
すてきな竹の絵… 中国の絵画 橋本コレクション受贈記念 明代文人文化の華やぎ
今年の七夕…七夕らしいことと言えば、七夕に一番近い金曜日の
夜に東京国立博物館東洋館で竹の絵を見たことぐらい((笑)…七夕風のお菓子ぐらい買えばよかったかも。
中国の絵画 橋本コレクション受贈記念 明代文人文化の華やぎ
展覧会サイト
墨竹図軸 1幅 顧安筆 中国 元時代・14世紀
水墨画ですが、竹の葉が風になる音が聞こえてきそう…いろいろな竹の絵のお手本になっている感じがします。
秋光泉声図軸 1幅 文徴明筆 中国 明時代・嘉靖27年(1548)
文徴明はテレビなどでよく名前を聞く画家で、この絵もとても感じがいいのですが、写真は鮮明にとれず残念です。
「人間って進歩しないな」とか話してそうな王問筆『十八羅漢図巻』
高士観瀑図扇面 1幅 仇英筆 中国 明時代・16世紀
湖に流れてくる滝の描き方は図案風で何だか歌舞伎舞台の背景画みたいだけど…歌舞伎舞台の方が仇英のマネをしているのか?…緑の樹々が鮮やかで今の季節家にほしい作品です。
周茂叔愛蓮図軸 1幅 陶成筆 中国 明時代・15~16世紀
宋代の学者が蓮をめでている風流な絵。学者と子供の表情が豊かですが、蓮の花がよく見えないのが残念。
華山仙掌図軸 1幅 謝時臣筆 中国 明時代・16世紀
「黄河の巨大な精霊が山を押しのけた時の跡が残るという伝説で有名な
華山(陝西省)の山崖」が描かれているとのこと。巨人の手形?がついた山とその上の樹々、山道を行く人、橋を渡る車などの描写も繊細です。
同じ画家の『山斎雅集図軸』眺めのよい家で語る人から上をずっと見上げ、松の樹にかかる雲…見ていると山登り気分に…この謝時臣という画家は初めて知りましたが、好きになれそうです。
この『橋本コレクション』は画家に「伝」という文字がついてない…
つまり真筆と鑑定された品がほとんどなのがすごいと思いました
東洋館を出た後、5月に転倒のため、入らなかった法隆寺宝物館へ。
ここは観覧客が少なく、静かで…ちょっと怖い?ケースに入った仏像がずらりと並んでいる部屋など、今にも何かが起こりそう?(怪談の読み過ぎ?)
古代鏡のコーナーにあったのが春秋時代の琴の名人、伯牙が演奏している様子を刻んだ唐時代の鏡。このコーナーではこれが家に欲しい…割れてなければ。

同じく唐時代の盤竜鏡、これはおみやげ向け?のデザイン。

海磯鏡(かいききょう)、先の二つは重要文化財ですが、これは
国宝なので、写真を撮りました。細工がとても緻密なので、国宝なのかもしれません。細かくてごちゃごちゃし過ぎで個人的には家にほしいと思いません。

そして海獣葡萄鏡…葡萄と海の生き物という組み合わせが不思議に思いましたがここでいう『海獣』は水生生物のことではなく、いろいろな珍しい生き物というような意味とのこと。
ブドウといっしょにゴモラなどを刻んだ
『怪獣葡萄鏡』がか発売されたら買いたいかも?
