今回は、H28年11月中のライブシアター栗橋のロック大会の模様を話します。

 

 

 11月20日(日)に栗橋に行く。田んぼの中を吹き抜けてくる風はもう冬の冷たさ。朝早く場所取りで並んでいると辛い。11月頭にも栗橋に来たが、あの時の秋晴れとは一変した。

今週の香盤は次の通り。①木村彩、②安田志穂、③白砂ゆの、④柏木由紀奈、⑤高崎美佳〔敬称略〕。全員ロック。

 

 今週は久しぶりにロックのお姐さんとの再会を楽しみにしてやってきた。

 楽日の日曜日なので朝早くからロック客が並んでいた。最近はロックの劇場に行っていないので殆ど顔見知りはいない。朝早くから仲間内で楽しく屯していたのは安田隊とのこと。デビューからずっと仲良くさせてもらっている安田志穂さんもいつの間にかこんなに沢山のファンに囲まれる人気者になったことを目の当たりにして私も嬉しくなった。

おっ、たった一人、顔見知りがいた。白砂ゆのファンのTさんがいたので嬉しかった。彼とは大阪東洋に遠征しているときに二人で呑んだ仲。一緒に近くのスーパー・ベイシアに買い物に行き、一緒に昼食を食べた。ストリップというのも、当然に踊り子さん目当てなのだが、同じ踊り子さんを追いかけてくるうちに仲間に会うのが楽しみのひとつになる。一緒に応援し、帰りに一緒に呑むのがいい。

 

 トップの木村彩さんとは約2年ぶり。「お久しぶりです。お元気そうで何よりです。仙台ロックはなくなって本当に悲しいです。劇場が年々なくなっていきまます。」2年前の仙台ロックで初出しの「Winter White」を季節柄として今回も出していた。懐かしい人が懐かしい作品を演じてますます懐旧の念にかられる。ロックでは顔なじみの踊り子さんがどんどん辞めていっている。年齢の問題もあるだろうが、今や仙台ロックを始め劇場数が減って働く場が少なくなり、更に四年後の2020年東京オリンピックを考えるとこの先が不安だということだろう。そうした中で頑張っている彩さんは貴重な一人。「後数年頑張ります。」数年と云わず、もっともっと頑張ってほしいな。

 2番手の安田志穂さんとはなんと2年半ぶり。「お会いできて嬉しいです。お元気そうでなによりです。今年も後一ヶ月少し、早いですね。」今回も三個だし。最初に、浮浪者がカメラマンだったという作品には驚いた。相変わらずバリエーションの多いユニークな作品に感激。

 トリの高崎美佳さんとは9月中に大阪東洋で初めてお会いして二ヶ月ぶり。しっかり私のことを覚えてくれていて嬉しかった。今回は二個出しで、東洋で拝見したデビュー作『夢のあと』の他に、すてきな新作を披露してくれた。「新作はお世話になっていた劇作家さんに作って頂きました。『なぐさめのオフェーリア』がタイトルです。」

 

 今週は、なんと言っても、柏木由紀奈さんに会いたかった。「12月30日引退まで1ヶ月と10日です。」そう、彼女は今年いっぱいで引退。新宿ニューアートで最後を迎える。

 11月頭の大阪東洋で、関西ラスト公演があったが、私は行けなかった。東洋常連には‘ゆきなん人気’が凄い。私のスト仲間にも熱狂的な方が多い。私としても、是非ともここ栗橋で一目お会いしたかった。

 今週も圧巻の三個だし。ゆきなんワールドに酔いしれた。

 最初の着物の出し物に度肝を抜かれる。演目名は「ゆきなん、おいらんになれるのか?!6」。この「ゆきなん、おいらんになれるのか?!」シリーズは彼女の代表作であり、今回で六作目であり、そしてこれが引退作になる。

 華やかな花魁の着物姿で登場。赤い着物で、煌びやかな帯の結びを前面にしている。踊りの最後に「ゆきおい6 ‘旅立ち’」と書いた布を掲げる。拍手喝采。

 赤い上着を脱ぐと、紫の着物になる。ひらひらした布が付いた大きな扇子を両手にもって舞い踊る。最初に、赤・紫・青のひらひらした布、そして次に赤と黒が入り交じった炎のような模様の布で激しく燃え上がるように踊る。

 一転、イルカの「なごり雪」のインストルメントが流れ、しんみりした中で赤い襦袢姿になり、ベッドショーへ。

 ゆきなんのステージの魅力は、ユニークなステージ構成、スタイルのいい身体でのシャープな動きであるが、ヌードの美しさも天下一品である。改めて感じるのが、ヌードの美しさは色白に叶わない。ゆきなんは透き通るように肌が白く、そのためか乳首や性器がピンク色でたまらなく美しい。まさしくストリップファン涎垂もの。引退されると聞いて、私としてはこの美しいヌードが観れなくなると思うと悲しくて泣けてくる。

 

 余談になるが、この日、仙台ロック常連の若い方にお会いした。仙台ではよく顔を見ていたが話したことがなかったのだが、ここ栗橋で私を見つけて話しかけてくれた。

 仙台常連の方々は仙台ロックがなくなって、遠征を余儀なくされている。彼もこの3日間で川崎ロック→DX歌舞伎→ライブシアター栗橋と廻ったらしい。DX歌舞伎はパンツ興行で驚いた様子。

 彼から仙台ロックの話をいろいろ聞く。仙台ロックは以前から赤字経営というのは知っていた。過去に何度か閉館の憂き目に遭いそうになるも、ファンの嘆願書などでどうにか継続していた。しかし、今では光熱費だけでも賄えないほどの大赤字になっていて、ロック全体の経営を揺るがしかねない存在になっていた模様。ロックの経営幹部がもう我慢できないと、閉館一週間前に突然仙台に来て、閉館宣言をしていったらしい。田島社長も事前に話を聞いておらず驚いたらしい。

 彼から話を聞いた中で驚いたのが、突然解雇された田島社長と従業員の川田さん、ブッチャーの三人には社会保険制度が適用されないこと。天下のロックでも社会保険制度がないのか。だから失業保険もなければ年金ももらえない。田島社長には三人の子供がいて、長男と長女は就職していて、よく劇場に顔を出していた末の娘さんはまだ高校生。これからは長男と長女に養ってもらうことになろう。川田さんは山形の方に出稼ぎに行っているらしい。晩婚で子供がいる川田さんは生活に大変だろう。ブッチャーは丁度60歳になり実家に戻る。足が悪くかったので現在治療中らしいが、しかし、その後の生活保障はない。

残された人たちの悲惨な状況は私としても他人事ではなく身につまされる。先のお三人や仙台常連さんのことを考えれば私はまだ恵まれていると思わざるをえない。

 ストリップファンとして、劇場関係者や踊り子さん、そしてストリップを愛するファン達が泣かされる今の状況がたまらなく嘆かわしい。

 

 

平成28年11月                        ライブシアター栗橋にて

 

 

 

今回は、ライブシアター栗橋について「栗橋が元気いい」という題名でレポートします。

 

 

最近、H25年末から栗橋に行く頻度が急に増えた。

そもそものきっかけは、若松劇場の閉鎖にある。不思議なことに、現在の栗橋の香盤は直前の若松の香盤によく似ている。ロック系が二三人と中心メンバーに入っており、トリクラスも出演している。しかも若松所属の唯一の踊り子である黒井ひとみさんが栗橋を中心にのるようになった。ひとみさんに確認したら、所属はいまだ若松のままという。

香盤だけではなく、若松のあった船橋と栗橋は東京近郊の地方劇場として同じような雰囲気をもっている。だから、栗橋には若松と同じような寛(くつろ)ぎ感がある。

そのうえ、年末年始はいいメンバーをそろえてきた。

年末は次のとおり。①黒井ひとみ(若松)、②多岐川美帆(渋谷道劇)、③西園寺瞳(ロック)、④六花ましろ(渋谷道劇) 、⑤初芽里奈(ロック)〔敬称略〕。黒井ひとみさんとは約半年ぶりの再会となった。

H26に入ると、新春プロジェクトと称して、ロックの一線級をトリにもってきた。

年始の香盤は次の通り。①美樹うらら(林企画)、②川原美咲(ロック)、③御幸奈々(林企画)、④木村彩(ロック) 、⑤鈴木ミント(ロック)〔敬称略〕。

二週目の香盤は次の通り。①有馬美里(渋谷道劇)、②永瀬ゆら(林企画)、③みずき(林企画)、④吉沢伊織(ロック) 、⑤矢崎茜(ロック)〔敬称略〕。二週目の新人みずきさんとは初顔合わせ。

三週目も、夢見ほのかさん、小宮山せりなさん、水月蓮さんのロック三人に、北川れんさん(渋谷道劇)と山口桃華さん(TS)という豪華メンバーが名前を連ねる。

2月に入っても、ロックの伊藤真理子さんやMIKAさんの出演が予定されている。

私としては目が離せないいい香盤が続く。

 

年末年始に続けて栗橋に通ったが、客入りの多さに驚く。2週目の1/11.12.13の3連休もすごい混雑で2日目は立ち見が多かった。休日は殆ど2回目3回目がダブル進行になる。またポラがよく売れている。

 

場内のトイレ・喫煙場所には、林企画所属の踊り子さんの雑誌記事が貼られている。いま林企画所属の踊り子さんは5人。御幸奈々さん、美樹うららさんという大ベテランに、6年目の永瀬ゆらさん、そして昨年デビューしたばかりのみずきさんと泉るいさん。

林企画は、現在ここ栗橋をホームにしているが、以前は無くなった郡山ミュージック、それ以前はショーアップ大宮だったと聞く。ホームを転々とさせられる踊り子さんも大変だ。林企画も多くの踊り子さんが抜け、漸くゆらさんが若手で加入し、ここにきて新人二人が新規加入して嬉しい限り。

今回、新人のみずきさんのステージ模様を紹介したい。

昨年9月にここ栗橋でデビューし、今回が2週目になる。ホームからの新人デビューということで常連さんが熱心に応援しており、ポラもけっこう売れていた。

ステージに現れた瞬間、キュートな可愛さに一目で魅了された。最近、私のホームのTSや東洋で新人デビューがないため、みずきさんの初々しさが眩しいくらいに新鮮に感じた。

セーラー服っぽい衣装。水色をベースにし、金色に縁取りされてキラキラ輝く。セーラー服のような襟元で後ろに下げがある。上下はセパレートされ、ヘソだしルック。同じ生地がヘアバンドと、手先と足元に装着。ふつうの女子高生のイメージを醸しているので、おじさんはメロメロになる♪

次に、ピンク色のベビードールに着替える。上半身はチェック柄、スカート部は透け透けの生地で、小さなアニメキャラがポイントとして点在している。背中にテディベアをおんぶ。ピンクのヘアバンド。白い靴を履いて、かわいく踊る。ロリ系ファンにはたまらないね♪

最後は、赤いスリップ姿でベッドへ。黒いストレートヘアを肩まで垂らし、銀色のハイヒールに履き替えている。赤いパンティを脱ぎ、一生懸命にベッドショーを演ずる。

透き通る白い肌、セクシーなバストとヒップ、薄いヘア・・なにもかも初々しくエロチックだった♡ すごく満足させられた。

ポラタイムで渡した私の手紙もよく読んで反応してくれた。質問にも丁寧に答えてくれる。性格もよく、是非とも応援したくなる。TSが再開したら是非のってほしいとお願いしたほど。

来月出演する新人の泉るいさんにも早く会ってみたい。

やはり新人が増えると劇場自体が華やかになり元気が出る。

 

最近は、劇場の閉鎖、踊り子の引退、出演する香盤数の減少、2020東京オリンピックへの不安などストリップ業界全体がとてもシュリンク(縮み)傾向にある。

そんな中、栗橋の元気が目立つ。うれしい限りである。また栗橋は、以前は「栗橋大一劇場」と呼ばれていたが、最近いつの間にか「ライブシアター栗橋」というハイカラな名前になった。名前のとおり、元気に頑張ってほしい。

 

平成26年1月                              栗橋にて  

 

 

                                 

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第70章 けん玉ショーの巻

~JUNさん&松本ななさんに捧げる~

 

 

 

 ちんぽ三兄弟がなにやら神妙な顔で話している。

「おいおい、この『ちんぽ三兄弟』シリーズも今回でなんと70話目だよ。思えば、最初はジョークのつもりで始めたシリーズだったので、まさか70話まで続くとは信じられないなぁ~。これも全て一部の踊り子さんの熱烈な支持のお陰だな。感謝以外の何物でもない。」

「最近は、コロナとか妖怪の話ばかりで、暗い話ばっかりだったから、つまらなかったかもしれないな。」

「タイトル通り、以前のようなお下品な話の方が踊り子さんウケするかもな。オレたちらしいもんな!」

 

 そんな話をしているときに、けん玉姉妹のステージが始まった。

 北関東のけん玉代表と西日本のけん玉代表が‘けん玉姉妹’と銘打って、けん玉ショーを行った。

 誰しも小さい頃にけん玉を何度かやったことがあるはずで、馴染みの深い玩具である。が、意外に細かいことは知らないので、改めて、けん玉について説明したい。

 けん玉(けんだま)と言えば、十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される玩具。日本をはじめ、世界各国で遊ばれている。なお表記には剣玉、拳玉、剣球などがあるが、21世紀初頭では「けん玉」が一般的となっている。

けん玉は日本独自の玩具と思っていたが、似たようなものは世界中にたくさんある。木製の棒や玉、リングなど、2つのものを糸または紐で結び、一方を引き上げまたは振り、もう一方に乗せる・穴を突起物にはめるような玩具は昔から世界中に存在する。まぁ、構造は単純だから、そうだろうね。ただ、今の形になったのは日本独自らしい。

けん玉が、日本の文献で確認できるのは江戸時代からであり、当初は酒席の遊びであったと考えられる。形も、けん先と皿一つのシンプルなものだった。これが、明治を経て、

やがて大正時代に入り、広島県呉市にて、従来のけん先と皿1つで構成されたけんに、鼓状の皿胴を組み合わせた「日月ボール」(または「明治ボール」)が考案され、現在のけん玉の形がほぼ完成したと言われている。日月ボールは1919年5月14日に実用新案として登録された。その後、木工の町として栄えていた同県廿日市市にて1921年頃より製造が開始された。

今では、公益社団法人である日本けん玉協会が、けん玉道と規定した級位段位認定制度、各種大会の主催、その他各種行事の開催などを行っている。

 日本では何度か流行を経ているが地道に人気がある。21世紀初頭では、日本けん玉協会の「競技用けん玉」が一般的となったが、民芸品や単純な玩具としてのけん玉も各地に存在する。

最近では、米国の若者が日本から持ち帰ったけん玉をヒップホップ系の音楽に合わせて様々な技を披露する様子を動画サイトに投稿、これがきっかけでけん玉はKENDAMAとして世界中で認知されるようになり、新たなスポーツやパフォーマンスとして認知されるようになり、海外で急速に広がりを見せるようになった。

以上がけん玉の歴史。次に、けん玉の構造を簡単に述べる。

十字状の「けん」には、一本の棒の両端が尖ったけん先と中皿になっており、その棒と十字に交わるように大皿と小皿の付いた鼓状の棒がある。交わった部分を便宜上「けんの根元」と言い、そこを持つ。大きさは一般的に大皿>小皿>中皿となっている。そして、その「けん」に穴の空いた「玉」が糸で結ばれる。

ところで、けん玉の技は300種類とも5万種類ともいわれているが、以下のような理由で正確な数を把握するのは不可能に近い。ひとつは、同じような技でもグリップや動作の違いで別の技と呼びうるため。また、新しい技が今なお創作され続けているため。新しいグリップ・構え・動作、手以外の体の部分の使用、頭上・背後・股下などの空間の利用、あるいは複数のけんや玉の使用など、今後も新しいアイディアが生まれる可能性を秘めている。

ざっと説明しただけでも奥深さを理解してもらえたと思う。

 

さて、けん玉姉妹のショーの模様について。

玉を皿にのせるのはお手のもの。ところが、玉の穴にけん先が入らない。何度かやっているうちに入ることもあるが確実性が低い。二人とも「楽屋ではうまくいったのになぁ~。やはりステージのうえでは緊張するなぁ~」と嘆いている。

 それを見ていたちんぽ三兄弟が張り切った。

「けん玉ならオレたちに任せてくれ!穴に入れる要領は同じだからね。」

 ちんぽ三兄弟は玉の穴にけん先を器用に入れた。「オレたちは百発百中だ!」

 拍手喝采!!!  「そうだ!ちんぽ三兄弟がやるんだから‘けん玉ショー’ではなく‘きん玉ショー’とでも呼ぶか!?」と言って三人でふざけ合っている。

 

 はしゃいでいた三人だが、急に、長男のビンビンくんが立ち止まって真剣な顔になって言った。「オレたちちんぽ三兄弟の本来の仕事は‘きん玉ショー’ならぬ、穴にちんぽを入れることじゃないのか!? もう一度本来の仕事に戻ろうか。ストリップばかり観ている場合じゃないぞー。」

「まぁ、百発百中だと子供の心配をしなくてはいけないが・・・」頭を過る。

 とういうことで、突然ではありますが、この『ちんぽ三兄弟』シリーズもついに70話で終了する運びとなりました。

 

 

 それから数日経って、ちんぽ三兄弟がまたストリップ劇場に現れた。三人ともなんか元気がない。

 三男のフニャチンくんが「やっぱりオレはダメだった!」最初から分かっていたような口ぶり。

 次男のハンダチくんも「オレもやっぱりダメだった!」一応の努力はしたようだが。

 長男のビンビンくんまでが「オレもいつの間にかダメになっていた!」と首をうなだれている。

「どうも、オレたちは長い間ストリップばかり観ていたせいか、観るだけで満足できる身体になってしまったようだ!」

「やっぱりストリップがないと生きていけない!」三人は頷き合った。

 

 ということで、70話での終了は取り消すことになりました。

 71話以降もご期待下さい。100話を目指して頑張ります。

 

                         おしまい、いや「つづきます」笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【参考】出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

けん玉(けんだま)は、十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される玩具。日本をはじめ、世界各国で遊ばれている。なお表記には剣玉、拳玉、剣球などがあるが、21世紀初頭では「けん玉」が一般的。

 

歴史

 

メキシコのバレロ(西: balero)

木製の棒や玉、リングなど、2つのものを糸または紐で結び、一方を引き上げまたは振り、もう一方に乗せる・穴を突起物にはめるような玩具は昔から世界中に存在する[1]。例えば日本のアイヌ民族のウコ・カリ・カチュ、アメリカの五大湖周辺のインディアンに伝わっているジャグジェラ、エスキモーに伝わるアジャクゥァクなどである。その中でフランスのビルボケ(仏: bilboquet)は16世紀頃から子どものみならず貴族や上流階級の人々にも広く浸透し、国王アンリ3世も愛好したという記録も残っている[2]。このようなことから、ビルボケがけん玉のルーツというのが一般的な説であるが、フランスのビルボケが日本に伝わった証拠となる文献は確認されていない。ビルボケやメキシコのバレロ(西: balero)などは現在も現地にて販売されている。イギリスでは、カップ&ボール(英: cup-and-ball)と呼ばれるけん玉に似ている物がある。[3]

 

