BLACK CHERRY

BLACK CHERRY

JAZZ, BRAZIL, SOUL MUSIC


 Jesse Johnsonは今、何を想っているのだろう。Jesseが80年代半ば表舞台に引っ張り出したSly Stone、そしてThe Vanguardの一員として音楽的にも精神的にも支えてきたD’Angelo、さらにThe Timeの同僚Jellybean Johnson(777-9311のドラムは必死にコピーしたものだ)、

この3人が今年相次いで旅立っていった。Illinois州Rock Islandに生まれたJesse Johnsonは9歳の時にEast St. Louisに移り、両親の離婚後、里親に育てられ、16歳の時にRock Islandに戻り父親と暮らすようになり、15歳ギターを弾き始めるようになったJesseは、10代から20代前半にかけて地元のRock Bandで腕を磨いたという。音楽仲間の勧めで81年Minnesota州Minneapolisに移ったJesseは、そこでMorris Dayと出会い、Dayと同じ高校で一緒にバンドを組んでいたPrinceが思い描いたFunk Band The Timeを結成することになる。バンドは81年に『The Time』をリリースするが、楽器を演奏したとしてメンバーがCreditされているにも関わらず、Morris DayがVocalとドラムスを演奏した以外は殆どPrinceの演奏によるものであった(Dr. Finkが2曲でSynthesizerを弾いている)。JesseはPrinceの別のProject  Vanity 6に参加し、“Bite the Beat”をPrinceと共作、84年にリリースされたThe Timeの3rd Album『Ice Cream Castle』では演奏でも貢献した。しかし映画『Purple Rain』の人気にも後押しされThe Timeの人気が盛り上がり、さあ、これからという時にMorris Dayに続きJesseもThe Timeを脱退してしまう。そして84年A&M Recordsソロ契約したJesseは翌85年にアルバム『Jesse Johnson's Revue』をリリースするのである。The TimeからベースのJerry Hubbard、鍵盤奏者のMark Cardenasが参加し、ドラムスにはBobby Vandell、ギターにはMichael Baker、鍵盤にTim Bradleyというメンツ。本作は翌86年にリリースされたアルバムでJesse Johnson名義となっている。『1999』まで夢中になっていたPrinceだが『Purple Rain』以降には自分は入れ込めずに、この頃は圧倒的にJesseの方に興味が移っていったのだった(『Sign "O" The Times』で再びPrinceに夢中になるが)。

 

 『Shockadelica』はJesse Johnson86年A&M Recordsからリリースしたアルバム。ギター、Vocal、楽曲は勿論、ProduceEngineerMixまで担当して担当している。ベースのThe TimeのJerry Hubbard、鍵盤のTim Bradleyは前作から引き続き参加。ドラムスがRocky Harrisに交代している。PercussionにはPrinceとAndré Cymoneが結成していたBand Grand CentralWilliam Doughty、新たに鍵盤にKim Cageが参加している。

アルバム1曲目は“Change Your Mind”。気合の入ったド派手なPercussionHorn隊にJesseのVocalは、やっぱりどこなくPrinceのよう。短いながら燃えたぎるギターも聴くことが出来る。

上述の、引きこもっていたSly Stoneを引っ張り出して参加してもらった“Crazy”。これが驚きで鍵盤を弾き歌うSlyが主役を食いまくる勢いFunk魂を発揮している。Slyもいよいよ本格的に復活かとこの時は期待したものだった。

Baby Let's Kiss”もHorn隊がビシバシ切れ込み、文句なしに腰が動き出すDanceableなナンバー。Catchyなサビも良き。

ご機嫌なギターから始まる“A Better Way”もグッと腰を落とし女性Chorusを従えて迫るMidium。

Do Yourself A Favor”はPrinceがギターと鍵盤、ドラムスで参加した94 Eastの“If You See Me”のCover。バンドのLeader Pepé Willie作。これは最高。

She (I Can't Resist) ”はギターのカッティングSynthesizerが『1999』の頃のPrince、そしてZappの香りも漂う大好きな曲。

Addiction”もギターのカッティング、SyntheがまんまPrinceだがPercussion女性Chorusもまじえ、ご機嫌なMinneapolis Funk

Tonite”はハチロクのBallad風

Burn You Up”も典型的なMinneapolis Funk。Syntheだけでなくベースもキモになっているのがよくわかる。

アルバム最後をシメるのは“Black In America”。アコギをジャンジャカかき鳴らし女性Chorusを従えジックリ歌い上げていく。

Crazy/Jesse Johnson

(Hit-C Fiore)

