ONCE IN A LIFETIME -2ページ目

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

長州と高田の電話会談の内容は、手元に資料がないので記憶に頼るのみである。しかし、それまでの両団体の交渉は、新日本側は常に長州や永島が先導していたのに対し、Uインター側はトップでありしかも社長であるはずの高田が殆ど表に出てくる事はなく、それがファンのフラストレーションを募る一貫でもあった。

 

しかし、今回は初めて高田が表に出てきて、長州と電話ながら直に交渉したのだ。もちろん、これも演出の一貫ではあったのだが、裏事情を知らないファンとしてはひたすら興奮するしかなかったものだ。そして、ドームのメインにいきなり武藤と高田のシングルマッチが決まった。前回触れたように、明確に団体間に壁がある中での対抗戦、しかも団体どころかプロレス界を代表するクラスのトップ同士の戦いなど、正直ファイプロの中でしか実現しえなかった夢だった。

 

それが、殆ど何の前触れもなく実現してしまうのである。この衝撃を今のファンに分かりやすく説明するのはとても難しいのだが、あえて言うなら今大谷翔平が突然ヤンキースに移籍して、アーロン・ジャッジとクリーンナップを組むぐらいの衝撃かと思う。それぐらいのとんでもない対決だったのだ。

 

それに匹敵する他の目玉と言えば、やはり長州と安生だろう。新日本ファンにとって、宮戸と共に憎き存在だった安生が、いきなり新日本の親分である長州と戦うのだ。当然、格としては圧倒的に長州なので、殆どのファンが完膚なきまでに長州が叩きのめしてくれる事を願っただろう。

 

また、よく分からないのが、発表された時点ではUWFインター公式ルールでの対戦、とされた事だ。あっさり新日本のルールに取って代わられたのだが、新日本主催のリングでUインタールールになるはずがないので、これは未だに謎だ。

 

そして、それからの1ヵ月はひたすら煽りとなっていったのだが、その前の横浜アリーナ大会で前哨戦となる長州・永田VS安生・中野の試合が組まれた。正直、集客としては良かれとは思うのだが、個人的には溜めに溜めて当日のインパクトをさらに上げて欲しかったので、個人的にはしてほしくなかったのが本音である。

 

そして10.9当日だが、実は私は会場には行っていないのである。なので、当日の朝刊スポーツ紙で結果を知ったのだが、なんと日刊スポーツが売り切れ、仕方なく一面だったスポニチを買ったのだが、実はこの当時朝刊スポーツ紙でプロレスを扱っていたのはニッカンとデイリーのみだったのだ。なので、スポニチが一面としていたのには驚いたのだが、それだけ注目の一戦だったという事だ。逆に、これを一面にしなかった朝刊紙は軒並み売れ残っていたらしい。消去法でいけばサンスポだろう。

 

また、当日速報として、当時テレ朝の深夜で大人気だったTONIGHT2で速報していたらしく、実際にYouTubeでも観たのであるが、この番組はしばしばプロレスを扱っていたので、ネットの無い時代としては貴重な情報源だった。ただ、司会の人が若干プロレスに懐疑的だったのが気になったのだけども。

 

そして個人的な事なのだが、この時期に私はゴングから週プロへと鞍替えした。増刊は買っていたのであるが、本誌を買い始めたのはこの頃であり、大会の直前だかそのぐらいだったかと思う。当然、大会の号は武藤が表紙、新日本5勝3敗、圧勝!、と言う見出しだったかと思う。

 

で、最初に触れたように、この当時は殆どのプロレスファンは信じていた、当然、私も信じて疑わなかったのであるが、正直、パンクラスを中心にU系もそれなりに観ていたので、武藤が勝つとは嬉しいと同時に意外にも思えたものだ。また、U系は相手の技を安易に受けないはずなのに、新日本のリングだと相手の協力がないと絶対にかからない足4の字で負けた、と言うのも?マークが浮かんだものだ。

 

全カードの中で、最も新日ファンの留飲が下がったのは長州と安生だろう。文字通り叩きのめした、と言う感じなのだが、今見ると安生が自身の立ち位置と役割を見事に果たしたという感じだ。安生のテーマ曲自身も、安生の人を逆なでするキャラクターを良く表しており、新たな平成のヒール像を確立したようにも思えた。

 

ただ、この時長州が、ラリアットからフォールにいかず、サソリ固めで決めたのは少々意外だった。と言うのも、サソリ固めは確かに長州の代名詞でこそあるものの、基本のフィニッシャーはあくまでリキ・ラリアットだったからだ。Uインターのルールだと3カウントはないので、言い訳をさせないためにあえてそれで決めたのだろうか。それはあくまで想像でしかない。

 

その後、UWFインターの会場でも対抗戦が開催され、上手く星を調整し、そして年始のドームでは高田がリベンジを果たした。しかし、ファンの記憶に刻まれているのはあくまでも武藤が足4の字固めで高田をギブアップに追い込んだあのシーンだ。これは、あとプロレスが続く限り変わらないだろう。それだけ、この10.9は日付が固有名詞になるぐらいの、歴史的な大会だった。

そんな頃、Uインターの山崎一夫が突如離脱し、新日本に参戦する。これは本当に青天の霹靂であり、当時は本人から詳しい理由も明かされなかったため、ファンにとっては正直意味の分からないものであった。まだ外敵な存在とは言え、それでももちろん元々は新日本にルーツを持ち、実質的には出戻りでもある訳だから、新鮮味もそれほどある訳でもないし、当時はひたすら謎でしか無かったのだ。

 

