ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

IIIが微妙だっただけに、あまり買う気は起きなかったのであるが、それでも流石にそうはいかないだろうと思い結局購入。

 

タイトルがタイトルなだけに、すでにあらゆる場所でレビューが行われているので、詳しい内容に関してはそちらを参照していただければいいかと思うが、まだIしか終えていないものの、正直かなり不満の出来る作りだった。これが初プレイであれば許容範囲なのであろうが、少なくともリアル世代にとっては別ゲームをプレイしているのと同じだった。

 

オリジナルのファミコン版Iの目的と言えば、最終的にはあまぐものつえとたいようのいし、そしてロトのしるしを入手し、聖なる祠でにじのしずくを作ってもらい、橋を架けて竜王を倒すのみである。つまり、後のイベントは別に通らなくてもクリア自体は出来る訳だ。もちろん、前述のアイテムを入手するためにカギやぎんのたてごとを入手するのは必須とはいえ、基本的にフラグ管理は一部のみであり、基本的にはアイテム入手が殆どであると言っていい。

 

これはもちろん、ふっかつのじゅもんによるパスワード制を取っているためであり、複雑なフラグ管理が不可能だったための処置である。もちろん、最初からノーヒントでプレイする場合は、全て手探りであり、当然ロトのしるしの場所も分かるはずもないので、初見プレイではおうじょのあいを使わないとクリアは極めて困難である。

 

しかし、2週目プレイなどであれば、余計な個所は飛ばしてプレイ出来るし、王女を助け出す必要もない。さらに、レベルさえ上げればロトの装備を使わずともクリアは可能である。もちろん難易度は跳ね上がるが、不可能ではない。つまり、今でいうオープンワールド的な造りが、ドラクエIの最大の魅力なのだ。

 

もちろん、それだけではすぐに終わってしまうので、その代わりに経験値稼ぎがかなり厳しくなっている。さらに、1対1、しかも先制攻撃を除けば必ずこちらからの攻撃となるので、単純な肉弾戦になりがちだ。しかし、レベルを上げれば目に見えて強くなっているのが分かるし、さらにどの敵もこちらのレベルに対応して逃げ出すようになるので、戦術は単純になりがちでも十分RPGの自身が強くなっていく楽しさを理解する事が出来たのだ。

 

さらに、ファミコン版のドラクエはこの辺りのゲームバランスが極めて秀逸だった。他のドラクエフォロワーなどは、ここら辺のバランスが悪いものが多く、覚えている限りではハドソンの「桃太郎伝説」や、PCEの「邪聖剣ネクロマンサー」などはかなり極端なバランスに仕上がっていたかと思う。

 

流石に、SFCのリメイク版では経験値が大幅に緩和され、イベントもほぼオリジナル通りだったので、リアル世代はものの数時間でプレイする事が出来た。それでも、ドラクエIの面白さは何も損なわれていなかったのである。ただ、スマホ版をベースにしたPS4・Switch版はやっつけ仕事としか言いようがないのであるが。

 

なので、このHD版もそのつもりでプレイしてしまっただけに、正直かなり面食らったものだった。上記の通り、自由度がドラクエI最大の魅力だっただけに、イベント通りに進まなければストーリー進行されないのは戸惑ったものだ。さらに、それに伴うボイス付きの小芝居が極めて苦痛だった。PCEのイースI・IIや、天外魔境の頃ならそれが売りになったものだが、正直このリメイクにボイスは必要なのだろうか?

 

FFシリーズのようにリアルキャラがドアップでしゃべるのならまだ分かる、しかし、そのままの縮尺で声だけ出るというのはどうにも足かせにしか思えない。しかも、ウィザードリィの影響を強く受けた初期ドラクエは、グラフィックがショボい分想像力を働かせ、まさにプレイヤーを自身として見れたのに、戦闘までもボイスがついては想像力も何もない、ただ自分の名前がついた第3者を操っているだけである。

 

いずれも今の時代にはそぐわないのは間違いないのであるが、やはりグラフィックと音楽が豪華になっただけのリメイクを期待すると面食らう。それに加えて、多勢に無勢の戦闘、しかもこちらはドラクエIVのライアンなどとは異なり、NPCもいないのである。途中、ボス戦で5対1でボコボコにされた際には流石にもうやってられなくなり、モードを楽ちんにしたものである。

 

それでも簡単にやられたのであるが、何故か死なない。そう、なんとHP1のまま絶対に死なない無敵モード、つまりは公式チートが存在していたのである。前作IIIでは意地でもバッチリでプレイしていたので、無敵の存在を知らなかったのだ。

 

流石にもうRPGに何十時間もかけていられるほど余裕も体力も時間もないので、最後までそれで押し切った。当然、あり得ないほどのダメージを喰らいまくってのエンディングである。これを正攻法でクリアした人は本当凄いと思う。

 

その後、IIを初めてまだ途中なのであるが、こちらは今の所はまだIに比べればまだマシである。しかし、相変わらず小芝居がうざいので、ストーリーも読まずに飛ばしまくりである。

 

スタッフもリアル世代は少ないだろうし、これが令和のドラクエと言われればそうなのか、と思うしかない。ただ、それでもドラクエIの完全にバランス崩壊した戦闘だけは何とかして欲しかったものである。

 

 

 

 

 

 

