大学という斜陽産業 -180ページ目

体育の日

明日は体育の日。ハッピーマンデーが導入されたせいで、毎年日にちが一定せず、久しぶりに体育の日が10月10日に帰ってきます。このように、元々の祝祭日にいわれがあったのが、単に第○月曜日になるのは寂しいような気がしますが、もう何年かすると、学生世代にとってはハッピーマンデーが当たり前の制度になるのでしょう。


幸い、個人的には休みになりましたが、最近はハッピーマンデーの祝日には授業を実施する大学も増えてきました(以前にも書いたかな)。もちろん、授業回数を確保するためです。


体育の日というか、10月10日といえば、例年晴れの日が多いということがよく言われていました。気象のことはよくわかりませんが、自然現象にこのような特異な(?)傾向が生じることについては、結構不思議に思っていました。子供のころ、体育の日といえば学校の運動会がおこなわれたのだけれど、「体育の日だから晴れるから、心配しなくていいよ」なんてよくいわれたものでした。


でも、自分の知る限り、ほとんどの大学で大学祭はあっても運動会みたいな行事がないなあ(サークル対抗とかゼミ対抗○○大会なんていうのはよく聞きますが、あくまでも全学的な運動会の話)。クラスがないことも多いし、いまさら紅白に分けるのも大変ですかね。


ヤマダ電機

PC関係の買い物は、近所のヤマダ電機 を愛用(?)している(もちろん、日常生活に必要な電化製品関係も)。最近は、フロンティア神代によるBTOもあって、結構充実していると思う。まあ、秋葉原(いまではアキバと言うようだが)とこかの専門店には負けるだろうけど。


しかし、いつも思うのは、「売上高一兆円を超えた」などと自慢するくせに、必要な人員がいないように思うのは自分だけだろうか(そういう不満を抱えながら利用している自分も矛盾しているが)。自分のタイミングが悪いのか、レジには必ずと言っていいほど人がいない。同じフロアの他のレジに移動して会計をすませるしかない。そんなに人がいないなら、レジを何カ所にも置くなよ。


同様に、フロアの割には人員が少ないから、頼みたいことがあっても、他のお客の接客でこちらは待たされる。まるで公務員みたいだ。人はいるけど、担当者がいないとか、ね。


ところで、ヤマダ電機だけでなく、いくつかの家電量販店では、ポイント制というのを採用している。そこで思うのは、研究費の立て替え払いが出来る勤務先の場合、そのポイントの帰属がいずれ問題になるだろうなあ、と思うことである。


以前、会社員が出張によって貯めた航空会社のマイレージが誰に帰属するかと言うことが問題になっていた。実際、会社に帰属させて業務に利用しているところもあるらしい。


個人的には、電球とか電池やPC関係の消耗品はさておき、出来るだけ値切ってポイントはいらない、というスタンスなんですけどね。

履修者名簿

非常勤先では、履修者名簿が顔写真つきです。講義に持参はしないけど、結構便利です。講義中にうるさい学生を憶えといて、名指しで注意できたりと。

大教室のあの人数、ちょっとやそっとじゃあ憶えられないよっと。

ゴールデン・ポップス

ここ数日気になっているのが、パートワーク方式という独自の出版を手がけるデアゴスティーニ という出版社が出した最新シリーズがこれ。


このパートワーク方式という方法もなかなか曲者で、すべてを一括して買うと相当の値段になるところ、毎週または隔週、徐々に買いそろえていくところが支出の痛みを和らげるわけです。しかも、第1回目の値段を安く設定して、まずは第1回を買わせようという戦略もミソでしょうね。


で、これまでも、いろいろ心惹かれるシリーズが出版されていて、数シリーズど購入を試みたところ最後まで続いたことがありません。ひどいものになると、第一回を買って終わり。今週末にでも、このシリーズ、まずは今回も第1回を購入しようと思ってます。さて、どうなることやら。

