※09年06月30日現在のレポは、以下、

http://ameblo.jp/sprawlworld/entry-10290814253.html



前述したとおり、「ニューデリー 二和向台」で、結構このブログにたどり着くアクセスが増えている。
多くの店を取り上げたいのだが、この店は長く続いてほしいので、もう少し参考になりそうなことも記しておくことにする。


場所をもう一度記す。
新京成電鉄の二和向台駅で降りたら、商店街を端まで直進し信号を渡る。
CEOサイクルがあるので、その横の小路を入り、すぐ右手にある。
駅からは、徒歩2~3分といったところか。
定休日は第1~3月曜日(少し増えたか)で、ランチタイムは15時まで。
夜は22時か23時か、調べたらまた追記したい。
利用したことはないが、テイクアウトもできるようである。
駐車場も2~3台とめられ、自転車も置けるので、近くならばそれもよい。
自転車で行った場合、CEOサイクルで無料で空気を入れる機械が使えるので、帰りに入れていくのがよいと思う。


値段が安いランチタイムは、4つのセットがある。
どれも、サフランライス(黄色い色のライス)とナン(Dセットは大きめで別皿が出る)、サラダ(トマトやキュウリが乗っていてベースは水菜とキャベツ)が付く。
ドリンクも付き、「チャイ」「ラッシー」「コーヒー」から選べる。
他にもあるのかもしれないが、メニュー上は上記のとおりである。
その他に、以下のカレーが付く。


Aセット ベジタブルかマトン(マトン+豆) 650円
Bセット チキンかキーマ 750円
Cセット ベジタブル(野菜がAセットより多め)かシーフード チキンティッカ2本 900円
Dセット ベジタブルかマトンかチキンかビーフ+シーフードの2つのカレー チキンティッカ2本 シッカバブ1本 1280円


一応、それぞれの特色を書く。
Aセットのマトンカレーはお勧めである。
メニューには(マトン/豆)とあるが、レンズ豆なのか豆はほとんど確認できない。
ただ、マトンの肉は柔らかく、カレーの量に比して決して少ない分量ではない。
この店は、チキン系よりもマトン系の味の方が、他店と比べてのクオリティーの高さが感じられる。
Bセットのチキンカレーは普通に美味しいが、キーマカレーは一番感動が大きい。
これが付いて、ドリンクまで付いて、この値段は大変ありがたい。
土曜や日曜のランチに行くと家族連れも多いが、カレーは5段階の辛さから選べるので、このあたりが手ごろであろう。
CセットのベジタブルカレーはAセットのカレーより野菜が種類も多く入っている。
Cセットの何よりの魅力は、チキンティッカが2本付いてくるところである。
夜に行くのであれば、メニューに復活した肉料理の盛り合わせをぜひ注文してほしいが、CかDならランチタイムでも肉が味わえる。
チキンティッカは唐揚に近い鶏肉の料理だが、柔らかく味もスパイシーで、これだけをテイクアウトしてもよいと思う。
在庫によって、骨付きのことと骨なしのこととあるが、個人的には骨なしの方が少し美味しく感じる(どちらも美味しいが)。
Dセットはシーフードカレーにもう一つ選べるが、シーフードが苦手なら言えば別のカレーにしてくれた。
面白いのはビーフカレーがあることで、パキスタン料理あたりだとヒンドゥー教と関係ないのでたまにあるが、インド料理と銘打っているところでは珍しい。
Dセットにしたらこれはお勧めで、シッカバブ(一般的にはシシカバブー)も大変ジューシーで美味しい。
ナンが大きいので、それなりに分量がある。
カレーは辛くしても普通でも美味しいので、消化器系に自信がなければそこまで辛くすることはない。
本当は少しだけ辛くした方が、カレーの量とナンやライスの量とのバランスがよくなるのだが。
安く済ませるならAかB、肉も含めて楽しむならCかD(それでも東京で同じものを食べるより遥かに安い)がよい。
あと、知らないうちに「本日のカレー」というのが始まっていた。
750円だったが、メニューにより異なる可能性がある。


夜は、多種のカレーがずらりとメニューに並ぶ。
個人的にはコルマなどが好きだが、この店でお勧めなのは紙に書いて貼ってある「豆のスープカレー」である。
他にも「マトンひき肉のスープカレー」などがあるようだが(おそらくこれも美味しい)、食したことはない。
「豆のスープカレー」といっても、レンズ豆の他に野菜が入っており、これは他のいろいろな店を回ってもなかなか味わえない味である。
値段は900円前後(値段を控えるのを忘れた)で、マトンひき肉の方は1100円だったので昼よりは割高に感じるかもしれない。
だが、これは一度食べておく価値があるので、売り切れでなければ(この前は売り切れで残念だった)一度食べておきたい。
ナンも種類があり、普通のナンの他に「チーズナン(おすすめ)」や「ナッツのナン」などどれも美味しい。
値段は割高でも、それ自体が一つの料理として質が高いので、何人かで出向いたら一つぐらい注文してもよいのではと思う。
この店は、やはり肉料理は注文しておきたい。
大人数なら1000円でチキンティッカ5本あたりが手ごろだが、人数が少なければ盛り合わせがお勧めである。
チキンティッカの骨付きと骨なし、シッカバブとタンドリーチキンが付く。
値段はそこそこした記憶があるが、とにかく他店でここまで美味しい肉料理はなかなか味わえない。
前にも一度書いたが、柔らかくジューシーであるのに、スパイシーであるので口の中で広がっていく美味しさが味わえる。
タンドリーチキンなどは、他店では肉が硬かったり(おそらく火の通しすぎ)味が中まで付いていなかったりすることも少なくない。
「この料理の味はそういうものだ」と思い込んでいたら、この店の味は驚かされる。
日本人向けの細やかさが、この店の料理全体には感じられる。


以前はなかったが、夜のメニューにセットメニューが始まっている。
選べるカレーの種類はそれぞれ違うが、昼のセットメニューにはないカレーも含まれている。
どのメニューをにも、ナン、サフランライス、パパド(インド風せんべい)、サラダ、ドリンクが付いている。
昨年末にはゴーワセットにパパドは入っていなかった記憶があるが、食べたい人のために加えたのかもしれない。
前述のスープカレーは選べるカレーに入っていないのが残念だが、肉料理も入れて手ごろな料金で食べるのであればお勧めである。
選べるカレーは控えていないが、他についている肉料理は以下のとおりである。


カルカッタセット 1350円 骨付きティッカ
ハイダラバーディセット 1550円 タンドリーチキン
ゴ-ワセット 1700円 シッカバブ+チキンティッカ


ゴーワセットが充実しているが、肉の組み合わせが昼のDセットと同じなので、ハイダラバーディセットで昼メニューにないタンドリーチキンを味わうのもよいかもしれない。
もちろん選ぶカレーによるのだろうが、ゴーワセットにはほうれん草とマトンのカレー(ザクマトン)が選べた(昨年末情報)
セットにしてしまうと、昼のDセットとさほど違わない値段で食べることができてしまう。
個人的には、金銭的に余裕があるときに、食べたいものをズラリと注文したいのだが、コストパフォーマンスがよい選択肢が増えたのはよいと思う。


いつもではないだろうが、サービスで何か追加されて出てくることがあった。
クリスマスイブにこの店に出向いたら、「フェルニ」というデザートが出てきた。
ベトナム料理だったか、お米を使うデザートがあって、それに近い食感であった。
味はココナツミルクベースに、ナッツ系の味が咥えられている。
自分向けの味で、これは普通にお金を払っても注文したいと思った。


この店は手書きで書いたメニューが、貼られていたり透明のテーブルシートの中に入れられたりしていたのだが、ランチに行ったらなくなっていた。
昼に行っても、夜のメニューを食べたくなるので、また貼ってほしい。


知久ライブと西葛西の先達(あと倉橋ヨエコも)は、ランチバイキングでインド料理にたまに行く。
だが、そのときに感じるのは「二和向台の店を潰してはいけない」ということらしい。
ランチバイキングと比べるのは酷だが、カレーもナンも味がだいぶ違うらしい。
この店は立地が決してよいわけではないので(たまたま前を通ることはほとんどありえない)、その点は不利である。
だが、味も値段も店主の人間性もよいので、この店にはがんばってほしいと思う。
この店がなくなると本当に困るので、また何か書くことがあれば第3弾を書くかもしれない。
一応、今回はメニューなどの紹介に徹してみた(写真はないが)。
近所に住んでいて、看板などを見て迷っていることがあれば、休みの日のランチにでも行ってみることをお勧めしたい。
たぶんホームページもない店なので、前回同様に電話番号も書いておく。
「インド料理 ニューデリー 047-449-4211」
このブログが、この店の多少なりの宣伝になることを期待したい。









ブログのアクセス解析で、「検索ワード」や「リンク元URL」などを見るのは楽しい。
特に、「リンク元URL」は、検索語で他に引っかかったページが発見でき、思わぬ収穫があったりする。
「ニューデリー 二和向台」あたりだとローカルすぎて、このブログぐらいしか引っかからない(この店は本当に美味しいのでPart2をいずれ上げたい)。
だが、「エチオピア 豆カレー」あたりの検索だと、他にもいろいろなブログが引っかかる(「エチオピア ユダヤ教」でこのブログに迷い込んだ例もあるが)。
その中で、明らかに知識も技術もある書き手のブログを発見し、西葛西で美味しそうなカレーを出していることを知った。

http://gold.ap.teacup.com/ponkoro/291.html


マンダラ2でのライブのチケットを買った先達が、職場の近くなのでよく場所は分かるということであった。
今回のカレーの先達にもなってもらい、半ドンで上がった後吉祥寺ではなく、西葛西で待ち合わせることになった。


http://ramble-curry.com/


お昼に店に着き、中に入ると、カウンターと壁際の背丈の高いテーブル席があった。
あまり広くはなく、混雑もしていないが、小奇麗で落ち着いた雰囲気は合った。
もともとモルトとシガーバーのお店なので、カレーでもなければ絶対に入ることなどなかった。
だが、入口にはシガーの「し」の字もなく、店の中にも見えるところにはモルトしか並んでいなかった。
一見、シガーは廃業したのかと思わせる感があった。
タバコで煙たいのではないかと想像していたが、排気がしっかりしているのか禁煙の店に入ったのとあまり違いは感じられなかった。


人のよさそうな男性が注文をとる。
マスターなのか、昼の店番なのか、カレーの作り手なのかは分からない。
とりあえず、「大山どり+ひよこ豆」のハーフ&ハーフと、「キーマNo.3」とを注文する。
料理が出てくるまで、江戸川ウォーカーが置かれていたので目を通す。
RAMBLEも、雑誌の中で紹介されていた。


料理が出てくる。
見た目も美味しそうである。


「キーマNo.3」は、一般の人を連れてくる場合には、一番のお勧めである。
ホームページの写真を比べても分かるが、普通の「キーマカリー(この店は「カレー」でなく「カリー」)」にひよこ豆とトマト味が加わっている。
美味しそうな卵も乗っている。
まず、スパイシーな味がしっかり付いていて、食が進む。
ひよこ豆が入っているので、豆をかじる歯ごたえが食感にアクセントを与え、ハイチのドライカレーと比べて味に広がりを感じさせる。
トマトのベースが辛さだけではないまろやかさを与え、口の中でバランスの取れた味に調和している。
とにかく、これは一般受けするカレーとしては一級品であり、喫茶店でこのカレーを出したら行列ができるだけの潜在性を持っている。
普通の「キーマカリー」も美味しいのかもしれないが、迷ったら「キーマNo.3」を注文するのがよいと思う。


