大学という斜陽産業 -180ページ目

爪切り

他愛のないことだけど、最近気になっていること。それは爪切り。


愛用(?)の爪切りが行方不明になった。仕方がないので、そこら辺のスーパーで買ったのだが、どうも切れ味が悪い。


PCのキーボードを打つときに爪が気になるので、週に1回ぐらいは切っているだろうか。それだけに気になって仕方がない。


爪はマメに切るくせに、わざわざヤスリをかけるという行為が嫌いなので、切っただけで良い感じになるものを探しているのだが、わざわざ爪切り一つ買うのに時間をかけるのもなぁ、とも思ったりして。


爪切りも研究者も、切れ味鋭いのが良いですね。


おあとがよろしい(?)ようで。

編集委員会

先日、一時的に連続して書き込みをした紀要関連で。


実は、今年は(昨年も)編集委員をしている関係もあって、いろいろな論文を読まされている。ちなみに、勤務先の場合、編集委員=査読者とはならない。でも、最終的な権限は編集委員会にあるので、結構大変である。なんか、後期に入ったら入ったで、会議ばっかりという感じ。先日も、編集委員会に駆り出された。分野の違う論文を読んだって、本当に理解不能(おまえの能力不足だろ、という突っ込みは許可します)。


昨年は、厳しい意見を声高に言う人がいて、しかもそれが的を得ているので、特に大学院生が投稿してきた場合には会議が紛糾した。自分のゼミの院生の論文が却下された人の中には、編集委員には査読をする権限はないとごり押ししようとする人まで出た。


先日書いたように、今年から院生の投稿には査読を試験導入したので、院生の投稿数自体が減ってきた。果たしてこれは、どのように解釈すべきか。昨年のゴタゴタを思い出すならば、個人的には、問題が生じる可能性が減ったので助かった。でも、査読が行われるから投稿を控えた(指導教授が控えさせた)というのであれば、それはそれで問題でしょう。だって、昨年までは内容がひどいと分かっていて、紀要だから良いかっていう感じで投稿させたことになるのだから。

こんな時にはナショナリスト

別に熱烈なる大相撲ファンではないが、たまに本場所を見に行くとそれなりに楽しい。


で、今場所は、結局朝青龍の優勝。しかも6場所連続。今場所は優勝決定戦となったが、相手は琴欧州。いずれも外国人力士である。別に日本人以外は力士になるな、というつもりはないが、日本人力士が全然優勝しないのは面白くない。


まあ、内輪(たとえば相撲の場合は日本人)だけの競争は競争じゃないともいうので、外国人力士が入ってきて、日本人力士の刺激になっていればよいのだけれど・・・。相撲に限って言えば、過渡期なのかも知れないけれど、どうもやられっぱなしという感じがするというご都合主義のナショナリストなのです、自分は。


ちょっと視点を変えると、留学生をドンドン受け入れようと言う勤務先の方針は、学生の確保=学費収入の確保、という意味で経営戦略(戦略と言うほどのものでもないけど)上は重要かも知れませんが、日本人学生に刺激を与えるという意味ではあまり成功していないと思う。

研究会

今日は研究会に参加した。報告ありなので、準備を含めて疲れました。

これは現在進行形の共同研究なのだけれど、どうもうまくいきません。自分のも十分とはいえないと思って参加したのだけれど、まわりも結構ひどいぞ。人間、下をみて安心してはいけないけれど、あまりにひどくて・・・、と酔っ払って書いてます。

前期試験を返す

最近、セメスター制を採用する大学が非常に多くなった。何となく細切れみたいな感じで、個人的にはあまり好きではない。


さて、それはさておき、担当科目の中で少数となった通年科目については、後期の1回目に前期試験を返すことにしている。


解答例をつけ、解説を行うのだが、こういうのって、本当は一番聞いて欲しい、比較的成績がよくない学生ほど欠席だったりする。だから、クレームも年々減ってきた。でも、最後の単位認定になると問い合わせが途端に多くなる。もう、途中経過はどうでもいいみたい。

後期が始まった

今週から後期が始まった。

とはいえ、月曜も休み、明日も休みなので、まだフル操業ではありません。講義なしモードからギアチェンジして、慣れるまで時間がかかりますが、これに要する時間が年々長くなってきました。ヤバいです。

後期からはじまる講義はガイダンスを実施。そこで発せられた質問に唖然とする(ちょっと大袈裟か)。正体ばれそうなので、詳細は省略します。

世論調査についての素朴な疑問

たとえば、今日のNHKのニュースで、小泉内閣の支持率が58%に上昇したという(ちなみにいつまであるかわからないけど、ネットはここ )。


このような数字の根拠は世論調査によるわけだが、最近の手法は、 コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDD(Random Digit Dialing) という方法だそうだ。昔は、サンプルを電話帳から抽出していたが、最近では電話帳に番号を載せない人も増えているので、RDD法の方がよいのだそうだ。


でも、最近では、特に若い世代は、固定電話を持たず、携帯電話のみの人もいるので、サンプルがそもそも偏っているのではないかなあ、と思ったのでネットで探して見たら、やはり同じような疑問を持っている人がいました(【電話世論調査について】 )。


さらに、電話に出る人についてはどうなんだと思ったりもした。いわゆるサラリーマンは普通昼間家にはいない。だから昼間に電話をかけること自体偏りがあるだろう。また、内閣支持率の場合、おそらく対象を有権者にしていると思うと、未成年が電話に出るとどうなるのだろう。ちなみに、上記サイトの場合、当該世帯でもっとも年上の人を出して欲しいなどのリクエストがあるらしい。まあ、未成年者しかいなかったり、もっとも年配の人がいなかったりした場合は、非回答者数に反映されるのだろう。


このような素朴な疑問が浮かぶぐらいだから、専門家はいろいろと研究しているのだろうと思ったら、やっぱり学会主催のシンポジウムもあるようですね。


一度ぐらい、世論調査のサンプルになってみたいという野次馬根性はあります。ちなみに、選挙で出口調査に会ったこともありません。

なぜMS社製ソフトにこだわるのか

元々は、レポートの手書きを認めるか否かという話題(大学教員の日常・非日常の「手書きレポートが生き残る理由 」)なのですが、関連して、個人的に気に入らないことを!


