大学という斜陽産業 -184ページ目

飲みまくりの週末

う~ん、思いっきり夏休みモードに入っている感じです。


普段は自動車通勤しているせいか、同僚と飲みに行くようなことは滅多にない。週末に行われる研究会の後に飲みに行くことはあるのだが、最近は研究会もさぼりがちで、本当に飲みに行くことが少なくなった。


飲みに行くことが減ることには2つのメリットがある。一つは健康。もう一つは財政。


そんな中、先週は、ゼミの打ち上げコンパに加え、週末にも連夜の飲みで、週の半分近くも飲んでしまった。この夏、研究も不可欠だが、身体をすこし絞ろうと思っていたのだが、ここまでの努力があっという間に吹っ飛んでしまった。


抱えている仕事を考えると、机に向かう(というかPCに向かう)ことが多くなって、ますます運動不足に。しばらく夜のアルコールは控えることにしよう。


でも、禁酒(節酒)の誓いほど簡単に破られるものはない(苦笑)。

こんな分煙、分煙じゃない~JR東海編

先日、新幹線に乗ったときのこと。


東京駅で、予約をした12号車の乗車口の前で並んでいた。もちろん、こんなエントリーを書くくらいですから、禁煙車です。そこにあの嫌なにおいが。なんと、よりによって、禁煙車の乗車口のそばに喫煙コーナーがあるんですね。


以前、キャンパス内の分煙について書いた(こんな分煙、分煙じゃない )けど、これも同じ。喫煙場所を特定すれば事足りると考えている。結局何のための分煙か、何も考えていない訳である。

盆踊り

いわゆる「夏休み」のこの時期、町内でもいろいろと行事があって、駆り出される。


今日も、この週末に行われる、盆踊り兼夏祭りのセッティングがあった。町内会の役員(これは単純に順番制なので、10何年で1回まってくる)の人が行うのだが、さすがに平日の昼間だと集まりが悪い。でも、町内会のいわゆる顔役の人たちが、農家の人たちなので、こういうことになる。そんな日程にもつきあえる自分って・・・。でも、いつも書いているけど、家にいる=休み、ではないんだけどなあ。


しかし、農家でも、徐々に代替わりがあって、その人たちの世代は兼業農家なので、平日の昼間は動けない(先のセッティングには、いわゆる隠居世代が顔を出して、口を出して、手を出さないからたまらない)。このようなやり方はこの先、そう長くは続きそうもない。



前期終了

昨日、大学の試験日程もすべておわり、ゼミの前期の打ち上げコンパでした。すでに試験の採点も終えたので、名実ともに夏休み入りです。


毎年、「この夏こそは」との目標を立てるのですが、昔(小学校の頃)から、この夏休みの計画が苦手で仕方ありません。


一応、今年の夏は、抱えている共同研究3つに集中したい。とくに、この共同研究のうち2つは、外部からファンドをもらっていて、今年度が最終年度なので、夏休みにラストスパオートしておかないと。


その他、じっくり本を読みたいと思っているのだけれど、これらに加えて頼まれ原稿などもあって、あっと言う間に夏休みも終わるような気がします。そして、子供の頃の夏休みの宿題のように、締切ギリギリにあたふたするのでしょう。


とはいえ、来週末からはお盆モード。地元の恒例行事も待っています。

レポートの代筆(?)もネットの時代

昔から、というほどの昔を知らないけど、自分の学生時代にも、レポートの代筆みたいのものはあったけど、やはり時代の趨勢というか、こんなサイトもあるんですね。


レポート・論文の共有広場ハッピーキャンパス


う~ん、知識取引所ですか。一応、著作権は確認するとは書いてあるけれども、学生のレポートに、ネットからのコピー&ペーストが多用されている現状を鑑みると、ここに登録されるレポート等がオリジナルなものであるのかを本当に確認できるのだろうか。

前期の打ち上げ~大学院編

昨日はまだ、特に前期が終わった訳ではないのに、なぜか大学院の打ち上げがありました。といっても、全体と言うよりも、同じ専攻の一部の院生が中心になって企画したもので、呼ばれた教員も一部でした。打ち上げだって聞いたから、ちょっと無理して参加したのでしたが、ちょと騙されたような。でも誘われないのも寂しいかもしれないなあ。


