボも同様。本当は発表するべきところを演題締切に間に合わなかったから、ラボの人に見つからないようこそこそしていた。情けない自分にかなり鬱。
うちの若者は、畏れ多くも他の病院の発表についてあーのこーの批判を言っていたが彼はいい、発表したから。例え研究デザインがケーススタディであっても、まずは発表することが大切。しかも、上手なプレゼンであった。
いくら真面目に臨床をしているつもりであっても、その考えを世の中に問う学会発表は必要。ということは、うちの若者の師匠である某教授から教わった。その通りだと思う。世の中の役に立つ研究には「結果」を出すことが必要ではあるが、結果を出す研究をするためには、高度な思考が必要で、そのための経過が重要。
もっともな結末に見えるかもしれない発表も、その結論に至るまでに、仮説、方法の考察、統計処理、その結果をみて仮説の再検討、また統計処理(何回か繰り返す)、導き出した結果を考察する、という経過がある。
もちろん、エラい人から遥か上をいく知識をもって全く違う仮説を立てた上で、更に踏み込まれた方法を取るべきだと言われてしまうと、降参するよりどうしようもない。事実わしは院生時代、仮説が全くなっていなくて師匠に何度も何度も叩きのめされていた。そういう経過を知らずに「これって当たり前なんじゃないですか」とか言われると、「あなた、一度わしの師匠である某循内ドクターの下で勉強して同じこと言ってみ」と思う今日この頃。
本日の結論:表題の通り。お前が言うな、と。・・・あ、わしか。
うちのボスも学会ではキツイなー。わしのラボの後輩(わしより遥かに優秀)がぼこられてたよ。ボスってば職場ではコーヒーこぼして立ち尽くしてたりするのになあ。朝出社してドアを開けた途端に、立ち尽くすボスを見つけるわしの気持ちも察してくれ。
来年はやるぞ。レトロスペクティブの多重比較の方向で。実験をする研究はもう少し先。
「善玉」と言えば、HDL-C、いわゆる善玉コレステロールについてだが。
1980年代までは、家族性でHDL-CからLDL-C(悪玉コレステロール)やVLDLに転送するコレステロール転送タンパク(CETP)が欠損するため、HDL-Cが高い「長寿家系」が存在することが知られていた。そのため総コレステロールが高くとも、HDL-Cが高ければ問題ないとされていた。これを利用して、CEPTを阻害して血中HDL-Cを上昇させる薬剤が動脈硬化促進を予防および改善目的にて脂質代謝異常を持つ患者に用いられた。ところが、これらの薬剤(anacetrtapib)を用いてHDL-Cが上昇しても、死亡を含む評価項目を改善することはなかった(New England Jounal of Medicine 2013;367:2089-2099)。
そして、冠動脈疾患患者から採取したHDL-Cは、健常者のHDL-Cと比べると、血管内皮機能を傷害する(NO産生抑制、活性酸素種産生増加、内皮細胞への単球接着増加、傷害内皮再生抑制)ことが観察された。(Besler C, et al. J Clin Invest. 2011;121:2693-708. doi: 10.1172/JCI42946. Epub 2011 Jun 23.)