現行機種のうち、アーケードの移植が最も多いのは間違いなくNintendo Switchである事は否定のしようがない事実。今となっては圧倒的なスペック不足ではあるものの、その普及台数そして任天堂という圧倒的なブランド力を武器に、Switch専用のゲームは増えるばかりである。

 

スペックに関してはSwitch2によって大分改善され、一部タイトルにおいては遅延も軽減されたとは言っても、それでも据え置き機として見た場合のスペックは全くもってPS5には及ばない。しかし、現在の圧倒的なセールスを見るにつけ、今後しばらく任天堂の天下は続きそうである。

 

そんな圧倒的なシェアを持つSwitchの欠点が、アーケード移植が非常に多いのにも関わらず、操作系があまりにも貧弱な事である。HORIですら、Switch用は2017年に発売した旧型のRAPと、あとは小さい廉価版の2種類しかない。格ゲーのシェアは圧倒的にPS5とPCとは言え、アケコンは格ゲーのだけのものではない、アーケードゲームをプレイする上で極めて基本的なものである。しかし、にも関わらず、ラインナップはとても貧弱なのである。

 

そのため、Switchにおいては以前からコンバーターの需要が非常に高い。現行で言えば、圧倒的に遅延の少なさを誇るBrookのWingmanシリーズ一択だろう。今ではBrook基板のアケコンがあるので使う事はないが、大抵のアーケード出身者は何かしらのコンバーターを使用した事があるはずである。

 

そして、ナイトストライカーが発売された際、何も考えずにサイバースティックを買ってしまった。PCには使用可能なものの、案の定Switchでは無反応である。頼みの綱のコンバーターかましても同じだ。なのでSteam版でプレイすればいいだけの話ではあるものの、やはりお手軽さでは圧倒的にSwitchだ。一応、個人でコンバーターを作成している方もいらっしゃるのであるが、瞬間で売り切れてしまうので入手は非常に困難である。

 

そこで、コンバーターをかましてPS4用のフライトスティックを使用している人を見かけた。HORIのは廃盤なので、一か八かでスラストマスターのを買って、WingmanXEで繋いでみたのであるが、見事に反応してくれた。アーケード版をプレイしたのはかなり前なので、感触は覚えていないのであるが、少なくともCSよりもこちらの方がアーケードの感覚に近いだろう。遅延に関しても殆ど見られないようである。

 

これで、ようやくプロコンのアナログスティックでのプレイから開放された。同じくFS使用のスペースハリアーでももちろん使える。セガサターンでもミッションスティックなるものがあったが、あちらはかなり貧弱だったので、こちらの方がよりアーケードに近い感覚でプレイ出来るというものだ。やはり、3Dゲームはフライトスティックありきである。

 

 

 

 

 

ちょうど今、TVerにて10.9が配信されているのだが、なんと当時の放送そのままだ。まあ、TVerという媒体を考えたら当たり前なのであるが、それでも単なる試合より、当時の放送そのものフォーマットで観る方が何十倍も臨場感があるというものだ。そして、放送そのものと言う事はテーマ曲もそのままなのである。

 

これは本当に大きい事であり、確かに10.9はワールドでも配信はされている。しかし、基本的に新日本自身が楽曲の権利を管理する以前のものは、全てカットである。なので、当然武藤がギブアップを奪った直後の、トライアンフも聴く事が出来ない。という訳で、この配信というのは本当に意義の大きいものなのだ。

 

なので、この曲を聴くためだけに、わざわざ燃えろ新日本プロレスのUインター対抗戦のDVDを、わざわざプレミア価格で買ったほどである。当時、もちろんこのシリーズは知ってはいたものの、若干プロレスから離れていた事もあり、最初のホーガン戦と、増刊号のアリ戦以外のものは発売当時にはほとんど買わなかった。

 

欲しければいつでも買えるだろう、とタカをくくっていたこともあるのだけれども、それでもこの10.9に関しては速攻で完売、以降も再販される事はなかったので、この号だけ異様なプレミアがついていたのだ。という経緯もあり、ワールドがある今となってもまだ買う価値は十分にあったのだ。

 

さて、前述のように、この10.9時点での武藤敬司の入場曲は前奏なしのトライアンフだった。実際には9.23横浜アリーナから使用されていたのであるが、武藤敬司と言えば鈴木修氏作曲の超名曲、HOLD OUTが否応なしにハマっていたので、トライアンフに変わった時は本当に失望したものだった。確か、この横アリでもその様子は流れたはずなのであるが、本当にお通夜のように会場がシーンとしていたものである。

 

そして、この10.9になってもその変更を知らない、もちろん浸透もしていないので、この東京ドームにおいても同じく会場が冷え切っていたようなのである。テレビでは割と歓声があるように聞こえるのだが、実際はそうではなかったらしい。

 

対照的に髙田延彦の入場に関しては、Training Montageの前奏が終わり、メロディが流れはじめた時におおーという歓声が聞こえている。Uインター以降は完全に定着しており、特にTBSで放送があった際も流れていたものだから、前田のキャプチュードと並びU系では最も知名度の高い曲だったかと思う。

 

しかし、理由は不明だが、イングヴェイ・マルムスティーンのオリジナル曲が94年の8月頃から使用され、さらには髙田延彦の入場曲としてシングルCD化もされた。当然、私も買ったのであるが、どう考えてもトレモンの方が格好良く、こちらに変わった時には心底がっかりしたものだ。

 

