新春 陰気な二人旅(知久寿焼+双葉双一)/柏WUU 2009・01・13


1.お高くとまった季節
2.(「あー都会の」で始まる歌)
3.4月下旬並みの陽気
4.スポーツと気晴らし
5.岬の上
6.タワーホテル
7.お嬢さんよろこんで
8.恢復期


9.らんちう
10.ロシヤのパン
11.きみしかいない
12.金魚鉢
13.電車かもしれない
14.ちょっと今ここだけのうた
15.ギガ
16.おるすばん
17.いちょうの樹の下で
18.ゆめみているよ
19.ひとだま音頭
20.月がみてた


21.石の街
22.死んぢゃってからも


柏の街は久しぶりである。
昔は定期券を買って足を運んでいた街だが、年月が経ちカレー屋「ボンベイ」ももう既にない。
今回のライブハウスWUUは、柏が庭だった頃と時期が被っているはずなのだが、忙しかったせいかあまりキチンとした記憶がない。
歩き慣れた細い路地の、初めて乗るエレベーターで5階へと向かう。
平日の早い時間の開場のせいか、さほど人が多くない。
入口で10周年記念の焼き菓子(マドレーヌやフィナンシェ)を貰い、舞台の近くに席を取る。
焼き菓子は美味しく、大変得をした気分であった。


最初は双葉双一のステージである。
細く長身で、さらりとした髪が耳も隠している。
なかなか美しい青年といった感じで、ギターを弾いてステージに立っているだけで華がある。
どのような音楽が聴けるのか予想もつかなかったので、楽しみに思いながら曲が始まるのを待った。


ギターとハーモニカを身に携え、「お高くとまった季節」が始まる。
正直、「好き嫌いが分かれる」と感じた。
他の曲にもかなり通じるのだが、特徴を箇条書きする。
・ギターはビートやアクセントをつけずに、ダウンアップのストロークのみ。イメージとしては、「夢見ているよ」のアクセントを外したような弾き方が全曲に渡って続く感じ。
・声は悪くない。音程は言葉優先の発声のためいわゆる旋律に乗せてくる歌い方ではなく、流れで旋律につなげていく歌い方。
・絶叫はなく、淡々と言葉を発するため、滑舌が回るタイプではない。文字が多い部分は舌足らずに聴こえるところもある。
・ハーモニカの音は美しい。ギターは4拍分ギリギリまで和音をキープせずに、次の小節の指の押さえの準備を始めてしまうところがある。
「お高くとまった季節」に関しては、タイトルと同じ言葉が何度も出てきてその言葉は印象に残るのだが、和音的にはGやCなどのシンプルな展開であり、印象に残りにくい。


MCの語りを聞いて、似たような雰囲気を持つ歌い手を思い出した。
やはり、以前の知久寿焼の共演者で、沢田ナオヤという名前であった。
声は言葉の聞き取り安い倍音成分を含み、ギターも難しい和音も美しく分散和音を奏でる。
曲調も心地よく、また聴きたいと思わせるものがあるのだが、MCがともかくグタグタなのである。
おそらく、沢田ナオヤは家で地道にギターを一日中弾いていて、1週間ぐらい人と会わなくても大丈夫なタイプであろう。
ルックスとハーモニカは双葉双一の方が美しく、曲調とギターは沢田ナオヤの方が上品である。
だが、MCは客席との対話ではなく、自己完結に近い形で度肝を抜かれる。
この二人のMCの大きな違いは、沢田ナオヤが何とか場を盛り上げようと慣れない話をするのに対し、双葉双一の場合は「狙っている」感があるところである。
双葉双一の場合、「自分を見せる」という姿勢ではなく「魅せたい自分を提示する」という志向が強い。
逆に言えば、取るに足りない自分の部分は切り捨て、表現対象としての自分となりうる部分だけを結晶化させて提示しているとも言える。
後でも触れる予定だが、反自然主義的な立ち位置を表明しており、見た目の細さにつりあわないポリシーの強さを感じる。


