原マスミバンドライブ 2008・11・13 吉祥寺SPC
01.月化
02.海で暮らす
03.フトンメイキン
04.光の日にち
05.人間の秘密
06.も・いちど
07.悲しいのはいやだ
08.夢ならば簡単
09.空
10.耳の夢
11.約束の満月
12.ずっと君が好きだった
13.夜の幸
14.イナフ
15.ブレーメン
16.海のふた
17.教室
18.アイス!アイス!アイス!
19.冬の星座
20.千年にひとり
ライブは生ものなので、放っておくといろいろ忘れてしまい、頭の中で再現しなおした別のレポになってしまう。
ライブが終わって48時間以上経っているが、まとまった文章を書く時間が久しぶりに取れたので、書くことにする。
「月化」は、冒頭に置かれることの多い曲。ピアノの上品な演奏から始まり、ギターのボサノバ調「ズッチーズチー」が被さる。
個人的には、「トゥナイトゥナイ」が一回りした後で入ってくるフレットレスベースのスライド? の音が曲によい彩を与えていると感じる。
ベースの内田ken太郎は昔からフレットレスの演奏家だが、以前のスタインバーガーより音質がよいように感じる。
「海で暮らす」をバンドで聴くのは久しぶりである。
もちろん、弾き語りではよく聴いた。
マスターが健在の頃の稲生座では、毎回アンコールでリクエストされていた。
だが、だいぶバンドとでは印象が異なる。
ギターの弾き語りは、誤解を恐れずに自分なりに定義をしてみると、曲の小節や部分をある一定のコード(和音)に支配させることである。
EmとDの和音で、1弦だけは海の表面の波のように浮き沈みしているが、やはり部分部分を色分けしているように感じるところはある。
だが、バンドバージョンは一つの大きく平坦な海がそこにあるように感じられるのである。
息が詰まるような緊張感の連続体。夜の神々しい海が、確かにそこにあるように感じられた。
キーボードは低音を入れないシンプルなアルペジオ、ドラムは途中までアクセント部分のハイハットのみ。
なぜ、これでこの世界が生まれるのかが分からなかった。
声を神秘的な伴奏に乗せていく作業も、途中からどんどんよくなり、海の中から客席に声を届けているかのような趣があった。
渋谷のクアトロ時代にやっていた頃は、これに太田恵資の電子バイオリンが入った。
この音が遠くから聴こえるカモメの鳴き声のようで、絶品であった。今のバンドメンバー+3人をSPCの舞台に乗せるのはスペース的は難しい。
だが、4年に一度ぐらいでよいので、以前の大編成の舞台も見てみたいものである。
「フトンメイキン」は、冒頭にギターとベースのノイズが入っていた。
前回は本調子でなかった声も、今回はレコーディングなどで歌いこんだのか、自在に出ていた。
この曲は一番好きだが、PAのリバーブのかけ方も、絶妙だったと思う(この曲に限らず)。
バイク事故で怪我をした堀越信泰も戻ってきたので、この曲はまた何度も聴くことができると期待している。
普段だと、ここらで雰囲気ががらりと変わってしまうのだが、今回は「光の日にち」につながる。
間奏のボトルネックのギターが、美しい音色を奏で、幻想的である。
おそらく、7カポで、弾き語りバージョンより音が高めだったと思う。
いつものようにアコーディオンが登場し、「人間の秘密」が続くことが分かる。
今まで、この曲(この曲に限った話ではないが)で体を動かしていたのは、曲に乗っているからぐらいにしか捉えていなかった。
手を横に振り子のように振ったり、「ワーイ」で手を真直ぐ上に伸ばす姿を見て、どこかで味わったような既視感を感じた。
10年ぐらい前だったと思うが、五反田のゆうポートでマルセル=マルソー(「マルセル・マルソー」とするよりも、世界史の教科書のように「=」を使いたい人物である)を観た。
マルソー(ソフィー・マルソーとは何の関係もない、念のため)は、パントマイムの神様と呼ばれていた巨匠である。
マルソー(昔、津田沼に丸荘証券という会社があったが、潰れた後ビルの電光時計もなくなり、ずいぶん不自由した)はそのときパントマイム劇もやっていたが、通常のプログラムの方を観た。
その演目の中で、一番強く焼き付けられたのが「青年、壮年、老年、死」であった。
バッハのG線上のアリアが流れ、その中を一人の人間がただ歩くだけ。
だが、微妙に変化していく歩き方のみで、人間が老いていくことはどのようなことなのかを表現していた。
目も離せない程の、人生の表現であったが、あれは他の無言劇役者には真似できない芸当であろう。
「人間の秘密」で見られる身体表現は、歌詞が乗る分直接的な表現形態を採っていない。
だが、片手を真っ直ぐ伸ばし「ワーイ」と叫ぶ姿は、高みの未知なるものにアプローチし、救いを求めようとするようにも見える。
手の動きも胴の動きも、毎回計算されているように正確で、この曲はもしかしたら言葉と身体全体による表現を意図していたのかもしれない。
解釈については、今後のステージを観続けることにより、再検討していきたい。
アコーディオンつながりで、「も・いちど」が連続して演奏されることが多い。
今回もそうで、アコーディオンソロから曲が始まる。
この曲は歌詞はシンプルだが、バンド編成の演奏は時期により大きく変遷している。
