資格取得支援
何年前からだろう、いくつかの大学で、学生の資格取得の支援を本格的に行うようになったのは。
エクステンション・スクールみたいな名称で、大学キャンパスにいながらダブルスクールが可能です、というのが謳い文句らしい。内容はというと、専門学校に委託するだけなので、もう一つの売りが、その専門学校に直接通うよりは学費が安いということもある。で、結局、専門学校に場所を貸してるだけ。
そろそろそのコスト負担(学費を安くする分、大学が持ち出しをしていたり、施設使用にかかるコストも意識されはじめたみたい)から、縮小を考え始めた大学。その一方で、学内の教員が教えられる講座は、専門学校への全面委託を止めて存続を図りたいらしい。教員に担当させれば安価にすむ、という発想がそもそも貧困である。
勤務先の場合、教員は、教育だけでなく研究もきちんとしなければならないというの現在の状況である。昇進、採用等では業績評価だけでなく、教育業績を考慮に入れるようになってきているけれど、ウェイトは研究業績の方に置かれている。そんなような状況で、研究活動が削減されるような提案に教員が乗る訳ない。そろそろ、教育専門教員が必要なのかもしれない(これもアメリカを見習うべきなのかな?)。
まあ、結局毎回同じような結語になるけれども、ここでも経営側の戦略のなさが露見しているのに、結局誰も責任をとらないのだ。
評価とFD
ちょっと古い朝日新聞の記事(Asahi.net)の「楽勝科目」をなくせ、大学側授業向上目指す の内容が、記事のタイトルからかけ離れており、あまりにも馬鹿馬鹿しいと思っていたのですが、ちょっと補足したくなりました。
記事によると、早稲田大学では政経学部が最高点の「秀」を5%以内とするなど統一した相対評価を行うらしい。う~ん、なんで相対評価なんだろう。絶対評価でしょ、大学では。(今日行く審議会の安易な単位認定から見せかけの厳格化へ でも、同じ事が書かれています)。
今、勤務先では、FDのなかで、いかに学生に理解させるかを重視するようになってきている。相対ひょかはこのような方向性とは反する。このFDの目標(の1つ)は、他の大学でも同じだと思うのだが、早稲田はFDを実施していないのかな?
ついでに書くと、同記事では、 同志社大が昨年度から、各科目の成績評価を公開しており、最高点の「A」から不合格を示す「F」までの得点分布をがかなり異なるということを問題にしているようだ。
でも、大学の科目が、基礎的な科目から応用、もしくは先端的な領域を扱う科目まであるのに、それでも同じような成績分布になるべきだというのはおかしくないだろうか。
しかし、同志社にいる知り合いに少し話を聞いてみた(別の件のついでに、本当にちょっとだけ)。ここで問題となるのは、科目毎のばらつきよりも、同一学部で同じ科目を(履修者数の関係などで)複数の教員で担当している場合らしい。必修科目で、教員を学生が選べない場合などで、難易度に差があると学生から不満がでるのだろう(同志社がこのケースに該当するかは未確認だが、非常勤先でこのような話を聞いたことがある。自分がその中の一人で、他の人がものすごく厳しく、別の人が非常に優しく、自分は間ぐらいだった。)
あくまでも個人的経験と伝聞に基づくものでしかないが、大学教員は同じ科目であっても、シラバスの統一を嫌がる、テキストの統一を嫌がる、さらに単位認定権を奪われたくないのか、統一試験も嫌がる傾向にある。ここまで統一してばらつきがでると、まさに教員の教育力の差として表れるからなんだろうけど。
自分だったら誰かが問題を作って採点してくれるなんて、楽で良いな、って思っちゃうけど。
メンテナンス
またまたメンテナンスだそうです。
メンテナンス日時が急に変更になったり、メンテナンスをしてもサーバーが重かったり、不具合続きのアメブロです。
ということで、何か書こうと思いましたが、メンテナンス明け後に。
テキスト等への書き込み
作問はほぼ終わりました。あとは、大学に行って所定の用紙にあわせて貼り付けるだけです。
ところで、大学に入学して驚いたのは、試験について持ち込み物件があるということでした。辞書のみ、テキストのみ、手書きのノートのみ(プリント不可)、すべて可、などなど。
そのときから、作問する側に回った今も不思議でならないのは、出身大学、勤務先(含む非常勤先)などでは(あ、もちろん出身大学の現状は不明です)、辞書やテキストのみを持ち込み可とした場合、書き込みがあると不正行為(カンニング)とみなすという扱いがあるということである。
普通、勉強しているならば、辞書やテキストに書き込みはあるでしょ?
