最期は安らかに 義父を見送りました。
入院して26日経過した日。三男がレスリングの全国大会へ向かった日。義父は息を引き取りました。その日も病室に泊まる予定で夫と夕飯を食べてから病院へ。夜8時頃でした。昏睡状態が続いていましたが、お昼頃は会話が出来たようです。義母と交代予定でしたが、何だか息苦しそうで嫌な予感がしました。額に汗をかいていました。心拍数、血圧がわかる装置を付けてもらい、何かあれば看護師さんが来てくれる事に。そして、酸素がMAXに入るマスクに変えてもらい、肩で息をしていたのが落ち着いてきたな〜と少し安心したとき、看護師さんが部屋に入ってきました。ずっと警報が鳴るので、「病室では鳴らないようにしていきますね!」と設定を変更していきました。義父の父の手がすごく冷たくて、手を握っても反応はありませんでしたが、触ってると少し温かくなり、義母と夫がずっと手を握る事に。いつもと違うので、夫が妹へ電話しました。2回目看護師さん達が入ってきて、義父の目を見たり、心拍数をみたりしていました。延命治療はしないと言っていたので、こういうとき医者は来ないんだなと不思議な気持ちでした。心拍数も血圧も大きく下がり、いよいよ危ないなとなってきました。妹はまだ到着しません。夫が必死に「〇〇はもうすぐ来るから待っとって!!」と何度も父の体をゆすって言いました。私も義母も大声で「お父さん、まだ逝ってダメやよ!!」何度も体をゆすって声をかけました。義父は水中で溺れた人が息を吸うかのように、大きく息を吸いました。間を空けてもう一度。それが最期でした。1分後妹が病室に到着。号泣でしたまだ近くに魂はいて、聞こえてるはずだからとなだめました。それからは義父の思い出話を語り、病室の片付けをして、遺体を夫の実家へ運んで頂きました。お通夜、お葬式もバタバタと終わり、二男、三男もお葬式には参列出来ました。しばらくは実家で過ごす事になり、三男夏休みで良かったなと。毎日実家から会社へ通い、その後習い事へ連れて行く事になりました。仏間の隣に布団を敷いて、毎晩義父と同じ部屋で寝る生活です。35日までは魂は家にいるそうなので、毎日義父が好きだった物をお供えしています。義父がいなくなった実感は全くありません。一年くらいはこんな感じなんだろうなと思います。