大学という斜陽産業 -186ページ目

メンテナンス

またまたメンテナンスだそうです。

メンテナンス日時が急に変更になったり、メンテナンスをしてもサーバーが重かったり、不具合続きのアメブロです。

ということで、何か書こうと思いましたが、メンテナンス明け後に。

テキスト等への書き込み

作問はほぼ終わりました。あとは、大学に行って所定の用紙にあわせて貼り付けるだけです。


ところで、大学に入学して驚いたのは、試験について持ち込み物件があるということでした。辞書のみ、テキストのみ、手書きのノートのみ(プリント不可)、すべて可、などなど。


そのときから、作問する側に回った今も不思議でならないのは、出身大学、勤務先(含む非常勤先)などでは(あ、もちろん出身大学の現状は不明です)、辞書やテキストのみを持ち込み可とした場合、書き込みがあると不正行為(カンニング)とみなすという扱いがあるということである。


普通、勉強しているならば、辞書やテキストに書き込みはあるでしょ?


それを認めないなら、辞書等を大学が貸し出すべきじゃないかと思ったのでした。

ただいま作問中

アメブロのメンテナンスも終わったようなので、更新再開です。


さて、7月に入り、大学もそろそろ前期がおわります。7月中・下旬あたりから前期末試験となるところが多いのではないでしょうか。(国立の場合、試験は夏休み後というところも多かったようですが、今でも同じなのでしょうか。)


ということで、まさに現在進行形で作問中です(今はその合間)。だから、試験の作問にまつわるネタをかくことにします。


作問の締切。 以前にも書きましたが(締切の巻 )、かなりの人が守りません。勤務先は明日(5日)が締切。さて、今年はどうにか間に合いそうです。


勤務先の場合、今年はそれほどでもないのですが、以前は締切が結構早かった(6月中)ので、勤務初年度は結構びっくりしました。その前の勤務先は小規模校だったせいか、印刷準備も間に合うと言うことで試験1週間前でした。


で、間に合わない人の言い訳。「だって、講義が終わってないのに、試験範囲が確定していないのに、問題なんか作れる訳ないじゃないか。」


個人的には御意。でも、筋論から言うと、「シラバスという契約に添って講義を行うべきだから、そんなのは言い訳にならない。」と一蹴されてしまう。でも、そんなことにはいっこうにお構いなしの人もいる。まあ、事務の方も遅れるのを前提に早めに締切を設定しているというし。

プリント

講義に使うプリント。以前は、自分で印刷して(今も前も勤務先では基本的に自分で印刷しなければならない。事務が印刷してくれるのは非常勤のみ。しかも一週間前には依頼しなければならない。)配っていました。


ほぼ毎回新しいものを追加するので、古いものはドンドン捨てていました。受講生にも、プリントはすぐ捨てるので、休んだ場合は友達にもらっておいてもらうか、翌週まで待たずに研究室に取りに来るように伝えているのに、毎回、前回の分(場合によってはもっと前のものまで)を欲しいという学生が後を絶たない。中には、「プリント貰ってません」って、まるでこちらがその人に配っていないかのように言う者も。そこで、研究室の前においておいて、休んだ人が自由に持って行けるようにした。


その後、ネットも普及したので、休んだ人はネットからダウンロード&プリントアウトできるようにした。


最近は、自分で印刷するのをやめて、事前にネットにおいておいて、各自で対応してもらう方法に変えた。そうしたら(自分だけではないはずだが)、情報センターから、紙の消費量が多くなったと苦情がきた。そしてついには、学生一人あたりの年間印刷枚数が制限されるようになった。さて、来年からどうしようかと思案しているところである。


ちなみに、愛知県にある星城大学 では、なんとかなりの講義が大学オリジナルテキストで行われており、すべてネットを通じて入手するらしい。PCをもちいて受講しても良いし、印刷してもよい。


そう、勤務先の学生も、全員プリントアウトしなくたって良いのにねえ。


ここのバグ

ここアメブロ、バグがあるのか、ちょっとしたことでイライラする。変えればいいじゃないかという意見もあるが。


一応、直ったと言われているのが、自動ログアウト。書き込みをして、いざ登録となると、ログアウトしてしまうのである。書いた文章が残ってはいるものの、またログインして、コピペして・・・というのが面倒。


で、今更なぜこんなことを書いているかというと、今もせっかく書いたのが消えてしまったから。今回のは、なぜかサーバーに接続できなくなって、おじゃんに。これから、または後日仕切直して書くことにします。



