特別展『国宝に見る薬と食べ物』(神奈川県立金沢文庫)
8月23日、耳鼻科の診療とアレルギーの薬を受けとってから見ようかと思っていた神奈川県立金沢文庫の特別展『国宝に見る薬と食べ物』を鑑賞しました。金沢文庫の展覧会を見るのは初めてです。京急に乗るのも久しぶり。
海水浴シーズンだからでしょうか? 乗った車両が新幹線か何かのように
ゴージャス、普通の切符で乗っていいのでしょうか?もっと長く乗りたかった?

展覧会サイト
https://www.pen-kanagawa.ed.jp/kanazawabunko/tenrankai/ichiran/r7/20250718kusuritotabemono.html
金沢文庫駅からバスで称名寺の門前へ、まずはここに参拝。

前から名前を知っていた称名寺へ来られたことを仏様に手を合わせて感謝。
庭園をぐるりと回り、鎌倉時代の隧道を通って金沢文庫へ。
「隧道を通る」というからトンネル風のところをずいぶん歩くのかなと想像していましたが、ごく短い隧道でほっとしました。

午後2時からの学芸員のレクチャーを聴きました。
展示室1階に展示されていたのは「鎌倉の市中にも薬がなくなった」という手紙。当時の鎌倉は人口が多い大都市。そこに薬がなくなったというのは非常事態だったとか…これは下記金沢文庫様Xでも取り上げられています
【薬と食べ物】今週の古文書はこちら!当時大都市だった鎌倉で、薬が不足している状況が記されています。まるでコロナ禍の時のマスク不足を思わせますが、金沢文庫文書には、地方でも医師や薬が不足していることに言及したものもあります。現代にも通じる社会問題に、中世の人も直面していたのですね。 pic.twitter.com/vWIL5Ms27J
— 神奈川県立金沢文庫 (@Kanagawa_bunko) August 29, 2025
その隣に「ここは田舎だから薬が手に入りません」という手紙も。
展覧会ポスターの一番上は目薬の用法を書いています。耳かきのようなものですくって眼のすみに入れなさい…耳かきを使うというところから現在とちがって当時の目薬は液体ではなかったことがこれでわかるとのこと。
同じくポスターの一番下は白檀とか丁香、甘草など私にも読める文字が
あります。「薬種日記」という名ですが、要は薬材の名前と価格のリスト。
麝香が飛びぬけて高価なのだそうです。
他に読みやすい楷書?で書かれていたのが『寿命経御修法一七ヶ日支度事』。寿命を延ばすための法要の護摩に必要な道具や原料が書いてあります。長生きしたくてこれをやってみちゃう人とかいそう。白檀、丁子などと共に
真珠、琥珀という文字も見られます。真珠燃やすのかしら?
薬の原料になる杏の種、杏仁の在庫が全て火事で焼失したと綴る『範義書状』、「この膏薬は貼ったら効き目がなくなるまではげません」という効能書き等など、昔の人の生活感がびんびん感じられるこれらの文書は本来ならば保存する必要を感じないもの…なぜ遺ったかといえば、今でいう「裏紙」として
お坊さんたちが学習帳?として利用したためだそうです
食べ物コーナーでは「少なくて申し訳ないのですが柚子1籠400個、栗1籠300個、蜜柑1籠300個を送りました」にびっくり。栗はともかく柚子や蜜柑が
400も300も一籠に入るのかしら? 大きい籠、そのころの蜜柑は小さかった?
展覧会ポスターの真ん中の文書、金沢貞顕書状は執権の北条貞時が酒宴を開いてばかりで文書の決済が進んでいないのを嘆くもの…貞時は鎌倉幕府最後の執権、高時の父。
太平記などに書かれている酒と遊興におぼれる高時のダメ執権ぶりは
実は貞時がしたことである可能性があるとか。勝った側が滅ぼした相手を「こういうやつだから殺したのだ」と自分たちを正当化するためにそう記録する…
ここでは滅びた北条氏も鎌倉幕府初期は掃討した和田氏などが悪い奴だったように書いているのだそうで。

