非常麻将(フェイチャン・マージャン)三人之会第三回公演/マグカルシアター参加公演 【横浜公演】
公演サイト
https://www.confetti-web.com/events/9149?fbclid=IwY2xjawMOScNleHRuA2FlbQIxMABicmlkETFJSEpodzZuY2pXTDNGemt5AR6LhnFSkqb4ZM5k4gYZeDmx7UyJnEWeNf_7t2z9k3_50ZEoDBZ4V2lG4hT_nw_aem_vFnBj3gFZ837k96mwR-Rpg

中国の現代演劇を生で観るのは初めての経験。
いわゆる劇場ではない交流スペースに設けられた三面舞台。とにかく眼が悪いので最前列の席で鑑賞いたしました。

登場人物は老大(ローダ)、老二(ローアー)、老三(ローサン)、老四(ロース―)の男4人。開演前に演出の奥田氏によるこの戯曲の時代背景、文化大革命による都市の青年の農村下放、今は使われないポケットベルなど理解に必要と思われる説明があり、その終わりに老二が登場し、舞台のすみに座ります。終演後のトークによれば、本来この戯曲は三人芝居で老二は登場しないとのこと。でも老二はこの場を支配しているとも言えるのです。

彼ら4人は義兄弟で今までおそらくいろいろなことをわかちあい、麻雀の集いも繰り返してきたようですが、この夜が麻雀の最後のゲーム。翌日からはそれぞれ新しい方向へ行かざるを得ないようです。

登場人物の名についている数字は年齢順。最初に立ってしゃべっているのは
一番若い老四。老二が来ないことにいらついてポケットベルに連絡したり…つまり電話を使うこの場面では背景の左隅に下げた毛筆で「电话」と書かれた布のところへ老四が行き、そこに照明があたります。時間つぶしにテレビを視るよう勧められると老四はその隣の「电视」と書いた布のところに行き、テレビ画面らしきまぶしい照明がつき、音楽などが流れます。小道具?を言葉で表現する斬新な演出ですね。

テレビも楽しめず、すぐ消してしまう老四。一番年長で麻雀も師匠格らしい老大は老四を落ち着きがなさすぎる、だから麻雀が上達しないのだとたしなめます。約束通りの時間に来ない誰かを待っている時の心地悪い気分…彼らが今までと同じでいられるのはこれが最後だというのに連絡もよこさず現れない老二へのいら立ち、明日からは新しい道を行かなければならない、でもそれには最後のゲームをしないと進めない…新しい道を行く不安、否定的な思いが来ない老二のせいにする彼ら…

舞台になっている部屋は20階建ての19階、防音が悪く、エレベーターが動く度に聞こえる大きな音。それが聞こえる度に今度こそ老二が来たのかも?と色めき立つ彼ら…ある時間になるとエレベーターも停止するので、そうなると老二は長い階段を昇らなければならないことになります。人物たちがそれぞれの思いを語る中、別の部屋の住人が水洗トイレを使う音が現実に引き戻します。

「俺たちの世代は学問がない」というセリフ…上演前の説明にもありましたが、登場人物たちは青少年期に文化大革命の影響を受け、その後の「改革開放」の世相にも乗り切れず、取り残されている…原文では自分たちを魏晋時代に隠遁した文化人「竹林七賢」に例えて「竹林四閑」と言っているとのこと。でもその竹林?の暮らしも終わろうとしています。
この戯曲は2000年初演…そういえばそのころ、つまり世紀の変わりめには日本でも何かが否応なく終わり、否応なく新しい何かの中に放り込まれる、そんなことがあったように思います。私個人にしても事務中心から接客の仕事に変わり、そのせいで…精神を病み、しばらく生きた心地もしなかった…そういえば私にも老四にとっての老大のような人がいたけどその関係が変わったのもこのころ…