その後、1億円トーナメント以降はUインターの放送も減り、いつまでこの曲を使用していたのかは定かではない。しかし、私もわざわざロッキーIVのサントラを買うぐらいにこの曲が好きだった事もあって、テレビでこの曲に戻ったのを知った際はやはり嬉しかったものである。

 

そのように、入場曲に関しては完全に対照的だった2人であったが、決着直後から一気にトライアンフは武藤の代名詞へと定着する事になる。ギブアップが決まった瞬間の歓声、武藤敬司のアップ、そして田中リングアナのコールに、あまりにもこの荘厳なイントロがマッチしていたのだ。たった一夜で評価がここまで逆転した曲もないのではないだろうか。なので、やはりこの試合はトライアンフ抜きのワールドでは完全には堪能は出来ないのである。

 

本当、トライアンフと蝶野のファンタスティックシティに関しては、聴いた瞬間にこのシーンと、そしてG1優勝シーンが頭に浮かんでくるものである。燃えろ新日本プロレスでは、全てとは行かないまでも、入場曲がそのままの試合も多かったので、そういう意味では実に価値のあるものだった。

KLへの飛行機はさほど多くもないので、必然的に便は限られてくる。最もメジャーなのはダントツでエアアジアXだろう。しかし、長らく私は選ぶことはなかった。もちろん、LCCで7時間を耐えられるか否かが不安だったからである。

 

となると、経由便を選ぶしかないが、そこで最も都合が良いのがキャセイパシフィックの香港経由である。当然、東京発は朝となるが、一応当日中にKLIAに着く事は出来るし、そこからKLIAエクスプレスで市内に出てもまだ21時台なので夜食ぐらいなら余裕がある。

 

時間帯も香港まで4時間、KLまで3時間とちょうど良い感じで分かれており、7時間という長さを感じずには済む。なので、これまで6回のうち実に3度も利用してきたのであるが、実は去年ぐらいから香港-KLIA便にナローサイズのエアバスA321NEOが投入され、国際線なのにシートピッチがエアアジアの国内線か、というほど狭いのだ。

 

元々、香港-KLIAは日本線よりも狭いと感じてはいたものの、それでもまだワイドボディだったからマシだった。しかし、昨年からはまさかのナローボディである。もちろん、機内エンタメはついているし、モニターも最新のものだ。しかし、それでもこの狭さだけはいかんともし難い。天下のキャセイでまさかのナローボディかつありえないレベルのシートピッチの狭さときては、わざわざ高いカネ払ってキャセイを選ぶ理由もないというものだ。なので、個人的にはもう選択肢としては入れられない。

 

しかし、他に妥当な経由便と言うと、せいぜいスクートぐらいしかない。しかも、当然チャンギ経由なので、飛行時間が余計に長くしかもバランスも悪い。また、成田発しかないのであるが、早朝便しかないために千葉県民か日暮里周辺の人でないと、1泊しないとまず間に合わないので余計な出費となる。スクート自体はLCCとしては快適であり、当然ワイドボディかつシートピッチもまあまあ広いので、そこは問題ないのであるが、1泊必然、トータル時間のバランスを考えたらこれもなし。

 

なので、今回は直行便で行く事に決めた。そうなると、やはり第一候補はエアアジアXとなるのであるが、シートピッチはまあまああるもののそれでもギチギチの座席と狭い通路にはうんざりもしていたため、即決とはいかなかった。そこで色々調べて見つけたのが、クワイエットゾーンというお子様お断りの前方の席である。

 

どういうゾーンなのかは名前を見れば一目瞭然であるが、このエリアの座席指定は最低でも片道5000円、往復だと1万円は超える。大半の客はカネをケチりたいからLCCに乗る訳であって、わざわざ1万円も払ってこの席を選ぶ人など皆無な訳だ。しかし、そこがミソである。ガラガラという事は、1席とっておけば3席独占できる可能性が出てくるのだ。

 

なので、これが第一候補となったのであるが、今回6月のセール以降なかなか値段が下がらず、また予約したとしても万が一満席だったりでもしたら赤ん坊が居ない以外のメリットは皆無な訳で、結局安くならなかった事もあって今回はスルーした。ただ、一応アプリで調べていた所、割と直前の日付でもQゾーンはガラガラみたいだったので、次にセールがあれば狙って行こうかと思う。

 

そして、他に残された便は我らがANAとJAL、そしてマレーシア航空のみである。ANAはセールをしていたし、羽田発の便でもあったからそれにしようかな、とも思ったのだが、アメリカ本土からKLまで乗り継ぎの需要があると聞いて満席になる予感がしたので、選ぶことはなかった。

 

なので、結局マレーシア航空にした。これは成田便となってしまうので最後まで悩んでいったのだが、マレーシアに過去5回も足を運んでおきながらフラッグキャリアを選んだことがない、というのはいかがなものか、と思い、特別な渡航でもあったから最終的にはこちらにした。そして通常であれば10万円なのだが、なぜかHISで56000円ほどのセールをしていたので、かなりお得であった。

 

旅行系YouTuberの動画などを見ると、ガラガラで横になれる、という事を期待していったのだが、あいにくそうはいかなかった。しかし、行きも帰りも横に誰もいなかったので、その点は本当に良かったかと思う。ただ、確かに言われている通り機材は古く、機内エンタメもかなり昔に見たコントローラーである。

 