2曲目は、曲名を言わなかったがメロディアスな曲調で悪くない。
「天使のワッカ」というフレーズから「天使とドライブ」かと思ったが、youtubeを聴く限り、別の曲のようだ。
リフレインのない歌詞で、どんどん世界が提示されていく。
双葉双一は言葉でまず世界を作る人であると、この曲を聴いて感じた。
お辞儀をするときに、ちょこんと左足を後ろに下げて立てる仕草がなかなかよい。


「4月下旬並みの陽気」は、「お高くとまった季節」と同様、合わない人にはまったく合わない曲であろう。
普通、歌詞と曲があれば、歌詞の世界の展開や転換を曲の構成で補完するのだが、この歌にはそれがない。
あくまでも、歌詞の世界が全てで、曲の部分は画用紙の余白程度のアクセントしか持たないような感を受けた。
楽器として優秀な声の持ち主もいるが、双葉双一はどちらかといえば吟遊詩人である。
言葉の響きを犠牲にするぐらいなら、音程のピッチを犠牲にするほうがよしとする精神を持ち合わせている。


「スポーツと気晴らし」というタイトルは、どこかで聞き覚えがあった。
調べてみたら、エリックサティの曲で、同じ曲名があった。
サティは「干からびた胎児」や「梨の形をした3つの小品」など、イメージを喚起するような意欲的なタイトル曲が多い。
サティの曲調とはかなり違うが、この魅力あふれるタイトルのリストを見て、「自分なら」という思いを抱いた曲があっても不思議ではないだろう。
ちなみに、双葉双一の曲は文芸的な色彩が強いところがあり、知る人が見れば出展元が分かるものも少なくないだろう。
双葉双一のブログにリストが上がっているだけで音源化はされていないようなのだが、「快復期」という曲があった。
記憶に間違いがなければ、アナトール・フランスの『少年少女』という三好達治に訳された短編集に、この話が掲載されていた。
岩波文庫(岩波少年文庫ではない)の絶版本だと思われるが、味のある美しい挿絵と珠玉な小品が並ぶ、名作である。
個人的にはこの作品集の中にある「快復期」が一番好きで、それを歌にしていたのであればぜひ聴いてみたいところである。
「快復期」の素晴らしいところは、病やそれ以外の苦しい思いをしている人間に対して、「快復期」という概念を提示してくれるところである。
「今、自分はだんだん快復の状態に向かっているのだ」という、「快復期」という概念を知らなければ気づかない喜びをもたらしてくれる。
おそらく、双葉双一にも「病」の状態を乗り越えた経験があり、その際の徐々に快復していく喜びをこの言葉によって知った過去があるのであろう。
図書館や古本屋でなら残っているところもあると思われるので、ぜひこの作品集は読んでほしい。


「文藝系」という括りで、双葉双一はオムニバスアルバムに収録されたことがある。
そのアルバムには、緑川伸一(後のミドリカワ書房)なども、収録されている。
「文藝系」という括りで何もかもまとめられる方はたまったものではないかもしれないが、この試み自体は興味深いものがある。
ミドリカワ書房は、倉橋ヨエコと共演したときに観にいったが、見た目もさわやかで(小沢健二風)なかなか楽しめた。
ただ、テーマとして「いじめ」や「万引き」など、社会問題などを取り上げているところが、他にない特徴がある。
ミドリカワ書房については大変優れたレビューをネットで見つけたので、紹介したい。
トラックバックの仕方すら知らないので、無断であることをお詫びしたい。
http://neo.g.hatena.ne.jp/sloegin/20070216
「ステレオタイプの再生産」、これだけ優れたこの手の音楽評論を自分は知らない。
断っておくが、最大公約数としての「ステレオタイプ」の果たす役割を、自分は必ずしも否定していない。
最大公約数であるからこそ、伝えうる可能性があると、考えている部分もある。
だが、この一言による的確な描写、このような評論をネット上で見ることができるようになったとはよい時代である。
見ず知らずのブログを勝手に紹介して申し訳ないと思うが、伝えずにはいられなかった。


