あやさんはじめまして。
あやさんに話したくなって文字を打っています。

本当はもっと前からコメントをしたかったんですが、皆さんみたいに読みやすい文章を書かなきゃって思ってて、なかなかコメント出来ませんでした。

摂食障害になってから、ずっと苦しかったし、思ってみると、その前から生きづらさを抱えていたなと思います。

お母さんの話何度も読みました。

 

今回凄く泣きました。

 

 

 

私、寂しかったんです。

ブログを読みながら、私の心が寂しいよ、淋しかったよって溢れてきました。

いつも母の顔色を伺ってました。

母は人をあまり褒めません。
私は母に褒めて欲しかったようです。

だから、勉強も1日十時間したり、ダイエットをがんばって、生理が来なくなって…

でも、色々やっても母は”私の望むよう形での”愛し方はしてくれなかった。

だから私は愛されない、って思って

どうせどうせ周りも皆で私のこと嫌って…(ToT)
ってずっと、拗ねて拗ねて拗ねてました。


でも

母には母の価値観があって、
人には人の価値観があって、
自分は自分の感じ方があっていいんですね、

 

 

 

自分の思ってることを言葉にするって難しいですね。

 

昔日記をつけたこともあったんですが、どうしても自分を罵倒することばかり書いてしまって辛い気持ちになるので辞めました。

 

 

自分の本当の気持ちがよく分からなかった。

 

ただ痩せたくて、あとは不安とかイライラとか?


何がしたいのか自分でも分からなかったです。

思うのは自分の気持ちって一つじゃない。結構混沌としてるものなんだな~と思いました。

 

 

 

だから痩せたいだけの病気じゃないって仰るあやさんの言葉が今ではわかります。

 

(私には関係ないと思ってたけど)生き辛さはたくさん抱えてました。

 

 

 

 

書いていて思うのですが、自分の思ってることって100%言葉で表現するとか文字に書くのは不可能ですねw

 

当たり前のことですいません( ;∀;)

 

 

でも他人にはわかって欲しいんですよねー?

かなり矛盾してる笑

 

今日はこのことに気付きました。

 

 

 

 

このブログをこっそり影で見ている私みたいな人は多いのではないかな…と思います。

 

私のようになかなかメッセージを書くことまでは難しいって思っている人。

 

私は今日こっそり見始めてから4年たって、メッセージを送ろうと思えました。

 

まだまだ過食はするし、体重も多いし、不安だけど、ゆーっくり付き合っていきたいです。

いろんな気付きをくれてありがとうあやさん。長々とごめんね。うんこネタも好きです。大好きです。

 

ほろろ

 

 

 

 

************

 

メッセージありがとう!

 

なんかいろいろ気づけてよかったね。

 

何がよかったって、

 

別にストレスなんてない、

ただ私は私が痩せたいだけ

 

って思ってたひとが

 

私、思うより辛かったんだな、

自分が思うより辛かったんだな

 

 

って、自分が蓋していた感情に気づけたことやちゃんと感情のままに泣けたことが、よかったなあっておもうんだよ。


昨日の記事に、たまたま、私の心の傷が大分癒えてからの私の記事のリンクをいきなりはっちゃったから

 

あの記事から入った人は

 

え、こー言う気持ちにならんといけないの
許さないといけないの?
って気持ちになった人もいるかもしれん、

ゴメン順番間違えたかも(・・;)

 

 

 

 

ちがうよ、

 

私そんなこといってないし思ってるわけでもなくて、そんな思いに対応したことばも書いてるんだけどなかなか一度に表現できない(T△T)

 

 

 

そこ誤解したまま何を読んでも必要なこと何も入らないと思うのでその意味でこの記事を書きます

 

 


こうかんじる

 

「べき」も「べきでない」も

 

感情に正解も不正解も、ないんだよ。

 

私がどういう人か、という意味で摂食障害になる前、幼少期、病気真っ只中の時の気持ちを書いています

摂食障害と摂食障害の前の私の気持ち

右矢印心の傷~母のこと  
右矢印たった一人で治した人

 

