ここ数年、海の日がらみの連休は学会だ。
PT学会は行かなくてもこれだけは資格更新に必要な単位のため、わしにとっては必修な学会である。
場末の病院時代は、業界の新しい流れを知るため及び単位を取るために参加するだけで満足していたが、さすがに今の施設でそれはまずい。なぜなら当院は発表が期待されている施設の1つである。しかもわしがいたラボも同様。本当は発表するべきところを演題締切に間に合わなかったから、ラボの人に見つからないようこそこそしていた。情けない自分にかなり鬱。
うちの若者は、畏れ多くも他の病院の発表についてあーのこーの批判を言っていたが彼はいい、発表したから。例え研究デザインがケーススタディであっても、まずは発表することが大切。しかも、上手なプレゼンであった。
いくら真面目に臨床をしているつもりであっても、その考えを世の中に問う学会発表は必要。ということは、うちの若者の師匠である某教授から教わった。その通りだと思う。世の中の役に立つ研究には「結果」を出すことが必要ではあるが、結果を出す研究をするためには、高度な思考が必要で、そのための経過が重要。
もっともな結末に見えるかもしれない発表も、その結論に至るまでに、仮説、方法の考察、統計処理、その結果をみて仮説の再検討、また統計処理(何回か繰り返す)、導き出した結果を考察する、という経過がある。
もちろん、エラい人から遥か上をいく知識をもって全く違う仮説を立てた上で、更に踏み込まれた方法を取るべきだと言われてしまうと、降参するよりどうしようもない。事実わしは院生時代、仮説が全くなっていなくて師匠に何度も何度も叩きのめされていた。そういう経過を知らずに「これって当たり前なんじゃないですか」とか言われると、「あなた、一度わしの師匠である某循内ドクターの下で勉強して同じこと言ってみ」と思う今日この頃。
本日の結論:表題の通り。お前が言うな、と。・・・あ、わしか。
うちのボスも学会ではキツイなー。わしのラボの後輩(わしより遥かに優秀)がぼこられてたよ。ボスってば職場ではコーヒーこぼして立ち尽くしてたりするのになあ。朝出社してドアを開けた途端に、立ち尽くすボスを見つけるわしの気持ちも察してくれ。
来年はやるぞ。レトロスペクティブの多重比較の方向で。実験をする研究はもう少し先。