来る時には気づかなかったのですが、隧道の中には浮世絵の金沢八景の
浮世絵のパネルがありました。
「金沢八景」の元はあの「瀟湘八景」
これは先日根津美術館でみた「漁村夕照図」の日本版?「野島夕照」
暑かったけど頑張って行ってよかったと思います。
松本清張『腹中の敵』―新潮文庫『佐渡流人行 傑作短編集〔四〕』より
1965年初版。2025年現在、出回っているものの表紙はこちら
新潮文庫サイト
https://www.shinchosha.co.jp/book/110905/
我が家にあるのは1976年2月17刷、祖母か父が買ったものと思われます。
この本の表題作は江戸時代が舞台ですが、『腹中の敵』、『秀頼走路』『戦国謀略』『ひとりの武将』と最初の4編は戦国時代から大阪の陣までが舞台。

『腹中の敵』の主人公は丹羽長秀。信長が浅井、朝倉を滅ぼし、怖い信玄が病死した翌年の正月、元旦の宴から始まります。お祝いムードの中、信長がかの有名な『敦盛』を舞うと、髭面の柴田勝家が「浅井が城はちいさい城や」、とりすました顔の明智光秀が「一天四海をうち治めたまえば」とそれぞれに舞い歌い、そこへちょこちょこと出た羽柴藤吉郎が「死のうは一定~」。羽柴は下手なのですが皆は大笑い、盛り上がり…少し所在なさげな気分で笑っていた丹羽長秀にささやいた羽柴へのさげすみをささやいたのは滝川一益…
この本に収録されている『流人騒ぎ』『左の腕』はテレビ東京でドラマ化されていますが、朝倉義景や浅井久政・長政父子の首が肴?のこの宴も戦国オールスターの個性が現れていて映像か舞台にしたら面白いのではないでしょうか。

「へらへら笑っているが雑草のようにしぶとい」藤吉郎に長秀は当初「先輩が後進の者に持つ寛容な好意」を持ち、信長から「藤吉めがその方にあやかって姓の一字を所望しているが」と聞いてもいやな気はしません。しかし低い出自から鉄砲の腕を買われてとりたてられた滝川一益は「その出世の仕方が藤吉郎とやや似たところがある」せいかに明確な敵意がある様子。
そして長秀の「鷹揚な平静」も少しずつ破れていきます。「少しずつ」になってしまうのは長秀が織田家とは同格の家柄に生まれ、信長に仕えたのも十五歳からと自らに誇りがあり、「一益づれといっしょになってはならぬ」という意識があるからです。

本能寺の変が起こり、近在の大名だけで明智を討とうか、それとも秀吉の備中からの引き返しを待つか?二つの考えが長秀の心に去来した時、共にいた織田信孝から「勝家が越中から戻るのを待っては?」と言われ、勝家のことをまるきり忘れ、秀吉のことしか考えなかった自分にあきれる長秀。そしていわゆる清州会議では信長の後継者を孫の三法師丸を推す秀吉に賛成意見を言ってしまい、すぐに後悔します。「卑怯でもよい、陋劣でもよい
なぜ秀吉に反対しなかったのだ」と。そして勝家、一益らが秀吉を捕えて切腹を迫る計画を知ると秀吉に知らせて逃がすのです。秀吉が伸びるのは嫌でも殺すほど憎んでいないから、「丹羽五郎左衛門ほどの者が秀吉づれを畏れ、見殺したとあっては意地がたたぬ」と。でもこの行いの後、自分の人の良さが呪わしくなったのでした。
天下人となった秀吉から越前国など所領を与えられると立場が逆転したことを痛感する長秀。そして天正十三年、北ノ庄に暮らす長秀を訪ねてきたみすぼらしい旅僧…それはかつての滝川一益…秀吉への反感をそのまま行動に出した結果没落したのですが、一益の方が自分より立派なのではないかと感じてしまう長秀。