そして武藤敬司のスランプ欠場ギミックから、IWGP獲得さらにG1まで制覇と、露骨なまでの武藤推しで95年の新日本は進んでいくのであるが、そのG1の中継に突然流れたテロップがファンを仰天させる事になる。まだネットがなく、専門誌かテレビしかなかった時代、殆どのファンがそのテロップで知る事となったのが、そう、この新日本VSUインターの対抗戦だったのである。

 

プロレス界の歴史において、対抗戦というのは諸刃の剣であった。エース同士が戦えば、負けた方はその個人ではなく、その団体そのものが弱いとみなされ、完全に格下扱いされてしまう。もちろん、決着をつけようとも、ギリギリまで敗者に対して考慮をするのもそれまたプロレスだったのであるが、そんな経緯もあり男子では同じ格同士の団体の対抗戦というのはまずタブーであったのだ。

 

そんな現実もあり、ファンの中では誰が強い、例えば鶴田と前田ならどっちが強い、とか色々幻想が生まれていったのであるが、それも実際の対戦は絶対にない、という諦めと現実があったからこそだと思う。もちろん、地上波のある団体はそのしがらみもあったとは言え、それでも実際にやってしまったらもうその次はない、つまりはプロレスの衰退に繋がってしまう、だからやる訳にはいかなかった事を、馬場も猪木も十分承知だったのだろう。

 

それでも、1992年〜93年頃には新日とWARの対抗戦なども行われたが、この場合は天龍源一郎と言う、負けた所でブランド力が絶対に落ちない存在が居たのが大きかった。もちろん、新日側としても、同格の長州や藤波にしか負けさせなかったし、橋本真也などは何度挑戦してもなかなか勝たそうとはさせなかったから、最大限の配慮もしていた。挙句、94年の1.4にはアントニオ猪木にまで勝たせたのだ。

 

当時の猪木はまだ国会議員で、年齢もちょうど50だったから、まだまだ現役バリバリの天龍に負けさすのはさすがに無理があるし、また天龍が勝てば唯一馬場と猪木からフォール勝ちした男という、プロレス界にとって最大限の名誉を授ける事も出来る。結局、数年後にWARは興行停止にはなるのだけれども、新日本が対抗戦で相手を輝かした数少ない例が天龍源一郎だったかと思う。

 

まあそれは例外としても、基本的にそういう訳で対抗戦というのは最大のタブーのひとつであった。それがファンも分かっていたからこそ、まさかのUインターとの対抗戦にファンも大変な衝撃を受けたのだった。これは今の時代ではなかなか伝えるのも難しいだろう。それほどまでの大事件だったのだ。

 

この経緯は翌週の週刊誌でリポートされたのだが、記事を読んだだけでも緊迫感が伝わってくるものだった。長州力の「(ドームを)よし、押さえろ!」もけだし名言であり、大抵のファンはこれでドームが決まったと信じたものだ。実際、普通に考えたらそんな事でドームが押さえられる訳ないし、よくよく最初から交渉で決定されたもの、という事が判明するのであるが、当時は本当にこれだけでも大興奮したものだった。

先日、あの10.9の新日本VSUWFインターから30年を迎えた。

 

当時から30年前と言えば、ジャイアント馬場とフリッツフォンエリックが歴史的な名勝負を繰り広げた年である。そこから2年を遡ると、なんとまだ力道山が存命でもあった。つまり、今10.9を語ると言う事は、当時の人たちが馬場エリック戦や力道山を語るのと同じ時系列レベルと言う事になってしまう。そもそも、1995年の時点では日本にプロレスが定着してからまだ41年しか経っていない、つまり当時の大御所という評論家の人たちなどは、プロレスの歴史を最初から観ていた人たちなのである。

 

今でも70以上の人たちなら力道山を観ていたはずなので、リアルタイムで語れる人はまだまだ多くいるだろう。しかし、当然その人たちはその時代はまだ子供な訳であり、すでにマスコミとして接してきた人たちは皆無な訳だ。それを思うと、リアルタイムで取材していた人たちの話を直に読めた世代は幸せな事でもあった。

 

とりあえず当時の感覚としてはそんな感じだったのであるが、もちろん馬場・猪木も存命だっただけに、プロレスの裏側、いわゆるケーフェイは徹底的に守られていた時代でもあった。一応、1993年にUFCが誕生したり、その翌年にはヒクソンが選手として初来日を果たすなど、格闘技人気の下地は築かれてはいったのであるが、まだまだMMAはプロレスの興行人気には遠く及ばなかった。

 

何が言いたいのかというと、まだプロレスにもれっきとした勝負論があった時代なのである。つまり、大半のファンはプロレスを信じていたのだ。何故新日本VSUWFインターがここまで盛り上がったかと言うと、まずはそれに尽きるのである。ここがまず平成後期〜令和の今とは大きく異なる点だ。

 

何故Uインターが新日本の敵役となったのかは、ググれば色々出てくると思うのでいいだろう。ファン的な感情としては、Uインターは92〜93年の2年間はかなりファンの支持を得ていたかとは思う。少なくとも、当時U系と言われた中では最も盛り上がっていたのではないか。今思うと、昭和新日本、猪木・新間路線のスケールが小さい版としか言いようがないのであるが、それでもファンがプロレスラーに強さを求めていた時代の、一番の受け皿ではなかったかと思う。

 

絶対的エースな高田も、正直カリスマ性、熱狂的なファンの獲得という点では前田や船木に劣るものがあったのだが、それでも北尾を倒してからはTBSが取り上げて地上波放映されるなど、一般的な知名度をも獲得していったのが何より大きかった。ネットがなく、テレビが絶対的な娯楽の王者だった時代、テレビで取り上げられるという事は途方も無い事だったのだ。