「ひよこ豆カリー」は、辛いカレー好きは単品で頼んではいけない。
ハーフ&ハーフで様々な食感を楽しむにはよいが、豆の味もベースの味もマイルドである。
コリアンダーなどは乗っているが、基本はトマトとたまねぎと豆の、柔らかな調和を楽しむカレーである。
スパイス自体のパンチが足りないので、辛いのが嫌いな女性(男性の場合は肉が入っていないと物足りないかもしれない)にはよいかもしれない。
おそらく、「キーマカリー」+「ひよこ豆カリー」≒「キーマNo.3」かと思われる。
純粋に豆カレーが好きなだけなら、「キーマNo.3」の方が飽きが来ないのでお勧めである。


「こういう店が一番危ないのは分かっている」と、カレーの作り手のブログにはある。
それを一番感じさせたのが、「大山どりカリー」であった。
このカレーの作者ほどではないが、自分も多少のスパイスについては分かる。
「大山どりカリー」は、スパイスの風味が直接肌を見せる形で、カレーに紐付けられている印象があった。
辛さは結構ある。
一口食べたときの味は、明らかに普通の味とは違う。
何か隠し味が大量に入れられているのではないかと、カレー好きでない人間は思いそうな味である。
コリアンダーのトッピングは別として、「クミン」「クローブ」あたりはさすがに間違いなく入っていると思う。
「クローブ」が香りの中心かと思われる(ブランデーによく入れる香辛料)。
粗挽きの黒っぽい香辛料も、舌に直接刺激を与える。
「ブロークンコリアンダーシード」か「ホールスパイス」か「ブラックペッパー」かは分からなかった。
肉はまずまず柔らかいのだが、素人受けする味ではない割に、コストは1000円以上でないと元が取れなさそうな手間と素材が感じられた。


「クローブ」と言えば、昔国分寺にあった「グルマン」という店を思い出す。
最初「ゲルマン」だと勘違いしていたので、ドイツ人はこのようなカレーを食べているのかと誤解していた。
2000年ぐらいの「アド街ック天国」では、ベスト30に入っていた記憶がある。
カレーを出すところで手作りの焼き物がズラリと並び、なかなかよい雰囲気であった。
ここのチキンカレーは当時かなり辛く感じ(今は亡き国分寺「ポカ羅」の激辛のような暴力的な辛さではない)たが、上品なスパイスの味を楽しめた。
「肉だと思ってかじったら香辛料であった」というようなことが何度もあり、辛さ以上にスパイス感が強かった。
ショートの女性の店主?(途中で人が変わったようだが)がやっていたようで、店の雰囲気に合った品が感じられた。
ここのカレーのベースだったのが、クローブのまろやかな香りであった。
味はスパイシーでも、食感が鋭角的でなくなるのは、このスパイスの効果であろう。
分かりやすい大衆店で例を出すと、「松屋」のカレーもクローブの食感があった(最近行っていないので確認していないが)。
野菜が入って値上がりする前に、よい鶏肉を入れた期間限定メニューがあったが、そのときはやはり「グルマン」を思い出した。
「グルマン」のカレーは、たまの贅沢によく行っていたので、カレーを作るときについついクローブを入れたくなってしまう自分がいる。
移転していなければ「グルマン」は閉店してしまっているようだが、心の中ではいつでもあの空間と味が残っている。


話をRAMBLEに戻す。
「大山どりカリー」はハーフでも結構肉があり、スパイスは食べて分かるぐらいに贅沢に入っている。
スパイス系カレー好きには、一番のお勧めである。
だが、「キーマNo.3」のような、トマトをベースとした調和やバランスが不足している点で、香辛料に慣れていない客はもう一度注文したいと思うことは少なそうである。
「大山どりカリー」の魅力は味の立体感で、凸凹の多い傾斜のスキーに近い。
コストがどれだけかかっているかは分からないが、利益は出にくいのではないかと思われた。
「キーマNo.3」は、それだけで新宿でも吉祥寺でもやっていける大衆的な魅力はある。


ホームページを見ると、ハヤシライスがよさそうな雰囲気なので、次は「大山どりカリー」とのハーフ&ハーフで食してみたい。
今後の、この店のカレー分野での活躍に期待したい。









知久寿焼誕生日ソロライブ/マンダラⅡ(2009/02/10)


1.326
2.金魚鉢
3.きみしかいない
4.学習
5.南風
6.電車かもしれない
7.いわしのこもりうた
8.あるぴの
9.いちょうの樹の下で
10.無理なおみやげ
11.みもふたもないうた
12.らんちう
13.鐘の歌
14.電柱
15.キミにまいった
16.マッハ
17.おるすばん
18.駒場北四丁目
19.ひとだま音頭
20.月がみてたよ


21.死んぢゃってからも
22.いつでもいつまでも


23.風と石と僕
24.まちあわせ
25.ちょっと今ココだけの歌


二つの仕事の締め切りをクリアしたので、やっと更新ができる。


マンダラグループには、毎年決まった日に会場が押さえられているライブがある。
南青山マンダラで言えば、7月7日はTOMOVSKYの七夕ディナーショーがあるし、12月31日は大晦日の原マスミの弾き語りがある。
誕生日ライブは、当然毎年同じ日になり、客の入りも凄い(前売りは売切れ)のだが、例年マンダラⅡの狭いステージで行っている。
聞いた話では、「君たちのために作った」とたま時代に言われたとのことで、他の会場より愛着があるらしい。
確かに、S.P.C.よりも音響はよく(PAの小俣佳久の能力の高さかもしれないが)、純粋に音楽を楽しむのであれば間違いなくよい会場である。
誕生日ライブに来たのは初めてだが、今回で9回目という先達のおかげで、前の席で見ることができた。
今年はバンド付きステージがあったので無理だが、以前は客が多すぎて舞台の上で座ってもらったこともあるらしい。
開演前に、「ワイト島の奇蹟」のときと同じベースが並んでいるのを発見する。
本日のステージにワタナベイビーも登場することが予想された。


「326」で本編スタート、と書きたいところだが、開演前のBGMで主にカバー曲中心で知久寿焼の歌声が流れてきて驚かされた。
今は亡きどんとの「昔むかし」「心の中の友だち」、柳原陽一郎が訳詩をしカバーした「ハレルヤ」、本人の曲の「くだもの」の4曲であった。
昔の「幻燈音楽会」も開演30分前から延々と映像作品が流れていたが、実質開演が早いのと変わらなくなり、終わったあとのエネルギーの消耗が激しい。
この生歌の録音(変な日本語だが)には本日の共演者も驚いたらしく、はかまだ卓が舞台袖から顔を出して確認していた。
「326」にに続き、「金魚鉢」。
やはり、声も出ており、音響もよい。
ギター1本とは思えない中低音域の充実は、やはり小俣佳久の力量のなせる業か。
高円寺JIROKICHIのスタッフ(マスター?)も、たま時代に小俣佳久を専属PAとして連れてきたとき、とても勉強になったと述べている。


「きみしかいない」は柏でも聴いたが、あまり演奏されない曲であったので、こうも続いたことには驚かされた。
なんでも、一緒にツアーで回った双葉双一が、「きみしかいない」はやらないんですか、と言ったことがきっかけらしい。
知久寿焼は基本的には真面目な人間で、歌詞の世界は一部の「言葉遊び的要素」の他は、自分の伝えたい世界を真剣に言語化している。
一見変に見える曲も、真面目に真剣に世界を構築しているため、妙な写実感がある。
だが、「きみしかいない」は他の曲と明らかに異なる、舞台の設定自体の異質さを感じる。
「おるがん」や「ロシヤのパン」などは、物語性も写実感も非常に感じさせる名曲だが、「どこかにこの世界もあるのだろう」という共感も与える。
だが、「きみしかいない」の世界は、この現実にはどこにもない。
他の人類がいなくなる設定なのに、図書館や地下室などは形を留めている。
「最終避難場所」自体が、何の避難場所であったのか、さっぱり見えてこない。
あえて言えば、日常生活と変わらない空間の中で、周りの人間だけが消えてしまったかのような映像が浮かび上がってくる。
独裁者スイッチを押したのか、ケムール人に消されたのか、まったく分からないが、写実主義でも自然主義でもない空間がそこにある。
そのあたりを双葉双一は評価しての、今回のリクエストなのであろうか。
お目が高いことは素晴らしく、しばらくお蔵入りしていた曲が出てきて、大変ありがたい結果となった。


「学習」は、昔阿佐ヶ谷のザムザで原マスミと共演した曲でもある。
また、近いうちに一緒にステージに立ってほしいものである。
「南風」は「なんぷう」と読むらしい(太田裕美の曲は「みなみかぜ」と読む)。
個人的には、たま解散以来久しぶりに聴いた。
「電車かもしれない」は定番曲。
何度も書いて申し訳ないが、六本木での「幻燈音楽会」でのオープニング映像の一つにNHKで賞をもらった作品が出ていたのを思い出す。
「いわしのこもりうた」は、音響のよいところで聴くとやはりよい。
他の曲は油絵の具や貼り絵的な厚みを感じるのだが、「いわしのこもりうた」だけは水彩画的な透明感を感じる。
「僕らはいつのまにか」あたりの突き抜けた音は、ラムネの清涼感に近いものが体感される。
「あるぴの」はたまが3人になってからの音源発売であるが、4人の頃に演奏はされていたらしい。
柳原幼一郎が入ったバージョンをこの前ネットで聴いたが、この二人のハモリはよく合う。
思うところは多いが、無粋なので控えておこう。
「いちょうの樹の下で」「無理なおみやげ」「みもふたもないうた」と続く。
曲名が出てこず、「はげあたま」と書いたが、曲名を言ってくれたので助かった。
「らんちう」は、最近お気に入りの6弦をオクターブ下げるバージョン。
「ロシヤのパン」は演奏しなかったので、後でサードクラスと共演かと淡い期待を持つ。
残念ながら、期待だけで終わってしまったが。
「鐘の歌」は、最後の高音が出るかということで、毎回MCで述べている曲である。
「柳原さんたちがついてきてくれると~」といったコメントが入り、多少驚く。
最近、両者のライブに行くことが多いが、お互いの名前がMCで普通に出てくることも少なくない。
おそらく、特別に意識するまでもないところまで昇華し、自然体で当時を振り返ることができる段階にもう来ているのであろう(と勝手に決め付けてみる)。
心配するまでもなく、最後の高音まで力強く歌い、ひとまずソロの部は終了した。


ワタナベイビーが登場し、「電柱」と「キミにまいった」のいつも二人で演奏する曲となる。
「電柱」はハモリがあり、ワタナベイビーの声が別の誰かの声を連想させて、「このまま終わらないでほしい」という思いを起こさせる。
個人的には、オクターブユニゾンの部分より3度のハモリの部分の方がワタナベイビーの声質に合って好きである。
ワタナベイビーの「キミにまいった」もよい曲であるが、二人のハモリはもっと多くの曲で聴いてみたい。
昔同じマンダラ2であった蜃気楼中央線の「柳原陽一郎+柴草玲+ワタナベイビー」のときもよかった。
ワタナベイビーの声はどちらの役割も担えるので、たま時代の曲をはもって演奏してくれると、やはり鳥肌が立つ感覚がある。
柳原陽一郎は、最近実力のあるミュージシャンとの共演が多いのだが、やはりハーモニーの点ではワタナベイビーとの共演には敵わないと思われる。


