メディオラヌムという名は、“平野の中央”という意味なので、北イタリアの平地だとばかり思い込んでいた。伝説によれば、創始者のBelloveso・ベッロヴェーゾ(紀元前六世紀)がこの地を選んだのは、神聖な動物と考えられていた雌豚scrofa “mediolanuta”(まさに身体の半分だけ毛がある)がいた場所だという。(ツアーの最後にその豚の彫刻を観に行った!)
ローマ時代メディオラヌムは、西ローマ帝国の首都であった。
余談だが、現在ミラノのシンボルであるドウモは聖母マリアに捧げる大聖堂となっており、最も高い尖塔にはマドンニーナと呼ばれる、黄金のマリア像が奉られているが、実は現在のドウモ地下にある2つの聖堂と礼拝堂を包み込むように建てられているのだ。
また旧修道院(サン・マウリツイオ)の南側にはチルコ(競技場)があったようだが、その一部の土台がチルコ通りに残されている
こちらは、隣のサン・マウリツィオが出来る前にあった女子修道院。一番左端の絵がサン・フランチェスコなのだそうだが、ガイドさん曰く、13世紀にできたという話であったが、とっさに携帯でサン・フランチェスコがいつの時代の人だったのかチェックした。1226年に帰天。1228年に列聖。その時代でも最短列聖であったと思うが、すぐに壁画になっていたのか!と一人感動してしまった。苦笑
大理石のモザイクスタイルの床。
286年に、皇帝マクシミアヌスが居住していた"Palazzo Imperiale di Massimiano "・パラッツォ・インペリアーレ・ディ・マッシミアーノ の遺跡。
もともとローマ帝国は宗教に寛容で、ローマの神々や神格化された皇帝の像を礼拝さえすれば、他の宗教は容認されていたが、キリスト教徒は偶像崇拝を拒否し、神の前での平等を重んじて皇帝を崇拝することも拒否したため、激しい弾圧を受けるようになった。
また重要なすべての建物(チルコ、テアトロ、アンフィテアトロ、フォロ)は侵略や戦争、その他の天災ですべて破壊されてしまったが、地下で発見された遺跡によってその形や配置を復元することが可能となった。
こちらは、ドウモから徒歩5分ほどのボッロメーオ広場にあるボッロメーオ邸。アーチの上にラクダ像と植物柄があしらえてある。
ボッロメーオ家の紋章。
ユニコーンや駱駝、馬銜やレモン...と非常に興味深い。そして最上部には王冠をかぶった”HUMILITAS"(ラテン語で謙遜)という家訓が描かれている。
時間が押せ押せになってしまったが、最後にミラノ・メディオラヌムの語源だといわれる?!雌豚scrofa “mediolanuta”を観に行った。まさか、こんなところにあったとは!ミラノに20数年住んでいて全く知らなかった!
口を半開きにした雌豚は、中世にヴィスコンティ家のバイソンに取って代わられるまでミラノのシンボルであり続けたが、現在でもこのメルカンティ広場、ラジョーネ宮殿の柱のひとつにある浮き彫り、スカラ座の真ん前にある市庁舎-・マリノ宮の紋章、ロンバルディア州の公式旗など、ミラノのあちこちに描かれているということであった。


















