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ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

現在、メインのゲーミングモニターは全て最新コンソールで占拠されているので、宝の持ち腐れ状態のPS3とXbox360のために、アイ・オー・データーの廉価版ゲーミングモニターであるギガクリスタの24.5インチ・75KHzモデルを購入した。



実は2019年11月頃にすでに購入していたのであるが、画質に満足いかなかった事、そして半年後にゲーミングPCを購入した際にASUSのモニターに買い換えた際にメルカリで売却してしまっていた。なので、今回はおおよそ3年ぶりの使用となる。

 

以前のインプレッションとして、やはり画質に満足いかないというものがあったのであるが、当時は初のゲーミングモニターと言う事で、比較対象が50インチのハイセンスしかなかった。このテレビはVAパネルだったので、応答速度は微妙であったのだが、その反面画質は非常に良かった。なので、そんなテレビと比べてしまったら、それは劣るに決まっている。

 

しかし、今はそれなりにゲーミングモニターを購入した後である。なので、初期状態では確かに地味に映ったものの、エンハンストやコントラストを調整した後であれば、私が想像していたよりも遥かに綺麗に映ったのである。実売15000円程度でこの画質なら十分すぎるほどだ。

 

肝心の応答速度も、TNパネルだけあって素晴らしく、そしてオーバードライブを3にしても逆残像などはほとんど目立たない。2Dシューティングの多いXbox360などにはこれだけでも大きなアドバンテージだ。

 

もちろん、その反面フレームレートは75KHzが最高と言う欠点こそあるものの、このHz時点でほぼコンソール使用を大前提としているはずなので、60Hzが最高な家庭用ハードであれば何の問題もない。むしろ144Hzとか使用している方がよっぽどオーバースペックである。

 

また、今の時代でありながらもアナログRGB端子までついているので、ハードさえ生きていればドリームキャストをつなぐ事も出来る。

 

2019年かつ廉価モデルと言う事もあって、調整機能のボタンなどは安っぽさは否めないが、まあそこは価格と引き換えと言う事であろう。スピーカーも良いとは言えないが、パネルに特化したゲーミングモニターでサウンド面にケチをつけるのはナンセンスである。そもそもこんな薄い筐体で高音質など出せるはずもないのだ。

 

ベゼルもそこそこ太めであるが、BenQのZOWIEシリーズも太めなように、ゲーム用としてはベゼルが太い方が画面に集中できるメリットもあり、私的にもそれはそう思えるのでこれに関しても特に問題はないだろう。

 

スタンドも角度調整のみであり、スイベルはもちろん上下移動すら調整不可能である。まあさすがにこれも価格を考えれば致し方ないとは言え、高さ的にはちょうどいい感じなので、余程視点が合わない限りはこのままで大丈夫と言えるレベルではあるかとは思う。

 

前述のように、Xbox360には縦スクロールシューティングの傑作が多いので、縦画面でプレイしたい人も多いと思うのだが、個人的には横画面でも解像度は十分なので、色々な手間を考えたら結局このままでプレイする人がほとんどであろう。

 

ゲーミングモニターと言えばやはり台湾メーカーが強いが、旧家庭用ハードにはオーバースペックなものが多いので、今でもかつての遺産を活かしたいのであれば、このモデルは十分お勧めと言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遂に発売されたQanba Obsidian2。おおよそ5年ぶりの新作となった訳だが、さすがに日本円で5万円近いアケコンだけあって、初代よりも遥かに進化している。

 

 

 

 

 

Optionボタンが他と同じサイズで分かりにくかったり、またかつてのHORIのようにタッチパッドが側面にあるなどの欠点があった初代機であるが、当然この2では改善されている。また、ケーブルもVictrixのように側面に巻き付けられるようになっているなどの改良点も見られる。しかし、側面カバーの開け閉めはネジ式と言うアナログだし、また近年の高級モデルとしては珍しい非開閉式でもあるため、その辺りに関してはライバル機よりも見劣りせざるを得ないと言っていいのかも知れない。

 

しかし、アケコンに最も重要なのは、天板の剛性と静穏性である。この点で未だ頂点に立つのが、すでに発売から6年も経つ初代Pantheraであり、次点で旧MadcatzのTE2+、つまりとっくの昔に廃盤となっているモデルのみなのである。対照的に、この点が弱すぎるのが日本のHORIである。アフターサービスの良さや、不良品率の低さなどはさすがに日本メーカーであるのだが、何故かHORIの弱みのひとつである天板の薄さにはフォーカスされる事なく、この辺りが有名プロゲーマーらがHORIを避けている理由のひとつでもある気がする。