しかし、最近の大学院は社会人の方も多く、中には年上の人もいて、こっちはやりにくい感じもするが、社会人院生の方はどう思っているのだろう。


今回だって、端から見るとどう見たって親子ぐらい(もちろん、院生が親、自分が子)の感じの方がいて、二次会で入ったスナックのママさんがちょっとびっくりしていました。


世代が近い人たちだと、ちょっとした話題も共有できて、それはそれで楽しかったりしますけど。

成績の二極分化

成績をつけて、教務に提出してきました。


「おまえの教え方が悪いせいだろ」と言われてしまえば、それで終わってしまう話ですが、ここ数年の個人的感想を。


ご存じの方には今更ですが、大学の成績は、100点満点で、60点以上で合格(その中で、80点以上がA(又は優など)といった区分がありますが)、60点未満が不合格となる。


そして、実際の試験の成績が、出来る者と出来ない者にくっきり区分けされる傾向がある。(平常点を加えたとしても、その総合評価と試験の成績は概ねその傾向が一致するということは昨日のエントリーにも書きました。)単に合格不合格に分かれるのではなく、A(優)かD(不可、しかも20点以下)の二極分化という傾向がある。


成績は正規分布になるはずだ、なんてことは言いません。でも、この業界に入った当初は、B(良)やC(可)の学生もある程度いたのだが、最近はそうではない。


どうしてだろう → おまえの教え方が悪いせいだろ(最初に戻る)

採点終了

試験の採点が終わりました。あとは最終的な成績評価です。


成績評価は、試験に平常点等を加味しています。その割合はもちろんシラバスに明示。たとえば、平常点20%、レポート20%、試験60%などと。


単なる出席点は否定しているので、平常点は小テストなどをもってカウントしています。


もし、上記のような割合の場合、平常点もない、レポートも提出しない、という学生は試験で満点を取らない限り単位が認定されない。けれども、試験だけを受ける学生が結構いるんですよね、これが。


で、当然というか、平常点も良い、レポートの出来も良いという学生は(例外もあるけど)たいてい試験の結果も良いので、試験だけで評価してもよくて、総合評価する必要もない。でも、学生に勉強させるという意味で、こちらの負担も多いけど、小テストやレポートを課しています。


ちなみに、大学教員の日常・非日常のレポート上等! というエントリー等では、レポートと宿題の議論があるようですが、その区分けによると自分のは宿題かなあ、実質は。

ただいま採点中

今回も試験関連ネタです。といっても採点中のぼやきではありますが。


前期末という時節柄、他のブログでも、レポート関係など、成績に関連する話題のエントリーが見られますね。


自分にとっては、試験の採点というのは、学生の試験を採点している一方、自分の授業を採点されているようで、本当に悩ましいです。


自分の担当している科目は、一つは専門領域の思いっきり基礎になる科目で、複数の教員でクラス分けをして教えています。もう一つは、これとは対局に、応用的な科目です。


授業は生き物だとはいえ、前者の場合、シラバス等までは統一していないものの、教えるべき内容は統一している(そうしないと、関連科目に影響する)ので、学生の理解度が今ひとつかなあ、と感じてもちょっと無理をしてでも先に進めてしまうことも多い。


だから、先日のエントリー(評価とFD )のように、自分の教育力を評価されている気がして、出来が悪いときは、反省をすることしきり。やっぱりあの時、もう少しじっくり進めれば良かったのかなあ、とか。今年は・・・、

反省しています。


それに対して、応用科目の方は、かなり自由度がある。一応、基礎的な科目、中核的な科目をとってから履修すべき科目で、この科目を取ってから他の科目へ、ということがないので、学生の反応を見ながら進めることができる。こちらはまだ採点していないので、これからです。ただ、試験中の様子からは少し手応えがありそう。この予想が当たるといいのだけれど。



作問~入試編

最近、試験ネタが続いたので、さらに試験ネタでも、今度は入試という試験ネタで。


入試になると、同じ試験でも、その出題内容の適切性、ミスなど、外部の目が光っているので、かなりの時間を割いて作問しているはずです。


#諸外国だと、通常の講義の試験も外部チェックが入る場合もあるようですが。


ここ数年来、入試シーズンのニュースには、必ず入試の不手際のニュースがあり、関係者はピリピリしています。特に出題ミスです。それが試験実施時に問題訂正で対処できれば良いのですが、最悪なのは、一度合否判定をした後に判明するケース。


しかし、関係者は誰しも思っているはず。作問の体制を変えない限り無理です。でも、いわゆる教養科目がドンドン減らされてきた現状では、教員も徐々に減らされており、それもそう簡単に変えられない。


私立文系の一般的な入試科目にある国語と社会。国語を専門にしている教員なんて、社会科学系の学部にはそういませんって。社会科学を専門にしていたって、高校で学ぶ社会を専門にしている人もそういません。


大学によっては、幾ばくかの作問手当が出るようですが、その責任に比べたら雀の涙。あ、でも、責任を取る方が少数かも(まさに大学の掟)。