肩こりをどうにかしたい
どうもネタ切れのようで、無理矢理何か書いています。
論文も無理矢理でもいいから書きたいです(笑)。締切をすぎている原稿もあるし・・・。
さてさて、講義の準備も文献を読んでPCで資料を作成、研究も文献を読んでPCで論文作成、と非常に運動不足の日々に加え、同じような姿勢をとり続けているせいか、肩こりがひどいです。これをどうにかしたい。
で、気になっているのが「ゆる体操」。いろんなところで「いいよ」と聞くので、自分もやってみましたが、うまくできずにいます。ネットで調べてやっているのですが、そのようなせこい考え方がいけないのでしょうか。本やビデオでも買おうかなあと思い悩む日々です。
献本
職業柄かどうかはわからないが、毎日DMも含めていろいろな郵便物が届く。
そして今日もまた、その中に書籍小包が。また誰かが研究書かテキストを出版したようだ。
そこでいつも悩むのは、お礼状を出すに当たって、どれだけ目を通すかということだ。
こちらが送った場合、これから読ませていただくという人もいるが、内容に踏み込んだコメントを添えてくれる人もいる。しかも、そのいずれものパターンであっても、数日の間に礼状が届くのだ。前者の場合なら納得できる。まあ、後者の場合も、ざっと読んだだけかもしれないが、さすが研究者、結構ポイントを突いてくるよなあ、と思うことが多い。
自分も前者を目指していたが、どうも本を読むペースが遅くなったみたいで、コメントを添えようと思ったらすぐにお礼状を出せない。そんな本が何冊もたまることもある。今も机にそんな本が数冊。
さて、今日はこれから抱えている原稿を書くべきか、明日の講義の準備をすべきか、これらの本を読むべきか、いっそのこと寝てしまおうか。
新聞の一面に載る方法
今日もまた、くだらないネタですが・・・。
昔、将来大物になる例えとして、「新聞の一面に載る」などと言ったものだが、それに対して、「そんなの簡単だよ。大事件を起こせばいいんだから」というあまり洒落にならないジョークがありましたが、とある日の同僚の会話。
A「そういえばB先生、昨日の日経の一面に先生の出ていましたね。」
(自分:???昨日、B先生の記事が何か出ていたか。なにか凄い研究でもしてたっけ?)
B「ああ、あれね。前のが古くなったから、改訂したんだよ。」
そう、新しいテキストの広告が出ていたという、全然おもしろくもない落ちでした。
でも、確かに新聞の一面に載ったことには違いない。研究で一面を飾ることは絶対と言っていいほどない自分も、この手を目指すことを誓ったのです(笑)。
オフィス・アワー導入を巡る議論
今の勤務先では、現在、週2コマ分のオフィス・アワーが義務づけられている。同業の方には説明不要と思うが、これは、学生からの質問に応対するために、研究室などに確実に居る時間であって、勤務時間ではない。
大学によってはアポイントメントを要求する場合もあるようだが、勤務先はアポなしを前提としたものである。
学生への教育を重視しようと言うことで導入していた訳だが、導入するまでには結構すったもんだがあった。
全体的に週に2コマ分は多いという意見が多数を占めていた。あとは、アポなしに対する反対意見も多かった。その際、アメリカの場合、アポなしは少なく、人気教授の場合、アポなしじゃあえない場合もあるが普通だ、なんてことも言われていたが、アメリカのやり方が常に正しい訳ではないと思うので、あまり説得力はないように思う。
その他の意見としては、理系の側からは、基本的にはいつも研究室にいるので、こんな時間帯をわざわざ設ける必要もない、という主張が多かった。
文系の人でも、基本的に研究室で仕事をしている人は、同様の主張をしていた。
おもしろいのは、元々、担当する講義のノルマがあり、それ以外に2コマも拘束することになるので、これをノルマに入れろ、もしくは増担手当を出せ、という主張である。自分は講義のない日は自宅派なので、心情的にはこちらに賛成したかったのですが(笑)、教育重視という昨今の流れを思うと、さすがにおおっぴらに賛成できませんでした。