日本の文献で確認できるのは江戸時代からであり、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる。ただしこの資料にはけん玉の図はなく文章で紹介されているだけだった。しかし、それよりも前の資料である1809年の『拳会角力図会』に「すくいたまけん」としてけん玉が図つきで紹介されていることが1981年に判明した[4]。

 

明治時代になり、文部省発行の児童教育解説『童女筌』(どうじょせん、1876年)にて「盃及び玉」として紹介されてから子どもの遊びへと変化していった。やがて大正時代に入り、広島県呉市にて[5]、従来のけん先と皿1つで構成されたけんに、鼓状の皿胴を組み合わせた「日月ボール」(または「明治ボール」)が考案され、現在のけん玉の形がほぼ完成した[6]。日月ボールは1919年5月14日に実用新案として登録された[7]。その後、木工の町として栄えていた同県廿日市市にて1921年頃より製造が開催された。

 

日本でのけん玉の大流行は1907年、1924年、1933年とされている[8]。また、1977年は「けん玉ルネッサンス」といわれる爆発的な大流行となった[9]。この流行には、皿胴に糸を出す穴を開けるなど合理的な設計がされた競技用けん玉が普及したことが影響している。

 

1968年にクラシックギタリストの新間英雄(深谷伊三郎の息子で立川志らくの父)が東京けん玉クラブを設立。

 

1975年には童話作家の藤原一生氏により日本けん玉協会が設立された[10]。上述の新間英雄氏らが開発したS型けん玉をベースにした競技用けん玉を認定けん玉とし、その普及のほか、けん玉道級段位認定制度、全国競技会の運営等に取り組む。全国レベルでのルール統一がけん玉競技の公平性を担保し、普及・発展に寄与した。一方で、けん玉道として規定された型や持ち方、動作の細部に至るまでの徹底したルール化が原因でけん玉の遊び方が画一化し、各地の伝統的な遊び方が失われたり、創意工夫の土壌が失われてしまったのではないかという指摘もある[11]。

 

21世紀初頭では、前述の「競技用けん玉」が一般的となったが、民芸品や単純な玩具としてのけん玉も各地に存在する。また、1945年まで日本が統治していた台湾でも、日月球(リーユエチュウ)や劍球(ジエンチュウ)と称してけん玉が遊ばれている。

 

2000年代後半、米国の若者が日本から持ち帰ったけん玉をヒップホップ系の音楽に合わせて様々な技を披露する様子を動画サイトに投稿、これがきっかけでけん玉はKENDAMAとして世界中で認知されるようになり、新たなスポーツやパフォーマンスとして認知されるようになり、海外で急速に広がりを見せるようになった[12]。

 

日本けん玉協会

公益社団法人である日本けん玉協会が、けん玉道と規定した級位段位認定制度、各種大会の主催、その他各種行事の開催などを行っている。尚、協会が行っていた認定けん玉販売部門は、現在一般社団法人国際けん玉サポートセンターに移転している。 同協会主催のけん玉道日本一を決める大会は以下の通り。

 

日本けん玉協会ジュニア杯争奪戦

日本けん玉協会杯(JKA杯)争奪戦(通称JKAカップ)

全日本けん玉道選手権大会

全日本少年少女けん玉道選手権大会(文部科学大臣杯)

全日本クラス別けん玉道選手権大会

全日本けん玉道パフォーマンス大会

全日本けん玉道もしかめ選手権大会

全日本マスターズけん玉道選手権大会(2008年より)

グローバルけん玉ネットワーク(GLOKEN)

一般社団法人グローバルけん玉ネットワーク(通称GLOKEN/グロケン)が2012年に設立され、2014年からはけん玉発祥の地とされる広島県廿日市市にてけん玉ワールドカップを毎年開催。その他、日本けん玉協会が定める「けん玉道」の規定にとらわれない競技大会や、イベント、けん玉検定の運営や指導者研修などを通じて、けん玉の普及活動に努めている。法人設立時から現在までの代表理事は窪田保。

 

主な活動・取組みは

 

けん玉ワールドカップ の開催

けん玉検定 の運営

けん玉先生資格制度 の運営

けん玉あそび研究所+ の運営

けん玉の日 の制定 

NHK紅白歌合戦でのギネス世界記録™チャレンジプロデュース

競技用けん玉開発 の監修

国内外でのけん玉普及活動、競技大会運営協力

 

各部の名称

けん玉各部の名称

右図を参照のこと。「けんの根元」は便宜上の名称。なお、小皿とは両サイドの2つの皿のうち「小さい方の皿」、中皿とは3つの皿のうち「真ん中の位置にある皿」という意味であり、大きさは一般的に大皿>小皿>中皿となっている。中皿という名は、かつては「えんとつ」といわれていたものが1977年に愛好家によって中皿と決定されたという説[13]と、大皿と小皿ができたときに中皿と名がついたという説[14]がある。

 

けん玉の技

個々の技については「けん玉の技の一覧」を参照

グリップ

技を始める前のけん玉の持ち方。以下は主要なもの。

 

皿グリップ(大皿グリップ)

親指と人差し指でけんの根元をつまみ、残りの指を小皿に添え、けん先を下に向ける。残りの指を大皿に添えると小皿グリップとなる。

けんグリップ

けん先を上、大皿を手前に向けて皿胴の下のけんを持つ。薬指、小指は添えない場合も多い。

玉グリップ

玉を持つグリップ。穴を真上にする場合が多い。

ろうそくグリップ

中皿を上にしてけん先を持つ。

つるしグリップ

糸の中程を指で支えてけん玉をぶら下げる。技によって玉をけんにさすかささないか、人差し指に引っ掛けるか親指と人差し指でつまむかは異なる。いずれの場合も糸を余らせて持ってはならない。

極意グリップ

けんを横にし、親指で小皿を、残りの指で大皿を持つ。

おしゃもじグリップ

すべり止めから中皿のふちあたりを軽く握る。

構え

以下は主要なもの。

 

まっすぐ

玉やけんなどを真下に垂らした状態、または玉をけん(けんを玉)に乗せて正面で構えた状態。

ななめ

玉やけんなどを反対の手で持って体側に引き寄せ、地面に対し角度がついた状態。

技の分類

けん玉の技は300種類とも5万種類ともいわれているが、以下のような理由で正確な数を把握するのは不可能に近い。

 

同じような技でもグリップや動作の違いで別の技と呼びうるため。例えば玉を大皿に乗せる技でも、けんグリップやつるしグリップなどから始める、玉を振る方向を前・横・けんと体の間などに変える、などすれば厳密には違う技となる。

それぞれの技は以下のように柔軟にアレンジを加えうるため。

動作の一部を他の動作に置き換える(例:「村一周」で玉を引き上げるべきところ手で玉を大皿に乗せる)。

動作を省く、または新たな動作を加える(例:「うぐいす〜けん」)。

複数の技を連続して行う(例:「つるし一回転飛行機〜はねけん」)。「持ちかえわざ」というつなぎのための技すら存在する。

新しい技が今なお創作され続けているため。新しいグリップ・構え・動作、手以外の体の部分の使用、頭上・背後・股下などの空間の利用、あるいは複数のけんや玉の使用など、今後も新しいアイディアが生まれる可能性を秘めている。

以下の技の分類は日本けん玉協会が2000年に定めた「けん玉の技百選」による。

 

皿系

玉を皿に乗せる技。

もしかめ系

所定の動作(主に皿に乗せる)を繰り返し、持続時間を競う技。

とめけん系

玉を垂直に引き上げ、けん先で受ける技。

飛行機系

けんを玉の穴で受ける技。

ふりけん系

玉を回転させ、けん先で受ける技。

一周系

玉をけんの大皿・小皿・中皿・けん先側の皿胴などの場所に乗せる、またはけん先で受ける動作を連続して行う技。

灯台系

けんを中皿を下にして玉の上に一定時間立てる技。またはある技が決まった状態からけん玉を放り投げて玉を取り、けんを玉の穴で受ける技。

すべり系

けんに乗せた玉をけんから離さずに別の場所に移動させる技。

まわし系

玉を空中で回転させけん先で受ける、またはけんを空中で回転させ玉の穴で受ける技。

うぐいす系

玉を、穴がけん先側またはけんじり側の大皿(小皿)のふちに接した状態でけんに一定時間乗せる技。

極意系

玉を、けんの上の不安定な場所に一定時間乗せる技。名前の由来は日月ボールの頃に最も難しい技とされていたことから。

静止系

けんを、不安定な形で玉の上に一定時間乗せる技。

空中系

けん玉を糸が張った状態で投げ上げて回転させ、玉を取ってけんを穴で受ける、またはけんを取って玉をけん先で受ける技。

あやとり系

けんを糸で作った輪に引っ掛ける技。

特殊系

上記の分類に含まれない技。

デジケン

バンダイが1997年4月に発売し人気を博した現代版ヨーヨー、ハイパーヨーヨーの流行を追って、タカラ(現在のタカラトミー)が1998年7月25日(博品館での先行販売は6月26日)に発売した電子けん玉。単四電池2本を使用し、技を成功させたり失敗したりする毎に音と光で反応を示す。玉が軽過ぎて受け皿に座らず反発してしまう為、9月には補助部品として受け皿の円周を拡大する輪も発売された。子供の玩具としては大きく重過ぎた為、後に小型版のデジケンミニが発売された。半透明の様々な本体色が存在する。

 

音と光で遊ぶ「ノーマルモード」

音楽に合わせて玉を動かす「リズムモード」

玉を乗せる場所が指示される「コンビネーションモード」

という3通りの遊び方ができる。

 

2008年1月24日にはタカラトミーからヤッターマン デジケンミニという商品の発売が予定されていた。

 

1998年8月に公開された玩具会社が舞台のミュージカル『big 〜夢はかなう〜』の日本版にも登場した。『big ~夢はかなう~』の主催がフジサンケイグループである関係からか、関連会社である扶桑社の雑誌SPA!の連載『渡辺浩弐のバーチァリアン日記』でもデジケンが取り上げられた。

 

TOKYO FM『三井ゆりのモーニングブリーズ』内のコーナー「おはようタカラジェンヌ」でも『big 〜夢はかなう〜』の出演者と共に紹介された。

 

紹介サイト

DIGI-KEN(デジケン)マスターへの道

デジケン - 流行通信 - アーカイブス - キッズ・ウェブ・ジャパン - Web Japan

倶楽部 四季-ひとりごと1998年

ケンダマジック

2008年1月14日から放送が始まった『平成20年度版ヤッターマン』の主人公の使うケンダマジックというけん玉を模した武器の玩具がタカラトミーから2008年4月下旬に発売された。

 

DXケンダマジック(2940円)[リンク切れ]は劇中のケンダマジックをそのまま模したデザインで、受け皿の向きの変更と大きさの違う受け皿に交換する事が可能になっている。ケンダマジックNEO(1890円)は劇中のケンダマジックとは全く違うデザインでDXケンダマジックよりも小型な他、スピンホルダーという指掛け穴、個性を出す為のカスタムシール、交換可能な受け皿であるカスタムプレート等、より競技性と改造性を高めている。本体色は4種類。

 

 

2020年7月中の蕨ミニにおける、JUNさん(西川口所属)の公演模様を、演目「顔」を題材に、「」という題名で語りたい。

 

 

2020年7月中の蕨ミニ公演に顔を出す。

その週の香盤は次の通り。①大月小夜(フリー)、②井吹天音(フリー)、③kuu(フリー)、④JUN(西川口)、⑤瀬能優(ロック) 〔敬称略〕。

 

 

「顔」

1.     顔  CIVILIAN

2.     一般生命論  CIVILIAN

3.     色即是空  町家

4.     3331      CIVILIAN

 

■Kuuちゃんから頂いた演目です。

踊りや感情は、自分で思った演目となってます。

人それぞれの顔。これこそが、人間の大切な部分であり、個性なんです。

演目は、踊り始めたばかりなので、まだまだ見えてこないトコロもあります。

今、現在思うことは、この顔により、人生を生きていく。そして、この顔により、人を慈しむ。

 

■こちらの演目は、くーちゃんから頂いた演目です。自分なりの「顔」の演目に仕上げました。人は、コンプレックスの中で生きている。そのコンプレックスが、人の大切な個性と気づかされた演目でした。

 

 

 

2020年7月                              蕨ミニにて

 

 

 

 

 

 

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第62章 顔なし妖怪の巻

             ~JUNさん(西川口所属)と山口桃華さん(TS所属)に捧げる~     

                                   

  

 ちんぽ三兄弟が、顔の話をしていた。

 きっかけはJUNさん(西川口所属)のステージ、まさしく演目「顔」であった。

「あの最初の曲(CIVILIANの『顔』)の歌詞にひきつけられたなあ~。人間のもつ顔のコンプレックスにもろに触れていたもんな~」

「オレも自分の顔が嫌いだから、ツーショット・ポラは絶対に撮らない!」

「でも、ストリップのポラ撮影ではツーショット・ポラを撮りたがる人は多いよね。恰好つけてポーズをとる人が多い。こういう人は自分の顔が好きなナルシストなんだな。」

「そういえば、この演目では、最初に能面を付けていたのもインパクトあったよな!」

よく「能面のような表情」というと無表情な顔の例えに使われるが、果たして実際の能舞台では、動かないはずの能面が表情を変化させる。

「小面(こおもて)」と 呼ばれる少女の能面で見てみる。下に傾けると、物思いにふける寂しげな表情になる。逆にすると、喜びの表情が浮かび上がる。正反対の感情を、角度の違いで表すことができる。このように、ひとつの能面で無限の表情を味うことができる。

「顔といえば、山口桃華さん(TS所属)の演目『変面』も印象的だったよな。一瞬で顔を変える技は凄かったなー!!」

これは中国雑技団のパフォーマンスにあり、一瞬で顔が変わる変面(へんめん)という中国四川省の伝統芸能である。役者が手を顔に手を当てた途端に装着している仮面を瞬時に喜怒哀楽を表現しているそれぞれの仮面に変化させる。門外不出の秘儀とされ、一子相伝のみ伝承を許された技法である。700年近い歴史を持つ技術である。

「ふつうに考えたら、喜怒哀楽は別々の表情だから、中国方式にいくつもの仮面を用意するのが当たり前だよな。日本の能楽も600年もの長い歴史を持っているわけだが、ひとつの仮面で喜怒哀楽を表そうとする発想は面白いというか凄いことだよな。

日本の能楽のルーツは、奈良時代に中国から伝わった『散楽(さんがく)』と呼ばれる芸能にあると言われるが、同じ中国発でも時を経ると、このあたりにお国柄の違いが出ているよな。ちなみに散楽は、平安時代に入ると、『猿楽(さるがく)』と名前を変え、各地に広がってゆく。天下泰平、五穀豊穣を祈る祭りの中で、『神』に扮して踊る仮面が能面の始まりとされる。そして、室町時代になって世阿弥という天才によって、大衆の娯楽だった猿楽を、芸術性の高い能へと発展させたわけだ。」

「というか、そもそも人間というのは顔ひとつで喜怒哀楽の感情を表現する。他の動物ではここまで繊細には表現できないもの。まさしく‘人間は顔の動物だ’と言えそうだよね。」

 ここで、物知りのおじいさんが口を挟んでくる。

「顔にはその人の育ちや性格などが出てくる。よく‘男の顔は履歴書だ’と言われる。逆に‘女は顔だ’なんて酷いことを言う輩もいるわけだが、…要はいかに顔が重要かを物語っている。

 昔は、顔を見るだけで、こいつはヤクザだ!チンピラだ!というのが分かった。どうしても育ちなどが顔に出てくるんだな。だから悪いことをする奴は顔で判別できたんだ。ところが、最近の犯罪者の顔をTV報道などで見ると、ふつうの顔をした奴がこんな酷い犯罪をするのか!?と思えることが多くなった。世も末だ!」

 

 ちんぽ三兄弟の顔の話が、いつもの癖で妖怪談になっていく。

「JUNさんの演目『顔』は、最初は女の能面だったが、最後には鬼の面になっていたなー。オレはその点がすごく気にかかったよ。」

「顔なし妖怪の代表は‘のっぺらぼう’だ!」

辞書(『ウィキペディア(Wikipedia)』)を見ると、こう記載してある。・・・

のっぺらぼう(野箆坊)は、顔に目・鼻・口の無い日本の妖怪。また、転じて凹凸が(ほとんど)ない平らな状態を形容する言葉。

外見は人に近いが、その顔には目・鼻・口がないという日本の妖怪である。古くから落語や講談などの怪談や妖怪絵巻に登場してきた比較的有名な妖怪であり、小泉八雲の『怪談』の「貉(ムジナ、MUJINA)」に登場する妖怪としても知られる。また、しばしば本所七不思議の一つ『置行堀』と組み合わされ、魚を置いて逃げた後にのっぺらぼうと出くわすという展開がある。妖怪としての害は人を驚かすことだけで、それ以上の危害を与えるような話は稀だが、話の筋立てとして「再度の怪」がよく用いられる。

八雲の「狢」が表題からしてそうであるように、タヌキやキツネ、ムジナといった人を化かすという伝承がある動物がのっぺらぼうの正体として明かされることも多い。

 

  八雲の「狢」の話を紹介しよう。・・・

江戸は赤坂の紀伊国坂は、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。ある夜、一人の商人が通りかかると若い女がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も付いていない。驚いた商人は無我夢中で逃げ出し、屋台の蕎麦屋に駆け込む。蕎麦屋は後ろ姿のまま愛想が無い口調で「どうしましたか」と商人に問い、商人は今見た化け物のことを話そうとするも息が切れ切れで言葉にならない。すると蕎麦屋は「こんな顔ですかい」と商人の方へ振り向いた。蕎麦屋の顔もやはり何もなく、驚いた商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。全ては狢が変身した姿だった。

⇒この「狢」の話は、二度にわたって人を驚かせるという筋立ての怪談「再度の怪」の典型である。

 

「なんで、のっぺらぼうには顔がないのかな?」

「結局は、キツネやタヌキの化け話。単に人間を驚かしたいだけ。それ以上の悪気はないようだよ。まぁ、かわいい妖怪じゃないか。」

「日本独特の気配で人を怖がらせる妖怪だね。気配だけで驚かすなんて粋の世界とも言えそうだけど・・・」

「顔を失くすということは表情を隠すということだよね。先ほど‘人間は顔の動物だ’という話をしたけど、これは逆行しているよね。」

「人はいろんなことを考える。それがついつい顔に出る。それを悟られまいと顔を隠すわけだ。犯罪人はメガネやマスクや帽子などで顔を隠したり、変装したりする。のっぺらぼうはその典型かもしれないな。」

「つまるところ、顔がないということは没個性ということだ! 自分の考えや主義主張を持たない人はのっぺらぼうになっちゃうんだね。」

「最近はネットで他人のことを誹謗中傷する輩が増えた。あれは顔のない犯罪だと思う。実際に誹謗中傷で自殺した有名人もいたわけだから、殺人罪と言っていい。

顔が見えないことをいいことに平気で他人を誹謗中傷する。それは人間に悖(もと)る恥ずべき行為だ。そんな輩には絶対に貧乏神がつく。のっぺらぼうも笑っていると思うよ。」

「本当にそうだな!」

 

 JUNさんがポラのコメントでこう書いてくれた。

「人それぞれの顔。これこそが、人間の大切な部分であり、個性なんです。(中略)この顔により、人生を生きていく。そして、この顔により、人を慈しむ。」と。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【参考】

 

■のっぺらぼう     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「のっぺらぼう」

 