小峰公子が参加していたとき(確か表参道のFABが最後、くじらとLoveJoyが一緒のステージ)までは、コーラスの印象が強かった。
近藤・楠両名のコーラスになった後は、派手さが弱まったが、服部夏樹が参加していたときはストロークでなくバリ風のアルペジオであった。
このあたりが全て近藤のアレンジ力であるとすれば、彼の実力はやはり素晴らしいと感じる。
「悲しいのはいやだ」に続き、「夢ならば簡単」が演奏されたのは驚いた。
アルバムとほぼ同じ(終わり方は違っていたが)アレンジで、フォルクローレ調のケーナをシンセが担う。
弾き語りのときのこの曲は、1弦を開放にしたF→G→Cの流れが基調で、メジャーセブンや6の和音が使われるため中間色の色彩が漂い、この曲には合っている。
とは言え、アルバムバージョンも面白く、貴重な機会であった。
「空」で前半終了。
前にも書いたかもしれないが、「人間の秘密」「悲しいのはいやだ」「空」あたりには、作られた当時の原マスミの人生観がふんだんに織り込められている。
「向こう側が透けて見えるくらい~」のあたりには、人生への向かい方が示されている。
また、「なぜ僕はカバンを持って~」あたりの歌詞には、惰性で生きていることへの柔らかな問題提起が含まれていると思える。
この曲は、昔はスティール弦のアコースティックギターで演奏されていた。
原マスミなりのメッセージフォーク的作品であるとも言えよう。
前半はクアトロ時代を凝縮したような、濃いプログラムであった。
息もつかせぬ緊張感があり、時間を忘れさせる名演であった。
後半は、「耳の夢」でスタート。
お召し物も緑の「V」のカットの服から、白い襟付きの「∀」の首元の服にチェンジ。
開襟シャツの上の方に白い帯的な飾りがおしゃれであった。
近藤達郎のシャツも、照明の3色灯のようでよかった。
この曲は小峰公子のときのコーラスも印象的だが、今はなきkuukuuでのクリスマスのコーラスがやはり思い起こされる。
厨房からいきなり大人数のコーラス隊が現れ、「ララララー」と歌う演出であった。
個人的には、たまの解散よりもkuukuuの閉店の方が悲しかった。
「約束の満月」は完成されたアレンジ。
前半も2曲目から気が抜けない演奏が続いたが、後半も早くもピークを迎える。
おそらく、この曲も近藤の編曲だと思われるが、ベースの流動感やピアノの律動で一つの絵画を描き出す力量はさすがと思わせる。
「ずっと君が好きだった」で少し脱力。
堀越のカッティングが心地よいが、息もつかせぬ緊張感はここらで一度途切れる。
「夜の幸」に続き、最新曲「イナフ」。
このあたりで感じたこととしては、アレンジがギターの弾き語りにそれぞれが衣を被せていったような印象を受けた。
よいとか悪いとかではなく、常識的な作りになっているように感じる。
歌詞の世界はまだ掘り下げていないが、曲のエンドレス感は次の「ブレーメン」も含め健在である。
この曲や「ブレーメン」、今回は演っていない「さよなら」あたりは、前半の最後の曲たちと異なり、現在の人生感(人生「観」でなく「感」)の投影であろう。
「夜の幸」を歌う人が「夢を見るのはもう止めよう」などと唱えるのは、自己否定ではないかとも感じるが、作り物でない実感世界を残しておこうという表れなのであろう。
「海のふた」で演目の終わりを予感し、「教室」で本編終了。
アンコールで「アイスアイスアイス」します、とこの曲のタイトルを述べるのはあまり記憶がない。
ピアノが、こんなシンプルな和音展開の曲なのに、凄まじいアレンジであったことに気づき驚く。
「一歩も動かないよ」の後の「母さん」は今回もなし。
一人で歩む自覚から、この件(くだり)を封印したのかもしれない。
「冬の星座」は、内田ken太郎のベースがかっこいい。
フレットレスとは思えない、歯切れのよいラインが心地よい。
個人的には、夏でも聴きたい。
関係ないが、カラオケでこの曲を入れようとしたら、リストになかった(UGA+)。
意外に、忘れ去られていこうという曲目だったのかもしれない。
再度のアンコールで「千年にひとり」。
今まで、必ず演っていた曲なのにどうしたのか、とのメンバーの指摘により演奏されたらしい。
正直、この曲は「フトンメイキン」などの幻想世界の後に置かれることが多く、目覚し時計のベルのように現実に引き戻されることも。少なくなかった
だから、この曲が始まると緊張感が途絶え、がっかりすることも多かった。
しかし、歌詞そのものは言葉にかなり気を使った表現が施されていて、興味深い曲であると今回は感じた。
アンコールの最後に持ってきたのは初めてだが、意外とこの場所が据わりのよい位置ではないかとも思えた。
総括として(何か偉そうでもっとよい言葉がないかとも思えるが)、今回はプログラムも演奏も喉の調子も非常によく、入場料の倍ぐらいの価値があった。
一ファンとしては、毎回同じ演目でも、同じ空間で歌う姿を見られるだけで幸せを感じる方ではある。
それでも、あまり聴けない曲目を、名演で聴けると、やはり来てよかったと感じずにはいられない。
稲生座は日程が予定と被り無理そうだが、大晦日はチケットを入手した。
栗コーダーとの競演も行きたいが(幻燈音楽会は楽しかった)、諸事情もあるので成功を陰で祈りたい。