サードクラスが登場で、ワタナベイビーはベースに回る。
ドラムのクメムラヒトミが、以前見たときよりすっきりと柔らかい感じになっていて驚いた。
これなら、チャットモンチーに入っても、一番人気が出るかもしれない雰囲気であった。
今は亡きハイラインレコード内のホームページがあったときは、子供時代の写真が掲載されていた。
そのときの印象だけを持っていたので、別人かと思ってしまった。
サードクラスが出てきて、いきなり「マッハ」のリクエストとなる。
キーボードは準備されておらず大正琴となり、ワタナベイビーのベースもラインだけでベースアンプのスイッチはオフであった。
大正琴とバイオリンの組み合わせは、大正浪漫的な色調を感じさせる。
もし、方向性が許されるならば、大正浪漫的なアレンジで何か曲をこしらえてほしいものだとも感じた。
後で述べようとも思ったが、ワタナベイビーのベースは、単なるライン弾きではなく、高音部を多用する。
ワタナベイビーももともとギターの人だが、ギタリストの習性としてベースボーカルを執るとき以外はライン弾きはしたくないところがある。
その点、「マッハ」は前奏といい「飛んでいきました」のあたりといい、ギタリストが弾いても面白いベースの進行となっている。
これは、前のベーシスト篠田鉱平(この人ももともとギターの世界の人、「Q熱」のメンバー)の功績が大きいと思われる。
正直、演奏はワタナベイビーも十分上手で、音もよいのだが、最初の音楽を一から作っていくところで篠田鉱平の感性は多大な影響を与えていたと思われる。
「おるすばん」が挟まり、「駒場北四丁目」もリクエストされる。
はかまだ卓は「お客さんが~、」ということで少しためらうが、「俺の誕生日だから」と半ば強引に演奏させる。
この曲もかなり耳に馴染んできて、よい曲であるとは思う。
ただ、前奏が各楽器ユニゾン的なシンプルな作りなので、繊細さというより重たい土着感が漂う。
北海道の大地を意識してのアレンジかもしれないが、個人的には「愛くらら」的な音作りの方が好みではある。
この日の主賓は、たまにコーラスを入れる他は変な音の楽器を次々に鳴らしていた。
ウェアハウスの高良久美子が、柳原陽一郎の「牛小屋」のパーカッションをやったときもこんな感じだった。
実力のある人が本気で遊ぶとこうなる、という、よい見本がそこにはあった。
ウェアハウスだけは、日程の都合がなかなか付かず、観に行ったのは東大での無料ライブだけだが、あれはよいセッションだと思う。
「ひとだま音頭」は、はかまだ卓の踊りにばかり目が行くが、実はワタナベイビーのベースがかなりよい仕事をしている。
ワタナベイビーのベースを聴くと、ベースは打楽器ではなく旋律楽器であることが実感される。
一人に戻り、「月がみてたよ」で本編終了。


予定通りアンコールとなり、ソロで「死んぢゃってからも」、バンドで「いつでもいつまでも」が演奏されてよい感じで終了する。
だが、アンコールが鳴り止まず、再び登場。
だが、ワタナベイビーがまだ戻らず、「風と石と僕」と「まちあわせ」で時間調整。
石川浩司の曲では「まちあわせ」は好きな曲で、一番好きなのは「へっぽこぴー」だそうだ。
昔のたま時代は、誕生日のソロライブはもっと暗い曲が多かったと聴く。
「石の街」「ひょうたん池」「あめふらし」など、暗い曲を聴きたい気分のときは今のライブよりよかったらしい。
ワタナベイビーと福間美紗がゲストに来た年は少し明るくなったようだが、それでも今よりだいぶ暗い曲が並んでいたらしい。
だが、コーラスで「へっぽこぴー」を歌わされていた時代は終わり、一人で活動し始めたとき、自分の中のバランスを保つ必要があったのではないかと想像される。
ワタナベイビーが戻り、「ちょっと今ココだけの歌」で終了。
先ほどと同じ、会場でパスカルズの音楽が流れる。


暗い歌をそこまで欲していない自分には、大変楽しいライブで、来てよかったとは感じた。
ただ、柳原陽一郎と比べて、基本は真面目な性格のためか、一つのステージのバリエーションはさほど多くはない。
ウクレレで新し目の曲が続くと、その傾向は顕著になる。
個人的には、知久寿焼の抜群のコーラス能力を生かす場が増えてほしいとは思う。


今回も、1週間以上経った更新となってしまった。
ヨーグルトは賞味期限を過ぎてからの方が美味しく感じられるが、ライブの賞味期限はなるべく過ぎないようにしたい。
次のライブを観に行くまで、1週間を切っている。
今からレポの準備でも、しておくことにしたい。





原マスミバンド ライブ/吉祥寺S.P.C. 2009/2/1


1.約束の満月
2.千年に一人
3.フトンメイキン
4.人間の秘密
5.もいちど
6.毛
7.ずっと君が好きだった
8.悲しいのはいやだ
9.ブレーメン


10.カメラ
11.理由なき普通
12.はてしないチルドレン
13.夜の幸
14.イナフ
15.海のふた
16.教室


17.アイス・アイス・アイス
18.さよなら


19.ウイミン


この日は夕方から仕事が入っており、前日まで高熱でうなされていたので、さすがにライブは無理かと諦めていた。
だが、奇跡的に仕事が早く終わり、ライブにも間に合いそうであったので、吉祥寺に向かうことにした。
結局、1曲目の「約束の満月」から聴くことができた。
「千年に一人」は、今回も演奏した。
今回は、いつもより後ろの方で鑑賞したのだが、全体のバランスなどは普段よりもよく分かるような気がした。
一時期あまり演奏されなかった「フトンメイキン」も、堀越信泰の復活後は毎回聴くことができるようになった。
他のバンドなどのサポートも含め、一時期全く演奏活動から離れていたようだが、この日の演奏はギターが冴え渡っていた。
この曲は、間奏でも近藤達郎のピアノが前衛演奏バリバリで、「芸術は爆発だ」といった雰囲気を感じさせる。
そして、アコーディオンに持ち替え、「人間の秘密」「もいちど」が続く。
楠均のコーラスの声が普段とは違う調子のようだった気もするが、いつものように慣れた演奏が続く。
印象的なアレンジの「毛」は、弾き語りと異なり「和」の雰囲気を持っている。
何か、竹林の中で竹が静かににょきにょきと伸びているような雰囲気のアレンジである。
「ずっと君が好きだった」に続き、「悲しいのはいやだ」。
「悲しいのはいやだ」の歌詞は、よく聴くと人間の持つ「悲しみ」自体の本質を掘り下げようとしているように思える。
最初聴いたときの印象より、何度も聴いた後の印象の方が深みを持っているように思え、特に2番の歌詞は素晴らしい。
「ブレーメン」で1部終了。
普段は後半に持ってくることが多いので、珍しいとは思った。


後半は、驚くプログラムが待っていた。
最初に楠均だけが入り、ドラムの演奏が始まる。
一人ずつ順番に入っていき音が加わっていくのだが、個人的には最後に主役が登場する方がよかったとは思う。
始まった曲は「カメラ」であった。
個人的に「カメラ」のバンドバージョンを聴いたのは、渋谷のクアトロで1度だけ。
しかも、そのときにはベースを弾いていて、他のメンバーは全員パーカッションを演奏していた記憶がある。
おそらく、この日に用意された新しいアレンジで、この「カメラ」は演奏したと思われる。
そして、「理由なき普通」は驚きで声も出なかった。
この曲は、「赤々丸」か何かのサントラ用の曲だった記憶がある。
あがた森魚などの曲も入っていて、「睡眠値千金」などもこのLPに入っていた(CDではない)。
最近「原マスミシングル集」が出て、日の目を見ることになった曲の一つだが、古い曲という感じはまったくしなかった。
まず、歌詞が人を喰ったような内容で、当たり前のことを(「トンビがトンビの子を産んだよ」とか)延々と歌っている。
おそらく、一般受けもよさそうで、「さよなら絶望先生」の普通の子(日塔奈美だったか)あたりのテーマ曲としても十分使える。
このような歌詞の世界は、実はMCなどでも近い感覚があり、古い曲の中では一番照れも抵抗もなく歌えるのではないかとは思っていた。
だが、実際にフルバンドであの曲を歌われると、やはり驚きで戦慄が走る。
後半2曲分だけで、もう今年1年の運を使い果たしてしまったぐらいの感があった。
本当に無理してきた甲斐があった。


「はてしないチルドレン」はそこまで好きではないが、幻燈音楽会のときとコマッチャクレズマとのときはなかなかよかった。
この曲は、チャカポコした牧歌的なアレンジの方が合っている気がする。
「夜の幸」「イナフ」「海のふた」と続く。
「イナフ」は「ブレーメン」と異なり、「諦念」というよりも「許容」が主題となっている分、自分には受け入れやすい。
散らかったままの部屋でいることへの許容が、自分の中のノイズも多様性の一部として受け入れていこうという積極性が見られる。
「海のふた」は、3枚目のアルバム以降の曲の中では一番の大曲である。
渋谷のクアトロで初披露されたとき、「これからだんだんしっくりくるようになる」といったようなことをMCで述べていたが、演奏の出来が悪いわけでは決してなかった。
普段でも楽器の最後の音が消えるまで拍手というノイズを入れたくないと思うのが原マスミライブの常だが、この日(初披露)の演奏は余韻にしばらく浸っていたいと思わせるものがあった。
そのため拍手の大絶賛という反応ではなかったが、初回から「名曲である」と感じた聴衆は決して少なくはなかったはずである。
実際、初回に提示していた中間部の「挨拶」の数々は、何回か聴くうちに変化していったように感じた。
2回目ぐらいまでは「ご愁傷様」といった主題に直接結び付いていた言葉があった覚えがあるが、記憶違いかと思わせるぐらいに跡形もなくなくなった。
本当に記憶違いかもしれないが、全体が「生」の具体的な活動として捉えられるようになり、曲の完成度が上がったようには感じた。
「死」の方にクローズアップを向けるのではなく、「生」の方に向けたことで、最後の静かな海がコントラストで浮き立つ効果があった。
「教室」で本編終了。
最後の「ロックンロール」の掛け声までが一つの歌に思える。


「アイスアイスアイス」と「さよなら」で、アンコールがいったん終了。
「耳の夢」と「さよなら」は、どうしてもkuukuuのクリスマスライブを思い出してしまう。
「さよなら」は、「次の約束をする」ということの大切さを語っている。
バンドライブも、それ以前では音楽活動自体も、長年お休みしていた時期があり、最近では「次回は6月ぐらい」などと「約束」をしていくことが多い。


アカペラの「ウイミン」で終了。
渋谷クアトロの頃は、指を鳴らすように客席に求めていたが、最近は指鳴らしがしんどいためか手拍子が多い。
個人的には指鳴らしの音に、アカペラのハモリがマッチしているように感じる。


この日はギターの堀越信泰の演奏がやたらに切れまくっていた。
本当に上手いギターだとつくづく感じた。
どちらかといえば寡黙で、音楽活動を休止していたときも理由はどこにも語られていなかった。
その点では、服部夏樹とは対照的である。
服部夏樹はかなり特徴のある音作りをするが、ステージで語り、反核運動のビラまで入れていく。
最近はそのようなビラもめっきり見かけなくなったので貴重であるが、「フトンメイキン」や「飛龍頭(この日は演っていない)」などは、堀越信泰の本領発揮といった感がある。


