昨年から、空手の教室では茶·黒帯のクラスが始まり、技の理解を深め、また指導者として必要な稽古を受けているようだった。
一度、師範に「私は紫帯で十分です。自分の稽古だけで精一杯ですから」というと、「もうすぐ茶帯。何を小っちゃい事を言っているのか!若者に希望を与える所に立たなければ、空手の上級者であっても、指導者ではない!!」と言われてしまった。苦笑 本当の指導者になるには、しっかり色々なことをたくさん学ばねばならない。「自分だけ」という小さな観点ではなくもっと大きな視点で頼むよ!ということだった。
そして、今年度の茶·黒帯コースは、指導者として、思考·判断力の訓練として、アウトプットを通じて、指導の難しさを体験しながら、また自身の技の理解を深めていくという内容が発表され、そろそろ茶帯だから来てみるか、と声をかけて頂いた。
毎週、問題が投げかけられ、その理由を考えていく。一瞬空手に関係ないような内容だが、答えはあるようでない。
先週出された内容は、ある日師範がバールに空手教室のチラシを置かせてもらうよう回っているが、快く引き受けてくれるお店と大抵断ってくるお店の傾向がある、ということだった。快く受けてくれるお店の場合、店主は皆「グラッツィェ」と言うが、なぜそのお店に直接利益になるわけでもないのに、グラッツィエ、つまりありがとうなのか?師範にはよく理解できない、とのことだった。
確かに、お店に直接利益にはならないだろう。単なる口癖じゃない?とさえ思った。笑 昔、職場に上司で、事務所に入るなり、ご自分のオフィスまで全員に手を挙げ「どうも!」「どうも!」と大きな挨拶をされておられる方がいらした。私も「あっどうも!」とはよくいう言葉。多分、そのノリなんじゃない?くらいの気持ちでいた。
...が割に色々な意見が出ていた。「気持ちがいいから」「お客を大事にするお店だから、お客の利益になることをしてくれて、ありがとう」「「ありがとう」のキャッチボール」などなど。師範曰く、どれも正解。でも正確な答えはないという。
来週は、体育館の都合で茶·黒帯クラスはないので、再来週何か問題を提起してくれる人?というと、シーン...10秒後、何か提案してくれる人、といっても挙手ゼロ。そこから師範は別の話をされた。
「東大生の読書術」であった。皆、それはどういうものか?と質問された。私の場合、まずはじめに、端書きを読み、あとがきを読んでから内容に入る。本によっては斜め読み。そして数冊並行して読むこともある。そして常に付箋を持ち、好きなフレーズはそこに付箋を貼り、後からノートにメモしたり、直接本に線を引いたり、書き込むことも多い。ちなみに、「聖書」に関しては、あまりにもメモ書きが多すぎて、買い換えること数冊。色々な意見が出たが、出したのはほとんど大人。師範曰く、東大生の一部は常に、疑問を持ちながら本を読むのだそうだ。つまり、「追求」読み。疑問を持って考えることによって、その学生はその問いに対し、意見を深めたり、深く考える機会になるのだろう。考える力、意見を深めるためにはこの「追求読み」が良い、と。
「はい、それでは、再来週、問題提起してくれる人?」というので、皆挙手するでしょ?と思い、周りも見ずに、何も頭には浮かんでいないが、まだ時間もあるし、後から考えればいいや!と思い、手をあげると周りに誰もいないではないの!(実際には3人いたらしい)というわけで、再来週は私が何か疑問を考えて行き、提起することになった。
私は、考え事をするのが好き。見えること、見えないこと、世の中の不思議や理解できないことをぼーっと考えて見る。だからといって処理能力があるか?というと別問題なのだが...
師範は、常に疑問を持つ習慣を持って欲しいという。日本の子供たちは、暗記と応用で正解を出すことにあまりにも慣れてしまっているのではないだろうか?与えられたものはできても、疑問を持つことには慣れていない。というか、何を疑問に思うか?それさえもわからないかもしれない。
「答え」を出すことよりも先に、大切なことってなんだろう?
一見、空手から離れているように思えるが、複雑になりつつある世の中を強く生きていくために、体も心も鍛えて順応させていく能力を身につけて行かないといけない。だから空手と離れていない。「拳禅一如」だ、と師範。
「疑うこと」、そして「問い直すこと」は、いわば思考の原点。また、それは確かなものを見つけ出すための過程で必要なものであり、そのプロセスを踏むことで多様に思考し、思考の幅を広げるという大切な意味を持っている。
日本だと、算数はいまだに暗算で、数多くこなすことで力がつくとされる。子供達が小さい頃は、毎日「百ます計算」をさせたものだ。
が、イタリアでは、答えを出しながら、試し算もするようなやり方で、瞬間的な速さまで求めてこない。文章問題も答えがあっていればいいのではなく、どう考えて計算するか文章で説明しないといけない。また各教科も丸暗記ではなく、自分の言葉で発表する。だから自然に自分の意見も身につくのだろう。
自分の中で生まれた「疑問」や「問い」、そして自分なりの「答え」を「思考の過程」にそって相手に伝える。
まず、そういう訓練をしていかないと、将来世の中に出た時、困るだろう。
空手家だけでなく、未来のリーダーを目指す時の必須条件ということか。
「大人の意識を変えるのはモアイ像を素手で動かすくらい難しいが、子供なんてチョチョイのチョイです!!」と言うのが、師範の持論だそうだ。爆 例えが豪快だ。
面白くなりそうだ。さて、どういう疑問を投げかけるかな。
