武藤敬司について語る・その17 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

7月にもIWGP戦が行われるが、この時はなんとホーク・ウォリアーが相手だった。言うまでもなく彼はタッグ屋であるし、またアニマルが復帰しロードウォリアーズが復活した事もあって、シングルプレイヤーとして「新日本の顔」になる事はまずない存在である。まあ、ホーク自体の商品価値は高いままであったし、また貴重なシングル戦が見れるという価値こそあったものの、まあ前述の理由もあってまずタイトル移動はありえないマッチメイクだった。と言う訳で、私自身もググるまでこの試合の事は完全に忘れていた。

 

そして、この年のG1も前年同様に両国5連戦で行われたのだが、第1回以来の両リーグ4人ずつと言う厳選メンバーで行われた。そして、G1としては珍しく武藤が大流血しながらも、決勝で橋本真也を破り念願の初優勝、かつ初の現IWGP王者の優勝と言う史上初の偉業も同時に達成する。ただ、この時はまだプロレスの裏側を知らない自分でさえも、露骨なほどの武藤推しを感じたし、また優勝記念のあのガウンもまさに武藤のために作られたような感じもしたので、なんとなくであるがやっぱりか、と言う気持ちにさせられたものだった。

 

そして、確か「10月9日にUWFインターナショナルとの対抗戦が決定!」的なテロップが突然流れたのも確かこの大会であったかと思う。新日本とUWFインターの因縁と言えば、週刊ゴング増刊における蝶野の「高田さんと闘いたい」発言から始まり、ベイダーの引き抜きに1億円事件と、新日本とファンからすればフラストレーションの最たる存在であっただけに、この速報には本当に驚いたものである。

 

この辺りの話は、両団体の因縁のみならず、ちょうど財政的に行き詰っていた事から永島氏が閃いたアイデアだとされているが、当然当時はそんな事は知る由もなかったので、単純に長州・高田の電話会談におけると信じ込んでいたものだ。まあ、それでもさすがに会談中にいきなり「ドームを抑えろ!」で予約が出来るというのは少し演出臭いな、とは思っていたものの、単純に興奮したものである。

 

そして、ここから10月9日まで、新日本とUインターの話題一色で染められていくのであるが、発表されたメインカードが周知のとおり「武藤敬司VS高田延彦」であった。当時は各団体のハードルがとても高いものであり、またプロレスの裏側も知られていなかった事もあって勝敗も非常に重視されていた時代でもあったので、各団体のトップ同士の対戦などまず考えられない時代であった。

 

一応、WARとの対抗戦においては、長州、藤波、天龍絡みのシングルも実現し、それぞれピンフォール決着がなされたものの、お互いの全盛期は過ぎた後であるし、当然の事ながら星の取り返しもあったので、いわゆる1995年当時の事実上のトップである三銃士や四天王、そしてUWF系のトップ勢との対決とは意味合いがまた異なっていた。

なので、Uインターの対抗戦が決まるまでは、武藤と高田の頂上対決など誰も絵に浮かぶ事はなかったのだ。それが、なんの前哨戦もなく、いきなりドームのメインでシングルが決定してしまったのだから、この時のインパクトと言うのは本当に言葉では表現しきれないぐらの大変な衝撃だったのである。