岡本綺堂『影を踏まれた女―怪談コレクション』(2006年光文社文庫)より 『猿の眼』
前回のブログで恐怖と題に入れながらあまり恐怖を書けなかったので、今月の本レビューは岡本綺堂の怪談を取り上げます
https://books.kobunsha.com/book/b10125944.html
この本に収められているのは『青蛙堂鬼談』と『近代異妖編』の二つの怪談集。
『青蛙堂鬼談』は元弁護士で商店の顧問や相談役として優雅に暮らす梅沢君の家に三月の雪の夜、集められた老若男女、実業家風、学者風、学生風、様々な人々が順番に語る怪談集。青蛙堂は梅沢氏の俳号です。

『猿の眼』はその第4話―語り手は文久元年生まれ、この時65歳、吉原の茶屋の娘として生まれた女。女の父、市兵衛は明治維新とそれに続く娼妓解放令などもあって茶屋をたたみ、俳諧の宗匠として再出発、それに伴ってそれまでよりも小さな家に引っ越し、その際先代の頃から集めてきた書画骨董も処分します。
それでも好きな書画7,8点と屏風一双、骨董5,6点は残しました。その中の一つが猿の面。これは明治4年の12月、上野の広小路で没落士族らしい男が筵の上に並べていた古道具の一つ。彫がよくできているため、ふらふらと買う気になった語り手の父。売っていた男もなぜ自分の家に伝わっていたのか、由来は知らないとのこと。ただ古長持ちの底から出した時、なぜか白い布がこの面に目隠しでもするようにかけられていたがその理由もわからないと正直に話す売り手。値段は二分でいいというのを無理に三分で買い、「気の毒な士族さんに恵んであげたと思えばいい」と考えていた市兵衛、明治6年4月の引っ越しの時も処分しようと思ったのになぜか残したそのわけも自分でもよくわからない…そういう不思議なものってありますよね。

新しい暮らしが始まってひと月ばかりたった5月半ば、俳句の弟子で井田さんという質屋の息子が夕方から師匠を訪ねてきて話すうち雨が強く降り出したので泊まることになりました。
「雨には風がまじって来たとみえて、雨戸をゆするような音も聞こえます」
「隅田川の水がざぶんざぶんと岸を打つ音が枕に近くひびきます」
以上引用…現代なら大雨洪水警報が出そうな夜ですね。
宗匠の机がある離れの四畳半に寝た井田さんに異変が…弟子がおびえるので様子を見に行った宗匠は柱にかけてあった猿の面の眼が青く光るのを見ます。
翌朝、改めてその猿の面を調べてみようと離れに行くと…なぜか面はなくなっていました。泥棒が入ったにしても、この面だけ盗まれるのは不思議? その後、井田さんはぶらぶら病いにかかり、早世。
そして西南戦争の年、旧幕時代に吉原の幇間をしていた孝平によってかの猿の面は再び宗匠一家の前に現れるのです。
先行きが厳しく、今持っている歌麿や抱一を手放すことを考えている状態なのに、なぜか妙な猿の面を買ってしまう茶屋の主人、少しでも現金がほしい状態なのに売り物の値段さえつけられない没落した武士、師匠に破門され、維新後怪しい古道具屋になる幇間…

老女の淑やかな語りの中にさりげなく現れる江戸の吉原の華やかな記憶…
古い物がもたらす怖い祟りの話ですが、どこか激変する時代の変化を受け入れて生き抜こうとした人の強さと温かさも感じられる怪談です。
私もこの語り手の老女の年齢に近くなりました。この人のように平常心を保ってこれからの社会を生きられたらいいな、できれば青蛙堂主人のような知り合いもできたらいいななんて思います。
”七夕ラッキーセブン” 優しさを失わないで…ウルトラマンAの言葉
女優の星光子さんの七夕の願い事は
「ウルトラマンが未来永劫、世界中の子供たちに愛され語り継がれて行きます様に!」
『ウルトラマンA』が世界中の子供たちに愛されていくということは
この番組の最終回のAの言葉。
「優しさを失わないでくれ、その優しさが何度裏切られても」が伝わっていくことになります。
今回、参議院選が公示されてからつくづく感じること…
その前に世界のたくさんの国でその排外的なことが起きること…
これはたぶん多くの人が「優しさが裏切られた」、あるいは
「こちらには優しさが足りないからそちらのをもっとよこせ」と
感じているからなのでしょう。
『A』の言葉通りに生きるのはとても難しい…でもこういう時こそ、
優しさを忘れてはならない気がします。
例えば…生まれ育った国を離れてこの国へ来た人たちに対して…
その事情は様々で個別には「ご希望に添えない」ことも
あるでしょうが、かたまりで捉えてどうこういうのはまずいと思います。
私は海外からではないが、高校卒業後、信州から上京しました。