と、自分のためのメモ。
我々内科のPTであれば知っている通り、身体のために悪者と表現されることが多い発痛物質や、炎症物質にも存在する意味があるので、その物質を根絶してしまうなど、極端にバランスを崩すと大概別の問題が起こる。(がん細胞については除いときます)
さて、いつもの通り話は変わるが。
最近相方みかんがアニメの「宇宙戦艦ヤマト2199」にはまっている。世の中全般でどれほど受けているのかはわからんが、とりあえず同世代元ダンスィの間では評判がいいらしい。オリジナルと大きく違うところは、ストーリーが大変complicatedというかsophisticatedな状況で、前回のように「”ガミラス=悪”をやっつけて地球を救う」という単純さはない。ガミラスにも人間味(?)あふれたベビーフェイス(善玉)がいて、戦いの中にどちら側にも葛藤がある。
それは「平成仮面ライダーシリーズ」には既に良く見られる現象だ。仮面ライダー同士で戦いや葛藤がよくある。龍騎なんて何人仮面ライダーが出てくるんだかようわからん。多分、物事白黒で判断したい化石世代のジジババには理解できないと思われる。
そういえば、迷惑行為を警察に通報した患者さんが、警察から
「先方にも事情がありますので、簡単に取り締まれないのです」
と言われたそうで、「悪いことを悪いと言っているのに、どうして取り締まれないんだ!」と憤慨していた。
自分が迷惑と思ったとしても、実は世間一般ではそうではないかもしれんというころもあるのだが、世の中善は善、悪は悪、と一言では片付けられないややこしいことが増えましたな、あたかも発痛物質や炎症物質みたいに。
それでも変わらないのは、根底にある人の価値観だろうな。
弱者の立場を頭では理解しながらも、自分がその立場になりたくない。想像力の欠如というよりは、生物的に強い者を残そうという本能。であるならば、弱者を受け入れられない、という人の行動はそう簡単には変わらない。
本日の結論: ごめん、最後のパラグラフを考えるのが嫌になった(泣)
ストーリーはあってもオチまでたどり着けず落とすという江口寿史状態。
なぜならば、今週末できるだけ師匠に会いたくないんだが、今のボスが座長のセッションでラボの後輩が発表するので遭遇してしまう危険性大。
見逃してください見逃してください見逃して・・・
しかし、あのまま動かないで施設にいれたりすると自分の母親(わしの祖母)と同じ92まで生きるかもしれんなあ。
生きていても苦しみが勝る状況に陥りかけている親を見るのはこの職業につくものとしても、娘としても切ない。もちろん積極的に死んで欲しくはないが。
年をとって働けなくなったり動けなったりすると、何のために生きているのだろうかと人間考えるものだが、あまり深く考えずによくなることだけを考えて生きていらっしゃる方もいる。ある意味逃げかもしれないが、ある意味賢いことかもしれない。
それに関連して、わしの心を蜂の巣にしている可愛い患者さんの例を書きかけたのだが、全然まとまらないから止めた。(守秘義務に抵触しない程度が難しいんだよ)
そんなわけで話変わってわしのリハ記録なんですが。
この1週間月のモノの量が久しぶりに多くてほとんどジムは行けなかったのねん。生々しい記述になるので詳細は省くが、6/30はみかんに運動をさせるために、しかるべき処置をしてジムへ。
アームカール5キロ 30×1、15×3セット。レッグエクステンション15キロ 30×1、15×9セット
エルゴ60Wからスタートして、10分ごとに徐々に上げて最後は85Wまで上げて50分。
まあまあだね。しばらく動かないとストレッチがきつい、負荷もきつい、悔しい。
で、本来であれば、先ほど書くつもりだった可愛い患者さんの例から、わしは何のためにリハビリをするのだろう、そして治らない病気のリハビリはなんのためだろう、という展開(しかも前向き)になるはずだが。
今日は無理だなあ(笑)
こんなバカなわしでも文章を書くには習慣としてそれなりに頭を使う。技巧は拙いが展開ぐらいは考える。てゆっか、ストーリーがない文章をわしは読み進めることができないし、書き通すこともできない。意味が分からない文章とストーリーがない文章は違う。文法の間違っていない平易な文でもストーリーがなければ頭に入ってこないし、難解な造語ばかりのSFや、一見ナンセンスな小説でもストーリーがあれば読める。理系には理系のアウトカムへの論理があるし、文系には文系のストーリーという作法がある。技巧だけ優れていても駄目。
つまるところ実生活で頭を使いすぎると、駄文すら書けなくなるわしの脳キャパの小ささを説明してみたのだな・・・。
で、何で頭を使っているのかと言えば、わしの今後の仕事の方向性だ。ちらっと書いた通り正社員の話が出ていたのだが、職場はわしの体調面を考慮すると、わしの勤務時間を増やすよりは、スタッフ増員を検討しているらしい。正しい判断だと思う。間違えがあってはいけない仕事だからなあ。職場としては妥当な判断だと思うが、わしは自分自身の人生をどうしていくか再検討せねばならなくなった。生活にはすぐ困りはしないとは言え、キャリアを考えると残りの時間を最終目標方面へフライングスタートしてしまった方がいいのかなあ。(←採用されないということをほぼ考えていないところが我ながらすごいw)
・・・って大した考えもなくこういうところに書いてしまうと、いつの間にかそういう方面に行くどころが、予定よりも高い目標に挑むことになるのがわしのこれまでのPT人生なんですが。もう50、それでもまだやるのかー?
まあ、展開をすっとばして本日の結論だけ書くと(←ひでえ)、「理由なんてねえ。生きているのに何も目標がねえのはつまらんからだ」。
表題は、「りぼん」を読んだことないと知らないと思うが放置の方向で。