私の側湾症が発覚したのは中学1年生の学校での健診時でした。

わかったときにはすでに20度を超えていて、中等度だったかと思います。

正直よく覚えていないんですがあせる大学病院のちょっと歳のいった偉そうな感じの先生に、深刻な病気みたいな感じで側湾症であることを伝えられ、まさか自分がそんな大層なものになるなんて(実際側湾症が深刻なものなのかどうかわかりませんがてへぺろ)実感が湧かず、他人事のような感じでした。

 

側湾症を診断されたときの気持ち

そんな自分の症状を理解して受け入れられていない状態ですぐに装具作りが始まり、なんでこんなに辛いことをしなければいけないんだろうと泣きたいくらいの気持ちでした。そして装具が高くて親に申し訳ない気持ち。(後で申請すれば結構戻ってくるのですが札束

 

その後も病院に行くたびに嫌な検査を受けなければならなく、これがいつまで続くのかわからないし、ただただ辛かったです。

装具は寝るときだけだったのですが、そのたびに側湾症であるという現実を突きつけられるのですが、、、全然受け入れられていなかったですね汗結局受け入れられるのに手術する直前まで、24年!?かかったかもガーン

 

側湾症と診断されてどう感じるかは本当に人それぞれで、きっとケロッとしてる人もたくさんいるんだと思いますひらめき電球

私の場合は、親や年長者の言うことには逆らえないという気持ちが強く、嫌なのに拒否できないというところや、また子供だったせいか、自分の特性なのか、気持ちを言葉にする力が乏しく、心の中にあるネガティブな感情を吐き出すことができず苦しかったですショボーン

書くなり誰かに話すなりできてたらもうちょっと良かったかも。友達にも側湾症ということが恥ずかしいことのように感じて内緒にしていました。

 

そして1年ほど装具療法を続け、cob角がちょっと良くなったらしく(あんまり覚えていない汗)先生に「もう大丈夫」と言われ、すぐに病院に通うのをやめました。装具も見えないところにしまい込みました。(←現実逃避走る人

私のように中等度までいった側湾症で経過観察が「終わる」というのは不思議なのです。と言うのも、cob角が中等度以上だと、大人になってから曲がりが進行する確率が高いそうなんです。後々書きますが、装具療法終了後も経過観察を続けていれば私の人生がちょっと違ったかもしれないのですビックリマーク

 

母の気持ち

母は当時を振り返り、大学病院を紹介されて、側湾症という名前も初めて聞いて、何か大ごとなんだな、と思ったといっていました。確かに当時は今ほど簡単に情報を得られなかったし側湾症も知られていなかったように感じます。そして"申し訳ないな"とも思ったそうです。私は母がそんな風に思っていたなんてこのブログを書くまで知らなくて逆に今まで側湾症を愚痴っていたことが申し訳ない。。。ガーン

 

今は学校で側湾症チェックも取り入れられているんですよね。早期発見と病院での経過観察は大切ですOK

 

それから、散々検査(主にレントゲン)と装具作りが辛かったーって書いちゃいましたが、24年前のことなのでパービックリマーク

今の病院は患者さんの気持ちに配慮をするのが当たり前になってきていますので、心配しなくていいと思いますよ爆笑