夏の終わりに | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

いよいよ親父が逝きそうだ。

先週、主治医からも入院するか、家で看取るかの方向性確認があった。
本人の意思を尊重して、ヘルパーを入れながら家で看取る方向で。わしもみかんに状況を説明しつつ、泊まりこみ介護も覚悟している。

院を卒業するまで待ってくれたおやぢにマジで感謝する。が、主たる介護人の母ちゃんも歳だから気の毒だ。場合によっては有料ホームや医療介護病棟に世話になることも考えている。

今日は父ちゃんの様子をみがてら、ぎっくり腰(軽度腰椎捻挫)で痛みが取れない母親のリハビリに行った。が、馬鹿な理学療法士(わしですお・・・)が、間違った治療を選択するところだった。理学療法的にはマッサージは「準備」に過ぎないだろよ、うすらバカめ。と、自分に突っ込みながら治療継続して目先の痛みは改善した。PTの面目は保てたが、自分のへぼさと、母親の運動再教育の難しさに頭抱える今日この頃。わかっているつもりだったが思った以上に母親も歳をとっているなあ。多分自分自身も、自分で考えているより歳くってるってこったな・・・。


それはまあいいや、親父を通してみる「人間の死に方」について。

人が考えているほどに人間はそうは簡単には死なない。心臓止まってもDCやAEDで再起動できるし。

・・・そういや去年、教授に「死ぬ気で頑張ります」と言ったら、「人間そうそう死なない」ときっぱり言われたっけ。長くERやICUでバリバリに働いていた教授だけに説得力はあるのだが、その一方、論文大詰めの今年年初、同級生から「つい最近の知り合いの大学で聞いた話なんですが、さんでいさんと同じぐらいの年齢の院生が、頑張りすぎて亡くなったそうですよ。気を付けてくださいね」と心配されたんだった、はっはっは。

わしってばこういうことを混ぜっ返して書いちゃうから何が言いたいかわかんなくなるんだが、話を戻して、”一般的には”そう簡単には人は死なない(死ねない)。というのを親を見ていてつくづく思う。徐々に人間としての機能を失って徐々に仙人のようになっている親父。もういつ逝ってもおかしくないと行く度に思うのだが、次回訪問すると、「まだ下があるんだ」などと毎回発見があり、その度に方向性を修正する。

まあ、老人病院に勤めている時には、相当の程度や数のターミナルなケースを目にしてきた。そう考えると今まで見た以上に何も珍しい現象はうちの親父にはないはずなのだが、実は毎回新しい発見というか、新しい感情を抱いている。多分他の患者さんの死に臨んでもそう思うだろう。だって前に見た病気や症状であっても、全く別の人生を生きた人だ。同じ結果でも別の受け取り方をしてもおかしくないじゃん?と、普通に考える自分がちょっと愛おしい今日この頃。

そして、多分息をしているだけでもそこそこしんどいだろうに、わしの顔を見ると
「元気だったかよ?」と笑って言ってくれる父ちゃんに、ちょっと泣ける。八百万の神にでもギャンブルの神にでも頼む、どうか苦しまずに逝って欲しい。


しばらくこんな調子なので更新は滞ります。体調は良くはないが、まあなんとかなるでしょう。