そして、後方側のトイレが右側にしかなく、しかもめちゃくちゃ狭い。最初から毛布とクッションがついていたり、サービスに関しては割と好印象だったし、遅延も全くなかったのでそれらは本当助かったのであるが、成田便という事を考えたら、今後あえて選ぶことは少ないかも知れない。成田エクスプレスは確かにテンションはあがるものの、それでも新宿からほぼ90分というのはなかなかしんどいものだ。

 

という訳で、次はいつ行くか決めていないものの、エアアジアXのセール次第、ということになるかも知れない。もし、ANAが5万円台のセールをしていたら、それにするかも知れない。

 

しかし、私はシンガポールも大好きなので、どうせKLに行くのなら一緒に回りたいものだ。なので、次回はシンガポールまでZIPAIRで飛んでいき、帰りはKLからエアアジアXという手段をとるだろう。エアアジアXは、当然LCC中心のKLIA2発着であるが、こちらは最終ゲート前でまとめて荷物チェックを行うし、それ以降ドリンクを買うのも自由だ。

 

KLIA1でも、売店で特別な袋を貰えばドリンクも機内持ち込み可能であるが、やはりチャンギと同様狭い出発ゲート前での荷物検査は本当にストレスだ。なので、快適に行きたいのであればKLIA2発着がいいだろう。つまり、帰りはエアアジアX1択という訳だ。

10.9の次と言えば、10.11である。往年のプロレスファンであれば、この数字を見るだけで自然と高田VSヒクソンの文字が浮かんでくるはずである。それほどまで、この対戦は後々にまで影響を与えた出来事だったのである。

 

当時の時代背景などはおそらく以前触れていたかと思うが、とにかく常に八百長、やらせ、と言う言葉と戦ってきたファンにとって、「プロレスこそ最強」と言うのは全ての心の拠り所であった。しかし、1993年にUFCが発足し、翌年それに刺激を受けた佐山聡がヒクソンを招聘するなど、この90年代中盤と言うのはその心の拠り所が崩壊しかかっていた頃であった。

 

そんな崖っぷちの時代に、これまでUインターで常に最強を謳ってきた髙田延彦が、400戦無敗の看板を欲しいままとしていた絶対的ラスボスのヒクソンと、何の因縁もなくあっさり決定してしまったのだ。もちろん、プロレスとの最初の接点はあの安生洋二の道場破りであるし、翌年にはリングスの山本が対決するなど、すでに避けられる所までは来ていた。

 

しかし、プロレス的な流れで行くと、まずはUインターの他の連中から、と言うのが筋なだけに、いきなりエースの髙田延彦との対決が実現するなどはとても想像付かなかったものだ。

 

と言う訳で、決定から試合まで5カ月ぐらいあったかと思うが、その最中も本当にこんな対決が実現してしまうのか、と半信半疑になるほどだった。それほどまでに、いきなり頂上対決と言うのは当時としても信じがたいものがあったのだ。

 

まあ、結果は5分持たずに完敗だった訳だが、スカパー黎明期のPPV、かつ当然ビデオ化の予定もあったためになかなか映像で観る事は出来なかった。一応、土日かの夕方に放映されたリングの魂の特番において、一番長い尺で観れたと思うのであるが、当然結果を知った大分あとの事である。

 

その後もYouTubeでも完全版はなかなか観る事は出来なかったのだが、最近になってようやく当時の日本語実況付きの映像がフルでアップされた。そこで私も最初から初めてノーカットで観たのであるが、想像以上に高田がヒクソンの周りをグルグル回っており、もうこれ見ただけで勝ち目はないな、と思ったものである。

 

往年のファンならご存知だろうが、かつてジャイアント馬場がジャンボ鶴田に、「相手に自分の周りをまわらせろ。そうすればどっちが強そうに見えるのかお客さんからは一目瞭然だ」的なアドバイスをした事があった。実際、鶴田はかの長州力戦において、長州に自分の周りをまわらせて自分への格上感を出している。

 

そして、前述のようにこの試合の高田は、私の想像をはるかに上回るレベルでヒクソンの周りをまわっていた。当然、何かしら戦法はあったかも知れないのだが、素人からしたら逃げ回っているようにしか見えなかった。もちろん、高田の方がいくらか若いので、スタミナをロスさせる事もありえたのかも知れないが、それでもいかんせんどっちが強くて弱いのか一目瞭然すぎた。

 

なので、これ見て当時の観客の気持ちになってしまった訳であるが、しばらくは映像を観る事が出来なかったので当然そんな経過は知らず、ひたすら4分47秒腕十字と言う結果だけで絶望せざるを得なかった。なので、Uインターの最強時代を観ていた私としては本当にショックとしかいいようがなかったのであるが、もしリアルタイムでこの試合を観ていたら、これじゃどうしようもないな、と逆に諦めがついたのかも知れない。

先日、6度目のクアラルンプール渡航を果たしてきた。ちょうど3年前の2022年、つまりコロナ以降でようやく海外渡航が解禁となった年からすでに6回目と言う事からも、いかに私がKLがお気に入りかが分かってもらえるだろう。

 

しかし、正直言うと、観光地としての魅力は、少なくともASEANにおいてはバンコクとシンガポールの後塵を拝しているかと思う。バンコクはカオサン通りに知られるよう、昔からバックパッカーの聖地、拠点と言う感じであり、今でも観光立国として大変な数の観光客がバンコクを闊歩している。シンガポールは実際に行くと、英語や歴史に興味がない限り実はそんなに面白くもないのであるが、それでもマリーナベイの夜景は何度見ても奇麗だし、噴水ショーのスペクトラも人間がやっている訳でもないのにかかわらず、何度見ても圧倒される。