 

そんな順風満帆に見えるかのようなUインターだったのだが、その反面、ベイダーの引き抜きなどで新日本との軋轢が生じていった。その前の92年などは、蝶野がゴングの誌面で「高田さんと闘いたい」と言ったのをUインター側が真に受けてしまい、宮戸らが挑戦状を出すという事にまで発展した事もあったのだが、当然そんな訳には行かず、永島・長州ラインが無理な要求を突きつけて無かった事になった。

 

そして、1994年の1億円トーナメント事件で、一気にファンの感情が悪化する事になる。プロレス界のしきたりを知らない鈴木健氏などは大真面目だったそうだが、そんなものは許せないというファンの怒りを買ってしまい、一気に支持を落とす事になってしまう。そして、年末には安生洋二のヒクソンへの道場破り失敗などもあり、ファン的には一気に「余計なことをしてプロレス界を掻き回すだけの団体」というイメージがついてしまったのだ。

 

そしてU系とは言いつつも、中身はどんどんプロレス化していってしまい、純粋に格闘技ライクを求めるファンはリングスやパンクラスへと流れ、これもファン離れに拍車をかける事となってしまった。そんな事が重なり、業績は火の車状態、自転車操業へと陥ってしまう。

 

しかし、基本的にプロレスマスコミは団体の経営悪化などには触れる事はないので、殆どのファンは詳しい実情は知らなかったかと思う。ただ、明らかに1995年頃は、Uインターのみではなく新日本も無理な北朝鮮興行などを行ったおかげで内情は火の車だったらしい。新日本でさえそうだったのだから、他の団体も厳しかった事はいうまでもないだろう。FMWからは一旦大仁田厚が引退という形で消え、そして全日本も固定メンバーのみのメインで集客に苦戦が見られ始めるなど、プロレス界全体に暗雲が立ち込めてきた頃でもあったのだ。

それなりに海外渡航をしてきた私が、これまで一度も成しえてこなかったものが現地の映画鑑賞である。香港やシンガポール、そしてマレーシアなどの多言語が公用語の国においては、どんな映画であっても字幕が表示されるのが通例なだけに、一度それを味わってみたかったのであるが、これまで一度たりとも行く事はなかった。

 

もともと日本でも映画館に行く事自体少ないので、海外で行かなくとも普通の事ではあるのだけれども、一番の原因は「映画館は寒い」と言う事である。当然、上着を用意せざるを得ないのであるが、海外に行く時期は日本でも半袖の季節が殆どのため、わざわざ映画館のために持参するのが面倒だからだ。

 

しかし、今回はこの前バンコクに行く前に空港のユニクロで買った、ちょうどいい薄手のジャケットを日本から着ていったため、今度こそ映画館に足を運ぼう、と考えていた。そして、ようやくそれが叶った訳である。

 

私が足を運んだのは、KLで最もメジャーな施設であるGrand Screen CinemaことGSCである。そして、ちょうど日本では未見のコナンと鬼滅の映画がやっていたため、体験がてらにそれらを鑑賞する事にしていった。

 

チケットはオンラインでも買えるようだが、いちいち登録するのも面倒だし、また現地の電話番号も必要だったため、普通にタッチパネルのキオスクで購入した。当然、英語なので難なく買えるのだが、この特徴としては飲食物もここで買う事になるのである。支払いはクレカで行ったため、現金で支払えるのかどうかは不明だ。

 

ゲートは全てQRコードであり、館内は日本のシネコンと大差はない。しかし、困ったのはスクリーンだ。コナンは土曜日に観にいったのであるが、上段の席がほぼ埋まっていたので、仕方なく前方をとったのだが、日本のそれに比べてスクリーンがやけに上に位置しているのである。日本では最前列かその近くでもなければ、そこまで首を上げずに済む位置なのであるが、こちらではとてもそうにはいかなかったので、仕方なく殆ど寝るような感覚で見る羽目になってしまった。

 

さて、最初に予告編が流れるのは同じだが、英語の映画に字幕はない。さらに、日本だときっかり10分ぐらいで開始するのに対し、こちらでは12分ぐらいかかったかと思う。さらに、本編が始まっても日本ほど館内が暗くはならないように思えたので、少し集中しづらかった。

 

そして音声は日本語なので、字幕はマレー語、簡体中国語、そして英語の3種類が同時に表示される。本編は最初の作者の紹介などはローマ字になっていたが、あとはスタッフロールも含めて漢字のまま、主題歌にも現地語の字幕はなし。

 

困ったのは、スタッフロールで画面が明るくなってしまう事である。香港などでもそうらしいが、こちらではスタッフロールの最後まで観る習慣がないらしいのだ。普通の映画であればそれでもいいかもだが、コナンの場合はスタッフロール以降も話が続いていくのでこれは困る。

 

そして、2日後に鬼滅も観たのであるが、平日だった事もあり空いていたので、この反省を活かして上段の席をとった。しかし、上から3段目ぐらいでもまだスクリーンが上に感じたので、本編開始後に誰も来なかったのを確認して最上段へと移動した。日本であれば確実に目線が下に行く位置なだけに、正直マレーシアでは選択肢は最上段しかないのでは、と思ったものだ。

 

鬼滅も日本語なので、当然字幕3つであったが、こちらは上から英語、マレー語、簡体中国語の順番だったかと思う。また、タイトルはDemon Slayer Infinity Castleと英語になっていたが、それ以外はそのままだった。

 

