2009年2月初旬、リビングの窓から庭を見ると30センチ以上雪が積もっていた。

妻はロシア・クルガンの出身。私は東北・宮城の出身で、お互いに雪ダルマ作りの経験は豊富と云える。

 

赤色の地域がクルガン州

 

妻は、「一緒に雪ダルマを作りましょう♪」 と私を誘った。

 

 

ロンドン・ゴールダースグリーンのフラットの庭で作ったのがこれ。

目は黒のオリーブ、鼻が人参、口はオレンジ色のラインマーカー。マフラーは今年も私は身に着けている。

 

妻は、「ロシアの童話で、子供のいない老夫婦が雪ダルマを作ったら、子供を授かった物語があるのよ」 と教えてくれた。

実際、此の年、2009年12月に娘が誕生したのである。

 

 

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2012年2月、私と妻、そして娘の三人で作った雪ダルマがこれ。

 

 

此処はロンドン・イーストフィンチリーのフラットの共用の庭である。

 

日本の雪ダルマは二段構えであるが、欧米の雪ダルマは三段構えである。一部日本人は不思議に思う者も少なからず。私は其の文化の違いは、ピーナツブック(要はスヌーピー)の漫画で知っていたので、当地で驚くことは無かった。

 

 

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そして最後に2014年2月、モスクワ・スホーディンスカヤ近郊マンション傍の公園で娘と二人で作った雪ダルマ。

 

 

家の傍ではないので、材料不足故、目は氷、鼻口は枝等を使用。一寸出来損ないの顔であるが、タバコを吸わせてみた。

 

 

 

この時、私はしゃがんで雪ダルマの後ろに隠れ、娘と会話する芸をしていたのだが、往来する人に見られるのが恥ずかしかった。勿論、娘は意に介さず。

 

 

ロシアに関して、深い知識と理解の有る者はそう多くない。

私自身、多くの人達から質問を受けるが、大抵似たり寄ったりの内容である。

「美人」「酒」「寒い」「共産主義」「怖い」「貧窮」などか?

 

誰もが、自分の期待する答えを待っている。

期待通りの答えをすると質問者は喜ぶ。

私は相手を見て、解答を選ぶ。

また、質問によって、質問者の程度(教養?)が押並べて想像がつくのだ。

 

「寒い」を取上げて見よう。此れは間違い無く寒いのだが、「ロシアは広い」と云う事を先ずは念頭に入れて置くべきである。

黒海沿岸部は比較的暖かい。それ故か、ソビエト時代は、赤い貴族(ソビエト政府高級官僚)の別荘地になっている。私の妻もソチに二度ほどバカンスに行っていた。一般のモスクワ市民にとって憧れのリゾート地なのだ。

 

モスクワは寒い。しかし、夏には30度を超す場合もある。冬はマイナス30度の時も偶にはある。先日、妻からの報告では、マイナス26度で翌日は±0度。一日で26度の差があったので、此の激しい寒暖の差から、妻は頭痛に悩まされた。

 

一つ珍しい写真、しかしモスクワっ子には普通であるが、日本人には異常に映る写真である。

 

 

 

トローリーバスかトラムの車中である。お婆さんが、剝き出しのスキー板を持って車内に乗込む。丁度、クロスカントリーのように、モスクワ市内近郊をジョギングをするかのように、スキーで走っていたのである。

この光景は冬のモスクワでは日常的に見ることができる。

 

 

 

 

草も木も無い、正に砂漠地帯に入る。イスラエルの荒野の砂漠以来の景色。

 

 

 

 

 

 

縦列のランクル。アップ・ダウンの起伏が激しい

 

 

 

空気圧の極めて低いタイヤは、砂地をガッチリとグリップし砂塵を巻き上げる 

 

 

 

 

 

 

緊張しつつ集中して運転するパキスタン人ドライバー。常に1速か2速しか使いません

 

 

 

 

 

キツイ勾配をスピードを落とさず進みます。私は喜びの奇声をあげる

 

トヨタ・ランドクルーザー。力強い走りを見せます。30代の頃、私の愛車はランクル60と70でした

 

 

 

 

慣れたコースとは言え、運転終了の安堵感からかスマイル

 

 

 

荒地を暫く走ると、全てのトヨタ・ランドクルーザーが集合した。

此処で、タイヤの空気を随分と抜く。砂地を走るには極端に空気圧が低くするのが常識のようだ。

 

 

 

この時、即ち2011年、私は46歳。肥えたオヤジである

 

 

 

我々のドライバー。パキスタンからの移民

 

 


 

私は此のランクル(ランドクルーザー)の助手席に乗った

 

 

 

隊列を組んで、本格的なオフロード・コースに向かう。ブッシュの無い砂漠地帯に入って行くのである。

 

 

 

地球の歩き方を見つつ、限られた時間内で一人ドバイ市内を観光するのは、偶然性に頼りすぎ充実しない恐れがある。そこで、私はツアーの参加を決めた。

 

早速、レセプションのインド人にお勧めツアーを聞いたところ、

アラビア海でのトローリングと砂漠ツアーを紹介された。トローリングは日本円で10万円程だったか?とてもじゃ無いが予算が合わない。

そこで、砂漠ツアーを選択するが、テント一泊のコースは、客のストレスから半日コースしかやってないとのこと。

 

 

 

 

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15:00頃、ホテル前でトヨタ・ランドクルーザーが来て、私をピック・アップ。

途中、私以外の客、アラブ人一家、インド人、パキスタン人、総勢6人を乗せ、砂漠地帯に向かった。

 

 

 

ドバイ市街を通り抜け、目的地の砂丘へと向かう。

 

 

最早、10年近く前に為る。そう、東日本大震災 ( 3.11) のこと。

当時、私はロンドンで此れを知った。朝6時頃、メールチェックをしているところ、

YahooNews が緊急速報した。

宮城県石巻市出身の私は、正しく被災地出身者である。

 

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私のエアチケットはロンドン・ヒースロー空港発、成田行き。

飛行機会社はエミレーツ航空で、アラブ首長国連邦の首都ドバイ経由であった。

 

 

着陸前、首都ドバイ上空。中東は20年ぶりに為る。