黄表紙『妖怪仕内評判記(ばけものしうちひょうばんき)』に描かれたのっぺらぼう。恋川春町作画。

 

水木しげるロードに設置されている「のっぺらぼう」のブロンズ像

のっぺらぼう(野箆坊)は、顔に目・鼻・口の無い日本の妖怪。また、転じて凹凸が(ほとんど)ない平らな状態を形容する言葉。

 

 

目次

1       概要

2       のっぺらぼうが登場する話

2.1     小泉八雲の「貉」

2.2     置行堀との組み合わせ

2.3     中国ののっぺらぼう

3       再度の怪

4       同種の妖怪

5       比喩

6       脚注

7       関連項目

8       外部リンク

概要

外見は人に近いが、その顔には目・鼻・口がないという日本の妖怪である。古くから落語や講談などの怪談や妖怪絵巻に登場してきた比較的有名な妖怪であり、小泉八雲の『怪談』の「貉(ムジナ、MUJINA)」に登場する妖怪としても知られる。また、しばしば本所七不思議の一つ『置行堀』と組み合わされ、魚を置いて逃げた後にのっぺらぼうと出くわすという展開がある。妖怪としての害は人を驚かすことだけで、それ以上の危害を与えるような話は稀だが、話の筋立てとして「再度の怪」がよく用いられる。

 

八雲の「狢」が表題からしてそうであるように、タヌキやキツネ、ムジナといった人を化かすという伝承がある動物がのっぺらぼうの正体として明かされることも多い。また、肉塊の妖怪「ぬっぺふほふ」と同一視されたり、それが伝承の中で変化したという説もある。

 

のっぺらぼうが登場する話

明和4年(1767年)の怪談集『新説百物語』には、京都の二条河原(京都市中京区二条大橋付近)に、顔に目鼻や口のない化け物「ぬっぺりほう」が現れ、これに襲われた者の服には太い毛が何本も付着していたという、何らかの獣が化けていたことを髣髴させる描写がある。しかし正体が不明の場合もあり、寛文3年(1663年)の奇談集『曽呂利物語』では、京の御池町(現・京都市中京区)に身長7尺(約2.1メートル)ののっぺらぼうが現れたとあるが、正体については何も記述がない。民間伝承においては大阪府、香川県の仲多度郡琴南町(現・まんのう町)などに現れたと伝えられている。

 

小泉八雲の「貉」

以下は小泉八雲の「貉」のあらすじであるが、作中に「のっぺらぼう」という言葉は登場しない。

 

江戸は赤坂の紀伊国坂は、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。ある夜、一人の商人が通りかかると若い女がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も付いていない。驚いた商人は無我夢中で逃げ出し、屋台の蕎麦屋に駆け込む。蕎麦屋は後ろ姿のまま愛想が無い口調で「どうしましたか」と商人に問い、商人は今見た化け物のことを話そうとするも息が切れ切れで言葉にならない。すると蕎麦屋は「こんな顔ですかい」と商人の方へ振り向いた。蕎麦屋の顔もやはり何もなく、驚いた商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。全ては狢が変身した姿だった。

 

置行堀との組み合わせ

詳細は「置行堀」を参照

(置行堀の話が展開され、魚を置いて逃げた後)

 

釣り人が息を切らして置行堀から逃げ出すと、蕎麦屋の屋台を見つける。蕎麦屋の主人は何か作業をしてこちらに背を向けており、顔はわからない。釣り人は恐ろしいことがあったと堀での出来事を話すが、蕎麦屋の主人はまったく驚かず、振り向いた顔には目も鼻も口もなかった。再び驚いた釣り人は今度は自宅に飛んで帰ると、何か作業をして後姿の女房は何をそんなに急いでいるかと聞く。息も絶え絶えに女房にのっぺらぼうにあったと話すと、女房はこちらに振り向き「こんな顔だったか」と目も鼻も口もない顔を見せる。驚いた釣り人は気絶した。

 

中国ののっぺらぼう

紀昀の『閲微草堂筆記』に、ある男が主人の言いつけでお茶を取りに行き、庭の木の影に若き娘が立っていて、男が話しかけようとしたとたんに娘が振り返り、その顔は真っ白で、目も鼻も口もなかった、とある。『夜譚随録』に見える「紅衣婦人」という一篇ものっぺらぼうの話である。西安門内の西十庫で酒を飲んでいた男たちの内の一人が放尿に行くと、紅い衣装を来た女が地にかがみ込んでおり、男がからかい後ろから抱きついて女の顔を見ると、豆腐のように白く顔があいまいであった、とある。

 

再度の怪

「むじな」は、二度にわたって人を驚かせるという筋立ての怪談の典型であるが、これは「再度の怪」と呼ばれ、他にも「朱の盆」や「大坊主」などの話がある。巌谷小波による『大語園』などでは、のっぺらぼうはずんべら坊(ずんべらぼう)の名で記述されており、津軽弘前の怪談として、同様にずんべら坊に遭った者が、知人宅へ駆け込むと、その知人の顔もまたずんべら坊だったという話がある。このような「再度の怪」の怪談は、中国古典の『捜神記』にある「夜道の怪」の影響によるものとされる。

 

同種の妖怪

 

与謝蕪村『蕪村妖怪絵巻』より「ぬっぽり坊主」

ぬっぽり坊主(ぬっぽりぼうず)

与謝蕪村の『蕪村妖怪絵巻』にあるのっぺらぼう。京都市の帷子辻に現れたとされ、雷のようにひかる目が尻についているのが特徴。水木しげるの著作などでは「尻目」と表記され、人に会うと服を脱いで全裸になると解説されている。

白坊主、黒坊主、ぬっぺふほふ

各項目を参照。

目も鼻もない女鬼(めおに)

名前については不明だが、『源氏物語』「手習」の記述に、「昔いたという目も鼻もない女鬼(めおに)~」といった記述があり、のっぺらぼうの源流と見られる妖怪の存在(顔のない鬼)が古代末から言い伝えられていたことが分かる(少なくとも平安時代中期の近畿圏でそうした怪異が知られていた)。記述の内容からも当時は口があったものとみられる。

時代は下って、『遠野物語』内の記述にも、「旅人が目鼻もないのっぺりとした子供に赤頭巾をかぶせたのを背中におぶって通りかかった」とあり、のっぺらぼうの伝承には、口のあるタイプがあり、このことからも西日本から東北地方にかけて、のっぺらぼうの類は、目鼻がないとしか記述されていないことが分かる。

お歯黒べったり

外観は前述の目も鼻もない女鬼に類似するが、関係は不明。

ケナシコルウナルペ

アイヌに伝わる妖怪。前述の目鼻もないタイプとは異なり、目と口がなく、鼻のみの怪女で、顔面は黒いとされる。

比喩

凹凸がなく、すべすべした物体(卵など)の形容にも用いられる。また、自分の考えや主義主張を持たない無個性な人物の形容にも用いられることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■能面   美の壷 - NHK

 

壱のツボ 能面に魂を見よ

 

東京国立博物館蔵

「月次風俗図屏風」    

能舞台は見たことがない人でも、能面なら、一度は見たことがあるかも・・・。

その鑑賞のツボを知らずして、怖い、気味が悪いなんて思っていませんか?

 

 

東京国立博物館蔵

「月次風俗図屏風」    

まずは、成り立ちから見ていきましょう。

 

能面のルーツは、奈良時代に中国から伝わった「散楽(さんがく)」と呼ばれる芸能にあります。

平安時代に入ると、散楽は、「猿楽(さるがく)」と名前を変え、各地に広がってゆきました。

天下泰平、五穀豊穣を祈る祭りの中で、「神」に扮して踊る仮面が能面の始まりです。

 

およそ200種類もある能面の中で、最初に誕生したのがこの 「翁(おきな)」です。

私たちがイメージするちょっと怖い能面のルーツは、意外にもこんなににこやかな顔をしていたんですね。

 

       

神である「翁」と並び、早くに作られたのが 「鬼」の能面です。

やがて、亡霊や生き霊といった人間を超越した存在の能面が、いくつも作られました。

 

室町時代、「世阿弥(ぜあみ)」という天才によって、猿楽は大きな変化を遂げます。

大衆の娯楽だった猿楽を、芸術性の高い能へと発展させたのです。

 

              

世阿弥は、日本の古典を題材に、人間の喜怒哀楽を表現しようとしました。

 

物語の主人公としてよく登場したのが 「女」です。

 

若い女を表す小面(こおもて)や恐ろしい山姥、清らかな天女など様々な年齢や性格の女に扮するために、いくつもの「女面(おんなめん)」が作られました。

 

能面鑑賞一のツボは、能面に最も間近で接してる能楽師の方に教えて頂きましょう。

世阿弥の父、観阿弥を祖先とする観世流シテ方の観世喜正(かんぜ・よしまさ)さんです。

 

能楽師は、先祖代々伝えられてきた能面を、面箪笥(おもてだんす)と呼ばれる桐の箱にしまっています。

 

「面(おもて)」とは、「能面」のこと。

 

能面はほとんどの場合、主役を務める「シテ方」だけがつけます。

シテ方にとって能面は、信仰の対象にも似た特別な存在なのです。

 

        観世喜正さん 「能では、能面を用いて変身をします。私は男ですから、女の役、あるいは鬼や幽霊の役になるときに、能面を用いるわけなんです。私どもはこの能面をとても大事に、まるで魂のように扱います。「これからこの顔にならして頂く」というような気持ちで、いつも向かい合っているんです。」

       

一つ一つの能面に 魂が宿っている。 能楽師たちは、古くからそう信じてきました。

 

 

 

能面鑑賞一のツボ、「能面に魂を見よ」。

 

能面と言えば思い浮かぶのが「般若(はんにゃ)」の顔。

怖そうな鬼に見えますが、実はこれ、女性の顔だということをご存じでしたか?

嫉妬(しっと)や怒り、恨みといった激しさの中に、悲しみが見え隠れしています。

般若は、女の「魂」が凝縮された傑作です。

 

室町時代の能楽師、金剛右京久次(こんごううきょうひさつぐ)、別名、孫次郎によって作られました。

孫次郎が、若くして亡くなった妻を偲んで作ったと伝えられています。

かすかに愁いを帯びた眼差し。

愛しい妻の「魂」を写した能面は、別名、「面影(おもかげ)」と呼ばれています。

 

       

能舞台の袖にある、「鏡ノ間(かがみのま)」。

 

能面をつける神聖な場所です。

 

       

能面をつけることを、「面(おもて)を頂く」と言います。

そのとき、能面に込められた魂に向かって、一礼するのが習わしです。

 

能面を顔にあてる瞬間、役者は、自らの魂を能面に重ねます

ひたすら心を静め、鏡に向かってじっと出番を待ちます。

 

       

能楽師が舞うことで、能面に命が吹き込まれていきます。

 

 

 

        もはや、能面は演じるための道具でもなければ、美術品でもありません。

観客はそこに、 「魂」を見いだすのです。

 

              

 

 

 

 

弐のツボ 無限の表情を味わえ

「能面のような表情」とは、よく、無表情な顔の例えに使われます。

果たして能面は、本当に無表情なのでしょうか?

能舞台を見た人なら、驚いたことがあるはずです。動かないはずの能面が、表情を変化させるのです。

能面鑑賞二のツボ、無限の表情を味わえ。

 

       

「小面(こおもて)」と 呼ばれる少女の能面で見てみます。

 

 

下に傾けると、物思いにふける寂しげな表情になります。

逆にすると、喜びの表情が浮かび上がります。

正反対の感情を、角度の違いで表すことができるのです。

       

能舞台で見てみましょう。

能面をわずかに傾け、顔の前に手をかざすと、さめざめと涙する女。

わずかに姿勢を起こすと、今後は、晴れ晴れとした心で、遠くの山々を仰ぎ見る女が現れます。

再びうつむくと、そこはかとない不安げな気持ちが伝わってきます。

 

       

また、首を勢いよく振ることで、敵ににらみを利かせることもできます。

 

 

 

こうした表情の変化は、一体どのようにして生まれるのでしょうか?

        京都に住む面打ち師(めんうちし)の中村光江(なかむら・みつえ)さんです。

        能面には、削り易く変形しにくい檜が使われます。

表情の変化を生み出す鍵は、 「目」にあります。

 

中村さんは、瞳の部分を丁寧に削り出し、上まぶたと下まぶたを浮き上がらせます。

悲しんだり、喜んだりしているように見える秘密は、まぶたの厚みにあるのです。

 

       

中村さん 「能面の上まぶたは、下まぶたよりだいぶ手前に出ています。横から見ると、能面はまるで下を向いているかのようです。しかし前から見ると、能面は正面を見ている。こうして、普段は正面を見ているんですが、少し下に傾けると目は下を向き、少し上に仰向けると、すっと上を向いて、にこやかに笑うのです。」

 

        能面には、更に正面から見ただけでは分からない工夫が施されています。

室町時代の名品、「雪の小面」を、現代の面打ち師が写し取りました。

美しさの秘密は、「鼻筋」にあると言われています。

 

 

       

「雪の小面」から写しとった型紙です。

 

良く見ると、鼻筋は、中心線から1ミリほど左にずれた場所から、右下に向かって延びています。

 

       

わずかな違いが表情に変化を生み出します。

 

右側から見ると、鼻筋が際立ち、表情に強さが生まれます。

 

 

 

        逆に、左側から見ると、鼻筋はなだらかに、表情は、心なしか穏やかに見えます。

 

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鼻筋を微妙にずらし、顔を左右非対称に仕上げることで、観客の目に、能面が、より多面的に写るのです。

 

面打ち師の繊細な技が、「無限の表情」を生み出しています。

 

 

 

 

参のツボ 古色は夢幻の味わい

 

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舞台で見る能面は、遠目からは白一色に見えます。

 

でもそこには、微妙な色合いが隠されているのです。最後は、能面の「色」を味わいましょう。

 

現代の面打ち師が作った「小面」の能面です。

 

16歳の清純な少女の顔。

しかし、その顔をよーく観察すると、肌が幽かに黒ずんでいることに気が付きます。

こうした色合いは、実は、能面を作る際、わざとつけられたものでした。

一体なぜそんなことをしたのでしょうか?

黒ずみに使われるのは、焦げ茶、黄土、群青などの日本画の顔料です。

それらを水で溶きます。

そして、布に染みこませ、胡粉で下塗りした能面の上に、軽く叩くように色づけします。

次に、表面を白い布で拭き、肌のわずかに凹んだ部分にだけ黒ずみを残します。

こうした色味を古色(こしょく)といいます。

古色には能面独特の意味が込められているのです。

 

        中村さん 「古色は、言葉では言い表すことのできない色です。能面らしい色、とでも言いましょうか。「古い色」と書きますが、それは時代を経たものを真似するという意味で用いるのではなく、能面の奥深さを表現するために用いるのです。」

古色が生み出す陰影のある奥深い表情。

能面は、 やがて見る者を 得体の知れない夢幻(ゆめまぼろし)の世界へと導いていきます。

 

 

能面鑑賞三のツボ、古色は夢幻(むげん)の味わい。

 

陽が落ち、辺りが幽かに暗くなる頃。

 

古色に染められた能面が、暗闇に溶け込み、私たちを底知れぬ世界へと誘います。

 

幽霊や鬼、生き霊。

 

容易に計り知ることのできない存在を、古色は表しているのです。

夢と現、この世とあの世が行き来する世界。

 

古色をまとった能面は、600年間変わることなく、見る者の心を揺さぶり続けています。

 

 

■「能面」の意味と種類。笑ったり泣いたり、実は表情豊かな能面の秘密

投稿日:

2020年1月29日

産地:

東京

タグ:

工芸

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「能面」の役割とは

能の舞台で使われる「能面」。その役割と、実は豊かな表情の秘密に迫りました。

 

まずは「能」について簡単に触れておきましょう。

 

能は、能面をかけて演じる一種の仮面劇です。人ならざるものを演じる主役 (「シテ」といいます) は多くの場合、能面を身につけて登場します。

 

物語の冒頭に登場するワキと呼ばれる脇役によって、観客はシテのいる異界へと誘われる形で能楽の鑑賞が始まります。能のストーリーはシンプルで象徴的。話の筋を追うというよりは、物語の主題となる「悲しみ」などの感情や、クライマックスに向かって演じられる舞の「高揚感」そのものを味わいます。

 

※詳しくは「古典芸能入門 『能』の世界を覗いてみる 」をご覧ください。

 

能ではなぜ仮面をつけるのか?

主役のシテは神様や鬼、幽霊など異界の者であることが多く、私たち観客はシテを通じて「あちら側の世界」を垣間見ることになります。

 

こちら側とあちら側 (異界) を繋ぐ役割となるシテは、舞台上で生身の人間としてではなく、異界の者になりきることが求められます。連載の「能の回」でお話を伺った能楽師の山井綱雄 (やまい つなお) さんは「能舞台に立つにはトランスフォーメンション (変身) が必要です」とおっしゃっていました。

 

装束を身にまとい、全ての支度が済んだ演者は、「鏡の間」と呼ばれる舞台のすぐ奥に位置する特別な部屋 (揚幕1枚を隔てるだけで舞台と地続きの空間は、演者にとって舞台の一部。演者が精神を統一する空間です) で、鏡の前で厳かに能面を身につけます。

 

ちなみに、能面を身につけることは「つける」ではなく、「かける」と表現されます。魔法にかけられるような「変身」「憑依」の意味合いが感じられますね。

 

能面は、面 (オモテ) とも呼ばれますが、オモテに見せる顔をつけることで、演者はそのウラの暗闇の中に姿を隠すのだそうです。

 

日常生活において、お化粧をすることでシャキっと気合いが入り、モードが切り替わったり、振る舞いに差が表れたりといった経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。さっきまで部屋でダラダラとしていた自分はどこへやら。素顔と異なる顔で覆うだけで別の人格が姿を表すというのはなんとも不思議です。

 

能の世界でも、面をつけることは見た目としての変身に加えて、演者本人が内面から変身するための重要な役割を担っているというのにも頷けます。

 

若い女性の面「小面 (こおもて) 」

若い女性の面「小面 (こおもて) 」 写真提供:新井達矢

 

能面は無表情ではない?

ところで、「能面のような顔」という表現は、無表情で何を考えているかわからない様子を指しますが、能面は本当に無表情なのでしょうか。たしかに、展示されている能面を眺めると、女面などは表情が読み取りにくく感じます。

 

しかし不思議なことに、物理的には変わることのないはずの硬い木でできた能面を通して、舞台上で私たちは豊かな表情を見つけることができるのです。

 

例えば、一般的に怖いお面のイメージを持たれることの多い「般若 (はんにゃ) 」からは、怒りだけでなく、鬼になってしまった女性の悲しみや苦しみが感じられ、せつなくなります。

 

女性の怨霊を表現する面「般若」

女性の怨霊を表現する面「般若」

 

「小面」などの無表情に見える女性面も、悲しみのあまり涙を流しているようにすら見えたり、舞がクライマックスに向かう部分で恍惚とした表情が浮かび上がったり。様々な表情の移り変わりに驚かされます。

 

「曖昧な表情」「非対称な作り」に秘密。能面にも「利き顔」?