現代でいう癌と思われる病に伏した長秀は病床で切腹、自ら腹の中から取り出した一物…癌?を秀吉になぞらえて切り刻むのでした。
秀吉が出世していくことを見抜く賢さと倫理に反することが出来ない善良さを持つゆえに思いのままに行動できない…でもそれを受け入れて悟りきることもできない…長秀の苦悩は現代人にもありそうです。長秀は一益より劣っているわけではなく、むしろ多くの人が長秀のような苦悩、割り切れなさを引き受けることが、穏やかな世の中にしていくためには必要なのではないか、そんな気がしてきます。
長秀の心理の変化をたどることで歴史の変化も描いていく清張の筆力を感じる短編です。
ちなみにブログ中の写真は丹羽長秀とは関係なく、石垣と石段は
小諸城址のものです(念のため)。
非常麻将(フェイチャン・マージャン)三人之会第三回公演/マグカルシアター参加公演 【横浜公演】
公演サイト
https://www.confetti-web.com/events/9149?fbclid=IwY2xjawMOScNleHRuA2FlbQIxMABicmlkETFJSEpodzZuY2pXTDNGemt5AR6LhnFSkqb4ZM5k4gYZeDmx7UyJnEWeNf_7t2z9k3_50ZEoDBZ4V2lG4hT_nw_aem_vFnBj3gFZ837k96mwR-Rpg

中国の現代演劇を生で観るのは初めての経験。
いわゆる劇場ではない交流スペースに設けられた三面舞台。とにかく眼が悪いので最前列の席で鑑賞いたしました。

登場人物は老大(ローダ)、老二(ローアー)、老三(ローサン)、老四(ロース―)の男4人。開演前に演出の奥田氏によるこの戯曲の時代背景、文化大革命による都市の青年の農村下放、今は使われないポケットベルなど理解に必要と思われる説明があり、その終わりに老二が登場し、舞台のすみに座ります。終演後のトークによれば、本来この戯曲は三人芝居で老二は登場しないとのこと。でも老二はこの場を支配しているとも言えるのです。

彼ら4人は義兄弟で今までおそらくいろいろなことをわかちあい、麻雀の集いも繰り返してきたようですが、この夜が麻雀の最後のゲーム。翌日からはそれぞれ新しい方向へ行かざるを得ないようです。

登場人物の名についている数字は年齢順。最初に立ってしゃべっているのは
一番若い老四。老二が来ないことにいらついてポケットベルに連絡したり…つまり電話を使うこの場面では背景の左隅に下げた毛筆で「电话」と書かれた布のところへ老四が行き、そこに照明があたります。時間つぶしにテレビを視るよう勧められると老四はその隣の「电视」と書いた布のところに行き、テレビ画面らしきまぶしい照明がつき、音楽などが流れます。小道具?を言葉で表現する斬新な演出ですね。

テレビも楽しめず、すぐ消してしまう老四。一番年長で麻雀も師匠格らしい老大は老四を落ち着きがなさすぎる、だから麻雀が上達しないのだとたしなめます。約束通りの時間に来ない誰かを待っている時の心地悪い気分…彼らが今までと同じでいられるのはこれが最後だというのに連絡もよこさず現れない老二へのいら立ち、明日からは新しい道を行かなければならない、でもそれには最後のゲームをしないと進めない…新しい道を行く不安、否定的な思いが来ない老二のせいにする彼ら…

舞台になっている部屋は20階建ての19階、防音が悪く、エレベーターが動く度に聞こえる大きな音。それが聞こえる度に今度こそ老二が来たのかも?と色めき立つ彼ら…ある時間になるとエレベーターも停止するので、そうなると老二は長い階段を昇らなければならないことになります。人物たちがそれぞれの思いを語る中、別の部屋の住人が水洗トイレを使う音が現実に引き戻します。

「俺たちの世代は学問がない」というセリフ…上演前の説明にもありましたが、登場人物たちは青少年期に文化大革命の影響を受け、その後の「改革開放」の世相にも乗り切れず、取り残されている…原文では自分たちを魏晋時代に隠遁した文化人「竹林七賢」に例えて「竹林四閑」と言っているとのこと。でもその竹林?の暮らしも終わろうとしています。
この戯曲は2000年初演…そういえばそのころ、つまり世紀の変わりめには日本でも何かが否応なく終わり、否応なく新しい何かの中に放り込まれる、そんなことがあったように思います。私個人にしても事務中心から接客の仕事に変わり、そのせいで…精神を病み、しばらく生きた心地もしなかった…そういえば私にも老四にとっての老大のような人がいたけどその関係が変わったのもこのころ…