 

初代オブシディアンはレバー周りの剛性は良かったものの、上記の通りボタン配置やレイアウトに多少の難があり、またボタン部分の静穏性も高いとは言えなかった。しかし、本体重量やデザイン、そして見た目の高級感などは素晴らしかったのと、また入手性の良さとそしてプロゲーマーの使用率の高さも相まって、ここ数年では最高のアケコンのひとつであったかと思う。

 

そんな初代を遥かに凌駕しているのが、この2である。改良点はすでに述べた通りであるが、繰り返すがアケコンに最も重要なのは天板の剛性と静穏性なのである。そして、何といってもこの点が2は実に素晴らしく、特にボタンの静穏性はあのPantheraをも上回っているほどであり、一瞬静穏ボタンと勘違いしてしまうほどである。

 

 

 

レバーはさすがに旧Pantheraの方が上だとは思うが、それでも初代機よりも静穏性は優れており、多少耳障りなスイッチ音が見事なまでにかき消されている。少しでもアケコンを使用した事のある人であれば、触った瞬間にその凄さが分かるはずである。

 

ガワのサイズも、そして天板の角度とボタン下の空間も、実に人間工学を研究しているなと言う感じで物凄く使いやすい。ゲーミングデスクに置いた時の高さも完璧だ。旧Pantheraはこの部分でどうしても厚みがあったので、その点だけはやり辛いと言わざるを得なかったのに対し、このObsidian2では全くそんな事もない。

 

はっきり言って、これまでのアケコンを全て過去にしてしまうと言っても過言ではないほどの出来である。アケコン選びで迷っている人も多いかも知れないが、そんな人でもこれを買ってしまえば解決する。確かに、PS5のデジタルエディションとほぼ同価格と考えると高いと言わざるを得ないが、正直今となっては買って正解、むしろ早く買うべきだったとさえ思っている。絶対にお勧めだ。

 

 

 

 

 

 

 

当時のゲーメストには常に基板屋の広告が掲載されていたが、そのうちのシグマが家庭用コンパチのアケコンを出していた。最初は3ボタンのみだったのであるが、SFC版ストIIが発売されてからしばらく6ボタン用をリリースし、ケーブルを付け替えるだけでSFC、PCE、MDに使用する事が出来た。

 

これの2代目を買う事が出来たのであるが、当然アーケード用だけあって当時の家庭用のそれとは比較にならないほどのクオリティを誇っていた。これはおそらく画像検索すれば出るかと思うのであるが、確かにボタンとレバーの配置などは今からすれば微妙な感じではある。しかし、セイミツ製のパーツと金属製のガワを使用したその造り自体はアーケードの感覚そのままであり、遂にSFC版ストIIをアーケードクオリティでプレイする事が出来るようになったのである。

 

当然、PCEとMD用も買ったので、アーケードの移植が多い両ハードでも大変重宝したものである。しかし、当然いずれも6ボタンには対応していなかったので、後日発売されたHORIのマルチアケコンに変えてしまった。もちろん、6ボタン用のケーブルも発売されたのであるが、1本4000円ほどと当時の感覚で言えばバカ高く、買う事はなかった。

 

そのHORIのマルチアケコンであるが、さすがに定価6000円程度の代物だったので、ガワはプラスティック製であるし、ボタンもレバーもシグマのそれとは比較になるものではなかった。しかし、もう当時はスティックでプレイ出来ればなんでも良かったという感じだったので、実機をプレイしなくなるまでずっとそれを使っていった。

 

その時代が終わると、当然次はPSとSSである。私はPSの方を先に買ったのであるが、すでにHORIはファイティングスティックを発売していた。もちろん当時はAmazonなどなく、アケコンの入手性も良くはなかったはずなのであるが、運良く本体と同時に買う事が出来た。これも定価は6000円程度だったかと思うのであるが、ガワが金属製となっており、レバーもボタンも以前のものよりかは遥かに出来が良く、当時の自分からすれば十分すぎるほどの代物だった。

 

