私の小さかった頃の話  【その3】 | シルクふぁみりぃブログ

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奈良県のこの辺りでは、コロナ禍で遅れた始まった夏休みが早々に終わり、お盆後すぐに2学期が始まりました。

 

私も今年はお盆休みが4日間ありました。

ちょうど夏休みなので、孫が泊まりに来るのを楽しみにしている友人達も多いです。

 

そう言えば私も小さい頃、自宅で夏休みを過ごしたことが無かったです。

ずっと北陸の母の実家で休みの殆どを過ごしました。

 

母がそばに居なかったからでしょうか、何でも無いような経験も、なぜか鮮明に覚えているのが不思議です。

従姉妹たちも、村の子供たちも、仲良くしてくれて楽しかったです。

年長の従姉妹は家事を全部こなしていて、ついて回りながらすごいなぁって驚いていました。

私と年齢が近い従姉妹は、登校日に宿題が出来ていなくて、大声で泣きながらページを埋めているのが不思議でした。

(カンタンな夏休みのドリル、もっと早く済ませておけばいいのにと思っていた1歳下の偉そうな私でしたしょぼん

 

行く時は、大阪駅の列車まで母が送ってくれました。

そして、福井駅まで伯父が迎えに来てくれていました。

(伯父は戦後シベリア抑留から帰還した無口な人でしたが、とても優しかったです)

 

そんな中、お盆には私の両親も来ました。

久しぶりに見る母は懐かしくて、なぜか輝いていました。

 

伯父は私の父母をもてなすのに、越前蟹を箱で買ってきてくれました。

毎年、宴会を開いてくれていたこと、お金持ちでもないのに大変だっただろうなって今思います。

 

伯父家族と同居の祖母は、いつも畑仕事をしていました。

トウモロコシを採ったり、畑のマクワウリをカマで剥いて畑で食べさせてくれたり、どれもが楽しかったです。

年齢にして60歳も違う祖母の足が早くて、ついて行けないくらいだったことも印象的でした。

 

小川で鮒やドジョウ、メダカをすくって従姉妹と遊びました。

それらの思い出は、私の大切な宝物なんです。

囲炉裏の灰の中で床の下で保管しているさつま芋や畑から採りたてのトウモロコシを焼いてくれたり……。

 

そんな体験を宝物にしているのに……です。

私はと言うと、孫達に来い来いと言うタイプではありません。

(あんなに楽しい夏休みを、祖母の家で過ごさせてもらっていたのに!!ゴメンね!)

 

子供4人育てて、2世帯で孫の世話もしたことがある私としては、孫と会うことは楽しいです!

かわいくて、面白くてずっと一緒に居てもいいくらいです。

でも、泊まり込みの孫たちの世話を自分一人でするのは「もうイイかなぁ!」と思ってしまうのです。

 

つまり子育ての卒業証書を自分に渡してしまった気がしています。

(孫育ては親もそばにいる時に一緒に……がいいですね!)

 

だから、自分からは「ジィジとバァバの家に泊まりにおいで〜〜!」とは申しません。

ただ、娘の用事などで頼まれて預かることは引き受けているんです。

……ってことで、先週には数人の孫が泊まりに来ていましたガーン

 

公園に連れて行ったり、一緒に買物に行ったり、ホントに楽しいひとときをいただきました。

1泊で帰らず、そのまま泊まり続けたいと言ってくれる孫もいます。

(それは7歳男児です!)

 

右下矢印暑すぎて、逆光で目が開かない3歳の孫です。

アスレチックも沢山あるんですよ。

近くの馬見丘陵公園です。

 

私は「また来たらいいから、今日は帰ってねぇ!」と言って帰ってもらいます。

そうしましたら、翌朝起きるなり「さぁ、それじゃ僕はバァバの家に行こうかな!」と言ってくれていたと聞いて

嬉しいと思う私もおります……。

 

急に思い出しましたが、小さい頃の思い出の中に傷痍軍人さんがいます。

白い兵隊の服を着ていて、足や腕が無いのです。

梅田や天王寺、なんばなどに行くと必ず何人も会いました。

 

見たくないし、見てはいけないもののように幼い私の目には写りました。

アコーデオンを弾いて、前にお金を入れるお椀があったり……。

 

母に彼のことを聞くと、

 

「戦争で足や腕無くしはってお仕事ができないからねぇ」

 

そんなふうに答えてくれていました。

 

 

 

 

 

 

 

夜店が大好きだったのですが、毎回買う綿菓子屋さんのおじさんは片腕が無かったです。

でも、片手と脇も使って器用に綿菓子を作って渡してくれていました。

小さいながら思ったことは、おじさんがとってもオトコマエだったってことでした。

 

心斎橋や大阪駅など大きな盛り場には何人もの傷痍軍人さんが居て、道路の真ん中に座り込んで前にお金入れを置いてました。

母は時々、そのお椀にお金を入れていました。

 

ほんの少し前……そんな気もするのですが60年以上前の話です。

傷痍軍人さんは、徐々に少なくなってきましたが、私が小学生の間くらいは見た気がします。

なんとも言えない気持ちでした。

彼らは、どこに行かれたのでしょうね?

ひょっとしたら、生活保護制度が整って大丈夫になったのかも知れないです。

 

夜店の楽しかった思い出も私の中では大きく残っています。

毎月2のつく日に開催されていました。

月に3回もあったんですね。

 

近所の少し年上のお姉さんと一緒に行きました。

もう、あの頃は戻ってきません!!

 

でも、今も心の中では温かい思い出としてしっかりと残っているのです。

 

いつも、お読みくださってありがとうございます。

動画のコメント欄に「小さい頃のお話が楽しいです!」と書いて下さっていました。

 

動画のお返事の書き方はわからないのですが「小さかった頃の話」を書かせていただきましたニコニコ

いつも、ありがとうございます。

 

私が小さかった頃の話  【その1】

私が小さかった頃の話  【その2】 

私の小さかった頃には無かったポリ袋やレジ袋などのこと……!!

私の小さかった頃の暮らし、そして今は……?!

自分の手を見ると、働き者だった祖母と会えるんです。

同年代のお客様との会話は……!?

”自分の手を見ると、働き者だった祖母と会えるんです。”2年半前のブログです。

 

 

 

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