閑話休題…このメンバーでの最後の麻雀が終わったらこの街を出るという老大…麻雀と易経を極めたいという老三…
老二は老大には昔行かされた農村へ戻って「地主」になるように、老四には解放軍に入るのがいいと言ったと…。ありがたいアドバイスのようで、自分以外の人間に自分の進路についてコメントされるつらさ…それによって変化する関係…
老二が来たら始まる最後の麻雀、それによって進める新しい世界…老二が来るのを待ちわびているようで、でも彼らは老二が来ないのもわかっている…なぜなら老二は既にこの世にいないから…しかし…ドアをたたく音が…
でも応対に出ても誰もいない…空耳かと思うとさらに大きな音で…
扉をたたく音がして、でも出てみると誰もいない…これも変わってゆく世界の中でいろいろと言われることをしてみたり、言われるところへ行ってみたりしても問題が解決しない社会のたとえ?
政治体制のちがいもあって日本人にはわかりにくい面も含めて、この戯曲が上演されたことはすばらしいことだと思います。中国に限らず、日本以外の国を理解し、幸せな交流をしていくために演劇や音楽を鑑賞することは
大きなヒントになりますから。
根津美術館『唐絵―中国絵画と日本中世の水墨画』及びやさい家めいのランチ
7月31日、勤めは夏季休暇を取り、友人と根津美術館の
『唐絵―中国絵画と日本中世の水墨画』を鑑賞いたしました。
根津美術館サイト
友人は地方から新幹線で来るので入館予約は午後3時からとし、表参道ヒルズの『やさい家めい』で待ち合わせてランチ。
表参道ヒルズに行く前に地下鉄明治神宮前駅で野見山暁治の絵を原作とするステンドグラス『いつかは会える』の前を通りかかりました。ちょうどテレビで
野見山氏のアトリエについての番組を視たばかりだったのです。この画家の本を読みたいと思っているのですが、まだ読めてません。「いつかは読める」でしょうか。

大きな作品なので写真を撮ろうと立ち止まっているのも通行のじゃま?

右側にあるのは翼を広げて飛ぶ鳥?

『やさい家めい』では二人とも「枯淡な趣き」という名のランチセットをいただきました。
縦に薄切りしたきゅうりでぐるりと囲んだ前菜

稲庭うどんに添えた天ぷらのおいしかったこと!

彩り鮮やかなてまり寿司の下にある白い紙のように見えるのは薄切りした
大根でした。
表参道ヒルズから根津美術館へは表参道駅をほぼ縦断することになり
十数分歩かなくてはなりません。途中、表参道駅構内にあるATMを
利用できてラッキー?

ちなみに「唐絵」というのは日本独自の絵画である「やまと絵」と対になる言葉なのだそうです。詳しくは下記の動画へ
https://www.youtube.com/watch?v=z1jOdCOIUgE&ab_channel=%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%B1%95%E3%83%8A%E3%83%93
この展覧会でまず見たかったのは看板やチラシにもなっている牧谿筆『漁村夕照図(ぎょそんせきしょうず)』。歴史番組で足利義満が牧谿の『瀟湘八景図』絵巻を切断して掛け軸とし織田信長などさまざまな人物に渡ったお話を知ってから見たいと思っていました。

驚いたのは絵の小ささ…もともと絵巻ものだったのを切断して
掛け軸にしたので縦は33センチほどしかありません。この小さな画面に山々や樹々、家や湖を行く船などが繊細に描き込まれています。修復されたばかりのせいでしょうか。絵の中から風が吹いて雲がわいてきそうでした。

日本の水墨画に影響を与え、著名な人物が作品を入手したがったという牧谿…中国ではやや粗放な作風とされ、さほど高く評価されていないとのこと。
もともと中国絵画も日本絵画も知識があるわけではない私のあくまで感想?ですが牧谿の描き方はきっちりかっちりって感じではなくてささっと描いた?ようにも見えるのに本当に雲や風や舟が動きそうに仕上がっているところが日本人好み?でこんな風に描けるようになってみたいという気分にさせるのかしら?
日本でも観光地として知られる西湖のほとりにあった六通寺の僧だった
牧谿…ここからは私の想像というか創作?というか…牧谿は富や権力はないけれど穏やかで幸せを実感することの多い人生を生きた人でそれが絵に現れているのではないかしら? それが将軍や天下人となっても誰かに裏切られそうな気がしてどこか幸せでない人を慰めてくれるのではないかしら?
同じコーナーに江戸時代の狩野則信による『漁村夕照図』の模写も展示されていました。かなり熱心に模写しているけれどやはり感じがちがうのです。
1F展示室では他に明時代、馬遠印の『樹下人物図』が良くて2度見しました。

