ほかにも生きることは他の生命を奪うことだということに今更ながら気づき、肉類が一切喉を通らない事が何年も続いた。


 本当は俄(にわか)ベジタリアンにしても命を奪うのだが、動物に比べまだ抵抗が少なかった。その身勝手さにさらに自分を嫌悪し、今度は長く発症していなかった喘息の発作が起きる頻度が増え、ついには救急車で運ばれ、入院したことが何回かあった。


 命は惜しかったけれど、このまま死んでも悪くはないと思う気もあった。上腕のそれぞれの筋肉の境目が分かるほど、注射を打たれ、酸素吸入をされた。


 友人らが集められたそうだが、親戚などというものは無かったので、困ったようだ。そんな状態でも、自分では死ぬほど悪いという感覚はなかった。


 おじさんの心の虚無とは裏腹に、体の方は、若く生命力旺盛で、いったん快方に向かうと、あっという間に治ってしまった。


 もちろん、酷(ひど)い発作が治っただけで、喘息そのものが治った訳ではない。


 このころ、不思議なことに惹かれて、オカルト的な書物もずいぶん読んだ。ただ、その頃はそういった類の書籍を出版する会社が少なく、今記憶しているのは、大陸書房という出版社だけだ。


 購入しはしたものの、そんな本は何か二流の執筆者の著作という色眼鏡でみてしまいがちであった。権威主義が残っていたんだね。


 色眼鏡で見ながらの読書の中でも、新しい発見はあり、発見があると、それを徹底して考えるということを繰り返す日常であった。


 その頃、頭の中の思考だけでは、ちょっと複雑な論理構成の事柄を考えれば、大きな穴があったり、論理矛盾が生じたりするので、書きながら考えていくという習慣ができていた。


 よく評論家などがいう、考えることと書くことはイコールであるというのは、おじさんはよく解る。
 ほかにもモンテーニュの『随想録』や、ギリシャの哲人アリストテレスの『論理学』や『形而上学』なども読んだ。


 おそらくおじさんは20歳前後だったと思う。


 ほかにも夥(おびただ)しい推理小説を読んだ。横溝正史、松本清張、高木彬光、後に左がかってくる森村誠一、海外ではエラリー・クイーン、アガサ・クリスティー、エドガー・アラン・ポー、あっ、連想から江戸川乱歩、コナン・ドイル等々、もその時点で文庫出版されているものは、全て読んだ。


 そんな軽い本を読みながらも、一方でちょっと高級な本もページだけは捲(めく)っていた青春時代であった。


 ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフといったロシア文学、モーパッサン、モーム、カフカ なども教養を身につけるため?に苦しみながら読んだ。


 そんな中で、生きるということの意味をもっと直接的に教われない物足りなさを感じ、やはり宗教しかないのかとも思ったが、神というものが受け入れられなかった。


 幾ら読んでも、神という者が、何か口うるさく命令し、怒り、要求し、罰を与え、自らを信じる者だけを救うというあまりの狭量さに鳥肌が立つ思いがして、むしろ仏教というシステムの教えのようなものの方がまだましだと感じていた。


 そのうちおじさん心に虚無が住み着くようになっていった。心が虚無に陥るというのは、何も楽しめないということだ。


 生きていることの意味が明らかにならない限り、意味というものが無いわけだから、何も楽しむことが出来ない。だから心から笑うことがなくなった。


 ただ、動物としての本能のまま、体が求めること、楽しいことはなんでもやった。飲む打つ買うの3拍子と言うが、今なら、酒を飲み、ギャンブルをし、風俗へ通うといったところか。


 しかし、当時のおじさんにそんな金はなく、ナンパし、安い飲み屋へ行き、あるときは麻雀に明け暮れるといった日常だった。



 信仰をもつというのは、如何に生きるかという問題と直結している。


 生きるとは何か、死とは何か、生まれてきた意味は、といった問題を解決するために一つの拠り所として宗教というものが登場する。


 池田晶子という早逝した哲学者が、自分は死の問題についてとっくに結着をつけている、といった趣旨のことを何かのオピニオン誌に書いていたが、どう結着をつけておられたかは知らない。


 哲学的な結着なら、現在ただいまの瞬間瞬間の存在に意味があり、瞬間が途切れることが『死』だということだったのかも知れないし、神との関わりの中で何かの境地に到達されたのかも知れない。


