織田信長が城主となった岐阜城天守閣がある金華山(きんかざん)は標高329メートル。
安地・桃山時代、天下取りに欠かせなかった難攻不落の山城は、風水的に見ても、素晴らしい気を放っています。
登山がベストですが、時間がない人は金華山ロープウェーがお薦めです。頂上までわずか4分。
登山なら1時間以上はかかります。
まずは、金華山ロープウェイでのガイドさんの説明を聞きながら、この地の簡単な歴史をやさしく知りましょう。
かつて稲葉山城(いなばやまじょう)と呼ばれていた岐阜城へ上る紅葉と長良川沿いの風景は岐阜の眺望を見事に表しています。
生か死か。右か左か。興亡盛衰を決める極限で天下取りができるかどうか、吉凶が激しく交差する風水パワースポットです。
私自身、小学生時代、最初にプラモデルで作ったのが岐阜城。いかに険しい尾根の上に天守閣があるか、いろんな想像を巡らせたものです。直接赴いてみて、その素晴らしさを実感しました。
天守閣に登ると、美濃平野をパノラマ360度、すべて見晴らせ、遠くは中央アルプスが見え、雪を頂いているのが見えます。以下の動画はその一部を紹介しました。ガイドさんと見学者の会話でも、何かリアルさが実感できるはずですよ。
ここに来て、面白いものを見つけました。天守閣近くにあるお城時計(和時計、大名時計とも言う)です。十二支を知るものにとっては、非常に興味深いですね。
日本に西洋の機械時計が入ったのは、フランシスコ・ザビエルが周防国(現在の山口県)の大内氏に献上したのが最初。当時の時計は壁掛け式で操作も非常に複雑でした。
このため、日本の時計師は工夫と改良を重ね、十二支を目盛りとする櫓(やぐら)時計を作り上げ、その精密さは当時、世界一だったそうです。明治5年(1872)11月、太陽大陰暦(旧暦)が太陽暦に改められ、和時計は製作されなくなってしまいました。
山頂には岐阜城のほか、リス村・売店やレストランもあり、国有林・鳥獣保護区として保護されている山頂までの遊歩道が整備され、手軽なハイキングコースとしても親しまれています。
ロープウェーで上って岐阜城に行く途中、「イノシシにご注意下さい」の看板が。
難攻不落の山城だけあって、天守閣周辺も坂ばかり。
秋の紅葉とのコラボで雄々しさが一段と引き立ちます。
天守閣周辺からの下界眺望も清々しい。斎藤道三、織田信長ゆかりの岐阜城への道が歴史を感じます。 イノシシ注意の看板がある動画は以下のものです。
天守閣のすぐ真下の情景は次の動画で紹介しました。
最後の動画は、岐阜城天守閣から美濃平野のスケールを体感できるものです。この平野を手中に収めると天下が盗れるのが分かるパノラマ。
昔は空気が澄んでいたため、遠く名古屋も見渡せたそうです。実際、名古屋の高層ビルが見えます。山麓に信長の館跡、山頂の復興天守。その山頂に登れば美濃がどれほど豊かな土地で稲葉山城(岐阜城)が重要なところに建てられたかが悟れます。