2階展示室へ…この賢江祥啓の人馬図…以前これと似た絵をここで見たような…

2023年の『北宋書画精華』で見た李公麟の『五馬図巻』…こういうところからも学んでいるのでしょうね。

2階展示室では芸阿弥の『観瀑図』でこんな風な滝の裏側に建物があったら
この季節涼しいだろうなと感じました。上記の動画でも紹介されていますが、
画像はこちら
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213543
ちなみに唐絵と言う言葉も芸阿弥、賢江祥啓という名も小田原に水墨画が
盛んな時代があったこともここで初めて知りました。
一緒に行った友人が注目していたのは「八角尾垂釜」、八角形でそれぞれに
『瀟湘八景図』が刻まれているのです。『瀟湘八景図』は8つのテーマの名前をきいただけで興味をそそられるので8つをまとめた本があれば読んでみたいものです。
他に南宋時代の馬麟筆『夕陽山水図』賢江祥啓の『山水図』のポストカードを
買いました。


見たかったものを見ることができると大げさにいうと人生の節目を越えた気分になります。私もバテた時は『漁村夕照図』のポストカードを見てリフレッシュして少しでも前進する力を得たいと思います。
牧谿作と言われる『瀟湘八景図』で現存している『煙寺晩鐘』や『平沙落雁』なども見られる日が来ますように。
展示を見た後、庭園に出てみましたが、暑かったのであまり歩かず、
ベンチに座っておしゃべり…花はつぼみ状態だったけどハスの鉢があ
あったから写真を撮ればよかったかしら?
庭園のカフェは既に閉店していたので、美術館を出てすぐのところに
あるイタリア風カフェでお茶もしました。京都在住の友人との本当に
貴重で楽しい時間でした。
7月25日のハス、信州からのフルーツ、父の散髪、炊飯器のやけど
7月25日の不忍池のハスです
このころになると花も多いですね。
選挙の翌日の海の日、家にあった散髪用のハサミで父の髪を切りました。
なかなか床屋へ行けないので『鉄腕アトム』のお茶の水博士みたいに
なっていたのです。
涼しくなったらまた理髪店に連れて行こうかとも思いますが、
デイサービスに行く気はないらしいからこれからもホームカット?で
いいかなという気もします。
前回ブログに書いた『落合皎児回顧展』を見に行った日の朝、炊飯中のジャーの排気口から出てきた熱い蒸気をうっかり左手首にあててしまいました。少しひりひりしたけれど見たところあまり皮膚に変化がなかったのでチャチャッと水道水で冷やしてありあわせの軟膏を塗り、そのまま出かけました。
ところがその夜、「なんか痛いなあ」と思って左手首を見たら…なんと縦5センチ、横2センチほどもある水ぶくれになっていました! 自分でも腕をひねらないと見えないところだからそのままで展覧会を見て上野をぶらついて
いたなんて…
やけどの直後、もっとしっかり冷やすべきだったのですね。それからすぐに
軟膏を塗ったのもかえってよくなかったのかもしれません。一週間ほどで
水ぶくれはしぼみ、8月9日現在患部の下半分は新しい薄い皮膚が
再生してきていますが、上半分はまだジュクジュクしています。何か触れない限り痛くはないけど、なぜかかゆいです。これが正しい手当なのかわからないのですが、額に貼るタイプの冷却シートを半分に切って患部を覆い、包帯用のテープで止めています。
炊飯器の説明書に使用中に出る蒸気に注意と書いてあるのは
知っておりましたが…もしも顔などにあててしまったらもっと大変なことになる
ところでしたね。
しかし5月末に転倒して膝、そしてこんどは手首にやけど…
信心深い人に話せばお祓いしてもらいなさいって言われそうですね
7月末、信州の友人からフルーツが送られてきました。
奥にあるのが桃とネクタリンの交配でできた小型の桃ワッサー、その手前がネクタリン(サマークリスタル)。右にならんでいるのがプルーン、奥の小さめがサンクス、手前の大きいのがトレジディという品種。
ワッサーは普通の桃より小さくてかたく、日持ちがよくて丸かじりで食べやすいのが特徴だとか。
7月26日以降、不忍池には行けていません。この夏は今一つ、
納得のいくハスの写真が撮れていない気がします。
芥川龍之介が『蜘蛛の糸』で書いているハスの花の真ん中にある
「金色の蕊」がきれいに見えている状態の花に出会えないのです。
この写真に「金色の蕊」は映っていますが、散りかけで断面図みたい。
8月にも一回ぐらい、出勤前に不忍池に行ければと思っています。
上野の森美術館『落合皎児 回顧展 LIFE AFTER LIFE』…郷里近くにこんなスゴイ画家が
7月26日午後、上野の森美術館で『落合皎児 回顧展 LIFE AFTER LIFE』
を鑑賞いたしました。
たまたまテレビをつけた時に放送中だったこの画家についての番組を視て、自分の郷里近くの松代に国際的に認められた芸術家が
いたことに驚きました。ぜひ作品をじっくり見たかったのです。
展覧会サイト
https://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=12468387
この絵を見てついつい信州出身の画家だから蚕の繭が3つなのかなあなんて思ってしまいましたが題は『chair』(1981、アクアチント)。

