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Re START from 仙台

仙台在住、通信インフラ整備を生業としている人間の、東北人の生活、東日本震災に関するレポートです。

昨日、華9メンバーT氏より、

お品物が届きました。


て、ゆうか、こんなに便利なものが、、(絶句)

↓↓↓

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(携帯電話は私個人のものです)


手回し充電と、ソーラー充電が併用、

FMラジオと懐中電灯が、一体となっているばかりか、

しかも携帯やPSPが充電できるソケット付!!!


大変、貴重な品物を届けていただき感謝です。

この場を借りて御礼申し上げます。


※輸入品で特定の取り扱い業者さんがいないようですが
ご興味のある方は
コチラ をご参考ください

数年前、手動充電式懐中電灯を誇らしげに職場の人間に見せたところ、


「そんなん、いつ使う時あんの?面倒くさいだけじゃん」


と、皆にさんざん馬鹿にされたものですが、

今となっては、これを見て、欲しがる仙台人はたくさんいることでしょう。

この間も、また、停電になってしまいましたし、、。

いまや一家に一台、必需品です。


3・11地震以降、長期にわたる大停電の中、

情報源と言えば、車載のテレビ簡易ラジオ携帯ワンセグだけでした。

ラジオも乾電池が無くなれば、聞くこともできず、

携帯の充電も、車からの充電に頼らざるを得なかったのですが、

(知ってますか?携帯のワンセグ見てると、あっという間にバッテリが無くなります、、)

ご存じの通り、全てのガソリンスタンドが停止し、給油が出来なくなったために、

いつ給油が再開するか、見通しがまったく立たない中で、

ガソリンを無駄に使えなくなり、

車のテレビやラジオを聞くどころか、携帯の充電すらもままならず、

分譲マンションなどの立体駐車場に止めていた人は、

車を出庫することさえできなかったのです。

情報源がないということが、どれだけ不便で、不安だったことか。


簡易ラジオ持ってます?

シガーソケット用や乾電池式の携帯充電器持ってます?


これ、意外と持ってない人が多かったんですよね。


余談ですが、仙台市内、なぜか新聞だけは毎日配達に来たようで、

自宅マンションの隣人は、

簡易ラジオもなく、

シガーソケット用の携帯充電器も持っていなかったのですが、

新聞で、なんとか毎日の情報を得られたそうで、

「新聞取ってて良かったぁ」と、思ったそうです。


ところで、以前に行った牡鹿方面の避難所に、

こんなん来てました↓↓↓


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太陽光発電車というのでしょうか?


他の避難所が発電機に頼っている中、かなり異色な光景でした。


エコだけでなく、災害にも強いエネルギー源というのは、

これから、もっと注目されることでしょうね。






今、仙台市内は、ようやく春の訪れを告げるような、暖かい雨が降っています。


震災から一ヶ月経ちましたが、

復旧のスピードは、目を見張るものがあります。


仙台駅前のビルで落ちかかっていた塔屋は、

撤去されて、もう影も形もありません。


仙台駅正面口も、数日間で、すっかり作業足場とシートで覆われてしまいました。


これだけの仮設足場をこんな短期間に、、と、

一応、過去には、建築の現場監督をしていたこともある私ですら、驚嘆してしまいます。


津波被災地も道路の仮復旧、瓦礫の撤去がみるみる進んでいます。


仮設の送電鉄塔も、あっという間に、、。


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(写真は、気仙沼市本吉町付近です)


地元のFMラジオでは、各市町村の必要支援物資などの案内してますが、


最近では、


野菜類(保存性の良い)

フルーツなどの缶詰類、

レトルト食品、

石鹸、洗剤類、

シェービングクリーム、

ブルーシート、、、


など、少しずつニーズが変わってきているようです。


また、瓦礫撤去、清掃などに伴って、


バケツ、

ホース、

デッキブラシ、

雑巾、

ゴム手袋、


などが必要とされているようです。


いずれの市町村でも、個人受付はせず、

企業単位での受付を要望していますから、

関係企業にお勤めの方で、支援可能と思われる方は、

問い合わせしてみてください。


地元のFMラジオでは、普段はかけないアニメソングが良くかかります。

テレビも見れず、週刊誌等も見ることができない子供たちの為です。


実は、ジャンプやマガジンなどの週刊誌は、

まだ仙台市内でも、なかなか手に入りません。


こういった週刊誌等を避難所に送る、、というのもアリかもしれません。

震災以降のバックナンバーもつけてあげると、

かなり喜ばれるのではないかと思います。




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昨日、、。

いろいろ情報が錯綜してましたが、

結局、自宅は震度6だった模様です。

震度5くらいでは、まったく驚かなくなってしまった我々も、

さすがに、昨日は、皆震えました。


また、自宅のタンスが倒れました。


その他、もろもろ、また、めちゃくちゃになってしまいました。


挙句、また停電、、。


ただ、自宅は本日朝に、復電しました!!


