このアルバムは柳原幼一郎(柳原陽一郎ではない)の曲が一曲(「遠い空」)入っていたので、中古屋で探し購入した。
確か、年末のライブか何かで他人に提供した曲を特集していて、演奏したことがあった覚えがある。
たま時代の名前で提供されている曲なので、それなりに思い入れがあるのではなかろうか。
ちなみに、他の吉岡忍のアルバムで「IS THIS LOVE ?」という曲も提供されている。
これも同じ年のレイトショーでやったが、あまり記憶がない。
同名の小室曲があったような気がするが、当然別曲である。
これを日本語に訳したタイトルと同じ名前の曲がワタナベイビーにある。
「これが恋かしら(「これが」はなかったかもしれないが、歌詞には入っている)」という曲で、構想9年かけて発表された名曲である。
嶽本野ばらが好きな人向けの歌詞である。
吉岡忍は男性ではなく、女性である。
このアルバムを買ったときには気が付かなかったが、ICE BOXのメインボーカルだった。
ICE BOXは森永か何かから今も発売されている氷菓子であり、新発売の当初に企画ものの同名のユニットが結成された。
中西圭三(「ぱわあぷ体操」や「ぼよよん行進曲」など、「おかあさんといっしょ」でも有名)や池田聡、伊秩弘将(speedのプロデューサー)と有名どころのメンバーが揃っていた。
だが、一人だけ聞いたことのないメンバーがいて、それがメインボーカルの吉岡忍だった。
一番有名なのは「冷たいキス」で、「キスがーつめーたいーよー」という商品のCMソングであり、散々テレビで放映されている。
キンキンしていない落ち着いた声質で、流行の高音域を張り上げるボーカルとは毛色が異なっていた。
「BREITH
/吉岡忍」
1.竹田の子守唄
2.春の風
3.翼があるなら
4.この胸でおやすみ
5.遠い空
6.2つの願いが叶うなら
7.Time to go Sleeping(Close Your Eyes)
8.たからもの(Sandmannchen)
以下、各論。
「竹田の子守唄」
なぜこの曲が入っているのかは分からない。
歌った本人に思い入れがあったわけでも、おそらくないであろう。
だが、落ち着いた声質は、この曲にはあっている。
「竹田の子守唄」と言えば、ドキュメンタリー「放送禁止歌」で採り上げられた曲の一つである(同名の著書『放送禁止歌』森達也著もある)。
「放送禁止」と言っても法的な拘束力があるものではなく、民間放送団体が作成した自粛リストであり、それも既に作られていない。
なぜ、この曲が「放送禁止」なのか以前から謎であったし、ドキュメンタリ-を見ても謎は解けなかった。
だが、ひょんなことから「もしかしたら」という事柄にぶつかった。
「盆が来たとて」で始まる2番の歌詞だが、幡ヶ谷の今は無き「たまははき」の前の古本屋で買った「赤い鳥」の楽譜には、別の歌詞が付いていた。
○○の大根飯 ○○の菜めし またも○○の もんば飯
「○○」はそれぞれ地名が書かれている。
もしかすると、この地名のどこかが差別問題に関連しているのかもしれない。
「大根飯」なども、現代ならヘルシー感覚満載なのだが、貧しさか何かにつながっているように受け取られたのかもしれない。
聞くところによるとこの曲はもともと長い曲ということなので、一般には知られていない重い歴史を含んでいるのかもしれない。
だが、普及版は普通にラジオでも流れていたので、おそらく当時の自粛リスト作成者はこの2番の歌詞を問題視したのであろう。
と、ここまで書いて、元唄が検索で引っかかった。
せっかく先ほど地名を伏せたのだが、リンクを貼っておく。
http://moto33osaka.web.infoseek.co.jp/kashicard/takeda.htm
この歌詞について、歴史的な評論を加えられる力量は、自分にはない。
