ダメ。 | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

昨日は、PTの楽しさと暑苦しさについて書いた。
今日は、暑苦しいPTであるわしが思うところの「ダメなPT」について。

患者さんに優しくなろうとする分、同業者には厳しくなってしまうのも暑苦しいPTの性分だ(笑)。多分もう何年かすると、この段階を卒業するのだと思うが、わしはまだ未熟だ。昨日述べた同級生もまだ暑苦しい段階で、「熱意のない」サラリーマンPTは許せないらしい。

そんなサラリーマン気質の人は、医療系に来ずに初めから普通のサラリーマンになった方が生涯給料は稼げるんだぜ、とは思う(註:初任給は普通の事務方より高いかもしれないが、PTは給料が上がらない)。だが、この職種では、組織のトップになろうと思えば起業するしかない。その手の才能がない全てのPTに「サラリーマンになるな」というのもいかがかと思うので、わしはサラリーマンPTにはそこまで腹は立たない。場所を選べばいいだけのことだし。ただ、職場はともかく患者さんを好きになれないならこの仕事辞めちまえよ、とは思うが。

ともかく、わしが嫌いなのは、「答えを持とうとしないPT」だ。

確かに死生観には正解はない。
おまけに多くの日本人はその手の話題からぎりぎりになるまで逃げがちで、明確な死生観を持たない。

その結果、「治る見込みがないのであれば、苦しみたくないから自分は延命してほしくない」という漠然とした意見をいいながらも、いざ自分の家族が死に臨むと、「どのような形でも生きていて欲しい」と願うダブルスタンダードになりがちだ。また、家族が希望するから、と自分が本気で望んでいない延命治療を受け入れるケースも見る。

実際は、ひとたび命に係わる病気になると、その後に関わる決定を次々と、瞬時にしていかねばならない。普段から自分なりの死生観を持っていないと死に直結する選択を避ける結果、ずるずると上記のようなことになる、それが現実。まー、介護に関係ない「親(子、兄弟)を見殺すなんて」という、周囲の意見(偏見)に負けて死を選べないこともあるようだが。


死生観に正解はないので、患者と家族の選択にも正解はない。
われわれが自分なりの答えを持っていたとしても、その考えを押し付けてはいけないのではあるが。

だからといって、PTが正解を持たない理由にはならない。
方向性を選ぶのは患者側だが、いくつかの条件の中についての自分が考えるそれぞれベストな帰結を提示して、方向性を選ぶ助けとすることはできるはず。

職場で残業中に徒然話をしながらそういう話題になったのだが、インターン学生相手に質問を投げておきながら、答えを持ってないSVって結構いる。チーフはインターン学生の時、SVに「自分が答えを持っていないことを、学生に質問するのは止めて欲しい」と反論したらしい。すごいなあ。

わしの学生時代は、自分が頭が悪いからヒントを言われていても理解できてないのかと思って反論できなかった。が、前の職場である手技の施設で、治療方針についての明確な目的を教えてもらえなかったことについて話していた時、わしの技術的SVが、

「それはね、多分SVもわかっていないのよ、そういう人ってあの手技には結構多いんだと思う」
と言われた。

今だからわかるが、たぶんそうなんだと思う。
わしは、学生に聞かれたことでわからないことは、素直に「わからない」って言うし、悩むところも見せちゃってたけどね。

もちろん、無闇に「わからない」と言うのではなく、医学的にわかってないのか、自分の知識が足りなくてわからないのかを分けて、後者の場合は調べて次の日に説明する。学生からの質問で、自分がわからなかったことをそのまま「調べてレポート書いてきて」ということはしなかった。それやっちゃうと、質問してこなくなっちゃうもん。せっかく自分が忘れている何かを気づかせてくれるチャンスを逃すのは惜しい。

学生や同僚に治療や方向性を提示する時も、今の時点ではこれがベストだと思うが、10年後は違う答えを出しているだろうこと、別のPTは、また違うベストアンサーを出してくるかもしれないことを説明した。わしの答えはトップレベルのPTのベストアンサーとは、かけ離れたダメな答えかもしれない、しかしまず今の自分のベストを提示して周囲の反応を見る。ただ事務的であったり、他の人に聞いた答えを出すだけでは進歩は望めない。「自分的にはベスト」というぎりぎりで勝負してこそ、他人からもらった意見が自分より良ければ悔しい分、自分に残るから。10年後のわしが見た時、今の答えが笑っちゃう(または泣いちゃう)ダメな答えであったとしても、その答えを選んだ時の自分の姿勢を恥じたくない。

というPT魂を持たせてくれたのは、一番初めに教わった学校の先輩(美人)だ。
様々な「ゴッドハンドPT」に比べると技術的には比べるべくもないが、彼女に倣った「場末のPT魂」は、彼女からわしを通して複数のPTに伝わっている、はず。

本日の結論としては、前の病院のご意見クラッシャーなお局様や、三番目にインターンで行った施設を好きになれなかった理由が今更わかった。
・・・何で今更そんなことに気が付くんだ。どこまでお人好しってか間抜けなんだろうなあ、わしって。まあ、いいやもう済んだことだし。

昨日の自分に負けるのは恥ずかしいこと(参考文献:ペンギンハイウェイ)だというが、それよか明日の自分に恥じたくないんだぜ。

・・・明日の自分が困る酒の飲み方については、相変わらずしている今日この頃。