やはり、この日は「カメラ」の新作アレンジと「理由なき普通」の存在が大きい。
この曲を聴けた、というのはもちろんだが、今後意欲的に旧譜にスポットを照らし、一曲一曲に命を吹き込んでいく意欲が感じられたからである。
「次は~が聴きたい」と思うのは当然だが、本来それは野暮なことなのかもしれない。
だが、あえて書くと、次は「ねじれ」が聴きたい。


最近忙しく、更新が遅れまくっている。
ライブレポが1本(2/10のマンダラ2)、カレーレポも何件か溜まっている。
仕事をひと段落させて、早いところ上げたい。







spitzさざなみOTRカスタム/さいたまスーパーアリーナ(2009・1・18)


01.ルキンフォー
02.Na・de・Na・de・ボーイ
03.けもの道
04.桃
05.スパイダー
06.不思議
07.点と点
08.チェリー
09.砂漠の花
10.ハニーハニー
11.メモリーズ・カスタム
12.恋のうた
13.P
14.楓
15.ロビンソン
16.ネズミの進化
17.夜を駆ける
18.僕のギター
19.渚
20.トンガリ'95
21.8823
22.俺のすべて
23.漣


24.群青
25.空も飛べるはず
26.春の歌


本当は早いところ原マスミのライブレポを上げたいのだが、その前に行っていたライブのレポを一つ。
もう1ヶ月経っているが、今日より早い日はないので、上げることにする。
ただ、ライブの同伴者からSpitzの曲名を教えてもらったので、リストは間違いないと思う。
兼好法師ではないが、やはり「先達はあらまほしきもの」である。


Spitzのライブは、昨年の宇都宮以来2回目。
今回のようなアリーナ式の会場に足を運んだのも、昔に小沢健二で横浜アリーナと武道館に行って以来で、さいたまアリーナは初めて。
今後も、おそらくここまで大きな会場に行く機会は、そうそうないであろう。


前回の宇都宮の会場は、東武線の宇都宮の隣かその隣ぐらいの駅から、少し歩いたところにあった。
だが、前日に東武線の株主優待券を金券屋で購入していたので、都心のライブハウスに行くのと変わらぬ交通費で行くことができた。
その日の感想としては、「歌が上手い」「値段が安い」「ゆったりして観やすく聴きやすい」と、いいこと尽くめであった。
純粋によいライブであったと思い、またチケットが取れれば来たいと感じた(「取れれば」というのがなかなかきついが。


アリーナは、駅から降りたときにまず普段とは違うことが感じられる。
建物は目の前にドンとあるのに、なかなか一番遠いゲートには辿り着かない。
体は建物に着いているのであるから、なかなか席に行き着かない精神的な焦りは、説明するまでもないかもしれない。
席に辿り着いたときには、1曲目は始まっていた。


本当であれば、いつものように1曲ずつレポを書いていきたいところではある。
だが、CDでも聴けば思い出すであろうが、日も経ってしまっているので、箇条書きで思ったことを記す程度にしておく。
どうでもよい内容も含め、書き記す。


・「ルキンフォー」の前奏、間奏は、「ロビンソン」が壊れた感じである。
・「けもの道」は、チャゲ&飛鳥の「Say Yes」に似ている雰囲気である。
・「スパイダー」は、Spitzを知ったきっかけの曲で、今でも斬新な開放感を感じる。宇都宮と両方で聴けたのはありがたい。
・宇都宮でも感じたが、「砂漠の花」はやはり歌唱力の上手さが際立つ。この曲1曲でも聴きに来る価値はある。
・「ロビンソン」「渚」「空も飛べるはず」あたりがまず聴けることは、行く前から予想が付いていた。大きな会場であれば代表曲は演らないわけにはいかないのだろう。
・宇都宮のアンコールの「青い車」だけは聴けなかったが、あとは大体演奏したと思う。
・演奏が予想された「大宮サンセット」は演奏しなかった。


本来であれば、「歌は上手で、大変満足のいくライブであった」と述べるところである。
だが、前回の宇都宮と前日の「ワイト島の奇蹟」があまりにもよかったために、多少残念に思うところもあった。


正直、音質は宇都宮の方が遥かによかった。
Spitzが小さく見えるのは覚悟していたが、やはり全客席にまで音を届けるとなると、音の質やバランスが犠牲になってしまうところはあった。
宇都宮は普通に見える距離で、なおかつクラシックを演奏してもよいホールであったため、残響なども美しかった。
「ワイト島の奇蹟」は非常に狭い会場で(おそらく100人ぐらいしか入っていない)、舞台と客席の近さは異常であった。
おそらく、今のSpitzはそんなことをしたくてもまずできない。
最後の砦であった「アリーナ」も、とうとう解禁してしまった。
その意味では、ワタナベイビーは大変幸福者と言えるかもしれない。
ホフディランでオンエアの一番広い会場を満員にできるにも拘らず、あんなに狭い会場や地方回りも自由にできる。
それだけではなく、サードクラスのベーシストとして普通にライブに参加している。
あの雰囲気のあの規模のバンドのベースは絶対に楽しいはずで、ピンやユニットでしかやってきていない経歴であれば、それはなおさらである。
メジャーで成功し、40を過ぎてインディーズバンドのメンバーに加われるというのは、ある意味奇跡的なことである。
おそらく事務所も、毎日のようなライブ活動で創作性を取り戻したワタナベイビーを見ているために、プラスになると判断して許容しているのであろう。


Spitzのリストは、初期の歌もないではないが、代表曲と新作アルバムが中心である。
末期のオフコースのライブは、新曲を1曲やる以外は全部ヒット曲であったレポを読んだことがある。
大きな会場であれば、やはりやれることには制約が生まれてしまうだろう。
「惑星○のテーマ」などは、本人が演奏したくても、100パーセント却下されてしまうであろう。
個人的には「Y」が最大の名曲であると思うので、それを生でいつかは聴いてみたいとは思う。
ただ、アリーナではおそらく聞くことはできない気がする。
神楽坂の狭い会場では、もうSpitzは演奏することはできない。
それを思うと、少しSpitzが気の毒にも思えてきたところはあった。
最近、スタジアムロックを特集した海外の音楽ドキュメンタリーが衛星放送で放映されたが、大きくなりすぎて自由にできなくなってしまったバンドがあった。
最終的には、そのためにバンドを解散したのだが、Spitzには細く長く活躍してほしいものだと思った。


アリーナからの帰りは、大宮駅まで歩いた。
親不孝通りを通って、自分が大宮に来ていた頃との変化を実感しながら電車に乗った。
もっといろいろなことを書こうと思ったのだが、このぐらいにする。
後で気が向いたときに書き足す可能性は十分あるのでご了承願いたい。




ワイト島の奇蹟/神楽坂EXPLOSION(2009/01/17)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              


ワタナベイビー
1.遠距離恋愛は続く
2.恋の年賀ハガキ
3.ビュリホな女の子
4.恋する年頃
5.一緒に暮らそう
6.8days a week
7.スピリチュアル
8.昨日より若く
9.雨上がりの夜空に
10.美しい音楽


石川浩司
11.一人闇鍋
12.かぶらぎの教え
13.ガウディさん
14.ヒーロー数え歌
15.はげあたま
16.夜の牛たちのダンスを見たかい
17.オンリーユー


TOMOVSKY
18.歌う43歳
19.疎遠
20.不惑
21.サンタクロースを待ってる 2月に
22.SKIP
23.あのハナシのつづき
24.我に返るスキマを埋めろ


セッション
25.ハローワイト島
26.1ラウンドでノック・ミー・ダウン
27.ジンガは静かにしなさい
28.ワルクナイヨワクナイ


29.脳
30.冥王星
31.スマイル
32.ハローワイト島


ライブから1週間以上過ぎてしまい、賞味期限切れのレポになってしまったが、忘れる前に書いておくことにする。


普段、1月といえば「不思議な正月の夜」を演ることが多く、何度か観に行ったことがある。
知久寿焼+ワタナベイビー+TOMOVSKYに、全てのバックを兼ねてサードクラスが入る。
昔、六本木であった「幻燈音楽会(原+知久+遊佐)」で言えば、栗コーダーカルテットの役割をサードクラスが果たしている。
「不思議な~」シリーズは、サードクラス以外高音の声質に特徴のあるボーカルが揃い、興味深いラインナップである。
今年はいつまで経っても告知がないので期待していなかったのだが、普段と違う面子で似たような企画が行われることになった。
TOMVSKYは横浜での「不思議な正月の夜」以来、ワタナベイビーは渋谷のオンエアの「遠距離恋愛は続いた」以来である(ホフディラン復活ライブ)。
石川浩司は、昨年千倉と吉祥寺SPCでたま復活ライブを観て来たが、単体で観にいく機会は一番少ない。


神楽坂には、早めに着いた(「ついたー」と石川浩司の叫ぶ声が聞こえた気がする)。
徒歩0分なのですぐ見つかるだろうと思っていたが、反対の改札から出たため、少しだけ時間がかかった。
「混雑が予想されるため公園で並ぶように」とのチラシが、ドアにぶら下がっている。
開場時間の15分前に公園で並んでいないと、整理番号に関係なく後ろに回される記載があった。
きっと混乱が起こるだろうとは思ったが、珈琲館で時間をつぶした後、記載どおり公園に行くことにする。
その公園は普段は犬を連れた地元民の溜まり場のようなのだが、見慣れない若い女性の集団がいたため「何があるのか」と声をかけられた。
開場15分前に整理番号順の整列と誘導が始まったが、半分以上は未到着かと思われた。
はとバス観光ツアーのように、整列状態のままライブハウスに移動。
神楽坂界隈では、さぞかし異様な光景であったであろう。
案の定、整理番号が若い客が次々やってくるが、列の最後尾に回される。
教訓としては、
・初めての会場の場合は、早めに行って入場方法を確認しておく。
・会場の入口の掲示やチラシなどは見落とさないようにしておく。
といったことであろうか。
個人的には早く入れる恩恵を受けたのだが、教訓が加わる次回はきっと番号どおりに整列入場になるであろう。


狭いEXPLOTIONの階段を降りると入口だが、ドリンクの引換口がどこにも見当たらない。
ほとんど全ての客が帰り際に引き換えることになったのだが、物販ゾーンの横にあった。
3列目ぐらいのほぼ中央で見ることができたが、おそらく整理番号は100枚前後しか出ていないと思われる規模であった。
舞台は客席と変わらない広さで、最前列の客のすぐ前にボーカルマイクがあった。
以前購入した「月刊ワタナベイビー」の地方回りのライブの雰囲気が、東京の山手線の中にあったのは驚きであった。