「スポーツと気晴らし」に話を戻すと、実体験に基づいたスポーツというよりも、スポーツを記号的に捉えた世界に感じた。
このあたりから、双葉双一ワールドに徐々に慣れ、違和感の部分は少なくなった。
「舞台は地中海に」とコメントを残して次の曲に入るが、同名の曲は見当たらなかったので、歌い出しの「岬の上」が曲名でもあるのだろう。
2曲目と同じように、メロディアスで聴きやすい。
この2曲などは、弾き語りよりフルバンドをつけた方が、曲としての完成度は高くなるように思える。
和音をかき鳴らしながら、1音だけ音をずらしていく世界も決して悪くはないのだが。


「タワーホテル」は、この日一番の名演であった。
他の曲と違い、サビ以外の部分は旋律をつけずに言葉を語る。
「らら~らーららら、タワーホテルで待っててね」のサビが繰り返されるたびに、クローズアップの像から一歩引かれたイメージ像に切り替わる。
双葉双一のよいところだけが伝わる曲であり、世俗の喧騒をシャットアウトする美学が存分に発揮されている。
そうは思いながら、何か他のアーティストに通じる印象を持つに至った。


森田童子を知ったのは、最後のアルバムをリリースしたときだった。
この人にしては珍しく、FMラジオにゲスト出演したり、朝日新聞の夕刊に短期集中エッセイを寄稿したりしていた。
その後、何年も経ってからドラマの主題歌で取り上げられて、何故か初期のアルバムが爆発的に売れることになったが、自分の知るのは最後のアルバムのみである。
森田童子の世界も、ギターを弱々しく弾きながらハーモニカを吹き、サングラスとは不似合いな透明な声で言葉をつぶやくスタイルである。
表現する言葉の世界の中身こそ違うが、音程を必ずしも優先しない歌い方も含めて、共通点があるように感じた。
「サナトリウム」や「雪よ降れ」などの森田童子の歌詞の世界は、閉ざされた世界から外の世界を空想し、その心的イメージを具現化しているように見える。
双葉双一の歌詞の世界は、比較的理知的なテーマを定め、単なる一物語では終わらない一つの別世界を構築している、と個人的には考えている。
だが、どちらも現実とは違う異空間を作り出し、聴衆を引きずり込む芸風は、近いものがあると思う。
先の朝日新聞のエッセイかどこかで、興味深いことを森田童子は記していた。
森田童子は、「ギターのチューニングができない」ということを本人自らそこで述べている。
何でも、「人の話を聞くようになると、自然とチューニングはできるようになるよ」と言われたらしい。
おそらく、森田童子は人の話を聞かない、自分一人で勝手に世界を作っている人なのであろう(勝手な想像だが)。
双葉双一も、「チューニングは目を瞑って下さい」とMCで述べている。
お世辞にも、完全な調律をしているとは言えない。
現在であれば、高度なチューナーを入手することも可能なはずなのだが、それを拒否しているようにも思える。
おそらく(というより間違いなく)、双葉双一もまた人の話を聞かない人間だろう。
何かを聞いてそれに同調するという性分では決してなく、人の反応を気にすることなく、自分の世界を徹する藝術家なのであろう。
森田童子がより広く知られるようになった頃には、もう既に家庭に入り、人前に出ることはなくなっていた。
孤高の世界の作り手としての需要は、今の社会の中にもきっとあるはずである。
本人がそれを望んでいるかどうかは知らないが。