図書館

総合大学についてのエントリーへのコメントやTBについて直接答える前に(といって、ずっと答えなかったりして)、関連ネタでちょっと気になったことを。


数年前のこと。大学のキャンパスを再開発する計画を検討しているときに理系の先生から驚くべき発言。


「図書館なんていりません。」


そうなんですか。彼ら曰く、あれは文系の施設なんだそうです。


現在の図書館は、開館時間とかを除けば、それなりに充実していると思います。しかし、蔵書の収蔵スペースが不足してきたため、増築もしくは収蔵スペースを別の場所に作ることがその案の中にはあった。


図書館が充実しているというということは、図書の購入費やランニングコストでそれなりのお金がかかっていることになる。このようにただでさえお金がかかっているのに、新たにそれにお金をつぎ込むことはもってのほか。その分のお金をこちらに回せ、ということらしい。


しかも、大学の理事側には頭の悪い奴がいて、企業出身、すかも製造業出身なせいか、コスト削減しか頭にないらしく、書庫の空調を無駄だから切れと言い出した。閲覧室と比べて利用者が少ないから、問題ないだろう、という主張である。大学の財産であるはずの図書は、彼らにとっても無駄なものらしい。


手をつなぐ、腕を組む

ほろ酔い気分で、素朴な疑問を。


ここ数年、キャンパス内だけでなく、街中でも、女性同士が手をつないだり腕を組んで歩く姿をよく見ます。中には、友達母娘みたいな組み合わせもあるようですが。


まあ、男性同士の同じ姿は見られません。


仲よさそう(そもそも中がよいから手をつないでいるのでしょうが)、楽しそうに歩いています。いつからでしょう、こんな姿が当たり前になったのは。


しかし、今日街中でみたのはちょとあきれた。手をつなぎながら自転車に乗っている。もちろん、二人乗りではなくて、2台が併走しながら手をつないでいるのです。歩道いっぱいに。

総合大学の利点は何なのか


先日の萩国際大学の民事再生法の適用のエントリーには、このブログ初の4つものTBがあって、びっくりしました。TBをしてくれた皆様、どうもありがとうございました。


萩国際大学には、支援企業がでてきたようですので、今後どうなるかには注目したいと思います。


さて、このような話題と少しは関連すると思うのだが、いろんな大学でいろんな生き残り策を考えているのでしょうが、勤務先の大学では、最近やたら「総合大学」というのを売りにしようとしている感がある。果たして総合大学の利点とは何なのだろうか。


歴史的にみて、人気のある(受験生が多い)学部はいろいろと変遷している。その意味で、単科大学よりも総合大学の方が、その人気の変動による影響を緩和できるかもしれない。でも、企業などは、多角化に走っていた時代もあるが、事業の選択と集中を進める戦略をとるところもある。


そもそも、学生にとっては何か利点があるのだろうか。これがさっぱりわからない。本部は学生にとって総合大学であることが魅力になるというのだが。学際的な領域というのもあるが、そもそも大学レベルの勉強で、それほど文理融合が魅力になるとは思えない。というか、率直に言って、そんなことで学生は大学を選ばないだろう、と思うのは穿った見方すぎるだろうか。

文理のコミュニケーションの壁

ちょっとタイトルは大げさか。

たとえば、直接関係ないので、リンクでごまかすとして、研究する日々の「ゼミ旅行 」のゼミの話。特にコメントのやりとり。


自分も文系です。ですからゼミ生は30名弱います。これが当たり前。講義も3桁は当然のようにあります(まあ、自分の担当科目のいくつかはマイナー領域なので、2桁も多いですが)。


でも、理系はゼミ生も少ないし、講義の受講生も少ない。で、彼らはそれが当たり前。


この違いを認識しないで、文理のやり方を統合しようと思っても所詮無理。でも、それを推し進める人たち。特に理系がそれに積極的だ。それに反対する文系の意見は彼らに理解されない。


現在は、教学側のトップも理系なので、理系の意見が通りがちだ。そう思うと、東北大が学長選挙を廃止した理由が妙に納得できる。


ちなみに、東北大の学長選挙廃止については、たとえば


東北大 学長選挙の廃止検討 選考会議方式に転換


をご覧ください。




大学初の再生法申請

たまには速報モードで。


定員割れで大学初の再生法申請へ・萩国際大


時間の問題だとは思っていましたが、ついにこのような大学がでて、徐々に同じようなケースが出てくるかと思うと・・・。


別のエントリーでも話題になっている生涯賃金の面でも不利、雇用面も不安では、ますますいい人材が来なくなるような。