けれど、まだ、市内のあちこちで停電中です。

山形県、秋田県、青森県は全て停電中のようです。


本日は、秋田県横手市で、

災害復旧作業に伴う現地調査をする予定でしたが、

東北自動車道が、途中から通行止め(緊急通行車両も×)の為、

途中で引き返しました。


SAで待機していた、NEXCO東日本のパトロールカーの人に聞くと、

道路があちこち隆起して、危険な状態なのだそうです。


テレビでは、さくっと簡単に、報道しているように見えましたが、

かなり、重大、かつ深刻な、大きな地震でした。


妻の友人は、仙台市内のCMでも有名な某賃貸アパートに住んでいるのですが、

昨日の余震で、窓枠が枠ごと外れ、

建物自体もかなり変形して、危険な状態になったのこと。


津波の影響にばかり目を奪われてしまいがちですが、

仙台市内でも、建物はかなり深刻な状況なのです。


建築関係者は、良くご存じのはずですが、


建築物、工作物というのは、

「建築基準法」「建築基準法施工令」という法律に従って建てられています。


1950年(昭和25年) 建築基準法、建築基準施工令が制定。

1968年(昭和43年) 十勝沖地震発生。

1971年(昭和46年) 建築基準施工令改正。

俗に、これ以降の耐震基準を、「旧耐震基準」と呼びます。

1978年(昭和53年)宮城県沖地震発生。

1981年(昭和56年)建築基準施工令改正。

俗に、これ以降の耐震基準を、「新耐震基準」と呼びます。


その後の阪神・淡路大震災により、

いろいろと耐震に関する法改正は行われましたが、


現行の建物は、この「新耐震基準」がベースになっているものが多いのです。


この「新耐震基準」というのは、


震度6程度の地震にあっても、

建物が倒壊せず、

建物内の人間の安全が守られる、


という基準なのです。


※参考 

http://www.vinice.jp/life/17structure/1-2differe

新耐震と旧耐震の違い 「ヴィニーチェクラブ」


裏を返せば、


震度6程度で、


建物が倒壊しなければ、柱、梁が多少損傷してもOK


と、いうことです。


外からは、パッと見、何の変化もないようだけど、

仕上げ材などめくってみると、

柱や梁など、かなりの損傷を受けている建物が、沢山ある、と、

震災後、建物の診断を続けている、知人の構造設計士が言っています。


かなりショッキングな状況だそうです。


3.11は、それだけ、かなり大きな揺れだったのです。


3.11の本震時、損傷を受けた建物は、

当然、震災前のポテンシャルを失っています。

つまり、次に大きい地震が来たら、

倒壊しても、何の驚きでもない、ということなんです。


震度6程度の地震に耐えられるのは、一回きり、とも言えますよね。


これって、、??



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仙台市南部にある、亘理(わたり)町に行ってきました


仙台市より直線距離で20kmくらいのところにあります。
海沿いに面する町です。

近年、仙台東部道路が延長され、
亘理ICが開設されたことによって、
仙台からのアクセスがかなり便利になりました。

※亘理町- Wikipedia

このあたりは広大な平野部で、農業が盛んです。
まさに、宮城の大穀倉地帯といって過言ではないでしょう。

イチゴ狩りが有名なのは、前から知ってましたが、
まさか、、東北一の出荷量とは、、知りませんでした。

妻の母上が、ここのイチゴ狩りをすごく楽しみにしていたようで、
今回の津波で、町のおよそ半分が浸水、、とのことで、
大変悲しんでおられました。

ちなみに、かの有名な「はらこ飯」は、この地方の郷土料理です。
鮭の煮汁でご飯を炊き、
その茶色がかったご飯の上に、鮭の切り身とイクラを盛り付ける、、という、
仙台に来た頃は、なんと贅沢な料理かと、とても感動したものです。
仙台駅では、大人気な駅弁の一つです。

その亘理町ですが、実際、現場に立ってみると、
その浸水範囲の広大さにただ、ただ、圧倒されるばかりです。

イチゴ栽培のビニルハウスがすべてなぎ倒され、

ビニルハウスの骨組が、

まるで、焼き払われた山林、、、

まるで、
巨大な動物の白骨化した死骸が、
無数に折り重なっているかのようです。


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少しでもイメージを伝えられたら、、
そう思い、パノラマ加工してみました。