 Wizz Jonesまで、とうとうこの世に別れを告げていってしまったのだった。それにしても今年はいったいなんて年なのだろう。Wizz JonesことRaymond Ronald "Wizz" Jones、英国のSurrey州Thornton Heath生まれの伝説のGuitarist/Singer-Songwriterは今年、86歳の誕生日を迎えた2日後の4月27日の朝早くに人生の幕を閉じたのだった。John RenbournBert Janschと共演し、Art Collageに通っていた10代の頃のKeith Richardsギターを教え、若き日のEric ClaptonはWizz JonesのLiveに足を運び最前列に陣取って、そのギター・テクニックを学ぼうとしたBruce SpringsteenはJonesがBerlinの壁の反対側にいる友人や親族について書いた“When I Leave Berlin”をCoverした。50年代、JonesはBlind Lemon JeffersonBig Bill BroonzyWoody GuthrieRamblin' Jack Elliottに影響を受け、同時にJack Kerouacに憧れBeatnikとなって、LondonCoffee HousesFolk Clubで演奏するようになった。そしてCroydon Folk ClubThe Oval Tavernで定期的に演奏し、Davy Grahamにも匹敵すると言われたそのギターはMartin Carthyに影響を与えた。60年代初頭ParisBuskingしたJonesはTroubadourでもあったがThe Incredible String BandClive PalmerRod Stewartとも交流を持った。FranceMoroccoへ旅立った後に、英国のCornwallFolk Music Circuitに再び戻ってきたJonesは、60年代半ばUnited Artistsと契約を結び、SoloとしてDebut AlbumWizz Jones』を69年にリリースするのであった。70年代欧州で人気がありTourもしていたが、不遇の80年代には家具を運ぶトラックの運転手として生計を立てざるを得ないこともあった。ようやく再評価され始めた90年代には米国をTourし、2013年にはLondonRoyal Festival Hallで行われたBert Jansch Memorial Concertでは素晴らしい演奏を披露、またJohn RenbournとのTourとRecordingにも参加している。

 

 『Right Now』はWizz Jones72年CBSからリリースしたソロとしては3作目のアルバム

アルバム1曲目はおなじみ盟友Alan Tunbridge作の“Which Of Them You Love The Best”。ギターは勿論、GentleなJonesのVocalも最高である。

Pete Seegerの“One Grain Of Sand”はJohn Renbournが弾くSitarが雰囲気タップリに効果を上げている。

再びAlan Tunbridge作の“City Of The Angels”はJonesのAcoustic Guitarの素晴らしい演奏がタップリ楽しめる。Bluesyで独特のリズム感が最高である。

JonesとAlan Tunbridge共作となる“The Raven”もイントロのAcoustic Guitarから惹きこまれてしまう。哀感が漂う曲調にJonesのVocalも実に味わい深い。

A面の最後を飾るWizz Jones単独作の“Right Now”は文句なしに素晴らしい。絶品のMelodyをGentleに歌い上げるJonesもCountryの香りが漂う英国の中の亜米利加な演奏も最高。

B面もAlan Tunbridge作の“Find A Man For You Girl”から始まる。Ragtime調Acoustic Guitsrの見事な指さばき軽やかに歌い上げるJonesのVocalがイイ感じ。

Bruce SpringsteenのCoverでも知られるPete Seegerの“American Land”は情感に満ちたJonesのVocalJohn RenbournSitarが素晴らしい。

Wizz Jones単独作の“No More Time To Try”は、英国の香りが漂う大好きな曲。Bottleneck Guitarがイイ味を出している。

Alan Tunbridge作の“Mary Go 'Round”は甘美だけどどこか寂しげな分息が絶品の3拍子の曲。

アルバム最後を飾るのはJonesとAlan Tunbridge共作Deep Water”。これまた英国の中の亜米利加。ギター・ソロもイイ感じ。ピアノも雰囲気を出している。

American Land/Wizz Jones 

(Hit-C Fiore)

 DicksはTexas州Austin80年代初頭に結成されたHardcore Punk Band。Hardcore Punkにあるまじき肥満体で歌えるVocalist Gary Floydを擁する彼らは、80年代社会保障や行政サービスを削りまくった小さな政府を志向し借金が果てしなく膨らんでいくNeo‑Conservative保守派の偶像Ronald Reaganが仕切った時代の米国に登場したバンドであった。外ヅラのみならずTexasから突如出現した異端のHardcore Punk Bandとも思えるDicks。当時のTexas人種差別や性差別、同性愛を嫌悪する保守的な空気が、その地全体に流れていた。Cowboyに代表されるような米国の保守の象徴のような土地、やがて傲慢で自己中心的な保守主義に反発する連中が現れると、差別や弾圧を受けて虐げられた人々が一斉に声を上げていく。Austinは、そんなTexasの中でも比較的おぞましい保守的な空気が薄まった地域ともいえるが、San Antonio出身のButthole Surfers保守主義の愚かさBlackなJokeComedyにしてNoisyPsychedelicRockabilly悪夢を表出させてあざ笑うのに対して、徹底的に権力に抗し続けたDicksはKurt Cobainにも讃えられた筋金入りの男気Punk Band MDCと共にAustinのPunk魂が炸裂した奴らだったのだ。80年にリリースされた権力を乱用し市民を虐待する警察官の視点から歌ったDebut SingleDicks Hate The Police”は大きな注目を集めた。MDC、The OffendersThe Big BoysといったTexasのHordcoreの先駆者たちと共演し80年Live演奏を収録したBig BoysとのSplit Albumとなる『Recorded Live At Raul's Club』をリリースしている。ギターのGlen Taylor、ドラムスのPat Deason、ベースのBuxf ParrotとVocalのFloydという4人組。そして83年Black FlagGreg Ginnが設立したSST Recordsから本作をリリースする。FloydはTexasを離れSan Franciscoを拠点にして85年にはFloyd以外のメンバーを一新したメンツでアルバム『These People』をリリースするのだった。