閑話休題…このメンバーでの最後の麻雀が終わったらこの街を出るという老大…麻雀と易経を極めたいという老三…
老二は老大には昔行かされた農村へ戻って「地主」になるように、老四には解放軍に入るのがいいと言ったと…。ありがたいアドバイスのようで、自分以外の人間に自分の進路についてコメントされるつらさ…それによって変化する関係…
老二が来たら始まる最後の麻雀、それによって進める新しい世界…老二が来るのを待ちわびているようで、でも彼らは老二が来ないのもわかっている…なぜなら老二は既にこの世にいないから…しかし…ドアをたたく音が…
でも応対に出ても誰もいない…空耳かと思うとさらに大きな音で…
扉をたたく音がして、でも出てみると誰もいない…これも変わってゆく世界の中でいろいろと言われることをしてみたり、言われるところへ行ってみたりしても問題が解決しない社会のたとえ?
政治体制のちがいもあって日本人にはわかりにくい面も含めて、この戯曲が上演されたことはすばらしいことだと思います。中国に限らず、日本以外の国を理解し、幸せな交流をしていくために演劇や音楽を鑑賞することは
大きなヒントになりますから。
根津美術館『唐絵―中国絵画と日本中世の水墨画』及びやさい家めいのランチ
7月31日、勤めは夏季休暇を取り、友人と根津美術館の
『唐絵―中国絵画と日本中世の水墨画』を鑑賞いたしました。
根津美術館サイト
友人は地方から新幹線で来るので入館予約は午後3時からとし、表参道ヒルズの『やさい家めい』で待ち合わせてランチ。
表参道ヒルズに行く前に地下鉄明治神宮前駅で野見山暁治の絵を原作とするステンドグラス『いつかは会える』の前を通りかかりました。ちょうどテレビで
野見山氏のアトリエについての番組を視たばかりだったのです。この画家の本を読みたいと思っているのですが、まだ読めてません。「いつかは読める」でしょうか。

大きな作品なので写真を撮ろうと立ち止まっているのも通行のじゃま?

右側にあるのは翼を広げて飛ぶ鳥?

『やさい家めい』では二人とも「枯淡な趣き」という名のランチセットをいただきました。
縦に薄切りしたきゅうりでぐるりと囲んだ前菜

稲庭うどんに添えた天ぷらのおいしかったこと!

彩り鮮やかなてまり寿司の下にある白い紙のように見えるのは薄切りした
大根でした。
表参道ヒルズから根津美術館へは表参道駅をほぼ縦断することになり
十数分歩かなくてはなりません。途中、表参道駅構内にあるATMを
利用できてラッキー?

ちなみに「唐絵」というのは日本独自の絵画である「やまと絵」と対になる言葉なのだそうです。詳しくは下記の動画へ
https://www.youtube.com/watch?v=z1jOdCOIUgE&ab_channel=%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%B1%95%E3%83%8A%E3%83%93
この展覧会でまず見たかったのは看板やチラシにもなっている牧谿筆『漁村夕照図(ぎょそんせきしょうず)』。歴史番組で足利義満が牧谿の『瀟湘八景図』絵巻を切断して掛け軸とし織田信長などさまざまな人物に渡ったお話を知ってから見たいと思っていました。

驚いたのは絵の小ささ…もともと絵巻ものだったのを切断して
掛け軸にしたので縦は33センチほどしかありません。この小さな画面に山々や樹々、家や湖を行く船などが繊細に描き込まれています。修復されたばかりのせいでしょうか。絵の中から風が吹いて雲がわいてきそうでした。

日本の水墨画に影響を与え、著名な人物が作品を入手したがったという牧谿…中国ではやや粗放な作風とされ、さほど高く評価されていないとのこと。
もともと中国絵画も日本絵画も知識があるわけではない私のあくまで感想?ですが牧谿の描き方はきっちりかっちりって感じではなくてささっと描いた?ようにも見えるのに本当に雲や風や舟が動きそうに仕上がっているところが日本人好み?でこんな風に描けるようになってみたいという気分にさせるのかしら?
日本でも観光地として知られる西湖のほとりにあった六通寺の僧だった
牧谿…ここからは私の想像というか創作?というか…牧谿は富や権力はないけれど穏やかで幸せを実感することの多い人生を生きた人でそれが絵に現れているのではないかしら? それが将軍や天下人となっても誰かに裏切られそうな気がしてどこか幸せでない人を慰めてくれるのではないかしら?
同じコーナーに江戸時代の狩野則信による『漁村夕照図』の模写も展示されていました。かなり熱心に模写しているけれどやはり感じがちがうのです。
1F展示室では他に明時代、馬遠印の『樹下人物図』が良くて2度見しました。