演者によって命が吹き込まれること、観客が投影する心情による効果は大きいですが、実は、能面の「曖昧な表情」や「非対称な作り」にも秘密があります。

 

この「曖昧な表情」は「中間表情」などと呼ばれることもありますが、おそらくはあらゆる「表情の元」を少しずつ備えているのではないかと言われています。これが演者の表現と結びつくことで多様な表情が浮かび上がります。

 

能面は左右が「非対称な作り」になっています。その違いは「陰と陽」とも呼ばれます。私たち生身の人間の顔も左右非対称で、カメラに向ける「利き顔」とも言うべき好きな角度がある方もいらっしゃいますね。

 

左右非対称に作られている女面。左右で目尻や口角の向きなど見比べてみてください。あからさまな違いはないですが、このわずかな差によって多様な表情が浮かび上がります。 写真提供:新井達矢

左右非対称に作られている女面。左右で目尻や口角の向きなど見比べてみてください。あからさまな違いはないですが、このわずかな差によって多様な表情が浮かび上がります。 写真提供:新井達矢

 

加えて、顔の上下の動きでも表情は変化します。能では、やや仰向けにすると高揚した様子(「照ル」といいます)、少しうつむくと陰りのある様子 (「曇ル」といいます) が表現されます。ほんの少しの角度の違いで、喜びや幸福感、いじらしさや悲しみに暮れる様子、恥じらいや絶望など様々な表情を感じさせるのです。

 

在原業平の顔を表したといわれるアンニュイなハンサム面「中将 (ちゅうじょう) 」

在原業平の顔を表したといわれるアンニュイなハンサム面「中将 (ちゅうじょう) 」

 

面をわずかに傾けるだけでも表情が変化します

面をわずかに傾けるだけでも表情が変化します。少し険しい表情?

 

無表情に見える能面に何か不気味さや怖さを感じている方は、ぜひ一度、能舞台の上で能楽師の顔にかかった能面をご覧になってみてください。

 

畏怖の念を抱くことはあるかもしれませんが、演者と一体になった能面からは、生きた多様な表情をきっと受け取ることができるでしょう。

 

 

■中国雑技団のパフォーマンスから、一瞬で顔が変わる変面(變臉)という中国四川省の伝統芸能。

中国伝統芸能 「変面」 一瞬で顔を変える技.

 

変面(へんめん)とは?

変面とは中国四川省の伝統劇「川劇(せんげき)」内の一幕で披露された技巧。役者が手を顔に手を当てた途端に装着している仮面を瞬時に喜怒哀楽を表現しているそれぞれの仮面に変化させる門外不出の秘儀とされ、一子相伝のみ伝承を許された技法である。1360年代には既に変面の技巧が記述されていることから700年近い歴史を持つ技術である。

 

 

 

 

 

2020年1月結の栗橋における、JUNさん(西川口所属)の公演模様を、演目「そば屋」を題材に、「家族への思い」という題名で語りたい。

 

 

次は、演目「そば屋」のステージ内容を紹介したい。

これはお客参加型の典型的な作品だ。初めて拝見したときは最高にインパクトがあったね。なにせ私自身が参加したのだから(笑)。最初にJUNさんが舞台に出てきた時、他の常連さんを指名しようとしたが、彼が断わってたまたま対面にいた私の方を見たので私の方にお鉢が回ってきた。彼の気持ちはよく分かる。確かに、この役は一度やってしまったらインパクトが弱くなる。初めての方の驚きようを拝見しているのが面白い。

まずは、そのお客参加の芝居内容から話す。

最初に、JUNさんが蕎麦屋の女将の恰好で登場。手には、冷やし蕎麦とめんつゆが乗ったお盆を持っている。お客の前に、お盆を置く。まるで本物の蕎麦のように見えるが蕎麦は食品サンプルで食べられない。その変わり、めんつゆをお椀に注ぎ、一気に飲むようにすすめられる。おそるおそる飲んでみたら、なんとコーラだ。なるほど、めんつゆと書いてあるが小さなコーラ容器だ。ニコっと笑って一気に飲む。お代わりをすすめられ全部飲む。その後、お土産としてベビーラーメンをプレゼントされる。恐縮しながら頂く。

おもむろに、JUNさんが請求書を取り出し金額を書き始める。目元がキラリと光る。請求書を手渡され、書かれた金額のゼロの数を数え、目が飛び出る。20,000,000円とある。思わず、払えないと頭を下げる。JUNさんが着物の裾で目がしらを抑え泣き出す。という芝居である。

 

ステージでは、この芝居劇を主軸にして音楽を添え演ずる。

最初に、蕎麦屋の女将の恰好で登場。かすり生地の着物の上に茶色の半纏を羽織る。紅白のエプロンを付ける。白い足袋を履いて、音楽に合わせ踊る。

一曲目は、きゃりーぱみゅぱみゅの「音ノ国」。意外性のある派手派手な音楽でスタート。一気に別世界に誘う。歌詞をよく聴いていると曲の中にタヌキやキツネが出てくる。しかも蕎麦屋まで登場する。作詞作曲:中田ヤスタカ。2018年9月発売のきゃりーぱみゅぱみゅ4枚目のアルバム「じゃぱみゅ」収録曲。

 (歌いだし)♪「お日様ピカピカいい桃 どこから流れる音頭 さざ波立てた鯉の舞そーっとしておかなきゃよ…」

一曲目が終わり、半纏を脱ぎ、出前の蕎麦を客席へ運ぶ。岡持ち(出前箱)を開け、冷やし蕎麦、めんつゆ、茶わん、箸を布の上に並べる。

二曲目は、ふっくん布川 ソロデビューシングル「そば食いねぇ!」。2010年8月4日発売。布川敏和(ex. シブがき隊) 芸能生活30周年記念/(社)日本蕎麦協会公式ソング。

ふっくん布川自身が作詞を手掛けた。

(歌いだし)♪「たぬきに きつねに なめこに 月見 (ざるそば一丁!) 天ざる かき揚げ ちくわに わかめ ( もりそば一丁!) 海老天 いか天 鴨南蛮 (へい お待ち!) Japanese Baso It's a Baso にしんに おかめに けんちん おろし (天玉一丁!) とろろに ごぼうに いんげん おぼろ (かけそば 一) ...」

ここから芝居が始まる。流れる音楽がクラシックとは渋いねー。

「シューベルトの12の歌」をMONA ASUAKAが演奏。ミュンヘン出身のモナ=飛鳥・オットは、数々の国際コンクール優勝歴を誇り、幼少時より世界から注目を集めてきたピアニスト。

次は「水の上で歌う」をスミ・ジョーが歌う。水の上で歌う Auf dem Wasser zu singen』D774(作品72)は、1823年に作曲されたシューベルト歌曲。シューベルトのあまたの歌曲の中で最も美しい作品のひとつ。スミ・ジョー(英: Sumi Jo)は、韓国出身のソプラノ歌手。ハングル名はチョ・スミ(韓: 조수미、漢: 曺秀美、英: Jo Sumi)。カラヤンからその歌声を「神からの贈り物」と絶賛されたソプラノのスミ・ジョー。

芝居が終わり、音楽が変わり、袖で茶色の襦袢姿に着替える。そのままベッドショーへ。

近くでアクセサリーを確認。純金のピアスに、純金のネックレスがキラリ。

ベッド曲は、栄芝×近藤等則(エイシバコンドウトシノリ)の「さわぎ(Sawagi)」。古くも渋い音楽だね。日本らしい蕎麦屋の雰囲気が出ていいね。収録アルバム『The 吉原』。端唄の栄芝流家元、栄芝とジャズ・トランペット奏者/コンポーザー、近藤等則とのコラボレート・アルバム。端唄/小唄という日本の伝統の"粋"と、現代のテクノロジーを融合させた作品。

 

 JUNさんから次のコメントを頂く。

「私のおじいちゃんがそば屋の家で育ち、おばあちゃんが女郎屋の家で育ちました。おじいちゃんが毎日、おばあちゃんの家に出前を届け、一目ぼれをして、結婚したそうです。二人の出逢いに感謝すると共に、そば屋の演目を作りました。」

 今回の演目の由来がわかる。作品というのは自分の中から生まれるものなんだね。たしかにその人の血肉になっていない作品は人の心を打たない。だからこそ、表現者は自分を振り返る。JUNさんも自分探しの過程で、そこに亡くなった祖父母が現れ、この作品を創らせたんだろうね。

 蕎麦の香りや味がおじいちゃんを思い出させてくれるなんて最高に素敵なことですね。

 本作は、JUNさん一流のウエットを利かせた、ステキなストリップ作品に仕上がってます。

 

 ここまでがJUNさんへの観劇レポートになります。

 以下は、極めて個人的な話をさせてもらいます。

 

ふと、私も養祖父母のことを思い出した。

私には小さい頃、祖父母が三人ずついた。普通の子供は二人ずつしかいないのだから、今思えば、お陰でお小遣いもたくさんもらえたのだろうな。間違いなく愛情を人一倍もらったことは憶えている。

養祖父母には子供がいなかった。養子をもらったが戦争に行って死んでしまった。

だから、また私の父親をお向かいの家から養子にもらい、隣の村から私の母親を嫁にもらう。私は実家で初めて生まれた子供だった。だから、養祖父母はそれはそれは可愛がってくれた。私も三歳下の弟も、産まれてからずっと養祖父母の布団に寝ていた。それは両親が養祖父母に気兼ねしたためである。父は後々「養子になんてなるもんじゃない。自分は我が子と一緒に寝たことがない。」とこぼしていたことを覚えている。それだけ養子として養祖父母に気兼ねしていたのだろう。ともあれ、気難しい養祖父母と私の両親の間を我々兄弟がとりもっていた。まさしく子供が家族の「鎹(かすがい)」だったわけだ。

養祖父は富山で生まれた。次男坊だったので早くに家を出て、肉体労働をしながら、流れ流れて北海道に行った。そして函館で養祖母と出会った。養祖母は身売りされ女郎屋で働いていたらしい。結婚しても子供ができなかったのはこのときの仕事が原因だったのだろうと後に母親からこっそり聞いたことがある。

いずれにせよ、縁あった養祖父母は結婚して、養祖母の実家のある秋田に移り、そこで二人で酒・煙草などを扱う雑貨店を開いた。それが実家の始まりだ。私の苗字は元々は富山から来た養祖父のものなので秋田には殆どいなかった。

私は生後一歳頃、当時流行していた小児麻痺を患い足が不自由になる。そのため、通院を含め、養祖父母の背中の上で育った。だからこそ私の身体は二人の身体の温もりを今でも覚えている。養祖父母も両親も、家族皆が私の足を心配し歩けるようにしたかったのだと思う。小さい頃に湯治温泉にもよく行った。

 足は不自由だったがお陰で歩けるようになって、人並みの幸せを味わわせてもらった。それもこれも家族のお陰だと心から感謝している。母親は今でも「風邪から小児麻痺を発症させてしまったことを後悔している」と私に話すことがあるが、そんなことを気にすることはないと私は言う。私は十分に幸せだったと思っている。

 60歳を越え、自分の人生を振り返ると、「足が悪い」ことを抜きに人生は語れない。昔は普通の人のように歩けるようになりたいと思ったこともあったが、今ではそんな人生は考えられない。足が悪いからこそ、人並み以上に勉強して一流の大学を出て一流の会社に入れた。努力する基盤は悪い足が教えてくれた。田舎で見合いして人並みに結婚し子宝にも恵まれた。三人の子供たちは立派に社会人になり、今や私は三人の孫をもつ。

 ストリップにはまり家庭を壊してしまったが、後悔はない。これまで人並み以上の人生を送らせてもらったから、十分に幸せだったと思う。

 今は、自分の足で歩いて劇場通いできることが嬉しい。劇場通いできなくなったらお終いだなと本心でそう思っている。

 離婚してしまい、今は踊り子さんが私の女房代わり。ストリップの女房に会いに行けるうちは幸せだ。全然淋しくなんかない。

 不思議と先の心配はしていない。なんとかなるさと安易に考えている。悪いことは考えないようにしている。

 それもこれもストリップ通いが気を紛らわせてくれるからだ。合わせて文筆活動を楽しむ。ネタは自分が好きで楽しいと思うことしか書かない。好きなことにしか興味をもたないし、最近は気の合う好きな人としか付き合わない。好きなことだけ考えているからストレスはためず毎日が楽しい。書きたいことは沢山あるから時間がいくらあっても足りない。今はそんな生き方がいいと思っている。

 

 でも、JUNさんの話を聞いて、こうして亡くなった養祖父母のことを思い出す。

養祖父母とは血のつながりはない。小さい頃、戦死した人の遺影を眺めながら、「もし戦争で亡くなった人が生きていたら、私は実家に生まれなかったのかな?」と聞いたら、養祖父は「いや、それでもやっぱりおまえはこの家に生まれたんだ」とはっきり言っていた。私は養祖父から一字名前をもらっている。

 養祖父母は今の私をどう思うだろうか。家庭を壊して、ストリップ通いなんかして、情けない男だと思うのかな。恥ずかしい人生なのかな。

 妻や子供たちは私のストリップ通いを呆れて去って行った。ふと、三人の孫たちは大きくなったら、私のことをどう思うのかなと考える。

 今年の年始に、私は太宰治の「人間失格」を読んでみた。冒頭にある「私はこれまで恥ずかしい人生を送ってきました」に引き込まれるように。

 私はこれまで自分のマイナス面を隠せるなら隠したいと思いながら生きてきた。女の子の前では恥ずかしいから、足の悪い自分をさらしたくない。ストリップ通いが趣味だなんて恥ずかしいから人に言えない。今は、ストリップで家族も仕事も失ったなんて恥ずかしくて言えない。そう思って生きてきた。

 でも、すべて運命として甘受すべきときが来たように思える。私が小児麻痺で足が悪くなったのも運命。実家に足の悪い子供が生まれたのも運命。ストリップに出会ったのも運命。ストリップで家族も仕事も無くしたのも運命。こうした全ての運命を享受すべきだと思うようになった。

 私は表現者なのだ。自分の悪いところを隠さずに、あるがままに曝け出していいんだ。いや、そうしなければならないと思うようになった。先に「足の悪い自分」以外のことを考えられないと言ったのはそのことだ。

 太宰治に負けずに、赤裸々なストリップ版私小説「人間失格」を書かなければならないと思っている。それが過去と未来の家族への私の贈る言葉であり、家族を壊してしまった私の責務・宿命じゃないかなと感じているからである。その思いがどんどん強くなっている。

 

 こんなドロドロした私的な話をしてしまい誠に申し訳ありません。ペコリ

 JUNさんに出会い、もうすぐ六年になりますね。踊り子と客との関係ですが、とても仲良くなりました。私はそう感じています。JUNさんはステージを通じて自分を曝け出してくれます。だから、私も文を通じて自分を曝け出そうと思いました。これは私のストリップです。笑

踊り子と客は本来適度な距離を保つべきもので、あまりプライベートなことを語るべきではないと思っています。でもJUNさんには話したくなりました。60歳の肉声ストリップですが見てやって下さい。

 

 

2020年1月                           ライブシアター栗橋にて

 

 

2020年1月結の栗橋における、JUNさん(西川口所属)の公演模様を、演目「雪女」「そば屋」を題材に、「日本の美」という題名で語りたい。

 

  2020年1月中の蕨ミニ公演に1/20楽日に新年の挨拶に伺う。

その週の香盤は次の通り。①橋口美奈(フリー)、②みと小鳥美(道劇)、③kuu(フリー)、④黒井ひとみ(栗橋)、⑤JUN(西川口) 〔敬称略〕。

 そして、翌週の栗橋にも伺うと約束する。

2020年1月結の栗橋公演に1/27に顔を出す。

その週の香盤は次の通り。①アキラ(道劇)、②蟹江りん(栗橋)、③JUN(西川口)、④黒瀬あんじゅ(TS)、⑤倖田李梨(ロック) 〔敬称略〕。

その日は夕方から関東に初雪が降る。そのせいもあって客入りは少ない。場内も当然のごとく寒いはずであるが、一回目ステージに、JUNさんの「雪女」と黒瀬あんじゅさんの「雪の女王」が続いて演じられたから、そりゃ寒くもなるわな。(笑)

 

 

二作品とも、すごくインパクトの強い内容で、お正月や寒い冬の時季柄に合わせた作品だ。しかもJUNさんの場合とても日本的だ。

ステージ内容を紹介したい。

まずは、演目「雪女」。なんと「すべて雪女という曲のタイトルなんです」。すごく凝ってるねー。

最初に、暗い中、ナレーションが入る。キッズソング ドリーム の曲「雪女」だ。

これは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が書いた著書『怪談(Kwaidan)』の中にある雪女伝説が元ネタになっている。ナレーション(原作)は次のように続く。・・・

武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉という2人の樵が住んでいた。茂作はすでに老いていたが、巳之吉の方はまだ若く、見習いだった。

ある冬の日のこと、吹雪の中帰れなくなった二人は、近くの小屋で寒さをしのいで寝ることにする。その夜、顔に吹き付ける雪に巳之吉が目を覚ますと、恐ろしい目をした白ずくめ、長い黒髪の美女がいた。巳之吉の隣りに寝ていた茂作に女が白い息を吹きかけると、茂作は凍って死んでしまう。・・・

舞台では、暗い中、JUNさんが白い着物姿で現れる。銀の帯をしている。白い足袋を履き、盆の上に進む。そして盆前の一人の客の顔に息を吹きかける。ゾクッとする。

また、おもむろに、他の客の顔に、自分の長い髪を揺らして上から叩きつける。お客は驚く。強烈な演出である。

音楽が変わる。葉のついた青紫色の花を一輪持つ。

銀の帯を解いていく。その下の白い紐も解き、白い襦袢姿になる。青い帯をしている。

二曲目は、Ningen I suの「雪女」。

人間椅子(にんげんいす)は、日本の3ピースロックバンド。1987年、青森県弘前市出身の和嶋慎治と鈴木研一によって結成された。ブラック・サバスを彷彿とさせる70年代風ブリティッシュ・ハードロックのサウンドに、日本語・津軽弁での歌唱、怪奇をテーマとした世界観の歌詞をのせた、独特の音楽性を特徴とする。

音楽が変わり、袖のところで襦袢を脱ぐ。下には透け透けの白いドレス。

青紫の花をもち口に咥えて、盆に移動する。

三曲目は、宝塚歌劇団の「雪女」。

ベッド曲は、TEAMS +NOAH + REPEAT PATTERNのアルバム「KWAIDAN」の中の三曲目「yukionna」。

立ち上がりは、JAYWALKの「YUKI-ONNA ~雪女~」。作詞:知久 光康、作曲:中村 耕一。

(歌いだし)♪「夜より密かに君月より静かにまた 夢より遠くで呼ぶ氷の炎に包まれて 夜空を舞い 雪を撤く寂しいほど自由に百万分の一秒の恋突き刺すように 永遠に 変わることなく綺麗なまま 閉じこめたい抱きしめて 融かしてしまえば今はダイヤの 涙が流れる 彩より総てを ...」 とてもキレイな歌詞でメロディだ。

 

よく雪女というタイトルの曲をこれだけ集めたものだと感心する。と同時に、これだけの一流ミュージシャンたちが何故これだけ「雪女」にこだわって曲にしたのかと思う。今回の作品を今の時季柄にあった妖怪ものとして、単に面白おかしく受け止めていいのだろうかと思うようになってきた。

