質問:「何で、白人と結婚したのか?」

 

回答:「山ちゃん、昔から外人のエロ本ばかり見ていたからな」

 

これでは余りにも生々しく、直截的でまるでロマンティックじゃ無い。

其処で、もう少し言い訳、否、分析を要請したくなる。

 

先ず、私が小学生か中学生だった時だったか?

コージ(仮名:私の名前)!頼むからゲルマンの女性と結婚してくれ!」

父は、「ゲルマンは優秀だ」。そして「美しい」と、それは恰もナチスドイツのアーリア人優生学(似非科学)のプロパガンダの様に私に説明した。

 

確かに、ドイツには名高る科学者のラインナップがある。取分け、自分の趣味に偏向するが、哲学の分野では、カント、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデガーの存在は大きい。

 

スポーツに関すると、私は東ドイツと西ドイツが一緒になったら、オリンピックのメダル獲得数は世界一になるのでは?と想像した(実際、統一後のドイツはそうはならなかった)。

 

小学校6年生の私は、モントリオール五輪に出場した二人のドイツ人アスリートのファンであった。

 

 

 

女子100m 金メダリスト アンネグレート・リヒター(西独)

 

 

 

 

 

 

女子100m 自由形・バタフライ 金メダリスト コルネリア・エンダー(東独)

 

 

 

 

父の願いとドイツ人哲学者、そして美人アスリートが私の白人偏向を刷り込んで行ったと考えられる。此の偏向した刷り込みはまだまだ続く。

 

 

 

ロンドンに住んでいた頃、私は随分と国際結婚組と会ったものだった。

 

大抵は日本人女性と白人男性(イギリス、フィンランド、ポーランド、オーストラリア、ドイツ等)になる。あくまでも、此れは私の経験内であり、統計的に上述の国籍が多数を占めるものではないだろう。

 

 

一方、日本人男性と白人女性の夫婦で直接面識があったのは、全て私より年上であった。

 

当時、60代後半の男性はイギリス人女性と長い婚姻生活をしていたが離婚。一人暮らしで、仕事を終え自分のフラットに戻ると、ご近所のイギリス人ホモ・オヤジが彼の帰宅を待ち侘び、話し掛けて来るので、彼は公園で何時も時間を潰し、ホモ・オヤジに会わない様にしていた。

 

 

丁度、一回り年上の千葉の田舎出身の日本人もイギリス人女性が女房であった。ミクストの息子と娘がいる。彼は自分の妻を、

「家の女房はニューカッスルの労働者階級出身だ」 と説明したのが印象に残る。

長い長いイギリス生活からか、出身階級まで説明するのは驚いたし、正直で率直だと感じた。夫婦で日本で住んでいた事もあり、当時、千葉でチリ紙交換を生業としたこともあったと云う。

 

もう一人、イギリス人妻を持つ京都出身の知人、当人と妻の年齢を絶対教えないのだが、私より5歳くらい年長と踏んでいる、夫婦共々芸術全般が好きで、独特のセンスを持つ。自宅も所有しており人並み以上の生活をしてる様に見えるが、彼は長いロンドン生活のせいか、精神に異常をきたし、一般社会に馴染めない、外で働けない人間になってしまっている。

私の妻は、彼と一緒に食事した時、彼がジロジロと自分のオッパイを見るのを不快に思い、良い印象を持っていない。

 

「今、大西さん(仮名)は嫁さんに食わせて貰っているよ」と云うと

「ポリープ・ハズバンドね」と愚弄した。

 

年長者でもう一人、オーストラリア人の女性と結婚した栃木出身の日本人を紹介したいが、次の機会にしよう。

 

今日のブログの表題である『白人妻を持つ経験者からの質問』 だが、これは上述のイギリスホモ親父に追われている60代後半男性と労働者階級出身の英国人女房を持つ男性からの質問である。

 

「何で、白人と結婚したのか?」

 

此の回答は、自分自身の言葉よりも、私の幼馴染(幼稚園から大学まで一緒、但し、中学だけ除く)に言われて、自分でもハッとした。

 

「山ちゃん、昔から外人のエロ本ばかり見ていたからな」

 

後程、より深く自己分析を記そうと思う。

 

 

 

非常にデリケートな問題である人種差別。社会環境に意識を配るならば、言葉を控えて発言しなければ危険なテーマである。場合に依っては犯罪になる恐れすらある。

 

私は妻と此の件に関して深い議論をしたことは無いが、言葉の端々や、時折ドキッとする発言をする。

 

「お母さんに聞かれたのだけど、“お前は本当にあのアジア人を愛しているのかい?”って」

「ソフィーがもし“黒人と結婚する”と言ったら、あなたならどうする?」

「私はユダヤ系だけど、本当にあなたは良いの?(結婚のこと)」

 

よく、平等主義、博愛主義そしえ宗教家等は、人種差別反対と唱えるが、一番分かり易い試金石は結婚だと私は考えている。

 

20歳前後に観た映画が印象深い・・・

 

 

 

『招かれざる客(1967・米)-The Guess who's coming to dinner

スペンサートレーシー、キャサリンヘップバーン、シドニーポアティエ

 

 

50代になって観たのが・・・

 

 

『最高の花婿(2014・仏)-Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu ? 

