梅雨のせいか、トシのせいか、病気のせいか、はたまた全部混じっているんだかわからんが、あちこち痛えだよ(微妙に清水弁)。
高い薬を使ってなければ、持病特有の症状が暴発している気配が満点。今日は別件もあるからジムは休んで調べ物をしている。
時々仕事中に身体的に簡単には出来ないことがあってくじけそうになることもあるが、一度も休むことや人に迷惑かけることなく、通勤時に踏切や信号を渡るためにダッシュできる身体状況に感謝する。
持病の程度が深刻なものではないということはある。そして値段も治療効果も高い薬を使っていることは大きい。
しかしそれだけではなく体力を落とさないように運動を継続するわしの努力が効いている、と思う。
わしの病気に関する学会では、「就労している人の方が、していない人に比べて身体的な辛さを感じている」ということになっている。
一概には言えないが、一般的には就労している人の方が自由になるお金があるから高い薬を使っている割合は高い。それなのに働いている人の方が働いてない人に比べて身体状況がよくないのはどういうことか。
薬剤投与量が不十分という可能性は消せないが、それならばそもそも就労を継続するのが困難になると思う。(困難でも経済的に仕事を辞めるわけにはいかないのかもしれんのだが)
そして、仕事が身体を傷めるということは考えられる。しかし、それについては主婦でも同じことどころか、デスクワークよりも寧ろ家事の方が身体的な負担が重いものが結構ある。
ということは、純粋に身体的な負担よりも、精神的な負担が身体的な自己評価を低くしていることが考えられないか。そして、それはどこからくるものだろう。もちろん理由は1つだけではなかろうが、病気に対する社会の無理解について嘆く言葉を同病患者のブログでよく見る。でもなあ、、、
、、、などということを、今日のニュースをみて、つい考えてしまった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130626-00000231-sph-soci
この訴訟の内容についてどうこういうほど何も調べていないので単なる最初の印象だが、「71歳の年寄が時代についていけてないのを人のせいにしているのでは?」だった。
公共メディアが与える影響については確かに大きいだろう、文化を守るというのもわからんでもない。
この訴訟がきっかけで何か変わる可能性がないとも言えない、でもなんというか言葉の変化を含めた時代の流れって時代(人間)が決めるものだと思う。あらがってもどうにもならんことがある。だからといってあらがうことに価値がないわけではない。時代にあらがうことからこそ文学も生まれやすいものだ。
・・・。個人的にはプロレタリア文学は嫌いだけどな。
放っておくといつも通り話がそれていくので、元に戻す。
わしらの仕事は一見老化という流れにあらがう仕事だ。しかし本当は老いや死というあらがえない現実を理解して沿いながら着地点を探す、どちらかというとあらがうよりは、流れに従うことを前提に考える仕事だ。所詮他人事だからそれを躊躇なくできるのかもしれんと思うこともあったのだが、実際に自分が病気になってみてもその考え方は変わっていない。
自分は、今後、今より良くなるということは、多分ない。
よほど劇的に戦略が違う治療薬が出てくれば話は別だろうが、今のところその気配はない。もし10年後に仮に特効薬ができたとしても、既に60歳。病気の勢いは止まっても10年分の老化は取り戻せない。普通に暮らしていれば50代から60代に向かう最中では衰える一方なので、現状維持ができれば寧ろ前進したと考えられる。病人では健常者より速く老けるのを、健常者と同じ歩みにするだけでもリハの効果が十分あったと考えられる。
が、そういう風に患者さんに言うと、もうふっきれた高齢者でもないと納得できないんだよなあ。一般人は、ベースアップするのがリハだと思ってるもん。どんなに苦しくてもついていくから機能向上しろ、と言われたら喜んでサディストPTとなって頑張るけどね(時々、ですよ、時々)。
ところで、表題の「お前がわかろうとせんからや!」は、呼吸リハの研修で、尊敬するM先生(神奈川のM先生もいろいろと素敵だが、この場合は兵庫のM先生)に言われた言葉だ。実技の授業で、うまく行かないことを教えてもらおうと先生を呼んだ時、マジにではないがこう怒鳴られた。
あの頃は先生に顔覚えられるぐらい、東京で講義があるたびに結構な金を払って参加してたし、兵庫にも行った。しかし、教えて”もらおう”と受け身の気持ちでは、いつまでたっても覚わらんぞ、自分で考えて動けるPTになるにはもっと真剣にわかろうとしれや、と言う意味が含まれていたのだろう。
自分の病気を、痛みをわかって”もらえない”。
こう思っているうちは、なかなかそこから抜けられない気がするんだよなあ。ま、悲しいシチュエーションを楽しみたいんなら、わしがどーこういうことでもないんだけど。留まるのが好きな人もいるからね。
それにしてもよく思い出してみると、どこに研修に行ってもよく怒られたなあ。●バースも呼吸も心臓も。
実は愛されキャラなのかしら>わし
本日の結論:それはたぶん勘違い。が、PTが持ってるある種の嗜虐性をそそる部分がわしにはあるかもしれんと思う今日この頃。