#いつも、そんなことばっかり書いているので、わざわざ気に入らないことなんて書く意味がないかも知れないけど。


学生に課すレポートに手書きを認めないと、PCを買え学生が不利益だとか、大学のPC設備を利用すればいいと、いろいろコメントがついています。さらには、大学が共同購入する方法とかも。自分の知る限り、すでに学費にノートPC代が含まれている大学もある。


それよりも問題なのは、結局PCの使い方についてきちんと教えないといけない(別に大学でなくてもよいはずではあるが)という点には御意。


個人的な経験ではあるが、前任校では、あくまでも希望者のみであるが、大学がノートPCの共同購入を勧めていて、9割9分以上の学生が購入していた。必修で、リテラシーの科目もあって、担当の教員から、彼らの学習のインセンティブにもなるから、レポートの提出などをメールを利用するようにして欲しいとの依頼もあった。


今の大学は、そこまではしていないけどリテラシーの科目は必修ではないけど、実質的に必修(時代も変わって、高校での教育も充実しているので、不要の学生もいるようになったからだと思う)。


このように教育に力を入れているのだけれど、使うソフトに不満があります。そう、なぜMS社製ソフトばかり使うのか。ワープロはワード、表計算はエクセル、プレゼンはパワーポイント。この問いに対する答えは、結局「企業等でも一番使われているので」という趣旨。確かに実務上の利便性を考えると、これを凌駕する再反論はあまり出来そうもない。


でも、情報教育に関わっている先生の多くが、MS社製ソフトに不満を持っているのが不思議でならない。自分もOSはMS社製だが、それ以外はあまりMS社製ソフトは余り使っていない。理由は重いし、すぐフリーズするし、余り使い勝手がよくなかったし(今の状況は恥ずかしながら余り知らない)、マクロにウィルスが仕込まれるし・・・。(使っているソフトを明示すると、知り合いには正体がばれるので、以下自粛。)


大学のシステムもMS社製ソフトにこだわるのが多くて嫌である。たとえば、WEBを使った各種の登録・申請手続きがIEしか対応していない(あの独自のJAVAを使う)。成績の登録に、(マクロを使うなどの関係で)エクセル・ファイルしかアップロードできない。


最後に、もう一つ。行政機関のwebsiteでIEしか対応していない奴は○○喰らえ!!人の税金で特定の会社を潤すな!!


講義回数

最近、講義回数を大学設置基準に示されている規定を理由に、半期15回を実施せよとうるさくて仕方ない。


これに加え、学部評価も圧力になっているらしい。自分の勤務先と同じ状況なのが、 「大学教授になりたい人!」の「JAB○Eって一体? 」というエントリーにあります。


ちなみに、大学設置基準の関連する規定はこれ。


第二十一条
各授業科目の単位数は、大学において定めるものとする。
2 前項の単位数を定めるに当たっては、一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもって構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮して、次の基準により単位数を計算するものとする。
一 講義及び演習については、十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもって一単位とする。
(略)

第二十二条
一年間の授業を行う期間は、定期試験等の期間を含め、三十五週にわたることを原則とする。

第二十三条
各授業科目の授業は、十週又は十五週にわたる期間を単位として行うものとする。ただし、教育上特別の必要があると認められる場合は、これらの期間より短い特定の期間において授業を行うことができる。


これを、特に23条を今更杓子定規に適用しようというらしい。でも、単位の考え方からすると、21条の解釈によっては、別に15回じゃなくたって問題なさそうだ。


でも、その前にもっとやるべきことがあるんじゃないの、って言いたい。個人的には楽したいから、あまり声高に主張したくないけど(苦笑)。


たとえば、21条にある「授業時間外に必要な学修等」の時間。今時予習復習なんて期待できません。


また、1時間といいながら、通常、45分をもって1時間としている。これは、1時間につき、15分の休憩が必要とのことらしい。学生の学習時間を確保するという正論から言うならば、講義回数を1~2回増やす効果なんてただが知れてますって。


結局そんな主張をする彼らも、単にアリバイ作りな訳ですね、ハイ。

創立記念日(開校記念日)

昨日、だんだん夏休みが短くなってきたと書いたが、同じようなことが、創立記念日にもある。


今までだったら、創立記念日といえば休み。でも、最近は授業があるんです。ちなみに、勤務先だけではなく、非常勤先でも同様のことを経験しています。


要するに、半期15回の講義回数を確保することが最近の至上命題らしく、変なところに休みが入ると、その曜日だけ講義回数が減って、変則的な日程になってしまう。それを避けたいためらしい。


だからハッピーマンデーは、大学にとってはアンハッピーマンデーである。その結果、全然休みではなく、授業をする大学が増えてきている。


個人的にはちょこちょこっと休みが入るより、まとめて休める方がいいです(お金も同じ。同じ金額でも毎月分けてもらうよりも、年に一度にまとめてもらった方がうれしいです)。