その時通った学校、勤めた会社等で生まれながらに首都圏で育った人、
つまり実家に住んだまま、学んだり働いている人々の自分へ向けられる
先入観と自分自身の実感のずれを強く感じていました。
つまり田舎から都会へ出てくる娘というものは何か華やかなことに
あこがれてくるらしいが、都会の生活は甘いものではない、
実家へ戻ってそこで働いた方が安全だし、金も貯まるではないか…
だから帰郷すればいいのにね…
と周囲の都会育ちの人からは思われていたようです。当時、
日曜学校のリーダーをしていた教会の神父様から
しみじみと「田舎に帰りなさい」と言われたのは忘れられません。
この神父様ご自身は東北地方出身とのことで…つまり
僕には神父になるという軸があったけど、女の子はね…という
意識ですね。それも絶世の美女とか、最高学府の大学に入り、
一流企業の総合職になれるような優秀さがある女性だったら
またちがうのかもしれませんが、私はそういうものがありませんから。
でも私がこの道を選んだのは華やかさにあこがれた?とかいうより
もっと切実なもの…それをなかなかわかってもらうのが難しいのですね。
結局ほぼ故郷を捨てる結果になりましたが、育った家で虐待を受けていた
わけでも、いやな人ばかり住んでいたところだったのでも
ありません。それでもこうするしかありませんでした。
自分が自分でいるために必要でした。
そのあたりはまたの機会にお話するとして…
ともあれ日本人の間でもこういうなかなか埋まらない溝があります。
ましてや海外から日本に来る人々、特に事情を抱えて移住
する人々に対して十把一絡げにして考え、決めつけたりするのはいかがなものかと。
私は上記のような経験をしているので、故郷を離れて暮らしている人に
ついては国内外からに関わらず、「どうしてここへ住むことにしたの?」とは
訊かないよう、心がけています。「どうして」という問いかけにはかすかにですが否定の響きが入ることがあるからです。例えば「どうして東京へ来たの? 信州なんていいところじゃない?」みたいな…確かにいいところですよ。
観光地となっているところはね。
もちろん相手が訊かなくても自分から話してくれる場合は聴きます。
ともあれ田舎から出てきたこれといって優れたところもない、それどころか
人によってはいやがる変わったところがある私が何とかやって来られたのは、未知の場所へ入ってきた私に、まずは優しく温かい視線を注いでくれる
人々がいたからです。
だから完全にするのは難しいけど『ウルトラマンA』の言葉通りに
したいと思っています。大げさにいうと少しでも世界をよくしていくには
これしかないと思うのです。
もちろん無理だったこともありますよ。つきあった男の両親とか、
ストーカー風来店客とか。
でも…旅行で来たにしても、やむにやまれぬ事情にせよ…
この国へ来てくれた人々には…自分の語学力が及ぶ限り、
優しくありたいです。その語学力があまりなくて申し訳ないのですが。
今日、この考えに近い傾向のある政党と候補者に期日前投票を
して来ました。
今まで仕事やら介護等などにかまけて太平の夢?を
むさぼっていたその報いはつらいものだと感じています。
でもこれからでもできることはやっていくつもりです。
『中国の絵画 倣古山水のたのしみ―倪瓚を探して』及びナイトミュージアムの恐怖
話は遡りますが5月末の金曜の夜、東京国立博物館東洋館へ
『中国の絵画 倣古山水のたのしみ―倪瓚を探して』を観ました。
| この日は夜8時まで開館するナイトミュージアムの日 |
東洋館 8室
2025年4月22日(火) ~ 2025年6月1日(日)
2025年4月22日(火) ~ 2025年6月1日(日)
中国山水画の楽しみ方を、「古(いにしえ)に倣(なら)う」をテーマに紹介します。元時代末期の文人画家、倪瓉は、わずかな樹木と無人の亭(あずまや)、静かな水面を隔てた遠山という少ないモチーフで空間を構成し、水気を抑えた淡い墨のみを用いる、禁欲的で清潔感のあるスタイルで知られます。倪瓚スタイルは脱俗の極みとして人気となり、これを自己流にアレンジした作品が数多く描かれました。倪瓉から影響を受けた後世の山水図を集め、倣古のバリエーションを楽しんでいただきます。(展覧会説明)
杜陵詩意図軸 1幅 倪瓚款 中国 明時代・15~16世紀
あの志賀直哉の寄贈とのこと。
この人の画風、どこか昔住んでいた家にあった屏風を思い出させるのです。
秋林隠居図軸 1幅 王紱筆 中国 明時代・建文3年(1401)
ちょうど先日読んだばかりの本の時代の絵、こんなところで隠居したい?
