PTA日記  Pot Tea -16ページ目

役員名簿



初めてPTA役員になったとき
全家庭に配られる役員名簿に
住所と電話番号がはっきりと載っているのに
違和感をおぼえたものだ。
役員にはプライバシーはないのかな・・そんなものなのか?
たしかに、問い合わせ先として調べる場合には必要かもしれない。

「全員の連絡先を把握するのは、本部だけでいいんじゃない?」

この言葉に、最初感じた違和感を思い出した。
何年も同じ事をしているうちに、疑問に思うことも少なくなってくるのだ。
役員が 何年何組で、誰なのか、それさえわかれば
たいていの人は充分なのではないか。
各部内での連絡網はあるのだし、行事の問合せ先はその都度案内している。

というわけで、今年度から
役員名簿には、クラスと氏名だけを載せることにした。
住所と電話番号の名簿は本部だけのもの。
こんなとこからも、個人情報は大切に。



どこに繋がってるやらパイプ役



先生も、転入してきて最初は 新しい学校の方針に戸惑う。
前の学校でやっていることで
「ああ、それはいいですね」ということならば
ぜひ、取り入れてやってみたい。

決して、仕事ができなかった理由にしてはいけないと思う。
「前の学校では、こうしていたので・・・」
戻れば?と言いたくなる。

心象の悪いこと、この上ない。
早めに見切りをつけて
活動を円滑にすすめるための
新しい方法を考えるべきか。

それとも、決め付けるには
まだ、早すぎるかな。




広報紙審査



学校の広報紙のコンクール審査をしてきました。
いろいろな広報紙がありますねぇ・・・
最近は、印刷屋さんに依頼しないで
自分の学校のプリンターを使ったり
最初から最後まで手作りでやっている広報紙も増えました。

予算的には、カラー印刷だと、プリンターのインクが結構高価なので
発行部数が多いところでは、業者印刷のほうが良いのかもしれません。
ただ、業者さんに頼むと、何度も印刷会社のほうへ足を運ぶ事になり
それが広報部員の負担になる、ということがありますね。

たくさんの広報紙を見て抱いた感想はというと
PTAの充実度が広報紙の充実度という
至極当然な結論でした。
PTA活動が企画、実働ともに充実したところでは
読み応えのある記事が多く、面白い広報紙になっています。
PTA活動が納得のいくものであれば
広報部に求められるものは、その活動をわかりやすく読みやすい紙面にして
会員に伝えることだけなのだ、という思いを強くしました。
広報部がいろいろな問題提起やアンケートをおこなって頑張るのも良いですが
本来の広報部の活動だけをしてもらいたい・・・・・
そんなことも思いました。
それには、会員にバックできるようなPTA活動をすること、なんですな。




親を知ればクラスも見える



春休みが終わるとすぐに、一年生の入学式である。
一年生のPTA役員は、入学式に決める。
引き受けてくれるかどうか、事前にアンケートを取っておく。
その場で立候補者がいないときは、そのアンケートをもとに
「どうでしょうか?」とすすめていくのだ。
これは、総務本部の役員の仕事のひとつでもある。

ところで、PTA役員の引き受け率はその年によって異なる。
すんなりと決まる年もあれば、なかなか決まらず難儀する年もある。
そして、難儀した学年は、どこまでいっても役員決めのときにもめる。
学年だけでなく、クラスにも言えることなのだが
PTA役員への関心度は、同時に、
学校への関心度、子供への関心度とも言える。
役員決めに難儀するクラスや学年では、子供が荒れる傾向がある。
理屈ではなく、これは経験則、なのだ。