ただ、重みは一般化されることにより、言葉の響きそのものの美しさのみが音楽に融和し強調される傾向があると感じた。
一応、話題を戻すと、このアルバムは、全体的にゆったりした子守唄的な雰囲気の曲が多い(というかほぼ全曲)。
子守唄的なゆったりとした曲で統一するという意思表明として、この歌を冒頭に置いたのであろう。
赤い鳥バージョンと比べると、リズムセクションのアレンジが凝っている。
本来、リカバーはあまり好きではないのだが、流行とはそこまで無縁な曲であり、まあよいであろう。
「春の風」
ZABADAKの吉良知彦の提供曲。
シングルでも出ているので、おそらくこのアルバムのメイン曲であろう(ちなみにカップリングが「遠い空」)。
凝ったピアノのアルペジオの伴奏主体のアレンジで、最初から最後まで不用意に盛り上げないところがよい。
間奏も終奏もピアノの単旋律主体で組み立てているので、あくまでボーカルが主人公だと感じさせる。
歌詞は冷たい雪が解けていく時期の、暖かい春の風を歌った歌である。
小品としては非常にまとまっているが、飛び出したところない分、強い印象を与える曲ではない。
それは、このアルバム全体に言えることではあるが。
「翼があるなら」
吉岡忍の声質は、決して歌詞が聞き取りやすいわけではない。
これは滑舌の問題ではなく、声の倍音の性質による。
高音域の倍音が少なく、安定した音質になるが、言葉が音程としてしか入っていきにくいところがある。
人間の聴覚は、音の強さに関しては「高音:中音:低音」=「1:3:6」ぐらいの割合である。
だが、音の識別については「高音:中音:低音」=「6:3:1」ぐらいの役割分担になっている。
昔、ガッツ石松がボクシングを引退し、タレントとして活動していくことになったとき、興味深いテレビ番組に出演していた。
確かNHKの番組だったと思うが、番組名は覚えていない。
ガッツ石松の声が聞き取りやすい声でなかったため、それを改造しようという企画であった。
人間の聴覚で、一番認識されやすい周波数は2000Hz(ヘルツ)周辺である。
楽器をやっている人に分かりやすく説明すると、440Hzの音叉の音の2オクターブ上が1760Hzである。
訓練前のガッツ石松の声は、音声スペクトルでその一帯の周波数が少なかった。
だが、声を出すことのトレーニングを終えた後、その周辺の周波数の値が増え、確かに聴きやすくなった。
自分でもアナログのエコライザーで試したことがあるが、その周辺を伸ばしてあげると非常に言葉が聞き取りやすくなる。
楽器としては優秀な声も、言葉を発する道具としては劣ることは多い。
吉岡忍の声は、中音域で糖度を増すところはあるが、どちらかというと楽器として優秀な声質である。
だが、この歌は例外的に歌詞が聞き取りやすい。
理由は分からないが、他の曲が、「初めに曲ありき」で音符に歌詞を乗せた感があるのに対し、まず歌詞があり曲の背景の絵の具を塗った感がある。
歌詞の内容も、相手を失うのは怖いが気持ちを伝えたい、という内面的な切なさを表しており、移入しやすい世界である。
曲もゆったりしている割には展開もややあり、繊細な真情を伝える道具としての役割をしっかり果たしている。
個人的には、このアルバムで一番好きかも知れない。
3拍子の曲で、前奏は太田恵資のバイオリンが入る。
印象としては、ZABADAK+斉藤ネコカルテットのような前奏で、吉岡忍の声が入るのが不思議な感があった。
とりあえず、この曲からの教訓としては、次のことが言えるであろう。
「言葉のメッセージを伝えるためには、言葉を伝えるための旋律を用意し、場合によっては言葉を優先しなければならない」
昔、音楽が平面的に聴こえ、何を聴いてもつまらなく聴こえたとき、それを救ってくれたのは篠原美也子であった。
1枚目と2枚目のアルバムは何度も聴いた。
篠原美也子の歌は、音符が先にあるのではなく、言葉を強引に音程に乗せていく力強さがあった。
