大学という斜陽産業 -182ページ目

人事の審査

高校以下の学校ではすでに2学期が始まっていますが、自分はまだまだ夏休みモードです。とはいえ、そろそろ後期モードで、後期開講科目の準備に割く時間も多くなってきました。


あと2週間ほどで、あれとあれとあれをして・・・なんて算段をつけていたのですが、運悪く事務に顔を出したのが運の尽き。今動いてる採用人事(ちょっと古いエントリーですが、「採用人事」 に少し書きました)が関連分野と言うことで、審査に駆り出されそうなのです。


困ったぞ。まず第一に、自分の能力は一応それなりにわかっているつもりなので、とてもじゃないけど他人の業績の評価なんか出来ません。以前、同僚には、「審査なんて、自分のことなんて棚にあげなくちゃ出来ないよ」と言われたけど、なかなか棚にあげられません。


次に、あれとあれとあれの他に、これを追加するとなると、あーして、こーしてと段取りを変えなくちゃならない。


しかし、以前の採用人事の審査といえば業績評価と面接が主流だったと思うのですが、最近では、模擬講義などをしてもらうことも多くなりました。勤務先でも数年前から導入されました。しかし、教員の前で模擬講義をしてもらっても余り意味がないような気がします。アメリカでは、大学院生ぐらいもこの点で審査に関わるみたいですが(以前どこかのブログで読んだのですが、見つけられないので、リンクやTBはしていません)、日本ではまだそこまではいきそうもありません。もし、学生等を対象にして模擬講義を実践しているところがあれば、ちょっとノウハウをお聞きしたいですね。


#でも、このブログでは一応匿名なので、「教えてあげますので、連絡先を教えてください」と言われてもお返事できませんので、ご容赦ください。



テキストを書くべきか

先日、某出版社の方と会ったとき、テキストを書かないかと誘われた。もちろん、社交辞令もあるが、敵も然る物、大学の実情をリサーチして、自分の担当している講義の受講生数をどこからか聞き出して、採算が合うと判断したのだろう。


実は個人的に、自費出版でもいいからちょっとテキストを書こうかと思って、少し準備を進めていた。別に先日のエントリーの登場人物のようにあくどいことをたくらんでいる訳ではなく、純粋に教育的見地からである(と教員が勝手に思いこんでいるだけかもしれないが)。


というのも、担当している講義の1つに、自分の専門から言うと、その関連分野としてはまさに入門科目となるものがある。そしてそれこそ無数のテキスト類が出版されている。しかし、そのどれもが、そこで教えたい=学んで欲しい内容を10とすると、1から書いていなくて、3ぐらいから書かれているのである。というのも、これまでであれば、1や2に相当する部分はテキストに書いていなくても、社会常識や高校までの学習で知っているはずだという前提が成り立っていたのだが、最近はそうもいかなくなった感があるからである。


そこで、個人的に、この部分を埋めるような簡単な新書的なものを書こうかと思っていたら、出版社は自分の考えとまさに同じような提案をしてきたのである。う~ん、さすが餅は餅屋。でも、移籍したら担当科目も変わるしね。さてさて、どうなることやら。

教科書を学生に強制的に売りつける方法

先日のエントリーに対するコメントから、「こんなこともあったよな。」、「こんな話も聞いたことがあるぞ」という感じでネタが浮かんできました。


オーソドックスな方法としては、「試験に指定のテキストのみ持ち込み可」とする方法でしょう。でも、これでは、先輩からもらったり、古本屋で購入したり、図書館から借りて来るという方法を阻止することは出来ません。


ヒロシさんのコメントによると、本のカバーに切取線がついていて、それを提出したとのこと。似たようなことが、自分の学生時代にもありました。今、本の奥付を見ると、たいていどこかに「検印省略」と書かれています。昔は、著者の検印があったそうです。自分の学生時代は、検印省略が多数派になってきていたのですが、まだまだ検印ありの本がありました。この検印は、小さな紙がのりで貼り付けられているものでした。そこで、教員は、試験の際にこの検印をとって解答用紙に貼らせるのです。だから、新しい本を買わなければならない訳です。ちなみに自分はこの講義は、これが気に入らなかったことと、内容もそれほど関心がなかったので、止めました。