楽屋口はなく、密集の人並みを掻き分けワタナベイビー登場。
「ワイト島のワ担当ワタナベイビーです」というMCで、今回の企画の名前の謎が解ける。
ワタナベイビーは今回の企画にやる気満々で、「ワイト島、第2回も絶対にやるぞ」と他のメンバーの登場前から一人で盛り上がっていた。
「遠距離恋愛は続く」でスタート。
久々に聴いたせいか、目の前で聴いていたせいか、ワタナベイビーのギターのストロークが上手に聴こえる。
数日前の双葉双一のギターに耳が慣れていたせいか、和音のチェンジがスムーズに切り替わり心地がよかった。
ワタナベイビーの曲は単純なコード進行に見えて、実は細かい。
和音のつなぎで、スコアを見たわけでないので断定できないが、+5やSUS4などを入れている気がした。
その細かい処理が、間延びしない連続感を生み出しているのかもしれない。
「恋の年賀ハガキ」へと移るが、ワタナベイビーは手拍子や掛け声を求めるため、慣れない自分は戸惑うところがある。
よく足を運ぶ原マスミの弾き語りは、手拍子どころかギターの最後の音が消えるまで拍手もしないのが通例である。
せいぜい、バンド版(といいつつアカペラだが)の「ウイミン」で指をみんなで鳴らすぐらいである。
たまも、「おやすみいのしし」以外に手拍子曲はなかったと思う。
ワタナベイビーがたまに加入していたとしたら、そのあたりで苦労していそうだ。
「ビュリホな女の子」「恋する年頃」へと続く。
ワタナベイビーの歌詞は、ラブソングが多い。
だがありきたりなテーマのはずなのに、他の誰にもない独自の世界がある。
小物や具体例の用い方でぶっ飛んだところがあり、例えば「君のドナーになる」などといった主題のラブソングなど他の誰も思いつかないだろう。
「恋する年頃」で言えば、「君が87歳でも僕は恋をする」の部分が気に入っている。
40歳を過ぎてもラブソングを書き続けられるのは、根本的に無関係のテーマと結び付けられる力強さ・強引さがその要因であろう。
ここでウクレレの登場。
昔マンダラ2で、柳原陽一郎と柴草玲と共演したとき(蜃気楼中央線)は、普通の形のウクレレをエレキにしたものだったと思う。
ディレイをかけて「牛小屋」を弾いたり、楽器に口を当てて声を出し宇宙通信のようにしたり、遊べる楽器であると感じた。
そのときのヤナネットのライブレポはボリュームたっぷりで(通称「みーやん」という有名な人が書いたもの)読み応えがあった。
だが、その後ヤナネットはライブレポが入らなくなり、アンケートの抜粋だけで終わるようになってしまった。
ライブは確かに生ものだが、優れたレポはその場の空気を伝え、次にライブ会場へ足を運ぶ欲求を喚起する力を持つ。
労力も依頼費もかかるかもしれないが、あのライブレポの形を復活させてほしいと思う。
ヤナネットの山田さんだったか忘れたが、ぜひここを見たら再検討してほしい。
ここ数年、記念碑的なライブも数多くあったので、掲載が遅れても構わないから振り返れるようにしてほしいと感じる。
話をワタナベイビーのウクレレに戻す。
今回は、韓国のKウエーブという会社のギターデザインのエレアコウクレレであった。
宮崎県のツアーで購入したらしい。
この楽器で「一緒に暮らそう」とビートルズの「8days a week」を演奏した。
いわゆるウクレレ風の単純和音ストロークでなく、バンドのリードギター風のウクレレ演奏であった。
高音の音の移動が感じられるので、構成の割に退屈しない。
「8days a week」を聴いて、昔昭和の流行歌で「一週間に十日来い」という曲があったことを思い出した。
ビートルズの場合、忙しくて「週に8日」であったので、関係のないどうでもよい話ではあるが。
「スピリチュアル」「昨日より若く」と、「不思議な~」シリーズでおなじみの曲が続く。
バンドが付けば、全員でコーラスのハモリが付くところである。
アルバム「ベイビースター」は、聴き手に生きる希望を与える名曲が多い。
おそらくその頃、第1期ホフディラン末期の停滞期から立ち直り、ライブをほぼ毎日こなす中で音楽や創作への意欲を取り戻したのであろう。
これは、ワタナベイビーにとっての「快復期」とも言えるであろう。
カバーで「雨上がりの夜空に」を連続で演奏している最中に、第1部終了のOKが出る。
そういえば、ビストロサンジャックには厨房への入口に忌野清志郎の暖簾がかけてあった。
ガンの再発後、近況が出ていないのは気になるところである。
RCサクセションは、「宝くじはいらない」「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」あたりの歌詞が好きである。
お金で買えないものこそが大切であるという考え方は、今でも共感でき、そのような考えを持ち続けていたい自分がいる。
札束を衣装に坂本龍一と歌っていたときとは、まるで別人にも思えるが。
「美しい音楽」で終了。
初期ホフディラン時代の曲をもっと聴きたかったところはあるが、おおむね名曲が多く、充実したステージであった。
あと、ワタナベイビーには歌の途中に平気でMCを入れて、普通に曲に戻る図太さというか力強さがある。
このような小さなライブハウスで、観客とコミュニケーションを取れ一体化できるのも、この力によるのであろう。


ワイト島の「イ」担当、石川浩司登場。
「たまの最期」のライブ以降ランニングは着用していないが、鍋や桶をパーカッションとして組み合わせた楽器は今でも用いている。
ただ、第2部はギター(バックパッカー)での弾き語りとなる。
「一人闇鍋」から始まる。
千倉のときも、確かそうだったと思う。
「具が全部分かってる」などの部分で笑いが起こる。
「かぶらぎの教え」も「コードが全部同じ」とMCが入り、歌う。
「鏑木」という名前の読み方が分からないという設定の、携帯電話のCMが昔あったのを思い出した。
なお、2番と3番は「山下」「井上」の教えであった。
たま時代の曲、「ガウディさん」の演奏となる。
千倉のときは、三味線の人と合わせていた。
今回もセッション用に使うのかと思ったが、ソロステージでの演奏となった。
癖の強くないしっとりとした曲で、メジャーセブン系の和音が支配する、石川浩司にしては珍しい曲である。
この日初めてのお披露目となる「ヒーロー数え歌」で、いったん楽器を置く。
ワタナベイビーから「手拍子は観客に求めるもの」と学んだとのことで、手拍子のみのアカペラとなる。
「ひみつのあっ子ちゃん」「不思議なメルモちゃん」など、昔のアニメのヒーロー・ヒロインが散々な目に遭う曲であった。
楽器がない分振り付けも大きく面白かったが、突っ込みどころ満載の無茶苦茶な歌詞であった。
「ヒーロヒーロー、ヒロヒロヒーロー」の部分が、今でも頭の中で鳴っており、生活に支障をきたし大変困っている。
「はげあたま」は、昔しょぼたまで聴いたことがある。
その日の知久寿焼は、ホーミーのやりすぎで声が出なくなってしまっていた。
「あるぴの」「安心」と口笛だけの曲ぐらいしか知久曲はなく、それ以外は滝本晃司と石川浩司のレア曲ばかりであった。
S.P.C.での復活ライブもこの日も聴いたが、初回の印象がやはり一番強かった。
4番まであって、「福笑い」「井戸」の部分はよく覚えているのだが、あとはあまり記憶がなかった。
もしかしたら、マイナーチェンジをしているのかもしれない(単に覚えていないだけかもしれない)。
今年は丑年で年男とのことで、「夜の牛たちのダンスを見たかい」の演奏となる。
この曲はまったく知らないが、マイナー調の曲である。
ロードローラーと言えば、『おっとあぶない』という古い外国の絵本があり、「おせんべいになっちゃう」という一節が印象的である。
最後は、「オンリーユー」で終了。
先のしょぼたまのレア曲ステージの際の評判がよく、それからよく演奏しているようだ。
千倉でもソロステージの最後で演奏していた。
「そのままでいい」「変わるのはしょうがない」といった現状肯定のメッセージは、現状否定に置かれている境遇の身にはおそらく感じるものがあるのであろう。
全体として、たま時代より声は結構出ていた。
たま時代は、自身の曲の披露はステージ全体の1/3どころか、1/4以下だったかもしれない。
だが、この1年、地方もよく回りたった一人でステージを多くこなしたことが、年男になっても力強さをつけてきた理由であろう。
ステージのほとんどを占める他の共演者のファン(石川浩司単体のファンはチケットの取りにくさからほぼゼロであったと思われる)にも、おおむね好評であった。
予想より滑らず、楽しめたのが実感である。


3番目は、TOMOVSKYの出番である。
一人で演るときの、多重録音のMDとバスドラムとがセッティングされる。
ギターは、初めて見たときは裏側にだけ「カステラ」などのステッカーが貼ってあったが、今は表側もベタベタである。
ワタナベイビーのギターと、そう変わらなくなっている。
黒いスーツ姿で登場する。
いつもの通り、「歌う43歳」でスタート。
初めて聴いたときは30代だったが、早いものである。
「歌う98歳」など、どんどん歳を重ねても頑張ってほしいものである。
この歌は短いながらも構成が凝っており、聴いていて飽きが来ない。
3拍子のリズムも心地よい。
「年賀状に返事を出さないと疎遠になっちゃうよ」とのMCで「疎遠」。
実は、この時点で予定の曲順から狂っていたようだ。
「ワイト島のワは、わだかまりのワ」などとバリエーションをいろいろ提示していたが、最後はいつも「トモフのト」であった。
このバージョンが、「ワーオ」「イェー」と来たので、てっきり「忘却toハピネス」になるかと思いきや、曲順忘れを思い出し「不惑」。
「忘却toハピネス」が一番好きな曲なのでそれは残念だが、こちらの曲も聴き応えがある。
「迷わないのではなく、選択肢がなくなり迷えない」という歌詞は大変重く、身につまされる。
この日のメンバーと違い自分はまだ不惑を迎えていないが、選択肢は確かになくなっている怖さはある。
TOMOVSKYはワタナベイビーと対称的に、全くといってよいぐらいラブソングがない。
メジャーのカステラ時代からそのような曲の記憶があまりなく、「B型で島に集まって国を作る」ような歌を作っていたはずである。
ソロになってからは一見テーマになりにくいような社会観や人生観を、耳当たりの悪くない音楽で包んで提示する作業を続けている。
作業というと誤解を生みそうであるが、次の「サンタクロースを待ってる 2月に」も緻密な下準備が施された演奏であった。
バンドバージョンと異なり、ひとりTOMOVSKYの場合は宅録を完全に作り上げてそれに合わせたセッションを行っている。
「サンタクロースを待ってる 2月に」は、サビでコーラスが入るのだが、それがよい。
おそらく生の声ではなくハイパスがかかっている感じで、「アイタイヒトトダケ(だったと思う)」あたりの不思議さを感じさせる音も作り込んだ作業によるものであると感じさせる。
ワタナベイビーもTOMOVSKYも、この日はいなかった知久寿焼も、実はメインボーカルよりもコーラスでの存在感が強い。
ハモったときに独自性の高い声質で、メインボーカルを喰ってしまうところがある。
たまやユーヒーズのCDなどで、これが顕著に見られる。
「サンタクロースを待ってる 2月に」に戻ると、間奏か後奏かで3拍子に切り替わり、クリスマスソングになる部分もよかった。
「SKIP」「あのハナシのつづき」「我に返るスキマを埋めろ」と、新曲を含む、生では初めて聴く曲が続いた。
この日一番期待していたのがTOMOVSKYだったが、やはり期待に違わぬステージであった。
独自の歌詞、あまり他にない3拍子の曲調、観客との一体感。
TOMOVSKYは客をいじるというか、コミュニケーションを持つことが多いが、同じ千葉県のミュージシャンで似たタイプがいた。
千葉市の真砂あたりだったかの出身のSKIP COWSのイマヤスで、この人も客との触れ合いが多い。
この日のTOMOVSKYは最前列の客にもたれかかっていたが、イマヤスは文字通りスキンシップタイムがあり、客席に下りて頭をなでて回る。
「鎌ヶ谷大仏」という千葉限定CDを出したとき、鎌ヶ谷大仏のそばの商店会の夏祭りでライブをしたのを聴きに行ったことがある。
なのはな体操を全国ネットのラジオで紹介したりなど、千葉への郷土愛が強いところがあり、MCの雰囲気などもTOMOVSKYと近いものがある。
TOMOVSKYも何年か前のディナーショーで、千葉県の給食風の献立を用意したことがある。
他の県でミルメークが一般的でないかどうかは分からないが、千葉県人の感覚として通じるものがあった。


