9月23日は聖テクラおとめの祝日。
聖テクラ(サンタ•テクラ)は、小アジア(トルコ)のイコニオンの裕福な家に生まれた。いろいろな学問を勉強し、18歳の時には婚約していた。そのころ、この町を宣教のため訪れた聖パウロの説教を聞き、そのすばらしさに感動したテクラは、キリストの愛の深さを知り、すべてを捧げようと、婚約を破棄することを決めた。そのため婚約者がパウロを訴えたので、パウロは追放され、テクラは処刑されることとなった。しかし彼女は奇跡的に救われ、パウロに従ってその宣教に協力し、各地を転々としてアンチオキアに行った。その町でもある役人から結婚を申し込まれたが、拒否したために再び訴えられ、処刑されることになった。しかし神から守られているのを証明するかのように、どんなにテクラを処刑しようとしても失敗に終わった。そのため民衆も、彼女の命を助けてくれるように総督に嘆願し、晴れて自由の身になったという。
セレウキアで亡くなったとされるテクラの墓の上には大きな教会が建てられている。彼女は、初代教会以来、多くの人びとから尊敬を受けているが、ミラノでも紀元4世紀のローマ時代に、城壁内に建立された大聖堂の位置に今のドゥオモが建てられた。このローマ時代の大聖堂は、後に2つに別れて、サンタ・マリア・マッジョーレとサンタ・テクラ聖堂となっていた。ドゥオモの入口の地下4~8メートルはレンガ積みの空洞になっていて見学する事が出来るのだが、そこには今でもサンタ・テクラ聖堂の一部の遺跡とサン•ジョヴァンニ・アッレ・フォンティ洗礼堂の遺跡を見ることが出来る。サン•ジョヴァンニ...の方はサンタ・テクラの脇に建てられた礼拝堂でサンタンプロージョが建立し、サンタゴスティーノの洗礼が行われたと言われてる。
ドゥオモは、これらの2つの聖堂と礼拝堂を包み込むように建てられ、現在、聖母マリアに捧げるミラノの大聖堂となり、ミラノの誇りとなっている。このドゥオモの建設に関しては、以前在ミラノ北イタリア日本人会婦人部企画の「ミラノ再発見ツアー」にも書いたので割愛。https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11756576437.html
ところで(今回も前置きが長かったが!)私も、全く知らなかったのだが、毎年この9月23日にはミラノ•ドゥオモにて伝統的なFaro典礼というのを用いてミサを捧げられるというのだ。
このFaro典礼、教会の典礼の中でも最も古く、7世紀から12世紀くらいまでミラノの教会で執り行われていたらしい。まず入祭し、『キリエ」を12回歌い、その後に司祭たちは祭壇に上られる。
それと同時に”faro"いわゆる照明のことだが、天井から吊り下げられたものに点火され燃焼を待つ。
学者の話によれば、この点火は典礼の中で、殉教者の勝利と栄光を讃えるものだとか。ミラノのアンブロジアーノ典礼では「憐れみの賛歌」の代わりにギリシャ語の「キリエ•エレイソン」を唱えるが、ファロ典礼ではじめにキリエを唱えるのは、殉教者の命の犠牲に対する祈りなのだそうだ。
聖霊に満たされてパウロの導きに素直に従ったサンタ•テクラ。多くの誘惑や危険ばかりか、命を奪われかけたことにも屈せず、その苦難の中で神に対する信仰を深め、神から授かった賜物を讃えられた。その模範に倣い、私達も真の使徒であるパウロのよい弟子にしてくださるよう、取次を願います。
