大学という斜陽産業 -181ページ目

テンパってます

もちろん、麻雀中ではありません。自分の能力不足のせいで、大学の事務処理、論文、頼まれ原稿、後期の講義の準備等々、だいぶヤバいです。

こんな時に、ブログの更新どころではないだろう、という意見もありますが、最近はアクセス数も増え、気になっちゃいます。

勤務先の後期は来週から始まります。と同時に連休もあるので、今週末の連休とあわせて、ラストスパートしなくては。

でも、すでに後期が始まっている大学に比べると、まだましかもしれません。

でも、学生時代は二ヵ月ほどあった夏休みも、年々短くなっています。贅沢な悩みかもしれませんが、もう少しまとまった時間が欲しい、今日この頃です。

学会でのクールビズ撃沈

先日のエントリー(ウォームビスねえ )で、学会にクールビズで行こうと書いたのだが、元来気の弱い自分は、先日の学会、念のためネクタイを持参していった。


司会者と報告者がネクタイをしているだろうとの予測は大当たり。それ以外は多少はクールビス派がいるだろうという予想は大外れ。見渡す限り、クールビス派はいない。おそらく(数えてはいないけど)99.9%がネクタイをしていた(泣)。


思わず、途中でネクタイを締めてしまいました(弱~)。う~ん、まさに備えあれば憂いなし。


今度の学会は、司会を頼まれているので、ネクタイをするつもりで行きます(移動中はノーネクタイ)。


査読制だけでいいの?

この際、紀要ネタで続けちゃいます。


勤務先で査読制を試行的に導入した背景には、そもそも、紀要のレベルを上げる(下げない?)ためにはどうしたらよいか、という議論があった。だから、本来はすべての論文に査読制を入れるべきだという方向で議論が進められていたはずだった。


しかし、一部の教員から強烈な反対があり、差し当たり、「専任教員は研究者として独り立ちしているので、まあ、よしとしましょう。でも、大学院生はまだ研究者として独り立ちしていないので、投稿する論文をチェックしましょう」というあたりを落としどころとして、どうにか議論をまとめたものである。


#そもそも、専任だからちゃんとした研究者であるとみなすこと自体乱暴だと思うけど。


余談だが、この落としどころ自体は個人的には不満だけど、あれだけ揉めた議論をどうにか収束させた某教授の手腕は見事だった。あの調子じゃ、絶対まとまらないと思ったし、自分だったら絶対まとめられなかったと思う。


しかし、「レベルを上げたい」という点については、個人的には大学の紀要にはもっと根本的な問題があると思っている。それは、「分野が特定されていない」という点である。紀要は、単科大学や学部数が少ない場合は、「○○大学紀要」とか「○○大学論集」といいような誌名であり、学部が多かったら、「○○学部論集」とか「○○学論集」となっている。後者の場合、その学部に関連する論文が掲載されていそうだが、通常投稿資格はその大学や学部に所属している教員全員にある。自分の場合は、社会科学系の学部に所属しており、自分の専攻も広い意味で同じ分野なので、紀要の誌名と自分の論文は関連がある。でも、同僚には語学や体育や教養科目の教員だっている。彼らの論文も一緒に掲載されるのである。そうなると、外部から見ると、いったいこれは何の分野の論文が載っているものなの?ってなると思うのである。


紀要の中には、このような弊害を避けるためか、すでに分野を限定されている紀要もあるし、たとえば社会科学系の学部の「○○学部論集」で「人文科学特集」としているところもある。


すべてを見ている訳ではないが、特に分野を限定しているところは、査読制だけでなく、外部からの投稿を広く受け付けており、(世界的に見たらレベルが低いかもしれないけれど)それなりの評価を受けている、もしくは受けるようになるのではないか、と思うのである。


まあ、もっと根本的な問題は、発行する大学自体の評価でしょ(いわゆる中堅・底辺大学の紀要じゃ駄目)、とう指摘もあるでしょうけど、それを言っちゃあ身も蓋もないということで。

紀要の原稿料(2)

原稿料の話の続き。とはいえ、紀要に限定しない話です。


先のエントリーとの関連から言うと、自分の場合、論文を書いてお金をもらえる(原稿料がある)のことは普通のことだと思っていました。もちろん、全く原稿料が出ないこともありますし、査読誌に投稿する場合には査読料を払うこともあります。

でも、理系の人に言わせると、論文を書くことはお金を払うことであるとのこと。査読料だけでなく、掲載料(1ページ当たり○○円とか)がかかる場合もあるらしい。その負担が結構厳しいとぼやいていた人もいたなあ。