 おじさんも恥ずかしながら哲学書なるものを読んだことがある。 バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』を一通り読み、ヘーゲルの『精神現象学』というものにトライしたが、どうにも理解できず、ひとまず本を置き、カントの『純粋理性批判』にトライするために上中下巻の上巻を買ってみた。


 というのは、哲学者の中には大きく問題を提起した人と、それに答えた人に分けられることを知っていたからである。


 つまり、カントが問題提起、ヘーゲルが回答者という図式になる。ヘーゲルに頓挫したのはカントの理解が足りなかったと思ったんだね。


 ただ、カントは、おじさんには取っつきやすかったけれど、これも断念した。ある人に哲学者はこんなにたくさんいて、一人の一冊の著作ですらこれだけの時間を掛け、それでも理解が出来ているかどうか覚束ない、と言ったところ、その人は山に喩えて、誰でも最初はそう思うのだが、だれでもいいから徹底的に読み込み理解できる(頂上に到達する)と、たくさんの山の頂きが見えてくる、と言われた。


 それで、そうかとカントの山に登る決意を新たにした者は大成しただろうが、おじさんは、今はこれに時間を掛けていられないと、そっとカントの山どころか、哲学の山に背を向けた。


 だから今、大成せずに平凡な日常の中で、ひそやかに暮らしている。


 その後も、往生際悪く、書店の哲学書のコーナーに立っては、書名だけを読んでみたり、文庫本で廉価の書物があれば、買って読んでみたりした。


 だが、もともと頂きをめざす気概がないのだから、表面的な理解で終わっている事は確かだ。しかし、表面的とはいえ、ニーチェの『善悪の彼岸』や『ツァラトゥストラかく語りき』などはまずまず理解できたのではないかと思っている。


 そうそう、そのころパスカルの『パンセ』も読んだ。おじさんの用いている考葦という名前の由来となったパスカルの名言が、この中に書かれていたものかどうか、申し訳ないが忘れた。


 この記憶は確かだと思うが、パスカルは思想家としては、思想書を書くと構えて著述したものはなく、死後残された夥しい紙片を、後世の誰かが纏めたものが『パンセ』なんだ。


 ほんとにパスカルには申し訳ない。だが、考えろ、そこから立ち上がれ、弱い葦のごとき人間でも、そこに道徳の原理がある、という理解はたぶん間違っていない。



 昔、このブログで神に関する話をしたと思うのだが、神については宗教というものが不可分であって、宗教は昔ながら?の宗教が由緒正しいものとされる傾向がある。


 おじさんは宗教団体に入るのではなく、個人と神の関わりというスタイルもあると思うのだが、あまり歓迎されないようだ。


 おじさんが昔から嫌悪を感じていたのは、既存の宗教が多くの禁忌を設け、その許される範囲内での自由しか認めないように見える点だった。


 以前にも書いたが、どれほど大規模な宗教だったとしても、何かをするなとか、何かをしてくれなかったから怒るとか、人をがんじがらめにしている、そんな神には魅力を感じない。


 それに、昔に聖なる言葉を授かった人がいて、それ以降、神から聖なる言葉は発せられていないということを信じてよいのか、という点も疑問だった。


 何時の時代にもマスターとよばれる人はたくさんいて、自分の近くの人を真理に導いているのではないのだろうか。


 真理は永久に変わらない。だから真理なのだ。昔、語られた言葉は今も真理であり、後世の人間がいたずらに変えてはならない。


 原理主義といわれるものだね。


 おじさんは問いたい。貴方の神は偉大な神であることはよく解るが、ほかにも多くの信者を擁する宗教があるが、邪教なんでしょうか、と。


 貴方の神は、人を殺せとおっしゃることがあるが、そういう神なんですか、と。


 あなたの神を信じるほかに救われる道はなく、他の神を信じる者達も、無神論者も死後にあるのは地獄への道だけなんですね、と。


 おじさんはそんな狭量な神には近づきたくないし、信者になるなどまっぴら御免である。


 だったらおじさんは無神論者? と聞かれそうだが、おじさんは神を信じてるし、どうやらおじさんが考える神が、どんな宗教よりも、より神に近いと感じる。


 しばらくこのテーマで話を進めようと思う。


 