鬼滅の場合は、背景が真っ黒なスタッフロールになってから明るくなったので、まだ救いだった。しかし、スクリーンのバランスと、完全に真っ暗にはならない館内を思うと、普通に日本で観た方が良い、と思ったものだ。まあ、価格は500〜700円程度と圧倒的に安いので、それは救いなのだが、それでも総合的には高くとも日本の方が快適だったと思う。

旅先での楽しみのひとつが、ほとんどの国で日本よりも割安に受けれるマッサージである。一応、セブ島での留学時が初めてなものの、付き合い程度であり、また当時はまだ若かったためにマッサージの必然性が薄く、一人旅を初めてからもそれに関しての拘りはなかった。

 

なので、一人旅における初めてのマッサージは、2012年の台北だったかと思う。おそらく中山辺りだったと思うのだが、正確なお店の名前も場所も全く覚えていない。当然、地球の歩き方などにも載っていないし、単に行き当たりばったりで入っただけだったかと思う。ただ、価格だけははっきり覚えていて、90分か120分かで1500元、当時は1元が3円未満とかだったから、5000円もしなかった訳だ。今では7500円ほどとなってしまうので、日本と変わらないところまで来てしまった。

 

さて、私が本格的にマッサージに凝り始めたのは、同年の香港からである。香港ナビに掲載されていた、泡泡足というナッツフォードテラスにあったお店で、初めて足ツボを受けたのがきっかけである。当時は超円高時代だったので、香港でも気軽に受けれた訳だ。

 

そして、パンデミックを経て、現在はKL、マレーシアが大のお気に入りとなっている訳だけども、ここ数年で一気にマレーシアリンギット(RM)が値上がりしているものの、それでもまだまだお手頃な滞在先である。もちろん、来る度にマッサージを受けに来ているので、とりあえずここで紹介してみようかと思う。

 

良心 Liang Xing

 

ググるとまず最初に出てくるのが、ブキ・ビンタンの大通り沿いにあるこちらのお店である。エレベーターを出るといきなり受付があり、タブレットでメニューを調べてお代を払う。もちろんクレカもOKだ。それが済んだら中に進むのだが、この良心ではどんな服を着ていようと必ず着替えなければならない。もちろん、その方が効果的に行えるからだろうが、常にKLでは軽装の私としてはここが少々面倒な所である。

 

他スタッフも含め、マッサージ師もほとんど華人なため、中国式がメインになっているのかは定かではないが、香港・台湾で受けてきた自分としては何かしらの安心感を覚える。マッサージが終わると、ジュースとフルーツをくれるのであるが、これが非常に美味である。ただ、正直な感想を言うと、なくてもいいからもう少し安くしてくれた方が嬉しいかもしれない。

 

環境とマッサージに関しては言うまでもないが、その分その近辺としては最高額レベルである。また、私の見落としがなければだが、足ツボも全身も90分がマックスであり、120分が欲しい私としてはこの辺が物足りない。なので、初期は常連だったものの、他に見つけてからは行かなくなってしまった。

 

The Tropical Spa

 

こちらもブキ・ビンタンにあり、良心とは真逆のアロー通りの奥の通りに行った所にある。こちらも定番のひとつであり、ググれば必ず目にするであろうお店である。まず全メニューが店先に貼られているのが分かりやすく、さらに価格も良心よりかなり安く、クレカ支払いも可能だ。

 

外国人客も多く、この辺りでは繁盛店のひとつであろう。ただ、お店の雰囲気や従業員から分かるように、タイ式がベース、というかほとんど見た目もタイ人な方達ばかりである。タイ式が好みであればお勧めだが、マレーシアに来てまで、と思う人には向かないかも知れない。

 

Old Asia

 

ここ最近ぐらいになって増えたチェーンである。今現在、ブキ・ビンタンには3店舗あり、うち2つは良心と同じ通り、もうひとつはThe Tropical Spaの通りである。

 

価格はTTSよりかは高いものの、良心よりかは安い。また、120分コースもあり、店舗によっては足ツボでも個室だったりするので、ひとりが良い人にはおすすめかも知れない。また、受付時に女性か男性かが選択出来るが、女性の方が圧倒的に多く、また指名率も高いので、どっちでも良いって言うと大体男性に当たる。

 

最初の印象が良かったので、しばらくここしか来なかったぐらいにお気に入りの店となった。しかし、難点がひとつあり、支払いが現金だけなのである。MRT駅そばの店舗のみ、クレカもQRもOKだったのだが、手数料支払うのが嫌なのか、前者を選択するとなにか躊躇いがちな雰囲気を出されてしまうので、次第に行かなくなっていった。

 

My Wellness Reflexology

 

今回、初めて訪れた店がこちらである。クレカを使いたい、でもタイ式メインのTTSが良いと思って探していた際に、良さそうだと思って入ったのがこちらである。まず店先に全てのメニューが載っているのが分かりやすく、価格もTTSと同じぐらいにリーズナブルである。しかも、カウンターにクレカのマークが貼ってあり、またQRも堂々と置かれているので、キャッシュレス歓迎なのがありがたい。

 

見た目は小さく見えるが、奥はなかなか広く、私が90分のボディを受けた際には個室へと案内された。ただ、驚いたのが着替えを要求された事と、上半身裸で行われた事である。もちろん、その方が効果的であるかも知れないが、さすがに戸惑いを感じたものだ。しかし、まもなくその理由を理解した。私的には普通にボディを頼んだつもりだったのだが、なんとオイルありだったのである。これは非常に気持ちよかったのだが、この価格でオイルマッサージは何かの間違いではないか?と思ったものだ。

 

