人間の身体は歳をとります。
気持ちは若いつもりでも、不動産じゃないですが経年劣化というのでしょうか?!
目に見える部分はどうしても、変化していきます。
顔も手も人生を表しているような気がするんです。
文句も言わずに、私の思い通りに動き続けてくれた私の手。
私はすぐに重いものを持ちすぎたり、無理をさせてしまって時々腱鞘炎にもなります。
自然に治ってきたり、ぶり返したり。
何よりも一番大変だったのは、17歳くらいの頃から中性洗剤で皮膚が溶けるように剥けてしまって何度も粘膜のようになったことです。
(うちは両親が離婚しているので、中学生の頃から夕食などは全部私が作っていました)
いわゆる「主婦湿疹」と言われていましたが、これを経験すると「手だけは綺麗」だと言われていたのにひどいことになりました。
節の部分が盛り上がって、枯れ枝感に拍車がかかるのです。
今も、石鹸系か皮膚に優しい洗剤しか使えません。
年若い頃から大量に料理を作っていて良かったことは、いつも手早く美味しいものを作れることでしょうか?!
(私なりにってことですが、この技は今も活躍しています!!)
話がそれてしまいましたが、若い頃はそんな手を見せるのがいやでした。
最近は小さい頃祖母の手を見て「ギャッ!」って思った手に自分が近づいてきても、
「ありがとうね!」って思えるのです。
足が自由に動いてくれて、行きたい場所に移動できること。
手が思うように動いてくれて、洗濯や洗い物・料理も裁縫もできます。
昨日は重い植木鉢を何個も移動させられました。
ごく普通の日常のことですが、支障なくできることは当たり前じゃないんですね。
朝、トイレに行けば尿も出てくれて、お通じもキチンとあります。
そんな時、私は「ありがとうね!」って思ってしまうのです。
健康に過ごせて、自分で何でもできるこんな時間が、今世どれくらい残されているのか?
それは、誰にもわかりません。
でも、私思うんです。
宇宙を思わせるほどの肉体細胞たちが毎日毎日、本当に滞りなく動き続けてくれての「今」なんだなぁって。
本当に感謝ですね!!
節くれ立って、枯れ枝のようになった私の手も、頑張って毎日動いてくれています。
そんな自分の肉体細胞達に「ありがとう」って伝えて残りの人生も過ごしたいナって思うんです。
まだまだ気持ちは40代後半くらいで、幸いまだ健康なんですが、これからも時間はますます早く過ぎ去っていきそうです。
「今」自分の心を占めている思いをしっかりと確認して過ごしたいなって思います。
誰かに怒っていたり、何かに不満を持ったり色々な時があります。
でも何でも「当たり前」じゃなく「ありがとう」の思いで心を満たしていくのが幸せなんだろうなって思うのです。
季節の変わり目で、親しい人が亡くなったり調子を崩したり、それは対岸の火事ではないこと。
シルク製品も応援してくれて、冷えとりも肉体細胞に感謝の一環でもあります。
今をしっかりと生きたいですね。
いつも、お読みくださってありがとうございます。
できましたら、クリックよろしくお願いします!!
いつもありがとうございます
こちらもできましたら、よろしくお願いします。