 
 忙しい。


 それはいいこと二は違いない。


 だが、ブログが書けない。


 人のブログを読む時間もない。


 連休こそと決めていたけど、なかなか筆が進まない。


 読書は相変わらず冊数をこなしているけど、それを少なくしてブログを書くのでは、まさに本末転倒になる。


 話は変わるが、子供に読書をさせる秘訣を、人に聞かれることがたまにある。


 おじさんの回答はいつも同じ。


 自分が読んでいれば、子供は読むようになります、だ。


 しかし、おじさんは本を読む親に育てられた訳ではないから、この答えは体験的事実という訳ではない。


 でも何故か、自分の子を育てる課程で確信めいたものが生まれていた。


 童話を何冊読んで聞かせただろう。100話ほども入っている分厚い本を、何冊も何冊も、それも何度も何度も……。


 ただ、それだけでは駄目で、時には子供の要求を断り、自分が好きな本を読むことも必要だ。


 よくおじさんが寝ころび両肘を立てて本を読んでいると、横に読んで貰いたい絵本を持ってきて同じ格好をして読んでいたものだ。


 結局、おじさんが根負けして、読んでやることになったんだけどね。 


 今、その子(一人っ子)はおじさんの10倍は読んでいる。


 それがどうしたという人には、何も言うことはありません。
 『あなたにすべてのよきことが雪崩のごとく起きます』


 これは宮本真由美さんの『斉藤一人 すべてがうまくいくコツ49』という著書に書かれている言葉です。


 つまり、師である斉藤一人さんから聞いた言葉を、弟子の宮本真由美さんが著書で紹介している訳ですね。


 冒頭の言葉は、幸せになるための修行の一つで、1日逢う人100人に、この言葉を心で唱え、それを1000日間続けるというものです。


 そんなに人に逢わない地域に住んでいる人なら、テレビの中の人でもよいそうです。複数の人を対象にするときは、「あなたに」を「みんなに」と変えて言ってもよいようです。


 考葦おじさんも、本を買ったその日から実践しています。今のところ大きな変化は現れていませんが、昨日、ある事でちょっとぎくしゃくした感のあった近所の人が、大きく微笑んでご挨拶してくださいました。


 ほかにも、気合と同じ用法で、愛をプラスする『気愛』という言葉を紹介されたり、斉藤さんの弟子になるユニークな方法などが書かれていて、俄然、斉藤一人という人に興味が出てきました。


 ボリューム的には、それこそちょっと気愛を入れれば数時間で読破できるでしょう。


 けれど、これは読破することよりも、座右に置いて、時間があれば開いて読むスタイルに適した本ですね。




 斉藤一人さんというのは、累積納税額日本一の大金持ちだそうです。


  『楽しいから成功したんで、成功したから楽しいのじゃないですよ』


 本書の前書の冒頭に、上の言葉が置かれています。


 斉藤一人さんは、それを実践して著者が知る20年間、ぶれたことがないと言い、斉藤一人さんのお弟子さんである著者も、それを実践し、成功なさっています。


 さて、今から実践しておじさんは間に合うか。 (^_^;) 乞うご期待!!


 ご一読を。(^ε^)♪ いやいや、あなたの座右に


 アマゾンの方はこちら



 今、おじさんの仕事場に金の買い取りの営業マンが来て、お帰り願った。


 金や白金の相場が高騰していることは、経済音痴のおじさんとて耳にしている。


 営業マン君は、ちょっとしつこかったので、可哀想だったが警察に電話することになると脅かして帰って貰った。


 こちらは忙しく書類を作成していたので、ちょっと虫の居所が悪かったから、あんなことを言ったけれど、たいして確信があったわけではない。


 昔、不退去罪が認められた判例を読んだ記憶があり、認定された時間はばらばらだったが、おそらく帰ってくれと言ってから、30分程度粘っていたら、犯罪が成立したと思われる。


 ついこの間までは、警察の委嘱を受けて、一年間、暴力団の監視モニターのような文言の委嘱状が仕事場に掲示されていた。


 その間、報告するような事は何もなく、そもそも、あちら関係の人が来ることなど考えられず、こんな所に貼っても効率はよくないですよと、一応辞退申し上げたけど、是非にということでお受けした。


 時折、その文面をよんだ客が、私は大丈夫かといったジョークを発するだけで、一年が過ぎ、委嘱期間が終わったという文書が郵送されてきて、それで終わった。


 何故、そんな事を思い出したかというと、ここに警察の委嘱状があったなと、お帰り願っている間、瞬間的に思い出したからである。


 おじさんも色々なことをやっているものだ。


 警察といえば、ストーカーの被害者の申し出に、1週間後に受け付けると言って自分たちは慰安旅行をなさっていたケースがあったが、その間、被害者の母と祖母が刺殺されたんだったね。