前々から存在は知っていたものの、行くのは今回が初めてだったので、もっと早く知っておけば、と思ったものである。お勧めだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回紹介した、Dark Side of The CageのPart2がYouTubeに上がっていたので、当然の事ながら一気見した。

 

 

内容的には、桜庭のグレイシーハンター路線がひと段落し、完全に人気が定着した2001年から崩壊までの流れを紹介している。桜庭が2001年3月にシウバに敗北して以降、圧倒的に体格的にハンデがある相手などをぶつけられた事などもあり、2000年までの奇跡的な活躍は影を潜めていった。

 

しかし、すでにPRIDEと言うブランドそのものが超一流、ファンにとっては「ガチンコが強いのであればPRIDEに出ろ」と言う図式が完全に成り立っており、次から次へと新しいファイターたちが世界中から集まるようになっていった。一応、桜庭以外の日本人としては高田がまだギリギリ現役であり、そしてやはり強かった藤田和之も完全にPRIDEを主戦場にしていた。

 

また2002年のダイナマイトにて吉田秀彦がMMAデビューを果たしていったのだが、まだプロレスファンが多かったPRIDEにとって、柔道家から転身の吉田はファンの求心力は高くはなかったかと思う。前述の高田や桜庭はすでに下降線に入っており、未だに日本人最強説が根強い藤田も、集客力、スター性と言う点ではどうしても劣る面があった。こればかりは強い弱いではなく、もはや前田日明のように生まれ持ってのものだからどうしようもなかった。

 

ただ、PRIDEが奇跡だったのは、すでに日本人に頼らずとも、外国人同士の闘いで集客が成り立っていた事だった。代表的なメンツと言えば、K-1で藤田を倒し、いつの間にか顔的存在となっていたミルコ・クロコップ、リングスで名を挙げたノゲイラに、未だに歴代最強候補のひとりであるヒョードル、そして桜庭を連破したヴァンダレイ・シウバなどであろう。

 

しかし、ミルコ引き抜きが要因だったのか、もしくは他に何かあったのかは知らないが、ダイナマイトの成功以降PRIDEとK-1は疎遠になり、2002年年末の猪木祭りを最後として共闘路線にピリオドを迎える。そして格闘技人気がピークを迎えた2003年、日テレの猪木祭り、TBSのダイナマイト、そしてフジテレビのPRIDE男祭りの三大格闘技興業が大晦日に開催された。

 

まだスマホはないものの、そこまでの数年でブロードバンド回線が爆発的に普及した事もあり、一般家庭のPC所有率がほぼ一家に一台レベルにまで普及していた。よって、雑誌や新聞を読まずとも、ネットから情報を得る事が容易となっていったので、私も常に情報を得ていたのであるが、確かに最初は日テレ猪木祭りにミルコが参戦し、東スポか何かの一面に、「小橋VSミルコ」と言う突拍子もない記事が掲載されていた事を覚えている。

 

格闘技とは一線を引いていたノア、しかも大エースの小橋が出る訳もないのであるが、確かにその時点ではミルコの出場自体は内定しているかのように思えた。しかし、すでにPRIDEの顔となりつつあったミルコが、他団体、しかも他局の興行に出場するのだろうか?

 

案の定、それは流れる事となったが、その代わりにヒョードルの出場が発表された。しかも、相手は新日本のプロレスラーである永田裕志である。ただ、ヒョードルもすでに完全にPRIDEの顔、しかも最強の名を欲しいままとした絶対的な存在だった。そんなヒョードルが、これまた他局のイベントに出るのだろうか?

 

結果はご存知のように、そのまま出場し永田を秒殺した訳だが、この辺りの裏話がそれこそ本当にこの番組では赤裸々に語られている。内容をご覧頂ければわかると思うが、とても日本のメディアでは取材は不可能な内容だ。こんなやり取りが行われていたとは、なんとも恐ろしい世界である。

 

その後もPRIDEGP2004にて、当時ハッスルで一世風靡していた小川直也を招聘するなど、PRIDEは世界一のMMAの舞台の名を欲しいままとしていた。そして、それは当面続くかと思われたが、盛者必衰、とうとう黒社会との繋がりが表面化した2006年、フジテレビは突如としてPRIDEの放映を打ち切り、最大のバックアップと資金源を失ったPRIDEはそのまま崩壊の道を辿る事となる。

 

その後、榊原氏がRIZINを立ち上げた所までが描かれているが、MMAの主流が完全にUFCに移った事もあり、PRIDE時代の圧倒的なブームと興奮には全く及ばない。また、技術の進化により、全てのファイターがMMAをベースとし、彼らが特定の格闘技を背負って闘う事もなくなった。これでは、当然完全に個人の好き嫌いで選手を応援する事となる。つまり、どちらにも思い入れがなければ、ほとんどの人間にとっては勝敗への関心は薄くなってしまう。

 

何故アントニオ猪木の格闘技戦が支持されたか、何故UWFが狂信的なまでに支持されたか、そして、何故無名な初期のMMAイベントに、お客が足を運んだか、それはもちろんプロレスファンがプロレス最強を信じ、そしてプロレスラーがプロレスこそ最強である事を示してくれる事を信じたからである。

 

だからこそ、ファンは高田VSヒクソンの結果に失望し、そして桜庭のグレイシー連破に狂気したのだ。中期以降、プロレスラー、プロレスファンに頼らずとも成功を収めたのは奇跡と言っていいが、それでもプロレスラーがいたからこそ、そのきっかけが生まれた訳だし、もっと言えばアントニオ猪木がいなければ、MMAと言う概念すら日本では生まれなかったはずである。

 