こんな講義をしてみたい?(2)
余談ですが、ジャンルを変更してみました。
下のエントリーのように、さすがに、一回も講義をしないのはまずいので、これぐらいではどうでしょう。
学生が予習をしているのを前提として、開始時点から、
「さあ、今日の分で質問ありますか?」
と入り、質問があれば応えるという形です。もちろん、質問が一つもなければ、
「じゃあ、皆さん理解できている訳ですね。では、今日はこれで終わります。」
と、帰ってしまう訳です。え、こっちが本来の目的でないかって?いえいえ、そんなことはありません。一方通行の講義をやめたいだけなんです。
予習をしっかりやってきているという前提自体非現実的ですけどね。自分の学生時代を振り返っても予習はしていなかったし。でも、自分の担当している講義の一部では、せめてもの試みで、質問や意見等を平常点に組み入れています。でも、授業評価アンケートによると、「自分が言おうと思っていた質問を先にされたので、発言できなかった(から、不公平なやり方だからやめて欲しい)」という不満もあって、なかなかうまくいきません。
大学院ぐらいでは実現できないかなあ。
こんな講義をしてみたい?(1)
ちょっとねた切れ気味なので、夢物語を。
昔、大学関連のネットニュースで読んだ話なので、信憑性は定かではありませんが、こういう講義があったとのこと。
その大学では有名らしく、その先生は、毎回最初の講義でこういう発言をするのだそうです。
「単位はあげますから、講義にこないでください。」
皆、この名言(?)を聞きたいらしく、教室はあふれんばかりの人、人、人。
で、本当に講義はしないで、単位を出すそうです。
本当に夢のようなお話。
講義のネット配信に著作権の壁?
つい先日、大阪大学、京都大学、慶應義塾大学、東京工業大学、東京大学、早稲田大学が日本オープンコースウエア(OCW)連絡会(http://www.jocw.jp/ )を設立し、講義情報をインターネット上で無料で公開し始めたとのニュースがあった。これに関するエントリーは色々なブログで取り上げられているが、昨日、日経で読んだニュースには今まで気にもしなかったことが書いてあった。
講師が他人が書いた教科書を使って行った講義を配信すると著作権侵害に当たる可能性があるといわれている。
「『講義』の配信前 内容確認可能に」日本経済新聞2005年5月25日より(このエントリー執筆時点では、ネットでこの記事を読めなかった。)
専門家にとっては当たり前なのかもしれないけれど、これは本当に意外。こんなところで著作権侵害が生じるとは。通常の講義は関係なく、あくまでも、ネット等で配信した場合なのだろうけど。こう考えると、放送大学のテキストがすべてオリジナルであるのも納得できる。使用した教科書の執筆者に許可を得ればよいのかもしれないけれど、著作権料を支払わなければならないなら、無料で公開できなくなるしなあ。
ちょっと話はずれるかもしれないが、大学教員が書籍等を書いた場合、アメリカでは、印税も大学に召し上げられるケースもあるらしい。論文執筆時の盗用、剽窃はもってのほかだが、これからはもっと著作権などを意識しなければならないのだろう。同僚が、市販の問題集をコピーして小テスト等に利用しているケースをよく見る。このようなケースも著作権侵害だろうな、とは思っていた。そして、これまではある意味大目にみられていたのかもしれないが、これからはそうはいかなくなるのだろう。
こんな分煙、分煙じゃない
健康増進法のためか、キャンパス内でも分煙が進みつつある。建物内は禁煙、所定の場所で喫煙可、と言う訳であるが、どうもその喫煙場所が気に入らない。建物の扉のすぐ横に設置していたりする。結局、その建物に出入りするたびに、煙を浴びることになる。
近所の某スーパーも似たり寄ったりだ。エスカレーターやトイレの横のベンチが喫煙所だったりする。子供も連れて通るっていうのに、そんな場所で煙草を吸われていたら、煙だけでなく、火の方だって気になってしょうがない。