 

 『Kill From The Heart』はDicks83年SST Recordsからリリースしたアルバム。

アルバム1曲目は“Anti-Klan (Part 1)”。イントロのギターのRiffから痺れますなあ。思わずシンガロングな大好きな曲。

Rich Daddy”も荒ぶるギターのRiff最高にカッコイイ。ギター・ソロも短いながら雰囲気が出ていてイイ感じ。

No Nazi's Friend”はGlenベースBuxfギターを弾く緩急つけて暴れまくるナンバー。ド迫力でShoutするFloydのVocalもカッコイイ。

Marilyn Buck”もギターとベースが楽器を持ち替えカッコイイRiffと疾走するリズム隊がご機嫌なナンバー。

タイトル曲“Kill From The Heart”も腰を落とした激カッコイイイントロから途中でSpeed Upして爽快なほど突っ走る

Little Boys' Feet”も無軌道な暴走ぶりがカッコイイ。

ベースがガンガン鳴り響くPigs Run Wild”はSpeedを殺して貫禄の仕上がり。文句なしにカッコイイ。

Bourgeois Fascist Pig”は警官の立場から歌っているからヤバイ言葉が連発され迫力を増している。

Anti-Klan (Part Two)”はBig BoysのTim Kerrが弾くBluesyなDbro Guitarも飛び出す。

ここでJimi Hendrixの“Purple Haze”のCoverが飛び出すのが面白い。

Right Wing/White Ring”も爽快に突っ走る男気Punk歪ませたギター疾走するリズム隊もご機嫌だけど一心不乱にShoutするFloydがやっぱりカッコイイ。

アルバム最後をシメるのは“Dicks Can't Swim: I. Cock Jam / II. Razor Blade Dance”。FunkyなギターのカッティングとFloydの吐き捨てるようなVocalが炸裂するPunkishなFunk仕様。

Kill From The Heart/Dicks

(Hit-C Fiore)

 Quiet Sunが残した唯一の公式アルバムとなる本作は、そのジャケットに魅せられて以来、ずっと探し続けていた音盤であった。いや、ジャケットも最高だけど、一番の理由は、Roxy Musicの大好きなギタリストPhil Manzaneraが結成したバンドで、なんといってもRobert WyattMatching MoleのBassistだったBill MacCormickと後にThis Heatを結成する炎のDrummer  Charles Haywardが参加しているバンドなのだから当然手に入れたいわけである。Bill MacCormickはBrian EnoとManzaneraが中心となった、これまたお気に入りのProject 801に参加していたのだが、75年にリリースされたManzaneraのソロ・アルバム『Diamond Head』にCharles Haywardと共に参加していたのだった。

それにしても突然75年に、この伝説のバンドのアルバムがリリースされたのには理由があった。元々、60年代後半Dulwich Collegeに通っていたManzanera、MacCormick、Haywardの3人は、Soft Machineに影響を受けたQuiet Sunというバンドを結成していたのだった。鍵盤奏者にDave Jarrettを迎え、Original曲を制作していたものの世に出ることはなく、MacCormickはMatching Moleに、ManzaneraはRoxy Musicに加入することになり72年バンドは解散してしまうのだった。ところが、Manzaneraが上述の1st Solo Albumとなる『Diamond Head』を制作時にバンドは一時的に復活、同アルバム制作時に本作も録音されることになったのである。4人のメンバーを中心に曲によってはEnoやMacCormickの実兄 Ian MacCormickがGuest参加している。Soft Machineの練習Studioによく遊びに行っていたというメンバーの音楽性は、どうなのか。 Canterbury周辺のMusiciaanの本質は、複雑で一筋縄ではいかない捻りのある曲高い演奏技術で、さりげなく聴かせ摩訶不思議で先の読めない展開で楽しませるものであり、そういった意味ではQuiet Sunは、少々直球勝負でSerious過ぎるきらいはあるがところどころでCanterburyの香りも漂う中々充実した作品に仕上がっている。