 本当に護られたきゃ、警察ではなく、警備会社に頼みたくなるよね。間違っても暴力団や準構成員はだめだよ。こんどはそいつがたちの悪いストーカーになるから。


 可変しいと言えば、暴排条例というのも変な話だ。暴力団やそれに準ずる人や団体に何かを売ったり、場所を提供すると条例違反になるというものだそうだが、それほどはっきりと区別ができるのか、はなはだ疑問である。


 それなら、条例などという下位の縛りではなく、所謂(いわゆる)、法律にすればよかったんじゃないの?


 それが出来ないからこそ、都道府県が暴力団排除条例を競って制定し、一般市民に縛りをかけてきたというのが実情だろう。


 どの程度、暴力団に対して実効を生じているのか、あるいは、一方の市民の側の被害があるのかないのか、あるとすればどのようなケースなのか、是非にも知りたいところである。


 たぶん、勇気を持って断った人なり事業所なりが、無事に済んでいるのかどうか。果たしてそれらの人や事業者は護られるのか。


 先のストーカーに対する応対を見ていると、おじさんは甚だ疑問である。 
 
 閑散としたブログにお越し頂き有難うございます。


 ようやく自分のブログにログインしました。


 スマホや携帯から投稿出来る人はいいのですが、わたくし考葦おじさんは、目の関係でメールが打てません。


 以前にも書いたかも知れませんが、おじさんは幾つかの団体に所属しており、その内の複数の団体の役員を兼任しています。


 天下りの元役人なら、必ずそこには報酬というか、給与がついて回り、兼務すればするほど実入りがよくなるような仕組みになっているのですが、哀しいかな、おじさんの所属する団体は、交通費と雀の涙ほどのお金が出るだけで、役に就いているメリットはほとんどありません。

 
 ただ、奉仕精神の旺盛な人と知己を得て、時折、深く鋭い考えなどに触れられることが、何よりの報酬です。


 そのような事情で、ここのところ総会に向けての準備が忙しく、なかなかブログが書けません。


 皆様のお声は聞けませんけれども、アクセスの分析というものを見る事を知り、つまらないブログに、誤って通過されただけにしろ、足跡を残していただいているのを発見し、感謝申し上げると同時に、面映ゆく思っております。


 アメブロのシステムも、もう少し理解できると予想していたのですが、いつまでたっても初心者の域を脱する事が出来ません。


  こちらが気がつかない為に、失礼している事が多々あろうかと存じますが、どうかお許し下さい。


 今後は相当にたまっている記事の欠片たちを何とか完成させ、発表したいと考えております。


 それでは、拙文を投稿した後、日陰の文章を完成させる作業に着手します。


 

 

 葬儀の後、出棺の前にお別れのために残して貰った。


 母の顔は綺麗だった、とても享年87歳とは思えないほど皺もなく。


 棺の中には死の直前まで読んでいた本が、読みやすいようにか開いて納めてあった。


 何を読んでいたのかと見てみたが、文庫本に加え、花とおじさん自身の老眼のせいでよく題名が分からない。眼鏡はくるまに置いてきてるので、尋ねてみると、佐伯泰英の時代小説だという。


 発見されたときには、眼鏡を掛けたままだったという。ということは読書の途中で無くなったのか。閉じて枕元に揃えてあったと聞いたが、本を置いて寝ようとしてそのまま亡くなったのか。


 もし、そうであれば、理想の死に方ではないか。だれにも迷惑を掛けず、寝て起きることがなかっただけということなのだから。


 前日は、兄が病院へ送り迎えし、冗談を言って別れたところだったそうで、兄自身も、しばらく事態が飲み込めないほど、本当に突然のことだったという。


 ちなみに、母は再婚相手との間に一女をもうけており、その娘が引き取って生活していたというから、晩年は本当に幸せだったんだと思う。


 もちろんその娘とおじさんは話をしたことがあって、DVだった夫との子にしては、やさしく育っていた。


 そう、おじさんと血は繋がっている。葬儀に行くと御礼を言われてしまった。


 少し複雑な感情を脇にどかし、おじさんも大変だったね、ご苦労様とねぎらった。


 でも、焼き場まで行くのはよした。スケジュール的に顔を出すぐらいのことは出来たのだが、まわりやあちらの親族に余計な気遣いや詮索をされたくなかったから、兄に一言いって、霊柩車を見送った。