外部資金の獲得

最近、勤務先でも、外部資金、すなわち研究助成を獲得するようにうるさいうるさい。もちろん、その代表は、科研費なのだろうけど。


この外部資金の獲得状況がこれからの大学評価において重要になってくるとのことで、おそらくどこの大学も同じような状況だろうと推察されます。


ちなみに、自分の周りを見て思うこと。さまざまな研究助成に申請すらしない。申請書を書くのが面倒くさい、というのも結構いる。その原因と思われるのは、実は勤務先の学内の研究費が(文系としては)結構充実しているからではないかと思う。個人研究費、学部独自の助成、大学全体の助成、これがなぜかセクショナリズムで2本立て、とある。


個人研究費は、研究をしていなくてももちろん全員に、そして学部独自の助成、実は非常に申請書がいい加減で、研究テーマ、研究計画2~3行でも申請者が少ないので通ってしまう。しかも、成果は紀要に書けば事足りる。


ちなみに、特に大学全体の方は理系学部も対象にしているため、文系にしては相対的に潤沢な助成額があるけど、申請書や成果の公表義務を避けるためか、あまり出していないようです。

地球温暖化と衣替え

衣替えとはいえ、まだまだ暑いですねえ。


先日、天気予報で、衣替えの起源(?)のようなものを紹介していました。元々は、軍隊で軍服を夏服から冬服に替えたことが始まりとか。明治時代の話だったです。


そして、東京の10月1日の平均気温を比較していました。当時の平均気温や約17度、当時と比べて近年の平均気温は約3度が上がっているとのこと。あわせて、当時の17度になるのはいつ頃になるかも紹介。もちろん、北の北海道では9月中でしたが、東京辺りだと10月20日頃でした。暑さ寒さも彼岸までとは言いましたが、本州の真ん中以西ではまだまだ暑いようで。


話は変わってこの夏クールビズを推進した環境省。今日からクールビズは終わって、ネクタイ&ジャケットが義務づけられたとか。気候を無視して日にちですぱっとやってしまわないと規律が保てないのかもしれませんが、そんなんで良いの?って感じです。クールビスの良さは、涼しさよりも首元の苦しさが緩和されたところにあるような。


まあ、とりとめもない話です。

ヒトゴト、その後(1)

先日書いた、採用人事の件(人事の審査 )。しっかり採用の審査に駆り出されています。


もちろん、守秘義務がありますから、詳しくは書けないのですが(他のネタも同様ですけど)。


はっきり言って、困りました。良い人がいません。研究業績がありません。もちろん、若い人はそれなりに割り引きますし、将来性も考慮したいのですが、Aという領域で募集しているのに、それはBやCの研究でしょ、というのが多い。今時、周辺領域なら出して当たり前とも言えますが。


個人的には、「採用者ゼロ」といきたい気分。時間が許すならば、再募集かなあ。


もう、うちぐらいの大学には良い人は来てくれないのだろうか。大学業界も斜陽産業だと思っているけど、勤務先の傾きぶりは業界平均よりも大きいと言うことかな。


#大学名を明らかにしないのに、こんなこと言われても困りますよね。

断った

以前書き込んだヒトゴト(誘われた )の話。


結論から言えば、お断りしました。でも、情けない自分は、しばし、「もったいないことをしたかなあ」と思ったりもした。まあ、こんなことをかくと、「贅沢な悩み」と言われるかも知れないけど。


もうそろそろ、風の噂でその人事の後日談も入ってくるだろう。数年前、別のところから誘われたとき(お断りしました)、数ヶ月後に学会で声をかけてくれた人との会話(もちろん、細部まで再現できませんが)。