そもそも、人が多く通るそばに喫煙所を設けても、そこが周りと隔離されていない限り、分煙とは言えないと思うのだが。
キャンパス内全面禁煙案も出ているようだが、教職員にも喫煙派がいるので、まずは通りそうもないけど、嫌煙派としては少し期待している。
「学生の暗黙知」
たまには新聞ネタから。
日経新聞の毎週月曜日には、教育関係の記事やコラム等が掲載される。その中に、耳塚寛明・お茶の水女子大教授の「まなび再考」というコラムがある(日経NETでは読めないようです)。
2005年5月23日(月)に掲載された
壊れた「学生の暗黙知」 「学校化」する大学
は、思わずうなずいてしまった。出だし自体は、JR西日本の件の脱線事故にふれ、安全優先が「暗黙知」では無くなったという問題を指摘し、この「暗黙知」に関する学生の変化に続けている。そして、具体例として、こう指摘する。
ゼミは休まない、報告者はレジュメを作成する、専門用語は調べる、重要な参考文献は漁(あさ)る。こうした、「学生の暗黙知」として教える必要のなかったことがらをひとつひとつ指示しなければならない。
(中略)
暗黙知として意図せずとも習得されてきた「まなびの基礎」の、どこが、なぜ、壊れてしまったのだろう。
今回は、思わずうなずいてしまった。もちろん、大学によってゼミの在り方は違うだろうし、文理でも違うかもしれない。
偶然かもしれないが、自分の学生時代も、今勤務している大学でも、ゼミは学年を超えて合同して行っている。そこで、自然と先輩から後輩へ伝えられるものだってあるはずなのに、今の学生は、どうも縦のつながりが希薄だ。言葉や文書だけでなく、先輩の姿を見て後輩に伝えることもあるだろう。しかし、そういう感じは年々なくなっていくような印象である。
自分の場合がすべてではないが、学生生活でゼミが占めるウェイトは非常に大きかった。講義はさぼっても、ゼミはさぼらない。周りもそんな感じだった。でも、今はゼミも講義と同じ1コマでしかないようだ。
勤務先でも、厳しいと評判のゼミには毎年それなりの志望者がいる。端から見ていても本当に熱心だと思う先生も多い。だから、大学も学部も、学生を満遍なく底上げしようなんて考えないで、意欲のある学生だけをのばすことを考えればいいのに、と思うのは自分だけだろうか。大学間では、たとえば、COEなど研究面での傾斜配分方式が導入されつつある。大学内でだって、学部間だけでなく、同一学部内でも傾斜配分方式で資源を集中投入してはいけないのだろうか。
睡眠時間
別のエントリーにも書いたが、研究は体力勝負の感がある。そして、もう一つ書き忘れたことがある。勢いも大切だ。いい意味で調子に乗らなくてはならない。
でも、今はどっちも無い。非常にやばい状態である。
以前、本当に自分でも大丈夫だろうかと思うぐらい調子が良かったときは、平均睡眠時間3~4時間と、売れっ子のアイドルのような生活をしていたときがあった。2時から3時ぐらい布団に入り、6時に起きる。
でも、だんだん体力が無くなって、朝型に切り替えた。というか、未明型と言った方が正確かもしれない。9時から10時ぐらいに布団に入って、3時ぐらいに起きるのである。6時間ぐらいは眠れる。冬場はちょっとつらいが、夏は結構快適である。
しかし、ここ数年はそれもかなわなくなった。それは、年とともに雑務が増えたことと、大学院を担当するようになったためである。勤務先の大学院は、社会人受け入れに熱心で、開講時間帯が昼夜ともにある。そのため、9時半頃まで授業がある日が週に何日もあると、9時には眠れない。授業が終わって、一息入れてから帰宅すると11時近い。帰宅後は身体に悪いと思いつつ夜食。そして入浴。早くても12時にしか就寝できない。でも、やらなくてはいけない仕事は山積みなので、結局遅くまで起来ている日が多くなってきた。もう規則正しい生活はあきらめざるを得ないし、睡眠時間も平均して減っているような気がする。
もっと眠りたいなあ。