のちにセガサターンを購入した時も、運よくSS版のファイティングスティックを同時に買う事が出来た。当時はまだ格ゲーがゲームの主流でもあったので、自分が思うよりかは多く出荷していたのかも知れない。この2機種は、制御部分の基板を変えるだけで互換性があったので、のちPS版がボロくなってきたときは、安価なSS版を大量購入してそれにコンバートしたものである。

 

この頃は、各社がこぞってアケコンを発売していたのだが、自分はこのHORIで十分満足していたので、他に買ったと言えばバーチャスティックの新型ぐらいだったかと思う。これは一見良さそうに見えたのだが、ボタン配置がバーチャに合うようにレバーよりもかなり上に設置されているため、正直かなりいまいちな代物だった。

 

そして、忘れてはならないのがアストロシティのコンパネをそのまま発売した「バーチャスティックプロ」である。24800円と、今の感覚で言えば安いと言わざるを得ないのであるが、当時としては常軌を逸した価格であった。私は買う事はなかったのだが、あるお店に延々と箱のまま置いてあったのは記憶がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなアケコンの百花繚乱を向かえた1985年から翌年にかけてであったのだが、1987年頃からその勢いは急速に衰える。理由は言わずもがな、86年5月に発売された「ドラゴンクエスト」と、その翌年の「ドラゴンクエストII」の超大ヒットにより、ファミコンソフトの主流がシューティングからRPGへと一気に移り変わったからである。

 

一応、87年もハドソンは「ヘクター87」をリリースしたものの、スターソルジャーとはまるで異なるゲーム性もあり、それだけでかつての勢いを取り戻す事は到底不可能であった。しかし、シューティングはもちろんの事、高橋名人の露出すら落ちていた当時に、ハドソンは突然「シュウォッチ」と言う連射測定機能付きの時計を突然リリースする。これは定価が1200円程度と比較的安価だった事もあり、私も含めて近所の知り合いはほぼ全員が持っていたほどで、こぞって連射を競ったものである。

 

自分はそこそこ自信があったとは言え、最初の頃は130すら出すのがやっとだった。おそらく、痙攣打ちでは速くとも140ぐらいだったかと思う。一時期、大人になって復刻版が出た際、コツを掴んでそれ以上軽く出た事もあった気がするのだが、それでもかつての高橋名人には遠く及ぶ事はなかった。

まあそう言う訳で、この頃はスティックはすっかり影を潜め、逆に連射装置付きの十字キーコントローラーが主流となっていく。同年、PCEが発売され、こちらもファミコン初期のようにアーケードの移植物が牽引、特に当時としては究極とも言えた「R-TYPE」が爆発的ヒットを記録するのであるが、にも関わらずPCE用のアケコンが発売される事はなかった。のち、アスキーやHORIがアケコンを発売していくのであるが、高くとも6000円程度に抑えなければならない家庭用事情から、アーケードのそれには遠く及ばず、私も購買欲をそそられる事はなかった。

 

1990年、SFCが発売されると、グラディウスIIIやファイナルファイトなどが発売された事もあり、割とすぐにアケコンが発売されていった。しかし、どうしても必要なものでもなかったし、またこちらもおもちゃみたいな出来のものがほとんどであったので、ほとんど売れる事はなかったのではないかと思う。

 

そんな状況に大転機が訪れたのが1992年6月である。言うまでもなく、待望のSFC版「ストリートファイターII」がリリースされたからである。先見の明があった任天堂は、元々の付属コントローラーが6ボタン仕様であり、そのままでもプレイする事が出来た。しかし、大半のユーザーがアーケードに熱中していった事、そして当然の事ながら操作性そのものがアケコンを大前提とした作りであった事から、ここに来てアケコン需要が爆発した訳である。

 

しかし、それまでのSFC用アケコンは、ストIIスタイルの6ボタンを前提としたデザインではないのがほとんどだったため、選択肢はカプコン自らがリリースした「CPSファイター」しかなかった。しかし、これは1台9800円もする代物であり、当時の概念では大変に高価なものであった。さらに、本家のカプコンが開発したにも関わらず、レバーもボタンもいずれも安っぽい作りであり、さらには配置自体もオリジナルコンパネのそれとは全く違う。もう写真を見て地雷と分かる代物だったので、正直買った人は多くはなかったのではないかと思う。

 