ちょっと人気なさすぎ?
書画合璧冊 1冊(7図) 董其昌筆 中国 明時代・崇禎2年(1629)
時代は下り、明の最後の皇帝の時代の絵。
倣古山水図冊 1冊(8図) 藍瑛筆 中国 清時代・順治12年(1655)
今回の展示の中で家にあってもいいと思う一つ((笑)。この険しい山中にある家にはどんな人が住んでいるかなと見入ってしまいます。藍瑛は明末清初を
代表する画家なのだそうです。
山水図軸 羅牧筆 中国 清時代・康熙11年(1672)
雰囲気がいいのですが、何が描かれているのか個人的には謎の多い絵ですこれから勉強?します
山水図冊 1冊(12図) 李世倬筆 中国 清時代・18世紀
ちょっと寂しい風景かも。ただこの『山水図冊』の他のページは
建物や舟も描かれていています。下記のサイトで見られます
秋林幽亭図扇面 1面 胡鉄梅筆 中国 清時代・19世紀
涼しさとうるおいが感じられて、暑い日に見るといいかも、家にあっても
いいかも?と思い、説明を見たら19世紀末の絵、画家は上海で活躍し、
最後は日本で亡くなったのだとか。日本の風景も描いたのかしら?
| 山水図扇面 | 1面 | 呉昌碩筆 中国 | 清~中華民国時代・19~20世紀 |
胡鉄梅に比べるとタッチが荒々しく、個人的には家にほしいと思わないのですが、呉昌碩はテレビなどでよく名前の出る画家。生で見た?記念に撮らせていただきました。説明によれば呉昌碩は花卉図が多く、山水画は珍しいのだとか。

東洋館を出た後、法隆寺宝物館へ向かいました。
そしてこの写真を撮った後…恐怖が…
雨が降った後だったせいか、転倒してしまったのです。靴がひどく汚れたので
宝物館へは入らず、帰宅しました。
家へ戻ってぶつけたところを見ると…傷になっていました。すごく痛いわけでもなかったのですが、丸一週間経っても傷口が乾かないので整形外科へ行きました。そこで念のためにということで…ひざのレントゲンを撮ると…
何と診療代が4500円!!