なので、プロレスと格闘技が分離した今となっては、やはりあのような熱狂は二度と生まれないだろう。それぞれで繁栄してくれればそれで十分なのであるが、それでもプロレスと格闘技が交わったからこそ、あの空間が生まれた事はまず間違いないのである。

以前、HuluにおいてDark Side of The Ringと言うドキュメンタリーが配信されており、覚えている限りブルーザー・ブロディの死の真相などを追ったりしていて非常に良く出来た作品だったのだが、ここ最近そのMMA版であるDark Side of The Cageが放送されたそうで、その日本語字幕版がつい最近アップされていた。

 

 

 

これが非常に面白く、当時リアルタイムで体験していた私は非常に興味深く観る事が出来た。ただ、中には日本のメディアではおそらく絶対に真相に触れる事が出来ない事件にも触れられており、最初にその場面を観た時は驚きと共に、これは日本の地上波では絶対に放送出来ないよな、とも思ったものだ。

 

日本のプロレス界と、ヒクソンはじめグレイシー柔術との最初、かつ最大とも言える接点が生まれたのは、やはり1994年12月の、安生洋二によるヒクソン道場への道場破りだろう。これは専門誌でも表紙になったので、当時のプロレスファンであれば誰でも知っているほどの衝撃的な事件だったのだが、この様子を収録したビデオは一度だけ報道陣の前で後悔された限りなので、未だに公には出回っていない。

 

つまり、その場に集まったわずかな報道陣のみが知るのみの内容であり、我々一般人はその人たちによる証言でしかその様子を知ることが出来なかった。しかし、今回のこの番組において、ヒクソン自らその当時の様子を赤裸々に語っているのだ。これ以上の証言はあるまい。その際、実際にそれらしきシーンがビデオ内テレビで映し出されているので、もしや本物か、と一瞬興奮したものであるが、安生の顔が明らかに違うので、あくまで再現ビデオだ。ヒクソンは「いずれ公開されるかも知れない」とも語っているが、30年以上経った今でも流出された事はないので、この先もないと思われる。

 

また、現在の映像のヒクソンは若干震えているようにも見える。もしかしたらモハメド・アリのようにパーキンソン病に冒されているのかも知れないが、反面英語は当時より非常に流暢にも思える。ヒクソンの著書で、英語の習得にはかなり苦労したともあったので、やはりこちらにおいてもかなりの努力家である事が伺える。いくらアメリカに移住したとは言っても、単に住むだけでここまで流暢にはならないものだ。

 

その後はPRIDEの隆盛に触れられていくが、体重差も含め今思えばかなりクレイジーなルールの下で行われていた事が分かる。4点ポジションに対する頭部への攻撃などはまさにその最たるものであるが、今思うとよく犠牲者が出なかったものだと思う。K-1も含め、多くの格闘技イベントがプロレスを参考にしてきたため、興行、収益、エンタメ性を重視してきた結果がこれだったのだろうが、反面選手への負担をおろそかにしてしまったのは明らかだった。

 

そして、当初のPRIDEで行われていたワーク、いわゆる「お仕事」の試合にも選手自らが証言している。私はその頃はまるで雑誌も読んでおらず、せいぜいリングの魂で結果を知るぐらいだったのだが、まあ単純に考えて高田が元UFC王者から一本取れる訳がない。外国人はあくまでお金儲け、ビジネスのためにリングに上がっているだけなので、法外な金額を提示されれば誰でも従うだろう。プロはカネが全てなのだから。

 

99年以降は、グレイシーを連破した桜庭和志が時代の寵児として皆のヒーローになりえたが、MMAではプロレスとは異なり同じ選手がいつまでもトップに君臨する事は出来ない。主催者側としてはシウバにリベンジ勝利するというプロレス的流れを期待したものの、MMAのリングではそうもいかず、桜庭エース路線も斜陽に差し掛かってしまう。しかし、PRIDEが幸運だったのは、客を呼ぶのに決して日本人が必要ではなかった事だ。結果、その後もPRIDEの奇跡的な人気は続き、それは2006年にフジテレビによる放映が打ち切りになるまで続いた。

 

PRIDEが解散した後も、そこから枝分かれしたDREAMやHERO’Sなどが生まれたものの、PRIDE以上の熱気を生み出す事は出来なかったと思う。主要外国人らが揃ってUFCに移籍したのも大きいのだが、それ以上に大きな要因は、プロレスファンがプロレスラーに格闘技的強さを求める事がなくなったからではないかと思う。それまで、プロレスラーがMMAで勝つ事が最も価値のあるレスラーとされたが、2001年の高橋本やWWEの世界的人気をきっかけに、客を呼べエキサイトさせられるレスラーが最も優れている事にファンがようやく気付いたのだ。

 

PRIDEが崩壊したぐらいまでは、まだ新日本が暗黒期を完全に脱してはおらず、まだMMAの方に価値が置かれていたのであるが、2012年のブシロードによる買収、そしてオカダカズチカの大ブレイクによる新日本プロレスの大復活劇が起き、多くのファンは常にファンを満足させてくれるプロレスの素晴らしさに改めて気づいていき、プロレス回帰現象が起こっていった。

 

その後、MMAではRIZINが立ち上げ、朝倉兄弟のブレイクもあって活況を得ていくが、当然の事ながらあの頃の熱狂には遠く及ばない。要因は色々あるが、一番は誰もが皆MMAファイター、総合格闘家と言う肩書きになってしまい、どの格闘技が一番強いか、と言う概念が失われてしまった事。アントニオ猪木による異種格闘技戦路線があれほど人々を熱くさせたのは、猪木による「プロレスこそ最強の格闘技」と言う信念がプロレスファン、猪木信者の心をこれでもかと言うほど掴み、そしてそれは桜庭時代にまで続いたプロレスファン最大の心の拠り所だったからである。