2階展示室へ…この賢江祥啓の人馬図…以前これと似た絵をここで見たような…

2023年の『北宋書画精華』で見た李公麟の『五馬図巻』…こういうところからも学んでいるのでしょうね。

2階展示室では芸阿弥の『観瀑図』でこんな風な滝の裏側に建物があったら
この季節涼しいだろうなと感じました。上記の動画でも紹介されていますが、
画像はこちら
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213543
ちなみに唐絵と言う言葉も芸阿弥、賢江祥啓という名も小田原に水墨画が
盛んな時代があったこともここで初めて知りました。
一緒に行った友人が注目していたのは「八角尾垂釜」、八角形でそれぞれに
『瀟湘八景図』が刻まれているのです。『瀟湘八景図』は8つのテーマの名前をきいただけで興味をそそられるので8つをまとめた本があれば読んでみたいものです。
他に南宋時代の馬麟筆『夕陽山水図』賢江祥啓の『山水図』のポストカードを
買いました。


見たかったものを見ることができると大げさにいうと人生の節目を越えた気分になります。私もバテた時は『漁村夕照図』のポストカードを見てリフレッシュして少しでも前進する力を得たいと思います。
牧谿作と言われる『瀟湘八景図』で現存している『煙寺晩鐘』や『平沙落雁』なども見られる日が来ますように。
展示を見た後、庭園に出てみましたが、暑かったのであまり歩かず、
ベンチに座っておしゃべり…花はつぼみ状態だったけどハスの鉢があ
あったから写真を撮ればよかったかしら?
庭園のカフェは既に閉店していたので、美術館を出てすぐのところに
あるイタリア風カフェでお茶もしました。京都在住の友人との本当に
貴重で楽しい時間でした。
7月25日のハス、信州からのフルーツ、父の散髪、炊飯器のやけど
7月25日の不忍池のハスです
このころになると花も多いですね。
選挙の翌日の海の日、家にあった散髪用のハサミで父の髪を切りました。
なかなか床屋へ行けないので『鉄腕アトム』のお茶の水博士みたいに
なっていたのです。
涼しくなったらまた理髪店に連れて行こうかとも思いますが、
デイサービスに行く気はないらしいからこれからもホームカット?で
いいかなという気もします。
前回ブログに書いた『落合皎児回顧展』を見に行った日の朝、炊飯中のジャーの排気口から出てきた熱い蒸気をうっかり左手首にあててしまいました。少しひりひりしたけれど見たところあまり皮膚に変化がなかったのでチャチャッと水道水で冷やしてありあわせの軟膏を塗り、そのまま出かけました。
ところがその夜、「なんか痛いなあ」と思って左手首を見たら…なんと縦5センチ、横2センチほどもある水ぶくれになっていました! 自分でも腕をひねらないと見えないところだからそのままで展覧会を見て上野をぶらついて
いたなんて…
やけどの直後、もっとしっかり冷やすべきだったのですね。それからすぐに
軟膏を塗ったのもかえってよくなかったのかもしれません。一週間ほどで
水ぶくれはしぼみ、8月9日現在患部の下半分は新しい薄い皮膚が
再生してきていますが、上半分はまだジュクジュクしています。何か触れない限り痛くはないけど、なぜかかゆいです。これが正しい手当なのかわからないのですが、額に貼るタイプの冷却シートを半分に切って患部を覆い、包帯用のテープで止めています。
炊飯器の説明書に使用中に出る蒸気に注意と書いてあるのは
知っておりましたが…もしも顔などにあててしまったらもっと大変なことになる
ところでしたね。
しかし5月末に転倒して膝、そしてこんどは手首にやけど…
信心深い人に話せばお祓いしてもらいなさいって言われそうですね
7月末、信州の友人からフルーツが送られてきました。
奥にあるのが桃とネクタリンの交配でできた小型の桃ワッサー、その手前がネクタリン(サマークリスタル)。右にならんでいるのがプルーン、奥の小さめがサンクス、手前の大きいのがトレジディという品種。
ワッサーは普通の桃より小さくてかたく、日持ちがよくて丸かじりで食べやすいのが特徴だとか。
7月26日以降、不忍池には行けていません。この夏は今一つ、
納得のいくハスの写真が撮れていない気がします。
芥川龍之介が『蜘蛛の糸』で書いているハスの花の真ん中にある
「金色の蕊」がきれいに見えている状態の花に出会えないのです。
この写真に「金色の蕊」は映っていますが、散りかけで断面図みたい。
8月にも一回ぐらい、出勤前に不忍池に行ければと思っています。
上野の森美術館『落合皎児 回顧展 LIFE AFTER LIFE』…郷里近くにこんなスゴイ画家が
7月26日午後、上野の森美術館で『落合皎児 回顧展 LIFE AFTER LIFE』
を鑑賞いたしました。
たまたまテレビをつけた時に放送中だったこの画家についての番組を視て、自分の郷里近くの松代に国際的に認められた芸術家が
いたことに驚きました。ぜひ作品をじっくり見たかったのです。
展覧会サイト
https://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=12468387
この絵を見てついつい信州出身の画家だから蚕の繭が3つなのかなあなんて思ってしまいましたが題は『chair』(1981、アクアチント)。

