例えば今日も突発的な作業を「出来ますかね」と試される。
8月以降はどうやってもわし以外にその手の作業をする人間はいない。ということは、帰りが何時になろうと教えてくれる人がいる今のうちに覚えておくしかない、仕事だから。
そして、わしの残業が増えることに気を遣ってくれたのであろう、若者がわしがやるはずだった仕事を肩代わりしてくれた。わしが居残って作業しないように作業ファイルが入ったUSBをわざわざ隠す周到っぷりだ。それなんてイケメン。
とまれ、彼の作業の速さとひらめきを見るにつけ、知的瞬発力と若さとの関連を思い知らされる今日この頃だ。わしだって株屋の新人時代は、本当に仕事が早かったんだがなあ・・・26歳の時にもうその能力は落ちつつあることを実感したがの(涙)
若者に感謝しつつも、ひょっとして今日わしが入れ知恵した、ある部門に対する「必勝を期した戦い方」について感じるところがあって、気を遣ってくれたのかなあ、と思ってみたりした。どうやら彼なりにある部門には大変苦い思いがあるようだ。2週間ほど前は、わしがその部門寄りだと思っていたらしく、彼から軽い嫌味を貰っていた。戦いの前の情報収集作業をしていただけなのだが。
頭のよい彼はそこに気づいただろう。そして、恐ろしく思っただろうな。
場末の病院出身だからこそ身に着けた、戦いの知恵。
しかし、教えておきながら何だがその戦法は、あまり使いたくはなかった。どっちに言い訳しても相手に分が悪い。こっちが傷むものは何もない。
相手に逃げ場を与えない勝ち方は、暴力を使わなくとも恨みを産む。
科学的でないので恐縮だが、病棟で100人以上の死に方を見て思うに、人の恨みは「いい死に方ではない」死を誘う。恨まれる相手ではなく、恨む自分の。人間の思念というのはある種のエネルギーだと思う、いい意味でも悪い意味でも。
わしの母方の祖母は、母方の親戚中、初めて病院で亡くなった。誰にも看取られず一人で死んでいった。それも親戚の中で初めてだった。
死の1か月前から片道2時間以上かけて病院に通ったり、いよいよ危なくなってからは叔父の家に泊まって叔父夫婦と交代で毎日病室通いをしていたわしの母にとっては、悔いの残る死だった。
祖母は、誰から見ても「いい人」ではあったが、母にしかわからないある恨みを持って生きてきた人だった。そして誰からも惜しまれながら、しかし母にとっては哀れとしか思えない死であった。唯一救いだったのは、死に際して苦しんだことはなかったろう、ということ。
お葬式で、祖母のため、母のために、泣いた。
母には、決してそんな死を迎えて欲しくない。
もう25年以上前の話。でも、今、思い出しても泣ける。
母には、決してそんな死を迎えて欲しくない。
ばあちゃんもそう願っている、はず。
そして、患者さんにも、自分が縁あって声をかけた人にも、そういう死を迎えて欲しくない、出来る限りは。
嫁たちの恨みを買った父方の祖母が、それは大変な死を迎えたのはまた別の話。
人を恨まないで。自分の人生を呪わないで。
心から、そう、思う。
そして。まだ若いから勝つことにとらわれるだろうが、叩きのめすまでやらないことだ、若者よ。負けなければいいんだよ。仕事手伝ってくれてありがとう。
おまけに。このぐらいの仕事量で呪ったりしないよ、自分の無能さには相変わらず嫌になることはあってもね。出来るに決まってんだろ、今までだってやってきたんだ、ゴルア!
本日の結論:人を呪わば穴二つ、ってばあちゃんが言ってた。ばあちゃんの言うことはいつだって正しい。