 

 『Mainstream』はQuiet Sun75年Island Recordsからリリースした唯一のアルバム。

アルバム1曲目はManzanera作の“Sol Caliente”。JarretのMinimalなピアノに続いてManzaneraの歪ませたPsychedelicなギターが唸りを上げ8/8+7/8拍子に展開、7拍子のギターのRiffHypnoticなエレピをバックにManzaneraのギターが捻じれまくった世界へTripさせてくれる。Canterbury特有変拍子炸裂でスリリングな中で発揮される、飄々としたりげなさや外しの美学こそないが、中々聴かせてくれる。

Charles Hayward作の“Trumpets With Motherhood”は1分半で終わってしまうが、EnoのSynthesizerも加わりJarrettのMinimalなピアノ不穏な不協和音が独自の世界を生みだしている。ここでもManzaneraは歪んだPsucheなギターを聴かせている。

Dave Jarrett作“Bargain Classics”はCharles Hayward変幻自在のドラミングで始まりAggressiveでExperimentalな7拍子でグイグイ迫ってくる。

続いてもDave Jarrett作“R.F.D. ”。煌びやかで幻想的なSynthesizerエレピが浮遊感に満ちて、夢見心地にさせてくれるCanterburyの香り漂う曲

MacCormick作の“Mummy Was An Asteroid, Daddy Was A Small Non-Stick Kitchen Utensil”はCanterbury風のタイトルであるが、ギターと鍵盤がAggressiveにかけ合いを演じる

Manzanera作の“Trot”は中期Soft Machine的なMinimalでHypnoticなエレピのRiffにManzaneraの歪んだ攻撃的なギターが絡み、Jarrettの優美なピアノ・ソロCanterburyの香りを運ぶ。

801の『801 Live』にもEnoのVocalで収録されたHayward作“Rongwrong”。HaywardのVocalは決して上手くはないが雰囲気は出ている。MacCormickのベースもイイ味を出していて最後にCanterburyの香りが濃厚に漂ってくるのが良い。

(Hit-C Fiore)

 

 Lloyd GlennTexas州San Antonio生まれのJazz/Blues PianistT-Bone WalkerB.B. King、Lowell FulsonらBlues界の大物を支えBig Joe TurnerやClarence "Gatemouth" Brownとも共演したBlues Pianoの名手であり、初期New Orleans JazzでTrombone奏法を確立したKid OryCreole Jazz Bandにも在籍し活動を続ける傍ら、自らもSwing Timeから50年に“Old Time Shuffle Blues”、翌51年に“Chica Boo”をリリースするやヒットさせ、Billboard R&B Chartで前者は3位、後者はなんと1位を獲得している。SongwriterArrangerとしても優れた才能を持っていたLloyd Glennは"West Coast" BluesのPioneerともいえる存在であった。そのキャリアは20年代後半から始まる。DallasSan Antonioの様々なJazz Bandで演奏して腕を磨き、36年Don AlbertのOrchestraと初録音を行っている。そして41年Californiaに移り住むと44年にWalter JohnsonのTrioのメンバーとなり、同時にSession MusicianArrangerとしての仕事もこなすようになり、 T-Bone Walkerの47年のヒット曲“Call It Stormy Monday” でピアノを弾いている。同年後半にはImperialからLloyd Glenn and His Joymakers名義で10", 78 RPMBoogiology / Texas Man”をリリースしている。49年にはSwing Time RecordsA&R担当となってLowell Fulsonと共にR&B Chart23週間ランクイン50年3位となった“Every Day I Have the Blues”やGlenn自らSongwriteし見事に1位を獲得した“Blue Shadows”など数々のヒット曲を生みだしている。50年代にはLloyd Glenn & His All StarsLloyd Glenn And His OrchestraLloyd Glenn ComboAladdinと契約してSingleをリリースしたLloyd Glenn And BandなどBandleaderArrangerとしても活躍して60年代に入るとSessionにも積極的に参加し自らもRecordingするようになる。B.B. Kingが60年にリリースした『My Kind of Blues』ではProduceを手掛けピアノも弾いている。

 

 『Old Time Shuffle』はLloyd Glenn76年Black And Blueからリリースしたアルバム。Roland LobligeoisのベースにPanama FrancisのドラムスでA面がTrio、B面でTiny Grimesのギターが加わる。

アルバム1発目はMuddy Waterのバンドで知られる名手Clarence "Pinetop" Smith29年のヒット曲“Pinetop's Boogie Woogie”。転がるピアノが最高。

Keith Emersonも弾いたBoogie-Woogie Pianoの名手Meade "Lux" Lewisの“Honky Tonk Train Blues”。洒落乙にキメるのがGlenn流。