だんだん気持ちが変わってきた私

右矢印母への矛盾した思い

 

それから、昨日張ったリンクのようになりました。

 

 

 

私には私のプロセスがあってだんだん変わってきたけれど私と同じ心境になるべきとか許せない人を許せ、とかいってるわけじゃないよ。

 

私は、私が、辛かったことに気づいた。

 

家庭環境

社会環境

個人的な出来事

私の感受性の高さ

 

全部が合わさっていて摂食障害が必要な心になった。

 

 

 

人に何言われても痩せたいから自分は人のこと気にしないワガママだとおもってたけど逆だった。

 

人がどうとか、普通がどうとかこうすべき、べきでない、って自分に押し付けて生きるようになって苦しかったなことに気づいた。

 

 

 

 

それに気づいて

 

私が勝手に私を楽に楽しく心地よく幸せにすることを何年十何年とかけて少しずつしてたら、自分が摂食障害になるほど苦しくなるきかっけになった相手や摂食障害で失ったものに対する後悔、自分を信じられなかったために私も人を傷つけたことに対する絶望的な感じも癒えてきて

 

いまは「悲しかった辛かった過去のできごと」になってきた、

 

 

 

 

 

でも、それは結果論であってそのように思わなきゃ、、思うべきって思ったわけじゃなくて、みんなにもそのように思ってね、って結論をいきなり押し付けたり私と同じ感情に導こうとしてるわけでもない。

 

 

 

 

このブログや私の本を読むなら信じてほしいのは

 

私はぜったいに

こう思うべき、感じるべき、っていうことを

思ったり、言ったりする人じゃないから

その類のメッセージはありえない、ということ。

 

 

 

 

自分を楽にするために(その時だけじゃなくて、少しチクリとしても自分で気持ちを立て直せるよういなるために)こういう考えてみるといいよって

提案を書いてるときもそれはそう。

 

”許す”とか”許さない”とかもね”あの人”や”世間”はあーすべきこーすきとか色々いってる人は世間にいくらでもいるけど、私の書いてることは似た言葉を使ったとしてもそれと一緒じゃない。

 

どんな感情にも間違いなんてない。

 

感じてはいけない感情なんてないの。

 

 

 

そう思うのが私だからどんな環境で育った人にもそれは同じようにいう。

 

 

 

虐待された人も

溺愛されて育った人も

お金がある家で育った人も

お金がない家で育った人も

どちらでもない家庭で育った人も同じで

 

あなたの環境はこーだからこう感じるべき、とか辛い苦しいのはおかしい、とか幸せなはずよ、とかそんなことも、絶対に言わない。

 

どんな環境だってその人が、その環境でつらい悲しい苦しいと感じるならそれはそのひとにとっては辛い悲しい苦しい出来事なのです。

 

誰かを憎む気持ちで辛い人が許せて楽になれたらよかったなと思うけど最初から許しを押し付けるようなこと言わないよ。

 

 

 

 

どんな感情もおかしいとかダメとか

こう思うべきとかいって否定しないし

自分でも受け止めてあげてねって

 

そこだよ つたえたいのは。

 

 

 

食欲も、こういうのはダメって否定したり無理やりなかったことにするとろくなことが起こらない。その時我慢できてたっていつも食事のことが頭から離れなくなったり後から爆発したり空腹か満腹かも何を食べたいかも分からなくなったりするじゃん。

 

 

感情も同じなんだよ。

 

 

 

 

無理やり押し殺してたり人やふつうとくらべておかしいとかあの人みたいに思うべきとかそんなのないんだよ。

 

「幸せなはずだし」

「ストレスなんてないし」

「なのに辛いとか悲しいとか感じる自分がおかしいだけ」


ってよく言われるけど。

 

 

 

なんだよそれ(・・;)

 

 

 

 

その人が感じることに

良いも悪いもないのに

それはダメだとか 

こう感じるべき感じないべきとかいって

今の自分の感情を否定しちゃうとさ

 

それ自体、かなりのストレスだよ。

 

↑」

 

それなのに人や普通や~べきで考えるのが普通になると、辛くても苦しくてもストレスなんてないのに、とかいうようになる。

 