いつものように、教えてもらった曲をネットで調べて聴きこんでみた。

その中で、ベッド曲の雪女を創った三人のインタビュー記事が目を引いた。・・・

USのプロデューサーTeamsと日本在住の写真家/ビートメイカーRepeat Pattern、北海道出身の女性アーティストNoahのコラボレーションによるコンセプト・アルバム『KWAIDAN』。本作は、1965年に公開された日本の映画『怪談』からインスピレーションを受けて制作されたものだという。3人のアーティストによる共同制作だからこそ生み出された、美しくも、まさに霊異な世界観が表現されている。

このアルバム「KWAIDAN」は、すなわち「怪談」を意味している。プレスリリースには、「古代から伝わる怪談を幽霊の物語としてではなく、サウンドトラックを持った普遍の物語/神話として捉え、身体のない人間と精神の対話をロマンチックに描く」とある。

インタビューの中で琴線にふれてくることがあった。

『怪談』は、映画を見て人を驚かすためのホラー映画ではなくて、もっと人間がどういう生き物なのか知るような、考えさせてくれるような映画です幽霊と人間との違いは、身体があるかないかというだけの違いなんですけど、生きている人間というのは、身体があるが故にいろいろと複雑なことを考えてしまいますでも幽霊は、自分がこうしたい、とか、これをわかってほしいとか、考えがシンプルだけど、それに関してはものすごく極端というところがあって幽霊と接する人間の様子から、普段はいろんなもので隠してる人間の本当の顔みたいなものを感じました。たまに垣間見る人の気持ちとか本性とか、その描写がまた神秘的で。そういうところを感じ取りながら歌詞を書いていきました。」

「この映画のストーリーは確かに怖いものではあるんですけど、このアルバムの曲はもっとオペラのような美しいものになっています。彼女(Noah)が書いたリリックは、主人公の幽霊に対する解釈でもあるんですが、なぜこの映画が美しいと感じるのか、その部分がどのように物語に関係しているのか、なぜそれが怖くないのか、そういったものが表現されているんです。それは、映画の幽霊と日本の文化を理解することだとも言えます。」

怪談は美しい。幽霊は日本の文化だ!!!  すごい言葉だなぁ~・・・

 

こりゃ、もう一度、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談(Kwaidan)』を読み返さないといけないと感じた。先の引用文の続きを載せる。・・・

女は巳之吉にも息を吹きかけようと巳之吉に覆いかぶさるが、しばらく巳之吉を見つめた後、笑みを浮かべてこう囁く。「お前もあの老人(=茂作)のように殺してやろうと思ったが、お前はまだ若く美しいから、助けてやることにした。だが、お前は今夜のことを誰にも言ってはいけない。誰かに言ったら命はないと思え」そう言い残すと、女は戸も閉めず、吹雪の中に去っていった。

それから数年後、巳之吉は「お雪」と名乗る、雪のように白くほっそりとした美女と出逢う。二人は恋に落ちて結婚し、二人の間には子供が十人も生まれた。しかし、不思議なことに、お雪は十人の子供の母親になっても全く老いる様子がなく、巳之吉と初めて出逢った時と同じように若く美しいままであった。

ある夜、子供達を寝かしつけたお雪に、巳之吉が言った。「こうしてお前を見ていると、十八歳の頃にあった不思議な出来事を思い出す。あの日、お前にそっくりな美しい女に出逢ったんだ。恐ろしい出来事だったが、あれは夢だったのか、それとも雪女だったのか……」

巳之吉がそう言うと、お雪は突然立ち上り、叫んだ。「お前が見た雪女はこの私だ。あの時のことを誰かに言ったら殺すと、私はお前に言った。だが、ここで寝ている子供達のことを思えば、どうしてお前を殺すことができようか。この上は、せめて子供達を立派に育てておくれ。この先、お前が子供達を悲しませるようなことがあれば、その時こそ私はお前を殺しに来るから……」

そう言い終えると、お雪の体はみるみる溶けて白い霧になり、煙出しから消えていった。それきり、お雪の姿を見た者は無かった。・・・

 

まさしくこれは童話「鶴の恩返し」と同じストーリー展開だ。ここには普遍的な男と女の愛の物語がある。

ふと、私は別れた女房のことを思い出す。雪女のように色白で美しい女性だった。同じ郷土の秋田美人。いまさらながら私のような足の不自由な男のところによく嫁いできてくれ、かわいい三人の子宝を授けてくれたものだと感謝する。子供たち三人とも立派に社会人になってくれ、私はすでに孫三人のいるおじいさんになった。振り返れば、子供たちが立派に巣立った後の熟年離婚だったのがまだ救いだった。家庭を壊してしまったが、私は幸せな人生だったと思っている。

家庭を壊してしまったことが無念でもある。女房や子供たち、特に女房には心からすまないことをしたと思っている。私は死ぬまでこの大きな業を抱えて生きていくしかない。女房は雪女のように、私を殺さずに出ていってしまった。雪女は私にとって他人事ではない。

雪女に捨てられた男はこの先どう生きていけばいいのだろうか。今ではストリップで独り身の淋しさを紛らわせている。もしかしたら踊り子も雪女かもしれない。ふと、そう思う。いつまでも美しさを失わない。でも、ある日、突然に別れはやってくる。

 

雪女に秘められた「日本の美」を整理してみたくなる。

雪というものは真っ白で、溶けて消えていくもの。純白の美しさと儚さを合わせ持つ。それは真の美人に通じる。しがない男性と絶世の美女がいつまでも幸せでいられるはずがない。そこには無理に組み合わされた儚さ・脆さ、人生の不安定感が生ずる。そして男女の別れは突然にやってくる。美人薄明とは云うが、美人は男より早く死ぬことになる。死をもって別れとするのは面白くないので、昔の人は物語展開として「鶴の恩返し」や「雪女」に仕立てたのだと思う。

夫婦の間でも、言わなくてもいいことをつい口に出してしまったり、時に嘘をついてしまったり、いろんなことが起こる。「鶴の恩返し」や「雪女」はそうした戒めの話である。ストリップにはまり、どうしても劇場に行きたいものだから、「今日は残業だ」「忙しいから休日出勤だ」「今日は付き合いゴルフだ」と小さい嘘を重ねてしまう。それらが、一番大切な人を裏切ってしまう。「ストリップは単なる遊びだ」と言い訳しても、妻は聞く耳がなくなる。そして、去っていく。現代版の「雪女」みたいなものだ。

今にして思えば、妻は雪女のように綺麗だった。「美人薄明なんだから」というのが妻の口癖であったが実際は長生きしている(笑)。でも確かに老けなかった。そう思えた。夫婦は一緒に歳を重ねているせいか、いつも出会った時のまま。踊り子と客というのも同じで、いつも出会ったときのままなのである。男の心の中では踊り子は老けない。みんなが雪女の素養を持っている。

NHKのTVでやっていたが、日本の豪雪は世界の奇跡なのだそうだ。地球規模で日本と同じ緯度のところは乾燥地帯になり砂漠が多い。ところが日本には多くの雨が降り、森が多い。アマゾン並みに樹木が茂る。その雨は日本海側では雪になる。雨が多い原因は、黒潮が雲(水蒸気)を運んでくるから。たしかに台風の進路もそうなっているね。TVでは黒潮はマントルの影響により生じたと詳しく解説していたが、ここでは割愛する。

ともあれ、豊かな雨によりできた豊かな森で、厳しい雪の中、雪女という話は日本の風土としてできあがった。まさしく日本人の精神構造に深く根ざしている。

 

雪女というのは、常に「死」を表す白装束を身にまとい、男に冷たい息を吹きかけて凍死させたり、男の精を吸いつくして殺すものである。まさに「雪の妖怪」である。

しかし、雪女の妻は私を殺さずに別れて行った。雪女である踊り子たちも私を殺さずに相手をしてくれる。

生き残った私にも、これから先なにか生きる道があるのだろうと思える。

たくさんのミュージシャンが雪女の音楽を奏でているのと同じように、私も表現者の一人として雪女の童話を書いてみたくなる。もしかしたら、踊り子JUNさんは、今の私の気持ちを童話にしてみたらと背中を押してくれているようにも思える。JUNさんも雪女であり私のストリップの女房である。そう思いつつ、この観劇レポートをまとめている。

 

JUNさんの作品「雪女」は、前にあった「百鬼夜行」から続く妖怪もの。

最近、私は映画をよく観る。年間200本以上観ている。ストリップと同じく、完全に趣味化した。たくさん観るので、以前は避けていたホラー映画まで観るようになった。(笑)

ホラー映画を単に怖いものとして捉えるのではなく、人間のもつ奥深い情念の表現として捉えると面白い。そこには愛があり葛藤があり、人生の機微がある。だからこそ、その霊異な世界観を表現したホラー映画には味がある。

また今回、雪女という怪談に触れ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談(Kwaidan)』を読み返すと、そこには日本人独特の精神文化がある。

表現者であれば、怪談などのホラーを避けては通れない気がしている。

 

 

2020年1月                           ライブシアター栗橋にて

 

 

                       

童話『雪女』 

 

しんしんと雪の降りしきる、ある寒い夜だった。

私はこみいった用事をようやく済ませ、深夜遅く帰路を急いでいた。

一人の女が橋のたもとに立っていた。しかも傘も持っておらず頭巾をかぶっているだけだった。

「お嬢さん、こんなところでどうされたんですか? 」

私は不憫に思い声をかけた。

「道に迷ってしまいました。」

彼女は一言そう答えた。その声は哀れに満ちていた。なにか事情がありそうだ。もしかしたら橋の上から身投げしようとしていたのかもしれない。

「すぐ近くに私の家があります。よかったら今夜は私の家に泊まっていきませんか?」

彼女はこくりと頷いて、私の後をついてきた。

              

家の中に入り、灯りを付けて、頭巾をとった彼女の顔を見て驚いた。彼女は、まさしく雪のように透き通った白い素肌を持ち、面長な顔立ちの美しい女だった。

「疲れているでしょう。すぐに奥の部屋に布団をとりますから、そこでゆっくり休んで下さい。」

彼女は丁寧にお辞儀をしてから、奥の部屋に入っていった。

              

翌朝、彼女は早々と起き、朝食の支度をしてくれていた。

私が起きてきたのを見て、丁寧に泊めてもらったお礼を言った。

そして「あなた様さえよろしければ、このままここに居てもいいですか?」と言う。

私は美しい彼女の瞳を見つめたまま、おもわず「どうぞ」と答えてしまった。

彼女の名前は小雪といった。

私と小雪はそのまま夫婦になった。

              

近所の人たちは羨ましそうに私を見ていた。

「これほどの美人がなんで、こんな俺のとこに嫁に来たのだろう?」

私はずっと考えた。不細工な顔の私に、こんな美人の奥さんができるなんて信じられなかった。

これも運命なのか? いい運命なのだから有難く受け入れればいい。そう割り切った。

              

小雪はニオイを感じさせない女だった。

お風呂好きでキレイ好きだったせいもあるだろう。女の人って皆そうなのかな。女に比べて、男は不潔だからニオイを感ずるのかなとも思った。

しかし、小雪の場合は特別じゃないかなとも思えた。小雪は汚いものを一切見ようとしない。家の中はいつもこまめに掃除をして塵ひとつ落ちていない。食べ残しはすぐにビニール袋に包んで屑箱の中に入れてしまう。少しでも汚れた着物はすぐ洗濯してしまう。

だから私の目の前には汚れたものは何ひとつなかった。独身時代が長い私は、汚れた着物もゴミだらけの家の中も全然平気だったので、それは天国と地獄の差にも思えた。

              

さらに、小雪は「夫婦の間で嘘はいやよ。あなた、お願いだから絶対私に嘘はつかないでね。」と言う。

外見だけでなく、内面も潔癖を装った。そして、それを夫である私にも要求した。

小雪の真っ直ぐな美しい眼差しを浴びると、私は黙って「うん」と答えるしかなかった。

              

小雪は子供を欲しがった。

お腹に子供を宿していると幸せな気分になるらしく、立て続けに子供が生まれた。

美人の奥さんとの子作り行為は楽しいかというと、そうでもなかった。潔癖症の小雪は不感症だった。美しい人形を抱いている気分なのだが、私は小雪の雪のように透き通った白い肌が好きだった。そう、小雪には性のニオイが無かった。

 

もうひとつ不思議なことがあった。小雪は何人子供を産んでも老けなかった。いつも出会ったときの容姿のまま美しかった。

夫婦というのは一緒に歳を重ねるから、お互いに齢をくった感覚がなくなるという。だから、出会った時のイメージをずっと持ち続けるのだと。そうなのかなと私は自分自身を納得させていた。女房がいつまでも綺麗でいてくれるほど嬉しいことはないから。

私は美しい妻とかわいい子供たちという幸せな家族をもった。それがいつまでも続くものと思い込んでいた。

              

ある日、私は小さな嘘をついた。

「今まで仕事をしていたんだよ」

ストレス解消にただ遊んだだけだ。遊びと割り切っているから私には罪悪感がなかった。

夫婦円満でいるには時に「嘘も方便」だと思った。

しかし、小雪はその嘘を許してくれなかった。

「あなた、私のことをずっと騙していたのね。」

小雪の目は怖かった。しかし彼女の目には、怒りと一緒に悲しみが入り混じっていた。

              

「あなたは物書きだから、書くネタが欲しかったのよね。いいわよ。あなた、小説を書きたいんでしょ。あなたの好きなように、家庭を壊してかまわないわ。」

「その代わり、子供たちのことは預けたわよ。万一、子供たちを不幸にしたら許さないからね。」

小雪はそう言い残して、家の扉をバタンと開け、外に飛び出していった。そして二度と帰って来なかった。

外はしんしんと雪が降っていた。

              

私は、はっきりと小雪が雪女だったことを確信した。

しかし、いま考えると、小雪と過ごした日々は宝石のように煌いた時であったことに気づく。

雪は一切のものを包み隠す。綺麗なものも汚いものも、全てを区別なく覆い隠してしまう。区別しないところが雪の潔さでもあり、差別しないところが優しさでもある。

 

                                    おしまい     

 

 

ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第31章 北の劇場での恐怖体験の巻

~JUNさん&黒瀬あんじゅさんに捧げる~

 

 

 

 ちんぽ三兄弟は劇場仲間を誘って、慰安旅行と銘打って北の温泉場に出掛けることになった。

 今年は暖冬だったが、旅行の当日、夕方から雪が降るという天気予報だった。寒くなるが、温泉につかるには最高の気分を味わえそうだ。

 一行は、温泉旅館に到着後、すぐにひと風呂浴びて、その後、郷土料理を味わう。お酒も入っていい気分。

「この近くに、たしかサビれたストリップ小屋があったはずだ」

 一行はスト仲間ばかりなので、当然のごとくストリップに向かう。旅館の番頭に場所を聞いたら、すぐそこだと言う。一行は旅館の浴衣の上にコートを羽織って出掛けた。向かう途中でちらちらと雪が舞ってきた。なんともいい雰囲気。一行は酒酔いの勢いもあって意気揚々。

 

 ストリップ小屋は夜20時が開演時間となっているが、お客が少なすぎると待ちとなり、お客が三人以上集まったところで漸くスタートとなる。

 踊り子は二人だけ。四回公演で深夜24時前には終わる予定。

 場内はずいぶん寒かった。雪が降ってきたこともあり、すきま風が通り抜けと、ちんぽ三兄弟一行は寒さにブルッとした。

 

 一人目の踊り子が現れた。それはそれは綺麗な日本女性だった。憂いを帯びた流し目にゾクッとした。さすが北国の女性は色白で美人だなと一同感心する。

 彼女は賄いの女将のような恰好をしている。そして、かぶりに座っているちんぽ三兄弟の長男に対して、一杯の冷やし蕎麦を差し出した。どうするのかと訝る長男に対して、彼女は「食べなさい!」と目で合図する。

 さすが温泉場のストリップは小粋だなぁと感心する。長男は冷やし蕎麦に手を付けた。踊り子は一瞬ニヤリとした。冷やし蕎麦はガチガチに凍っていた。てんつゆの表面にもうっすらと氷がはっていた。その冷たさは、場内の寒気と相まって、長男の身体を心底ひやしてくれた。食べ終わった彼の唇は紫色に変わっていた。

 食べ終わった彼の目の前で、踊り子はそっと請求書をきって彼に渡した。

 請求書には「食事代20万円なり」と記載されていた。

 それを見た長男は背筋に悪寒が走り、後ろにひっくり返った。

 一瞬ぼったくりかと思い気や、ストリップでそんなことがあるはずがない。踊り子はくすくすと笑った。余興と分かって、一同ホッと安心するも、酔いは一気に醒めてしまった。

 すぐさま踊り子は観客席に冷たい視線を流した。観客は一同ゾクッとした。

 雪女の怖い音楽が流れた・・・♪

「彼女は雪女なんだ!」 ちんぽ三兄弟はハッと気づいた。一瞬、逃げようかと考える。

 しかし、彼女が踊り出すと身体が凍り付いたように動かなくなった。

 彼女が着物の裾を掴んでめくる。綺麗な素足が見える。そうなると「雪女のあそこはどうなっているのかな」と気になる。寒気が吹き飛び、目が血走る

 透き通るほどの色白の素肌の間に、黒い陰毛が見えた。なんか寒い中にも一瞬のほのかな温かみを感じる三兄弟だった。

男ってバカだよねぇ~

 

 もう一人の踊り子が舞台に現れる。舞台の上に、雪が舞っていた。たまらなく寒い。

彼女はキラキラと輝く王冠をした「雪の女王」の恰好をしていた。寒いはずである。

 ちなみに、彼女の髪の毛は金髪だった。でも顔立ちは日本人なのできっとウイッグ(かつら)をかぶっているのだろう。

 彼女はかぶり席に座っていたちんぽ三兄弟の顔に息を吹きかけた。めっちゃ冷たい。とても人間の吐く息とは思えない。

 「彼女は本物の雪の女王だ!」

 ちんぽ三兄弟はそう気づいたものの、逃げられない。身体が凍り付いて動かなかったのだ。

 しかし、その美しさは格別だった。Cool Beautyというのはまさに彼女のことを言う。美しさを感ずるためには寒さなんて甘んじて受け止めなければならないのだと思わせた。

 音楽は映画「アナと雪の女王」のテーマソングである。いいメロディだ♪

 しかし、ちんぽ三兄弟は音楽よりも、「彼女のヘアは金髪だろうか? 雪の女王のアナはどうなっているのだろうか」と真剣な眼差しとなる。あそこも金髪にしているのかな? もしかしたら雪の結晶になっているかもしれないかなと真剣に思う。

 男って本当にバカですよねぇ~♪

 

 あっという間の一時間であった。

 最後に、二人の踊り子が並んで見送りをしてくれた。一行はどこか後ろ髪を引かれる気分で外に出た。雪がしんしんと降り、辺り一面真っ白な雪化粧になっていた。

 ちんぽ三兄弟は身体が芯まで冷え切っていたが、なぜか心はポカポカと暖かくなっていた。

                                    おしまい

 

 

 

2019年10月頭の渋谷道頓堀劇場における、JUNさん(西川口所属)の公演模様を、演目「インド2019」を題材に、「ストリップでワールドツアー」という題名で語りたい。

 

 

2019年10月頭の渋谷道頓堀劇場に初日から顔を出す。

今週の香盤は次の通り。①JUN(西川口)、②日美姫ゆき(DX東寺)、③宇佐美なつ(道劇)、④希望のん(道劇)、⑤kuu(フリー)、⑥北川れん(道劇)〔敬称略〕。

 