私は3年後ぐらいに格安の中古を買う事が出来たのだが、その時に改めて作りの安さを知って唖然としたものである。しかし、実は当時私が気付かなかった利点がひとつだけ存在した。なんと、初代ファミコンにもコンパチだったのである。当然連射装置もついていたので、まだ実機が現役だったファミコンをプレイする際には大変重宝したものだった。ファミコンのみだったのは、SFC用には別のスティックを使用していたからである。

 

 

 

 

 

 

1985年はファミコンにとってのジョイスティック元年と言う年でもあり、前回触れた2点以外にも続々と発売されていた。当時はまだホリ電機と呼ばれていたHORIがスティックを始めて発売したのもこの年なのであるが、知名度と言う点ではHAL研究所から発売された「ジョイボール」と、ファミコン史上最高傑作のひとつ「アスキースティック」の2点が双璧だろう。

 

まずは前者であるが、後にソフトメーカーとしても有名になるHAL研究所のファミコン参入第1弾が、何を隠そうこのジョイボールだった。読んで字のごとく、スティックの代わりにソフトボールよりも大きいかも知れないボールが付いているのであるが、この操作性が今一つ良くなく、どうしても自在に扱う事が出来なかった。

 

しかし、このジョイボールはおそらく当時の周辺機器の中でもトップクラスの売り上げを記録する。それは、ファミコン史上初の連射装置が付いていたからである。これにより、当時はまだ鬼門であったスターフォースのラリオス5万点ボーナスが誰でも取れるようになった。しかし、連射は早くても操作性が最悪であったので、私などは操作は十字キーで、ボタンを足で押しながらプレイした事もあるほどである。

 

しかし、このジョイボールを一躍有名にしたのが、同年に発売されたコナミの「ハイパーオリンピック」だろう。これは付属のボタン以外受け付けなかったのであるが、何故か連射切り替えスイッチを真ん中に置く事でジョイボールでも反応した。故意か偶然なのかは不明であるが、これによりあり得ない世界記録を出せたものである。

 

そして、もうひとつの雄が、アーケードのコンパネと同一のパーツを初めて使用した「アスキースティック」である。当時最も人気があったジャンルがシューティングゲームだった事もあって、アーケード畑のゲーマーにとってはまさに最初にして究極とも言える製品と言えた。特に、毛利名人などはテレビに出演する度に使用しており、余程気に入っていたのだろう。

 

しかし、その知名度とは裏腹に、私は購入どころか現物を見た事すらない。要は、スティック1台に8800円は単純に子供には高すぎたのと、ゲームセンターに行くのが禁止であった小学生にとって、アーケードスティックの価値は未知のものだったからである。正直、この出来からして8800円と言うのは妥当な価格であるのだが、大人でもその価値を知るものは多いとは言えなかった。なので、アスキースティックと言えばとにかく高い、と言うイメージばかりが先行し、アーケード畑のゲーマー以外にはその価値はまだ理解されなかったのである。

 

 

 

 

 

今でこそアケコンと言う呼称が最も通りが良いが、昔はジョイスティックと言う名前の方が主流であった。その原点となるスティック型コントローラーの初出は私の知る限りでは分からないが、アーケードはもちろんの事、コンソールが出回り始めた1980年代初頭は付属のコントローラーでもスティック型が主流となった。その常識を根底から覆したのが、もちろんファミリーコンピュータである。

 

今なおパッド型は十字キーを基にしているものがほとんどであり、それだけでもいかにファミコン、そして任天堂が偉大であったかがこれだけでも伺える。しかし、元々は当時のアーケードゲームをほぼ完全に移植出来る事を前提として設計されたファミコンのこと、アーケード畑のゲーマーからはスティック型を求める声が上がるのもそう遅くはなかった。

 

その声に応えて発売されたのが、記念すべきファミコン初のスティックとなるスピタル産業発売の「ファミリーキング」である。しかし、こちらはいわゆるジョイスティックからは程遠く、右手で操作をする事を大前提とした操縦桿スタイル、一体どこに需要があるのか、と言う当時のユーザーのニーズを全く無視した製品であった。しかも、ご丁寧にも1P側と2P側は別々の設計で当然別売りと言う販売形態。

 

