ほかにも生きることは他の生命を奪うことだということに今更ながら気づき、肉類が一切喉を通らない事が何年も続いた。


 本当は俄(にわか)ベジタリアンにしても命を奪うのだが、動物に比べまだ抵抗が少なかった。その身勝手さにさらに自分を嫌悪し、今度は長く発症していなかった喘息の発作が起きる頻度が増え、ついには救急車で運ばれ、入院したことが何回かあった。


 命は惜しかったけれど、このまま死んでも悪くはないと思う気もあった。上腕のそれぞれの筋肉の境目が分かるほど、注射を打たれ、酸素吸入をされた。


 友人らが集められたそうだが、親戚などというものは無かったので、困ったようだ。そんな状態でも、自分では死ぬほど悪いという感覚はなかった。


 おじさんの心の虚無とは裏腹に、体の方は、若く生命力旺盛で、いったん快方に向かうと、あっという間に治ってしまった。


 もちろん、酷(ひど)い発作が治っただけで、喘息そのものが治った訳ではない。


 このころ、不思議なことに惹かれて、オカルト的な書物もずいぶん読んだ。ただ、その頃はそういった類の書籍を出版する会社が少なく、今記憶しているのは、大陸書房という出版社だけだ。


 購入しはしたものの、そんな本は何か二流の執筆者の著作という色眼鏡でみてしまいがちであった。権威主義が残っていたんだね。


 色眼鏡で見ながらの読書の中でも、新しい発見はあり、発見があると、それを徹底して考えるということを繰り返す日常であった。


 その頃、頭の中の思考だけでは、ちょっと複雑な論理構成の事柄を考えれば、大きな穴があったり、論理矛盾が生じたりするので、書きながら考えていくという習慣ができていた。


 よく評論家などがいう、考えることと書くことはイコールであるというのは、おじさんはよく解る。