この『water mirror1985』を見て私は崖の上に樹が生えているように見えるのですが、同行した友人は私が樹だと思うものを大きくて不気味な鳥に見えるといいます。こんな風に同じ絵を見て感じるものがちがい、そのちがいを語りあえるのが抽象芸術の面白さ。

友人はこの絵にくぎ付けになり、光っている線の部分をどうやって描いたのか
画家の子息の落合陽介ギフレ氏に質問していました。ボンドに光る素材?金属粉?を混ぜているそうです。こういうところは写真でわかりにくいのですが光る線は周囲から盛り上がっていて微妙に立体的?なのです。(申し訳ありません。題名をメモし忘れました)

スペイン王立アカデミー「スペインの現代作家150人」の選定作品
『water mirror1985』
スペインで画家としての地位を確立しつつあった落合ですが、妻の希望で帰国…晩年は松代在住…こんなピカソやゴッホ並みの人が私が子供の頃、遠足に行った土地に住んでいたなんて…スペイン時代の友人である芸術家たちも落合を訪ねてやってきたとのことですが…ご子息の話では全く地元に還元せず飲んでいたとか…
友人は落合の作風にどこか長谷川等伯に似たものを感じると言っていました。等伯の息子久蔵が早世したように落合もギフレ氏の弟である次男に先立たれています。同じ悲しみを味わったからかしら。
これは私が家にあってもいいと思う作品。色彩がメルヘン風…灰色(いやなこと)、ピンク(いいこと)が入り混じる人生?…これも申し訳ありません。題名メモし忘れました。
いくばくかの募金をしてクリアファイルと絵葉書を頂いて会場を出た直後、
友人は「ここ、きれいだわ」と言って道路の写真を撮り始めました。

上野の森美術館前の道路はかなり前に理由は不明ですが空色に塗られたのがすれて薄れているところに午後の日光が当たっているのがまるで
今見てきた落合の作品のようだと言うのです。落合もそういう美に目をとめる
人だったのかもしれません。
上野駅を突っ切り、ホテルサンルート上野にあるカジュアルフレンチのLA COCORICOに入ったのはランチ終了ギリギリの3時前。前々から入ってみたかった店なのですが、一人では入りにくく、同僚は中華や焼き肉が似合う人ばかり…初めて味わえてラッキー。
Cafe&Rottisserie LA COCORICO 上野本店
https://www.la-cocorico.jp/ueno
前菜