続いて、「お嬢さんよろこんで」が演奏される。
とにかく、ハーモニカの音が美しい。
ハーモニカは力任せに吹く演奏が非常に多いのだが、双葉双一のハーモニカは旋律が一つの管楽器としてしっかり聴こえ、ppまできちんと表現されている。
前奏も間奏も、大変聴かせてくれる。
おそらく、ギターと一緒にあそこまで美しいハーモニカを演奏する歌い手はいない。


最後の曲も、曲名が分からない。
「D♭の練習曲」か「追走曲」あたりであろうか(この曲こそが「恢復期 」と後に判明!)。
メリーゴーラウンドのような幻想的なイメージが湧いてくる曲で、聴衆に現実世界に戻ることを許してくれないまま双葉ステージが終わる。
世界に順応したためかもしれないが、後半はおおむね好演で、「歌詞より曲」志向の聴衆にも受け入れられたことに思う。


正直、自分が歌詞の世界を中心に聴くことができる人間なら、もっとこの日の演奏について書くことができたであろう。
だが、どうしてもギターの演奏や和音の展開などに耳が行ってしまう性分なので、このあたりで勘弁していただきたい。


後半、知久寿焼ステージ。
「らんちう」「ロシヤのパン」は、サンジャックと同じ6弦をオクターブ? 下げるチューニング。
「らんちう」の中間部は、「おじいさんとおばあさんが澄んでいました」バージョンかと思いきや、新作? であった。
マンネリ感をおそらく本人も感じていて、新たな試みを見せているのであろう。
「きみしかいない」は驚いた。
個人的には、初めて生で聴く曲である。
知久ステージ前半は初期の歌が多く、双葉ワールドに負けない世界と破壊力があった。
「金魚鉢」「電車かもしれない」と続き、ウクレレに持ち替える。
「ちょっと今ここだけのうた」は、比較的最近の曲である。
やはり、初期の曲と現在の曲では歌詞の世界が異なる。
一言で言えば、歌詞で「絵を描かなくなった」ような印象である。
柳原陽一郎にしてもそうであるが、等身大の自分を見つめ、リアルな経験や感覚をそのまま言葉にしている。
だが、表現者としては「嬉しい」とか「寂しい」とかいう言葉を用いずに、その世界を言葉で描き歌にしてほしいと思う。
双葉双一などの表現者とともにライブを行うことが最近多いのは、創作面においても刺激を求めているためではなかろうか。
そうであるならば、今後の転換点もまた見えてくる期待が持てるのではないだろうか。


「ギガ」は、今回はギターでの演奏。
個人的にはこちらの響きの方がこの曲には合っていると思う。
「ギガ」と言えば、KDDIの「ひかりoneギガ得プラン」が思い出されるが、最近PC/ネット絡みのブログ記事を上げていない。
少し落ち着いてきたら、またそちらも書いていきたい。
「おるすばん」「いちょうの樹の下で」で、ウクレレに戻る。
続いて、「ゆめみているよ」でギターのストローク。
この曲の伴奏は、双葉双一曲と近いイメージがあったのだが、少し異なりバリエーションも豊かであった。
「8ビートのアクセントありのアップダウンストローク」→「1拍ごとのスタッカート」→「ジャラーン」→「上昇アルペジオ」
もし、小節感をなくすのであれば、8ビートのアクセントは取った方がいいのかもしれない。
だが、「ゆめみているよ」は一言ずつ小出しに歌詞が出てくるので、ビートがあった方が聴きやすいところはある。
双葉双一に関しては、2・5曲目などを除いて、全体で一つの世界を作るノンビートが合っているとも言える。


「ひとだま音頭」「月がみてた」の定番曲で本編終了。
アンコールは残念ながら共演ではなく、知久曲のみ。
「石の街」「死んぢゃってからも」で終了。
今回、双葉双一がなかなか面白かったのが収穫であった。
沢田ナオヤあたりと東京で演ったら、ぜひ行ってみたいところである。


レポに1週間近くかかっている間に、別のライブを2本も観てしまった。
なかなかよいライブだったので、早いうちに上げておきたいところである。