 

 

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映画では無く、現実の我家は・・・

ユダヤ系ロシア人の妻と純日本人の私、そして1/2日本人、1/4ユダヤ系、1/4ロシア系

の娘。三人家族である。

 

 

私は京都に居た時、10年以上も前に為る。住み始めたのが、20年前になるか?

妻と出会ったのが、14年程前になるか?2006年だった。

 

当時、私は代表取締役社長であった。とは言っても、超の付くほどの零細企業である。社員は二人。そして一人親方を二人抱えていた。同業者に声をかければ10人程は集めることはできた。業種はビルメンの清掃部門とハウスクリーニング。

事務所は自宅マンション。生活空間と兼用していた。

 

日本では、『職業に貴賤は無い』と、職業差別を戒める言葉があるが、海外生活を経験すると、取分け私はイギリスに居たので、階級と人種・教育・職種との関係に敏感になった。

ロシア人である妻も私の生業である清掃業を嫌っていたし、軽蔑していた。

此の業界の人種・階層がどの様な人達かを思い浮かべると、自分の彼氏・夫がその種の仕事に従事しているのが恥しく感じるのだろう。

 

娘が生まれた時も、「いくら生活に困った事が起きても、掃除の仕事はしないでね」と釘を刺されたのを思い出す。

 

世間には格好の良い仕事と格好の悪い仕事があるのだ。

 

 

客先から法人にしてくれと依頼され、個人事業主から株式会社設立と相成った。しかし、資本金が用意できないので、アメリカ・デラウエア州にペーパーカンパニーを設立し、本社がアメリカ、支店が京都(自宅マンション)にする。

総額で15万円強くらいしか使っていない。それでも、法人としての法的体裁は完全であった。

アメリカに於いては、アメリカ人エージェントに任せ、日本国内では、私が京都の法務局で登録した。

 

此の清掃業の経験は、今の仕事、即ち宿舎タイプのホテル管理人業務に、極めて役立っている。

 

上の写真(株券見本)は、First Clean Service Ltd. <ファースト・クリーン・サービス(株)>私の会社であった。この経験で、私は小金で会社を設立する方法を手に入れた。妻も私の影響からかイギリスに法人を持ち、それを看板にして家で仕事をしている。

 

 

 

土曜の昼下がり、マッタリと旧友との会話を楽しんでいたところ、宿泊人からの緊急の電話が私の心の平安を打ち破った。

 

「本当ですか!」

「朝っぱらからあったんですよ!仕事から戻ったら、もう無いだろうと思ってたんですが、まだあったんで連絡したんです!」

「廊下のどこなの?」

「ゴミ箱の辺りから、便所まで。下痢だったんでしょう!」

「・・・・今、宿舎から160キロ離れた石巻に居るんだけど、一寸待ってくれません?事務方に連絡するから」

「内の者が、『何だこれは?』と思って蹴ったら、うんこだったんですよ」

 

 

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私は、総務の後藤さん(仮名)の会社携帯に電話して、事情を説明した。私の勤務する会社はこの様な場合(管理人が居ない場合)、総務事務方が対応するか、若しくは、トラブルに関わる宿泊人の所属会社担当の営業マンが対処することになっている。

うんこを廊下に漏らした犯人が分からないので、総務の後藤さんが此の宿舎タイプのホテルに向かったのである(片道1時間)。気の毒なことである。

うんこの処理・清掃をするのだから・・・

 

 

 

今日は休み。私はこの土曜の休日を有意義に過ごそうと努力する。とは言え、何時もの如く友人と、故郷石巻のサウナで世間話。その後、老いた母親にお願いされた買い物でヨークベニマルへ。

 

次に床屋、洗車と週末ルーティンワークをこなすだけで、何ら目新しそうな事は無し。夕方、中古車屋の旧友の店で歓談していたら、突然、会社の携帯が唸った。

 

「はい!管理人山本です。」

「管理人さんですか?廊下にうんこがポタポタ落ちてるんです。」

基本、私の仕事、そう宿舎タイプのホテル管理人の仕事は、土日祝が休みである。私は大体隔週で、故郷・石巻に帰っている。其処には老いた母が一人、一軒家で生活している。

 

故郷と云う言葉で想起する『見下し』であるが、此れも付け加えることができるであろう。

即ち【出身地】である。

 

早稲田大出身の友人(故人)が私に語っていた笑い話が二つある。因みに彼は金沢の和菓子屋の出である。

 

彼の所属するスキー・サークルの女性メンバーの一人は、「自分は神戸出身なの♪」と吹聴していたのであるが、後に、姫路出身であることが暴露された。

 

