11月4日はミラノの守護聖人である聖カルロ•ボッロメーオの祝日。ミラノではサン•カルロと呼ばれている。ちなみに聖アンブロージオもミラノの守護聖人である。
サン•カルロは1538年イタリア北部、マッジョーレ湖畔の町、アローナに貴族であるボッローメオ家に生まれた。湖のマードレ島、ベッラ島、ペスカトーリ島はボッロメーオ諸島と呼ばれ、1600年から湖水から突き出る岩を削り、その削った騎士を広げ、世界中の花屋植物を植えながら徐々に改造し始めた。ベッラ島、マードレ島には当時の著名な建築家によって宮殿が建設され、緑に囲まれた庭園と建物はそれはそれは美しい。アローナの城塞には、地元の人々から”サン•カルローネ”と呼ばれる石台を含め高さ30m以上、自由の女神に次ぐ、世界に2番目に高いサン•カルロの銅像がある。(実際彼は180センチを超える身長であったと言われている。)
話は逸れたが、1560年、母方の伯父にあたる教皇ピウス4世に任命され22歳で枢機卿になり、その5年後にミラノ大司教となる。
76年にミラノでペストが流行し、サン•カルロは出費も顧みず患者の便宜を図り死者の埋葬が行われるように尽力したという。ペストが猛威をふるう近隣の教区をすべて訪れ、患者を援助し、必要な物資を配給する傍ら、義務を果そうとしない怠慢な聖職者を罰したそうだ。画像は,「ペスト患者のために祈り聖カルロ」(ルーブル美術館/ドリュエ作)
また、前教皇ベネディクト16世によると、サン•カルロは、愛のわざと教えと使徒的熱意、そして何よりも祈りによる模範的司牧者であったという。そしてサン•カルロは、「私達は跪くことによって魂に打ち勝つ」と言う。また、聖ヨハネ•パウロ2世の霊名は聖カルロ。サン•カルロに信心を捧げたという。
とにかく、22歳で枢機卿に任命されたわりに、叙階したのは25歳の時とは、どういうこっちゃ?という気もするが、細かいことは置いておいて...何れにしても、サン•カルロは、司教が自分の教区に居住することを命じたトリエント公会議の教令を実施。ミラノ大司教区は世界で一番大きな教区と言われているが、彼は、教区全体を3回訪問しているという。管区会議を6回、教区会議を11回招集。神学院をはじめ、病院を建て、自分の財産を貧しい人やペストを患った人々に捧げるという自ら愛徳を示された。
また、修道生活を改革し、在俗司祭の回である「サンタンブロジオとサン•カルロ献身者会」も創立。(Congregatio Oblatorum Sanctorum Ambrosii et Caroli)
そして、1584年11月3日ミラノで死去。1610年11月1日に列聖。当時は異例の早さと言われたようだ。聖ヨハネ•パウロ2世は没後9年の2年前、そして聖マザー•テレサは没後19年のこの秋に列聖されているが、これこそ異様な早さかもしれない。
ところで、ボッロメーオ家の紋章は、ユニコーンやひとこぶらくだ、馬銜やレモン...と非常に興味深い。そして最上部には王冠をかぶった”HUMILITAS"(ラテン語で謙遜、という意味)という家訓が描かれている。
サン•カルロは、主イエス•キリスト同様、自分を捨て、謙遜に、神の道を歩まれたのだろう。
こちらは、カルロ•マラッティによって描かれた、主イエス•キリストと聖母マリアを前にしたサン•カルロ。よく見るとサンタンブロージオも左側にいる。天使が”Humilitas"という札を持っている。
そしてこちらは、ミラノ大学の入り口にあるサン•カルロ像。考えてみれば、我が家の近所にもサン•カルロ•ボッロメーオ病院というのがある。
サン•カルロにならい、何か善事に着手した以上は全力を挙げて突き進むことができますように。
http://www.sancarloalcorso.it/scc/showPage.jsp?wi_number=34185&wmenuid=33636
こちらはミラノのサン•カルロ•アル•コルソ教会のHP。バジリカ訪問の画像をクリックするとお御堂が360度くるりと見渡せます。