整形外科の自動精算機の前で、ホラー映画のヒロインのように
悲鳴をあげたいところを必死でこらえました。
この展覧会のことをなかなかブログに書けないでいたのは
予定外の出費のショックからなかなか立ち直れなかったからです。
もうすぐ90歳の父がよく転ぶのですが、どうやら私も
このお家芸?を継承してしまったようです。これからはくれぐれも
転倒しないように気をつけます。
以上、夜の博物館の恐怖のお話でした。
キュウリにスイカにさくらんぼ
昨年、地域活動で知り合った方に自家栽培のキュウリを頂きました。
長さは25センチと28センチ、こんなに大きなキュウリは初めて見ましたので
記念に?写真を撮りました(笑)。
先週、家の近くの店でちょうど私が持ち帰りやすいサイズの小玉スイカを見つけたので買いました。スイカはあまり買いません。よくあるサイズのものは重すぎて持てないし、カットのものはつぶしたりするのが心配なので。
でもこれは扱いやすいものでした。
珍しい?ので写真に撮りました((笑)。
父には食べやすいように小さめに切りました。
スイカを食べながら…愕然としました。今年はまだサクランボを食べていないことを思い出したのです。平日、私たち家族が一緒に食事をするのは朝食だけ、フルーツは朝、食べるのがよいといいますが、朝はとても時間がありません。特に弟はすごくあわててます。ですので買うなら金曜か土曜に買って
週末に食べるのです。サクランボも週末に買おうと思っていて、いろいろ
あって忘れてしまっていました。
というわけで…スイカを食べた翌日、アメリカンチェリーを買いました。
やりたいことを週末まで待たずに実行することが大切なのかもしれません。
母のアジサイ,6月の記録、髪をカット、父の訪問歯科利用開始、心療内科通院終了
今年も母のアジサイが咲きました。母のアジサイと申しましても母が植えたのでも育てたのでもなく、母をよく散歩させていた公園のアジサイですが
6月8日、まだ青が淡く、緑色の部分も多いです。そしてこの頃は涼しかった…昨年は父にも見せたのですが、今年は「車椅子まで歩くのが大変だ」などとブツブツ言って出かけようとしませんでした。訪問医療の医師が言うにはもうすぐ90歳の老人が外出をしなくなるのは特に珍しいことではないとのこと。受け入れなければならない変化なのかもしれません
緑から白、白から淡く青みがかっていく途中のアジサイはまるで白や水色のちがう花を集めて作った花束のようです。
6月初めから父が歯の痛みを訴え始めました。実は春先に同じ痛みがあって
以前かかった歯科医を予約したのですが、通院当日になって出かけるのが
いやになったらしく、キャンセルしました。痛みもそのままおさまってしまいました。そんなわけで今回は訪問歯科医をたのみました。先日一度歯科衛生士の人に見てもらったところ、父は年齢にしては自前の歯がたくさん残っている
方なのだそうで…ちょっとうれしいかも? ともあれ痛んでいる歯は7月中旬に抜歯してもらうことになりました。ちょっと心配なので私はこの日一日休みを
とって様子を見る予定です。
ここのアジサイはこんなふうに地面近くにも気前よく?大きな花をつけるので
車椅子の母もかぶりつき?で楽しめて喜んでいたのを思い出します。
父がこの夏を何とかやりすごして?無事に90歳の誕生日を祝うことができますように。
6月14日、耳鼻科の通院の後、以前にヘアドネーションをした美容院で
髪をカットしました。ブログにわざわざ書くほどおしゃれな髪型になったわけではないのですが、記録しておかないと前回いつ美容院に行ったかわからなくなるので(笑)。ヘアドネーション用の髪生産者?から引退?したのですから
これからは半年に1回程度はカットするべきなんでしょうね。
2001年に店舗担当の仕事になって以来、通い続けていた心療内科の通院
を今月で終わりにすることにしました。向精神薬の服用は眠気が強く出過ぎるので今年の初めから止めていました。だからといって諸々のストレスが
なくなったわけでもなく、気分がハッピーになったわけでもなく…それどところか疲れてしまって私もここのアジサイを今シーズンは一度しか見に行けなかったくらいなのですが…疲労や心の問題について必要なのは医者や薬ではない他の方法を考えるべきだと思うのです。
介護と仕事にかまけて自分のやりたいことに取り組めないままなのが一番心身によくないのではないかと…でも何から取り組んだらいいのか…いろいろと考えてしまいます。まずは…休養かな(笑)。
仕事でも介護でも涼しくなるまで何とか無事にやっていけますように
6月の買い物―電気ブランのレーズンサンド、エコバッグ、りんごバターなど
話は遡りますが…6月中旬、『べらぼう』の大河ドラマ館が上野駅構内に
出店していて、そこで電氣ブランのレーズンサンドを買いました。
お酒としての電氣ブランを味わったことはありません。でも
社会人になりたてのころ、たまたま入った飲食店に電氣ブランを満たした
グラスを大きく映した宣伝ポスターがあって「舌にちょっと電気のようにピリッと来る」というのに好奇心をそそられたのを思い出したのです。レーズンサンドも好きですし。
電氣ブランなだけにエレキングにお越しいただきました。怪獣酒場でエレキングの電氣ブラン出してほしい?