【|← クリックしてから離し、+マークが出たら左右にマウスを動かしてご覧ください →|】
左側が内陸部、右側が海側になります。
右側の奥に見える松林のむこうが、本来の海岸線です。

亘理地方では、はらこ飯(秋)、の他に、
他季節には、ホッキ飯(冬)、しゃこ飯(春)、アサリ飯(夏)があるそうで、
ホッキ飯は、食べたことがあります( とても美味しかった、、)が、
他については食べたことがありません。

是非、賞味したいものだと思っています。

一日も早い復興を、、。


とある避難所での某キャリア臨時携帯無線基地局です。


ちなみに、ここのエリアでは、今のところ、ほぼこのキャリアの携帯しか使えません。


この臨時基地局のおかげなのです。


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※配慮により、一部画像処理してます




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宮城県気仙沼にある小学校の避難所で作業しているとき、、、


校舎内にある掲示板らしきものに、

自衛隊の隊員が、数人で食い入るように見入っていました


なんだろう?と思って、隊員たちが去った後に、

その掲示板を見ると、



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お互いに支え、支えられ、、。


なんだか、

うまくコメントできません。


私は、けっして自衛官でもないのに、

何故か、胸が熱くなりました。



世界中に広がる支援の輪など、よいニュースが流れている中で、

現地では、外国人窃盗団が続々と入ってきているなどの噂を聞きます。


以下、親しくしている知人の話です。


その知人は、某被災地区にて、漁師を営んでいたのですが、
それまで一緒に漁師をしていた、人柄の良かった数人の外国人が、
震災後、それまでの人格が一変し、
集団で被災した店舗や車から金銭、品物を盗んだり、
遺体のポケットから財布などを抜き取るなどの蛮行に及んでいたそうです。

そのグループ内にいた一人が、さすがに良心の呵責からか、
もうこんなことは止めようと、仲間を諌めたようですが
逆に仲間から暴行を受け、現在入院しているそうです。


某津波被災箇所で、津波で流された貯金箱を見つけました。


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状況的に、明らかに第三者にこじあけられたであろう形跡が見てとれました。


「恒産無くして、恒心無し」とは孟子の言葉ですが、


そういう行為を批判、非難するのは、

豊かな生活を営んでいる人間のエゴなのかも と、悩みます。



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バリケードのように、一階部分が、防護されている銀行も、、。


※「恒産なくして恒心なし」

http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo34.htm
株式会社アイ・イーシー「故事百選」




ひっきりなしに続く余震のせいで常に足元が揺れているかのような錯覚に陥り、

これが自分だけかと思っていたら、

家内も、また周りの知人も同じ感覚で、気持ちが悪いと言っています。


これ、地震酔いと言うのだそうです。


ただ、この頃は、震災後続いた余震も、ようやく落ち着いてきたようです。
大きな揺れも、日に数回程度となりました。


仙台市内の燃料不足は相変わらずで、

連日、ガソリンスタンドには、場所によって1キロ近くにもわたる車の列ができています。


ただし、灯油は少しずつ落ち着いてきたようです。

イオン、ダイエーなどの大型店舗では、震災前と遜色ない品揃えで、

少々並んでも、普通の買い物はできるようになってきました。


市内のコンビニもようやく営業再開しました。
日用品などは殆どありませんが、おにぎりや弁当などがあります。

ただ、雑誌類はすべて震災後入荷していません。

週刊誌の購読者にとっては、かなり辛い状態です。



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岩手県釜石市に行ってきました。


※釜石市 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E7%9F%B3%


昨年末から年明けにかけて、

ここで某キャリアの携帯電話基地局を数件調査、設計し、

工事中と聞いていました。


作業員の安否は?基地局設備は?


テレビで釜石市の映像が流れるたびに気になっていました。

工事会社とは、最近ようやく連絡がつき、

作業員は皆避難して事なきを得たとのこと。

とりあえずは胸をなでおろしました。

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設備は無事でしたが、建物は使える状態にはありません。

工事はほぼ終了間際だったようですが、

基地局としては、撤去になるのではないかと推測します。


屋上に避雷針のように伸びているのが、

携帯電話基地局のアンテナ取付柱です。

その支持柱にくっついているグレー色の円筒状のアンテナが数本見えますか?