 

そんな概念が完全に消滅してしまった今となっては、かつての熱狂を生み出す事はほぼ不可能だろう。つくづく、今となってはあの時代が懐かして仕方がないものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在はすっかり三和電子のレバーがお気に入りとなってしまったので、三和の新型以外に換装する事はほぼない。なので、かつてゲーセンの主流であり、かつお気に入りでもあったセイミツレバーはほとんど触る事すらなくなってしまったのであるが、最近発売されたグラディウスオリジンコレクションをプレイしていくうちに、ドット単位の動きを要求されるこのシリーズにおいて、シャフトが長く、かつ遊びが大きい三和電子は若干不利な面が多いのかな、と思うようになってきた。

 

と言う訳で、久々にセイミツに換装してみよう、と思う気になったのであるが、基本的にシャフトが短いセイミツレバーをベストな長さで使用するにはSSベースによる換装が必須である。しかし、殆どのアケコンは三和電子のみの装着を前提としているため、セイミツのLS32-1をSSベースで装着出来るアケコンは非常に限られているのである。

 

基本的に、私の知る2017年以降のHORIのアケコンは、ミニ以外は全てセイミツを取り付ける事が出来る。RAPV,Nはもちろん、ファイティングエッジ刃も、そして現行のフラッグシップのFSαも無改造で取り付ける事が出来る。なので、セイミツを使うためにはHORIのアケコンさえ用意しておけば全く問題はないのであるが、個人的にHORIのガワのフィーリングは少し自分には合わないので、出来れば他のアケコンを使用していきたいのだ。

 

ただ、前述のようにその場合はかなり限られる。結局、HORI以外でSSベースを取り付ける事が可能だったのは、Ratherの初代Pantheraと、先代MadcatzのTE2+のみだった。一応、どちらにも試してみたのであるが、やはりアケコンとしての完成度とモチベーションは圧倒的に前者なので、こちらを換装した。本音としては三和電子との相性が抜群なので、あまり変えたくもなかったのであるが、三和電子であれば現在メインのネモ氏モデルや、そして現行最高のObsidian2もあるので、まあこれでいいかなと。

 

流石に、三和電子使用時の圧倒的な操作性や静穏性は感じられないが、それでもシャフトが短く遊びが少ない作りはシューティングには最適だな、と思わざるを得なかった。そして、最初は錆びるのが嫌でシャフトカバー付きのものを買ったのであるが、三和と異なりカバーの長さが足りずに触ると回ってしまうのがやり辛い、またフィーリング自体も異なる事にも気付いたので、結局外して使用する事になった。

 

以前、マッドキャッツの初代TEにて使用していた際は、あまりスイッチ音も響かず、アケコンとの相性も非常に良かったと記憶しているのだけれども、静穏性最高の初代Pantheraでもまあまあ音がするので、多少内部の仕様は変わったのかと思ってしまう。それが気になる私としてはやはり三和電子の方が好みなのであるが、先述のようにドット単位はやはりセイミツである。

 

そして、三和電子しか付けられないアケコンにも、MSベースを使用すれば取り付ける事が出来る。なので、まずは最近使う事のないNaconのDaijaに付けようと思ったのであるが、なんと三和専用の段差があるため削らないと付けられない。流石にそこまではしたくないので、これもまた最近使わないQanbaのPearlに取り付けてみた。

 

こちらは無事取り付けられたのだが、そのままだと当然シャフトが短いセイミツでは、レバー長も短くなる。そこで、別売りの4mm長いシャフトを取り付けてみると、ちょうどいい長さになった。しかし、それでは当然セイミツの売りである短いシャフトによる細かい動きが消されてしまうので、これでは換装の意味が薄れると思ったものだ。もちろん、総合的な操作感覚は完璧にセイミツのそれなのであるのだが、やはり先述のように、これではセイミツの売りが消されてしまうとも思ったものだ。

 

なので、その性能を最大限に活かすにはSSベースで取り付けるしかないのであるが、現行新品で購入出来るメジャーなアケコンはHORIのアルファと、現在Windows専用のRAPのみと言う事になる。

 

 

 

 

 

訳あって、先日入手したモニターを手放す事になり、セールという事もあって改めて上位機種のこちらを購入した。

 

私的にはリフレッシュレートの違いと、一部機能の違い程度であり、画質そのものはさほど変わらないだろう、と思っていたのであるが、正直電源をつけて一発目でうわ、これは奇麗、と思ったほど。

 

横に2枚並べて比べた訳ではないので、ひょっとしたらほとんど同じなのかも知れないが、それでも個人的にはこちらの上位機種の方が明らかにそう思えたものだ。もちろん、値段が高いからと言うのもあるだろうけども、それでも前述のように、単にリフレッシュレートの違いだけだと思っていたので、見た瞬間にこれは買って良かった、と思ったものだ。

 

そして、こちらはもちろんUSB-B端子が付いているので、ケーブルを使用すればPC上から画質調整が可能だ。まあ、すでに何度も触れたように、MSIのモニターは画質調整項目がかなり限定されているので、これが大手他社と比べて明らかなマイナス点だった。まあ、その分価格が安いモデルとかあったりもするのだけれども、これがMSIを避ける点となっていたのは間違いない。また、以前使用していた量子ドットモデルは、ASUSと比べて明らかに色味に癖があるのも難だった。

 