あまりピリッとはしませんが、どこかノンアルコールビールを思わせる…でも
美味でした。
ちなみに同僚の一人は『べらぼう』の主人公、蔦屋重三郎は私共の商売の先祖だと言って、東博で開催されていた『蔦屋重三郎―コンテンツビジネスの風雲児』を観に行ったらしいです。確かに書物は売ってます。だから関白とか太政大臣とか中宮に仕える女房とか、征夷大将軍とかその将軍の首を狙った武将とかに比べれば、蔦屋重三郎は私共に近いかもしれません。でも何とも粋でない会社です。横浜流星や染谷将太に似た人は一人も働いてません(笑)。
東京都美術館で岡本太郎展を観た頃に買った冷凍エコバッグがだいぶ傷んできて裏側の銀色のコーティングも擦り切れているのに気づいたので新しく一つ買いました。
前回は岡本太郎展のチケットを見せると少し安くしていただけたのですが、 今回は同じ店なのに観覧した当日でないとだめと言われました。
こういったお得なお話には今後振り回されないようにします((笑)。
6月21日、前々から一つほしいと思っていたサーキュレーターを買いました。
新しい春夏用のスリッパを買いました。100円ショップの品ですが、
やはり猫柄に目が行ってしまいます。
今週末、バターロールを買い、5月の旅行で友人からもらったりんごバターを
頂きました。あまりバターっぽくないけどりんごのおいしい味がします。
以上6月のグルメとショッピングでした(笑)。
幸田露伴『運命』講談社文芸文庫1997『運命・幽情記』より
ドラマ『永楽帝~大明天下の輝き~』について書いた記事が私のブログとしてはたくさんの方にごらん頂いています。
あのドラマを視て主人公に皇帝の座を奪われた建文帝について
何か本がないのかなと探して見つかったのがこの本。
表紙の写真はこちら
https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000168361
5月の信州行にも携えて行き、上田城址公園のトンネル風橋の下のベンチでも休憩がてら少々読みました。

この時、公園内に掲示されていた江戸時代の上田城主仙石氏の家紋は永楽銭。織田信長の旗印も永楽銭です。
ネットで調べた限りでは信長は永楽帝を崇拝していたからではなく、経済優先の考えを示すために当時の流通貨幣だった永楽銭を旗印に
したとのことですが、永楽帝は昔から多くの日本人に名前を知られた皇帝であることは確かでしょう。現在の中国の首都が北京であることも、また北京という名前にも永楽帝との関係が深いようです。
中学生ぐらいから歴史好きではあるものの、特別古文や漢文の読解力があるわけではない私、文語調で書かれたこの小説、読むのは大変でした。序盤では始皇帝とか玄宗とか曲亭馬琴とか時代のちがう人物の名前が出てきてしんどかったです。ドラマで予習?ができていたおかげで読み進めることができました。

ドラマでは永楽帝が主役でいい人風?に描かれ、建文帝は陳奕丞といういくらか菅田将暉に似た俳優が酷薄そうに演じておりました。敗北が迫る南京の宮殿で廷臣たちに逃亡を勧められても「我が明に国を捨て逃げるような天子はおらぬ」というシーン、追いつめられた人の狂気と皇帝の誇りを感じさせました。