 おじさんは絶対に泣くことはないだろうと思っていたが、近い遺族がお別れの言葉を書いてそれを最後に棺に開いて入れたので読んでみると、一行目に、兄が一言「生んでくれてありがとう」と書いているのを見て、グッときてしまった。


 おじさんは母方の祖母に育てられたけど、兄は母に付いて再婚相手と暮らすことになった。


 結局、義父は兄を1人の労働者として引き取りたかったと思われる。まさにゴミのような男だ。一時は事業が成功して金持ちになったらしいが、晩年は女に騙されて、すっからかんになっていたと聞いた。


 銀行から相続をしろと迫られ、現金がないというので、おじさんが30数万円を立て替えてそのままになっている。


 これまでも請求したことはなかったし、これからも香典のつもりで払ったと考え、請求することはないだろう。


 おじさんは、兄には色々迷惑を掛けられている。だけど、義父にDVで苦しめられ、教育も満足に受けさせて貰えなかった兄には、逆に負い目を感じている。


 おじさんだって決してのほほんと生活していた訳じゃないし、ちょっとした泣ける人生も過ごしてきたけれど、母親が変な男と結婚さえしなければ、と思うこともあった。


 だが、すべておじさんから出でて、おじさんが体験した事柄である。妹も含めて兄弟皆やさしく歳をとったことに感謝しよう。 



 今、母が死んだという知らせを受けた。


 この母親は、おじさんを産んですぐに実家に預け、そのまま自分の恋に生きていった人だった。


 あまりにも縁が薄すぎて、感慨というものは湧いてこない。


 ただ、おじさんは、産んでくれたことに感謝している。そうでなければ、訪れる人の少ないブログを書くこともなかったし、家族も持てなかっただろうから。


 母はシングルマザーのはしりと言ってもいいだろう。若い頃は美しい人だったと、おじさんが母の子だと知った誰もが教えてくれる。毅然とした肝の据わったところもあったのだろう。世間の非難を受ける覚悟で、おじさんを産んだのだから。


 ただ、自己を犠牲にして子を育てるという気はなかったんだろう。


 おじさんには兄がいて、婚姻してた時の子供である。おじさんはそうではない。だからおじさんの戸籍の父親欄は空白である。異父兄弟ということになるね。


 父の家も人も分かっていたらしく、認知を求めて親戚が訪ねてくれたこともあったらしい。でも本人は出てこずに、先方の親にきっぱりと断られたそうだ。


 自分が知らないところで、様々な人に世話になっている。この機会に御礼を述べよう。 


 父の家は立派な家系だったそうだが、おじさんの家も、家柄ではそんなに劣ってはいないということだ。ただ方や当時裕福、方や没落した名家の離婚歴のある子持ち女、産まれる子があんたの子だと言われても、そうかとは言えなかった気持も分からなくはない。


 昔、兄が母からおじさんの父親の名前を聞き出してくれたことがあり、カミさんがメモを貰ったそうだ。だが、おじさんは会いたいという気は起きなかった。


 今も裕福な家庭かも知れないが、それなら、先方はなおさら迷惑だろう。


 もし会いたいという気があるのなら、探偵を雇ってでも捜せるはずである。それをしないということは、記憶から消しているか、記憶にあっても、会わない方が都合が良いかのいずれかだろう。


 母は今年誕生日がくるとで86歳、葬儀屋がいうには数えで87歳と数えるらしい。朝5時に部屋を覗くと、眠るように死んでいたらしい。


 本が好きで、いつも本を読んでいたそうで、枕元には前夜に読んだ本が綺麗に閉じて置いてあったという。


 おじさんと趣味が同じなんて、なんだか哀しいね。


 おじさんがその気になれば、いくらでも会う機会はあった。


 兄が金に困ったときに、着物をもって来たこを思い出した。俺は質屋じゃないって。


 おじさんがどれほど傷つくか分からないのかな?


 でも、一切合切、何もかもとっくに許しているんだよ。


 次はどんな人生を選択するか知らないけど、ひとまずゆっくりおやすみ。


 葬儀には行くからね


合掌