タイトル曲“Old Time Shuffle”はLaid-Backした中に洗練された技巧が光る

58年にAladdinからLloyd Glenn And Band名義でリリースしたRiffが最高にご機嫌な大好きな曲“Black Fantasy”。

これまた大好きなBoogie-Woogie Pianoの名手であり先駆者Jimmy Yanceyの“Yancey Special”。歯切れ良く転がるピアノが気持ち良すぎ

57年にAladdinからLloyd Glenn And Band名義でリリースした“Ballroom Shuffle”。これまたRelaxして極上の指さばきを披露している。

B面に入って、ここからはTiny Grimesのご機嫌なギターが加わる。“Lloyd And Lloyd Boogie”もイナタくEarthyなギターが味わい深い

Low Society”は上述のLowell Fulsonの“Blue Shadows”のB面だった“Low Society Blues”で、これが最高。Grimesが素晴らしい。

Jungle Jubilee”は上述の51年のヒット“Chica Boo”のカップリング曲“Jungle Town Jubilee”で、こちらがA面だった。

“Wild Fire”は54年リリースのLloyd Glenn And His Bandの“Chocolat Drop”のB面曲。軽快で楽しいノリの良いナンバー。

最後をシメるのは自作曲“Conga Rhumba”。マッタリした中にGlennの技巧がさりげなく炸裂している。

(Hit-C Fiore)

 King Crimsonで一番好きなアルバムは81年にリリースされた『Discipline』だしRobert Fripp先生関連であれば75年リリースのFripp & Enoの『Evening Star』か、Daryl HallPeter HammillPeter GabrielTerre RocheのVocalが光る79年の『Exposure』、そしてGang Of FourのメンバーとなるSara Lee、元XTCBarry Andrewsと組んだ81年の『The League Of Gentlemen』ということになるけれど、小学生の頃に親友のお姉さんの部屋で見た『In The Court Of The Crimson King (An Observation By King Crimson)』のジャケットのインパクトの大きさといったらなかった。当然だけど、当時はそのレコードを聴いても全く理解が及んでいなかったと思われるけれど、同じようにジャケットが気になった『 In The Wake Of Poseidon』と『Island』は殆ど聴くことがなく年月が経っていった。中学生になってPunkの洗礼を受けた自分が再度、King Crimsonを聴きなおそうとした時に、ふと『Island』を聴いてみると、これが結構当時の自分にとっては意外にもツボだったのだ。情緒的で大仰なCrimsonは苦手なのであるが、Acoustic楽器を中心に混沌としたJazzyなImprovisationが交錯していく中、ジャケットのごとくSpacyな拡がりが感じられて中々気に入ってしまったのだった。Fripp先生関連では、どれか一枚ということになれば天知茂バリのキメ顔スーツでキメまくったジャケットが印象的な『Exposure』ということになるけれど、Crimsonということになれば、Aggressiveで、どこか儚さと寂しさを感じさせる本作も『Discipline』には及ばないけれど好きな作品である。

 

 『Island』は71年にリリースされたKing Crimsonのアルバム。

アルバム1曲目は“Formentera Lady”。Harry MillerのDouble Bassが傾きかけた船のようなイメージを演出する中、Keith Tippettのピアノ典雅で美しい調べを奏でていく。Mel CollinsのFluteが絡み、抑え目に歌い出すBoz BurrellのVocalはどこか寂しげで儚げですらある。そこにMelのSax妖艶なSopranoPaulina LucasVoiceが絡み合う。

Sailor's Tale”はIan Wallaceの心地良いSymbal、そしてSnareとのParadiddleが刻む12/16拍子で始まり、SaxがFree気味に咽び泣く。ここでFrippのギターがAbstractに絡み、4拍子の落ち着いたBeatになるとFrippがAggressiveなカッティングで煽り出す。このカッティングが激カッコイイ。再び12/16拍子になるとCrimson伝家の宝刀Mellotronが鳴り響き、WallaceのCoolながら生命感漲るドラミングにのってFrippのギターが凶暴な本性をむき出しにする。

一転して“The Letters”はoz Burrellが抑制されたVocalで静かに、悲しげに歌い出し、いきなりMelのSaxやFrippのギターが乱入して初期Crimsonのごとく迫力と演歌調の情緒的なSaxとギター、Vocalが始まる。BozがShoutして激情が高まったかと思うと、ふいに終わってしまう。

Ladies Of The Road”はAvant-Gardeな展開の中でIan WallaceとMel CollinsによるThe Beatles風のChorusが登場する。Frippのギター・ソロやMelのSaxはFreakyに押し通し、73年にリリースされるアルバム『Larks' Tongues In Aspic』の“Easy Money”の原型となった。