 

それに比べると、正直KLは「絶対的な」観光地に欠けるものがあるのは確かである。一応、象徴的なものとしてペトロナスツインタワーなどがあるが、KLに渡航する度に訪れたいか、と問われるとそうでもないと思う。その他の観光地も、正直一回行けばいいだろう、的なものばかりである。なので、観光メインで訪れるつもりで行くとかなり期待外れとなってしまうかも知れない。実際、私も1度目はそうであり、もう来なくてもいいかな、とすら思ったほどである。

 

しかし、御覧の通りすでに6回目である。そこまでお気に入りの場所になったのには当然理由がある。と言う訳で、改めてここでKLの魅力を紹介していこうと思う。因みに、「日本ならこうなのに~」と常に日本と比較しがちな人には、ハナッから向いていない事を記しておく。

 

宿泊費が安い

 

まずは何といってもこれである。3年前は1リンギが31円ほどだったのに比べ、今では36円前後とかなり高くはなってはいるものの、それでもまだまだ宿泊代は抑えられる。少なくとも、日本円で1泊4000円ほど出せれば、日本のビジネスホテルレベルのシングルに泊まる事は出来るだろう。もしドミトリーや、カプセルホテルでもよければ、1泊1000円ちょいも不可能ではない。

 

なので、香港に1週間泊まれるだけのカネが出せれば、KLにはゆうで2週間は居られる事となる。もちろん、それなりの快適性を求めるのであれば1泊6000円程度を払う事にはなるものの、それでも香港なら重慶大厦レベルと考えたら天国のようなものだ。

 

食が豊富であり、かつ食費も抑えられる。

 

奇跡的な多民族国家だけあり、食の種類も豊富である。正直、コロナ前に香港中心に渡航していた頃は、食に対する拘りはゼロだった。夕食をコンビニで済ます事すらあったほどである。しかし、KLに来てその考えは180度変わり、食も海外旅行の魅力のひとつとまで考えるようになったほどである。

 

私は肉料理が嫌いなので、全てが全て食べれる訳でもないのだが、魚や野菜料理も豊富なので、困る事はまずない。KLと言えばアロー通りが有名なのだが、ここは観光地価格で割高だし、さらに店によって先払いなのか後払いなのかもまちまちだったりするので、KLに慣れたら自然と足も遠のいてしまう。しかし、東南アジアならではの熱気を感じるには最高の場所なので、一度は絶対に訪れる場所である事は間違いない。

 

とりあえず、万人にお勧めなのはデパートのフードコートだ。有名どころとしては、KLセントラルのNUセントラルのクイジーンと、ブキ・ビンタンのパビリオン地下にあるフードリパブリックあたりだろう。

 

飲み物としては、日本でも有名なミロが日本人の常識からするとありえないほど普及しており、まさに国民的飲料。フードコートなどはもちろん、マックやKFCでもメニューの一部なのだから恐るべし。ただ、ファストフードのミロよりも、フードコートやレストランのミロをお勧めしたい。とにかく甘く、こんな美味いものあるのかと思うレベルで美味しいのだ。

 

マッサージのコスパが高い

 

リンギが高くなっているとは言え、それでも日本の相場に比べたら半額ぐらいで抑えられる。海外だとどうしても日本にいるよりも歩く頻度た高くなるので、やはりマッサージのコスパが良いのは大きい。ただ、モールに入っているチェーンは高めなので、マッサージ激戦区のブキ・ビンタン周辺がおすすめだ。個人的な一押しは、前回も紹介したMy Wellness reflexologyだ。新しめのチェーンだが、コスパも技術も高くまよったらまずここに行けば間違いはない。

 

英語が通じる。

 

そしてKLの圧倒的な強みは、英語の通用度が非常に高い事だ。シンガポールほどメインではないものの、広告の半分が英語だし、高級モールでは英語しかない場所も多いので、英語もほぼメイン的な扱いと言っても過言ではない。そして、多民族国家であり華人比率も多いため、東洋人が英語を話しても全く違和感ない顔をされるのも大きい。

 

気候が安定

 

香港はもちろん、バンコクよりも南なので暑いイメージが強いが、意外にも涼しい日も多い。赤道直下のシンガポールと比べたら圧倒的にこちらの方過ごしやすい。地震も台風も来ないという、日本人からしたら夢のような土地であるものの、それでも突然のスコールも多いので折り畳み傘の準備だけはしておきたい。

 

以上のように、私が渡航先に求めるもの、東アジアの中で最も満たしてくれるのがこのKLという訳である。

長州と高田の電話会談の内容は、手元に資料がないので記憶に頼るのみである。しかし、それまでの両団体の交渉は、新日本側は常に長州や永島が先導していたのに対し、Uインター側はトップでありしかも社長であるはずの高田が殆ど表に出てくる事はなく、それがファンのフラストレーションを募る一貫でもあった。

 

しかし、今回は初めて高田が表に出てきて、長州と電話ながら直に交渉したのだ。もちろん、これも演出の一貫ではあったのだが、裏事情を知らないファンとしてはひたすら興奮するしかなかったものだ。そして、ドームのメインにいきなり武藤と高田のシングルマッチが決まった。前回触れたように、明確に団体間に壁がある中での対抗戦、しかも団体どころかプロレス界を代表するクラスのトップ同士の戦いなど、正直ファイプロの中でしか実現しえなかった夢だった。