「今日も明日もずっとずっと」と歌う部分など、歌をそのまま音符に書き起こせない自由さがある。
深夜ラジオ時代もライブのMCでも、とにかくよくしゃべる人であったが、伝えるべき言葉が何よりも優先されたための音楽となっていたのであろう。
柳原陽一郎も「ブルースを捧ぐ」を最初にライブで演奏したとき、「ブルースの本質は字余り」のようなことを述べていた。
実際、「ブルースを捧ぐ」では、1音に4つも5つも文字を入れている。
これが富澤一誠あたりの評論だと、吉田拓郎の「私たちの望むものは」あたりを出してくるところであろう。
1つの音符に「わたしたちの」と多くの文字を入れるメッセージフォークは、おそらく今よりもかなり新鮮であったことであろう。
もっとも、この曲は1音にいくつも音を入れている曲ではないが。
「この胸でおやすみ」
マザーグースの歌で同じ旋律の曲があった。
昔、岸田今日子の朗読やダークダックスの歌で構成されたアルバムでは、インスト曲であった。
だが、上野洋子のナーサリーチャイムスでは、吉岡忍と対照的な声質で英語バージョンが聴ける。
どちらも、アルバム最後の曲だった覚えがある(自信はない)。
上野洋子の声は、極端なほど倍音が多く、歌詞が脳に直接入ってくるかのような特徴を持つ。
吉良智彦や小峰公子の声は倍音が少なく、楽器的な要素が強い。
「アー」だけで音程を取る小峰公子の声には力強さはあるが、やはり上野洋子の声質の要素は貴重であった。
この曲も3拍子の曲で、一音符に一文字充てているので、曲の速さ以上に非常にゆったりしている。
子守唄にしては、しっかり元気に聴こえすぎるところはあるが、これはこれでまあよかろう。
「遠い空」
作詞・作曲とアコーディオンが、柳原幼一郎である。
残念ながら、あまりアコーディオンの音は聴こえてこない。
伴奏としてはチャランゴのような甲高い高音のギターのストロークでゆったりかき鳴らす音が基調となっている。
やはり、3拍子。
「君の住むそばへ」の歌詞のあたりが、和音的には渋めである。
一音符一文字に近いので、やはりゆったりしている。
遠く離れている友人に手紙を書こうという歌詞の内容であった。
ちなみにこの曲を柳原陽一郎が再演するのであれば、WereHouseやPhonoliteよりも、ワタナベイビーや柴草玲とセッションした方が合うと思う。
初期から現在までの柳原曲を探してみても、あまり似た曲はないように思える。
やはり、「他人に書く」という意識が、歌詞から具体性や特殊性を排除させていったのだろうか。
「無難さ」というだけであれば、「ドライブスルーアメリカ」のアルバムとの近さはある。
「2つの願いが叶うなら」
どこかで聴いた曲だと思ったら、「コサックの子守唄」と曲が同じであった。
昔、テレビのロシア語講座で、今月の歌として紹介されていたのを覚えている。
当時は義務教育の最中だったが、トルストイの民話集への憧れもあり、毎週見ていた。
上智大学の宇多教授の講師のときで、当時の上智の学生が生徒役として一緒に学んでいたのがよかった。
最近の語学系講座は、芸能人が登場するシリーズのことが多い(あんじのときのロシア語講座は見ていた)。
だが、あの時代の雰囲気が、学びとしての雰囲気としては一番よかった。
もっとも、ロシア語講座ではないが、中国語講座で乗りのよい男性講師(古畑の真似をしたコーナーもあった)と慮思が出ていたときは楽しかったが。
曲に戻るが、この曲も3拍子。
「叶うなら」の部分の和音が、「おっ」と思わせる和音を用いている。
歌詞は、「2つの願い」が「二人でいられる」「あなたを忘れる」と、両立しないものであるところは面白い。
「静かな気持ちで眠る」ことが、結局の願いのようだ。
この曲だけは、このアルバムの他の伝承子守唄と異なり、子守唄的な歌詞を充てていない。