「例の話、決まったよ。sphinx君、公開すると思うよ。」


「えっ、どうしてですか。」


「だって、『えっ、あんな奴が』って思うのに決まったからね。」


「どういう意味ですか。」


「まあ、その点は良いじゃない。俺は反対だったんだけどね。」


その後、実際にその人物がわかった時に、自分がどう思ったかというと、客観的に見ても、業績は彼の方が劣っているかも知れないけど、それは年齢差もあるだろうということ(社会科学系だとよくある状況ですね)。でも、自分がその年齢でそのポストに就けたならば、結構うれしいかもしれないだろうとも思った訳です。


ちなみに、強がりでなく、その意思決定については後悔していないことを付け加えておきます(今度のお誘いについてはまた別ですけど・・・)。

いずこもおなじ秋の夕暮れ

本来の意味のように、別に寂しい訳ではありません。


あまり私生活系は出さないようにしていたのですが、皆(「両立」は大変同志! 等々)、同じように悩んでいるんですよね。


個人的には、「自分の子供に関われなくて他人の子供の教育なんかできるか!」と開き直ったこともありました。


ほぼ同じ年代で、以前から研究も教育も雑務もバリバリやってきた同僚が、数年前結婚したら、以前のようにフットワークが軽くなくなってきました。そして最近もっと重くなってきたと思ったら、案の定、お子さんができたとのこと。別に我々のようなものを批判していた訳ではないのですが、彼もこれで世帯持ちの気持ちが分かるかなって、ちょっと期待しています。


言い訳がましいかもしれないけど、知識だけを詰め込むのが大学教育ではないでしょうと。


#教員も、いつも「先生、先生」と相手に頭を下げてもらっているだけでなく、子供のことで「すみません」

#と頭を下げてはじめて分かることもあるってもでんす。あ、でも自分は下げても、下げられることは余り

#ありません。下心(?)のある出入りの業者ぐらいなものです。

ゼミの選択

先日の研究会での話。おそらく文系限定ネタなのかな。


多くの大学でゼミ(演習)があると思うのだが、それを何年生から履修させるのかということで少しばかり盛り上がった。あわせて必修にすべきか、特に卒論を書かせるべきかなども。


ゼミを重視している大学では、おそらく1年生に基礎ゼミなるような感じで、専門科目と言うよりも、大学での学び方とかを重視した内容のゼミを置いている。問題は、専門科目を研究するゼミの選択である。


自分の学生時代はゼミは3年から。2年生の秋に志望するゼミを選んだ。最初の勤務先も同じシステムだった。しかし、勤務先は2年生からなので、1年生の段階で選択させる。


研究会メンバーの勤務先も、いくつかはこれらのいずれかで、この他にも、2年の後期からという大学、専門ゼミは3年からだが、2年生向けに、基礎ゼミと専門ゼミの橋渡し的なゼミを設置している大学など、まさに千差万別。


まあ、お酒の席の話なので結論が出た訳ではないけど、おおむね、2年生からのゼミに反対する理由は、1年の段階で専門科目を選ばせるのは無理がある、ということ。2年生からのゼミにした理由(積極的に賛成という感じではない)は、今や4年のゼミは就職活動で成り立たないので、まともに研究をさせようと思うならば、多少無理があっても2年から2年間ぐらいはゼミを取らせたい、というものである。ちなみに、自分の勤務先でゼミが2年から選択させるようになったのは、まさにこの理由と同じ。


これに対しては、卒論を必修にすればよい、という反論もあった。時代の流れに乗ることが良いこととは思わないけど、今や卒論を必修にしている大学は減りつつある。しかも、最近は卒論というもの比重が下がってきているように思う。学生に(就職活動の)面接で何を訊かれたかと尋ねても、卒論のテーマを訊かれたという例はここ数年、全く聞かない。他力本願モードだけれど、就職活動で聞かれもしないようになると、学生のモチベーションもさがるよなあ。


自分の学生時代は、「社会科学」ということもあるのだろうか、特に、経営学や会計学など企業と密接に関連しているような場合、面接の時に結構卒論について突っ込まれたし、そういう話をよく聞いたこのだけれど。