当然、地雷製品であるのだが、ファミコン初のスティックと言う触れ込み、そして当時はまだファミマガすら創刊されたばかり、あとはコロコロコミックが多少取り扱っていた程度の時代であったから、間違って買ってしまった少年たちは少なくなかったかも知れない。今でもプレミアがついていない事からも、その価値が分かるというものだ。

 

そして、ちょうどその頃であったかと思うのだが、ハドソンが「スターフォース」を発売する。そして、ハドソン自らそれ用に開発したのが、名前も色もずばりな「ハドソンジョイスティック」である。後に高橋名人のトレードマークともなった伝説的な製品であるのだが、こちらもファミリーキング同様に操縦桿テイストな造りであった。

 

一応、左手使用が前提であり、そしてボタンが非常に連射しやすい事もあって、ファミリーキングよりかは遥かにまともな製品であったのだが、最初は全く上手く操作する事が出来なかった。なので、私がまともに使えるようになったのは、高橋名人自ら根元をつまんでプレイする、と言うのを世の中に知らしめてからの事であった。

 

それを知ってからは上手く使えるようになったのであるが、このスティックの威力が最大限に発揮されたのが翌年の「スターソルジャー」である。キャラバン大会ではジョイカードは使用対象外であったため、当時のファミコン少年たちはこぞってこのスティックでプレイしていったものである。

 

正直、操作性自体はお世辞にも良いとは言えないのであるが、凸型のボタンは非常に連射がしやすく、世の中の子供たちはこぞったように連射力を競ったものである。当時はまだ連射測定ツールなどはなく、正確な数値は測れなかったのであるが、ラザロを破壊出来る速さでおおよその連射力は分かったものだ。ギリギリだと13発、自機1機分だと14、2機分だと高橋名人級の16発と言うレベルであった。

 

 

 

 

 

7年ぶりの完全新作となる「ストリートファイター6」を前に、この機を逃すまいとして再びアケコン業界も賑わってきた。正直、お気に入りのモノが1台あれば済むとは言え、一度アケコンの魅力に取りつかれてしまうと新しい製品が発表される度に気になってしまうものである。その一つが、日本ではちょうど3年ぶりにリリースされるVictrix Pro FS for PS5だ。

 

今回はレバーレスも同時発表されたが、自分は格ゲー以外にもアケアカなどを頻繁にプレイする事もあり、今なおスティック一筋なのでここでは割愛する。そのスティック版であるが、カラーとPS5に正式対応した以外はほぼ同一の仕様であるように見える。まあ、あいにく円安のおかげで価格は16000円もアップし、Brookの完成品アケコンを超えアケコンとしては史上最高値を記録してしまったのであるが、そんな価格にも関わらずセールスは好調のようである。

 

現在、日本のAmazonで購入できるのはホワイトのみのようであるが、果たして57000円の価値があるのかどうかは難しい所である。まあ、正直こんな製品を買うようなマニアであれば、前モデルも購入しているのがほとんどな気がするものの、多少は新規のプレイヤーも居なくもないだろう。なので、改めて買う価値があるのかどうかであるが、少なくともアケコンとしての完成度は高いのは間違いはない。

 

現在、アケコンの天面の主流はほぼ平面であり、その下に手の肘などが痛くならないように斜めに下がっているものがほとんどである。旧マッドキャッツのTEシリーズは初代からその形であるし、歴代最高傑作のひとつとされる初代Pantheraもそう、HORIのアケコンもビュウリックス配置を模したRAPから、最新のファイティングスティックに至るまで、ほぼその形をとっている。

 

例外なのは天板が斜めに下がっているQanbaのObsidianとPearl、そしてこのVictrixである。ただ、前者は普通に傾斜がされているだけなのに対し、Victrixはレバーとボタン部分は平面だが、そのすぐ真下からカーブを描くように斜めに下がっているのだ。この天板の境目が非常に絶妙であり、手のひらが自然な形で天面に添える事が出来る。継ぎ目がなく、スムーズに斜めに下がっているガワはVictrixと、Brookのアケコンのみであり、これは使っていて非常にやりやすいのだ。



まあ、ObsidianとPearlも十分やりやすいのだけれども、アーケードのコンパネは基本水平なので、人によってはレバーとボタン部分が斜めと言うのは違和感を感じる人がいるのかも知れない。なので、このVictrixのなだらかな弧を描いているガワは大きな特徴のひとつだろう。

 