このように取付柱が1本だけの場合もありますが、

2本、3本と取付柱があるところもあります。

皆さんも街の建物を見渡してみてください。

このような(円or角筒状の)形をしたアンテナはすべて携帯電話基地局のアンテナです。

いたるところに設置されていることに驚くことでしょう。

このおかげでケータイが繋がるんですよ。


さて、釜石市ですが、

釜石市は日本最古の製鐵所があった町で

(驚くなかれ、八幡製鐵所よりも古いんですよ)

(旧)新日鉄釜石ラグビー部の前人未到の日本選手権7連覇とあいまって

釜石=鉄+ラグビーの町と言われています

ただ、製鐵所の高炉の廃止以降、過疎化が目に見えて進行している町でもあります。


リアス式海岸というのは、

海岸線が崖状態で、平野部が少ないってことなんです。


つまり、この海岸線地域というのは、

殆どが山林で、

わずかに残された入り江部の平野に町が点々と点状にあるのです。

だから、ここの岩手沿岸地域は、もともと陸の孤島になっているのです。

なので、港がやられると大ダメージを受けるわけです。

陸地にあっても、この地域の生命線は、あくまで「港」なのです。

津波で受けた港が完全復興するまで、どれぐらい日時がかかるでしょうか、、。


シャッター街化が進行したこの町の商店街でも、

地道に店舗を営んでいた人たちが沢山いました。

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今でも、、

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昨日は宮城県北部に位置する、

牡鹿半島南側のとある避難所へ行ってきました。
石巻中心市街地から車で、約1時間ほどのところです。


※牡鹿半島 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A1%E9%B9%BF%


この半島全体は山地となっていて、
海岸は、いわゆるリアス式海岸で構成されているところです。

半島南部には、伊達政宗が送りだした支倉常長の出港地と、
当時使用していた帆船を復元したサンファンバウティスタ号もあります。


半島山間部は、野生鹿が多数生息しており、

当日も親子らしき鹿が車の前に飛び出してきました。


半島北側には、女川原発があり、

半島先端部の鮎川浜では調査捕鯨の水揚げが行われています。

その為、鮎川地区では鯨肉の配給があり
美味しい部分の肉は、全てここで配給により取り除かれ、一般市場へと販売されます。

震災復旧後は、

是非、この鮎川浜地区の鯨料理店で最高の鯨肉を堪能してみてください。

ここの鯨肉料理は、目から鱗、間違いなしです。

半島の先端、鮎川地区のまとまった平野部を除いて、
切り立った崖が続く沿岸線沿いに、点々とある猫のひたいほどの平地に、
数十単位の集落が連なっています。


半島付け根からこの福貴浦までは、

半島の内側にあるため為か、
津波自体は2~3mくらいだった模様ですが、
それでも、海抜高さとほとんど変わらないわずかな平野を飲みこむには十分すぎるもので、


海岸線点状に存在していた各々集落は、

すべて壊滅していました。

鮎川地区までは行っていないので、そこのあたりの状況は分かりませんが、
半島付け根の万石浦付近からその集落までは、
全キャリア不感地帯(携帯電話のつながらない地域)となっていて、

半島海岸線を縫うように走る県道は、

地割れが著しく、海側の路肩が崩落、陥没に加えて、
山側からの落石防護ネットや、法面擁壁が崩壊し、

土砂、落石で道路が一部埋まっていたりの連続で、

一歩間違えば二次災害も発生しかねない状況で、

道中、かなり心拍数が上がりました。

このあたりの各集落は、各集落の規模が小さい為か、

瓦礫撤去などの作業はまったくすすんでいません。

ボランティアなどの目も届きにくい地域であることは間違いないでしょう。
ただし、各集落は県道沿いに存在するため、物資は少しずつ届いてきているようです。

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上写真は、津波で流された漁船のように見えますが、
実は、海岸線が、地震による地盤沈下により水没してしまって、


接岸施設が水面下にあり
漁船が接岸できず、

このように沖合いに停船させているのだそうです。

地元の漁師らしき親父さんが曰く、
津波が来ると警報が鳴ったとき、とりあえず船を守らなくてはと、

船に乗り込んで沖合に出たそうです。

船中で無事に津波を乗り越え、おさまってから港に戻ったら、

家が、皆、無くなっちゃってて、とのこと。


家よりも船を守ることを優先させた親父さんの行為は、
家が無くなることよりも、

職を失ってしまう恐怖が優先したことによるのかもしれません。

余談ですが、半島南側、女川原発周辺は大量に物資が届いていて、
物資面ではかなり裕福なようです。

この地域に赴いた作業員の話では、

作業員に対しておやつや飲み物がかなりふるまわれたようです。

また、某キャリアの移動無線基地局も、この地域に停車してあり、

この地域に限っては、某キャリアの携帯が使えます。
半島南側とは、格差が著しいような感じがしました。