その他の類似パターンとしては、教科書の中の問題の解答用紙を教科書から切り取らなければならないもの。同様に、レポート提出用紙が切り取り式のものも。


で、あまりにもひどいのは、先日のエントリーに書いたもの。それは、自費出版や内容の酷さもさることながら、実はそのテキストはノート兼用につくられていて、随所に白いページがあります。そこで、最後の授業で、ノートをチェックするという名目でそのテキストを回収し、それをすべて教員が捨てるんです。でも、その教授、テキストを提出したら単位をあげるらしく、受講生は毎年何百人といるそうです。学生からも「酷い」とクレームが付くようですが、その一方でそんなに履修してちゃ説得力無いでしょ、っていう感じです。

誘われた

先日、普段あまり交流のない同業者から電話があった。「ああ、また学会の選挙かな」と思ったので、気楽に構えたら、なんと、誘われてしまいました。


「うちの大学に来ませんか?」


あ、もちろん、遊びにではありません。移籍話です。思わず目が点。なんで?でも、自分の業績を評価してもらえたといううれしさはあるなあ。誘われるうちが華かもしれない。さてどうするか。今の勤務先も斜陽であるが、移籍先も同業界という意味では斜陽か。いわゆる偏差値は上になる。職場環境はどうだろうか。担当講義のノルマ、研究のバックアップ体制、もちろん俸給も気になる。与えられた時間はそれほど無い。今の職場もそんなに悪くはない。悩ましいなあ。


公募ではなく、学内の根回しは済んでいるらしい。あとは自分の決断次第だ。う~ん、どうしよう。しばし悩むしかないか。

自費でブログの書籍化かあ

電車男は掲示板の書き込みを書籍化したことで有名ですが、ブログもたとえば、「実録鬼嫁日記 」も本になっています。まあ、これらは人気があったものに着目して売り出されたものですが、ここアメーバ・ブログでは、自費出版サービスが始まりました(「ブログ製本サービス アメブロde本!が始まりました。 」)。


業績がアップアップな自分は、これで業績稼ぎを・・・。というのは冗談ですが、分野によっては、本当に訳のわからない出版社からの自費出版を堂々と業績に挙げることができたりします。自分の分野ではさすがにそれはありませんが、聞いたときはぶっ飛びました。そんなのありかあって。


業績ではないですが、非常勤先の教授、自分の書いた論文などを切り貼りして、どっかの印刷屋に製本させて、教科書としてかなりのお値段で自主販売しています。愛車は高級車。噂では・・・。




サークルのOB会

勤務先では、某サークルの顧問をやっている(やらされている?)のだが、つい先日、OB会を開くので参加して欲しい、との連絡が入った。


前のエントリー、「同窓会 」では、同窓会の連絡が来たのはいいのだけれど、連絡が来たのが約半月前だということを書いたが、このOB会の連絡はそれにもまして直前すぎてあきれた。しかも、学生から研究室にメモで連絡があり、かつそこに書いてあるメアドが間違っているときたもんだ。返事ができない。もちろん欠席だけど。まあ、どうしても連絡したければ、またコンタクトしてくるでしょう。


#メアドを変更したら、連絡しろって言っているんだけどねえ。紙に間違えたアドレスを書かれても連絡にはなりません。



電子メールによる修論指導

先日、電子メールで学生との連絡が取りやすくなったと書いたが、この夏休み期間中、大学院生の指導も、電子メールを通じたものが中心となっている。


しかし、実際問題、電子メールで連絡を取れるようになったからと言って、なかなかうまくいくものではない。


大学院生から送られてきた修論の途中経過。これをプリントアウトして赤ペンでチェックを入れるのだが、このチェック項目、普段であればこのプリントアウトしたものをそのまま渡せばいいのだが、電子メールだとそうもいかない。細かい日本語の修正であれば、そのまま渡してもよいのだが、余白に書き込んだコメントの意図がなかなか伝わらないときもある。そうなると、やはり直接会って話をした方が早い場合もある。いっそのこと、skype でも導入しようかと思ったり。