Prelude: Song Of The Gulls”はお上品でClassicalな室内音楽が始まる。この何の捻りもない退屈なOrchestraの後に驚くべき展開を期待するが、アッサリ終わってしまう。この辺がCrimsonの残念なところ

最後をシメるのはタイトル曲“Islands”。再びKeith Tippettの優美なピアノSoft Machine/CentipedeMark Charig典雅なCornetをバックにBozが穏やかに歌い上げる。Mellotronも再び登場し盛り上げる。

(Hit-C Fiore)

 Hank De ManoLos Angeles生まれのTrumpet奏者。名前からして陽気なラテン系のイメージが湧いてくるのだが、Chet Bakerから強い影響を受けたであろう、そのCoolで洗練されてはいるが、どこか哀感を湛えた音色やフレーズに惹かれるものがあった。ChetやMilesの影響はわかるが、PeteConteCandoli兄弟Jack SheldonDon FagerquistBobby Shew、といった所謂West Coast JazzのTrumpet奏者とは一味違った魅力を感じる。そう、"Trumpetの詩人"と呼ばれたTony Fruscellaを少し思わせるところも、De Manoの魅力である。De Manoは9歳Cornetを吹き始め、高校生の頃から本格的に演奏を始めているLos Angeles Music Conservatory正規な音楽教育を受けたDe Manoは、Lewis Maggioに学び、Dance BandCircus舞台音楽の演奏をしていたというから面白い。Latin Bandで演奏していた時はLas Vegasで暮らしていたという。つまりJazzとはかけ離れたところでラッパ吹きとしての人生を送っていたのだ。しかしMiles Davisとの出会いがDe Manoの人生を大きく変えた。JazzのTrumpet奏者として自己のGroupを率いるようになったのは55年のことであった。その活動の場では、興味深いことにLos Angeles生まれでありながらWest Coast Jazzの面々との共演の機会は多くはなかったようだ。Freewayから56年にリリースされた『Listen To The Hank Demano Quartet』では、ピアノが当時20代前半のDon Friedmanであることに注目だ。De ManoはSan FranciscoでDave Brubeckと共演し、地元では自身のQuartetでAnita O’Dayのバックでも演奏した。そして、60年代初頭になると、一体何があったのか、De ManoはTrumpetを吹くのを止めてFlugelhornに専念するようになったのである。

 

 『Hank De Mano Quartet In Concert Featuring Fluegelhorn』はHank De Mano QuartetFreeway Recordsからリリースした63年11月20日に行われたCalifornia州TorranceにあるEl Camino Collegeでの演奏を収録したLive Album。アルバム・タイトルからわかるように、この時にDe Manoは既にFlugelhornに専念して演奏している。ベースはArt PepperBarney KesselWoody HermanRed NorvoShelly Manneと共演している盟友Monty Budwig、ドラムスはJack WillsonやPete JollyとやっていたNick Martinis、そしてピアノは名手Frank Strazzeriである。音がモコモコしていて、いかにも素人録音っぽい感じ。StrazzeriのPiano TrioをバックにしたDe ManoのOne Horn作、これで音が良ければ最高なわけであるが、多くは望むまい。

アルバム1曲目は“Summertime”。少々黄昏た感じで淡々と歌心あるフレーズを繰り出すDe Manoがイイ感じ。Strazzeriの優美なピアノも雰囲気タップリ。Nick Martinisのドラム・ソロもイイ感じ。Hard Bopな黒さを感じさせずCoolに歌い上げるDe Manoのフレージングが面白い。

Angel Eyes”はDe Manoの真骨頂というか、哀感に満ちながらも湿っぽくならず肩の力を抜いた歌いっぷりが最高である。Strazzeriのピアノ・ソロも良き。

44年公開のMusical映画Cover Girl』で使われたJerome Kernの“Long Ago And Far Away”はSwingyな演奏が心地良い小気味よくSwingするリズム隊をバックにDe Manoの流れるように歌うFlugelhornがご機嫌である。

アルバム最後をシメるのは“Delilah”。54年の名作『Clifford Brown And Max Roach』の冒頭を飾るVictor Young作のExoticなMelodyを持ったStandard。De ManoのFlugelhorn、Strazzeriのピアノが沁みますなあ

(Hit-C Fiore)

 今年は本当に色んな意味であまりにも心に残る出来事が多すぎた年であった。今年は久しぶりに映画を何本も観た年でもあった。中でも軍事政権下の南米を描いた映画が3作も公開され、その何れも素晴らしい出来であったのが心に残った。その中でも『They Shot the Piano Playerボサノヴァ〜撃たれたピアニスト)』は大好きな悲劇の天才ピアニストTenório Jr.76年Argentinaの公演中、ホテルを出て突然姿を消した真実に迫った映画で、その真相は知ってはいたものの、やはり衝撃的であった。南米で相次いだ軍事政権の樹立によって多くの芸術家が不当な弾圧を受け、その人生を狂わされてしまった。その背後で糸をひいていたのは米国であったという既視感にやり切れない思いと憤りを感じる。

