ミラノ再発見ツアー 〜 Mediolanum ミラノの起源を巡る | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日、在ミラノ・北イタリア日本人会の企画によるミラノ再発見ツアーに参加して来た。
 
ガイドブックなどには載っていないミラノの隠れ家的場所、イタリア人さえ知っている人が少ないような場所や物事を知るのが好き。案内が回って来た時、二つ返事で行きます!と申し込んだ。
 
ミラノは紀元4世紀に西ローマ帝国の首都であったこともあるので、実は古代ローマ時代からの街であり、その歴史の痕跡は街に点在しているが、贅沢なことかもしれないが、あまりにそれが普通に目に映り、日常化し何も疑問に思わないことが多い。
 
テーマ~ Mediolanum メディオラヌム  考古学博物館からミラノの起源(ローマ時代のミラノ)を巡る ~は、以前もこのツアーで出かけたサン・マウリツイオ教会の隣にある考古学博物館からスタート。
 
サン・マウリツィオから出る時、この博物館の中庭を通り遺跡の一部を見ることができるが、やはりガイドさんと行くと説明から脳裏がビジュアル化され想像の世界に入り込む....。
 

メディオラヌムという名は、“平野の中央”という意味なので、北イタリアの平地だとばかり思い込んでいた。伝説によれば、創始者のBelloveso・ベッロヴェーゾ(紀元前六世紀)がこの地を選んだのは、神聖な動物と考えられていた雌豚scrofa “mediolanuta”(まさに身体の半分だけ毛がある)がいた場所だという。(ツアーの最後にその豚の彫刻を観に行った!)

 

ローマ時代メディオラヌムは、西ローマ帝国の首都であった。

 

 

 
ツアーは2時間の予定であったが、なんと考古学博物館入り口のこのジオラマの前で、ローマ時代のミラノの説明が始まると、在ミラノ歴の長い方々が直接ガイドさんに質問をし始め(これが面白かった!)なんとここだけに30分以上も費やしてしまった!爆 若めの駐在員夫人らには「すいませーん、通訳してくださーい!」と依頼が入るほど、好奇心の塊軍団は、通訳を無視して次から次への質問をする。笑
 
さすがに、通訳の方も、言葉に詰まることがあったようであったが、(確かに取り扱う言語が難しすぎる!)そこは、恐ろしく幅広く種々の方面に渡り知識・学問に優れた私の尊敬する大先輩が面白可笑しく答えて下さり、楽しくてたまらなかった!
 
話は基、ミラノはローマ時代、城壁に囲まれた都市であったが、旧修道院内に遺跡があるということは、その場所が当時のミラノの西端の城壁に位置していたことがわかる。

 

余談だが、現在ミラノのシンボルであるドウモは聖母マリアに捧げる大聖堂となっており、最も高い尖塔にはマドンニーナと呼ばれる、黄金のマリア像が奉られているが、実は現在のドウモ地下にある2つの聖堂と礼拝堂を包み込むように建てられているのだ。

 
ドウモ正面入り口近くには、有料ではあるが、地下礼拝堂と遺跡エリアに入れる。
 
そちらには、ミラノの大司教であり、偉大な聖人である聖カルロ・ボッロメーオの遺骨が安置されている。(画像は、2年前に出かけてきた時のもの)

 

 
 
こちらは4世紀後半に、アウグスティヌスが、聖アンブロジウスによって洗礼を受けた洗礼堂跡。お風呂のように大きいのが特徴。

 

 

また旧修道院(サン・マウリツイオ)の南側にはチルコ(競技場)があったようだが、その一部の土台がチルコ通りに残されている

 

 

 

 

こちらは、隣のサン・マウリツィオが出来る前にあった女子修道院。一番左端の絵がサン・フランチェスコなのだそうだが、ガイドさん曰く、13世紀にできたという話であったが、とっさに携帯でサン・フランチェスコがいつの時代の人だったのかチェックした。1226年に帰天。1228年に列聖。その時代でも最短列聖であったと思うが、すぐに壁画になっていたのか!と一人感動してしまった。苦笑

 

 

 

 

大理石のモザイクスタイルの床。

 

 

286年に、皇帝マクシミアヌスが居住していた"Palazzo Imperiale di Massimiano "・パラッツォ・インペリアーレ・ディ・マッシミアーノ の遺跡。

 

もともとローマ帝国は宗教に寛容で、ローマの神々や神格化された皇帝の像を礼拝さえすれば、他の宗教は容認されていたが、キリスト教徒は偶像崇拝を拒否し、神の前での平等を重んじて皇帝を崇拝することも拒否したため、激しい弾圧を受けるようになった。

 

また重要なすべての建物(チルコ、テアトロ、アンフィテアトロ、フォロ)は侵略や戦争、その他の天災ですべて破壊されてしまったが、地下で発見された遺跡によってその形や配置を復元することが可能となった。

 

 
313年にコンスタンチヌス1世 (大帝)によって「ミラノ勅令」が発せられ、 キリスト教を初めて公認し,長かったキリスト教迫害に終止符を打った。 

 

こちらは、ドウモから徒歩5分ほどのボッロメーオ広場にあるボッロメーオ邸。アーチの上にラクダ像と植物柄があしらえてある。

 

 

ボッロメーオ家の紋章。

ユニコーンや駱駝、馬銜やレモン...と非常に興味深い。そして最上部には王冠をかぶった”HUMILITAS"(ラテン語で謙遜)という家訓が描かれている。

 

 

時間が押せ押せになってしまったが、最後にミラノ・メディオラヌムの語源だといわれる?!雌豚scrofa “mediolanuta”を観に行った。まさか、こんなところにあったとは!ミラノに20数年住んでいて全く知らなかった!

 

 
帰宅して色々と調べてみた。ほぼほぼ説明されたように上記の通りなのだが、ベッロヴェーゾが出会った雌豚は、ケルト人にとって神聖な動物であり、新たな都市建設の吉兆と解釈されたようであった。

口を半開きにした雌豚は、中世にヴィスコンティ家のバイソンに取って代わられるまでミラノのシンボルであり続けたが、現在でもこのメルカンティ広場、ラジョーネ宮殿の柱のひとつにある浮き彫り、スカラ座の真ん前にある市庁舎-・マリノ宮の紋章、ロンバルディア州の公式旗など、ミラノのあちこちに描かれているということであった。
 
これからは、目を凝らして雌豚の絵を探してみよう。為になる楽しいツアーであった。
 
今日の一句 
好奇心 人生豊かに 再発見