この話を聞いたときには結構吃驚したものです。こういう点でも文系と理系ではかなり意識が違うと思う。もちろん、すべて「文系」と「理系」では括れないし、同じ文系でも「人文科学」と「社会科学」は随分違う。「理系」の人に言わせればそれはまた分野によって大部違うのだろう。

紀要の原稿料

本来は、昨日のエントリーのコメントにつなげるべきなのだろうけど、ネタが浮かばなかったので、エントリーに格上げします。


しんのすけさん曰く、


査読料は1本(理系の方に言わせると1編らしいですが)あたり1万円です。
で、執筆料は3万円です。
今時、ありえないと思うのですが、今でもきっちり規定が存在してます。


勤務先の場合も、原稿料が出ます。前の勤務先も出ました。義理で書いたことのある某大学のところも出ました。金額はまさに千差万別ですが。いずれもすべて私学です。もちろん、原稿料が出ない私学もあります。また、大学によっては紀要を販売しているところもあるので、一概に原稿料を出すことがよくないとは言えないと思うわけですが。


ところで、勤務先の場合、紀要は年数回発行されます(たまに合併号となるので、実質発行回数は毎年変動します)。そして、毎回毎回、論文やら研究ノートやらを書いている人がいます。しかも、同じ号に複数掲載されるケースもあります。分野が違うので断定は出来ませんが、個人的には「小遣い稼ぎか?粗製乱造じゃないの?」なんて思ったりします(だって、それなりの業績をそんなに量産できるならば、とっくにどっかに移ってるでしょ?と思うので)。

紀要の査読

今年はどうも審査づくしのようだ。


とはいえ、研究者のふりをしている自分には、一流の学術誌からのレフリーの依頼なんて来ないので、あくまでも学内の紀要だけ。


でも、紀要も本当に千差万別。文系の多くは、いままで査読なんとほとんどしていなかったと思う。理系の状況はあまり知りません。というか、理系に紀要なんて無い、というか不要だという話しか聞いたことがありません。


勤務先の場合、これまで査読を実施しておらず、専任教員は基本的にフリーパス。だから、といっても、自分ではいい加減に書いたことはないつもり。でも他人の評価は別ですけどね。


しかし、ここ数年の間、いろんな大学(あくまでも文系)が紀要を外部に解放すると共に、査読制を導入しつつあるようだ。そこで、勤務先も実験的に大学院生やオーバードクターに査読制を導入してみようと言うことになった。


でも、学内にその専門が同じ人が何人もいる訳ではなく、おのずと「関連分野」どころか「ちょっと無理があるけど関連しているかなあ」という人にまで依頼が来ることになる。おいおい。そのとばっちりですよ。


紀要のレベルを上げたいという気があるならば、査読者にも気を配らなくちゃ、と思うのは自分だけでしょうか。


ちなみに、もちろん無報酬です。だって試行期間だから(本格導入したら、査読料払うのかなあ)。

台風と休校

またまた大きい台風が猛威をふるっていきました。幸い、居住地には大きな影響は無く済みました。


さて、そこでこの台風の関連で、公立学校などが一斉に休校になっていたりしたようですが、勤務先はどうかというと、キャンパスが所在する都道府県内に暴風警報が発令されると、その発令されている時間によってどこまで休校になるかが決まります。


今回は幸い夏休み期間中でしたので影響なし。でも7月は試験期間中でしたので、影響があり、(教員もそうですが)学生も台風の予想進路等が気になってしょうがないようです。せっかく勉強したのにとか、延期する日にすでに予定がはいっているとか。


じつはたまたま前勤務先も現勤務先も(ストライキというのもありますが、自然災害に関連するものとしては)この暴風警報だけが休校となる要件です。だから当然だと思っていたのですが、そうではない大学も多いようです。東海地方だと、地震の警戒宣言が要件に入っていても暴風警報は入っていないところもあるようです。


大学って、キャンパスが広いので、災害時の避難場所にも指定されていることが多いようですが、勤務先の場合、飲料水とか食料とかが確保されていると言うことは余り聞いたことがない(自分が無関心なだけかもしれないけど)。


この点も含め、リスク管理とい観点からももう少し検討する余地がありそうです。

人事の審査

高校以下の学校ではすでに2学期が始まっていますが、自分はまだまだ夏休みモードです。とはいえ、そろそろ後期モードで、後期開講科目の準備に割く時間も多くなってきました。