そして、高級アケコンはほぼ例外がないレベルで、静穏性に優れている。その頂点が旧Pantheraであり、同じ三和レバーでありながらどうしてこうも違うのか、と驚嘆したほどだ。続いてTE2⁺や、旧マッドキャッツ製品などがその代表なのであるが、これらの系譜からこのVictrixもそれを期待していた。しかし、天板の材質のせいなのか、ボタン音はかなり響くと言っていいレベルである。特に、自分などは見た目重視でクリアボタンに変えてしまったので、尚更そう感じてしまうものだ。

 

レバーも静穏性には劣るのだが、さすがにHORIのRAPのように明らかに響く音とは異なり、表現は難しいが上品な感じの響きである。なので、こちらに不満を抱く人は少ないだろう。

 

もうひとつの特徴として、取り外し式のレバーがデフォルトとなっているが、私はすぐに付属のノーマルに変えてしまったので、ここでは評価外とする。しかし、ノーマルに比べると若干の違和感を感じてしまった事は事実である。

 

ワンタッチでガワが開けられるのも大きな特徴ではあるが、TE2⁺や旧Panthera、そしてHORIのファイティングスティックに比べるとスペースが狭いので、細かい作業などはやり辛いかもしれない。

 


以上こんな感じであるが、アケコンとしての出来は非常に高レベルであり、何よりその高級感から所有欲を断然に満たしてくれる事は間違いない。ただ、高級感や使用感に関しては、ObsidianとPearlも全く劣っていないし、実際この2台は長らく自分のメインアケコンだったほどである。なので、本当に欲しくてたまらず、57000円を出す事に全く惜しむ事はないというのであれば全然買ってもいいと思うが、そこまででないのであればQanbaなどを選んだ方が幸せになれるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月にリリースされたXboxOne/XS用のファイティングスティックαが、2年以上の沈黙を破りようやく再販された。正直、私はUFBアケコンも複数台あるし、もちろんWingmanコンバーターも所有しているので、正直全く買う必要のない代物だったのであるが、それでも専用のアケコンと言うのは魅力のあるもの。これを逃したらいつ買えるか分からないし、という訳で結局購入に至ってしまった。

 




山ほどのアケコンが発売された360時代とは対照的に、PS4に格ゲーのメインストリームが完全に移行した事もあって、Oneはまさにアケコン不遇のハードであった。アケコンを必要とする、もしくはあればいいゲームは山ほどあるにも関わらず、である。私の記憶にある限り、HORIがRAPを2台、海外向けにRAPNを元としたソウルキャリバーモデルが1台、他にはVictrixと、Razerからそれぞれ1台ずつがリリースされただけであったかと思う。

 

私はOneX購入当時、どうしてもアケコンが欲しかったのであるが、当時ネットで探して新品で買えそうだったのは、RazerのAtroxしかなかった。しかし、当時の感覚ではアケコンに24800円以上はとても出せなかったし、ほとんどのPS4アケコンがPS3にも対応していたにも関わらず、こちらはXbox360には非対応というのがひっかかり、結局買う事はなかった。

 

その後、Amazonにおいてソウルキャリバーバージョンが15000円ほどの価格になった頃に買ったのだが、すでにUFBもコンバーターも所有していた頃であったので、実用性というよりも廃盤になるうちに、という意味合いの方が大きかったかと思う。しかし、こちらはXbox360にも対応しており、しかもHayabusaパーツが特製の赤バージョン、そして天板イラストも物凄くカッコよかったので、15000円ちょいの価値は十分にあったものだ。

 

前置きが長くなったが、まあ要はそれだけOneユーザーにとってはアケコンが大きな悩みだったのである。しかしながらそんな流れの中にあって、ファイティングスティックαに関しては本体リリース後まもなく、しかもPS5版よりも先行となる発売であったのだが、いかんせん当時はコロナ禍真っ最中で、PS5・XSXいずれも超入手困難だった時代である。どのぐらいの需要があったのかは言わずもがなだ。

 

その後も、結局日本ではSwitch、PSの後塵を拝していた事、そして相変わらずケイブに代表される弾幕シューティングゲームの後方互換は実現しない事などからも、XSXへのアケコン需要は決して高くはなかった。しかし、それがここに来て様相が変わってきた。言うまでもなく、KOF15をはじめ、鉄拳8そしてストリートファイター6らの、格ゲーの超大物らのXSX発売が決定したからである。しかし、ほとんどのアケコンは相変わらずPS5のみ…こんなアケコン難民のXSXを救ってくれたのが、我らが日本の誇るHORIだった、という訳である。