 JUNさんとは、先週の大和ぶりとなる。

 JUNさんは私の童話の大切な読者であり、専属マンガ家でもある。いまや、一番たくさんお絵描きをしてもらっている方になった。最近、私が精力的に書いている「ちんぽ三兄弟」シリーズも一早く読んでもらい、イラストをたくさん描いてもらっている。そのため、「ちんぽ三兄弟」シリーズの外伝でもある長編童話「STRIP EDEN」を書き上げたので是非ともJUNさんに最初に読んでほしくて持参したところ。

 もうひとつ、まさご座所属のMINAMIさんが描いてくれた猫の「みい子」の絵を持ってきた。「みい子」はJUNさんが名付け親らしく、MINAMIさんの絵にはJUNさんのキャラクター猫の「じゅんこ」へのメッセージが入っていた。それを見たJUNさんが大喜び。すぐに、JUNさんから「みい子」へのお返しのメッセージ入りのお絵描きが返ってきた。そして、ポラ時に「今週はまさご座に行くの?」と尋ねられる。今週はMINAMIさんの一周年、しかも仲良しの浅葱アゲハさんも出演している。こりゃ、まさご座に行かないといけないなー!!! 気持ちが急遽まさご座に向かう。そのときにMINAMIさんにJUNさんから頂いたメッセージ入りイラストを渡そうと思う。これから、じゅんことみい子の伝書鳩になりたいな。もともとMINAMIさんは「私はお絵描きは苦手」と言っていたが、JUNさんのお陰で「みい子」のお絵描きを頂けた。二人の伝書鳩になれれば、MINAMIさんからもっとお絵描きがもらえるかもしれないな・・と密かに期待する。

 

 さて、今週のJUNさんの出し物は大和と同じ。1,3回目に演目「インド2019」、2,4回目にはジャネットジャクソンを着物で踊る演目をやっていた。「ストーリーは特にないのですが、大好きなジャネットジャクソンです。」

演目「インド2019」については、2019年6月中の大阪晃生ショー劇場で初めて拝見していた。そのときに、この演目について丁寧な解説を頂いていた。「インドをテーマに何を作るかを調べました。今、もっともインドで流行っている曲は何だろうと調べると、HIPHOPもかなり多かったです。なので、インドの人から見たインドの演目を作ってみました。日本人は着物を着ているというイメージあるように、インドはインド舞踏という固定概念を取ってみたところ、インド人の気持ちが少し1mmくらい分かったような気がしました。」

 

インド舞踊に興味を持つ踊り子さんはけっこういるよね。場所的に近いせいかアラビアンとよく似ている。ただアラビアンダンスを演ずる踊り子さんは数多いが、インド舞踊をステージで演じる方はそう多くない。

私の記憶しているところでは、10年ほど前にロックの踊り子・矢崎茜さん(引退)が演じた『wa-do』。和とインドを融合させたこの作品には驚嘆した。アラビアンはよく見るが、インド、しかも和との融合の試みは例をみない。私自身、テーマを理解するのが難しかった。「ベッドでは頭の仂をとり、ちょっと、いやらしい女になります(笑)アラビアンは多いですが、インドっていうのは、ちょっと変わってますよネ。難しいです。。」ものすごく難しいテーマにチャレンジしているなと感心した。

最近では、5年前に道劇のeyeさん(水鳥藍改名)が演目「ボリウッド」を演じていた。私はこの時にボリウッドという言葉を初めて知った。「ボンベイのボと、ハリウッドをかけて、インドの映画やエンタメ産業をボリウッドといいますよー」。世界有数の映画大国インド。その制作の中心となっているムンバイ(旧ボンベイ)は、 ハリウッドをもじって「ボリウッド」と呼ばれている。

エレガントでエキセントリックなインド舞踊(カタックダンス)が始まる。仏像を彷彿させる丸い手の動きが特徴。エキゾチックで幻想的な踊り(ラジャスタン)に魅了された。

また、インドの衣装も魅力的だと思った。インドのターバンヘア。額に付ける金の飾り。これはインドの結婚式のヘアアクセサリー。

今回、前に書いていた観劇レポートを懐かしく読み返した。

 

こうした前例のお陰で、JUNさんの作品「インド2019」も興味深く眺められた。

今回の作品の特徴は、JUNさんに解説してもらったように、最新インド人気音楽ボリウッドヒット曲を取り入れた点にある。

ステージの最初に、「後ろ合掌のポーズ」で始まる。ヨガのポーズ(パールシュボッターナアーサナ)を綺麗に決める。一瞬にしてインドの世界に入っていく。

衣装はオレンジの上下セパレートで、だふっとした感じに着る。肩出しで、腕にもオレンジの布袋。頭には、金のヘアバンド、髪は後ろにひとつ結び。顔の前面は黄色い布で覆う。裸足で踊る。

一曲目は、アシャ・ボスレの「Thodasa Pagia(Remi)」。 

音楽が変わり、どんどん衣装を脱いでいき、着替える。

 上半身は金色の首飾りとブラになる。手には肌色の布を持って音楽に合わせ軽快に踊る。

 二曲目は、Dhyan Deの「Emiway Bantai」。ラッパーだね♪

 音楽が変わり、暗転。

三曲目は、Jasbir Jassiの「Ek Onkaar」。お経のような音楽だね♪

白い衣装に着替える。肩出しで、上下セパレート。白い小さい花が散在しているオレンジの長い布を振り回しながら踊る。

四曲目は、Arijit Singh & Asees Kaur の「Ve Maahi」。デュエットしているからインドらしい恋愛メロディなのかな♪

オレンジの長い布を盆の上に敷いて、ベッドショーが始まる。

ベッド曲は、B Praakの「Teri Mitti」。いい声で歌唱力があるね~♪ 2019年に公開されたインドのアクション・戦争映画『KESARI/ケサリ 21人の勇者たち』の主題歌。

 

まさに「インドへようこそ!」といった作品である。

思えば、JUNさんの演目は、世界各地にわたっている。最近の作品でも、4周年作「ボラーレ」はスペインのフラメンコ。私が気に入ったアフリカの民族舞踊「アフリカ」。もちろん和物はたくさんある。更に「百鬼夜行」で妖怪の世界まで行っちゃう♪ 作品で世界旅行できる気分になる。「ストリップワールドはあちこちに行けますね。今度、ワールドシリーズを書いてほしいです。」

 

 

2019年10月                           渋谷道頓堀劇場にて

 

 

JUNさん(西川口所属)について、2019年5月結の池袋ミカドでの公演模様を、演目「百鬼夜行」を題材にして、「人間こそおばけか!?」という題名で語りたい。

 

 

2019年5月結の池袋ミカドに顔を出す。

今週の香盤は次の通り。①JUN(西川口)、②雛形ひろ子(TS)、③美月春(道劇)、④金魚(道劇)、⑤浜崎るり(晃生)、⑥南美光(TS)〔敬称略〕。

 

 今週の出し物は1,3回目に園田しほりさんから頂いた演目「百鬼夜行」、2,4回目には翔田真央さんから譲り受けた演目「曽根崎心中」。前回5月頭の栗橋では逆でしたね。

  他の人の作品もJUNさんの手に掛かればJUNさんなりの味が出ていいね。また、自作だけにこだわらず、他の人の作品からも多くのものを吸収しようという姿勢は大切だね。そもそもJUNさんの人柄から譲ってもらえたわけだしね。ありがたいことです。

JUNさんから演目「百鬼夜行」について解説をもらった。「こちらは、園田しほり姐さんから頂いた演目です。100匹の妖怪を引き連れた総大将のお話です。今年3月21日の週(ライブシアター栗橋)に出した演目です。」

 JUNさんのトレードマークは「じゅんこ」。おばけのQ太郎に似ている。だから、おばけのテーマを演じているからにはレポートせずにはおれなくなった。笑

 じゅんこに「妖怪になんかようかい?」と言われたような・・(親父ジャグです)

 

 さっそく、ステージ内容のさわりから。

 最初に、インスト曲に合わせて、妖しい着物姿で登場する。

 右の頬っぺたに‘じゅんこ’のペイントがある。おばけを意味している。

 髪は、丸く結い、簪を付けている。

 上半身は、長い振袖のついた紺の着物。黄色い花の絵柄が描かれている。金と黒の格子縞の帯を締める。下半身は黒いズボン。音楽に合わせ、扇を持って裸足で踊る。銀の扇には緑の松の木が描かれている。時折、飛び上がるシーンもある。

 すぐに、音楽は、米津玄師の「百鬼夜行」に変わる。まずは米津玄師がこんな歌を作っていたことに驚く。2014年4月23日発売の米津玄師(ハチ)2nd Album「YANKEE」収録曲であるが、「百鬼夜行」は先に、米津玄師のメジャー1枚目のシングル『サンタマリア』(2013年5月29日リリース)のB面に収録されている。発売以前にも自身のUSTREAMチャンネルで弾き語りしていたという初期の作品である。昔の米津玄師はなんだか棘があって、それがまた今とは違う良さがあるね。この曲は♪「我らは現代の妖怪だ!」という歌詞の通り「現代の人間を妖怪に例えた歌」だ。とっても皮肉っぽくてそんでもって下ネタのオンパレードである。この曲に出会えただけでも、私にとって今回の演目の意味は大きい。

 一旦、暗転し、音楽が変わり、着替える。

 今度は、右側が白で、左側が水色の着物姿。長い振袖が付いている。左の襟には赤い花のマークが二つワンポイント。髪は先と同じ。

 音楽は、澤田かおりの「おばけ」。歌詞も面白いがドラマティックなストリングスがいい。2016年10月5日リリース。メジャー2ndアルバム『FRONTIER』収録。

 澤田かおりさんの声や音楽に興味をもったので調べたら驚きの連続。

澤田 かおり(1985年8月17日 – 現在33歳)は、日本の女性シンガーソングライター。アメリカ合衆国シアトル生まれ、東京都杉並区育ち。幼い頃からクラシックピアノ、エレクトーン、作曲法などを学ぶ。高校卒業後、1年間ファッションモデルとして活動。2005年に渡米。NYブルックリン音楽院を経て、2006年にバークリー音楽院入学。声楽科選抜コンサート"SINGER'S NIGHT"に日本人初のソロ・ヴォーカリストとして選出。同院卒業後、2011年8月には初のミニ・アルバムを発表。メディアで話題となる。2012年7月、フル・アルバム『PRISM』をリリース。また、CM音楽でも高く評価されている。2015年1月、シングル「幸せの種」でメジャー・デビュー。

井上陽水やMISIAのツアーに同行し、楽曲提供、CM曲制作でもその才能を発揮して注目を集める。東芝のCMで総合広告電通賞、テレビ広告電通賞を受賞。 母は女優の沢田亜矢子で、ブログ内で紹介したり、ライブのゲストとして呼んだりしている。→ TVサスペンスドラマによく出演されていた美人女優の沢田亜矢子はもう70歳になっているんだ。シングルマザーとして噂されていたが、米国で女の子を産み、それがシンガーソングライターの澤田かおりさんとはびっくり☆

また経歴を見て驚いたが、本格的に音楽の勉強やってきた彼女の音楽性が素晴らしい。「幸せの種」の曲を聴いて心が震えたよー。こういう人こそ応援しないといけない。

そのまま、ベッドショーに移行。

ラスト曲は、Mattsu ToBitの「Hyakkiyakou」。ネットで調べたが、私の探し方が悪かったせいか、この曲だけ調べられなかった。残念↓      

 

 

 さて、ステージのさわりはここまでにして、テーマ「百鬼夜行」について話したい。

 まず「百鬼夜行」をネットで検索。

 ピクシブ百科事典によると、次のようにある。・・・

百鬼夜行とは、妖怪が大行進すること。漫画・アニメでは「ひゃっきやこう」と言われる事が多いが、「ひゃっきやぎょう」が、正しいとされる。

 百鬼夜行とは、深夜の町を鬼や妖怪などの異形の存在たちが徘徊すること、もしくはその集団の存在を指す言葉である。 もしそれを間近で見ると、その人は死んでしまう。正月、2月子日、3月・4月午日、5月・6月巳日、7月・8月戌日、9月・10月未日、11月・12月辰日には百鬼夜行が起こるという。そのため、当時の貴族はその日には外出を控えたという。なお「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」という呪文を唱えると、百鬼夜行の害から避けられるらしい。・・・

 一方、ニコニコ大百科によると、より砕けた説明になっている・・・

百鬼夜行とは、妖怪ものに登場する鬼や妖怪及びその類の行進のこと。

「平安時代に愛人の家から帰る途中に鬼や妖怪の大部隊に遭遇して念仏唱えながら震えていました。」という本当か嘘なのかわからないが、宇治拾遺物語・今昔物語集にそのような話がいくつか収録されている。主に百鬼夜行に遭遇した人間はいずれも念仏や札を握りしめており生還するのが一般的で仏の偉大さを説くと同時に、遭遇者が死んでしまうような三流怪談話より幾分かリアリティがある。

なお、「夜行」の読みについては地方によって異なる模様。「やこう」でも間違いではなく、地方によっては「やぎょう」とは読まない事もある。結局は2つとも正しいのでどちらで読んでも大した問題はない。・・・

愛人宅へお忍びなんかするから、妻が鬼の形相になるんじゃないのかな(笑)。

まあ、百鬼夜行というのは、その名の通り「百」の「鬼」が「夜」に「行」くと理解すればいいようです。たくさんの妖怪たちが夜中のパレードをしているところを思い浮かべればそれで間違いありません。

 

 以下に、少し個人的な話をさせて頂く。

 私は、小さい頃に漫画ノートを作って友達に自慢しているような漫画少年だった。周りからは漫画博士と言われるほどの漫画好きで、その中でも水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の大ファンであった。

 妖怪好きでもあったのだろうが、これまた大の怖がり屋だった。昔の田舎育ちだったので、家がただっ広く、夜にトイレに行くのが怖かった。居間からトイレまでの廊下の電気を全て点けて明るくしないとトイレに行けないほどだった。だから、ホラー映画は苦手。これを観たらトイレに行けなくなる。今でもホラー映画は殆ど観ない。でも、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」だけは大好きだった。

 漫画博士としては妖怪もこまめにノートにまとめていた。その中に百鬼夜行も入っていたはず。少年時代から今までの50年間、じっくりと妖怪を振り返ることもなくなったので、百鬼夜行もうろ覚えなのだが言葉には激しく反応した。

 昨年、ジブリ映画にはまり、ほぼ全て観終えた。その中に、映画「平成狸合戦ぽんぽこ」があり、それに百鬼夜行が登場し、懐かしいなぁとしみじみ思った。

 そして、今回、JUNさんの演目「百鬼夜行」を拝見し、昔の漫画博士の血がめらめらと湧き上がってきた(笑)。そうしたら、私が気になるミュージシャンの一人(踊り子さんが彼の曲をたくさん使用しているため)である米津玄師さんに、「百鬼夜行」というタイトルの曲があることを知り、これまた腰を抜かすほど驚いた次第。とにかく、百鬼夜行についてもう一度調べ直したくてたまらなくなったところだ。

 次に、私の思いを勝手に述べる。二つある。

 

ひとつは、現代日本は夜が明るくなり「眠らない街」になってしまったことに対して。

 本来、夜は暗くて怖いものじゃなきゃいけないと思える!!! 夜というのは電気という技術力で昼のように明るくしてはいけないものなのだ

夜には夜の世界がある。その世界に生きる生き物もいる。そのひとつが妖怪と考えてもいい。夜を明るくしたら彼らの邪魔になるだろう。

本来、人間は暗い夜には眠らなければいけないように作られている。だから古来、大人たちは子供たちを早く寝かせつけ夜遊びなんかしないように、妖怪を作って子供たちを怖がらせてきた。それが人間の生きていくための知恵なのだ。

 

また、妖怪の世界はパラレルワールドなんだな。人間が今の世を生きているのと同時に、妖怪もまた生きている世界がある。

妖怪を恐れ、侵してはいけない世界がある。それが自然だ。「八百万(やおろず)の神々」という。日本人は全てのものに神が宿っているという古来からの信仰がある。それが百鬼夜行の源なのだ。妖怪も妖精も全て神が形を変えたものなのだ。

だから、百鬼夜行がパレードしているなら、人間は首を垂れてかしずく必要がある。まるで大名行列が通るときの庶民のようにね。彼らは人間より偉い神なのだ。恐れ崇めなければならない。まぁ、もともとの百鬼夜行は、出会ったら死んでしまうからと夜は出掛けてはいけないことになってるわけ。

 

ジブリ作品は一貫して次のように主張している。

人間にはけっして侵してはいけない神の領域がある。「人間には自然を操作できる技術力がある。生命だって操作できるんだ。」なんて言って、人間の技術力に驕ってはいけない。自然はおとなしくしていれば恵みを与えてくれるが、そむけば自然災害の猛威をふるう。これは長い歴史の中で痛いほど分かっているはずだ。だから、もっと自然を敬い、自然との共生を図っていかなければならない。人間の生き残る道はそれしかない。そう強く主張している。

実はジブリ作品には未来を扱ったものが二つしかない。「風の谷のナウシカ」と「未来少年コナン」だけ。そして、その二つとも人間が作り出した兵器(原爆など)により人類が破滅した場面設定からスタートしている。残りの作品は全て昔の懐古主義に徹している。すなわち、自然と共生してきた昔に帰れ!という主張なのだと感ずる。

 

 もうひとつ思うことがある。

たしかに、小さい頃は妖怪(おばけ)が怖かった。しかし、大人になると怖い対象が変わってきたことに気づく。

会社関係でも嫉み妬みが蔓延していた。会社の中で出世していくのに、人間としての器より好き嫌いで人事されていたり。上にいけばいくほどにそうなっていた。日産のカルロス・ゴーンが話題になっているが、あんなのは大なり小なりどこの会社にもある。それはおかしい!とまともな意見を言って反発すると組織から弾き飛ばされる。私もそれを経験した。丸いものに巻かれるようにしないと組織の中では生きていけない。趣味と思って楽しんでいるストリップの世界も嫉妬心渦巻く世界であることに変わりない。私自身はなるべく綺麗なものだけを見たいと思い、ファンタジーの世界に生きようと努めているが、現実はそうではないことがたくさんある。

そうこう思うと、なんか人間が全部おばけに見える。妖怪の方がかわいくて、まともじゃん。そんな気がしてくる。

 日本語の歌詞である、米津玄師の「百鬼夜行」や澤田かおりの「おばけ」の歌を味わうと、二人とも同じような感覚なのに気づく。

 

 いろいろ考えさせてくれた本作品「百鬼夜行」に心から感謝する。

 

2019年5月                          池袋ミカドにて

 

 

 

                                  2019年6月

ストリップ童話『還暦と百鬼夜行』

~JUNさん(西川口所属)に捧げる~

 

 

1.   ストリップと百鬼夜行

 

 私は数年前に会社を早期退職し、毎日ストリップ通いしているしがない中年男である。当然、女性に縁がないからストリップ通いしているわけである。いつも絶世の美女を眺めているので、いまさら結婚とか彼女を作ろうなんて気は更々ない。入場料さえ支払えば、いつでも好きな美女に会いに行けるから、それで十分幸せなのだ。

 

 ある日、馴染みの踊り子さんがステージで「百鬼夜行」の演目をやっていた。観た瞬間、

「なんで、こんなお化けの演目をやっているんだろう。私はお化けは苦手なんだ。」正直そう思った。

 私は田舎の大きな屋敷で育った。最悪なことに厠が外にあった。そのため、夜にトイレに行くときは、お化けが怖いから、居間から厠までの廊下の電気を全て点けて明るくしないとトイレに行けなかった。ましてや寝静まった夜中にトイレになんか行けない。それくらい、暗いところやお化けが苦手だった。

 一方で、私は漫画大好き少年だった。その中に‘ゲゲゲの鬼太郎’があって、それに登場する妖怪だけは興味があった。漫画ノートを付けて、自分なりに妖怪キャラクターの解説を書いていたほど。だから、演目「百鬼夜行」を観た瞬間に、昔の知識が蘇ってきた。かといって、説明できるほど正確に記憶しているはずもなく、すぐにネット検索を始めた。

 

 ピクシブ百科事典によると、次のようにある。・・・

百鬼夜行とは、妖怪が大行進すること。漫画・アニメでは「ひゃっきやこう」と言われる事が多いが、「ひゃっきやぎょう」が、正しいとされる。

 百鬼夜行とは、深夜の町を鬼や妖怪などの異形の存在たちが徘徊すること、もしくはその集団の存在を指す言葉である。 もしそれを間近で見ると、その人は死んでしまう。正月、2月子日、3月・4月午日、5月・6月巳日、7月・8月戌日、9月・10月未日、11月・12月辰日には百鬼夜行が起こるという。そのため、当時の貴族はその日には外出を控えたという。なお「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」という呪文を唱えると、百鬼夜行の害から避けられるらしい。・・・

 一方、ニコニコ大百科によると、より砕けた説明になっている・・・

百鬼夜行とは、妖怪ものに登場する鬼や妖怪及びその類の行進のこと。「平安時代に愛人の家から帰る途中に鬼や妖怪の大部隊に遭遇して念仏唱えながら震えていました。」という本当か嘘なのかわからないが、宇治拾遺物語・今昔物語集にそのような話がいくつか収録されている。主に百鬼夜行に遭遇した人間はいずれも念仏や札を握りしめており生還するのが一般的で仏の偉大さを説くと同時に、遭遇者が死んでしまうような三流怪談話より幾分かリアリティがある。

なお、「夜行」の読みについては地方によって異なる模様。「やこう」でも間違いではなく、地方によっては「やぎょう」とは読まない事もある。結局は2つとも正しいのでどちらで読んでも大した問題はない。・・・

辞典によって少し説明が異なることもあるね。いろいろ読み比べるのも大切だな。

それにしても、愛人宅へお忍びなんかするから、妻が鬼の形相に見えるんじゃないのかな(笑)。まあ、百鬼夜行というのは、その名の通り「百」の「鬼」が「夜」に「行」くと単純に理解すればいいようだ。たくさんの妖怪たちが夜中のパレードをしているところを思い浮かべればそれで間違いない。

 とまぁ、少し勉強になったから、ストリップのステージで百鬼夜行を観たけど、よしとしよう!