閑話休題…『運命』の著者、露伴が心を寄せているのは建文帝の方です。「父に孝にして、又、民に慈なり、帝の性の善良なる、誰かこれを然らずとせんや」と書いています。このような人が帝になったのに位を保てず、廟や陵もないままになったのは「奇なるかな」と。明王朝の太祖で建文帝を後継者に選んだ洪武帝についてもほめています。
「山戦野戦又水戦、幾度と無く畏るべき危険の境を冒して、無産無官又無家、何等の恃むべきを有たぬ孤独の身を振ひ、終に天下を一統し四海に君臨し(中略)智勇を併せて備へ、体験心証、皆富みて深き一大偉人たる此の明の太祖、開天行道(中略)成功高皇帝」と。
これを読んでいると洪武帝朱元璋の生涯についてももっと知りたくなってきて本やドラマを探したくなります。そして日本の歴史,私が学校などで学んだ歴史の中には「無産無官又無家」の立場から朱元璋のように長期安定政権を築いた人がいません。日本の歴史上の人物では豊臣秀吉に似ているけど豊臣政権は2代しか続きませんでしたし。
また洪武帝朱元璋が秀吉とちがう点は子供に恵まれたこと。これも秀吉とは逆にその子供の多さが悲劇を招いた面も。露伴は「建文帝の国を遜らざる(ゆづらざる)を得ざるに至れる最初の因は、太祖の諸子を封ずること過当にして、地を与ふること広く、権を附すること多きに基づく」と書いています。そしてその後に第2子から第25子をどこに封じて王としたかにほとんど一頁を費やしています。よく調べたというか書いたというか。建文帝に権力を集中させるために側近の斉泰、黄子澄らと削藩、つまり叔父たちの地位を奪い、
それに対する反発から起きたのが燕王こと後の永楽帝の謀反から始まる靖難の変。この戦いは桶狭間の戦いとか関ケ原の戦いのようにすぐに決着がつかず、朝廷側が勝利する局面もあり、その攻防の激しさが漢文調の文体で綴られています。簡潔で漢字そののものに語らせるような方法も戦いの物語にはいいかなと感じました。それにしても道衍に張玉に李景隆に斉泰に黄子澄に盛庸に鉄鉉と次々に登場する人物、ドラマを視ておいたおかげで速く読めました。逆にドラマでどういう人なのかなと思っていたのが小説の中で「景隆小字は九江、勲業あらずして大将軍となれる者は何ぞや」という調子で解説されていたおかげでわかった人物もいます。
「史を按じて兵馬の事を記す、筆墨も亦倦みたり」という言葉から戦いの終わりが語られ始めます。燕王の側近道衍が「敵ながら優れた学者だから殺さないように」と進言していた方孝孺の人物と信念を貫いたが故の死や鄭和の海外派遣のお話の後、やっといちばん読みたかった建文帝の後日談。敵が迫る中、自害を決意しますが、臣下の一人が持ってきたのは先帝が「大難に臨まば発くべし」と言っていた箱を持ってきます。そこには応文、応賢、応能という名の記された僧であることを証明する牒と袈裟、僧帽、剃刀などと鬼門から出て神楽観へ行きなさいという書付…つまり僧となって逃げなさいということ。そこで帝は応文、臣下の楊応能は応能、葉希賢は応賢として剃髪、
その他9人の主従は船で逃亡…味方してくれる家を転々としながら雲南へ、自分に仕えていた人々の運命に涙しながらも杭州や重慶、北京から遠い所を放浪しているのは捜索を恐れてのこと?
一方、永楽帝は政権を得たものの、海外勢力との戦いに忙しく「建文の草庵
の夢、永楽の金殿の夢、其のいづれか安くして、いづれか安からざりしや」。永楽帝は老骨に鞭打って阿魯台に親征、そこで亡くなります。つまり日本風に言うと畳の上で死ねなかった?