この『water mirror1985』を見て私は崖の上に樹が生えているように見えるのですが、同行した友人は私が樹だと思うものを大きくて不気味な鳥に見えるといいます。こんな風に同じ絵を見て感じるものがちがい、そのちがいを語りあえるのが抽象芸術の面白さ。

友人はこの絵にくぎ付けになり、光っている線の部分をどうやって描いたのか
画家の子息の落合陽介ギフレ氏に質問していました。ボンドに光る素材?金属粉?を混ぜているそうです。こういうところは写真でわかりにくいのですが光る線は周囲から盛り上がっていて微妙に立体的?なのです。(申し訳ありません。題名をメモし忘れました)

スペイン王立アカデミー「スペインの現代作家150人」の選定作品
『water mirror1985』
スペインで画家としての地位を確立しつつあった落合ですが、妻の希望で帰国…晩年は松代在住…こんなピカソやゴッホ並みの人が私が子供の頃、遠足に行った土地に住んでいたなんて…スペイン時代の友人である芸術家たちも落合を訪ねてやってきたとのことですが…ご子息の話では全く地元に還元せず飲んでいたとか…
友人は落合の作風にどこか長谷川等伯に似たものを感じると言っていました。等伯の息子久蔵が早世したように落合もギフレ氏の弟である次男に先立たれています。同じ悲しみを味わったからかしら。
これは私が家にあってもいいと思う作品。色彩がメルヘン風…灰色(いやなこと)、ピンク(いいこと)が入り混じる人生?…これも申し訳ありません。題名メモし忘れました。
いくばくかの募金をしてクリアファイルと絵葉書を頂いて会場を出た直後、
友人は「ここ、きれいだわ」と言って道路の写真を撮り始めました。

上野の森美術館前の道路はかなり前に理由は不明ですが空色に塗られたのがすれて薄れているところに午後の日光が当たっているのがまるで
今見てきた落合の作品のようだと言うのです。落合もそういう美に目をとめる
人だったのかもしれません。
上野駅を突っ切り、ホテルサンルート上野にあるカジュアルフレンチのLA COCORICOに入ったのはランチ終了ギリギリの3時前。前々から入ってみたかった店なのですが、一人では入りにくく、同僚は中華や焼き肉が似合う人ばかり…初めて味わえてラッキー。
Cafe&Rottisserie LA COCORICO 上野本店
https://www.la-cocorico.jp/ueno
前菜