昨年はすんなりと役員が決まって、楽だった。
今年の一年生はどうだろうか。
この親にしてこの子あり、はPTA役員の世界でもありうること、なのである。



役員を決める難しさ



役員のメンバーを決める決め手って何だろう?
人材が豊富で、選ぶほうに主導権があるのなら
問題ないのだろうけれど
PTA関係の役員決めはそうはいかない。

以前、子供会の役員を決めるときに私が推薦した人の名前を見て、
「えぇ~!」とブーイングが起こったことがあった。
彼女は、PTAの一人一つのお手伝いをするときに
調整役の役員さんに「希望以外のお手伝いはしない」と言い切った人だとかで
そのときの役員さんがおそらくずいぶん気分を害したのだろう
「気の強いワガママな人だ」という噂ができてしまってたらしい。
私はそんな噂は意に介さないし、信じない。
自分が実際に話してどんな人かわかってたから
「この人は、絶対必要な人だから」って押し切った。

私とまったく違うタイプの彼女は
きっちり仕事をする人で、ミスが無い。
私のように思いつきでアイデアを出す者にとって
彼女のような人は必要な人なのだ。
子供会の活動が始まってみると、
会議では控え目に言葉数の少ない彼女だったが
要所要所でツボをおさえた発言があり
ときに浮わつきそうな役員のなかで重し役をしてくれた。
一年たって、「あの人がいてくれて良かった」と
最初ブーイングしてた人が、こっそり言ってくれた時
役員のメンバーはいろんな人がいて良いのだ、と感じたものだ。

お母さんたちの世界では
噂が強い力を持っているときが多い。
私は極力耳を貸さないし、耳に入っても全面的に信じない。
そこら辺はインターネットの世界に通じるものがあるかもしれない。
役員決めが難しいのは、そういう噂も考慮しなくてはならないところにある。


変革



この2年間、続けてアンケートを取り、
役員になることの負担感をなくすには
長期間拘束される通年役員を減らし、短期参加であるお手伝いを増やす
ことだと感じ、機会があるごとに少しずつお手伝いの方へ仕事を移してきたが
来年度には、2つの部を統合して1つの部にし、役員数を減らす。
現状維持を望む声はもちろんあるし、変化に対しての不安は当然起こる。

私がなぜPTA組織を変えることを目指しているか。
それは最初にPTA役員になったときの理不尽さと
選考委員会での圧倒的なプレッシャーをなくしたいからである。
変えたいという気持ちはたくさんの人が抱いていても、
反発するチカラに流されてしまう、という構図を
幼稚園のPTA会長のときにも味わったし、
時間をかけて段階を踏んでいかねばならないことも、充分承知している。

だが、変えるという気持ちがあるときに足踏みしていては
いつまでたっても変わらない。
例年通りにしていれば失敗は無いだろうが、進歩もない。
たとえ失敗しても、また次の年に変えてゆけば良い。
この一歩を踏み出す前にあれこれ考えていても
踏み出さなければ、それは結果として見えてこない。

というわけで、変えてみる。
やっぱりだめだったね、それでも良い。
他の人が重い責任を感じるようなことも
ぐうたらな私には、たいしたことではない。
しょせん、PTAはボランティアなんだから
自分たちの都合に合わせてやってかまわないものなんだから。

会長でいる間に、何が起こるだろうか
一年で終わんないつもりでいる自分に
ため息ついていたりする。

なかなか通らぬ要望



「学校に警備員を」

その要望は、一部の保護者だけのものでなく
おそらくは、学校に子どもを行かせている保護者のすべてが
それが今のところのベストな方法だと考えているのではないだろうか。
実現できるかどうか、あきらめるかどうかの話ではなく。
だから、要望する。
教師や保護者や地域の方々が、できる限りのコトをしても、
素人には限界がある。
それとも、保険に入っているからといって
いざというときには、子どもたちの盾になりなさい、と
行政は言うのだろうか。
できうるだけのことはやっても
やはり、最良の手段は、警備員を置く事である。

少子化対策は、“産めよ増やせよ”ではないはず。
子どもを安心して育てられる環境が大事なのだ。
今現在の大事な子供たちの生命を守ることができずに
これから先、子どもを増やすということができるのだろうか。
子どもが減った分、教師の採用数を減らし
貧相な教育環境にしていくのが
現実の少子化対策だとしたら
この国に明るい未来はない。