 

2.   還暦祝いの案内と参加

 

 そんなある日、私のところに田舎から一通の案内が届いた。同窓会の案内だ。ところが毎年の案内とはちょっと違う。往復ハガキではなく丁寧な封書になっている。開封したら、今年は還暦祝いとして温泉旅行を兼ねたものになっていた。

 いつの間にか私も歳をとり還暦を迎えていた。まぁ既に会社は退職していたから、いまさら感はあったものの、中学時代の同窓生に会いたくなり、すぐに参加する旨の返事をして25,000円ほどの参加費用を振り込んだ。

 田舎にはたくさんの友人が残っており、毎年必ず同級会をやっている。田舎を離れた私にも毎年同級会の案内は届いていた。しかし、東北の冬は雪が多く、私はお正月の開催に合わせて帰省することはなかった。30代半ばで一度だけ参加したことがある程度。

 そもそも私はほとんど帰省しなかった。帰ってもせいぜい親元に少し顔を出す程度。

 ただ田舎には一人親友がいて、彼とだけは帰省する度に必ず会って酒を呑んだ。彼は地元の総合病院に臨床検査技師として勤めており、今では部長格になっている。彼が田舎にいるお陰で、中学の同級生の状況がよく分かった。誰がどこに勤めていて、結婚して子供がどうとかの情報が入る。また既に亡くなった者もいる。不思議にも若い頃にスポーツなどで身体を鍛えていた者が早死にしていた。また自殺した者もいる。いずれにせよ、いろいろと情報を与えてくれる親友の存在は大きい。

 彼からメールが入って、同窓会だけは必ず参加してほしいと事前に連絡があった。私もそのつもりだった。

 私の中学の同窓会は全員で130人くらい。A組、B組、C組の三組。一クラス40人を超える規模だった。ちなみに私も親友もB組。毎年同級会の案内が来ていたのはB組の話。だから、他のA組やC組の連中とはとんとご無沙汰している。ほとんど忘れかけている。かろうじて地元の小学校出身者くらいか、あるいは中学一年のときに同じクラスになった者くらいしか記憶にない。

 親友が「おまえは常に学年トップの成績で有名人だから、おまえのことを知らない人は誰もいない。しかし、おまえは殆ど田舎に顔を出していないから、みんなのことを思い出すのが大変だと思う。みんな歳をとって外見が変わってしまったからね。男はかろうじて思い出すかもしれないが、おそらく女はまったく分からないんじゃないかな。」と話していたが、実際にそれは当たっていた。

 

 6月6日の夜、夜行バスに乗って田舎の秋田に向かう。早朝6時、母親に車でバス停まで迎えに来てもらう。久しぶりに母親とゆっくり朝食をとる。そして、親友と待ち合わせして、14時に集合場所に向かう。そこから送迎バス二台で秋田温泉に行くことになっていた。

 バスの中でも、昔の懐かしい顔がたくさんいた。みんな、私を見て笑顔を送ってくれる。「やぁ、ずいぶん久ぶりだな。元気そうでよかった。」と挨拶される。男性は何人か顔が分かったが、女性は本当に顔を見ても分からなかった。親友と一緒に隣り合わせでバスに乗ったので、あれは誰だっけ?とひそひそ確認した。

 いまさらになるが、久しぶりに同窓会に参加するなら、事前に中学時代の卒業アルバムで名前と顔を再確認しておくべきだろう。事前勉強しておくとかなり違う。実際、外見がかなり変わっていて名前を言われても思い出さないことが多かったからね。

 秋田温泉で他のメンバーが既に集合していた。総勢70人ほど集まった。半数以上集まったから上出来なのかもしれない。

 

3.   旧友との再会

 

秋田温泉に着いてすぐに二人組の女性から声をかけられた。「お久しぶりです。分かりますか? 私、美子です」。「えーっ!? あのお寺の美子ちゃん?」全く昔の面影がなかった。小さい頃からの幼馴染で、密かに想いを寄せていた女の子だった。かわいかった美子ちゃんもすっかりおばあさんの顔になっていた。声を掛けられなかったら誰か分からなかった。一緒にいたもう一人の女性は名前を言われたがどうしても思い出せなかった。ほんと、昔ほのかに恋心をときめかせた女の子でもないと全く思い出せないものである。笑

それにせよ、約45年ぶりに会う同窓生の変わったこと変わったこと。みなさん、いい、おじいさんとおばあさんになっている。

 

男性陣の中には、風貌が昔と変わらない人も多少はいた。そういう人は髪が依然と変わらずふさふさしている方。たいていは白髪や禿になっている。おじいさん顔になっていて、どうしても思い出せない人もいる。が少し話すとなんとなく思い出す。

ほとんどの人はサラリーマンで、実家の農業を片手間に手伝っている人が多いかな。普通科の高校に進学し大学に行った者は数えるしかおらず、多くは農業高校や工業高校に進学し、そのまま地元の会社に勤めていた。

 私の故郷は、周りが田んぼと山ばかりの田舎だったので、あまり勉強のできる人は多くなかった。みんなサッカーや野球などのスポーツクラブに入っていたが、だいたいそこで酒や煙草をおぼえ、中には不良化していく者が多かった。高校生にもなると、とさか頭でだぼだぼの学ランを着ている‘つっばり兄ちゃん’もたくさんいた。勉強に興味がなかったら大体そうなる。でも、彼らはみな私の幼馴染なので彼らを怖いと思ったことはない。彼らは学年トップの成績だった私のことを一目おいていたのだ。小さい頃は宿題や夏休みの課題などよく勉強を教えてあげてたからね。

 彼らはみな田舎では、もういっぱしのお父さんになっていた。村の会合で役職についている人も多い。立派に村の顔になっているわけだ。思えば、昔成績トップだった私が、今や早期退職してストリップ通いしているわけだから、今では一番の不良なのかもしれないな。(笑)

 彼らの風貌を見ると、やはり昔つっぱりしていたイメージが残っている。そのせいか、やくざ映画の組長や若頭のような感じを出している者もいた。笑

 私は年間100本以上の映画を観るので、どうしても映画のイメージで見てしまう。笑

 

 次は女性陣の話。

 大きな声では言えないが、私は女性たちを見て、百鬼夜行を思い出していた。やくざ映画の次は妖怪ホラー映画になるか(失礼↓) まるで映画を二本立てで観ている気分(笑)。

 あれだけ、かわいかった女の子が今や見る影もないおばあさんに変身しているのである。どうしても昔心をときめかせていた相手を目で探してしまう。そうしたらすっかり変わっている。なんか私の青春の思い出が崩れ去るような気分だった。これも、ふだんストリップで絶世の美女ばかり見ている反動だろうか。

 

 秋田温泉では、すぐに還暦のお祓い神殿行事、そして参加者全員の記念写真と進む。中にはそれだけに参加して帰っていく者もいたが、かなりの人は秋田温泉に宿泊する。部屋割りをして、宴会までの時間をひと風呂浴びに行く。

 そして宴会が始まる。みんなラフな浴衣姿で集まる。

 最初に今回の同窓会の幹事が挨拶する。彼は生徒会長をやっていた人物。

「今年還暦を迎える我々は、昭和の時代を30年、そして平成の時代も30年、過ごしてきたことになる。ちょうど30年30年と区切りがいい。だから、次の30年後も、こうしてみんな元気で再会したいものです。」という挨拶が印象に残った。90歳まで生きていれるかなとふと思う。しかし今や人生百年の時代になってきたからな。

 考えたら、もう令和の時代に入ったが、新たに即位された天皇陛下(徳仁さま)は1960年2月23日生まれで我々と同学年。我々庶民は還暦を迎え、ある意味、ひと仕事終えた感じ。私はこれからは好きなことだけやるぞ。当面はストリップ漬けになりたいと思っているが、彼の場合はこれからが本当の仕事になる。ご苦労なことだと思う。彼はそもそもストリップなどには行けないだろうしな。話を戻そう。

 宴会の席はくじ引きで男女交互に座った。私の隣に、全く思い出せない女性が座った。挨拶したら、同期のアイドル的存在の女性だった。昔はめっちゃ綺麗な娘だった。今や全くその面影がなく、ずいぶん老けて見えた。苦労が顔に出てる気もした。いろいろ話したら、彼女には今や孫が五人もいて、すっかりいいおばあちゃんになっていた。

 こんな感じで、女性の場合は相手の方から声をかけてくれる場合以外は、ほとんど話もできずに終わった。だから最後まで名前と顔が一致しないで終わった方も多い。

 

 一方、男性の方は名前と顔がほとんどフォローできた。やはり酒を呑み交わすと昔を思い出す。

 田舎の方が大酒飲みが多い。ところが不思議と腹が出ている人がいない。私だけがぽっこり腹が出て太っている。みんなが私の腹を見て驚いていた。「人間が丸くなったんだよ」とごまかしたが、そういう問題ではない。私は昔ほんとに痩せていた。体重も55㎏ぐらいだった。今や73㎏もあるから、その余分なものが全てお腹についていることになる。身長はほとんど変わっていないからね。

私が以前勤めていた会社では酒飲みでぶくぶくと腹が出ている人が多かった。だから歳をとれば腹が出るのは普通だと思っていた。ところが、田舎の人は健康的なんだなとつくづく感心した。酒を呑んでも深酒せず、翌朝早くから起きて畑仕事に出掛ける。これが田舎者の気質なんだろう。その点、都会人は深酒して最後にラーメンを食べたりするから、お腹が出て不健康になるんだなーと痛感した次第。

酒の飲み方と運動を考えるいい機会にしたいところ。

 

男女ともに見ていて思うことは、還暦を迎えれば誰しも老ける。肉体的にも精神的にも。話題も、老後のこと、健康のこと、子や孫の話、親の介護の話などになっていく。誰しもいいおじいさんやおばあさんになってしまうのは致し方ないこと。もしかしたら、そう思われるのが嫌で参加しない人もいるのかもしれないな。

ただ、中には、歳をとっても、若々しく輝いている人もいる。そういう人は若い人と常にかかわり気持ちを若く保っていること、また長年の徳を積むことで気品が出ているのだと感ずる。男の場合は顔が履歴書になっていて流石だなと思う人もいる。女性の場合は老けても気品を保っていて相変わらず魅力的に見え、ある意味ホッとすることもあった。

私が他の人からどう見えるのかは分からない。しかし、ストリップ通いしているお陰で常に若い女の子と接している。お陰で気持ちだけは他の誰よりも若く保っていると確信する。

彼ら同窓生と過ごした13~15歳の頃は、誰もが若さで輝いていた。若さそのものが輝きなのだと感ずる。だから、45年ぶりに見た同窓生の姿に、彼らの輝きの落差に唖然としたのだろう。

歳を重ねることで、若さの輝きは薄れていく。違う輝きを身に付けないと輝きを保てなくなる。やはり歳の取り方で人間は差が出てくる。これからもっと差が出てくるだろう。

最終的には、死んで土に帰っていくことはみな同じ。それまでの生き方をどうするか、新しい課題なのだろうな。少なくとも、私は還暦で人生が終わるのではなく、これから新しい人生が始まるのだと思っている。そのために、これからは自分の好きなこと、自分が楽しいと思えることだけやっていきたい。ストリップもそのひとつだ。

 

4.   百鬼夜行をおもう

 

さて、話を百鬼夜行に戻そう。

映画好きの私は、当然ながらジブリ作品は殆ど観ている。その中で、妖怪がたくさん出てくる作品がある。

まず百鬼夜行が直に登場するのは「平成狸合戦ぽんぽこ」である。

内容は次の通り。昭和40年代、多くの狸たちが楽しく暮らしていた多摩丘陵に、多摩ニュータウン建設による山や森の破壊が迫っていた。ある日、多摩の狸たちは結集し、総会を開いて開発阻止を決議する。伝統的変化術である化学(ばけがく)の復興と、四国と佐渡の化け狸に助力を乞うことが決定される。

そして、四国から三長老がやってくる。三長老の指導のもと、狸たちは具現化した百鬼夜行でニュータウンを襲う、妖怪大作戦を決行する。しかし、ニュータウン住民には拍手喝采のイリュージョンにしか映らない。作戦が大失敗に終わると、狸たちは意気消沈し結束が乱れていく。・・・

現代の日本人には、悲しいかな、百鬼夜行を怖いものと見る感覚がない。逆に面白半分で見られ、あげくにレジャーランドの宣伝に利用されてしまうことになる。

もうひとつ、妖怪と言って忘れてはいけない映画が「千と千尋の神隠し」である。

10歳の少女が神隠しに遭う。千尋が迷い込んだ世界は妖怪の棲むところなので、そもそも人間が踏み込んではいけないところだった。

この映画にも、百鬼夜行のような妖怪がぞろぞろ出てくる。最初の場面で、日が暮れると屋形船に乗って妖怪たちがやってきて、ぞろぞろと橋を渡り湯場に向かうところがある。妖怪好きにはぞくぞくさせられる。他にも、湯場で働く女たちは百鬼夜行絵巻に描かれているものに似ていたりする。

この映画で、私が印象的だった妖怪がオクサレ様(オクサレさま)。汚い泥の塊りの姿をしている。その泥はごみと穢れをたっぷり呑み込んだヘドロで、それゆえに凄まじい悪臭を放つ。湯屋の皆はオクサレ様を「腐れ神(くされがみ)」と決めつけて、迎え入れはしても近付こうとしなかったが、千尋だけはすぐ側で甲斐甲斐しくお世話をした。その結果、オクサレ様の体に刺さって抜けない棘(とげ)のようなごみに千尋が気付き、それを引き抜いたことで、オクサレ様が長年に亘ってその身に抱え込んでいたごみや穢れが堰を切ったように吐き出され、神は本来の姿を取り戻す。正体は“名のある河の神”であった。その姿は、河の流れそのものであろう半透明で不定形な長い体に、能面の「翁」にも通じる木彫の仮面のような顔を持つ、好々爺然としながら神々しくもあるものであった。河の神は歓喜し、湯屋の高所にある格式高い唐破風の扉から飛び去ってゆくが、去り際には世話になった千尋に謎の団子「ニガダンゴ」を授け、湯屋には大量の砂金塊を残していった。

この場面は、妖怪が‘河の神’だったことを示す。しかも、その顔が好々爺だったことが意味深い。まさしく神はおじいさんの顔をしているのだ。

 

これらの映画を観ながら思うのが、妖怪というのは日本古来の「八百万(やおろず)の神々」が化けたものだということ。日本人は全てのものに神が宿っているという古来からの信仰がある。それが百鬼夜行の源なのだ。妖怪も妖精も全て神が形を変えたものなのだ。

だから、百鬼夜行がパレードしているなら、人間は首を垂れてかしずく必要がある。まるで大名行列が通るときの庶民のようにね。彼らは人間より偉い神なのだ。恐れ崇めなければならない。まぁ、もともとの百鬼夜行は、出会ったら死んでしまうからと夜は出掛けてはいけないことになってるわけ。

とくに日本人は自然を崇拝する。だから「山の神」や「川の神」などの自然には全てに神が宿るものとした。

神を侵してはいけない。だからこそ、わざと神を妖怪に変え、子供たちに妖怪を恐れるようにした。これが人間の知恵なのである。

 

そこですぐ気づくのが、現代日本は夜が明るくなり「眠らない街」になってしまったことだ。

本来、夜は暗くて怖いものじゃなきゃいけないと思える!!! 夜というのは電気という技術力で昼のように明るくしてはいけないものなのだ

夜には夜の世界がある。その世界に生きる生き物もいる。そのひとつが妖怪と考えてもいい。妖怪の世界はパラレルワールドなんだ。人間が今の世を生きているのと同時に、妖怪もまた生きている世界があるんだ。夜を明るくしたら彼らの邪魔になるだろう。

本来、人間は暗い夜には眠らなければいけないように作られている。だから古来から、大人たちは子供たちを早く寝かせつけ夜遊びなんかしないように、妖怪を作って子供たちを怖がらせてきた。それが人間の生きていくための知恵だったのだ。改めてそう思う。

 

ジブリ作品は一貫して次のように主張している。

人間にはけっして侵してはいけない神の領域がある。だから「人間には自然を操作できる技術力がある。いずれ宇宙空間に衛星や反射板を打ち上げて、太陽光を調整したり、台風の進路だって操作できるはず。生命だって操作できるんだ。」なんて言って、人間の技術力を驕ってはいけない。自然はおとなしくしていれば恵みを与えてくれるが、そむけば自然災害の猛威をふるう。これは長い歴史の中で痛いほど分かっているはずだ。だから、もっと自然を敬い、自然との共生を図っていかなければならない。人間の生き残る道はそれしかない。そう強く主張している。

