今、母が死んだという知らせを受けた。
この母親は、おじさんを産んですぐに実家に預け、そのまま自分の恋に生きていった人だった。
あまりにも縁が薄すぎて、感慨というものは湧いてこない。
ただ、おじさんは、産んでくれたことに感謝している。そうでなければ、訪れる人の少ないブログを書くこともなかったし、家族も持てなかっただろうから。
母はシングルマザーのはしりと言ってもいいだろう。若い頃は美しい人だったと、おじさんが母の子だと知った誰もが教えてくれる。毅然とした肝の据わったところもあったのだろう。世間の非難を受ける覚悟で、おじさんを産んだのだから。
ただ、自己を犠牲にして子を育てるという気はなかったんだろう。
おじさんには兄がいて、婚姻してた時の子供である。おじさんはそうではない。だからおじさんの戸籍の父親欄は空白である。異父兄弟ということになるね。
父の家も人も分かっていたらしく、認知を求めて親戚が訪ねてくれたこともあったらしい。でも本人は出てこずに、先方の親にきっぱりと断られたそうだ。
自分が知らないところで、様々な人に世話になっている。この機会に御礼を述べよう。
父の家は立派な家系だったそうだが、おじさんの家も、家柄ではそんなに劣ってはいないということだ。ただ方や当時裕福、方や没落した名家の離婚歴のある子持ち女、産まれる子があんたの子だと言われても、そうかとは言えなかった気持も分からなくはない。
昔、兄が母からおじさんの父親の名前を聞き出してくれたことがあり、カミさんがメモを貰ったそうだ。だが、おじさんは会いたいという気は起きなかった。
今も裕福な家庭かも知れないが、それなら、先方はなおさら迷惑だろう。
もし会いたいという気があるのなら、探偵を雇ってでも捜せるはずである。それをしないということは、記憶から消しているか、記憶にあっても、会わない方が都合が良いかのいずれかだろう。
母は今年誕生日がくるとで86歳、葬儀屋がいうには数えで87歳と数えるらしい。朝5時に部屋を覗くと、眠るように死んでいたらしい。
本が好きで、いつも本を読んでいたそうで、枕元には前夜に読んだ本が綺麗に閉じて置いてあったという。
おじさんと趣味が同じなんて、なんだか哀しいね。
おじさんがその気になれば、いくらでも会う機会はあった。
兄が金に困ったときに、着物をもって来たこを思い出した。俺は質屋じゃないって。
おじさんがどれほど傷つくか分からないのかな?
でも、一切合切、何もかもとっくに許しているんだよ。
次はどんな人生を選択するか知らないけど、ひとまずゆっくりおやすみ。
葬儀には行くからね
合掌