 

負の感情も否定せずに受け止めていたら、それは、自分が楽になるために心地よくなるためにどうしたいか教えてくれる大切なサインなのに。

 

それを感じることをダメって否定してたりあー感じるべきだ、なんて結論を押し付けてたら自分が心地よくなるために何をすればいいか、しないでいいか、わからなくなるから

 

本当の意味で心のもやもやを解決していくことが、できなくなっちゃうようね。

そのようにして辛さ悲しさ色んなストレス抱えきれなくなってくると

いったん覚えた、

 

一瞬だけでも痩せる心や優越感で楽になる感じ

 

一瞬だけでも過食の快感や不快感で曖昧になるかんじ

に依存してとりあえずその場はすっきり、

 

 

でも、心も状況もかわらないからまた繰り返す、、

 

そのように、痩せるコト、食べるコトに依存してはぐるぐる。

 

ってなってしまうのも無理はない。

 

 

 

母には母の価値観があって、
人には人の価値観があって、
自分は自分の感じ方があっていいんですね、

 

 

これも気づけて良かったなって思った。

 

でも、そんなお母さんを許す許さないとかそこポイントじゃないよ。

 

 

 

 

お母さんが認めてくれなくても自分の価値ある人間だ、って自分の存在価値に気づけたことがよかったなぁっていうだけ。

 

まだ、気づきたてはぐらぐらかもしれないけどこれからその気付きを重ねていけばいいよね。

 

その1歩になったってことがよかったね、、なんだよ。

 

 

 

私はお母さんも大変だから許してあげないと・・・・かは思えるときは自然にそう思えるし思えなくてもそれでは幸せになれないわけじゃないから、そこはほっといていい。


いくつか前の虐待の女の子の記事でもそれは念を押してかいたけど

 

虐待のケースだけじゃなくて「恵まれている」とされた家庭環境の人にも同じようにいいます
 

だってどんな環境だって

どんな家族がいたって

愛されてると感じていたTって

金持ちだって貧乏だって

 

その人が

つらいな寂しいなと感じているなら

そのひとにとってはつらいこと、寂しいこと

なんだもん、

 

自分の感情をそのまま感じる受け止めるって、簡単そうでやってない人多いんだよ、

 

それで、自分が感情もわからなくなって、何をどうすればいいかもわからなくて、でも何か慢性的に辛い感じにつつまれて、

 

理由も何もわからないから

とりあえず、拒食や過食でごまかしたり

とりあえず表面だけ”イイ感じ”続けることだけがんばるけど

 

変わらず付きまとう「辛い感じ」はそのままだから、摂食障害じゃなくても、それごまかすための依存とかそれを止めたら今度は違う心身の症状とか何かしらにでてるのを繰り返して、、

 

私もそんなのをワケもわからず続けていたんだけど

 

そこから抜け出すだいいっぽは「辛かった、寂しかった」この感情を否定せずに受け止めたから。

 

いつでもどんなときでも感じていい感情も感じてはいけない感情もない。自分や他人に対する許しっていうのも感情だからおなじことなんだよ、

 

あいつを許せないから自分を許せないからそれはいけない、だめだ、とかそんなことでもないの。

 

こんな記事も書いてるけどね

↓↓

右矢印負の感情は味わい尽くす

 


私もどんな感情も否定しない。

ちゃんと感じること。

これをしてたら勝手に


↓↓

 

右矢印ちゃんと逃げるワタシ(ノω・、)

 

こうやって身を守れるようになりました。

 

 

 

こういうのはお母さんのこと、家庭環境にかかわらずだけどね。

 

人やふつうとくらべて自分の感情を否定しない。

 

悲しかったも辛かったも、

心配してほしかったも、

あいつ、ぜってー許せねえも、

 

全てまずは自分の感情に正解とか不正解、○とか×とか、ジャッジしないで認めてあげること。

 

 

そのひとが悲しかった苦しかったって感じてるなら

私は、どんな境遇の人も辛かったねっておもうし抱きしめたくなる、

でも一人一人のそばにいってできないから自分自身にもそういって自分の気持ち抱きしめてあげてほしいとおもうんだよ

 

 

自分の気持ちが分かったら

 

必要な相手だと思えば

とことん話し合うにしても
その環境から逃げるにしても

 

自分が自分のために行動を起こしていくことが、できるでしょう?