 

それが、殆ど何の前触れもなく実現してしまうのである。この衝撃を今のファンに分かりやすく説明するのはとても難しいのだが、あえて言うなら今大谷翔平が突然ヤンキースに移籍して、アーロン・ジャッジとクリーンナップを組むぐらいの衝撃かと思う。それぐらいのとんでもない対決だったのだ。

 

それに匹敵する他の目玉と言えば、やはり長州と安生だろう。新日本ファンにとって、宮戸と共に憎き存在だった安生が、いきなり新日本の親分である長州と戦うのだ。当然、格としては圧倒的に長州なので、殆どのファンが完膚なきまでに長州が叩きのめしてくれる事を願っただろう。

 

また、よく分からないのが、発表された時点ではUWFインター公式ルールでの対戦、とされた事だ。あっさり新日本のルールに取って代わられたのだが、新日本主催のリングでUインタールールになるはずがないので、これは未だに謎だ。

 

そして、それからの1ヵ月はひたすら煽りとなっていったのだが、その前の横浜アリーナ大会で前哨戦となる長州・永田VS安生・中野の試合が組まれた。正直、集客としては良かれとは思うのだが、個人的には溜めに溜めて当日のインパクトをさらに上げて欲しかったので、個人的にはしてほしくなかったのが本音である。

 

そして10.9当日だが、実は私は会場には行っていないのである。なので、当日の朝刊スポーツ紙で結果を知ったのだが、なんと日刊スポーツが売り切れ、仕方なく一面だったスポニチを買ったのだが、実はこの当時朝刊スポーツ紙でプロレスを扱っていたのはニッカンとデイリーのみだったのだ。なので、スポニチが一面としていたのには驚いたのだが、それだけ注目の一戦だったという事だ。逆に、これを一面にしなかった朝刊紙は軒並み売れ残っていたらしい。消去法でいけばサンスポだろう。

 

また、当日速報として、当時テレ朝の深夜で大人気だったTONIGHT2で速報していたらしく、実際にYouTubeでも観たのであるが、この番組はしばしばプロレスを扱っていたので、ネットの無い時代としては貴重な情報源だった。ただ、司会の人が若干プロレスに懐疑的だったのが気になったのだけども。

 

そして個人的な事なのだが、この時期に私はゴングから週プロへと鞍替えした。増刊は買っていたのであるが、本誌を買い始めたのはこの頃であり、大会の直前だかそのぐらいだったかと思う。当然、大会の号は武藤が表紙、新日本5勝3敗、圧勝!、と言う見出しだったかと思う。

 

で、最初に触れたように、この当時は殆どのプロレスファンは信じていた、当然、私も信じて疑わなかったのであるが、正直、パンクラスを中心にU系もそれなりに観ていたので、武藤が勝つとは嬉しいと同時に意外にも思えたものだ。また、U系は相手の技を安易に受けないはずなのに、新日本のリングだと相手の協力がないと絶対にかからない足4の字で負けた、と言うのも?マークが浮かんだものだ。

 

全カードの中で、最も新日ファンの留飲が下がったのは長州と安生だろう。文字通り叩きのめした、と言う感じなのだが、今見ると安生が自身の立ち位置と役割を見事に果たしたという感じだ。安生のテーマ曲自身も、安生の人を逆なでするキャラクターを良く表しており、新たな平成のヒール像を確立したようにも思えた。

 

ただ、この時長州が、ラリアットからフォールにいかず、サソリ固めで決めたのは少々意外だった。と言うのも、サソリ固めは確かに長州の代名詞でこそあるものの、基本のフィニッシャーはあくまでリキ・ラリアットだったからだ。Uインターのルールだと3カウントはないので、言い訳をさせないためにあえてそれで決めたのだろうか。それはあくまで想像でしかない。

 

その後、UWFインターの会場でも対抗戦が開催され、上手く星を調整し、そして年始のドームでは高田がリベンジを果たした。しかし、ファンの記憶に刻まれているのはあくまでも武藤が足4の字固めで高田をギブアップに追い込んだあのシーンだ。これは、あとプロレスが続く限り変わらないだろう。それだけ、この10.9は日付が固有名詞になるぐらいの、歴史的な大会だった。

そんな頃、Uインターの山崎一夫が突如離脱し、新日本に参戦する。これは本当に青天の霹靂であり、当時は本人から詳しい理由も明かされなかったため、ファンにとっては正直意味の分からないものであった。まだ外敵な存在とは言え、それでももちろん元々は新日本にルーツを持ち、実質的には出戻りでもある訳だから、新鮮味もそれほどある訳でもないし、当時はひたすら謎でしか無かったのだ。

 

そして武藤敬司のスランプ欠場ギミックから、IWGP獲得さらにG1まで制覇と、露骨なまでの武藤推しで95年の新日本は進んでいくのであるが、そのG1の中継に突然流れたテロップがファンを仰天させる事になる。まだネットがなく、専門誌かテレビしかなかった時代、殆どのファンがそのテロップで知る事となったのが、そう、この新日本VSUインターの対抗戦だったのである。

 

プロレス界の歴史において、対抗戦というのは諸刃の剣であった。エース同士が戦えば、負けた方はその個人ではなく、その団体そのものが弱いとみなされ、完全に格下扱いされてしまう。もちろん、決着をつけようとも、ギリギリまで敗者に対して考慮をするのもそれまたプロレスだったのであるが、そんな経緯もあり男子では同じ格同士の団体の対抗戦というのはまずタブーであったのだ。