友人がビールを飲みたいというので、上野駅周辺を少しさまよった後、アトレのワイアードカフェに入りました。少し奥まった場所にある店ですが、
落ち着いて話ができました。
というわけで眼でも舌でもリフレッシュできた一日…暑かったけど。
異形(イケイ)の街に星が降る 孤独の発明 – 4人のダンサーによる即興の場
7月19日、東京キャラクターストリートへ行った後、中央線で中野へ向かい、
テルプシコールで舞踏公演『異形(イケイ)の街に星が降る 孤独の発明 – 4人のダンサーによる即興の場』を鑑賞いたしました。
公演、出演者についてはこちら
https://heart-to-art.net/improart/blogtitle2025-024-ikei-machi/
舞踏がスタートした時から出演者の衣装に見入ってしまいました。藤井マリが黒づくめのフード付き、古茂田梨乃が白いシャツに高校生の体育着のような赤いショートパンツ、森政也は頭に黒い服に頭に大きなショールのような黒とグレーの布をかぶってすっぽり顔が隠れた状態で動いていました。布がとれずに、また何も見えない状態での身体表現は
難しいでしょうね。ショーの半ばで布を取って顔を出した時のインパクトも大きいものでした。
そして杉田丈作は白いドレス風の服で頭に白い布…その様子を見て
私はこの杉田氏のような人を絵画で見たことがある…どこで見たのだろうと考えていました。ルネサンス…かどうかはわからないけどヨーロッパの絵画…白い布で頭を包んだ年老いた女性…たぶん洗礼者ヨハネの母のエリザベトの絵だったんじゃないか…ともあれ、杉田氏の表現には大作の絵画のような力がありました。
私の記憶にある聖エリザベトの絵がどの国のどの時代の誰が書いたものか思い出せないのですが、下記のサイトのものがイメージに近いです。
『聖エリサベトと幼児の洗礼者ヨハネを伴うキリストの降誕』(コレッジョ)
途中、ステージ右奥に月?のようなライトが光り、出演者がそれぞれの動きでそこへ
近づき、仰ぐ様子はまるで希望を求めているようでした。そう希望だけは持たなきゃ、
笑われても馬鹿にされても絶望なんかしない…この舞踏を観てそんな気持ちになりました。
私が観たのは15時開始の回です。18時開始の回と通しのチケットも用意されていたのですが、
父が私の帰りがおそいのがどうも心細いようなので、残念ながら昼の部だけで帰りました。
今年のハス…7月の記録…父の抜歯、ぼけ?
既に本レビューなどにも少々アップしましたが、
今年は6月26日、初めて不忍池にハスを見に行きました。
どうも6月中旬ぐらいからぽつぽつ咲き始めているようです。
この日は早朝に雨が降り、おしべがぬれてへたっとなっていて
見栄えがしません。
こんなふうに雨宿り?して咲いているのも
次に行ったのは7月9日…
咲きかけの濃いピンクもきれいです
7月中旬、私は割り当ての夏季休暇を取り、家に歯科医に来てもらって
父の痛む歯を抜いてもらいました。2021年の脳梗塞発症以来、血液の
流れをよくする薬を服用しているので、ちょっと心配でしたが、
出血が多いということもなく、無事に済みました。
しかしその翌朝のこと…。
平日の朝、私は朝食の後、父の昼ごはんを用意します。ごはんの入ったお茶碗と皿の上に2時間ほどで自然解凍する冷凍のメンチカツや空揚げ、野菜類を載せてほこり除けに蓋をして食卓に置いておくのです。
その日も朝食の食器を片付けた後のテーブルに父のコーヒーを出し、上記の昼食を置きました。そして流しで朝食の茶碗や皿を洗いながらふと見ると…
父がコーヒーを飲みながら、昼食用のおかずをむしゃむしゃと食べているではありませんか!
「お父さん、それお昼用なんだけど」と私に声をかけた時、父は既にお昼用だった空揚げを平らげてしまっておりました!
父:これは昼用か?
私:そうよ、朝はさっき食べたでしょ。
父に朝のコーヒーを出す時、ちょっとしたお菓子や果物も添えることがあって、どうもそれと「まちがえた」らしいのです。
よく食事に食べたものを忘れてしまうのは特に病気ではないが、食事をしたことを忘れてしまうのは何等かの病気かも…といいます。
前日、午前にも訪問医療の先生が来て、午後は歯科医と父にしてはたくさんの人に会ったので疲れてしまっていたのかもしれません。