ちなみに、現段階では、コメント等が少なければ、メール本文にその内容を書き込んで、多ければ、赤ペンを入れたものをスキャナで読み込んで、pdfファイル化して、送信しています。


ウォームビスねえ

今度はウォームビズですか。説明やニュース記事へのリンクはいらないでしょう。もともと大学教員の多く(一部?)はウォームビズですから、別に何か変わる訳ではないでしょう。


しかし、クールビズは、クールに涼しいとかっこいいという2つの意味があったようですが、ウォームでは暖かいだけで、ひねりも何もないですね。


近々学会(国内)があります。まだ暑さが厳しいこの時期の学会、クールビズでいけるだろうか。人間、楽な方に流れ気味(自分だけ?)。この夏、ネクタイをしないという楽なスタイルにすっかりなれてしまった自分は、もうネクタイするのが嫌でしょうがない(笑)。まあ、報告者や司会は絶対ネクタイしているだろう。今度の学会は聞くだけなので、クールビズでいこう!


でも、初めて国外の学会に参加したとき、夏だったのだけれど、米国西海岸の人が、Tシャツに短パンで、「これがカリフォルニア・スタイルだ」といって報告したときにはびっくりした。でも、そのほかの国の人は、さすがにジャケットは着ていなくて半袖シャツだったけど、結構ネクタイしていた。


学生への成績の通知

勤務先では、この月末に、学生に対して前期試験の結果を含んだ成績表を渡すことになっている。


夏休み期間中ということで、自宅に郵送する。その際、宛名は父母等と本人を連名にしている。連名にする訳は、日本ではほとんどが親が学費負担者であることから、父母等にも成績を知らせたいという配慮らしい。「らしい」というのは、実際問題として、特に成績の振るわない者は、この郵便を待ちかまえていて、父母には見せずに隠してしまうから、本来知って欲しい人には意味がないものになっているからである。


かくして、進級制が無い勤務先の場合、4年生となってしまえば、父母の卒業ができるのではないかと期待する。しかし、場合によってはどう頑張っても卒業できない人も出てきて、卒業判定の時期に近くになるとちょっともめてしまうこともある。両親は、「どうしてこんな状況になる前に連絡をしてくれないのだ」と言い、大学は、「成績は郵送していますよ」と答える。だから、例年、この成績の郵送は、親宛にして欲しいとの要望が出てくる。でも、今年も連名だそうだ。まあ、親宛にしたとしても、その郵便自体を隠してしまうことは可能だから、根本的な解決にはならないけど。


また、その結果を持って、学生が研究室を訪ねてくることになる。さてさて、今年は何人ぐらいクレームをつけてくるだろうか。こちらとしては、平常点等についてはすでに学生に知らせており、試験については解答と採点基準を用意しているので、これに従って説明をするだけである。


選挙活動

世間では、「どっちが優勢?」なんていう親父ギャグぐらいしか思いつかない、「郵政民営化」に端を発する衆議院選挙のニュースがやたら目につきます。


大学人は、いろいろと選挙に関わっています。学内では、学長選挙(この制度を廃止した大学もありますし、そもそも無い大学もあります)。学外的には学会の会長や理事の選挙。


自分の属する学会の1つは、今年が会長と理事の改選期にあたります。その開催が近づいてきたので、いろいろと連絡というか、投票依頼が来ます。普段あまり親交の無い人からも電話など、もうそれだけで内容が推測できちゃうぐらいです。


しかし、学内的にも学会的にも、余り適任には思えない人ほどやりたがりなので、本当に困ったものです。また、このような政治活動が好きな大学もあって、そこから来る投票依頼を見てみると、思わぬ人が入っていて、どういう関係なのかを推測すると少し面白いです。


さてさて、結果はどうなることやら。