しかし、こちらは初期のPREMIUMデフォルトのままでも十分奇麗であり、色味の癖もない。有機ELなので輝度はどうしても落ちるものの、液晶と比べて劣るのはそのぐらいだろう。なので、PREMIUMモードで、若干輝度とコントラストを調整した程度で、十分自分好みの色合いになった。

 

黒の表現は、言うまでもなく液晶に対する圧倒的なアドバンテージだ。特に、最近グラディウスオリジンコレクションや、SteamとSwitchで発売されたナイトストライカーなどの黒を基調とするゲームが発売されたため、早速その利点を最大限に発揮してくれている。

 

有機ELと量子ドットモニターは、最近ではASUSからも発売されているし、また量子ドットでない有機ELであれば、他社からもっと安く購入する事が出来る。しかし、すでにLGのテレビを所有している私からすると、いくら有機ELであっても、やはり量子ドットの色鮮やかさがなければ最大限に機能を発揮できない。そういう意味からしても、現在期間限定で4万円引きで購入出来るこちらのモデルは、かなりお買い得と言っては良いのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

4月の発表から4カ月、待ちに待ったグラディウスオリジンコレクションがようやく発売に至った。

 

正直、沙羅曼蛇2とIII以外のタイトルは全てアケアカで発売されているので、この作品を買おうと思っていた人たちは全て所有しているはずである。しかし、それでも買ってしまうのがグラディウスファンの悲しいサガ。と言う訳で、早くから購入していたDL版とBOX版のPS5版、そして結局遅延などが気になったのでSwitch版と、さらにはXbox版も買ってしまった。

 

結論から言うと、Switch版のみ他機種版よりも体感できるレベルで遅延が存在している。同タイトルでも、雷電IVや彩京コレクションのように、Switch2であれば遅延が解消されているだろう、と期待したのであるが、残念ながらそうではなかった。なので、携帯でプレイしたい、と言う拘りがない限りは、スルーしても大丈夫かと思う。

 

アケアカ版では、沙羅曼蛇のみ4フレーム以上の入力遅延が存在していた。Switch版であれば5フレームなので、明確に体感出来るレベルの遅延が存在していたので、個人的にはこれさえ解消してくれれば良いと思っていた。しかも、PS4版アケアカに限っては、発売当初からアプデがされておらず、つまり決定ボタンも〇のままなので、正直これだけでも満足にプレイ出来れば買う価値があると思っていた。

 

もちろん、このオリコレでは遅延は解消されており、ほぼ実機感覚でプレイ出来る。その他のシリーズにしても同様なのだが、何故か新作の沙羅曼蛇IIIに限っては若干遅延が存在し、これはPS5でもXboxでも同じである。まあ、レビューを読む限りでは微妙な出来でもあるし、そもそもこんなコレクションを6000円以上も出して買う人はオリジナルなど望んでいないはずなので、些細な問題でもあるのだが。

 

個人的に気になった点と言えば、いわゆるクッキリ状態でのスキャンラインが現時点では設定出来ないような事である。一応、その設定はあるのだが、どうやってもアケアカのようにボケ気味になってしまうので、個人的に望んでいるものではない。他のM2製シューティングや、カプコンのコレクションのようなのを期待していたので、これはアプデで改善してほしい所だ。

 

そして、もうひとつ大きな目玉としては、グラディウスIIIのAMショーバージョンである。これはゲーメストの誌面で1面と2面は見た事があるのであるが、1面に限って言えば背景が存在したり、見た目的には製品版よりも豪華な感じであった。しかも、発売前に流れたYouTubeでは、砂が流れるアニメーション付きでもあったのだ。

 

何故これらの要素が製品版ではオミットされてしまったのか謎だが、まあ考えられる点では基板のダウングレードぐらいしか思いつかない。また、さらに驚いた事にツインレーザーやリップルが4連射出来る事だ。しかも、連射しても処理落ちはさほど起きない。なので、余計に基板の都合かな、と思えるものだ。

 

ただ、当たり判定が妙に大きいし、また難易度自体もやはり高い。なので、手っ取り早く先が見たかったので、禁断の無敵モードを使用してプレイしたのであるが、さすがに後半に行くにつれ適当さが感じられ、やはり所詮はAMショーに間に合わせた未完成品だと思ったものだった。

 

そして、なんと据え置きではPS・SS以来28年ぶりの移植となったのが沙羅曼蛇2である。シューティングとしては悪くはないのだが、当時はまだまだグラディウスファンが現役でゲーマーだった事もあって、グラディウスシリーズの1作としての評価は芳しくはなかったと思う。BGMはかなり評判が良かったのであるが、個人的には弱すぎるレーザーや、2段階目のパワーアップが制限時間付きと言うのが好きになれなかった。

 

そしてそして、正統なアーケードの続編でありながら、IVが外されてしまったのは非常に残念だった。基板の性能からして容易にエミュレートは出来ない事ぐらいは想像付くし、実際にインタビューでも新作を丸々作るぐらいの労力が必要だった、ともあった。ただ、PS5やXboxXSぐらいの性能であれば可能だったかも知れないし、Switch2の発売がもう少し早ければあり得たのかも知れない。

 

それは残念ではあるのだが、それでもグラディウスファンなら満足する事は間違いない。隠しとして、VSグラディウスと沙羅曼蛇のパワーアップ版が追加されているのも嬉しい。特に、パワーカプセル制の沙羅曼蛇は、ゲーメストでのグラIIIアイデア賞の賞品であったような気もするので、これも非常に貴重なバージョンである。ただ、ライフフォースの音声をそのまま載せるのは意味が全く異なるので微妙かも知れない。まあいずれにしても、ファンなら買いである。