まあ…朝食を食べた直後に空揚げをパクリですから、
食欲だけは大丈夫でしょうかね?
すてきな竹の絵… 中国の絵画 橋本コレクション受贈記念 明代文人文化の華やぎ
今年の七夕…七夕らしいことと言えば、七夕に一番近い金曜日の
夜に東京国立博物館東洋館で竹の絵を見たことぐらい((笑)…七夕風のお菓子ぐらい買えばよかったかも。
中国の絵画 橋本コレクション受贈記念 明代文人文化の華やぎ
展覧会サイト
墨竹図軸 1幅 顧安筆 中国 元時代・14世紀
水墨画ですが、竹の葉が風になる音が聞こえてきそう…いろいろな竹の絵のお手本になっている感じがします。
秋光泉声図軸 1幅 文徴明筆 中国 明時代・嘉靖27年(1548)
文徴明はテレビなどでよく名前を聞く画家で、この絵もとても感じがいいのですが、写真は鮮明にとれず残念です。
「人間って進歩しないな」とか話してそうな王問筆『十八羅漢図巻』
高士観瀑図扇面 1幅 仇英筆 中国 明時代・16世紀
湖に流れてくる滝の描き方は図案風で何だか歌舞伎舞台の背景画みたいだけど…歌舞伎舞台の方が仇英のマネをしているのか?…緑の樹々が鮮やかで今の季節家にほしい作品です。
周茂叔愛蓮図軸 1幅 陶成筆 中国 明時代・15~16世紀
宋代の学者が蓮をめでている風流な絵。学者と子供の表情が豊かですが、蓮の花がよく見えないのが残念。
華山仙掌図軸 1幅 謝時臣筆 中国 明時代・16世紀
「黄河の巨大な精霊が山を押しのけた時の跡が残るという伝説で有名な
華山(陝西省)の山崖」が描かれているとのこと。巨人の手形?がついた山とその上の樹々、山道を行く人、橋を渡る車などの描写も繊細です。
同じ画家の『山斎雅集図軸』眺めのよい家で語る人から上をずっと見上げ、松の樹にかかる雲…見ていると山登り気分に…この謝時臣という画家は初めて知りましたが、好きになれそうです。
この『橋本コレクション』は画家に「伝」という文字がついてない…
つまり真筆と鑑定された品がほとんどなのがすごいと思いました
東洋館を出た後、5月に転倒のため、入らなかった法隆寺宝物館へ。
ここは観覧客が少なく、静かで…ちょっと怖い?ケースに入った仏像がずらりと並んでいる部屋など、今にも何かが起こりそう?(怪談の読み過ぎ?)
古代鏡のコーナーにあったのが春秋時代の琴の名人、伯牙が演奏している様子を刻んだ唐時代の鏡。このコーナーではこれが家に欲しい…割れてなければ。

同じく唐時代の盤竜鏡、これはおみやげ向け?のデザイン。

海磯鏡(かいききょう)、先の二つは重要文化財ですが、これは
国宝なので、写真を撮りました。細工がとても緻密なので、国宝なのかもしれません。細かくてごちゃごちゃし過ぎで個人的には家にほしいと思いません。