 

実際の使用感は、もちろん後発のPS5用と全く変わらない。RAPよりかは静音性が高いと言われ、確かにそれは事実なのであるが、実際の所はRAPよりかはマシ、という程度であり、Pantheraはもちろん、ObsidianとPearlのいずれにも全く敵わない。Hayabusaパーツのままだと素直に比較は出来ないのだが、実際に三和電子に換装してみるとその違いは歴然である。構造上、コードの部分にどうしても空洞が出来てしまっているので、もしここが完全に密閉されていたら少しは変わってきたのだろうか。




また、Hayabusaパーツもこれまでと全く同様なのであるが、とにかくレバーを目一杯倒した時の音と感触が気になって仕方がない。この時のガコガコ感と音がもう少し柔らかければ、さらに多くのユーザーに受け入れられたと思って仕方がないので、なんとか再び改良版Hayabusaパーツを開発して欲しいものだ。

 

以上こんな感じであるが、現行WingmanコンバーターとUFB以外ではほぼこれしか選択肢はなく、他のアケコンはほぼ純正コントローラーを接続するタイプのものばかりなはずである。なので、XSXユーザーにはほぼNo choiceと言った感じであるが、総合的な出来自体はかなり良いので、買っても大きな損はしないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

7月にもIWGP戦が行われるが、この時はなんとホーク・ウォリアーが相手だった。言うまでもなく彼はタッグ屋であるし、またアニマルが復帰しロードウォリアーズが復活した事もあって、シングルプレイヤーとして「新日本の顔」になる事はまずない存在である。まあ、ホーク自体の商品価値は高いままであったし、また貴重なシングル戦が見れるという価値こそあったものの、まあ前述の理由もあってまずタイトル移動はありえないマッチメイクだった。と言う訳で、私自身もググるまでこの試合の事は完全に忘れていた。

 

そして、この年のG1も前年同様に両国5連戦で行われたのだが、第1回以来の両リーグ4人ずつと言う厳選メンバーで行われた。そして、G1としては珍しく武藤が大流血しながらも、決勝で橋本真也を破り念願の初優勝、かつ初の現IWGP王者の優勝と言う史上初の偉業も同時に達成する。ただ、この時はまだプロレスの裏側を知らない自分でさえも、露骨なほどの武藤推しを感じたし、また優勝記念のあのガウンもまさに武藤のために作られたような感じもしたので、なんとなくであるがやっぱりか、と言う気持ちにさせられたものだった。

 

そして、確か「10月9日にUWFインターナショナルとの対抗戦が決定!」的なテロップが突然流れたのも確かこの大会であったかと思う。新日本とUWFインターの因縁と言えば、週刊ゴング増刊における蝶野の「高田さんと闘いたい」発言から始まり、ベイダーの引き抜きに1億円事件と、新日本とファンからすればフラストレーションの最たる存在であっただけに、この速報には本当に驚いたものである。

 

この辺りの話は、両団体の因縁のみならず、ちょうど財政的に行き詰っていた事から永島氏が閃いたアイデアだとされているが、当然当時はそんな事は知る由もなかったので、単純に長州・高田の電話会談におけると信じ込んでいたものだ。まあ、それでもさすがに会談中にいきなり「ドームを抑えろ!」で予約が出来るというのは少し演出臭いな、とは思っていたものの、単純に興奮したものである。

 

そして、ここから10月9日まで、新日本とUインターの話題一色で染められていくのであるが、発表されたメインカードが周知のとおり「武藤敬司VS高田延彦」であった。当時は各団体のハードルがとても高いものであり、またプロレスの裏側も知られていなかった事もあって勝敗も非常に重視されていた時代でもあったので、各団体のトップ同士の対戦などまず考えられない時代であった。

 

一応、WARとの対抗戦においては、長州、藤波、天龍絡みのシングルも実現し、それぞれピンフォール決着がなされたものの、お互いの全盛期は過ぎた後であるし、当然の事ながら星の取り返しもあったので、いわゆる1995年当時の事実上のトップである三銃士や四天王、そしてUWF系のトップ勢との対決とは意味合いがまた異なっていた。

