アーケードスティックのお話・その47 アケコンの歴史について語る・その3 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そんなアケコンの百花繚乱を向かえた1985年から翌年にかけてであったのだが、1987年頃からその勢いは急速に衰える。理由は言わずもがな、86年5月に発売された「ドラゴンクエスト」と、その翌年の「ドラゴンクエストII」の超大ヒットにより、ファミコンソフトの主流がシューティングからRPGへと一気に移り変わったからである。

 

一応、87年もハドソンは「ヘクター87」をリリースしたものの、スターソルジャーとはまるで異なるゲーム性もあり、それだけでかつての勢いを取り戻す事は到底不可能であった。しかし、シューティングはもちろんの事、高橋名人の露出すら落ちていた当時に、ハドソンは突然「シュウォッチ」と言う連射測定機能付きの時計を突然リリースする。これは定価が1200円程度と比較的安価だった事もあり、私も含めて近所の知り合いはほぼ全員が持っていたほどで、こぞって連射を競ったものである。

 

自分はそこそこ自信があったとは言え、最初の頃は130すら出すのがやっとだった。おそらく、痙攣打ちでは速くとも140ぐらいだったかと思う。一時期、大人になって復刻版が出た際、コツを掴んでそれ以上軽く出た事もあった気がするのだが、それでもかつての高橋名人には遠く及ぶ事はなかった。

まあそう言う訳で、この頃はスティックはすっかり影を潜め、逆に連射装置付きの十字キーコントローラーが主流となっていく。同年、PCEが発売され、こちらもファミコン初期のようにアーケードの移植物が牽引、特に当時としては究極とも言えた「R-TYPE」が爆発的ヒットを記録するのであるが、にも関わらずPCE用のアケコンが発売される事はなかった。のち、アスキーやHORIがアケコンを発売していくのであるが、高くとも6000円程度に抑えなければならない家庭用事情から、アーケードのそれには遠く及ばず、私も購買欲をそそられる事はなかった。

 

1990年、SFCが発売されると、グラディウスIIIやファイナルファイトなどが発売された事もあり、割とすぐにアケコンが発売されていった。しかし、どうしても必要なものでもなかったし、またこちらもおもちゃみたいな出来のものがほとんどであったので、ほとんど売れる事はなかったのではないかと思う。

 

そんな状況に大転機が訪れたのが1992年6月である。言うまでもなく、待望のSFC版「ストリートファイターII」がリリースされたからである。先見の明があった任天堂は、元々の付属コントローラーが6ボタン仕様であり、そのままでもプレイする事が出来た。しかし、大半のユーザーがアーケードに熱中していった事、そして当然の事ながら操作性そのものがアケコンを大前提とした作りであった事から、ここに来てアケコン需要が爆発した訳である。

 

しかし、それまでのSFC用アケコンは、ストIIスタイルの6ボタンを前提としたデザインではないのがほとんどだったため、選択肢はカプコン自らがリリースした「CPSファイター」しかなかった。しかし、これは1台9800円もする代物であり、当時の概念では大変に高価なものであった。さらに、本家のカプコンが開発したにも関わらず、レバーもボタンもいずれも安っぽい作りであり、さらには配置自体もオリジナルコンパネのそれとは全く違う。もう写真を見て地雷と分かる代物だったので、正直買った人は多くはなかったのではないかと思う。

 

私は3年後ぐらいに格安の中古を買う事が出来たのだが、その時に改めて作りの安さを知って唖然としたものである。しかし、実は当時私が気付かなかった利点がひとつだけ存在した。なんと、初代ファミコンにもコンパチだったのである。当然連射装置もついていたので、まだ実機が現役だったファミコンをプレイする際には大変重宝したものだった。ファミコンのみだったのは、SFC用には別のスティックを使用していたからである。