 

◎映画『ボサノヴァ~撃たれたピアニスト』予告編

 

 Os Cobrasという名前のGroupは自分が知っている限り60年代のBrasilに2つ存在した。どちらもアルバム1枚をリリースしたのみなので、おそらく、それぞれ一度限りのProjectだったのであろう。一つはRio de Janeiro生まれのFunky Master Waltel Branco、Israel出身でMoacir Santosのアルバムでも弾いていたピアニストChaim Lewack、Drummer Paulinho、Sax奏者のMoacyr Silvaらを擁し、60年Copacabanaから

Os Cobras』をリリースした6人組。そして、もう一つは本日ご紹介するMilton BananaPaulo MouraRaul De SouzaSamba-JazzのOriginatorの一人João Theodoro MeirellesHamilton Pereira Da Cruz、ベースに名手José CarlosJosé Alves)、そして唯一無比のピアニストTenório Jr.という、これまた豪華すぎるメンツが勢ぞろいしたProjectのOs Cobras。こちらは64年に『O LP』という唯一のアルバムをリリースしている。本日ご紹介する、この音盤は、まあ、これだけの超一流のMusicianが勢ぞろいすれば、当然の結果ともいうべき充実した演奏が楽しめる素晴らしい内容で、アルバム1枚で終わってしまったのが本当に勿体ないというか、企画モノというのは、所詮、こういう儚いものなのかというところも考えつつ、名手たちの演奏に酔いしれながらも、あれやこれやと考えてしまうのだ。Moacir SantosRoberto MenescalOrlann Divoの名曲からClifford Brown & Max Roachのナンバーまで選曲も最高。心地良いJazz SambaHard Bop魂炸裂のスリリングなInterplayも、この時代だから生まれた、正に一期一会の名演の数々。欲を言えば、個々のソロをもっと長く聴きたいところもあるが、これだけ数多くの名人が一堂に会したら、時間的な制約もあるし、それは無理な注文、仕方がないところだ。

 

 『O LP』はOs Cobras64年RCA Victorからリリースしたアルバム。

アルバム1発目はJoão Theodoro Meirelles作の“Quintessência”。勿論、Meirelles E Os Copa 5のアルバム『O Som』の冒頭を飾った名曲。これは甲乙つけがたい、どちらも名演。

Moacir Santosの名曲中の名曲“Nanã”。イントロのTenorio Jr.のピアノから痺れまくり。MeirellesのFluteが心地良すぎ

Orlann Divoの“Depois De Amar”。Raul De SouzaのTromboneが最高。

Roberto Menescalの“Adriana”。Hrorn隊のEnsembleがご機嫌な5拍子からTenorio Jr.ピアノ・ソロが始まるところが鳥肌モノ。

Orlann Divoの“Praia”は心地良いJazz Sambaでサラッと聴かせるけれど何気に難易度の高いフレーズがビシビシ飛び出して最高。

三度のOrlann DivoUganda”。こらまたHorn隊のEnsembleがご機嫌で、Raul De SouzaTrombone・ソロが短いけれど凄すぎ。

54年の名盤中の名盤『Clifford Brown & Max Roach』収録Clifford Brownの“The Blues Walk”は文句なしのカッコ良すぎ。最高。

CipóことOrlando Silva de Oliveira Costa作の“40 Graus”。Tenorio Jr.のキレキレのピアノ・ソロが激カッコ良し。

Amaury Tristao作の“Chão”も優美っすなあ。絹の絨毯のようなHorn Ensembleがお見事。

Orlann Divoの4曲目Menina Demais”もイントロのご機嫌なHorn Ensembleから惹きこまれてしまう。目くるめくソロ回しは勿論最高。

64年Luizaの名盤『Luiza』でも歌われていたRoberto Menescal作の名曲“Mar, Amar”。これまた文句なし極上の味わい

アルバム最後をシメるのはMenescalとLuiz Freire共作の“Môça Da Praia”。優美で洒落のめした曲と演奏で最後まで極楽気分。

(Hit-C Fiore)

The Big Finish/George Freeman 

 George Freemanも、今年4月1日にとうとうこの世に別れを告げていってしまった。Phil UpchurchSteve Cropperがいなくなって悲しい毎日だけど、この人だって自分にとってはいなくなったら寂しくてたまらない大好きなギタリスト。Chicago生まれの、このFunkyでご機嫌なJazz Guitaristは4月28日で98歳になる誕生日を祝う公演も予定していたところだったというのだから、残念ではあるけれど、まずはよくぞここまで1世紀近くをJazzに捧げて頑張って来たことに敬意を表さざるを得ない。便利な時代になったもので、近年のFreemanの演奏を観ることができるけれど、さすがに全盛期に程遠いないおぼつかない指使いながらJazz魂は十分に感じられるプレイはさすがだ。何より最後までステージに上がり続ける姿勢に感銘を受けた。