なので、Uインターの対抗戦が決まるまでは、武藤と高田の頂上対決など誰も絵に浮かぶ事はなかったのだ。それが、なんの前哨戦もなく、いきなりドームのメインでシングルが決定してしまったのだから、この時のインパクトと言うのは本当に言葉では表現しきれないぐらの大変な衝撃だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

そして運命の1995年のシリーズを迎えるが、この年の冒頭と言えばやはり武藤敬司のスランプである。正直、プロレスにスランプなんてあるのか?としか思えなかったのであるが、まあその後の展開を見ても分かるように、アングルの一種だったと考えてもはや間違いないだろう。

 

新日本は割とこの手のアングルを使いがちであり、かつては橋本真也の中国修行や、藤波辰爾の長期欠場からボクシング特訓、そして格闘技戦で復活、と言う流れもその一種だったかと思う。それで95年は武藤のターンと言う事だったのだが、この時はまさかの野上にドラゴンスープレックスでフォール負けを喫したり、その流れでシリーズ欠場そして長野かどこかのお寺で座禅を組んだりと、あらゆる手を講じて武藤がおかしいぞ、と言う印象を植え付けてきたものである。

 

なので、完全に記憶を頼りに書いているので事実と正しいかは自信はないのであるが、3月から4月辺りはシリーズを休養していたはずである。途中、2月ぐらいにムタとしてエル・ヒガンテとシングルでやっているはずなのであるが、この時はいつも通りのムタであり、スランプの武藤とは別人格と言う事を必要以上に強調した結果だったかと思う。

 

そういう事もあり、当然4月下旬のあの北朝鮮ツアーには武藤は参加していない。しかし、にも関わらず、福岡ドームでのメインではいきなり橋本のIWGP王座に挑戦が発表されたので、「どうして欠場していた武藤がいきなり挑戦出来るのか」と内外から非難を浴び得ていた記憶がある。確かにそれは自分ですらそう思ったので、レスラーからも不満が噴出するのは当然だったとは思うのであるが、ここでなんと「光る女」以来の髭もじゃで登場した武藤は橋本にムーンサルトから勝利し、武藤敬司としては念願の初IWGP王座へと輝くのだ。

 

同下旬、後楽園ホールにおいてまだWCW時代のブレイク前のスティーブ・オースチンとシングル戦を行うのであるが、雑誌のレポートによるとかなり辛辣なヤジを喰らったそうである。確かに、キックとDDTを主体とする橋本の分かりやすいプロレスに比べると、流行り技を使わずレスリングに比重に置く武藤のスタイルは、人によっては退屈と映ってしまう事も確かだった。しかし、さすがに声が届く後楽園ホールにおいてのヤジは、武藤にとっても辛いものだったと記憶している。

 

なので、王者になったからとは言ってもすぐに客の心を掴めた訳でもなかったのであるが、そのオースチン戦の様子が雑誌でリポートされた以降、多くのファンは次第に武藤の味方となっていく。そして6月、今でも話題となるあの6月の佐々木健介戦を迎えたのであるが、ここで武藤に恥をかかそうと「仕掛けて」いった健介は軽く返り討ちにされてしまい、逆に実力差を見せつけられた格好となってしまう。

 

この大阪大会を含む3連戦は週刊プロレスが増刊を出しており、「さすが武藤、完全試合だ」の見出しで武藤の圧勝を伝えた。そして、テレビ収録もされ、私も間違いなくテレビ中継でその試合を見た記憶があるのであるが、録画したにも関わらずそれっきりであったため、一体どのようにして武藤が完封したのかは記憶が定かではないのである。あいにく、ワールドでもアップされていないし、さらには最新のBlu-rayにも収録されていない。なので、当時の中継の録画以外では見る事は困難な状況となってしまっているのが現状である。

 

翌々日の武道館では、当時売り出し中だった天山とのIWGP戦が行われたが、今思うとどう考えてもタイトル移動はあり得ない組み合わせである。一応、ムーンサルト対決などと言う煽りはあったとは言え、格的にもキャリア的にもレベルが違いすぎ、なのでそこまで見る側も盛り上がれなかったのが正直なところだ。こちらの試合もワールドでもBlu-rayでも観る事が出来ないので、まあ歴史的にもその程度の扱いと言う事なのだろう。