そしていよいよ、待ちに待ったセッションステージとなる。
ワタナベイビーはベースに、石川浩司は自前のパーカッションに楽器を持ち替えてスタート。
この日のために作られたテーマ曲、「ハローワイト島」でスタート。
サードクラスでベースのサポートをしているせいか、ベースボーカルとしてかなりしっかりと演奏している。
石川浩司も、やはり叩き物の方がより能力を発揮している。
「ワイト島、ワイト島、ワーイワーイワイト島」の主題は、3度上でワタナベイビーがハモる役割分けであった。
主題の後は、ワイトの順にそれぞれが即興で歌というか語りが入った。
ワタナベイビーは「もっとスマイル」と、石川浩司は「ワイト島の由来」をそれぞれ楽器の音に乗せていたが、最後のTOMOVSKYは非常にやりにくそうであった。
石川浩司の後では何をやっても普通に見え、インパクトが弱くなってしまったのは確かに事実である。
「1ラウンドでノック・ミー・ダウン」で、TOMOVSKYが石川浩司のパーカッションを叩いた。
前にサードクラスの前座で「さよなら人類」を演奏し、そのときはドラムを叩いていたので、このような展開もあるとは予想していた。
「これを叩けるのは普通に羨ましい」と、たまのファンでもあったワタナベイビーは呟いていた。
石川浩司は、この曲では合いの手(かなり喋る部分がある)に徹していた。
この曲はもともと、たまと一緒にレコーディングされたものなので、たまのメンバー以外とは演奏していないらしい。
またワイト島の企画があれば、おそらくまた聴ける曲であるだろう。
石川浩司の、「ジンガは静かにしなさい」へと続く。
TOMOVSKYの「ワルクナイヨワクナイ」で、本編終了。
この曲はやはり素晴らしく、3拍子が軽快に流れ、等身大の自分を過度に肯定も否定もせず見つめ歩いていくTOMOVSKYの真骨頂が見られる。


当然のようにアンコールで再登場。
順番を入れ替えて、TOMOVSKYの「脳」。
ここで客席のはかまだ卓にステージに上がるよう指示し、モーゼのように会場が割れ(「出エジプト記」だっただろうか)、はかまだの登場となった。
石川浩司はキャスター付きのパーカッションを後ろに下げ、はかまだ卓が石川浩司と変わらないぐらい張り切って盛り上げた。
石川浩司は「冥王星」。
冥王星自体が惑星から外れてしまったり、この曲がエンタの神様で引用されたりと話題が豊富な曲である。
この手のメロディラインはそもそもが「よくある」和音展開で、あまり細かいことを突き詰めると「冥王星」自体もプレスリーの時代の作曲者に訴えられてしまう可能性がある。
「さようならー」まで含んで引用したのであれば、やはり出展と事前承諾は必要だったと思うが。
最後の部分で、腕に強く息を吹きかけて出す擬音の印象が強く、やはり次のワタナベイビーはやりにくそうではあった。
やろうかやるまいか迷ったという「スマイル」の演奏になる。
TOMOVSKYはベースラインをギターで弾いていたので、ワタナベイビーのベースを借りてもよかったのではとも思う。
ホフディランのデビュー曲であり、この曲で知ったという層も多いと予想される。
だが、この曲はリアルに聴いていた頃よりも、後から何回も聴いたときにそのよさが理解できてくる。
ワタナベイビーの書く歌詞には、嫌味や皮肉がない。
表現はともかく、伝えたいメッセージは真っ直ぐで、素直な内容である。
社会がどんなに薄汚れ自分自身が傷付いていても、ワタナベイビーの音楽を聴いているときにはその全てを忘れさせ、きれいな心の自分でいられる。
「スマイル」も、おそらくは自分自身にも向けた人生観のメッセージであり、「スマイル」であることが何よりも大切だと訴えかけている。
悲しく辛いときも、「スマイル」。
たまに柳原陽一郎がカバーするチャーリーチャップリンの同名曲も、きっと同じようなメッセージが込められているのではないか。
最後にもう一度、「ハローワイト島」で終了。
石川浩司は即興が利かない分だけ、事前にネタを十二分に練りこんでくる。
たまの歴史が「カステラに始まり、ホフディランに終わる」とした部分は大変きれいにまとまり、この後でTOMOVSKYがコメントを思いつかなかったのも無理はなかった。
エンディングは、石川浩司が新たな楽器を取り出してしまい、なかなか終わらず何とか終了。
本当か分からないが、再来月に次回があるとのことである。


期待していた「さよなら人類」や「とんかち」、「れいこおばさんの空中遊泳」などは一切なかった。
だが、この会場の雰囲気と空間、この組み合わせは、大変充実しており、本当に来てよかったと感じた。
次回は「とんかち」あたりも解禁してもらい、準備に時間のかかりそうな曲も含め、演ってほしいものと思う。
ワタナベイビーが非常に乗り気なので、おそらくまた次のセッションも見られるであろう(3月かどうかは別にして)。
もっとも、こんな狭いところでこんなに豪華なライブをされたら、チケットを取れるかどうか分からないが。






新春 陰気な二人旅(知久寿焼+双葉双一)/柏WUU 2009・01・13


1.お高くとまった季節
2.(「あー都会の」で始まる歌)
3.4月下旬並みの陽気
4.スポーツと気晴らし
5.岬の上
6.タワーホテル
7.お嬢さんよろこんで
8.恢復期


9.らんちう
10.ロシヤのパン
11.きみしかいない
12.金魚鉢
13.電車かもしれない
14.ちょっと今ここだけのうた
15.ギガ
16.おるすばん
17.いちょうの樹の下で
18.ゆめみているよ
19.ひとだま音頭
20.月がみてた


21.石の街
22.死んぢゃってからも


柏の街は久しぶりである。
昔は定期券を買って足を運んでいた街だが、年月が経ちカレー屋「ボンベイ」ももう既にない。
今回のライブハウスWUUは、柏が庭だった頃と時期が被っているはずなのだが、忙しかったせいかあまりキチンとした記憶がない。
歩き慣れた細い路地の、初めて乗るエレベーターで5階へと向かう。
平日の早い時間の開場のせいか、さほど人が多くない。
入口で10周年記念の焼き菓子(マドレーヌやフィナンシェ)を貰い、舞台の近くに席を取る。
焼き菓子は美味しく、大変得をした気分であった。


最初は双葉双一のステージである。
細く長身で、さらりとした髪が耳も隠している。
なかなか美しい青年といった感じで、ギターを弾いてステージに立っているだけで華がある。
どのような音楽が聴けるのか予想もつかなかったので、楽しみに思いながら曲が始まるのを待った。


ギターとハーモニカを身に携え、「お高くとまった季節」が始まる。
正直、「好き嫌いが分かれる」と感じた。
他の曲にもかなり通じるのだが、特徴を箇条書きする。
・ギターはビートやアクセントをつけずに、ダウンアップのストロークのみ。イメージとしては、「夢見ているよ」のアクセントを外したような弾き方が全曲に渡って続く感じ。
・声は悪くない。音程は言葉優先の発声のためいわゆる旋律に乗せてくる歌い方ではなく、流れで旋律につなげていく歌い方。
・絶叫はなく、淡々と言葉を発するため、滑舌が回るタイプではない。文字が多い部分は舌足らずに聴こえるところもある。
・ハーモニカの音は美しい。ギターは4拍分ギリギリまで和音をキープせずに、次の小節の指の押さえの準備を始めてしまうところがある。
「お高くとまった季節」に関しては、タイトルと同じ言葉が何度も出てきてその言葉は印象に残るのだが、和音的にはGやCなどのシンプルな展開であり、印象に残りにくい。


MCの語りを聞いて、似たような雰囲気を持つ歌い手を思い出した。
やはり、以前の知久寿焼の共演者で、沢田ナオヤという名前であった。
声は言葉の聞き取り安い倍音成分を含み、ギターも難しい和音も美しく分散和音を奏でる。
曲調も心地よく、また聴きたいと思わせるものがあるのだが、MCがともかくグタグタなのである。
おそらく、沢田ナオヤは家で地道にギターを一日中弾いていて、1週間ぐらい人と会わなくても大丈夫なタイプであろう。
ルックスとハーモニカは双葉双一の方が美しく、曲調とギターは沢田ナオヤの方が上品である。
だが、MCは客席との対話ではなく、自己完結に近い形で度肝を抜かれる。
この二人のMCの大きな違いは、沢田ナオヤが何とか場を盛り上げようと慣れない話をするのに対し、双葉双一の場合は「狙っている」感があるところである。
双葉双一の場合、「自分を見せる」という姿勢ではなく「魅せたい自分を提示する」という志向が強い。
逆に言えば、取るに足りない自分の部分は切り捨て、表現対象としての自分となりうる部分だけを結晶化させて提示しているとも言える。
後でも触れる予定だが、反自然主義的な立ち位置を表明しており、見た目の細さにつりあわないポリシーの強さを感じる。


2曲目は、曲名を言わなかったがメロディアスな曲調で悪くない。
「天使のワッカ」というフレーズから「天使とドライブ」かと思ったが、youtubeを聴く限り、別の曲のようだ。
リフレインのない歌詞で、どんどん世界が提示されていく。
双葉双一は言葉でまず世界を作る人であると、この曲を聴いて感じた。
お辞儀をするときに、ちょこんと左足を後ろに下げて立てる仕草がなかなかよい。


「4月下旬並みの陽気」は、「お高くとまった季節」と同様、合わない人にはまったく合わない曲であろう。
普通、歌詞と曲があれば、歌詞の世界の展開や転換を曲の構成で補完するのだが、この歌にはそれがない。
あくまでも、歌詞の世界が全てで、曲の部分は画用紙の余白程度のアクセントしか持たないような感を受けた。
楽器として優秀な声の持ち主もいるが、双葉双一はどちらかといえば吟遊詩人である。
言葉の響きを犠牲にするぐらいなら、音程のピッチを犠牲にするほうがよしとする精神を持ち合わせている。


「スポーツと気晴らし」というタイトルは、どこかで聞き覚えがあった。
調べてみたら、エリックサティの曲で、同じ曲名があった。
サティは「干からびた胎児」や「梨の形をした3つの小品」など、イメージを喚起するような意欲的なタイトル曲が多い。
サティの曲調とはかなり違うが、この魅力あふれるタイトルのリストを見て、「自分なら」という思いを抱いた曲があっても不思議ではないだろう。
ちなみに、双葉双一の曲は文芸的な色彩が強いところがあり、知る人が見れば出展元が分かるものも少なくないだろう。
双葉双一のブログにリストが上がっているだけで音源化はされていないようなのだが、「快復期」という曲があった。
記憶に間違いがなければ、アナトール・フランスの『少年少女』という三好達治に訳された短編集に、この話が掲載されていた。
岩波文庫(岩波少年文庫ではない)の絶版本だと思われるが、味のある美しい挿絵と珠玉な小品が並ぶ、名作である。
個人的にはこの作品集の中にある「快復期」が一番好きで、それを歌にしていたのであればぜひ聴いてみたいところである。
「快復期」の素晴らしいところは、病やそれ以外の苦しい思いをしている人間に対して、「快復期」という概念を提示してくれるところである。
「今、自分はだんだん快復の状態に向かっているのだ」という、「快復期」という概念を知らなければ気づかない喜びをもたらしてくれる。
おそらく、双葉双一にも「病」の状態を乗り越えた経験があり、その際の徐々に快復していく喜びをこの言葉によって知った過去があるのであろう。
図書館や古本屋でなら残っているところもあると思われるので、ぜひこの作品集は読んでほしい。