 

New Improved Funk/George Freeman

 “Big Finish”はGeorge Freeman73年Groove Merchantからリリースしたアルバム『New Improved Funk』に収録されている。実兄であるTenor Sax奏者Von Freemanを迎え、自由奔放でFunkyなギターが楽しめる。Charlie ParkerGene Ammonsとも共演したBop魂を基本にChicago独特SoulでFunkyな要素Earthyな部分や兄譲りのFreeなぶっ飛びも披露している。

(Hit-C Fiore)

 Extra BallPolandが生んだ超一流Musicianが結集した伝説のJazz Groupで、74年から解散する84年まで、メンバー・チェンジを重ねながら活動を続けてきた。Kraków出身の天才ギタリストJarosław ŚmietanaLeaderとなって70年代初頭Katowicach州の高等音楽学校に通う学生を中心に結成された彼らは、64年からWrocławiuで開催されPolandのMusic Sceneに大きな影響を持ち、同国の数々の世界的なMusicianを生んできた音楽Festival Jazz nad Odrą74年に、その姿を現し、ContestでŚmietanaは個人で1位の栄誉を受けた。翌75年には鍵盤奏者のWładysław SendeckiがŚmietanaと1位を分け合いバンドも1位の栄誉に輝いた。ŚmietanaとSendeckiにベースのAndrzej Pawlik、ドラムスには元DżambleNiebiesko-CzarniのメンバーでAnawaのアルバム『Anawa』に参加していたBenedykt Radecki、Baritone SaxのPiotr Prońkoというのが最初のメンツであった。ベースはPawlikからMarklowicach Górnych生まれのベース奏者Jan Cichyに交代し、75年にProńkoが脱退し76年にTenor Sax奏者Andrzej Olejniczakが加入した。75年から76年にかけてWarszawaで開かれる欧州最古にして最大の音楽Festivalのひとつ Jazz Jamboreeなど数々のJazz Eventに参加し東欧のみならず、当時の西ドイツなど欧州各国など海外公演を行い、75年にはDebut Albumにして名盤『Birthday』をリリースしている。76年12月にはドラムスがRadeckiからMarek Stachに交代している。77年にWarszawaのJazz Club Akwariumで演奏を行い、その時の模様が収録されたLive Albumが本作である。しかし数か月後にバンドは解散78年1月にŚmietanaはバンドを再編するがOriginal Line-Upから残ったは自身のみとなり、音楽性も、よりJazz寄りとなっていくのだった。

 

 『Aquarium Live No. 3』は77年PoljazzからリリースされたExtra BallLive Album

アルバム1曲目は“Dobry Rok”。如何にもなWeather Report風ではあるが、Jarosław Śmietanaギター・ソロが素晴らしい。続いてWładysław Sendecki転がるようなエレピ・ソロも心地良くSamba風の演奏にのってのAndrzej OlejniczakのTenor Saxもノリノリ緩急自在に躍動するリズム隊も文句なし

Latin Jazz風に始まる“Atlantis”もマッタリ風味かと思わせて OlejniczakのTenor Saxは鋭く切れ込む。そしてŚmietanaのギター・ソロもスリリングに攻め込んでくる。この辺は熱いっすなあ。そしてSendeckiの至福のエレピ・ソロ。バックを支えるドラムスとベースもさりげなく技巧的なプレイ連発しており、本当にこのバンドの演奏は素晴らしい。Jan Cichyのベース・ソロも登場し、演奏はジワジワ盛り上がりCoolな炎が燃えるような演奏に惹きこまれてしまう。

Sloneczny”は静かに始まり穏やかでRelaxした演奏に心を和ませる。どこか哀しみを湛えたMagicalな曲調はやはり東欧らしい

アルバム最後をシメるのはStandardの“Stella By Starlight”。15分を越える長尺の演奏であるが、決してダレることなく引き締まった演奏は流石である。 OlejniczakのTenor Saxで始まり、淡々と演奏は進んでいくのだが、Jan Cichyのグイグイ進むベース・ランニングにのって実に心地良い。OlejniczakのTenor Saxソロに続いてŚmietanaのギター・ソロがキレキレで素晴らしい。そしてSendeckiのエレピ・ソロもご機嫌である。Jan Cichyのベース・ソロも派手さはないが、実に味があるプレイである。甘さに逃げずに最後までCoolHard-Boiledに徹した演奏が素晴らしい。

(Hit-C Fiore)