もう一つには、彼はまた同校アルバム研究委員会(?)に所属していたのだが、新歓コンパの時に、一人の先輩が、「俺は金沢出身なんだ!」とビール片手に寄って来た。

彼は、「金沢のどちらですか?僕は金沢の寺町です」 

件の先輩は回答に窮した。実は彼は富山県出身だったのだ。

 

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私は今まで自分の故郷を偽ったことは無いが、石巻と言っても、何人かは知らない人も居たし、岩手県の花巻と混同されたり、酷い人になると、「東北なんか、何処も一緒さ!」なんて愚弄されたりしたものだ。

 

例えばであるが、自分の彼女が京都出身とするとブランド力が有るだろう。逆に滋賀出身ではブランド力が落ちる。

更に京都の中でも、ある程度詳しい者にかかると、上京区出身と伏見区出身とでは、出自のイメージが異なる。京都街中と言っても、「三条裏」「東九条」「田中」出身だと隠す人も居るであろう。

出身地により、出自が見え、其処には日本の差別問題が見えてくる。

要するに、部落差別、在日朝鮮人差別が古都・京都は著しい。東北出身の私からすると、一種のカルチャーショックであった。

 

 

 

 

 

『人を見下す』シリーズも第三回に成るわけだが、中々考えが纏まらない。

書いているうちに閃きはないかな?と期待しているのだが、これが全然浮かんで来ない。

 

さて、“何故、人は他者を見下そうとするのか?”“何故、此の嫌らしい感情が湧き出るのか?”一寸ばかり考えてみよう。

 

大袈裟に心理学者の理論を持出してみよう。

フロイトの性理論よりも、フロイトの弟子であり、破門されたアドラーが当て嵌めやすいか・・・

アドラーは「人間は常に理想の自分を追求しているのだが(優越欲求)、それは仮想である故に、そこに到達できない自分に劣等感を覚える」と説明する。

 

さて、私自身の『見下し』の感覚は、アドラーの理論からどう解釈できようか?

 

話は逸れるが、『見下し』または『差別』の代表的なものとして、以下が列挙できるのではないか?

●美醜

●貧富

●頭脳(世俗的なところでは学歴等、偏向した肩書を求める)

●出自(血統)

●人種

 

人間は一般に自分に無いものを求める。

 

ん~、今日も眠くなってきた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜は眠くなり、頭も朦朧とし、途中で書くことを放り投げた。

さて今日はと言いたいところだが、今日も疲れが私を襲う。

それでも、頭に浮かんだこと、過ぎることを徒然なるままに・・・・

 

去年の三月末から、私は此処、福島原発二号機の近い富岡町にある宿舎タイプのホテルの管理人(肩書にはマネージャー)として働いている。兎に角、正社員として組織に所属していることは嬉しい限りだ。

モスクワから戻って来てからと云うもの、派遣社員として一部上場企業の工場で、翻訳・通訳として勤務したが、周囲に大卒は居なく、特に工場勤務の高卒女性派遣社員の程度の低さには驚いた(これも、『人を見下す』)。

他には、東北大学の事務員として働いたが、此処でも派遣社員として扱われたので、自尊心はズタズタにされた。と言っても、今考えれば、自分の立場及び身の程を知らずしての行動であったのだろう。

 

何れにしても、田舎に戻ると、魅力のある人間は少ない。自分自身が田舎者であるにも拘わらず、宮城県大崎市田尻の輩や仙台と雖も、職員は秋田、埼玉、宮城県郡部、北海道等と、表面は飾っても田舎者として見下していた。

 

私には、東京10年以上、京都7年、ロンドン5年、モスクワ1年と巨大都市、歴史的都市の生活経験と其処での社会環境の実体験が、田舎者を見下し、自分に優越感を得るバランスが身についていたのであろう。

 

また、学歴差別であるが、大学職員に関すれば、東北大学出身者は思いのほか少なく、地方国立大学や田舎の無名私大卒になる。さもない大学であろう明治大学出身の私であるが、私は田舎者と学問教育を受けていない上司、同僚を見下していた。

 

この見下しの感覚は、現実社会の中で敗北者である私が、何とか優越感を感じ、精神的バランスを得る為の必死の救済方法を自然と獲得していたのであろう。

 

 

 

私が今の仕事に就いてから10ヶ月が過ぎた。早いものやら遅いものやら。時間感覚は自分自身も把握しかねる。

「一日は長く、一年は早い」 と言ってみたり、「20代は長く、60代は早い」 と物差しは同じでも、即ち理知の認識は同じでも、感覚知覚は異なるのである。

 

一般にこの宿舎タイプの管理人は、見下される職業になるだろうか?定年退職後の何処にでも転がっている爺さんとして見るならば普通であろう。

 

他方、此処の宿泊者の大勢は、福島原発事故の復興の携わる技術者、職人及び労務者達である。どうしてもこれ等土木・建設現場従事者は、下卑た性質を持つ者が少なからずいる。それ故に、同じ人間として失望することが儘ある。

 

(オッと、眠くなって来た。明日も早いので、続きはまた明日・・・)