「文藝系」という括りで、双葉双一はオムニバスアルバムに収録されたことがある。
そのアルバムには、緑川伸一(後のミドリカワ書房)なども、収録されている。
「文藝系」という括りで何もかもまとめられる方はたまったものではないかもしれないが、この試み自体は興味深いものがある。
ミドリカワ書房は、倉橋ヨエコと共演したときに観にいったが、見た目もさわやかで(小沢健二風)なかなか楽しめた。
ただ、テーマとして「いじめ」や「万引き」など、社会問題などを取り上げているところが、他にない特徴がある。
ミドリカワ書房については大変優れたレビューをネットで見つけたので、紹介したい。
トラックバックの仕方すら知らないので、無断であることをお詫びしたい。
http://neo.g.hatena.ne.jp/sloegin/20070216
「ステレオタイプの再生産」、これだけ優れたこの手の音楽評論を自分は知らない。
断っておくが、最大公約数としての「ステレオタイプ」の果たす役割を、自分は必ずしも否定していない。
最大公約数であるからこそ、伝えうる可能性があると、考えている部分もある。
だが、この一言による的確な描写、このような評論をネット上で見ることができるようになったとはよい時代である。
見ず知らずのブログを勝手に紹介して申し訳ないと思うが、伝えずにはいられなかった。


「スポーツと気晴らし」に話を戻すと、実体験に基づいたスポーツというよりも、スポーツを記号的に捉えた世界に感じた。
このあたりから、双葉双一ワールドに徐々に慣れ、違和感の部分は少なくなった。
「舞台は地中海に」とコメントを残して次の曲に入るが、同名の曲は見当たらなかったので、歌い出しの「岬の上」が曲名でもあるのだろう。
2曲目と同じように、メロディアスで聴きやすい。
この2曲などは、弾き語りよりフルバンドをつけた方が、曲としての完成度は高くなるように思える。
和音をかき鳴らしながら、1音だけ音をずらしていく世界も決して悪くはないのだが。


「タワーホテル」は、この日一番の名演であった。
他の曲と違い、サビ以外の部分は旋律をつけずに言葉を語る。
「らら~らーららら、タワーホテルで待っててね」のサビが繰り返されるたびに、クローズアップの像から一歩引かれたイメージ像に切り替わる。
双葉双一のよいところだけが伝わる曲であり、世俗の喧騒をシャットアウトする美学が存分に発揮されている。
そうは思いながら、何か他のアーティストに通じる印象を持つに至った。


森田童子を知ったのは、最後のアルバムをリリースしたときだった。
この人にしては珍しく、FMラジオにゲスト出演したり、朝日新聞の夕刊に短期集中エッセイを寄稿したりしていた。
その後、何年も経ってからドラマの主題歌で取り上げられて、何故か初期のアルバムが爆発的に売れることになったが、自分の知るのは最後のアルバムのみである。
森田童子の世界も、ギターを弱々しく弾きながらハーモニカを吹き、サングラスとは不似合いな透明な声で言葉をつぶやくスタイルである。
表現する言葉の世界の中身こそ違うが、音程を必ずしも優先しない歌い方も含めて、共通点があるように感じた。
「サナトリウム」や「雪よ降れ」などの森田童子の歌詞の世界は、閉ざされた世界から外の世界を空想し、その心的イメージを具現化しているように見える。
双葉双一の歌詞の世界は、比較的理知的なテーマを定め、単なる一物語では終わらない一つの別世界を構築している、と個人的には考えている。
だが、どちらも現実とは違う異空間を作り出し、聴衆を引きずり込む芸風は、近いものがあると思う。
先の朝日新聞のエッセイかどこかで、興味深いことを森田童子は記していた。
森田童子は、「ギターのチューニングができない」ということを本人自らそこで述べている。
何でも、「人の話を聞くようになると、自然とチューニングはできるようになるよ」と言われたらしい。
おそらく、森田童子は人の話を聞かない、自分一人で勝手に世界を作っている人なのであろう(勝手な想像だが)。
双葉双一も、「チューニングは目を瞑って下さい」とMCで述べている。
お世辞にも、完全な調律をしているとは言えない。
現在であれば、高度なチューナーを入手することも可能なはずなのだが、それを拒否しているようにも思える。
おそらく(というより間違いなく)、双葉双一もまた人の話を聞かない人間だろう。
何かを聞いてそれに同調するという性分では決してなく、人の反応を気にすることなく、自分の世界を徹する藝術家なのであろう。
森田童子がより広く知られるようになった頃には、もう既に家庭に入り、人前に出ることはなくなっていた。
孤高の世界の作り手としての需要は、今の社会の中にもきっとあるはずである。
本人がそれを望んでいるかどうかは知らないが。


続いて、「お嬢さんよろこんで」が演奏される。
とにかく、ハーモニカの音が美しい。
ハーモニカは力任せに吹く演奏が非常に多いのだが、双葉双一のハーモニカは旋律が一つの管楽器としてしっかり聴こえ、ppまできちんと表現されている。
前奏も間奏も、大変聴かせてくれる。
おそらく、ギターと一緒にあそこまで美しいハーモニカを演奏する歌い手はいない。


最後の曲も、曲名が分からない。
「D♭の練習曲」か「追走曲」あたりであろうか(この曲こそが「恢復期 」と後に判明!)。
メリーゴーラウンドのような幻想的なイメージが湧いてくる曲で、聴衆に現実世界に戻ることを許してくれないまま双葉ステージが終わる。
世界に順応したためかもしれないが、後半はおおむね好演で、「歌詞より曲」志向の聴衆にも受け入れられたことに思う。


正直、自分が歌詞の世界を中心に聴くことができる人間なら、もっとこの日の演奏について書くことができたであろう。
だが、どうしてもギターの演奏や和音の展開などに耳が行ってしまう性分なので、このあたりで勘弁していただきたい。


後半、知久寿焼ステージ。
「らんちう」「ロシヤのパン」は、サンジャックと同じ6弦をオクターブ? 下げるチューニング。
「らんちう」の中間部は、「おじいさんとおばあさんが澄んでいました」バージョンかと思いきや、新作? であった。
マンネリ感をおそらく本人も感じていて、新たな試みを見せているのであろう。
「きみしかいない」は驚いた。
個人的には、初めて生で聴く曲である。
知久ステージ前半は初期の歌が多く、双葉ワールドに負けない世界と破壊力があった。
「金魚鉢」「電車かもしれない」と続き、ウクレレに持ち替える。
「ちょっと今ここだけのうた」は、比較的最近の曲である。
やはり、初期の曲と現在の曲では歌詞の世界が異なる。
一言で言えば、歌詞で「絵を描かなくなった」ような印象である。
柳原陽一郎にしてもそうであるが、等身大の自分を見つめ、リアルな経験や感覚をそのまま言葉にしている。
だが、表現者としては「嬉しい」とか「寂しい」とかいう言葉を用いずに、その世界を言葉で描き歌にしてほしいと思う。
双葉双一などの表現者とともにライブを行うことが最近多いのは、創作面においても刺激を求めているためではなかろうか。
そうであるならば、今後の転換点もまた見えてくる期待が持てるのではないだろうか。


「ギガ」は、今回はギターでの演奏。
個人的にはこちらの響きの方がこの曲には合っていると思う。
「ギガ」と言えば、KDDIの「ひかりoneギガ得プラン」が思い出されるが、最近PC/ネット絡みのブログ記事を上げていない。
少し落ち着いてきたら、またそちらも書いていきたい。
「おるすばん」「いちょうの樹の下で」で、ウクレレに戻る。
続いて、「ゆめみているよ」でギターのストローク。
この曲の伴奏は、双葉双一曲と近いイメージがあったのだが、少し異なりバリエーションも豊かであった。
「8ビートのアクセントありのアップダウンストローク」→「1拍ごとのスタッカート」→「ジャラーン」→「上昇アルペジオ」
もし、小節感をなくすのであれば、8ビートのアクセントは取った方がいいのかもしれない。
だが、「ゆめみているよ」は一言ずつ小出しに歌詞が出てくるので、ビートがあった方が聴きやすいところはある。
双葉双一に関しては、2・5曲目などを除いて、全体で一つの世界を作るノンビートが合っているとも言える。


「ひとだま音頭」「月がみてた」の定番曲で本編終了。
アンコールは残念ながら共演ではなく、知久曲のみ。
「石の街」「死んぢゃってからも」で終了。
今回、双葉双一がなかなか面白かったのが収穫であった。
沢田ナオヤあたりと東京で演ったら、ぜひ行ってみたいところである。


レポに1週間近くかかっている間に、別のライブを2本も観てしまった。
なかなかよいライブだったので、早いうちに上げておきたいところである。


カレーの店ばかりを紹介してきたが、たまにはレトルト系も少し。
カルディで半額で売っていたので、ビーフとチキンと2つ買ってきた。


最初は、ビーフカレーを食した。
ルーと呼ぶのも躊躇われるぐらいの水っぽい全体の中に、かなりしっかりしたビーフの塊が入っていた。
ルーは水っぽいながらもしっかりした辛味とコクを持っており、温かなご飯に染み込んだハーモニーがなかなか悪くない。
色物的なネーミングとパッケージであったためあまり期待していなかったが、期待以上の味で満足であった。
さらに、このカレーを食べて、以前に食べたカレーの何かに近いことを思い出した。


大学時代、アルバイトの給料が入った後、帰宅前に新宿でカレーを食べて帰ることがままあった。
金銭的に余裕のあるときは、「ハイチ」でラパドーを飲んだり、「ボンベイ」でコルマを辛くしてもらったりもした。
だが、当時は多くの場合、「値段の割りに本格的で美味しい」というコストパフォーマンスが重要視された。
「駅から近く」「それなりに安く」「それなりのスパイシー具合」を満たしている店が、新宿に2店あった。
1店は「イマサ」のインドカレーで、これは今でもあり、たまに食す。
ちなみに、昔は思い出横丁などのあるあたりの地上に店を構えていたが、西口地下街のハーゲンダッツの横に今はある。
昔は、インドカレーにも半分に切ったゆで卵が入っていた記憶があるが、今はない(オプション料金)。
もう1店が、新宿中央西口の出口専用改札(小田急乗換え口などごちゃごちゃしているところ)を抜けて、当時ロッテリアやパン屋と並んであったカレー屋である。
最後にカレー屋がなくなるときには、「OPTY(オプティ)」という店名であったようだが、自分がよく出入りしていた頃は別名であったと思う。
そこのカレー屋はメニューが豊富で、期間限定などのメニューもあったような記憶があるのだが、ある時期からは決まったカレーばかり注文するようになった。
そのメニューは「ホットブロー」というカレーで、スープ状のビーフカレーで、店一番の辛さもあった。
タイカレーやスープカレーも、当然「水っぽい」のだが、それらとはまた違う水っぽさであった。
タイカレーはナンプラーとペースト状のルーが、スープカレーは具材と付加香辛料のスパイスが特徴的である。
「ホットブロー」はカレーらしいカレーではないのだが、比較的習慣的に食べたくなる味で、他にはない特徴を持っていた。
駅から0分で、数百円であったため、おそらく愛好者も多かったはずである。
正直、記憶の中で3割増ほどで「ホットブロー」の味が美味しくなっているが、また食べたいカレーの一つである(やはり1番は柏の「ボンベイ」のカシミールであるが)。