 

そんな現実もあり、ファンの中では誰が強い、例えば鶴田と前田ならどっちが強い、とか色々幻想が生まれていったのであるが、それも実際の対戦は絶対にない、という諦めと現実があったからこそだと思う。もちろん、地上波のある団体はそのしがらみもあったとは言え、それでも実際にやってしまったらもうその次はない、つまりはプロレスの衰退に繋がってしまう、だからやる訳にはいかなかった事を、馬場も猪木も十分承知だったのだろう。

 

それでも、1992年〜93年頃には新日とWARの対抗戦なども行われたが、この場合は天龍源一郎と言う、負けた所でブランド力が絶対に落ちない存在が居たのが大きかった。もちろん、新日側としても、同格の長州や藤波にしか負けさせなかったし、橋本真也などは何度挑戦してもなかなか勝たそうとはさせなかったから、最大限の配慮もしていた。挙句、94年の1.4にはアントニオ猪木にまで勝たせたのだ。

 

当時の猪木はまだ国会議員で、年齢もちょうど50だったから、まだまだ現役バリバリの天龍に負けさすのはさすがに無理があるし、また天龍が勝てば唯一馬場と猪木からフォール勝ちした男という、プロレス界にとって最大限の名誉を授ける事も出来る。結局、数年後にWARは興行停止にはなるのだけれども、新日本が対抗戦で相手を輝かした数少ない例が天龍源一郎だったかと思う。

 

まあそれは例外としても、基本的にそういう訳で対抗戦というのは最大のタブーのひとつであった。それがファンも分かっていたからこそ、まさかのUインターとの対抗戦にファンも大変な衝撃を受けたのだった。これは今の時代ではなかなか伝えるのも難しいだろう。それほどまでの大事件だったのだ。

 

この経緯は翌週の週刊誌でリポートされたのだが、記事を読んだだけでも緊迫感が伝わってくるものだった。長州力の「(ドームを)よし、押さえろ!」もけだし名言であり、大抵のファンはこれでドームが決まったと信じたものだ。実際、普通に考えたらそんな事でドームが押さえられる訳ないし、よくよく最初から交渉で決定されたもの、という事が判明するのであるが、当時は本当にこれだけでも大興奮したものだった。

先日、あの10.9の新日本VSUWFインターから30年を迎えた。

 

当時から30年前と言えば、ジャイアント馬場とフリッツフォンエリックが歴史的な名勝負を繰り広げた年である。そこから2年を遡ると、なんとまだ力道山が存命でもあった。つまり、今10.9を語ると言う事は、当時の人たちが馬場エリック戦や力道山を語るのと同じ時系列レベルと言う事になってしまう。そもそも、1995年の時点では日本にプロレスが定着してからまだ41年しか経っていない、つまり当時の大御所という評論家の人たちなどは、プロレスの歴史を最初から観ていた人たちなのである。

 

今でも70以上の人たちなら力道山を観ていたはずなので、リアルタイムで語れる人はまだまだ多くいるだろう。しかし、当然その人たちはその時代はまだ子供な訳であり、すでにマスコミとして接してきた人たちは皆無な訳だ。それを思うと、リアルタイムで取材していた人たちの話を直に読めた世代は幸せな事でもあった。

 

とりあえず当時の感覚としてはそんな感じだったのであるが、もちろん馬場・猪木も存命だっただけに、プロレスの裏側、いわゆるケーフェイは徹底的に守られていた時代でもあった。一応、1993年にUFCが誕生したり、その翌年にはヒクソンが選手として初来日を果たすなど、格闘技人気の下地は築かれてはいったのであるが、まだまだMMAはプロレスの興行人気には遠く及ばなかった。

 

何が言いたいのかというと、まだプロレスにもれっきとした勝負論があった時代なのである。つまり、大半のファンはプロレスを信じていたのだ。何故新日本VSUWFインターがここまで盛り上がったかと言うと、まずはそれに尽きるのである。ここがまず平成後期〜令和の今とは大きく異なる点だ。

 

何故Uインターが新日本の敵役となったのかは、ググれば色々出てくると思うのでいいだろう。ファン的な感情としては、Uインターは92〜93年の2年間はかなりファンの支持を得ていたかとは思う。少なくとも、当時U系と言われた中では最も盛り上がっていたのではないか。今思うと、昭和新日本、猪木・新間路線のスケールが小さい版としか言いようがないのであるが、それでもファンがプロレスラーに強さを求めていた時代の、一番の受け皿ではなかったかと思う。

 

絶対的エースな高田も、正直カリスマ性、熱狂的なファンの獲得という点では前田や船木に劣るものがあったのだが、それでも北尾を倒してからはTBSが取り上げて地上波放映されるなど、一般的な知名度をも獲得していったのが何より大きかった。ネットがなく、テレビが絶対的な娯楽の王者だった時代、テレビで取り上げられるという事は途方も無い事だったのだ。

 

そんな順風満帆に見えるかのようなUインターだったのだが、その反面、ベイダーの引き抜きなどで新日本との軋轢が生じていった。その前の92年などは、蝶野がゴングの誌面で「高田さんと闘いたい」と言ったのをUインター側が真に受けてしまい、宮戸らが挑戦状を出すという事にまで発展した事もあったのだが、当然そんな訳には行かず、永島・長州ラインが無理な要求を突きつけて無かった事になった。

