てんかん&発達障害の息子くんのこと④ | あなたの知らない能力が目を覚ます!東京

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おはようございます!

 

えりコーチです。

今日で11月も終わりですね!

 

月末は銀行まわりに明け暮れます笑い泣き

今月は法人の消費税の支払月ですもんね。

 

消費税の引き上げが恐ろしいわ。。。

 

さてさて。

前回のつづきから。

 

パクチーと希望の命水で麻痺がなおった息子くん。

 

それでも、発作は日によって出たり出なかったりと、ムラがあり。

 

吉祥寺まで、2週間に1回通うことに。

 

てんかんには、ごしんじょう療法といって、

 

金の棒で身体をこすって、邪気を抜くというような

 

ウソのような本当のような・・・。

 

でも、不思議と悪いところをこすると、激痛らしく、

 

身体をこすっても、なんとも感じないのに

 

左側頭部(てんかん波がでている部分)に金の棒がふれると

 

すごく嫌がりました。

 

その頃、わたしは4番目を妊娠中。

 

吉祥寺に電車で通うことも、けっこう大変で、

 

千葉の実家の母に手伝ってもらい、2人で吉祥寺に連れていっていました。

 

発作のほうは、一進一退というような状況でした。

 

麻痺が治ったのだからすぐに治るだろうと、

 

期待が大きかっただけに、なかなか治らないことに

 

不安と焦りがありました。

 

そして、そんなときにずっと闘病していた

 

主人のお父さんである義父が亡くなってしまいました。

 

お義父さんには、本当によくしていただいたので

 

悲しく、大きな存在がなくなった空虚感でいっぱいでした。

 

 

そしてお義父さんの会社を主人が継ぐことになり、主人も主人で

 

大変な時期で、私の中で一人で頑張らないと!という気持ちが強かったなあ

 

と、今になって思います。

 

その当時は毎日を過ごしていくことだけで精いっぱいでした。

 

子どもたちは7歳、4歳、2歳になろうという時でした。

 

お義父さんがなくなり、お義母さんが一人になってしまったこともあり、

 

家を建て直して、同居することになりました。

 

その話と同時に、実家の両親が姉の嫁ぎ先である岐阜県に

 

引っ越すことになりました。

 

長女である私の姉が、将来の老後を見据えて

 

まだまだ元気なうちに引っ越せば、岐阜県での生活も

 

新しい人間関係も作りやすいだろうと配慮して、両親のための家を

 

用意してくれたのです。

 

とても有難いことでしたが、長男の病院通いや上の子の面倒や

 

これから産まれてくる4番目のことを考えると、両親が遠くにいってしまう

 

ことは、受け入れがたいことでした。

 

そんな状況だったので、母に吉祥寺に一緒に行ってもらうことも

 

はばかられ、臨月を迎えようとしていたので、吉祥寺に通うことを

 

断念し、東京で、同じような鍼灸院がないか、ネットで調べはじめました。

 

そこで、目についたのが

 

銀座にある

 

中国鍼

 

吉祥寺よりかは近いし、てんかんが治ったという症例が

 

たくさんのっていたので、通ってみることにしました。

 

中国鍼のお話は、次回にニコニコ

 

(・・・・・・・・・・」つづく)

 

お読みくださりありがとうございましたキラキラ

 

 

1【でも、そんな中でも絶対わたしは諦めなかった】
2【右半身麻痺が治ったのは・・・】
3【もう、本当にあの時のショックといったら。。。】
4【私の中で一人で頑張らないと!という気持ちが強かったなぁ】
5【自費診療だったので家計を圧迫】
6【そしてスピリチュアル鑑定士の方にお会いしました】
7【病院の薬と、漢方とで葛藤】
8【ついに禁断の領域に!!離婚の危機】
9【だれでも癒す力がある】
10【病気はわたしがつくっていた!?】
11【わたしはどんな価値観をもっているのか?】
12【人生の転換期というのがあるとしたら一回目の転換期が】
13【わたしのエゴなんじゃあないだろうか?といつも不安だった】
14【支援級か普通級にするか?】
15【もう、一緒に死んじゃったほうが良いのか・・・】
16【レノックス・ガストー症候群と診断されて。もう諦める?】
17【ようやく一筋の希望に】

まだまだ続きます。