友人がビールを飲みたいというので、上野駅周辺を少しさまよった後、アトレのワイアードカフェに入りました。少し奥まった場所にある店ですが、
落ち着いて話ができました。
というわけで眼でも舌でもリフレッシュできた一日…暑かったけど。
異形(イケイ)の街に星が降る 孤独の発明 – 4人のダンサーによる即興の場
7月19日、東京キャラクターストリートへ行った後、中央線で中野へ向かい、
テルプシコールで舞踏公演『異形(イケイ)の街に星が降る 孤独の発明 – 4人のダンサーによる即興の場』を鑑賞いたしました。
公演、出演者についてはこちら
https://heart-to-art.net/improart/blogtitle2025-024-ikei-machi/
舞踏がスタートした時から出演者の衣装に見入ってしまいました。藤井マリが黒づくめのフード付き、古茂田梨乃が白いシャツに高校生の体育着のような赤いショートパンツ、森政也は頭に黒い服に頭に大きなショールのような黒とグレーの布をかぶってすっぽり顔が隠れた状態で動いていました。布がとれずに、また何も見えない状態での身体表現は
難しいでしょうね。ショーの半ばで布を取って顔を出した時のインパクトも大きいものでした。
そして杉田丈作は白いドレス風の服で頭に白い布…その様子を見て
私はこの杉田氏のような人を絵画で見たことがある…どこで見たのだろうと考えていました。ルネサンス…かどうかはわからないけどヨーロッパの絵画…白い布で頭を包んだ年老いた女性…たぶん洗礼者ヨハネの母のエリザベトの絵だったんじゃないか…ともあれ、杉田氏の表現には大作の絵画のような力がありました。
私の記憶にある聖エリザベトの絵がどの国のどの時代の誰が書いたものか思い出せないのですが、下記のサイトのものがイメージに近いです。
『聖エリサベトと幼児の洗礼者ヨハネを伴うキリストの降誕』(コレッジョ)
途中、ステージ右奥に月?のようなライトが光り、出演者がそれぞれの動きでそこへ
近づき、仰ぐ様子はまるで希望を求めているようでした。そう希望だけは持たなきゃ、
笑われても馬鹿にされても絶望なんかしない…この舞踏を観てそんな気持ちになりました。
私が観たのは15時開始の回です。18時開始の回と通しのチケットも用意されていたのですが、
父が私の帰りがおそいのがどうも心細いようなので、残念ながら昼の部だけで帰りました。
今年のハス…7月の記録…父の抜歯、ぼけ?
既に本レビューなどにも少々アップしましたが、
今年は6月26日、初めて不忍池にハスを見に行きました。
どうも6月中旬ぐらいからぽつぽつ咲き始めているようです。
この日は早朝に雨が降り、おしべがぬれてへたっとなっていて
見栄えがしません。
こんなふうに雨宿り?して咲いているのも
次に行ったのは7月9日…
咲きかけの濃いピンクもきれいです
7月中旬、私は割り当ての夏季休暇を取り、家に歯科医に来てもらって
父の痛む歯を抜いてもらいました。2021年の脳梗塞発症以来、血液の
流れをよくする薬を服用しているので、ちょっと心配でしたが、
出血が多いということもなく、無事に済みました。
しかしその翌朝のこと…。
平日の朝、私は朝食の後、父の昼ごはんを用意します。ごはんの入ったお茶碗と皿の上に2時間ほどで自然解凍する冷凍のメンチカツや空揚げ、野菜類を載せてほこり除けに蓋をして食卓に置いておくのです。
その日も朝食の食器を片付けた後のテーブルに父のコーヒーを出し、上記の昼食を置きました。そして流しで朝食の茶碗や皿を洗いながらふと見ると…
父がコーヒーを飲みながら、昼食用のおかずをむしゃむしゃと食べているではありませんか!
「お父さん、それお昼用なんだけど」と私に声をかけた時、父は既にお昼用だった空揚げを平らげてしまっておりました!
父:これは昼用か?
私:そうよ、朝はさっき食べたでしょ。
父に朝のコーヒーを出す時、ちょっとしたお菓子や果物も添えることがあって、どうもそれと「まちがえた」らしいのです。
よく食事に食べたものを忘れてしまうのは特に病気ではないが、食事をしたことを忘れてしまうのは何等かの病気かも…といいます。
前日、午前にも訪問医療の先生が来て、午後は歯科医と父にしてはたくさんの人に会ったので疲れてしまっていたのかもしれません。

まあ…朝食を食べた直後に空揚げをパクリですから、
食欲だけは大丈夫でしょうかね?




















