 

そして、1994年の1億円トーナメント事件で、一気にファンの感情が悪化する事になる。プロレス界のしきたりを知らない鈴木健氏などは大真面目だったそうだが、そんなものは許せないというファンの怒りを買ってしまい、一気に支持を落とす事になってしまう。そして、年末には安生洋二のヒクソンへの道場破り失敗などもあり、ファン的には一気に「余計なことをしてプロレス界を掻き回すだけの団体」というイメージがついてしまったのだ。

 

そしてU系とは言いつつも、中身はどんどんプロレス化していってしまい、純粋に格闘技ライクを求めるファンはリングスやパンクラスへと流れ、これもファン離れに拍車をかける事となってしまった。そんな事が重なり、業績は火の車状態、自転車操業へと陥ってしまう。

 

しかし、基本的にプロレスマスコミは団体の経営悪化などには触れる事はないので、殆どのファンは詳しい実情は知らなかったかと思う。ただ、明らかに1995年頃は、Uインターのみではなく新日本も無理な北朝鮮興行などを行ったおかげで内情は火の車だったらしい。新日本でさえそうだったのだから、他の団体も厳しかった事はいうまでもないだろう。FMWからは一旦大仁田厚が引退という形で消え、そして全日本も固定メンバーのみのメインで集客に苦戦が見られ始めるなど、プロレス界全体に暗雲が立ち込めてきた頃でもあったのだ。

それなりに海外渡航をしてきた私が、これまで一度も成しえてこなかったものが現地の映画鑑賞である。香港やシンガポール、そしてマレーシアなどの多言語が公用語の国においては、どんな映画であっても字幕が表示されるのが通例なだけに、一度それを味わってみたかったのであるが、これまで一度たりとも行く事はなかった。

 

もともと日本でも映画館に行く事自体少ないので、海外で行かなくとも普通の事ではあるのだけれども、一番の原因は「映画館は寒い」と言う事である。当然、上着を用意せざるを得ないのであるが、海外に行く時期は日本でも半袖の季節が殆どのため、わざわざ映画館のために持参するのが面倒だからだ。

 

しかし、今回はこの前バンコクに行く前に空港のユニクロで買った、ちょうどいい薄手のジャケットを日本から着ていったため、今度こそ映画館に足を運ぼう、と考えていた。そして、ようやくそれが叶った訳である。

 

私が足を運んだのは、KLで最もメジャーな施設であるGrand Screen CinemaことGSCである。そして、ちょうど日本では未見のコナンと鬼滅の映画がやっていたため、体験がてらにそれらを鑑賞する事にしていった。

 

チケットはオンラインでも買えるようだが、いちいち登録するのも面倒だし、また現地の電話番号も必要だったため、普通にタッチパネルのキオスクで購入した。当然、英語なので難なく買えるのだが、この特徴としては飲食物もここで買う事になるのである。支払いはクレカで行ったため、現金で支払えるのかどうかは不明だ。

 

ゲートは全てQRコードであり、館内は日本のシネコンと大差はない。しかし、困ったのはスクリーンだ。コナンは土曜日に観にいったのであるが、上段の席がほぼ埋まっていたので、仕方なく前方をとったのだが、日本のそれに比べてスクリーンがやけに上に位置しているのである。日本では最前列かその近くでもなければ、そこまで首を上げずに済む位置なのであるが、こちらではとてもそうにはいかなかったので、仕方なく殆ど寝るような感覚で見る羽目になってしまった。

 

さて、最初に予告編が流れるのは同じだが、英語の映画に字幕はない。さらに、日本だときっかり10分ぐらいで開始するのに対し、こちらでは12分ぐらいかかったかと思う。さらに、本編が始まっても日本ほど館内が暗くはならないように思えたので、少し集中しづらかった。

 

そして音声は日本語なので、字幕はマレー語、簡体中国語、そして英語の3種類が同時に表示される。本編は最初の作者の紹介などはローマ字になっていたが、あとはスタッフロールも含めて漢字のまま、主題歌にも現地語の字幕はなし。

 

困ったのは、スタッフロールで画面が明るくなってしまう事である。香港などでもそうらしいが、こちらではスタッフロールの最後まで観る習慣がないらしいのだ。普通の映画であればそれでもいいかもだが、コナンの場合はスタッフロール以降も話が続いていくのでこれは困る。

 

そして、2日後に鬼滅も観たのであるが、平日だった事もあり空いていたので、この反省を活かして上段の席をとった。しかし、上から3段目ぐらいでもまだスクリーンが上に感じたので、本編開始後に誰も来なかったのを確認して最上段へと移動した。日本であれば確実に目線が下に行く位置なだけに、正直マレーシアでは選択肢は最上段しかないのでは、と思ったものだ。

 

鬼滅も日本語なので、当然字幕3つであったが、こちらは上から英語、マレー語、簡体中国語の順番だったかと思う。また、タイトルはDemon Slayer Infinity Castleと英語になっていたが、それ以外はそのままだった。

 

鬼滅の場合は、背景が真っ黒なスタッフロールになってから明るくなったので、まだ救いだった。しかし、スクリーンのバランスと、完全に真っ暗にはならない館内を思うと、普通に日本で観た方が良い、と思ったものだ。まあ、価格は500〜700円程度と圧倒的に安いので、それは救いなのだが、それでも総合的には高くとも日本の方が快適だったと思う。