またもや悪化の一途~てんかん&発達障害の息子くんのこと~ | あなたの知らない能力が目を覚ます!東京

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こんにちは!

 

えりコーチです!

 

さて、前回のつづきです!(今から3年前のお話です)

 

小学校入学した途端に発作が増えて、

 

あれよあれよと悪化してしまった息子くん。

 

本当に「坂道を転げ落ちる」ように。。。。

 

またもや出来ることが出来なくなっていく。

 

お箸を使って食べていたのに、使えなくなり、手づかみで。

 

言葉もだんだん話せなくなり、本人も伝わらないイライラがあり、

 

気に入らないと、物を投げる。叩く。

 

トイレも失敗することが多くなる。

 

体幹がなくなり、座ることが出来ずに、ずり落ちてしまう。

 

足の力もなくなり、フラフラで、支えが必要になる。

 

急に悪化したことで、わたしも家族も気持ちが付いていかなかった

 

ように思います。

 

なので、小学校の校長先生から

 

「普通学校ではなく、特別支援学校のほうが良いのでは?」

 

と打診されたことは、当然のことだと思います。

 

校長先生、担任の先生、養護教員、そして私たち夫婦で

 

面談をしました。

 

でも、わたしたちはまだ諦めていませんでした。

 

主人もその気持ちは同じでした。

 

校長先生に

 

「今まで何度も、出来ない、不可能から、可能にしてきたんです。

 

幼稚園のときは出来たんです。今は一人で上履きもはけなくなってしまった。

 

でも、学校入るまでは出来ていたんです。一人で身支度していました。

 

だから、猶予をください。絶対に元気になります。

 

普通級が難しいなら、支援級に居させてください。」

 

と。

 

そして、普通級ではなく、同じ学校の中にある支援級に

 

編入することにしました。

 

 

またもや、さまざまな治療法を探す日々になりました。

 

そこで、新経絡治療法と出会い、

 

広島と京都に通うことになりました。

 

たしかに新経絡治療の効果は感じました。

 

ただ、通い続けなければいけないことが

 

一番のネックでした。

 

広島のクリニックには、同じようなお子さんがたくさんいらして

 

この治療に効果を感じて、広島に引っ越してきたという方も

 

いらっしゃいました。

 

でも、わたしの子どもは息子くんだけではない。

 

長女も次女も、二男もいます。

 

通いたいのは山々でしたが、断念せざるを得ない状況でした。

 

家庭の中は重苦しい空気でいっぱいで、家族から笑顔が消えていました。

 

夜、息子くんの首に手をかけて、何度一緒に死のうかと。

 

手をかけては、隣に眠る末っ子の顔を見て、我に返る。

 

息子くんだけだったら、過ちを犯してしまっていたかもしれません。

 

娘たちと末っ子の二男くんがいたからこそ、踏ん張れた。

 

そんな極限の精神状態のときに、長女が私に問いかけました

 

「ねえ、ママ。こんな状態いつまで続くの?

 

いつになったら治るの??」

 

その言葉で、私だけでなく、子どもたち全員が

 

もう限界なんだと。気づいたのです。

 

そして、わたしの中からフツフツと湧き上がってきた感情が

 

もう、嫌だ!

 

もう、こんな生活嫌だ!

 

治療費でお金も底をつき、でも治らない!

 

家族から笑顔が消えていく。

 

もう、限界!

 

こんな世界にはいたくない!

 

そして、わたしは堂々と長女にいいました

 

「12月に治るよ」

 

そのときが8月ぐらいだったと思います。

 

あと4か月足らずで、どう治るのか?

 

まったく根拠もない。

 

あてもない。

 

でも、わたしは決めたんです

 

治るって。