ってコトをつたえたいのだけど、つたわるかなあ。

 

 

虐待なんて過去があれば自分を肯定できなくなるのは当たり前だし

 

そうでなくても(家庭でも家庭以外でも)自由に自己表現したら恐ろしい反応が返ってくるとかやることなすこと評価を下される環境だったり
いつも喧嘩が耐えない冷戦状態では同じようになっておかしくないし、

 

いつも優しく心配してくれる親だって”だからこそ心配かけてはいけない”って思って、”寂しいよ、抱きしめてほしい”って言えずに感情表現できなくなればそれだって”ありのままの自分を表現して 認められる体験”をできないのだから自己肯定感は育たなくなるし

 

立派な親でも

 

”一生懸命苦労を乗り越えて頑張るお母さんみたいにならなきゃ、自分が心地よいこと楽しいこと楽なこと 選んでは甘えなんだ”って思って自分を大切に出来なくなったらそれはやっぱり、生きるの辛くなって当たり前だし。

 

人それぞれきかっけ、環境は違ってもそれそれの事情のなかで

 

 

自分は痩せてなきゃダメとか

苦しんで頑張ってないとダメとか

楽で楽しんではだめなんだとか

あのひと世間の普通がああなら

自分もそれしないとダメ。。とか、

 

自分らしく生きられなくなるような価値観が出来てそれに苦しんでいるっていのは同じじゃんさ。

 

 

 

 

こんな話すると

 

あの人はもっと大変なのに病気になってないとか言って
 

辛い悲しい、辛かった悲しかったと感じる自分や人の気持ちを弱いとか甘いとかいって否定するひともいるけど人はみな違うのです。生まれもった性格も感じ方も違うんだよ。

 

鈍感な人と感受性の強い人では同じ環境でも感じるストレスが変わるのは当たり前のこと。

 

あんまり感情否定してると辛いのを感じなくするために心って全てに鈍感になっちゃうよ。

 

悲しいも辛いも感じないけど楽しいも嬉しいも感じない心の退屈がやってきます。

 

心が退屈で、満たせなくなるとはやりそれも、また痩せや過食、そのほかの依存に依存で紛らわすしかなくなるんだよ・・

 

 

 

 

これも良かったら読んでみてください。

 

 

右矢印あの時あの人に愛されなかった≠私は愛されない存在だ


右矢印親との関係・虐待されたされてない~あの時あの人に愛されなかった≠私は愛されない存在だ”

 

こういうのも、辛かった感情を否定してるわけでも、自分を苦しめた相手を許せとかいってるわけでもないのは、伝わるかな。基本の記事

↓↓

右矢印ニセの幸せでもいい 、痩せて笑っていたいんです その2

 

 

 

心のことも食事のことと同じで、あれとこれもつながってるのでいろいろ引っかかること出てくるだろなって思いながら書いてるのですが

 

ただ、あれもこれも書こうと思うとすごい膨大になるので。

 

最近はこれでも短くを心掛けています(^^;)

 

もう今はこれだけ記事があるので大体の”引っ掛かり”についてはどっかにそのひっかかりについてかいた記事があるよ。

 

読むの大変だと思うけどもし、私の考え方を知りたい、参考にしたいと思ってくださるならそういう引っかかりがある部分こそそれを避けて読んだり飛ばしたりしないで毎日少しずつでも読んでほしいな

 

っていうのが本音です。

 

「ある言葉に引っ掛かって(イライラしたり傷ついたり悲しくなったり)するのでその関連記事は全部読んでないけど~じゃないですか(涙)(怒)???とか色々、反論含めた感想も頂くのですが、読まないからその嫌な感情がそのままになってたり誤解が誤解のままになってたり…


ってこともけっこうあるんだよ。


っていうと、責められるかんじしたらごめん。

 

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