実はジブリ作品には未来を扱ったものが二つしかない。「風の谷のナウシカ」と「未来少年コナン」だけ。そして、その二つとも人間自身が作り出した兵器(原爆など)により人類が破滅した場面設定から物語がスタートしている。宮崎駿監督はもう人類に未来はないと考えているのかもしれない。そのため、残りの作品は全て昔の懐古主義に徹している。すなわち、自然と共生してきた昔に帰れ!という主張なのだと感ずる。

 

もうひとつ思うことがある。

たしかに、小さい頃は妖怪(おばけ)が怖かった。しかし、大人になると怖い対象が変わってきたことに気づく。

勤めていた会社関係でも嫉み妬みが蔓延していた。会社の中で出世していくのに、人間としての器より好き嫌いで人事されていたり。上にいけばいくほどにそうなっていた。最近では日産のカルロス・ゴーンが話題になっているが、あんなのは大なり小なりどこの会社にもある。それはおかしい!とまともな意見を言って反発すると組織から弾き飛ばされる。私もそれを経験した。丸いものに巻かれるようにしないと組織の中では生きていけない。悲しいかな、それが現実だ。

私が趣味と思って楽しんでいるストリップの世界も嫉妬心渦巻く世界であることに変わりない。私自身はなるべく綺麗なものだけを見たいと思い、ファンタジーの世界に生きようと努めているが、現実はそうではないことがたくさんある。

そうこう思うと、なんか人間が全部おばけに見える。妖怪の方がかわいくて、まともじゃん。そんな気がしてくる。

 

この世で一番怖いのは、お化けではない。人間なのだと。

人は生まれた時は無の状態。唯一無二の存在。ところが、大きくなるにつれ、他人を意識する。他の人より上の地位に付きたい、他の人より金持ちになりたい等と考える。そこに嫉み妬みが生じる。こうして、どんどん穢れた存在になっていく。

歳をとって還暦を超えて思うことは、次第に相手の地位のことは意識しなくなること。「おまえは会社の中でどのクラスの地位なのか?」「年収はどのくらいなんだ?」とかは話題にならなくなる。そんなことを人と比べてもどうしようもないことを悟りつつある。今、元気で生活できていればそれでいいと割り切るようになる。周りでは早死にする人もいるくらいだから、今、自分が生きていられることが有難いことと思えるようになる。周りの友達もみんな元気で長生きしてほしいと純粋に思う。これはある意味、人間から神の領域に近づいたことである。

還暦を迎えた仲間が百鬼夜行に見えたということは、みんな歳をとって老けていき、最後は神になることを意味する。究極は、人は死んだ後は土に帰り、神の領域、つまり自然の中に戻っていくことなんだ。

もう誰彼の話はない。自分もやがて誰でもなくなるんだから。

そう思ったら百鬼夜行に見えることは決して嫌なことではない。

 

いろいろ考えさせてくれた還暦の旅だった。

 

                                    おしまい              

 

 

 

JUNさん(西川口所属)について、H31年3月中の渋谷道頓堀劇場での公演模様を、演目「舞踏会」を題材にして、「花火のような人生」という題名で語りたい。

 

 

 今週、演目「鳥」に引き続き、観劇レポート第二弾になります。先に述べた通り、「神さま」「アフリカ」「鳥」と続いたアフリカ三部作はストリップにおいて大変に画期的な作品だと認識しました。JUNさんの築いた、ストリップにおける金字塔と言ってもいいと思います。

 今回、私の関心はどうしても演目「鳥」に傾いていたので、もうひとつの演目「舞踏会」の方に目が向きませんでした。ポラ時に演目名をJUNさんに確認しましたが半分上の空でした。少なくとも、演目「鳥」の観劇レポートの目途がつくまでは他のことが耳に入らなかった感じ。すみません。ところが芥川龍之介という名前が出た瞬間に目が覚めました。「『舞踏会』という演目は、芥川龍之介の作品から作ってみました。背景は鹿鳴館です。その時代にたくさんの美しい日本があったのかな!!」というポラコメを頂き、一気に関心が向きました。

演目「鳥」の観劇レポートを仕上げて、すぐに演目「舞踏会」のステージをメモりました。合わせて、JUNさんに選曲を教えて頂きました。JUNさんからの作品解説がとても参考になりました。

 

帰宅してすぐにネットで芥川龍之介の小説「舞踏会」を検索し読みました。短編なので10分くらいで一気に読み切れた。JUNさんから「鹿鳴館の時代を演目にしたくて、芥川龍之介の作品にたどりつきました。何度読んでも、とても不思議な世界だと思いました。」「主人公の明子は、初めての舞踏会に行くドキドキからはじけるようなロマンス。老人になるまでの間は、私の勝手な解釈ですが、きっと、ずっとその人の事を想い続けたのではないかなと私は思って、立ち上りまで考えました!!」とコメントを頂いていた。私は初めて、JUNさんがステージで演じようとしたものが見えてきて嬉しかった。

 

感想は後にして、さっそくJUNさんのステージ模様を私なりに紹介したい。

最初に、明治時代の女性の振袖着物姿のイメージで登場。右半分がピンク色、左半分が花柄模様の衣装。足元は二層のピンク地。帯を締める。髪には赤とピンクの花飾り。

音楽に合わせて、白い花をもって踊る。この白い花は、小説に出てくる舞踏会を飾っている菊の花だ。細かい演出が嬉しい。

一曲目は、ALI PROJECTの『鹿鳴館ブギウギ』。生ジャズ風。まさしく演目名「舞踏会」に相応しい曲だ。作詞:寶野アリカ 作曲:片倉三起也。2010年9月29日リリースの11thアルバム「汎新日本主義」に収録されている。

私はALI PROJECTを初めて知る。ALI PROJECT(アリ・プロジェクト、蟻プロジェクト)は、宝野アリカ(ボーカル・作詞)と片倉三起也(キーボード・作曲・編曲)による日本の音楽ユニット。通称は「アリプロ」など。

ジャンルについては公式HPにて「ダークなロック・官能ゴシック・妖しいロリータ・極上バラード・きらびやかでキュートなポップスから大和ロック・現代音楽」などと形容されており、時期にもよるがその振れ幅は広く、多彩なアプローチをとっている。

宝野の歌詞は文語・漢語を主体とした硬質な響きを多用しており、頽廃・幻想・神話世界・世紀末・近未来/レトロフューチャー、エロティシズム、ヒロイズム、シノワズリなどの主題を好む傾向が強い。その蒼然とした言い回しそのものや宝野の擬古調・声楽調のヴォーカルとあいまって異彩を放っている。また宝野は自身が述べるように、三島由紀夫・中井英夫・澁澤龍彦・寺山修司・皆川博子・赤江瀑・倉橋由美子・服部まゆみ・久世光彦などの幻想・頽廃文学、映画などにも傾倒しており、それらへのオマージュとしての詩作も少なくない。

音楽が変わり、着物を脱いでいく。ピンクの上下セパレート衣装。ブラとミニスカートに、白と黒の玉のフレンジが垂れる。

二曲目は、GARNiDELiAの「響喜乱舞」。これも斬新な曲だ。ボーカルのメイリア発案で誕生した“踊っちゃってみた”動画シリーズの一環で企画されたもの。私はこのGARNiDELiAも初めて知る。GARNiDELiA(ガルニデリア)は、日本の音楽ユニット。略称は「ガルニデ」。

芥川龍之介の作品にしては随分斬新な二曲が続いたものだ。(笑)

 ここで暗転して音楽が変わる。

 今度は、舞踏会らしいダンスミュージックが流れる。「美しき青きドナウ」だ。この曲は小説の中でも登場するので嬉しくなる。『美しく青きドナウ』作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ、その中でも最も人気が高い。作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている。

 衣装を着替える。

 ピンクと黒のコントラストの着物姿。右側は黒、左側はピンク、黒い帯を締め、足元は花の刺繍入りの薄い黒地。

 音楽が変わる。また、ALI PROJECTのインスト曲「この國よ静かに目覚めたまえ」。  楽曲の中に「君が代」のフレーズが取り入れられている。このへんは芥川の小説の厳かな世界を反映している。

 ここで全裸になり、そのまま菊の花を持って、ベッドショーへ。

 近くに来たのでアクセサリーを目で追う。純金のネックレス。左手首に純金のブレスレット二本。左足首に純金のブレスレット。

 立ち上がり曲は華やかでノリノリになる。chay feat. Crystal Kayの「あなたの知らない私たち」。2018年12月5日(水)発売.という最近の曲。土曜ナイトドラマ『あなたには渡さない』(主演:木村佳乃)の主題歌。

本楽曲は、chayの代表曲「あなたに恋をしてみました」や「恋のはじまりはいつも突然に」のように、chayがこれまで歌ってきたピュアで一途な恋心とはうってかわって、”パンドラの箱の底には 哀しみ飲み込んだあとの 激しく燃え上がるような あなたの知らない私”“欲しいものさえ諦めちゃ 人生楽しめないでしょ“といった、ドラマのテーマでもある女と女の戦いやスリリングな大人の恋の駆け引きを思わせる歌詞が随所に飛び出す。フィーチャリング・アーティストであるCrystal Kayの甘くメロウな歌声との掛け合いによって、ストレートなchayの歌声は大人の女性の強さを醸し出し、そのコントラストが楽曲の世界観をより深く表現している。

chay(チャイ、1990年10月23日 – 28歳)は、日本のシンガーソングライター、ファッションモデル。 本名、永谷 真絵(ながたに まい)。モデル名、まい。東京都出身。雑誌『CanCam』専属モデル。

盆を回りながら、盆周りのお客の鼻先に菊の花を近づけて驚かせる。お茶目なJUNさんが楽しい。

 

 改めて、JUNさんは本物の表現者なのだと感じた。アフリカ三部作にとどまらず、次から次へと興味が湧き、その自分の中にあるものを全て表現せずにはをれないのだ。

 そして、この作品「舞踏会」、そして主人公である明子に、JUNさんを重ねてみると、なんとなく分かるものがある。

 この小説の主題は‘花火’にある。いみじくもフランス人の海軍将校が言った「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火の事を」という言葉に凝縮されている。

 花火は美しいが一瞬にして消える。舞踏会の場でみんなの気を引いた明子の美しさも、花火と同じように一瞬にして消えていく。小説の最後の最後に、まるで付け足しのように、老婦人になった明子が登場するのは、華やかだった明子も平凡な老婦人になってしまったことを暗示している。それほどに人生とは花火のように儚いものなのだ。

 しかし、人生は短くも、いや短いからこそ、花火のように美しい時期が必ずあると信じたい。

 JUNさんは平凡なOLから、一大決心してストリップの世界に身を投じた。そして、今、5周年を前にして大輪の花を咲かせている。踊り子というのは仕事柄それほど長く続けていけるものではないだろう。しかし短いながらも花火のように美しく輝けることを、今のJUNさんは実感し、証明しているのだと思う。

 ラストの曲「あなたの知らない私たち」は、まるで花火のように華やかに聴こえてくる。

 

 

平成31年3月                           渋谷道劇にて

 

 

【JUNさんからのお返事】

・(ポラコメにて)

さっそく読ませて頂きました。演目から、歌手の情報まですごい!!! そして、小説を読んでくださったのですね!!

華やかさは、一瞬である!! その通りですね。

 

・(お手紙にて)

レポートレベルではないですね!! 作家さんです!!

私の表現と、太郎さんの表現がとてもマッチングしています!!

本当にありがとうです。

 

 

 

 

 

JUNさん(西川口所属)について、H31年3月中の渋谷道頓堀劇場での公演模様を、演目「鳥」を題材にして、「JUNさんという止まり木」という題名で語りたい。

 

 

H31年3月中の渋谷道頓堀劇場に初日から顔を出す。

今週の香盤は次の通り。①美月春(道劇)、②金魚(道劇)、③みと小鳥美(道劇)、④花音芽(道劇)、⑤JUN(西川口)、⑥松本なな(東洋)〔敬称略〕。今週は、みと小鳥美さんのデビュー週。

 

 JUNさんとは先週の大阪晃生ぶり。すぐにまた会えた。

 今週の初日は、なんとJUNさんとの100日目だった。データを整理していて気付いた。来週、JUNさんは5周年を迎えるわけだから、もう出会って5年という歳月が経つ。この記念日に是非とも観劇レポートを書きたくなった。

 今週は、先月2月に初出しの演目「鳥」とお正月に初出ししたという演目「舞踏会」の二個出し。ふたつとも先週の晃生で拝見している。今回のレポートでは演目「鳥」を取り上げる。

 

 演目「鳥」を拝見していて、随分ゆったりした演目で心が和む作品だなぁと感じた。そこでレポートを書きたくなって、作品解説をJUNさんにお願いした。丁寧なお手紙が返ってきた。なんと、この演目「鳥」はあの演目「アフリカ」の続編なのか・・なるほどインストばかりの音楽にしろ、すぐに合点がいく。以下にJUNさんの解説をそのまま記載させてもらう。

「アフリカシリーズ第三弾をついに出しました!

第一弾→神さま

第二弾→アフリカ

第三弾→鳥

三部作り上げた今は、とても気持ちがいいです。

『神さま』は、人々を思い、大地を思い、すべての生命を思う。

『アフリカ』の民族たちは、仲間を思い、家族を思い、命あるものを大切にする。

『鳥』は、自由に羽ばたき、大自然があるからこそ生き続けられる。

全ては必要であり、かけがえのないものです。

自然多きアフリカの地は、生命を感じることができる場所である事が、演目によって学ぶことができました!!」

 演目「アフリカ」は前に精魂込めてレポートしたので私にとって印象深い演目。すぐ目に浮かぶ。ところが、演目「神さま」はおにゃんこぽんの童話を書いたにもかかわらず作品そのものは記憶にない。できたら今度、この三部作のステージを朝から連続して拝見したいものです。

 

 さて、演目「鳥」のステージ模様を私なりに紹介する。

 最初に、盆の上からスタート。

 鳥に見立てた優雅で華やかな衣装だ。髪には華やかな花飾り。黄色い生地の上に、白や黄色の花を置き、赤い羽根が立つ。衣装も黄色をベースにして、黄色い肩紐で胸から下のドレスを吊るしている。上半身には茶系の上着を羽織り、黄緑の帯で腹部を縛る。スカートは裾広がりで、黄色であるが裾部は赤くなっている。

 インスト曲に合わせて、優雅に舞う。途中で、黄緑の帯を解き茶色の上着を脱ぐと、黄色一色になる。赤と緑の布ヒモが後ろに流れている。

 一曲目Spirit of Africaの「Dawn On the Plain」が終わった時点で、いったん暗くなり、そして鳥の声が聞こえる。

 二曲目も、Spirit of Africaの「Sacred Chant (Sirarah Part1)」。

 ここで衣装が変わる。

 緑の輪を頭にかぶる。格子状の白い衣装で、緑の蔓が巻き付けてある。黄色い小鳥を連れていて、指先の上で一緒に戯れる。

 インスト三曲目Bea BenjaminのAfrican Songbird(feat,Dollar Brand)に変わって、上下セパレートの白い衣装に着替える。片乳が露出している。そのまま盆の上に移動。

 ベッド曲は、Marcus Warnerの「Africa」。

 近くに来たのでアクセサリーを目で追う。左手首に純金のブレスレットが二本。左足首にも純金のブレスレット。     

 

 

 最後になるが、私が本レポートを書きたくなった動機を話したい。

私は、先週のH31(2019)年3月頭は駆け足のように全国の劇場を回っていた。とくに西日本でいい香盤が多かった。初日は池袋ミカドからスタートし、2~4日の三日間は大阪布施の晃生、5日は京都DX東寺、6~7日の二日間は広島に移動し、8~9日の二日間は大阪天満の東洋、そして楽日はまた京都DX東寺というハードな日程。今は関東に戻り、こうして初日から渋谷に居る。

渡り鳥のような生活をしている。私は正直JUNさんを追いかけているわけではないが、たまたま大阪布施の晃生で三日間、そして今回の渋谷と二週続けてご一緒した。JUNさんと居ると本当に心が和む。だから香盤の中にJUNさんの名前を見つけると嬉しくなる。

JUNさんは渡り鳥にとって‘止まり木のような存在なんだな’と感じたんだ。そうしたら「鳥」の演目をやっていてピッタリだと思ったのが、今回レポートを書くきっかけになった。

もしかしたら「ストリップって止まり木のようなもの」かもしれない。全国いろんな劇場を回るが、それぞれが渡り鳥にとっての止まり木のようなもの。そこで出会う踊り子さんたちも笑顔で迎えてくれる止まり木のようなもの。

そういえば、飲み屋の名前によく「止まり木」ってあるよね。渡り鳥のようなお客さんの止まり木になりたいという意図なんだね。

ちょうど渋谷初日に、大学時代の友人から連絡があって渋谷の焼き鳥(陀らく)で呑む機会があった。会社を早期退職してストリップ通いしている私のことを心配して、頻繁に連絡してくれる貴重な親友である。彼のような親友がいて私は本当に幸せだと感じる。

彼も私の人生における止まり木のような存在だと思った。私にはストリップ仲間がたくさんいて、全国どの劇場に行っても夜お酒を付き合ってくれる仲間がいる。こうした仲間をもっていることも人生を豊かにする。家族の元に帰ったり、田舎の親兄弟に会う。こうしたことも人生の止まり木かもしれない。

人生を豊かにできるかどうかは、どれだけたくさんの止まり木を持つかで決まる。そんな気がしてきた。

 

思えば、熱心なストリップ客というのはみんな、好きな踊り子さんを追いかけて全国を回る、渡り鳥のような生活をしている。すべての劇場が‘借りぐらし’でもある。淋しいこともあるだろう。だからこそ、羽根を休める止まり木が必要になる。

JUNさんという踊り子は最高の止まり木だと感ずる。会いに行くといつでも笑顔で迎えてくれるし、とても居心地がいい。JUNさんをメインで追いかけているタカシさんを見ていると、ストリップファンとしてとても幸せだなと思っちゃう。

私はたしかに今週も新人デビューが目当てで渋谷に来た。しかし、最近の私は新人さんだけを目当てで劇場を回っていない。ご存知のように最近の私はお絵描きブーム。踊り子の追っかけというより、絵の追っかけになっている。(笑)

JUNさんの描く‘じゅんこ’は最高に癒される。私のために私の童話に合わせて毎回じゅんこのイラストを描いてくれるJUNさんは私にとって最高の存在になっている。初日から、JUNさんと松本ななさんにお絵描きしてもらい、もう渋谷から離れられなくなっている。後半は、また別な絵の追っかけに向かうことになるが。(笑)

今回の観劇レポートの題名は「JUNさんという止まり木」というタイトルにさせて頂きました。

 

 

平成31年3月                           渋谷道劇にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【JUNさんからのお返事】

●ポラコメにて

すてきなエッセイをありがとうございました!! その前に100日目。太郎さんと会って100日目だったコトの意味だと知って感動しましたー!! 5年の月日本当に支えて下さりありがとうございました。「止まり木」になれた私は幸せと思います。

 

●お手紙にて

いつも楽しいエッセイありがとう!!

あらためて100日記念おめでとう!! ありがとう!!

太郎さんのお手紙読んで5年が経ちました。時代の変化とともに、内容も変化していますね。

アフリカシリーズは記念として私も残り、嬉しいです。

太郎さんの思いが伝わりました。