「男乃カレー」を一口、口の中に運んだとき、真っ先に「ホットブロー」の味が甦ってきた。
正直、並べて品評している訳でないので、本当に近い味なのかは自信は持てない。
だが、「ホットブロー」を出すカレー屋が消え、近い味を探している愛好者がいたらこのカレーはお勧めしたい。
ビーフの味は、「ホットブロー」を思い起こさせる。
定価で買うと、400円を超えるが、ショップで食べると思えばなんでもない金額である。
今はなき「エチオピア」レトルト(ハウス食品)もそのぐらいしたが、ショップ並みの高品質であった。
また、いずれ購入する日も来るだろう。


チキン味は悪くないのだが、ビーフの方がよかった。
骨付きの小さな鶏肉が一本なので、これが大きいか何本かあるとまた違った感想だったかもしれない。


水っぽいカレーを嫌う層は一定層いるが、実は水っぽいカレーが一番の贅沢だと、個人的には考えている。
「デリー」のカシミールカレーも、実は野菜が形がなくなるまで溶けている。
行ったことはないが、確か高輪の方にある水を出さない辛いビーフカレーも、単なるスープに見えていろいろ溶けるまで煮込んでいるようだ。
具を入れて、ルーを入れるだけであれば、たいてい近い味になってしまうところだが、スープになるまで溶かせば違う。
個人的には、このカレーはお勧めである。




http://shop.host-japan.com/em/shop/oriental/product/index.asp?prd_id=1102





柳原陽一郎新春独演会/下北沢440 2008/01/04
ゲスト:加藤一誠(Fromヒカリノート)


1.牛小屋
2.ひまわり
3.愛のSOLEA
4.うなぎパイ
5.妄想ヘルスメーター
6.毛・毛・毛
7.徘徊ロックNo.5
8.恋はかげろう


9.ゴミの日(カバー)
10.ゴーイングホーム
11.涙があふれてる
12.はじまりの歌
13.決めないの知らないの
14.ブルースを捧ぐ
15.あえて旅人
16.永遠の休日


17.おろかな日々


18.猫をならべて(リクエスト、1番のみ? 結構飛んでる)
19.ホーベン~牛小屋(エンディングのみ)


この日、下北沢に行く前に渋谷の東急に足を運んだ。
1/2~1/7まで開催している「山下清展」を観るためにである。
八幡学園で切絵を始めた頃の作品から、フェルトペンのシンプルな作品(個人的にはこれが一番気に入った)、
油彩画、水彩画、焼き物までバラエティに富んだ作品が贅沢に並べられており、あっという間に時間が過ぎた。
会期が短いせいで客足が多かったせいもあるが、文章と緻密な貼り絵など見所が多く、1時間でも短いくらいに感じた。
値段も安かったため、ナンシー関展程度の広さを想像していたら、なかなか作品が終わらず驚いた。
もう終わってしまうが、時間があればぜひ観ておきたい展覧会である。


おそらく、山下清的な生き方やスタイルを志向したと思われるのが、元たまの石川浩司である。
ステージ上の石川浩司の行動は、上下清への敬意が入ったパフォーマンスと思われるが、最近はあまりステージを観ていない。
絵画から、実際の山下清の行動の半分以上は観察と内省、残りが孤独な緻密な作業とは思われたが、まああれはあれでよかろう。
石川浩司と言えば、「たまの最期」最終日で、ワタナベイビーが飛び入りで弾いた「さよなら人類」で「ついたー」をやってくれた。
生「ついたー」を聴けたのはあれが初めてであり、ワタナベイビーには大変感謝している。
1/17(土)に神楽坂で「ワイト島の奇蹟」というイベントがあり、ワタナベイビーと石川浩司(あとTOMOVSKY)が競演する。
サードクラスの前座(ずいぶん豪華な前座だ)で知久寿焼+ワタナベイビー+TOMOVSKYで「さよなら人類」を演奏したが、
ひそかに神楽坂でも「さよなら人類」と「ついたー」が聴けるのではないかと期待している。
チケットは売り切れのようだが、オークションに若干出ているようではある。
ワタナベイビーでも石川浩司でも、本人がここを読んでくれているのであれば、ぜひ再演してほしい。
祈念して、ワタナベイビーのブログにペタを付けておくことにする。
石川浩司は、千倉とS.P.Cのたま復活ライブで見た。
頑張っているなと感じ、たまでたまに見るには悪くはないとも感じた。
ここまでの文脈とは関係ないが、石川曲の中では「魚」が一番好きである。
歌詞が象徴的で、哲学的な真意が隠されているのかもしれないと思わせるところがよい(実はないかもしれないが)。


山下清に話を戻すと、やはり絵を描くには対象を観察する眼が何よりも大切だと感じる。
記憶力とデッサン力も天賦の物かもしれないが、自分は一つのものを見続けて正確に捉えることはやはりできない。
自分の中で完全に捉え、記憶の世界で絵画化した後で、それを忠実に投影したのではなかろうか。
だが、自分に画を語るだけの能力もないので、これ以上駄文は続けないことにする。
もっとも、はいだしょうこの絵画ぐらいなら、自分の絵に近いものがあるので論評できるが。
「想像力による補完」、これがはいだしょうこの絵画の源泉であると、自分は考えている。
だが、駄文はこのくらいにしよう。


下北沢の440、この日も大入りであった。
とまらん棒が切れても昔なら補充されたが、補充がなくなるぐらいにまで混雑が進んだ。
以下、箇条書きでこの日の感想を。


・「ひまわり」「ホーベン」でキーボードの音色を変えたのは効果的だった。
 ビブラフォンっぽい音質が、新鮮な響きを与えた。
・ネタ曲3曲連続はもったいない。
 柳原陽一郎のステージの真骨頂は、何が飛び出すか分からない間口の広さと、コントラストの激しさである(と勝手に考えている)。
 ただ、「毛・毛・毛」はよい曲である。
・「永遠の休日」は、AメロBメロCメロと、皆印象に残りやすい丁寧な作りであることが人気の秘密であろう。
 レイトショーが終わってから、久々に聴いた。
・アンコールでウシの着ぐるみを着て現れたが、どちらかというとあそこでははじける曲がよいと思う。
 そういう意味では、「猫をならべて」がリクエストされたのはよかった。


正直なところ、水谷浩章や柴草玲などとの共演が続いたせいで、耳が肥えすぎてしまったところはある。
加藤一誠のギターが入ったことは、その点ではよかった。
あと、「長いお別れ」のアルバムが、デモテープの音源を加えて再発されるらしい。









原マスミ2008年最後の弾き語り/南青山マンダラ 2008・12・31


1.約束の満月
2.夕月
3.毛
4.血と皿
5.人間の秘密
6.ジェニファー
7.悲しいのはいやだ
8.オヤスミ
9.カメラ
10.飛竜頭


11.ムー
12.ずっと君が好きだった
13.花のひかり
14.イナフ
15.ブレーメン
16.夜の幸
17.海のふた
18.蛍の光
19.教室


20.アイスアイスアイス


21.夜行


年も明けて数日経ってしまったが、レポをアップすることにする。
恒例の大晦日の弾き語り。
今月、弾き語りライブが続いたためか、例年よりも人数が少ない気がした。
マンダラへ行く途中の青山のハーゲンダッツショップが、とうとう閉店してしまった。
ライブのときにはよく足を運んだが、寂しくなった。
新しく入るテナントが、よい店であってほしいと思う。


今回も夏と同じ弾き語りなので、定番曲も多い。
夏の弾き語りについては、以下参照。
http://ameblo.jp/sprawlworld/entry-10128458041.html
感想も、重複するものは少し省略する。
「約束の満月」でスタート。
「月」シリーズで、「夕月」に続く。
この曲を聴くと、焼きたてのパンが食べたくなる
続いて、「毛」(「毛・毛・毛」ではない)。
バンドバージョンの神秘的なアレンジも好きだが、メジャーセブンの柔らかな和音はギター1本でも雰囲気を出している。
「血と皿」。
タイトルだけ見ると、夫婦喧嘩で皿を投げ合っているように見えるが、そんな歌ではない。
この曲は、他に類がない世界で、「信号機の横の窪んだところ」という言葉が出てくるところに、才能を感じる。
このような具体的かつ空想的な世界の共存が、原マスミの歌詞の独特の世界を作り出しているのであろう。
カバー曲で「わかっているよ」。
この曲は、エンリコ・マシアスのカバー曲らしい。
原マスミのカバー曲は、自分より古い年代の曲を演奏することがほとんどなので、知らない曲も多い。
だが、比較的メロディアスで聴きやすいものが多いので、まあ安心して聴けることが最近は多い。
もっとも、以前は「お客さんの中に加藤和彦さんはいらっしゃいませんか」ということもあったが。
今まで、アンコールで3回以上やりかけた(やるふりをした)「さよなら人類」も、ぜひ一度演奏してほしいものである。


ウクレレに持ち替え、「悲しいのはいやだ」。
最近は、この曲をウクレレで弾くことが多い。
ウクレレ1本でなかなか細かいパッセージも入れてきており、他の曲もいずれウクレレで演奏されるのではないかと思わされる。
今度はベースで「オヤスミ」と「カメラ」(「カメラカメラカメラ」ではない)を演奏。
昔はよく前奏前に喜びの歌(第9の旋律)を入れていたが、久しぶりに聴くことができた。
「カメラ」は一度やり直す。
「忘れろ忘れろ」の呪文が出てきたので、やり直したことも忘れてしまったが。
「飛竜頭」で前半終了。
いつもはベースが終わると、そこで前半終了であるのに、もう1曲聴けた。
この調子でいくと、ベースからステージが始まる日も来るかもしれない。


後半は「ムー」でスタート。
「星が落ちたよ」の前のところの、高いポジションから音をスライドさせる部分が流れ星っぽくてよい。
比較的演奏機会の少ない曲だが、3枚目のアルバム「夜の幸」の中では一番好きな曲である。
最近は演奏機会の少ない曲もよく演奏される傾向があり、嬉しい限りである。
「ずっと君が好きだった」「花のひかり」と続く。
その後、新しい曲で「イナフ」、「ブレーメン」。
どちらかといえば、「イナフ」の歌詞は現状肯定、散らかった部屋を認めるおおらかさがある。
「ブレーメン」は今までの生き方を否定しているようで、ちょっと心配になってしまう。
曲は「ブレーメン」の方が凝っているが、個人的には「イナフ」の方が好きである。
「夜の幸」「海のふた」と続き、年末恒例の「蛍の光」へと続く。
これで年を越すことができる。
「教室」で本編終了。
この曲だけは、バンドより弾き語りの方が数段よい。
間奏を含めた緊迫感が、弾き語りには格段にある。


「アイスアイスアイス」(この曲は3連発で、「アイス」ではない)がアンコールで演奏される。
席が近かったせいか、「母さん」という部分も聴き取れた。
もしかしたら、最近もずっと歌詞は変わっていなかったのかもしれない。


再度のアンコールで、「夜行」。
アンコールの2曲は、夏の弾き語りと同じである。
とは言え、最近2回ライブがあった割には、意欲的なセットリストであり、2008年を締めくくることができた。


2009年の活動にも期待したい。