それを認めないなら、辞書等を大学が貸し出すべきじゃないかと思ったのでした。
ただいま作問中
アメブロのメンテナンスも終わったようなので、更新再開です。
さて、7月に入り、大学もそろそろ前期がおわります。7月中・下旬あたりから前期末試験となるところが多いのではないでしょうか。(国立の場合、試験は夏休み後というところも多かったようですが、今でも同じなのでしょうか。)
ということで、まさに現在進行形で作問中です(今はその合間)。だから、試験の作問にまつわるネタをかくことにします。
作問の締切。 以前にも書きましたが(締切の巻 )、かなりの人が守りません。勤務先は明日(5日)が締切。さて、今年はどうにか間に合いそうです。
勤務先の場合、今年はそれほどでもないのですが、以前は締切が結構早かった(6月中)ので、勤務初年度は結構びっくりしました。その前の勤務先は小規模校だったせいか、印刷準備も間に合うと言うことで試験1週間前でした。
で、間に合わない人の言い訳。「だって、講義が終わってないのに、試験範囲が確定していないのに、問題なんか作れる訳ないじゃないか。」
個人的には御意。でも、筋論から言うと、「シラバスという契約に添って講義を行うべきだから、そんなのは言い訳にならない。」と一蹴されてしまう。でも、そんなことにはいっこうにお構いなしの人もいる。まあ、事務の方も遅れるのを前提に早めに締切を設定しているというし。
プリント
講義に使うプリント。以前は、自分で印刷して(今も前も勤務先では基本的に自分で印刷しなければならない。事務が印刷してくれるのは非常勤のみ。しかも一週間前には依頼しなければならない。)配っていました。
ほぼ毎回新しいものを追加するので、古いものはドンドン捨てていました。受講生にも、プリントはすぐ捨てるので、休んだ場合は友達にもらっておいてもらうか、翌週まで待たずに研究室に取りに来るように伝えているのに、毎回、前回の分(場合によってはもっと前のものまで)を欲しいという学生が後を絶たない。中には、「プリント貰ってません」って、まるでこちらがその人に配っていないかのように言う者も。そこで、研究室の前においておいて、休んだ人が自由に持って行けるようにした。
その後、ネットも普及したので、休んだ人はネットからダウンロード&プリントアウトできるようにした。
最近は、自分で印刷するのをやめて、事前にネットにおいておいて、各自で対応してもらう方法に変えた。そうしたら(自分だけではないはずだが)、情報センターから、紙の消費量が多くなったと苦情がきた。そしてついには、学生一人あたりの年間印刷枚数が制限されるようになった。さて、来年からどうしようかと思案しているところである。
ちなみに、愛知県にある星城大学 では、なんとかなりの講義が大学オリジナルテキストで行われており、すべてネットを通じて入手するらしい。PCをもちいて受講しても良いし、印刷してもよい。
そう、勤務先の学生も、全員プリントアウトしなくたって良いのにねえ。
ここのバグ
ここアメブロ、バグがあるのか、ちょっとしたことでイライラする。変えればいいじゃないかという意見もあるが。
一応、直ったと言われているのが、自動ログアウト。書き込みをして、いざ登録となると、ログアウトしてしまうのである。書いた文章が残ってはいるものの、またログインして、コピペして・・・というのが面倒。
で、今更なぜこんなことを書いているかというと、今もせっかく書いたのが消えてしまったから。今回のは、なぜかサーバーに接続できなくなって、おじゃんに。これから、または後日仕切直して書くことにします。
図書館
総合大学についてのエントリーへのコメントやTBについて直接答える前に(といって、ずっと答えなかったりして)、関連ネタでちょっと気になったことを。
数年前のこと。大学のキャンパスを再開発する計画を検討しているときに理系の先生から驚くべき発言。
「図書館なんていりません。」
そうなんですか。彼ら曰く、あれは文系の施設なんだそうです。
現在の図書館は、開館時間とかを除けば、それなりに充実していると思います。しかし、蔵書の収蔵スペースが不足してきたため、増築もしくは収蔵スペースを別の場所に作ることがその案の中にはあった。
図書館が充実しているというということは、図書の購入費やランニングコストでそれなりのお金がかかっていることになる。このようにただでさえお金がかかっているのに、新たにそれにお金をつぎ込むことはもってのほか。その分のお金をこちらに回せ、ということらしい。
しかも、大学の理事側には頭の悪い奴がいて、企業出身、すかも製造業出身なせいか、コスト削減しか頭にないらしく、書庫の空調を無駄だから切れと言い出した。閲覧室と比べて利用者が少ないから、問題ないだろう、という主張である。大学の財産であるはずの図書は、彼らにとっても無駄なものらしい。
手をつなぐ、腕を組む
ほろ酔い気分で、素朴な疑問を。
ここ数年、キャンパス内だけでなく、街中でも、女性同士が手をつないだり腕を組んで歩く姿をよく見ます。中には、友達母娘みたいな組み合わせもあるようですが。
まあ、男性同士の同じ姿は見られません。
仲よさそう(そもそも中がよいから手をつないでいるのでしょうが)、楽しそうに歩いています。いつからでしょう、こんな姿が当たり前になったのは。
しかし、今日街中でみたのはちょとあきれた。手をつなぎながら自転車に乗っている。もちろん、二人乗りではなくて、2台が併走しながら手をつないでいるのです。歩道いっぱいに。