原詩にはないオリジナリティが、見られる。
シンプルなアレンジだが、4番までだんだん音が増えて、5番でまたシンプルに戻っている。
「Time to go Sleeping(Close Your Eyes)」
3拍子。
英語の歌詞。
同じ歌詞でのリフレインが続く。
1コーラス16小節だが、ほぼ同じ8小節が2回続く感じで、3・4小節が5・6小節と7・8小節でリフレインされる構成である。
マザーグースで言えば、「ドゥ ユー ノー ザ マッフェンメン」の歌を3拍子にしたのと同じ構成であった。
てっきり伝承民謡かと思ったら、作詞も作曲も外国人の作者がいた。
せめて訳詩をして、「2つの願いが叶うなら」ぐらいまで創作性を入れないと、BGMの域を出ないところはある。
「たからもの(Sandmannchen)」
このまま「竹田の子守唄」が始まってもおかしくない前奏から、聴いたことのない別の旋律が始まる。
「遠く離れた」シリーズとしては、「遠い空」の内容に歌詞は近い。
ただ、何度聴きなおしても印象に残りにくい。
ゆったりとした曲ばかりのこのアルバムの中でも、一番刺激音が少ない。
聴きながらよく眠れるという点では、一番子守唄的な素養を持っているかもしれない。
アルバム全体を総括すると、
・ゆったりとした子守唄的アルバムというコンセプト。
・8曲中5曲が3拍子。
・流行歌とは一線を画した、アコースティック編成のアレンジと抑揚や展開が少ない旋律。
・必要以上に盛り上げず、メゾフォルテまでの音量で音楽を組み立てている。
といったことが言えると思う。
個人的には3拍子の曲が好きであるので、ここまで揃っていることは正直嬉しい。
3拍子といえば思い出すことがある。
楽譜で4拍子の場合、「C」という文字を4/4の代わりに書くことがある。
4拍子が「C」で始まる単語の頭文字であるのであろうと、想像していた。
だが、「C」で始まる言葉に、4を表す言葉は見つからなかった。
これが、アルファベットの「C」ではなく、欠けた○であるのを知ったのはだいぶ後のことだった。
キリスト教で「三位一体」という概念がある。
経緯はいろいろあったことが世界史の教科書には書かれているが、長い間「3」という数字が調和の取れた完全な数字であるという意識があったらしい。
聖歌や賛美歌の類も、3拍子の曲が多く見られる。
3拍子というのが大きな個性になってしまうため、流行歌に有名な3拍子曲は少ない。
だが、TOMOVSKYや上野洋子、滝本晃司など、比較的3拍子の音楽を作っているアーティストもいる。
自分がイベンターなら、3拍子音楽の縛りを設けたライブ企画を行ってみたいものである。
完全なる3拍子が「○」、不完全な4拍子が「C」、その1/2の2拍子が「¢」で、3拍子の「○」はいつからか使われなくなった。
いつの記憶か忘れたが、昔の手書き譜(多分バッハのリュートのタブラチュア)で、3拍子の「○」が書かれていた気がする。
アルバムに話を戻すと、眠れないときの本を読みながらのBGMなどにはよさそうである。
他の女性シンガーとは毛色が違うので、iPod Shuffleなどでたまに出てくるにはよいかもしれない。
だが、本当は吉岡忍の声はユニット向きだったと思う。
ICE BOXは残りが男声だったが、倍音の多すぎる女声数人と組めば、ハーモニーに基調ができてよかったと思う。
シングルリードの木管楽器のような声質は、実は女性シンガーには少ない気がする。
表舞台から吉岡忍の姿を見ることはあまりなくなったが、真価を発揮できる場での再登場を願いたい。
ライブレポと違い、アルバムレビューはライブに行かなくてよい分ちょくちょく更新できると考えていた。
だが、あれもこれも書こうとすると、なかなか更新できないものだと感じた。
カレーやネット関係ならもう少しさくさく更新できると思うので、テーマの配分は今後考えていきたい。