僧となった建文帝は白竜山に庵を結んで自分の犠牲になった人々を祭ったり、永楽9年には「夏、建文帝浪穹鶴慶山に至り、大喜庵を建つ」翌年、仕えていた応能と応賢が亡くなったので弟子を一人抱え、永楽12年には易数を学び、13年には衡山に遊び…露伴は漢籍に詳しい人だったのでいかにもこういう記録が遺っていてそれを基にして書いているような文章です。南京の宮殿炎上後、帝の遺体が確認されていないところから、建文帝が生存しているという話は伝わっていますが、確たる生存の証拠は見つかっていないようです。衡山、天台山、大別山、漢陽、襄陽など書かれた山や街は実在していますが、建文帝が登ったり、訪れたり、暮らしたりは露伴の創作とのこと。
でも日本でいうところの判官びいきというのでしょうか? 歴史のうねりの中でまだ若く悪人でもなかった人の命が絶たれたことを思うと、どこかで逃げて生きていてほしい、元の地位に戻れなくても幸せになってほしいと願うのは人情で…源義経や安徳天皇、ロシア皇女のアナスタシアのように建文帝についてもこうした物語が創られ、読まれていくのかもしれません。
今回、ブログを書くに当たって読み返してみてはからずも胸に迫ったのは方孝孺の死についてのくだり…ウクライナや中東などの武力行使のニュースを聞いて…ちょっと妙な言い方ですが方孝孺が冥界で嘆いているように思うのです。武力で解決していいのか?と
南夕子のタチアオイ 夏至のバラ ”小田原城菖蒲まつり”
女優の星光子さんが小田原フラワーパークでハナショウブやアジサイを
ごらんになったとのことです
これは6月9日、上野公園のエブリワンズカフェの前に咲くアナベル…純白で
気高く、星光子さんが演じた南夕子のようですね。
ちなみに私はアナベルを白い花のアジサイと思っていましたが、アジサイと
アナベルはちがうのだそうです。
詳しくはこちら
今年は6月9日以降ずっと朝も夕方も上野公園の散策をする余裕がありませんでした。昨年は楽しんだ上野公園の桜並木沿いのベニガクやカシワバアジサイも盛りを過ぎてしまっているだろうなあと思いながら、19日夕方
行ってみました。
この近くの石に腰をおろして眺めるとホッとする噴水。このほとりのベニガクは花はついていますが見ごろは過ぎていました。
カシワバアジサイはピンク色になっていましたが、これも魅力があります。
二番花というのでしょうか、これから咲いていくものも見つかりました。
そして清水観音堂近くの案内板のそばに私が勝手に「南夕子のタチアオイ」と
呼んでいる花が…タチアオイがてっぺんまで咲くと梅雨が明けるといわれていますが、まさに一番上の花、まるで満月のよう?な美しさ。
透き通るような花びらがまさに空に舞う南夕子のドレスのようです。
話は変わりますが…昨日、6月21日は夏至でした。夏至の花に摘むか
買うかした花はドライフラワーにして保存すると夏の間のお守りになると
いいます。今年はスプレーバラを買いました。一本、200円、でも一本だけでこのボリュームです。
夏至の日には大事にされ、長く生きている樹にふれるとパワーが得られるといます。21日午前は通院と父の薬を薬局でもらうために外出し、帰りに神社と花屋に寄るつもりでしたが、忘れて帰宅してしまいました。迷いましたが昼食後3時過ぎに再び神社と花屋へ…白魔術もそろそろ引退した方が
いいかしら(笑)。
でも気のせいか本日22日、若干元気が出てきたような…
この夏を無事に過ごせるように神社で祈願できてよかったのかもしれません。
6月の花 その2ガクアジサイ『シャムロック』『ダンスパーティ』『コンペイトウ』など
東照宮鳥居前のアジサイたちの続きです。『シャムロック』6月2日淡い紫が幻想的
同じシャムロックの6月9日、ガクアジサイは真ん中の両性花が満開になると
終わりが近い気がします。
ただ同じ『シャムロック』でもまだ真ん中がつぼみのものもありました。
その名の通り、踊る娘さんのように可憐な『ダンスパーティ』6月2日の写真です
洋風でハイカラな感じのするアジサイ『テマリテマリ』6月9日の写真です
白い大きめの花の『三宅トキワ』は四季咲きなのだそうです。
アジサイの季節以外にも観察してみようかしら?
同じ並びでかわいらしさでは一番の八丈千鳥。和風の名前ですが、どこかジャスミンを思わせます
今年はあまり写真を撮りやすい位置の花を見つけられなかった
『ダンシングスノー』
この6月はいろいろあってここのアジサイは2回しか見に行けませんでした。











































