予算が無いのなら知恵をだせ。
「お金が無いからなにもできません」では
「金で買えないものはない」と同じくらい芸が無い。

と、今日要望書を出しながら思っていた。
出した要望書をこちらが引っ込めるわけないんだから
ぐだぐだ理屈つけてとどめておかないで
さっさと善処してくださいよ、教育長。




学校に警備員



警備員を常駐させる学校が増えつつある。
東京渋谷区では、区立小学校すべてに警備員を常駐させることが決まり
予算6700万円を計上した。
自治体でこのような措置を行うところはまだまだ少ない。
東京大田区田園調布小では、保護者が費用を負担して
警備員を常駐させるという。
おそらく、行政にまかせていてはいつになるかわからない、ということで
見切り発車したのではないかと、私は思っている。

警備員を置くことは、どこの親でも望んでいることではないだろうか。
できることなら、保護者が費用を負担してでも
子どもの安全は確保したいところである。
だが、小規模な学校では、その負担が大きすぎる。
予算が少ないと言うのであれば
費用の補助を行うだけでもかまわない。
本気で子どもの安全を考えているのかどうか
各自治体の姿勢が問われている。



銭湯のススメ



先日、温泉のある銭湯に行ったときのこと

いろいろな身体があるな、、と実感した。
服を着てるとなんだか皆あまり変わりないようだけど
裸になると、十人十色、これぞ個性!って感じがする。
肉付きのさまざまなのもさることながら
肌の感じ、あざやホクロ、本当にいろいろだ。
家の風呂に入っているだけじゃ、わからない。
世の中、いろんな人がいるんだよ
言葉で教えなくても、一目瞭然。
そして、その中のひとりが自分。
裸を見ているもの、見られているもの
お互い様な立場なんだよね。

洗い場で、肩越しに後ろの方へシャワーを飛ばしている人を見かける。
背中を向けて洗っている人が驚いて振り返る。
悪気があってやってるんじゃない。
気がつかないのだ。
私が子供のころは、風呂といえば、銭湯だった。
そこでは、暗黙のルールがあった。
人に迷惑をかけない方法を、目で見て教わった。学んだ。
銭湯は一種の社交場で、皆が気持ちよくすごせるよう
各自は自然に気を遣っていたように思う。
だが、今は違う。
自分のうちの風呂で、ひとりで好きなように入っている。


たまには銭湯に行って
社会のルールを知るのもいいかもしれない。
大きな湯船でのんびりしながら
いろんな人をダシにしながら
親から教わった良識を伝えたりなんかして・・・

PTA役員を引き受けるのは



なぜにPTA役員をそんなに引き受けるのか?

PTAは、ボランティアである。
できる人が、できることを無理なくする
それがボランティアとしてのPTAの姿であるべきだ
と、思っている。
だから、本当は
子どもひとりにつき役員を一回は引き受けるとか
不公平にならないように、全員がなんらかの形で参加するとか
そういうことを取り決めにはしたくない
と思っている。

しかし、現実として
活動をしてくれる人は決まっていて
何もしない人は、延々と
そういう人の善意におんぶし続けている。
これじゃ
やる気持ちがあって頑張ってる人も
嫌になっちゃうよね。

ボランティアの気持ちは
強制的に起こさせるものじゃなくて
感謝の心から自然に芽生えるものだと思う。
何かで恩を返したい、そういう気持ちが
誰かに何かをしてあげたい、という想いになる。
そういうことをまったく感じない人もいる。
感じていても、訳あって何もできない人もいる。

私が引き受けているのは
気持ちがあっても、できないという人の分
私はできるから、やりましょう
そういう気持ちでいるからであって
好きだからとか
そういうのじゃないんだよね。

だから、できなくなったら
あっさり断る。
他の人が困ろうがどうしようが
できないんだから、しかたない。

PTAはボランティアである。
だけど、誰かの善意にだけ
偏って頼る事はいけない。
気持ちと、実際の活動の
どこかに線を引かないと
何かが犠牲になるだけだから。

何でもハイハイ受けてるわけじゃないよ。
何と言っても、基本は面倒くさがりだからね^^