そして海獣葡萄鏡…葡萄と海の生き物という組み合わせが不思議に思いましたがここでいう『海獣』は水生生物のことではなく、いろいろな珍しい生き物というような意味とのこと。
ブドウといっしょにゴモラなどを刻んだ
『怪獣葡萄鏡』がか発売されたら買いたいかも?
岡本綺堂『影を踏まれた女―怪談コレクション』(2006年光文社文庫)より 『猿の眼』
前回のブログで恐怖と題に入れながらあまり恐怖を書けなかったので、今月の本レビューは岡本綺堂の怪談を取り上げます
https://books.kobunsha.com/book/b10125944.html
この本に収められているのは『青蛙堂鬼談』と『近代異妖編』の二つの怪談集。
『青蛙堂鬼談』は元弁護士で商店の顧問や相談役として優雅に暮らす梅沢君の家に三月の雪の夜、集められた老若男女、実業家風、学者風、学生風、様々な人々が順番に語る怪談集。青蛙堂は梅沢氏の俳号です。

『猿の眼』はその第4話―語り手は文久元年生まれ、この時65歳、吉原の茶屋の娘として生まれた女。女の父、市兵衛は明治維新とそれに続く娼妓解放令などもあって茶屋をたたみ、俳諧の宗匠として再出発、それに伴ってそれまでよりも小さな家に引っ越し、その際先代の頃から集めてきた書画骨董も処分します。
それでも好きな書画7,8点と屏風一双、骨董5,6点は残しました。その中の一つが猿の面。これは明治4年の12月、上野の広小路で没落士族らしい男が筵の上に並べていた古道具の一つ。彫がよくできているため、ふらふらと買う気になった語り手の父。売っていた男もなぜ自分の家に伝わっていたのか、由来は知らないとのこと。ただ古長持ちの底から出した時、なぜか白い布がこの面に目隠しでもするようにかけられていたがその理由もわからないと正直に話す売り手。値段は二分でいいというのを無理に三分で買い、「気の毒な士族さんに恵んであげたと思えばいい」と考えていた市兵衛、明治6年4月の引っ越しの時も処分しようと思ったのになぜか残したそのわけも自分でもよくわからない…そういう不思議なものってありますよね。

新しい暮らしが始まってひと月ばかりたった5月半ば、俳句の弟子で井田さんという質屋の息子が夕方から師匠を訪ねてきて話すうち雨が強く降り出したので泊まることになりました。
「雨には風がまじって来たとみえて、雨戸をゆするような音も聞こえます」
「隅田川の水がざぶんざぶんと岸を打つ音が枕に近くひびきます」
以上引用…現代なら大雨洪水警報が出そうな夜ですね。
宗匠の机がある離れの四畳半に寝た井田さんに異変が…弟子がおびえるので様子を見に行った宗匠は柱にかけてあった猿の面の眼が青く光るのを見ます。
翌朝、改めてその猿の面を調べてみようと離れに行くと…なぜか面はなくなっていました。泥棒が入ったにしても、この面だけ盗まれるのは不思議? その後、井田さんはぶらぶら病いにかかり、早世。
そして西南戦争の年、旧幕時代に吉原の幇間をしていた孝平によってかの猿の面は再び宗匠一家の前に現れるのです。
先行きが厳しく、今持っている歌麿や抱一を手放すことを考えている状態なのに、なぜか妙な猿の面を買ってしまう茶屋の主人、少しでも現金がほしい状態なのに売り物の値段さえつけられない没落した武士、師匠に破門され、維新後怪しい古道具屋になる幇間…

老女の淑やかな語りの中にさりげなく現れる江戸の吉原の華やかな記憶…
古い物がもたらす怖い祟りの話ですが、どこか激変する時代の変化を受け入れて生き抜こうとした人の強さと温かさも感じられる怪談です。
私もこの語り手の老女の年齢に近くなりました。この人のように平常心を保ってこれからの社会を生きられたらいいな、できれば青蛙堂主人のような知り合いもできたらいいななんて思います。




























