あと2週間ほどで、あれとあれとあれをして・・・なんて算段をつけていたのですが、運悪く事務に顔を出したのが運の尽き。今動いてる採用人事(ちょっと古いエントリーですが、「採用人事」 に少し書きました)が関連分野と言うことで、審査に駆り出されそうなのです。


困ったぞ。まず第一に、自分の能力は一応それなりにわかっているつもりなので、とてもじゃないけど他人の業績の評価なんか出来ません。以前、同僚には、「審査なんて、自分のことなんて棚にあげなくちゃ出来ないよ」と言われたけど、なかなか棚にあげられません。


次に、あれとあれとあれの他に、これを追加するとなると、あーして、こーしてと段取りを変えなくちゃならない。


しかし、以前の採用人事の審査といえば業績評価と面接が主流だったと思うのですが、最近では、模擬講義などをしてもらうことも多くなりました。勤務先でも数年前から導入されました。しかし、教員の前で模擬講義をしてもらっても余り意味がないような気がします。アメリカでは、大学院生ぐらいもこの点で審査に関わるみたいですが(以前どこかのブログで読んだのですが、見つけられないので、リンクやTBはしていません)、日本ではまだそこまではいきそうもありません。もし、学生等を対象にして模擬講義を実践しているところがあれば、ちょっとノウハウをお聞きしたいですね。


#でも、このブログでは一応匿名なので、「教えてあげますので、連絡先を教えてください」と言われてもお返事できませんので、ご容赦ください。



テキストを書くべきか

先日、某出版社の方と会ったとき、テキストを書かないかと誘われた。もちろん、社交辞令もあるが、敵も然る物、大学の実情をリサーチして、自分の担当している講義の受講生数をどこからか聞き出して、採算が合うと判断したのだろう。


実は個人的に、自費出版でもいいからちょっとテキストを書こうかと思って、少し準備を進めていた。別に先日のエントリーの登場人物のようにあくどいことをたくらんでいる訳ではなく、純粋に教育的見地からである(と教員が勝手に思いこんでいるだけかもしれないが)。


というのも、担当している講義の1つに、自分の専門から言うと、その関連分野としてはまさに入門科目となるものがある。そしてそれこそ無数のテキスト類が出版されている。しかし、そのどれもが、そこで教えたい=学んで欲しい内容を10とすると、1から書いていなくて、3ぐらいから書かれているのである。というのも、これまでであれば、1や2に相当する部分はテキストに書いていなくても、社会常識や高校までの学習で知っているはずだという前提が成り立っていたのだが、最近はそうもいかなくなった感があるからである。


そこで、個人的に、この部分を埋めるような簡単な新書的なものを書こうかと思っていたら、出版社は自分の考えとまさに同じような提案をしてきたのである。う~ん、さすが餅は餅屋。でも、移籍したら担当科目も変わるしね。さてさて、どうなることやら。

教科書を学生に強制的に売りつける方法

先日のエントリーに対するコメントから、「こんなこともあったよな。」、「こんな話も聞いたことがあるぞ」という感じでネタが浮かんできました。


オーソドックスな方法としては、「試験に指定のテキストのみ持ち込み可」とする方法でしょう。でも、これでは、先輩からもらったり、古本屋で購入したり、図書館から借りて来るという方法を阻止することは出来ません。


ヒロシさんのコメントによると、本のカバーに切取線がついていて、それを提出したとのこと。似たようなことが、自分の学生時代にもありました。今、本の奥付を見ると、たいていどこかに「検印省略」と書かれています。昔は、著者の検印があったそうです。自分の学生時代は、検印省略が多数派になってきていたのですが、まだまだ検印ありの本がありました。この検印は、小さな紙がのりで貼り付けられているものでした。そこで、教員は、試験の際にこの検印をとって解答用紙に貼らせるのです。だから、新しい本を買わなければならない訳です。ちなみに自分はこの講義は、これが気に入らなかったことと、内容もそれほど関心がなかったので、止めました。


その他の類似パターンとしては、教科書の中の問題の解答用紙を教科書から切り取らなければならないもの。同様に、レポート提出用紙が切り取り式のものも。


で、あまりにもひどいのは、先日のエントリーに書いたもの。それは、自費出版や内容の酷さもさることながら、実はそのテキストはノート兼用につくられていて、随所に白いページがあります。そこで、最後の授業で、ノートをチェックするという名目でそのテキストを回収し、それをすべて教員が捨てるんです。でも、その教授、テキストを提出したら単位をあげるらしく、受講生は毎年何百人といるそうです。学生からも「酷い」とクレームが付くようですが、その一方でそんなに履修してちゃ説得力無いでしょ、っていう感じです。